忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます。

 科学で理解し、神様に祈りをささげる

 いぬがみです。


 これは私に限ったことではないのかもしれませんが、やはり人間、相反する感情を同時に持つものですよね。

 それをきちんと心理学的な理屈で説明がつけられる、つけてもらえるのは、とても助かります。って、Wikipediaを見たとか、その程度のものでもね。

 もっとも、Wikipediaとかネットの記事というのは、その単語じたいの解説であって(百科事典だから、それでいいんですが)、全体的に人の心を理解するためには、やはりそれなりの本を読まないといけないでしょう。河合隼雄先生の本はきわめてわかりやすく、その影響から基本的に私はフロイトよりもユングです(?)。

 という前提で、思ったことを書きます。


 ううん、私の「衝動性」というのは、このあたりの感情に起因するのかもしれません。

 衝動性……これまたネットでチラッと見ただけなので、正しいかどうかは後程検証しますが、とりあえず書きます。要するに「それをすれば必ず破滅的な結果が待っていることをわかっているのに、あえてそうしてしまう」ところが衝動性らしいんですね。

 仕事をしなきゃいけないのに飲酒したり、身体的にも金銭的にも負担が大きいのにタバコをバカスカ吸ったりする。あとは――例えば、社会通念上良くないことを考え、実行することで、強い快感を覚えるとか。

 これは重要なことです。慎重に検討しなければいけません。検討というか検証というか。

 もしかすると、私がずっとずっとずっと昔――物心ついたころから持ち合わせていたメカニズムを説明できる糸口かもしれませんから。(※)


 精神科を受診し、ADHDと診断されたことで、ようやく私は生きられるような気がします。変な話ですが、フツーの人だと思い込んでいれば、きっとその方が生きにくかったでしょう。「自分はあまりにも社会不適合な人間だ」と自分をさいなみ続け、神様から愛されていることさえ忘れ、肉の欲におぼれて大罪を犯しゲヘナに投げ込まれる……ことばかりを想像していたでしょうから。

 多分これも、イエス様の愛だと思います。


 コリント人への手紙第一10:13
 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。


 これが脱出の道。だからこの道を私は進まなければならない。真にイエス様と向き合い、余計なものをそぎ落として、イエス様の言葉を信じるために。



 ※ 13:36追記

 「依存している」←どうやらADHDに関する記事ではなく、それに付随する「依存症」についての記事だったようです。タバコやアルコールなどに依存している私が調べた時の結果ですね。

 しかし、これはこれで興味深い記事です。

拍手[0回]

PR

おはようございます。

 I'll do anything

いぬがみです(Kluteの楽曲タイトルです)。


 何でもADHDに絡めて話をしたいわけではありませんが、自分のことをよく知るために、まずは自分の特性をきちんと把握しなければなりません。自分の特性。それがADHDだってことですよ。

 「病気」ではなく「特性」ですから。治る治らないの問題じゃなくて、そういうものとして受け入れ付き合っていかなきゃならないんですから。そのために私は日々薬を飲み、こうして考え、それを言葉にしていきたいと思います。

 というエクスキューズを置いたうえで話をします。今日のテーマは「依存症」。


 どうしてそうなってしまうのか。少なくとも私の場合、不安を紛らわすためでした。

 朝起きたら仕事前に350ml缶を1本。昼休みに350ml缶を2本。夜はあんまり飲まないけれど、一時期「仕事中にのんで、仕事が終わったら飲まない」という逆転現象が生じていました。最大で酒量は中びん2本分くらいになったかな。それを朝6時にのんで、それから仕事に入るのです。

 まったくもって異常。まったくもって反社会的です。

 もちろんそんな悪癖をいつまでも続けていいとは思っていません。飲みながらも自分をさいなみ続け、咎め続け――今は自分から酒を飲もうとは思いません。

 だって、飲んでも飲んでも結局、不安な気持ちはなくならなかったから。


 同じようなもので言えば、タバコ。

 この一箱を吸い終わったらやめよう。そう思いつつも不安や焦燥感にあらがえず、コンビニによってコーヒーを買うついでに「17番ひとつ」と言ってしまう私。そして1日5本程度で済めばいいものの、ひどい時には3本連続で吸ったことがありました。

 とりあえず今日時点では、タバコを切らしているので、吸っていませんが。

 もう、わかっているはずなんですけどね。どれだけタバコを吸っても、気持ちは穏やかにならないって。困難な状況は変わらない。ただただ具合が悪いだけって。


 酒は人付き合いの潤滑油として、そういう場に行けば飲まざるを得ないでしょう。そして確かにビールがおいしいのは認めるところですが、とりあえず「酔うために飲む」ことはしません。それは必ず我が身を亡ぼすことになるでしょう。

 そしてタバコも。

 今日はとりあえず「停戦」ならぬ「停煙」としておきます。薬の効き目を確かめながら、慎重に自分の体と心を観察します。

 しかし、先に見ているものは「休煙」です。実際、25歳から35歳までの間は休煙できてたし、無理なものではないはずです。

 そして終煙宣言を出せるように。緩やかに、しかし強く、自分をコントロールできるようになりたいと思っています。


 もしかしたら、コンサータもその助けになるかもしれません。

 わがリトルケミカルブラザーも、マルボロをバカスカ吸いつつ「ADHDの薬の効果を弱めるから、タバコは吸っちゃいけないんだよね」と言っていました。タバコには4000種類以上の化学物質が含まれているといいますから、なるほど、確かに何かしらの影響はあるでしょう。それに、「気持ちを賦活させる薬(コンサータ)」と「気持ちを抑えつける薬(タバコ)」では、お互いが干渉しあって効果が薄れてしまいそうです。今の私に最も必要な成分はニコチンではなくメチルフェニデートですから。やはり休煙に向けた動きを見せることにしましょう。以上、現地から犬神特派員のリポートでした(紛争地域リポート風オチ)。

拍手[0回]


おはようございます。

 今日も一日、生きましょう

 いぬがみです。


【湾岸ミッドナイト32巻 P31】
今の低い自分を受け入れるのは弱いコトか…?
いや…逆だろうって。

くくく…なんか小学生に言ってるみたいだな…

まんまデキの悪い小学生でした。
自分のテストは50点なのに、百点の奴を見てケチつけてただけ。
人を認める。
自分を認める。
今の事実を受け入れる。
で、否定するならそこから…

認めろよ、そのうえで否定しろ。
話はそこからだろう…
そこから動くだろう…と


 その言葉が凄く胸に響いて、いつも心にとめていたつもりでしたが、結局のところ私は今までダメな自分を受け入れることができなかったんでしょう。

 まあ、これは私自身が決めることではなく、第三者――それも専門的な知識を持った精神科医の方でないと決められない、認められない、わからないことではありますが。

 その歴史とか何とか、そういうのはWikipediaでも何でもご覧ください。ただ、私は2018年という現代に生きていてよかったと思います。ADHDという言葉が(昔より少しは)世間的にも認知され、その生きにくさを改善させる薬があり、私のような人間も3週間先の予約を取れば服薬することができるのですから。

 はっきり言えば私は、もうほかの人と同じようなペースで仕事はできないでしょう。そのことは会社にも伝えました。部署異動、最悪の場合は離職も覚悟のうえでした。

 しかし、それでも私の直属の上司は離職勧告も部署異動の検討もしませんでした。

 「ミスをして、それをフォローできない周りが悪い」

 そうまで言ってくれたのです。


 それでも、もうほかの人と同じようなペースで仕事はできないでしょう。何で2回言ったの? 絶対伝えたいからだよ!!!(絶望的な活舌で)。

 それでも、それでもですよ。

 同じようなペースで仕事はできなくても、マイペースで仕事はできます。まだ本当に「どうしようもない」状況は来ていないようです。

 だから今日も私は仕事をします。たとえ、つらくても。

拍手[0回]


 おはようございます。

 大丈夫ですか? だいじょばない!

 いぬがみです(三四郎大好き)。


 さて昨日から服薬生活を始めた私。市販薬(ウット)にせよ処方箋薬(パキシル、メイラックス)にせよダウナー系の薬ばかり飲んでいた私にとって、もしかしたら初めてかもしれないアッパー系の薬です。いやコレをそういう言い方でカテゴライズしないと思いますがふつう。

 でも、故・中島らもさんの本だったかな。そうなると『アマニタ・パンセリナ』かな。原本が手元にないので記憶違いかもしれませんが、その中で出てきたリタリン(と同成分の薬)を飲めるというのは、おかしな話ですが、どこか嬉しかったりもするのです。何せ中学のころに『危ない薬』(データハウス刊)を読んで以来のドラッグマニアですから(書斎派)。

 まあ、そんなサブカル的な話はよろしい。本当にそれがないと生きていくのが難しいくらい追い込まれて、そのうえで飲むのですから。


 まだ初日ではありますが、一日が、少し長く感じられるようになりました。

 私の仕事は朝6時から10時までと、17時から22時までであり、昼間は「中抜け」という名の休憩時間でありまして、その時間帯に仮眠をとったりするのですが・・・この時間にゲームをするだけの気力がまた甦ってきたようなのです。ちょっと前は起きていることがストレスといってもいいくらいであり、少しでも休んで気力と体力をアップさせようと思い5時間くらい寝ていたこともありました。

 しかしながら、そんな状況で眠ったとしても夢見が悪くて全然休めず、時間だけが過ぎていきました。人間そんなスマートフォンのように都合よく充電できるわけもありません。・・・結局そういう生活スタイルも、悪い影響をおよぼしていたのかもしれません。

 イエス様も「いつも目を覚ましていなさい」とおっしゃっておりました。まあこれは別に24時間起きていろという意味合いではなく、もっと精神的宗教的な意味合いですが、起きて何かを考えたり気分転換をしたり。そういう、生きることに前向きになれそうな気がするのです。


 とりあえず、そんな感じです。あまりぐだぐだ書いても仕方がないので、いったん文章を区切ることにします。

拍手[0回]


おはようございます。

 今日からコンサータ飲み始めました

 いぬがみです(第一種向精神薬)。


 先月末くらいに「自分はADHDなんじゃないか」と思い、ADHD情報サイトにある病院に片っ端からテレフォンショッキング。「今ADHDの先生がいない」「うちはそういうのやっていない」など次々に断られる中、「8月21日以降なら予約お受けできますよ」と言ってくれたところが。その時点で3週間ほどあったものの、とにかく受けて見なきゃわからん! ということで予約したのが7月30日。

 その後、激闘に次ぐ激闘。注意欠陥多動性衝動性に起因すると思われる失敗は忙しさもあり常軌を逸したトルクカーブで上昇。寝ている時にも仕事の夢を見て、部屋にいる時は気持ちが深く落ち込んでしまい、きわめて危うい状態になってしまいました。それでも「生きていくこと」に関しては全然揺らがなかったですが。だってイエス様がいるから。天に召されるタイミングは私ではなく主が決めることだから。


 そして、何とか生き延びた20日ぶりの休み。朝9時に病院に行き、問診票には思いつく限りの文言をギッシリ書き込んだ私。すでにこの時点で少々病んでいる感じもしましたが、それに加えて若干の質疑応答(?)。そして院長室で改めてADHDのチェックリストに記入したところ、

 「あ~こりゃADHDですね」

 と即断即決。あまりのスピードに文枝師匠ばりの椅子コケをしてしまいそうになりましたよ私(新婚さんいらっしゃいのアレ)。 


 というわけで第一種向精神薬「メチルフェニデート」→商品名「コンサータ」の服用を始めました。

 ちなみにもうひとつの商品は「リタリン」……コンサータとの違いは、効き方のスピード(コンサータはカプセルの中身がゆっくりと溶け出し、長い時間をかけて少しずつ効いていくタイプ)。そうか、ついにこんな強力な薬を飲むことになったのか。

 
 まあ、いいんですけどね。

 どうせ今の仕事は続けられないだろうし。

拍手[0回]


こんばんは。

 過去を振り返り涙ぐむ余裕があるなら

 いぬがみです(それだけ明日見つめよう)。


 すべてアルフィーの歌の歌詞です。

 この歌を聞いていたのが、記憶の中では1995年から1996年。私が中学2年から3年の頃です。

 その頃ちょっとだけ、いわゆる「音楽」というものに興味を持ち、アレコレ聞いていたのですが、うちの兄者がどこかでCDをレンタルしてカセットテープにダビングしたものを聞いたりもしました。ユーミンとかサザンとか尾崎豊とかアルフィーとか、私の心のコアなところにある音楽がちょっぴり古いのは、そういう影響があるのでしょう。

 年齢を重ねて改めて聞いてみると、歌詞の深みや温かみをしみじみとかみしめつつ、その歌詞にセンチメンタルに感じ入っていた中学時代の感情が同時に去来します。

 それがとても心地いいのです。

 1995年、1996年。それは私にとって必ずしも幸福なことばかりがあった時代ではありません。正直、つらいこともたくさんありました。あまり思い出したくない出来事もいっぱいあります。

 でも、それを37歳の「大人の理性」で抑えつけ、余計なものを排除し、おいしいところだけを引き出し味わう。そのためのキーのひとつがアルフィーであると思います。

 明日早いので今日はそろそろ休みます。この話はいずれまた。

拍手[0回]


おはようございます。

 今日も一日、聖霊様の加護のあらんことを

 いぬがみです。


 ホームページの古い記事として今も遺しておりますが、10年ちょっと前、私は心療内科に通っていました。「パキシル」「メイラックス」といった薬を常時服用していました。この薬は非常にてきめんで、「FLAT FEELING」という言葉はその薬が効いている時の夕凪のような心境をそのまま表したものです。そんな感じでした。

 その後、薬を飲まなくても何とか生活できるようになり、13年くらいが経ちました。

 最近はどうも、良くない気がするのですよね。

 酒もたばこもしょせんは一過性のもの。中枢神経に穏やかに効く薬が必要になってきました。

 ただ飲みたいわけではありません。そうしないと仕事に支障が出るようなレベルまで来てしまったのです。

 すでにこの業界に入って4年。それだけ経つのに周りからは「何も変わらない」と思われる苦難。年齢的にもそれなりなのに、いつも同じようなミスばかり……。

 
 そんな中、ADHDという言葉を知りました。私はよくPTSDとかACDCと間違えてしまうのですが、

 「もしかして、おれはこれなんじゃないか」

 セルフチェックを経てそう思いました。何をやってもダメなのは、きっとそのせい。

 だから仕方がないというわけではありません。原因がわかれば治療する方策もあるし、自分でも「これはこういう感情なんだから、こうすれば大丈夫」と抑えつけることもできます。それに関しては、この日本国内向けのブログではあえて言明しませんが、強い心のよりどころがあります。LAWがあります。そのために私は道を誤らないよう慎重に歩いていかなければいけないのです。



 しかしながらサタンの妨害、はたまたゼウスの妨害(参照)は日に日に強さを増しており、「まずい」「自分でもコントロールできない」そう思ってしまう時があります。それは私の信仰の足りなさゆえであり、湖に沈みかけた頃のペテロの如くであります(マタイによる福音書14章22節~33節を参照)。イエズス様もこんな私に「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とおっしゃることでしょう。

 ただひたすらに信仰を深めていく。それは今後も変わらない信念でありますが、それ以外にも何かしら助けを得られるのなら求めたい。そう思ってADHDの相談を受けてくれそうな盛岡市内の精神科・心療内科に片っ端から電話をかけまくり、返事を待っている今日この頃です。

拍手[0回]


おはようございます。

 僕が僕らしくあるために

 いぬがみです(尾崎豊さんは「僕が僕であるために」)


 長年探し求めていた「ALFEE BEST COLLECTION」がツタヤ十和田店にあるのを知り、さっそくレンタルしてきました。そしてそれと同時に、なぜか槇原敬之さんのベスト盤もレンタルしてきました。

 特別に槇原敬之さんが好きだというわけではありません。というか、どちらかというと好きではありません。「自分はダメな人間だけど何とか頑張ってるよアハハン」と平日の昼間の街中で微笑みを浮かべている成人男性のようなイメージと言いましょうか。アレだ村上春樹氏の小説を読んだ時と同じような、むずがゆさと心地よさを感じたんです。そう、なんか心地よく感じる要素があるから嫌いと言えないし、こうしてCDをレンタルしてきてしまうんです。

 好きでもないのにどうして? と言えば、やはり私も槇原敬之さんの歌がある世界を生きてきたから。ウチの兄者が「どんなときも」の8cmシングルを買ってきた時はひそかに再生していたし、「冬がはじまるよ」は小学校の音楽の授業で歌ったし(今思うと、なぜ? という気がしないでもありませんが)、そのほかにも歌詞で気を引く歌がたくさんあります。

 そう、すごく言葉を大事にするアーティストだなという印象です。その部分は、好き嫌いとは別にすごく評価している部分です。いいことだなあ、って。

 結局、槇原敬之さんの歌をトリガーにして1991年にたいむとんねるするわけですよ。だから別に、そんなに槇原敬之さんのことが好きなわけじゃない……はずなんですが……。


 ……今まで聞き流していたものをきちんと聞いて、歌詞の内容をしっかり理解して、いいか悪いか決めようとしている。それだけです。べ、別に好きになったりしないんだからね! (よくある言い回し的オチ)

拍手[0回]


こんばんは。

 改めてアルフィーと向き合う今日この頃

 いぬがみです。


 落ち込むというわけではないんですが、何となく気持ちがズシリと重い今日この頃。やっぱりバイクの免許取得にあたり「うまく行くかな」という心配があるからです。もちろん参考書も買ったし、バランス感覚を養うトレーニングもしているし、やれることはすべてやっておこうとばかりにやっているので、不安――とは、ちょっと違う気もしますが。

 でも気負い過ぎて、結局うまくいかなかったですからね。今度は落ち着いていかないと。


 そんな心境でも聴けるのは、アイドルでもアメリカンロックでもなく、ピアノでありアルフィーでした。ピアノっていうか、ジョヴァンニ・アレヴィっていうイタリアのピアニストが弾いている楽曲、というべきかな。

 そのジョヴァンニ・アレヴィについてはまた改めて書くとして、今日はアルフィー。

 

 この曲、ずっと好きだったわけじゃありません。と言って嫌いだったわけでもなく、単純に忘れていたのです。

 でも、youtubeで聞いて、中学生の頃うちの兄者がどこかで借りてきてカセットテープに録音したものを聞き、あまりに感傷的になりすぎて泣いてしまったのはコレだったな、ということを思い出しました。

 そして今の私には、どんな歌よりも響くのです。ミュージシャンという言葉を「バイク免許取得」に置き換えて。

 多分これからもっともっと、つらくて長い道のりがあるでしょうけど、そんな時はこの歌を聞いて自分を励まし、夢に向かって頑張りたいと思います。

 
 なお、もう一つのキーワードは「勝つまでやる」ということです(これは「安堂ロイド」というドラマの中のセリフです)

拍手[0回]


おはようございます。

 冷静と情熱

 いぬがみです。


 あまり気持ちが高ぶりすぎるのはよくありません。私の場合、自分ではどうしようもないレベルまで高まってしまったので、仕方ありませんが。

 そうしたところぶつかった現実の壁。あるいは物理の壁。

 生まれて初めて乗った自動二輪は散々でした。

 グリップの握り方、目線、その他もろもろ。今現在バイクに乗っている人はもちろん、ほとんどの人が意識することもなく乗り越えられる小さなギャップにつまずき、そのたびにアレコレ悩むようなレベルですから、運転なんてお話になりません。

 初乗り、初コケ、初引き起こし。そんな感じでした。

 今のままでは免許取得はおろか、一段階修了はたまた一時間目修了さえめどが立っていない状況です。


 しかしながら、全く気持ちは弱くなっていません。

 すごく悩んでいる、気持ちが晴れない。そういう状況ではありますが、考えのベクトルは、

 「いったい、どうすれば上手に乗れるようになるのか」

 その一点に向かっています。

 あまり、こういうオープンな場所で書くことはしませんが、今の私はそんな感じで頑張っています。

 酒もたばこもしょせん一時のまやかし。本当に心の支えになるのは「信じること」。何を? それは――。

拍手[0回]


おはようございます。

気持ちがたかぶって眠れない

いぬがみです(0時半就寝4時起床)。


 すでに主流煙の通る場所に鈍い痛み・違和感を感じ「やめたい」と思っていても、気を落ち着けるため煙草が欠かせない私。酒もたばこも、一時的な気晴らしにしかならないことはわかっているのに…。
 
 って、まあそれもこれも、実際に動き出すまでの辛抱だと思うんですけどね。
 
 つまり、今日まで。以前もそうだったし。
 
 
 そのことを手伝うため、今日はちょっと私の話をします。って、このブログ、ずっとそんな感じですけど。
 
 
 バイクに対する「憧れ」は、ずっと、ありました。
 
 四輪に関して言えば、市販車の面影が1ミリもないフォーミュラカーや最近のハイブリッド云々はともかく、昔から好きでした。それと同時に知識やコダワリも人一倍あります。市販車からモータースポーツまで。
 
 日産R88Cとトヨタ88C-Vを、カラーリングだけでなく形を見て、一目で見分けることができます。



 ところが、同じ時代のホンダNSR500とヤマハYZR500(OW98)について言えば、このロスマンズとマルボロのカラーリングがなければ、見分けることができないでしょう。



 それは現代のRC213VとYZR-M1に関しても同じです。選手についても「バレンティーノ・ロッシっていう人がメチャクチャ速いらしいな」ってことくらいしかわかりません。

 それはたぶん、興味がないというか、「自分にとってあまりにも身近でなさすぎる」から、なのかもしれません。


 そんな私の心にスナップオンで強烈な一撃をくらわしたのが、2013年に読んだ郁子匠さんの小説『レーシング少女』でした。

 (参照)

 これ以来、すべてのライダーに対して「自分にはできないことをやっている人たち」という憧憬を抱くようになりました。男性女性関係なく。特にモータースポーツに参加している人に対しては女子高生だろうと何だろうと素直に、心からガンバレの思いをぶつけるようにしました。



拍手[0回]




 そんな私が実際に自分もやってやろう! と思ったのは、実際に試乗する機会があったから。

 函館で二輪・四輪の免許を取得した弟者が愛車・スクーピー改ともども実家に帰ってきて、それを運転させてもらう機会があったからです。…私も去る7月4日に37歳になった大人ですから、あくまでも公道ではないところで、走らせてもらったことは、言うまでもありません。

 これで、わかってしまったのです。

 バイクって、素晴らしい乗り物なんだと。

 まあスクーターだから足の操作は何もないんですけど、それでも体重移動で曲がるという体験は、それ自体が非常に新鮮な物でありました。最初はすっげぇ難しくて、怖かったけれど、不格好ながら曲がれたし。

 そう! とにかく「はしる、まがる、とまる」それだけで感動したのです!

 
 知らなければそれにこしたコトはない
 
 でも 手にした以上もう仕方がない・・・・


 免許がない、教習所に通うお金がない、時間がない、自分は四輪乗りだから、云々かんぬん

 
 「くくく・・
  だからどうしたっていうんだ それが・・?

  無理だろう いくら理屈並べても
  お前はもう見てしまったんだ 悪魔のスクーピー改を

  お前は 走り出すしかないんだヨ」



追記を閉じる▲

おはようございます。

人生で一番面白いコトは「恋愛」

いぬがみです(『湾岸ミッドナイト C1ランナー』より)


 そして恋愛の醍醐味は次々と相手を変えることらしい
 
 つまり次々と続く連鎖の形にハマるワケだ
 
 そーゆう連鎖を生む商品ほど魅力も大きい
 
 ・・・・
 
 知らなければそれにこしたコトはない
 
 でも 手にした以上もう仕方がない・・・・
 
 
 2018年7月4日、いぬがみ37歳になりました。
 
 そして、この夏、大きな一歩を踏み出します。
 
 

 小型二輪免許、取りに行きます!
 
 このチューンドバイクを、思い切り走らせます!
 
 (AF55改0.58L仕様→原付2種扱い)

拍手[0回]


こんばんは。

 今日は神様の話ではなく歴史の話を

 いぬがみです(とりあえず教会には行ってきました)。


 今日は十和田警察署に遺失物を引き取るため、あえて実家には帰らず十和田市で過ごしました。

 用事を済ませ、昼飯を市内の老舗食堂「いずみ食堂」にて食べた私。ちょっと前まで「ラーメン350円、カレーライス450円、日替わり定食600円」という昭和なリーズナブルメニュー(でもおいしい)だったのですが、今日行ってみたら全体的に価格改定がされており、今後はちょっと考えなくちゃいけないなと思った次第です。まあ折からの原材料高騰など、やむを得ない措置だということは重々承知でありますが。

 さて、そのあとどうするか。とりあえず今日は一日フリーだし……ということで、結局ポケモンGOの旅。気づけば3時間くらい街中を歩きまわっていました。その間にゲーセンに行ったり煙草を吸ったり教会でお祈り(のち休息)をしてみたり。すみません15分くらい聖堂の椅子で眠ってしまいました。

 さて、そろそろ戻ろうかと思った矢先でありますが、通りすがり、現在の中心地(官庁街通り)から少し離れたところにある新渡戸記念館に行ってきました。

 ここは国際人として旧五千円札の肖像にもなっていた新渡戸稲造博士の祖父であり、十和田開拓の祖でもある新渡戸伝(にとべ・つとう)翁のことを紹介する施設です。言ってみれば現在の十和田市を作った、街にとっては最重要な人物であるはずですが、2015年に建物の耐震強度が基準を満たしていないということがわかり休館。その後速やかに取り壊されて資料は散逸、バラ焼きと現代アートの街として発展する陰で、旧い歴史は闇に葬り去られる……はずでした。

 しかしながら、その急すぎる展開にストップをかける有志の人たちが無償で建物を守っていたのでした。私はちょうど休館措置が取られた直後くらいに十和田に来て、その表記を見てあきらめていたので、中を見ることができたのは非常に良かったです。


 中は……ちょっと薄暗くて、展示ケースの蛍光灯もチカチカしてたりして、なかなか手が行き届かない状況なのかなという感じです。まあ、先ほども書きましたが、無償でやっているわけですからね。入館料とかも特になかったし。

 しかしながら、そんなことはどうでもよろしい。中には新渡戸家に代々伝わる甲冑、稲造博士が寄贈した「新渡戸文庫」、さらに直筆の額(日本語、英語、ドイツ語など色々ある)などなど。稲造博士を先人とあがめる岩手県盛岡市の人間としては、実に嬉しい限りです。


 「これは、守らなければいけない」


 そう思った次第です。

 ひとまず、ひとりでも多くの人に現状を伝えたくて、急ぎブログを書きました。

 Eile nicht, Weile nicht.

 (いそぐことなかれ ふみとどまることなかれ)

拍手[0回]


こんばんは。

 暗いと不平を言うよりも

 いぬがみです(BGM:例のテーマ曲)。


 今の仕事が「自分に向いていない」とか何とかかんとか――とにかくネガティブな考えしか浮かばないとしても、「どうなってもいいや」と言って壊してしまうのは、良くありません。

 私はギリギリのところで踏みとどまることができました。

 それは私を超絶厳しくしかりつけた上司のおかげ――というか。

 もっともっと上位にいる方のおかげだと思います。

 「このような終わり方をしてはいけない」

 心の底から、そう思いました。

 私はいずれ、この場所から離れることでしょう。しかし、今までやってきたことをすべて打ち壊して、失意とがれきの中に消えるのは、最善の未来ではありません。今はとにかく心のともしび。進んで明かりを付けましょう。ピッポッポーピロリロリロピッポッポー♪(例のテーマ曲)。


「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」  ペテロの手紙第一5章7節


 ONE LOVE 神に感謝

拍手[0回]


こんにちは。

 信仰のある人は、無い人より強い

 いぬがみです。


http://seishonyumon.com/coach/509/


 悪いところがない、疑うところのない存在を信じる。それは誰にも何にも負けない強さです。

 誰に何を言われてもいい。ただ神の御言葉に耳を傾け、それを受け入れる。

 そうすれば、きっと大丈夫です。

 
 ONE LOVE 神に感謝。

拍手[0回]


おはようございます。

貴重な体験

いぬがみです(料飲課所属ホール担当)


 私もこの仕事を続けて3年あまりが経ちました。その割に不器用はそれほど直らず、つまらないミスばかりして、「やはり自分には適性が無い」とか「あんまり先は無いな」とか、そんな風に思う日々です。

まあ、そう思ったとたん、「この際どうなってもいいや」と思ったとたん、思い切りよく動くことが出来るようになったのも妙な話ですが。

それでも、良かったなと思うこともあります。それは、とにかく色々な人のことを知ることができること。それは大変なことでありますが(※)、そういうことがあるたび、自分の世界が広がる思いです。

外国人。といってもアメリカ人とか中国人とか韓国人とか関西人とか九州人とか、色々な人が居ます。話す言葉も違うし文化も違う。出来ることと出来ないことがありますが、それを理解して合わせていかなければなりません。

聴覚に障害がある人なら手話や筆談が必要です。私も普段手話を使うようなことがないので、ごくわずかなキーワードをそのたび検索して付け焼き刃的に覚えるような感じですが……それでも以前ひとりで宿泊された女性のお客様に、手話で気持ちを伝えることが出来たこと(「ありがとうございます。」とか)――そして、同じように手話で嬉しそうなリアクションをしてくれたことは、数少ない、良い思い出です。

昨日は視覚障害者のお客様と対応しました。これはもう3日前から「どうすればいいんだ」と悩んでいましたが、調べてみれば、視覚障害者=まったく何も見えない、とは限らないんですね。ある程度、食器や什器の場所を教えてあげれば、後は自分でナントカできると。

そういうのを現実として体験しました。

不思議なものというか……というのは少し違うかな。「ああ、こうすればいいんだ」という距離感が少しわかったというか。もちろんサポートは必要だけれど、しすぎる必要も無い、と。

結果的に、そういうの、上手くいったのかな。お客様には、満足してもらえたのかな。そんな雰囲気に見えたし。

1年後、同じ仕事をしている可能性は少しずつ低くなっている今日この頃。ひとつひとつの経験を仕事「以外の」日常生活で生かせるよう、日々を生きていこうと思います(ランボー怒りの脱出のラストシーン風に)。

※ それを大変だと思うような性格だから、きっと向いていないんでしょうね。

拍手[0回]


おはようございます。

 平均時速80キロくらい

 いぬがみです(法定速度は60キロ)。


 おかげさまで私のスビーはすこぶる調子がよく、国道4号線は中山峠を快調に爆走しました。奥州爆走族です(構成員1名←私だけ)。

 そんな中で、当然ですが色々な車を見かけます。良い車悪い車ふつうの車。欽ドン!

 というか速い車とか普通のスピードの車とか。そういう感じでしょうかね。別に時速60キロ70キロで走るのが遅いというわけではありませんから。私だって大体そのくらいの速度で走るし、長距離を走るのであれば、そのくらいのスピードがちょうどいいですから。

 速い車というのも、いかにも速い車だと思えば納得いきます。後ろから迫ってくれば最速で道を譲るし、離れていくのであればむしろアクセルを緩めて先に行かせます。

 ただ、その一方で「どれだけ速いんだ」という気持ちで追いかけることもあります。

 別に勝ち負けは関係ないので、ある程度「こんなものか」ということがわかればすぐにスピードを緩めて先に行かせますが、そういうのを繰り返すうちに、思ったことは、

 「結局、誰でもアクセルを踏めば速い」

 だから速い。そういうことなんでしょうね。なぜなら上り坂とか直線とかではグーッと引き離されるものの、下り急カーブに差し掛かるとグーッと差が縮まるから。相手は思い切り減速するし、私は最低限のブレーキ(またはノーブレーキ)で突っ込むから。カーブも高速で切り抜けられればとても追いつけないですから、ただ直線でアクセルを踏み込んでパワーで走っているだけなんでしょう。

 こっちはしょせんNA1.5リッターですからね。たとい運転技術という言葉から最も縁遠い、ギラギラと飾り立てたミニバンだとしても、V6で3.5リッターのエンジンを積んでれば速いでしょう。軽トールワゴンだろうとターボでドーピングすれば速いでしょう。スピードを出せば気持ちいでしょう高いところから見下ろすのは気持ちいいでしょう。

 でも、私のインプレッサの方が1万倍楽しいです。急な上り坂では細かくシフトダウンして速度をキープしなきゃいけないし――たぶんハイパワーAT車に「乗せられている」人たちからしてみれば、ただただパワーがなくて面倒くさい車だと思うのですが、自分でやらなくちゃいけないことが多いから、車を運転している気になるのです。高価な車であること、綺麗な車であること、ハイパワーな車であることは事実として認めますが、もう一度言います。

 私のインプレッサの方が1万2000倍かそれ以上、「いい車」です(2割増)。


拍手[0回]


おはようございます。

 欧州とか北米という言葉に弱い

 犬神です(属性:南蛮かぶれ)。


 ドライブレコーダーっていうやつを、取り付けました。

 新品タイヤ4本セット、バックモニター、エアクリーナー等々……毎月のクレジット支払いは10万越えであり、その上さらに1万円以上するドラレコなんざぁ付けている余裕はないのですが、盛岡のオートバックスが改装のための在庫一掃セールをやっていて、安かったものでね。仕方がないでしょう、と。確実に破綻者への道を歩み続けているようですが、それはともかく。

 ケンウッド製の、通常価格2万円のドラレコに半額のプライスタグが付けられているのは衝撃でしたね。1万円も安く買えるんですよ。取付工賃とかを含めてもお釣りが来ますよ(工賃5000円でした)。こりゃ~買うしかないでしょう下の方にも9800円の格安ドラレコがあるけれどそんなものには目もくれず……いや一応スペックだけ比べてみるか……うん!?

 ケンウッド:F2.0 211万画素 広角110度
 格安   :F1.8 300万画素 広角165度

 そりゃ確かにケンウッドの方がGPS機能とか何とかって付加機能がたくさんついていますけど、こと「実用」という点から考え、それ本当に必要ですか? と思われるような機能を省き、冷静に考えると――格安ドラレコの方が正しいんじゃないのか!?

 ということでオウルテック製『OWL-DR04-BK』を購入。配線の取り回しをお願いして、バックミラーのすぐ横に取り付けてもらいました。慣れるまではバックミラーを見ようとして視線がドラレコの画面に向かい「妙に明るいな」と誤解してしまう危険性があるので、よくよく気を付けなければなりません。

拍手[0回]


おはようございます。

 薫風

 いぬがみです(そのために調べた)。


 何を言っているのかわからないと思いますが、時々自分の気持ちを俳句にして読みたいと思うことがあるんですね。

 というとたぶん、皆さまの心にパッと浮かぶのは「友蔵心の俳句」だと思うんですが、アレとはまたちょっと違うんですよね。アレはアレで面白いと思うんですけどね。

 私の俳句の師匠は豊玉宗匠。ええ、元・新選組副長で陸軍奉行並の土方歳三さんです。

 まあ、決して上手な句ではない――というのが一般的な評価のようですけどね。私は俳句の上手下手を批評することができないので、「やはりそういうものかね」と首肯するしかないのですが、それでも私は土方さんの句が好きです。ご本人の性格なのか、率直でシンプルですがすがしい印象を受ける句ばかりだからです。率直すぎて、沖田君でなくても「大変だなこりゃあ」と困惑してしまうような句もありますが。

 そんな土方さんへの憧れから、下手でもいいから感じたことを俳句というツイッターよりもはるかに短いフォーマットに収めたいと考えるようになったのです。それは同時に、色々なことに感じるセンサーを磨くことでもあるから。

 というわけで一句。

 
 薫風に 揺れし萌黄と 我が紫煙

 

拍手[0回]


おはようございます。

 百万回の言葉よりも分かり合えること

 いぬがみです。


 私の弟の友人に、とてつもない金額を車にかける人がいます。具体的にどれくらいかかっているのかわかりませんが、インテグラ・タイプR(DC5)を事故で全損させ、そのローンが残っているのにもかかわらずシビック・タイプR(EK9)を現在の愛車とし、それを思いっきり飾り立てています。外側から見ただけでも、

 ・カーボンボンネット(ピン止め)
 ・カーボンミラー
 ・リアウイング
 ・カナード(前翼)
 ・追加メーターいっぱい

 って感じですから、たぶん中身もすごいことになっていることでしょう。ちなみに給料全額つぎ込み+借金までしてチューンしているそうです。私はその姿勢を心から称賛します。


 それに刺激を受けたというか。まあ昔から『頭文字D』だの『湾岸ミッドナイト』だのといった漫画を愛読し、車のゲームを何百時間もプレイし、「自分でもやってみたい」と思っていたのは変わりないのですが……。

 今回、私のスビー(スバル車のアメリカ的な愛称)、ちょっぴりだけチューンしました。すなわちエアクリーナーをHKS製の純正交換タイプにしたんです。エアクリーナー「だけ」ね。だって、私のNAインプレッサ用マフラーって、なかなか売っていないんだもの。稲田製作所のシゲさんなら1本1万円で作ってくれるかもしれませんが、大阪まで行かなきゃいけないし、そもそも直管じゃうるさくて街を走れないしなあ……。


 はい、「吸気と排気、一緒に変えなきゃ意味がない」わかります。「エアクリーナー変えたくらいじゃ何も変わらない」わかりました、わかりました。「そもそもエンジンっていうのは」……

 すべて、わかっています。たぶん車って何も手を加えないのが一番バランスが取れているんです。それに手を加えることによってバランスが崩れる。それを一段上のレベルで調整する。そうすることでバランスを取ったとしても、やはり失うものも多いでしょう。

 それでもあえて、私は手を加えました。

 やっぱり、わかりたいからです。

 何かが変わるのか。それとも本当に何も変わらないのか。

 自分のお金も時間もかけず、ネット上で誰かの言葉を読み、それをそのまま「そういうものだ」と思う。それは賢いかもしれませんがズルいと思うし、私が今まで敬愛して来た人たちへの侮辱であるような気がするのです。

 現実問題として、私はそこまで思い切ったコストをつぎ込むことはできませんが、ようやく改造しがいのある車に乗れたこともあるし。少しだけでも、少しずつでも、新しい何かを探してみたいと思います。

拍手[0回]


こんばんは。

 久々に、酔っぱらいブログ

 いぬがみです。


 こうも酔っぱらった状態で書くのもいかがなものかと思いますが、今日の話題は「山口容疑者」の話題。ええ、TOKIOのメンバーである「ぐっさん」こと山口達也さんの話題です。

 ……ううん、これは……ちょっと、つらいですね。本当につらいです。

 もとより「ぐっさん」と言えば山口智充さんのことでありますが、メンバーの皆さんが山口さんのことを「ぐっさん」と呼ぶので、まあそういう言い方もあるのかなと思いつつ……しかし……。

 本当、難しい問題ですよね。なぜならば、私はTOKIOのメンバーが全員大好きだから。『鉄腕DASH』が深夜放送だった時代、頑張って夜更かしして、ひとりずつメンバーの名前を憶えていた時代から大好きだったから。日曜ゴールデン時代になって、昔のように電車とガチ勝負! みたいな全力体力勝負みたいな企画もなくなって、三流ゴシップ誌に「メンバー同士の確執?」みたいな記事も書かれて、それでもなお「TOKIOは5人でTOKIOだから」と自分をかばいつつ今の『鉄腕DASH」を見続けて……。

 だから、たぶん、ニュートラルな判断ができないんです。

 「いやいや、確かに犯してしまった罪をすべてチャラにすることはできないけれど……それでも、やっぱり何とか……ならないかなあ」

 そういうスタンスなんですよ私は。どういう形でケジメとするのか、それがちゃんと判断できない。だから私がこの件に関して、明確なスタンスを示すことはできません。そもそもリーダーとか、そういう人たちが厳しい態度でコメントをしているので、何よりも「仲間」であるTOKIOのメンバーがどうするかっていう話だと思うのですが……単純な一ファンとしては……

 「何とかオトシマエをつけて、また今まで通りの山口さんで戻ってきてほしい」

 そういう感じです。

 色々な思いを巡らせればキリがありません。何がなんだかよくわからなくなります。その前に、あえて率直な感想を言います。私は山口達也さんが表舞台に戻ってくることに、なんの否定的な感情も持ちません。ただ、「世間的に」ですよね。「世間的に」、どうすれば「オトシマエ」になるのか。それが私には、今の世の中の「オトシマエ」がどういうものなのか、よくわからないので……。

 指でも詰めればいいんですか? 首を差し出せばいいんですか?

 そんな感じです。毎週『鉄腕DASH』を見て、見られない時は実家に頼んで録画してもらって、様々な企画を見続けていたファンのひとりとして。正直な感想を申し上げます。いつも以上に強烈に酔っぱらった勢いで書きましたが、おおむねそんな感じです。

拍手[0回]


おはようございます。

 刺激を求めて

 いぬがみです。


 最近「炭酸水」が好きです。

 ちょっと前までは「割り材をそのまま飲んでどうするの」という立ち位置でしたが、レストランで割り材に使って余ったペットボトルの炭酸水をもらって飲んだところ、妙においしく感じたんですよね。甘すぎず苦過ぎず、かといってうますぎず。まずいんじゃねーかよっ! いやそうじゃなくて。刺激がほしいけどシンプルにのどを潤したい時、すごくいいのかなって。そう思ったのです。

 と言っているとテレビのコマーシャルで各メーカーから炭酸水のCMが打ち出されているのを見ました。別に私も炭酸水ブーム? に乗じたわけではないのですが――アレですね、強炭酸ってやつは少々刺激が強すぎます。私はやはりレギュラー。とりあえずウィルキンソンが一番いいですね。

 そして、それだけ好きなら、前に盛岡市内の老舗デパートで見かけた炭酸水作り機を買ってもいいんじゃないかと少し前向きに検討しています。これもまた、以前は美容とか健康とかそんな言葉に敏感な女子向けの商品だと思って「ほう、世の中にはこんなものがあるんだなあ、面白いなあ」という感想を抱くにとどまっていたのですが。

 アレだな、ちょっとロフトにでも行ってみるかな。

拍手[0回]


こんばんは。

 私とスビー、新たなステージへ

 いぬがみです(スビー:スバル車のこと。主に北米での愛称)


 別に何かを改造したわけではありません。ただ、今まであまり踏み込まずに運転して来たインプレッサを、若干踏み込んで運転した。そういうことです。

 むろん私はいわゆる走り屋ではありません。職場には「頭文字D」でいえば文太親父クラスの腕前を持つ人がいますが(愛車はDC2インテR)、そういう技量はありません。だから「峠を攻めた」とか「走り込んだ」というのではなく、「踏み込んだ」それだけです。十分な安全マージンを確保したうえで、いつもより10キロとか15キロとか踏み込んでみる。それで十分オイシイってわけです。

 まあ、出発が遅くて先が長いので、早く帰りたくて、そうしたんですけどね。かつて土屋圭市さんも長野で走り込んでいた時代は「早く帰って寝たいから」速いスピードで走るようになったといいますし。そういうことです。

 そして今日の話題は、そんな帰り道の途中で立ち寄ったファミレスのこと。『湾岸ミッドナイト C1ランナー』ふうに言えば『ファミめし』です。


 いいですね、ファミレス。今まではあまり立ち寄ることはなかったのですが、ほかに深夜帯に食事ができる場所がないし。それなりにコストはかかりますが、標準以上のおいしさが得られるし。何より『湾岸ミッドナイト』で良く出てくるし(食事ではなくコーヒーを飲みながら、ポルシェとGT-Rの話をするシーンが多いですが)。

 昼間であればほかにいろいろな選択肢があるし、たぶん寄らないと思うのですが、こういう深夜のファミレス。いいものです。

拍手[0回]


おはようございます。

 久々に東京観光してきました

 いぬがみです(With嫁)。


 そのあたりの旅行記はいずれ別な形でまとめていこうと思いますが、今日は[suica」について。

 網の目のように路線が張り巡らされた東京であれば「何をいまさら」という話でしょうが、自動改札さえ完全ではない東北地方の路線――さらに言えば、そもそも電車が走っていない土地に住まう私にとってSuicaというのは「ああ、何やらそういうものがあるんだなあ」という程度の認識しかありませんでした。

 一応それ自体は持っているんですけどね。しばらく前にゆうちょ銀行のキャッシュカードを作った時、特にデメリットもなさそうだったのでSuica機能を付けてもらって。コンビニやら何やらで利用することができるので、使おうと思えば使えるような気もするのですが、どちらかというと使えない場面の方が多いので……。

 要するに田舎なんです田舎。カントリーサイド。なんとでも言ってください。


 それを認めたうえで、申し上げます。

 Suicaって、スゲー便利ですね。

 特に私のように路線を良く知らない人間にとっては、チャージさえしておけば何も考えずに乗りたいところから乗り降りたいところから降りることができるから、戸惑うこともありません。そして今年の4月からは新幹線でもSuicaが使えるようになったということで、時間的に非常に厳しいことがあったのもあり、新幹線の改札もスルー。上野から大宮に行き、上野をスルーした新幹線に飛び乗り帰り着くことができました。

 (注:Suicaで行ける路線には制限があります。また全席指定席の列車にSuicaで乗車することはできません。事前にそのあたりのことを確認してご利用ください。そうでないと私のように精算所で色々面倒な後処理をしなければなりません)


 そして現在、私のSuicaには上野盛岡間の新幹線代(15k)がチャージされています。これからしばらくはキャッシュレス生活です。決して普及しているとは言えない田舎町で、どうやって活用していくのか? せっかくなのでそのあたりのことをレビューしていきたいと思います。

拍手[0回]


おはようございます。

 今日は積雪

 いぬがみです(3月末にタイヤ交換済み)。


 先月末ジェームスで激安タイヤ(グッドイヤー製)を購入。その際に交換用ホイールのサイズを1インチ間違えていたため、その時に履いていた冬タイヤを廃棄、入れ替わりに夏タイヤを履いてしまったのでね。こうも雪が積もってしまうと、非常に不安であります。何せ冬タイヤに戻そうったって冬タイヤがないんですから。

 まあ慎重に行くしかないですわな。できるだけ大きい道路を通って、安全第一で。

 それに、なかなかの悪条件で雪道を走ったことも、何度かありますし。

 夏タイヤで八甲田酸ヶ湯の雪道を走ったり、12年落ちのスタッドレスタイヤで超絶吹雪の八甲田を走ったり。ええ、どっちも冬の八甲田です。

 前者は言うまでもありません。とにかく曲がらないし止まらない。20キロ以下まで減速してようやく緩やかに舵が切れる――そんな感じです。ファミリアファミ子の高性能(実用本位)4WDシステムのおかげでしょう。

 後者は、以前ブログに書いた通りです。インプレッサという車の素性と、僭越ながら私の経験値で何とか切り抜けたという感じです。

 ただ、どちらにしても「安全に走り切る」ことを第一目的としていたため、非常につかれました。あまり、こんな体験はしたくありません。何とか雪が、早いところ溶けてくれることを願います。

拍手[0回]