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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
それはもはや偏執的なまでの説明文でした。

 それを読んだ時、この人はきっと、すごく頭のいい人なんだなと思いました。同時に高潔な品性も持ち合わせている。だから自分が他人からどう見られているかをものすごく意識して、そのあたりのイメージを守ろうとしている。しかもまったくほころびがない。

 ちょくちょく「こんなことを言うと、○○と言われるかもしれないが」という文言で機先を制し、そこにさっきも言ったように、偏執的とも思えるくらいの説明をぶつける。中学時代に柔道の授業で寝技を仕掛けられた時のような、息が止まりそうな感覚でした。


 これほどまでに感じ入るのは、私もまた同じようなことを考え、試みていたからです。

 自分のことを誤解のないようみんなにわかってもらいたくて、知識を総動員する。およそ考えられる『見方』を想像し、どこからどう見ても私自身が納得するような『私』を表現するために言葉をつむぐ。そんなこんなで大量に盛り込むものだから、どうも小難しくてわかりにくい文章になってしまう。

 私の場合はどこまで行ってもアマチュアの領域を抜けることができなかったので、それで終わってしまいましたが、この人はそこをプロの領域まで持っていっている。さすが10年もキャリアを重ねたプロの作家だけある。……そのことには素直に感嘆し、恐れ入りましたとシャッポを脱ぎます。

 ……そして、この世界を超えた先を見てみたいと思ったのです。


 何の話かというと、西尾維新氏の『少女不十分』という長編の話です。

 「ま、ライトノベルだからね」と思って、軽い気持ちでページを開いたところ、程なくして本気になってしまいました。なんともいえない感動で頭がどうにかなりそうなので、整理するためにこの文章を書いています。


 この本を買ったのは大体2年くらい前です。厳密には2011年の11月なので2年以上経っています。

 西尾氏が30歳の時、10年前に体験したことを思い出しながら書いたものですが、30歳の時の私はこれを読めませんでした。西尾氏と私は同い年なので、本当は30歳の時に読めば一番よかったのかもしれませんが、当時の私は西尾氏の文章を受け止めるだけの器量がありませんでした。

 もしも読んでいたら、きっと、つぶれていたでしょう。圧倒的な分量の説明文に呑み込まれ、よくて失神。悪ければ後遺症が残るくらいの精神的なダメージを受けていたんじゃないかなと思います。


 今は真正面から渡り合うことができます。今のところ、かなり危ういですが、何とか呑み込まれることなく立ち合っています。

 それは私が理詰めで物事を考えるばかりでなく、爆発するような感情表現もしていくことを選択したからです。「イヤァオ!」で「たぎったぜー!」な生き方に切り替えたからです(何のことかよくわからない方は「新日本プロレス 中邑真輔」で検索)。

 そして感情のたぎるまま100冊以上の本を読み、自分なりの志を持ったからです。


 これはもしかすると、今年ずっと続けてきた「過去と向き合い、これを乗り越える」戦いの総仕上げなのかもしれません。

 これを読むことで自分と向き合う。そして自分を受け入れ、更なる高みを目指す。そのためには、本作はうってつけのテキストと言えるでしょう。この長編の中で西尾氏が書き出している20歳の頃が、私がもっとも自分を意識し、自分を表現しようと苦しんでいた時代でしたから(当時、大学の同人誌サークルに自分で書いた短編小説を掲載したりしていた)。



 ……とりあえず、こんなところでしょうか。

 さて、続きを読むとしようかな……。

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