忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


こんばんは

 ちょっと雰囲気を変えてみました

 いぬがみです。


 最近割とガチに「アニマルセラピー」というやつを求めて猫カフェに行ったりしている私。本当そのくらいメンタル的に追い込まれています。しかしながら、もふもふの猫どもをなでたり、膝の上にのせたりして温かさを感じると、生命のナニナニ……なんて大げさなことは言わなくてもね。単純に心が温まるのです。

 この手の動物の定番と言えば、いま私が申し上げたように「猫カフェ」となりますが、十和田市には実は「兎カフェ」というのがあります。

 本日、ようやく開店日と私のタイミングが合致したので、初めてお伺いしました。じつはオープンしてから9年も経っているそうですが、テレビの取材とかもすべて断ってきたそうです。さすがにgoogle検索の網から逃れることはできませんでしたが(そのおかげで私も発見することができたし)、6年近く十和田市に拠点を構えているのに知りませんでした。

 なお、その理由についてはマスターが一人で兎の面倒を見たり接客をしたりしなくちゃいけないので、「あまりたくさんお客さんが来ても大変だ」ということです。

 というわけで、私もそんなマスターの意志を(私なりに)慮ります。あえて「市内某所」という形で、本日は記事を書きたいと思います。よくテレビとかでもありますよね。場所は特定しないけど、店内とか、そういうのは映すって。だから、そんな感じで今日は記事を書きます。


 こちらのお店は基本的には喫茶店です。軽食もあるので、ちょっと昼飯を……という感じでも利用できます(私も今日、そうでした)。店内の半分はウサギ小屋とディスプレイ空間であって、実際に座れるのは4人掛けテーブルが2組、とか、そのくらいでしょうか。だからあんまり多く人が訪れるべき場所ではないです。

 基本的にウサギはケージの中にいます。おとなしいのと活きのいいのがいて、後者のほうはケージを開けるとすぐに飛び出します。まず素人には捕まえられないので、必然的にマスターに何とかしてもらうわけですが、そうすると非常に迷惑が掛かります。……初犯だから、今回のところは見逃してくださいね。テヘッ!


 ウサギのおやつはリンゴを細切りにしたものです(1つ100円)。マスター曰く「お客さんが来ると、おやつをもらえるものと思って、テンションが上がる」ということでしたが……もうね、アレですよ、ちょっと怖かったです。私がカレーを食べている間もすべての兎たちが餌を求めてケージをガチャガチャ、ガチャガチャ……。

 こう言ってはアレですが『バイオハザード』とか、あの手の映画の登場人物になった気がしました。もちろん、ね。どういう展開になるかはわかりますよね。いきなりすべての織がガシャーンと壊れて、餓えた兎たちがカレーを食べている私に襲い掛かってきて……。

 まあコンピュータゲームの世界には首をはねる兎がいますからね。そういう先入観もちょっぴりだけ、あるかもしれませんが。とにかく、ちょっとだけヒヤヒヤしながらカレーを食べました。


 兎の取り扱いについてはマスターが懇切丁寧に教えてくれるので、それに従って撫でてください。抱くことはできません。「ケージから飛び出さない奴」だけを、撫でることができます。

 
 ……少しくビールを飲みながら書いているのですが、とりあえず結論を書きましょう。

 やはり兎というのは、なかなか取扱注意であります。元々とても臆病な生き物ですから、ワン公のように人間の意志を100%押し付けることはできません。それは猫もそうですが、私が行った猫カフェはもとよりオープンスペースというか、「猫が自由奔放にふるまう空間に、私たち人間どもが行く」ような感じだったので、自然と猫の意思を尊重しつつ隙を見て癒される……という不思議なWin-Win関係が成立しました。

 それで、今回行った兎カフェ。これは、要は「兎を撫でることができるカフェ」です。

 動物園や猫カフェのように、兎を抱きしめたりすることはできません。とりあえず、撫でるくらいです。

 だから、正直に言えば癒され度合いは猫カフェよりも劣ります。……でもそれは、私が兎にこれほどまでに触れ合うのが小学校で飼育委員をやっていたころ以来――30年ぶりくらいだったからでしょう。

 当時からすでに「兎しか友達がいない」と陰口をたたかれるほどコミュ障だった私。しかしながら兎に関しては、ほかの人が抱こうとすれば暴れまわるような奴でも、私が抱けばおとなしく腕の中でじっとしていました。おそらく校内一の兎マイスターであったと思います。

 そういうこともあって、何とかなるだろうと思ったら、ちょっと失敗してしまいました。そして失敗した後は、とても気を遣いながら撫でまわしたので、ちょっと……ね。

 でも、いいんです。自分の思い通りを相手に押し付けるだけの人生じゃ、人の気持ちなんて絶対に理解できませんから。わずかな時間ではありましたが、「こうしてあげれば、いいんだな」っていうのがつかめましたから。

 人間よりもシンプルだけど、ある意味では人間よりも難しい。アニマルセラピーとは少し違うかもしれませんが、動物とのふれあいというのは、いまの私にとっては非常に興味深いテーマであります。ですから、これからも動物と触れ合う機会をもっと増やしていきたいと思います。

 では最後に、私が撮影した写真をショットガンのごとく乱射していきたいと思いましたが、どうしても写真が上下反転状態でしかアップロードできないので、いったんここで締めくくります。


 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。

拍手[0回]

PR

こんばんは

 フォーラム八戸で「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」を見ました

 いぬがみです。


 本作は1995年に劇場公開されたものですから、見ようと思えば見ることは難しくないでしょう。VHSとかLDとかDVDとか、色々なメディアで展開されているから、自宅で容易に見ることができます。

 ただ今回は初回公開から25年の時を経て、1995年に市川準監督が言った「人のことを愛おしく思うことが難しい時代」に、またしてもこの国がなりつつあるからか? デジタルリマスター版が――全国で限られた場所でのみ公開されることになりまして。それがたまたま私の現在の主な拠点である十和田市からほど近い(と言っても車で1時間くらいかかりますが)青森県八戸市で公開されるということで、頑張っていってきました。

 朝10時からのモーニング枠で、1日1回だけの上映。期間は1週間だけ(明日が最後の上映日となります)。そういうわけで万難を排していってきたわけですが……結論から言いましょう。

 ちょっとだけ、泣いちゃいました。

 でもそれは、私自身のレベルがこの映画を観る人に求められる最低基準をクリアし、なおかつ私が「物語を自分の良いように取り込んでしまう」特殊なスキルを持っているから、だと思います。……早い話が「感情移入しやすいように自分のメンタルを持っていく」ってことですね。

 ただ、今回はそういう特殊な要素はさておいて、たぶん一般論として成立するであろう範囲の話をします。すなわち「この映画を観る人に求められる最低基準」について。


 これは、その……そんな極端に難しい話ではないと思うのですが……とりあえずタイトルが「トキワ荘の青春」ですからね。その時点で、「トキワ荘って、こんなところ」っていうぐらいの知識は、あると思うんです。そうじゃなかったらわざわざお金を払って見ないでしょう。

 ただよ、ただだ!(新日本プロレスの真壁刀義選手ふうに)

 通り一遍さわりをふんわり知っているだけじゃ、ちょっと足りないと思うのです。なぜかといえば、私は(多分ほとんどの人がそうだと思いますが)藤子不二雄氏の視点でのトキワ荘のイメージがすべてですから。……そりゃ~もちろん藤本氏・安孫子氏両名とも映画には登場しますが(ついでに言えば藤本氏を演じるのは若かりし日の阿部サダヲ氏です。……これがまた絶妙にイケメンなんですよね)、この映画ではモックンこと本木雅弘さんが演じる寺田「テラさん」ヒロオ氏が主人公ですから。

 だから藤子不二雄が入居する前の時代もちょっぴりだけ描かれますし(この映画で、私は初めて手塚治虫先生が「寺田氏」と呼んでいたのを知りました←って、フィクションかも?)、トキワ荘以外の人間はテラさん主軸で描かれます。トキワ荘のメンバーの作品とは空気が全ッ然違いますけど、つげ義春先生とかが出てきたりね。これはちょっとうれしかったかな。

 そして物語は、なんというか……。

 ……多分これは市川準監督の持ち味なんでしょうね。無理に話を盛り上げたり、観ている人を号泣させようとしたり、といった雰囲気がないんです。むしろ物語とは違う世界にいて、すべてをカメラ越しに「記録」している感じというか。……それは私自身のこれまでの40年弱の「生き方」とも共通するので、とても共鳴共感するのですが……

 ……それでも、映画の中の展開に対して、逆らえないリアリズムというのでしょうか。やっぱり青春というか、「金はないけど夢はある、仕事はないけどモチベーションはある」若者たちが時流に乗ってどんどん加速していく姿はとてもいいことのはずなんですが、やっぱり少し寂しい感じがしました。

 専業アニメーターになるために去った鈴木「ラーメン大好き」伸一氏、あまりにも文芸的過ぎて世間に受け入れられず失踪した森安「キャパキャパ」なおや氏。そして自分の作品が徐々に時流から取り残されていくことを理解しつつも、その時流に乗ることを自らの意志で拒み生きていこうとするテラさん自身……。

 「テラさんはいつも、本当のことを僕たちには言ってくれない」

 これは森安氏だったかな。若き漫画家たちの前では常に穏やかに微笑み、「よき兄貴分」としてふるまっていました。見ている私たちにも直接的に悩みを口にしたりはしません。それでも私たちは、物語の世界の各人物よりも余計にテラさんの動きを見ることができるので、その心情を推し量ることができます。

 じつに、ここがポイントだと思うのです。さっきも書きましたが、とにかく、どれだけ気持ちを込められるか。煽り立てるような展開が全くないので、わずかなセリフや動きで想像を積み上げていかなくちゃいけません。そのためにはある程度の予備知識とか、そういうのも必要になるでしょう。


 「トキワ荘の青春」とてもいい映画です。でも誰にでも勧められるわけではありません。結構それなりに難しいです。

 でも私は今日、この映画を観られたことを、すごく「良かった」と思っています。

 以前『宮川賢のまつぼっくり王国』で、同じ映画でも映画館で見るのと自分の部屋のテレビで見るのとでは「ダイナミックレンジが違う」から感動が違う、ということを聞いたことがあります。だから25年前の作品でも、今回私がわざわざ映画館で見たのは、VHSやLDやDVDで見たのとはワケが違うと思っております。


 それ以外にもいろいろあって、とにかく八戸市、すばらしい街です。大・大・大好きです。


 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。

拍手[0回]


おはようございます

 午前2時くらいから眠れなくて、現在にいたります

 いぬがみです(絶賛空腹中)。


 昨日はBGMに「ソウルハッカーズ」のサントラを聞いていたので、色々と思いがこみ上げてきてしまいましたが、今日はもっと大人の話をしたいと思います。

 昨日書いたように、表計算ソフトでちょっとしたマクロを使った便利ツールを作りました。といっても複雑なプロセスはまったくなく、単純に「ボタンを押せば、数字がひとつ増える」といったささやかなものであります。

 要するに飲み物の売り上げを計上するとき、ワンクリックで数字を増やせれば便利だなと思った。それだけです。ただ、これまで全然使ったことがなかったので、今後につなげられる一歩だと思っています。

 そして、何よりも満足感です。何十項目もある飲み物の最初のひとつを作っただけで、こんな顔をしていました。

 


 「……エレキですよエレキ! エレキの力で遠いところの人と話し合い、エレキで物を書く時代が、必ず来るんです!」

 江戸時代に中村主水が思い描く「エレキの時代」として、いつもの和服姿の八丁堀さんがワープロに向かい、自分の名前をピポピポピポと変換し、ドットインパクトプリンタでパリパリパリと乾いた音を響かせながら印刷するシーンですね。

 これが放映されたのは1986年~1987年。昨日書いた「ソウルハッカーズ」が発売されたのは1997年。そのころに思い描いていた未来は「過ぎ去った未来」となってしまいましたが、私の中の時計はちょっと遅れていますからね。それを発達障害というのか愛着障害というのか、あるいはただの懐古趣味というのか。まあそれはわかりませんが、とにかく私自身は思いました。いま。

 無理に時計の針を早回しにしなくてもいいかなって。無理やり早回しにしようとするから、歯車がおかしくなって、壊れそうになったのかなって。もちろん実際には、そうもいかないでしょうけど、ちょっといいことを思いついたので書いておきます。


まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 皆様にとって今日が良い日でありますように。ごきげんよう。

拍手[0回]


こんばんは

 1981年生まれです

 いぬがみです(昭和の男です)。


 今日は果たしてどういう展開になってどこに着地するのか、書いている本人も予想がつかない奇想天外ブログ。今回も始まります。

 とりあえず「このことについて書きたい!」と思っていたことから書きます。

 
 シンプルに申し上げると、「表計算ソフトってスゲーな」ということです。

 私と表計算ソフトの関係は、ドラえもんとのび太君の関係に似ています。どういうことかというと、要するに「〇〇したいから、それを手っ取り早く実現してくれる××を出してくれ」ってことです。自分がいちいち紙に書いて計算するのが面倒くさいアレコレを、数字を打ち込んでいけば勝手に加減乗除に関数云々……と高校1年生のころに4連続赤点を取ってしまった数学不安症の私の代わりにやってくれるのが、ドラえもんならぬ表計算ソフトなのです。

 もちろんそのためには、ある程度自分で関数とか、さらに複雑なことをしようとすればマクロというやつを組んだりとか、しなければいけませんが、ありがたいことに現代においては多くの方が「こういう感じでプログラムを組んで、やってみました」という情報を発信していて、私を含めた世界中の人たちが自分のやりたいことを検索し、そういった方たちのもとにたどり着いて、丸ごとコピーすることで実現できるんですから。

 まったくの既製品(アプリ)ではなく、レシピ通りに作ったとはいえ自分の手料理のような感じですから、ちょっと不格好だったり不便だったりするものの、それなりに使えます。そして何よりも、とにかく「自分で作った」というのが、うれしいんですよね。


 で、ここからはちょっと違う話になります。

 冒頭、自分の生まれた年をいきなりアピールしたのは、ここにつながります。1981年生まれということは、足し算をしていって、今風にいえばアオハル、高校生というやつを実際にやっていたのは1997年から1999年となります。その年代に何があったか。なんてWikipediaで見てみれば色々ありますが、とりあえず私の主観で書きたいことを書きます。もう焼酎ハイボールに手を付けて、記憶がいつ飛ぶかわからないからです。

 ひとつ言えることは、Windows95の世界的超絶大ブームにより「パソコン」というものが一部の特殊な人たちだけではなく一般の人たちも気軽に触れられるものになり、さらにインターネットというのもググッと身近になった……そういう時代であったと思います。あの高倉健さんがCMで「なんだ、簡単じゃねえか」と言っていた、といえばお分かりいただけるでしょう。

 そして、そんな時代背景をもろに反映したのが家庭用ゲームソフト「デビルサマナー ソウルハッカーズ」であったと思います。

 このゲームの舞台となるのは行政によって全世帯にパソコンとネットワーク環境が整備された情報環境モデル都市「天海市」。パソコンに詳しくなくても興味がなくてもとりあえずすべての世帯にパソコンがあり、ネットワークがつながり、VR世界で買い物ができたり各種エンターテイメントが楽しめたり……そういう世界なんですね。

 ゲームの中の登場人物と(ほぼ)同年代だった高校生の犬神君は、物語の世界にひときわ親近感とあこがれを持ちました。歳は近かったけれど、パソコンの知識は足元にも及ばず。そんなことはお構いなしに(ゲームだから)物語を進めることはできましたが、心の片隅で「こんなふうに、自分もサイバーな世界の住人になりたいな」と思っていました。


 で、そろそろ結論を書きたいと思います。焼酎ハイボール、2本目に手を付けてしまったからです。おそらく記憶がなくなるのも、遠くないでしょうから。ちゃんと意識があるうちに書きます。

 本当、ささやかで子供っぽいと思われるでしょう。それでいいです。

 ……こうして表計算ソフトでマクロを組む、すなわちプログラミングの真似事をして実際に思い通りのことが実現できた時、あこがれていたものに少しでも近づけた気がして、うれしいんです。

 私は高度なプログラムを組むことはできません。表計算ソフトで使うような簡単なプログラムさえ、誰かの書いたコードを丸ごと打ち込まないと作れません。……でも、人まねでも、いいんです。

 「ほしいものは、自分で作る」

 そういうことが、できたから。


 「何もできないから生きている意味がない」と思っていた自分でも、そういうことができるなら、まだ少しだけ生きている意味があるのかなって、思ったから。


 ベランダの物干し台でネックハンギングして楽になるのは、延期しよう。


 割とシャレにならないレベルで、そんな風に思ったから。



 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を、おやすみなさい。

拍手[0回]


こんばんは

 

 いぬがみです(宮古市金浜地区)。


 震災の記憶を「つらいから忘れたい」という人と「忘れてはいけない」という人がいます。

 私自身の気持ちとしては、直接何かしらの被害を受けたわけではないのですが、何とか大好きな海の街とそこに住む人たちが元気になってほしいので、常に何かしら発信もしてきましたし、行動もしてきました。

 そして今日はオートバイで、宮古市~大槌町にかけて走ってきました。もうとにかく走りまくっていたので、あんまり写真は撮っていませんが、とにかく沿岸の街で名物「磯ラーメン」を食べ、塩ウニおにぎりを買い、分厚くて巨大な防潮堤やチリ地震津波と並んで建つ東日本大震災の記念碑などを見てきました。

 「忘れたい」という人に「忘れてはいけない」と言うつもりはありません。10年とか15年とか、それより長い時間がたって、自分が受け入れられるようになったらフッと受け入れてあげればいいんです。私だってそんな記憶、いっぱいあります。

 嫌で嫌でたまらなくて、忘れたくて忘れようとして実際に忘れて、10年15年20年経って、自分のなかでタイミングがカチッと合って――受け入れられた。それでいいじゃないですか。起こった出来事は変えられませんが、その受け止め方、向き合い方は、「絶対●●でなければダメ」っていうものはないと思うのです。


 震災から10年が経ちました。

 亡くなった方にご冥福を。すべての人たちに、平安を。

 これまでも、これからも。ずっと、

 ……ずっと。

拍手[0回]


こんばんは

 今日はちょっとだけ気持ちが強いです

 いぬがみです


 3月4日、じつに数か月ぶりにオートバイに乗ることができました。最近は割と気温が高い日にちが続いていたし、道路も凍っていないし(それでもスタートした午前6時半の時点では、とてつもなく寒くて、何度も休みながらでしたが)。

 あとは……いや、その話はいいか。とにかくオートバイに乗って実家まで帰りました。十和田から盛岡まで150キロくらいでしょうか。しかもそのあと、さらに盛岡市内の「走りたくなる道」をハシゴして、足湯に浸かったりドライブインでラーメンを食べたり展望台に行ったり……と、もはや「走るために走る」ようなことをしてきました。

 やはりオートバイという乗り物は、私の眠っていた本能を呼び覚ましてくれます。結局いつも頭で考えていたから、どんどん気持ちが沈んでふさぎ込んでしまったんです。

 そんな状況を一変させるべく、アレコレ試してみた私。ざっと列挙してみると、

 ・青森県三沢市の航空博物館(に併設された屋外展示場)で飛行機を見て、空を飛ぶ想像をした

 ・寺山修司記念館に行って、いっそうダークな世界観にひたってきた(しかし、それは自分にとっては非常に心地いいものでした)

 ・猫カフェに行ってきた(2回目。そうしたところ2匹の猫が、私の膝の上に乗ってきたのです)

 ・タバコをやめた(仕事のある時はいつも吸っていましたが、具合が悪くなる割に気持ちがあんまり晴れなかったので)


 ……そしてオートバイです。

 明日も早起きしなくちゃいけないので、あまり長々と文章は書けませんが、シンプルに言うと、こういうことでしょうね。すなわち「オートバイに乗れば、みんな平等に自然の中に放り出される」ということ。ZX-10Rだろうと原付一種スクーターだろうと。暑かったり寒かったり怖かったり楽しかったりという体験を、自分の意志と関係なく受け止めざるを得ないんです。

 だからオートバイって、素晴らしい乗り物だと思うんです。余計なものを全部吹き飛ばしてくれるから。めいっぱい自然にもみくちゃにされるから。そうすることで理屈じゃない気持ちの強さを与えてくれるから。

 オートバイ、大好きです。何度でも私はそう言います。バイク・イズ・ビューティフル。

拍手[0回]


こんばんは

少しく酔っぱらってしまって、申し訳ありません

いぬがみです(あの日からもうすぐ10年ですので)。


2011年3月11日。……私はド内陸・岩手県盛岡市のオフィスで仕事をしていましたが、あの時のことは忘れません。

その、ほんの少し前まで、沿岸の都市の方と電話で言葉を交わしていて。いったん商談が成立して、やれやれと一息。そのあとの行程を進めるための書類作成をやろうかなと思っていた時に、突如、地震が起こりました。


私の特性として、何かトンデモナイことが起こった時、あえてそれを自分自身と切り離して他人事のように考える「回避型愛着障害」……ま、それだって最近知った言葉ですが、そういうことだったのでしょうね。あくまで冷静なふりをしようと試みました。私のデスクの上にあったデスクトップPCがガッタンガッタン揺れて、オフィスビルが停電して非常灯のぼんやりしたあかりの下で一時帰宅を命じられ、家族にケータイで安否確認を試みても返事が返ってこなくても。

それでも誰かがワンセグで映し出したテレビの中の映像を見て、帰りの車の中でラジオを聞いて、いま何が起こっているのかを知りました。そして、泣きました。

 「どうして、こんなことに」
 
 自分が何かしたわけでは無く、自分が何とかできることでもない。それだけに、いっせいに、恐怖とか無力感とか何とかってーー自分が見ないふり、気づかないふりをしていたものに一斉攻撃すなわち袋叩きに遭い、やられてしまったのです。
 
 
 あれから10年が経ちますが、私にとっては「長かった」とも「短かった」とも言えません。
 
 10年は10年。それ以上でもそれ以下でもありません。
 
 もちろん私だって自分の人生を生きてきました。それでも、この東日本大震災のことを忘れたことはありません。だから、10年が経ったという「事実」……それを素直に受け止めています。
 
 
 とりあえず、今日はこのくらいにしておきます。
 
 ほかのことは、またほかのタイミングで書きます。
 
 ともかく、ひとつ言えることは。……新型コロナウイルスとか何とかって、世界中でいっぱい大変なことがあり、ツラい目にあっている人があり、マスコミなどがそれをクローズアップするのは世の自然な流れですが、だからといって「みんな震災のことは忘れてしまった」「風化してしまう」ということはありません。
 
 少なくとも私は忘れていませんから。そしてこれからもずっと、忘れませんから。
 
 とりあえず、誰が見るか見ないかわかりませんが、ここも世界中に開かれている場所ですからーー何か私の想像しえないキッカケによって、私の言葉を見る人がいるかもしれない――そう信じて、発信します。そう、これからも。

拍手[0回]


こんばんは

 「猫」というキーワードで自分のブログを検索しました

 いぬがみです。


 私という人間はとにかく30年来の「猫好き野郎」でありまして。そう言いつつ実際に飼ったことがあるのは猫ではなく犬であり、わんわんわふわふとじゃれついてくる犬ッコロも全面的に受け入れるのでありますが、犬派とか猫派とか、そういう二元論的な(?)アレでくくるのであれば、私は「猫派」と申し上げます。

 まあ、ね。確かに猫っていうのは気まぐれな生き物ですよ。犬ッコロみたいに(注)こちらの思い通りには、動いてくれません。自分が遊びたかったら遊ぶ。おなかがすいていたら、差し出されたおやつを食べる。そういう生き物だと認識しておりますが……それでも猫が好きなんですよね。

 そんな私だけに、じつに15年くらい(! そうです、自分でもちょっとビックリしてますが、そのくらい続いているんですこのブログ)やっている中で、猫の話がどれくらい出ているんだろう? とキーワード検索してみると……ない、ですね……意外と。

 ようやく引っかかった記事を見てみても「シュレディンガーの」とか「ドリエルのCMの」とかって、全然癒されません。それより前の、自分の記憶をたどっていくと、精神病者向けの医薬品「サイコゾン」に使われた猫しか思いつきません。ええ「ウェイン・キャット」です。違う違うそうじゃないんだってキシャー(泣き怒り)

 


 ……ああ、今日は本当は、八戸市にある猫カフェに行ってけっこーマジに癒されましたとか、前回(1週間前)と違って今回は猫ちゃんの方から私の膝の上に乗ってきて生命の温かみというものを感じましたとか、そういう話をしようと思ったのに……。

 ごめんなさい。……やっぱりそういうの、ちょっと照れくさいんです。本当はそうやって真正面から「癒し」というものを享受しないと、死んじゃうかもしれないくらいのところまで追いつめられているのに、私の「恐れ・回避型」メンタリティが、それをヨシとしないんです。

 でも、今日はね。そうやってワザと冗談めかして(?)話を盛り立てたいっていう思いが、そういう気持ちが働くくらい、余裕があるってことですよ。一応ホラ、写真は撮っておりますから。ある時突然、「不肖いぬがみ・今まで撮りためてきた猫ちゃんの写真一挙放出スペシャル」とかっていって、写真ばっかり50枚も60枚も載せるような時があると思うんです。だから今日は、言葉だけで締めくくりたいと思います。

 終わりで~す!(困った時の三四郎バチボコ小宮さん的シメ)

 (注 愛称です。決して犬を無駄にさげすんでいるわけではありません。「犬ッコロ」とか「ワン公」とか、少々乱暴な言葉遣いになってしまいますが、そのくらい気の置けない関係というか。無心にわっふわっふとじゃれついてくる愛くるしさは、「気まぐれに毛が生えた」猫には到底望めない要素であり、それゆえに私もイヌは好きです。だから「ワンちゃん」「わんこ」と同じようなニュアンスで使っている……と認識していただければと思います)

拍手[0回]


こんばんは

 きょうから、ちょっと、かえてみます

 いぬがみです(IMEが故障したわけではありません)。


 タイトルを見ると、なぜかジャパリパークのような平和な世界を想像してしまいましたが……今回はけものフレンズは関係ありません。

 とりあえず、今日思ったことをできるだけフレッシュに、シンプルに、まとめてみよう。それが今日のブログの趣旨です。


 今日は青森県三沢市にある寺山修司記念館に行ってきました。

 このところはかなり深刻なレベルで希死念慮がありました。たとえば、部屋の窓越しにベランダを見て、「あそこで首を吊ったら楽になれるかな」とかって考えたり……結構マジメに。

 何とかそれを実行に移していないから、今こうしてブログを書いていますが、本当にひどい日々が続いていました。仕事がある日はもちろん出勤しますが、それが終われば後はもう誰とも会いたくない。誰とも話したくない。そう思って部屋に引きこもります。なんだったら休みの日だって、一日中ずっと部屋から出ない日も、珍しくありません。

 「外に出るとお金を使うから」そんな合理的っぽい理由を掲げていますが、何のことはありません。何かをする気力が起こらないのです。そして、それはご飯を食べることだって例外ではありません。夜まで何も食べずにゲームをやり続け、我慢できなくなって、とりあえずハラを満たす。栄養とか何とか関係ありません。ただ空腹感を満たせばいい。それだけです。だからご飯じゃなくてビールだっていいんです。

 もう最悪です。

 そんな状況ですから、果たしてより一層ダークな方向に落ち込んじゃうんじゃないか? と心配していたんですが……ああ、どうやら逆ですね。どうやら私のオキシトシンは、天井桟敷的なアングラな世界に浸ることで分泌されるみたいです。なんて、よくわかりませんが。

 ともかく、時代がどんなに下って情報化社会と呼ばれるようになって、あふれかえって溺れちゃいそうになるほどの情報を自分の部屋のデスクはたまた自分の手元のスマートフォンから無限に引き出せるような時代にあって、オールドタイプたる私は溺死寸前だったみたいです。そして、その状況から何とか九死に一生を得たみたいです。まだ万全の状態ではありませんが、とりあえず、今日は大丈夫です。今日は死にません。ええ、絶対に。


 ここからちょっと話が変わります。

拍手[0回]



 今日、寺山修司記念館で、寺山さんの「幸福論」を読んだんですね。展示コーナーにあったから。

 内容を手っ取り早く書きましょう。要するに青森を代表する作家・太宰治氏に対して、

 「30分でいいから早起きして器械体操か何かをやれば、あんなにジメジメクヨクヨした文章なんか書かなくて良くなるんだ」

 と批判した三島由紀夫氏に対して、「いや、そうは言うけどさ……」とか何とかって語る批評らしいです。詳しいことを知りたかったので、そのあたりに関しては今日同じ場所で買った本を読んでみます。ここからは私の感想です。感想というか、今、思っていることかな。


 太宰氏のことを三島氏はものすごく嫌っていて、ある時なんか本人を前にしてそのことをバシッと言い放った……なんて逸話が語られているのは、皆さんすぐにわかりますよね。チャチャッと検索すれば、そういう話が出てくるでしょう。

 でも私は、実は「どっちも」好きなんです。

 まず、弱気なところを包み隠さずクドクドと並べ立てる太宰治の文章には、泣き笑いしながら共感してしまいます。新潮文庫の『グッド・バイ』に収録されているエッセイ『美男子と煙草』なんかは、今から20年前、大学生のころに読んだんですが……痛々しいくらいに自分の思いをさらけ出しているところがね。もう、ひがみ根性大爆発なんですが、ちょっぴりだけ共感しちゃう……ってね。

 一方で、自分の思いを包み隠さずさらけ出す点は太宰氏と共通しているものの、若いころから徹底的に洗練された美文でビシッと自己分析している三島由紀夫氏の文章というのは、読むたびにハッとします。私は『仮面の告白』の次にいきなり『潮騒』に来て……というかそもそも、その……申し訳ありませんが三島由紀夫という人はいわゆる三島事件のひとであって、それとは無関係にドハマりしていた澁澤龍彦氏の『三島由紀夫おぼえがき』などを経て、ようやくたどり着けたので、かなり「澁澤龍彦氏の視点から見た三島由紀夫氏」が私のイメージなんですが……。

 とにかく、その前提でいいます。私の中で澁澤龍彦という人の眼は絶対的な眼ですから。そう信じることが私のアイデンティティですから。

 「日本国民すべてがあんまり気違いではなさすぎるので、せめて自分ひとりで見事に気違いを演じてやろう、と決意した。そして氏はいつしか完璧な「気違い」になったのだ」

 
 ……すでに私が生まれた時、三島氏は幽明境を異にしていた(これも澁澤龍彦さんの本で覚えた表現です)ので、本当にそうかどうかはわかりません。っていうか、そんなの、誰にもわかりませんよね。

 でも……。

 なんだろう。本当、こうして書きながら色々なことを思うので、明日も同じことを思っているかどうかわかりませんが……とりあえず、言います。半永久的に記録が残ってしまう、このインターネットという場所で、あえて言います。

 「そういう生き方も、いいなあ」

 そう思いました。
 

 ……たぶん三島氏が生きていた時代よりも、ずっとずっと、みんな頭がいいですから。当時なら十分に「気違い」と思われているような領域の人でも、今じゃアレコレと理屈を並べられて、「気違い」と言えるようなレベルになれないんですから。せいぜい「中二病」とか「チラシの裏」とか、そんな言葉で片付けられちゃうんですから。

 でも私、今一つ「中二病」って言葉、理解できていないんですよね。みんなと一緒になりたくて、「中二病って、こういうことかな」って一生懸命、頑張って理解しようと思ったんですが……ふと、思ったんです。

 「いまいち、わかんねーな」って。

 そして、それ(中二病)を「周りの人に合わせて、フツーの人みたいに生きて、フツーの社会人として生きること」と置き換えた時、

 「そのせいで、今、自分は自殺志願者あるいは引きこもり予備軍になってるんじゃねーか」

 と思ったのです。


 だから、今日から、ちょっと生き方をシフトします。

 「良くても悪くても、自分にとって心地よい生き方を目指そう」って。

 そう考えると、まだこの世界でやり残したことが「少しだけ」あるみたいです。そのあたりの件で納得いくまでは。そのあたりのことをこのブログで書ききるまでは、まだ生きていようと思います。すみません最後はけっこー本気です。

 なんでもないよーに書いてます(私自身、そう思っていました)が、これは本当です。もしも私が自ら命を絶つにしても、その時はこのブログに書いてからにしよう。そう思いました。……情報化社会というのも、悪いことばかりじゃないですね。とにかくこうして、うじうじと踏みとどまる理由づけになっているんですから。私のような人間がね。

 「誰かのために自分が死ぬ」……でも、ね。

 その信念のもとに自分の命を投げ出し、それが本当に全人類のため、すなわち本人の思いが100%肯定された人っていうのは……極端な話、「イエス様」……しか、いないと思うんです。そのあとに続いた「殉教者」たるひとたちも……確かに私自身、十二分に理解できるんですが。でも、同じキリスト教というくくりの中でさえ「宗派」とか「解釈」とかで対立してしまう。

 そんな「迷い」が生じてしまう以上、やっぱり……ね。

 
 「神様はどんな人間にも『役割』を全うさせるために、この世に送り出した」
 「だから、その『役割』を果たすまでは、死んじゃいけない」

 ……それで、いいですよね。『役割』を果たしたら、その人は自然と天に召されるんですから。それなら主の被造物たる私がアレコレ思い悩んで「自分なんか、もう死んでしまった方がいい」っていうのは、きっと、ひどい思い上がりですよね。

 「おい、ちょ、ちょ待てよ」

 ……主よ、お許しください。主が「まだお前は『役割』を果たしていないのに、自分から勝手に考えて自殺してはいけない」ということを、キムタクのドラマ風に置き換えてしまったことを……アーメン。


追記を閉じる▲

こんばんは
 
 いま藤井風さんの『旅路』を聞いています
 
 いぬがみです(報道ステーション)。
 
 
 この歌は「卒業するみなさんへ」送られました。
 
 確かに今日は3月1日。多くの高校で卒業式が行われる日にちです。西暦2000年、今から21年ほど前になりますが、私も実際にその日、高等学校を卒業した気がします。
 
 だからといってこの文章を、今まさに卒業した方が見る可能性は限りなく低いと考えるので、そういった人たちへのメッセージを書いても仕方がないだろう! と判断。そこで、もうワインも1本(720ml)あけてしまったし、あとは寝るだけの時間なので、ふと思ったことを手短に書き散らして一段落としたいと思います。
 
 
 今回テーマとしたいのは「テレビで初めて知る音楽」。
 
 今回、私は藤井風さんという歌手のことを、テレビで見て初めて知りました。
 
 実は「あいみょん」もそうでした。その前も「マリーゴールド」? は聞いたことがありますし、CDショップでジャケットを見たことはありますが、それらが一致していなかったんですね。「マリーゴールド」はアチコチでかかっている曲として何となく「流行っているんだな的な曲として」知っていましたが、名前からして「きゃりーぱみゅぱみゅ」とかと同じような、キャッチーな狙いで売り出している歌手なんだろうと思っていました。
 
 そんな思いを改めたのは彼女がNEWS ZEROのテーマソングを、番組内で、生放送で歌うのを見てから。
 
 「あれ。なんだ、まじめなミュージシャンだったんだ」
 
 そして、
 
 「……ちゃんと歌詞に、自分の思いを込めて書いて歌うミュージシャンだったんだ」
 
 そう認識を改めました。それ以来、私もちょっとだけ、あいみょんのファンです。
 
 
 まだまだ書きたいことはありますが、とりあえず、今日はここまで。
 
 最後に。今日、高校とかを卒業する皆様。おめでとうございます! 皆さんの将来に、とってもいっぱい盛りだくさんでハッピーなことがありますように!


 追記:

 この記事を書きながらテレビを見ていたら星野源さんと浜辺美波さん、さらに橋本環奈さんが出ているドコモのCMが流れてきました。星野源さんと浜辺美波さんはわかるけど、そこに橋本環奈さんも来たかぁ~! と、いずれの方も大好きないぬがみ、狂喜乱舞(そこまでではない)。しかも「元教師と教え子が、今は同僚」って、なにげにスゴくドキドキする展開ですね。どうしてかって? そりゃ~私が、浜辺美波とか橋本環奈が教え子になるくらいの年齢になっちまったからですよ! ギャフン!(昭和なオチですみません)

拍手[0回]


こんばんは

 今日は短めに書いて早く寝ます

 いぬがみです。


 岡田尊司先生の『愛着障害』には、巻末に簡易愛着障害度合いテスト(?)があります。いくつかの質問に答えていき、最後に集計すると、どういうタイプの愛着タイプなのかが浮き上がってきます。もちろん「障害」じゃなくて、「安定型」という理想の状態があります。たいていの人は、そうなるでしょう。

 それ以外の部分だと『不安型』『回避型』そして二つが複合なった『恐れ・回避型』……ええ、私はその複合型でした。あまり他人とかかわりたがらないくせに、嫌われるのが怖くて仕方がない。まぁ面倒くさいこと、この上ありません。生きづらくて生きづらくて仕方がありません。

 そんな私のメンタルを変える方法。それは非常に苦しみを伴うものです。いやフツーの人なら意識することも無いくらいヒョイッと乗り越えるというか、平地を歩くがごとしってところですが、私にとってはいちいち全力で、激しく消耗しながら、ようやく乗り越えるような急階段なのです。

 その結果、得られたものは、はたから見れば実にささやかなものです。フツーの人からしてみれば、成果とは、とても言えないようなものかもしれません。

「そんなのできて当然」とか、そういう感じ。それはわかります。

 でも、私にとっては精いっぱい努力して、ようやく乗り越えた一段なんです。だから、私はそのことを自分で評価します。

 誰も応援してくれなくても、私が応援します。私のことを。


 今日はよく頑張った。今日はちょっとだけ、前に踏み出せた。

 だから明日もまた、踏み出そう。

 ……それでいいんです。小さくても、それを毎日、積み重ねていけば。

 
 「くだらない男さ なんだって途中で終わっちまう 
  いつだって途中でだめになっちまう……」

 「そんな事はないよ……」

 (わかる人だけわかってください)

拍手[0回]


こんばんは

 今日は遠藤周作「人生の同伴者」を読みました

 いぬがみです(これは「対談集」ですね)。


 まったくもって文学的素養を欠いていると痛感した私。何せいまだに『海と毒薬』も『沈黙』も読んでいないし、遠藤先生の師匠筋にあたる堀辰雄も読んでいません。だからあんまり、最後まで読み終えても、深い感動とか……そういうのは、ありませんでした。

 重ねて申し上げます。それは私があまりにも不勉強だからです。

 そのため、私はおそらくこの本をまとめた方とは全然違うところで、しかも全然大したことない、きわめてレベルの低い次元で、感じたことがありました。すなわち、

 「やはり何につけ『技法』というものがあり、それは努力して勉強しないと身につかないのだ。……そして、プロの人というのは、最低限の技法を身に着けているものなのだ」


 何を当たり前のこと言ってるんだ馬鹿野郎様!……いや、わかりますよ。わかりますから、そんなに真面目に糾弾しないでください。これは今まで自分が認めたくなくて回避していたことに正面から向き合い、苦しいながらも受け入れようとしているところなんですから。

 まぁ自分が全然できないことに関しては、それは素直に理解できるんですよ。楽器を演奏するとか、飛行機を操縦するとかね。でも、なまじ自分が好きで勝手にある程度やっていることに関しては、改めて技法云々、すなわち「〇〇入門」みたいなものを手に取り技術的なアレコレを学ぼうという気には、どうしても、なれないんですよ。

 たとえば文章を書くこととか、写真を撮ることとか、でしょうか。


 良い文章というのはあります。良い写真というのはあります。私だって、これでも元・写真部ですし、写真を撮ること自体は大好きなので、どうせ撮るからには「良い写真」を撮りたいと思います。そのために「花の写真の撮り方入門」とか「スナップ写真の撮り方特集」とか、そういうのを勉強しようと本を手に取ったことは、あります。

 そして、そういう本には例外なく技術的なことが書かれております。これをキッチリと頭に入れて、ファインダーをのぞきながらアレコレと瞬時に計算し、位置取りを決めてバシッと撮れば百発百中、いわゆる「良い写真」が撮れるでしょう。いわゆる職業カメラマンともなれば、そういう技術が必要でしょう。

 それに対して勉強嫌いの私はこう言って、技法を身に着けることを拒否します。すなわち、

「(文章を書くのも)写真を撮るのも、自分が一番いいと思った瞬間を固着させるための手段だから。自分はそれでいいと思っているから」

 ……ね~。まったくもって独りよがり、自己満足、極論すれば自分のナニをアレして気持ちよくなるウンチャラ~と同じことです。そのくせ、そうやって撮影した写真とか、書き上げた文章とかを誰かに見てもらいたいっていう気持ちもあるんですから。まったくもって、どうしようもない野郎です。


 だから私は、「自分の好きなことでプロにはなれない」と確信しているのです。

 私にとってそれは、お金をもらうためではなく、自分の心をどうにかこの世界につなぎとめるための、食べることや寝ることとほぼ同格の「愛の行為」ですから。

 そしてそして、そんな自分には決してできないことを身に着け、さらにその上に自分のスタイルというものを身に着けて、「小説家」とか「写真家」とかっていう看板で活動されておられる方は「すげえなあ」と思うのです。そんな憧憬というか尊敬というか。そういうのを素直に認められるようになれば、きっと私の心も浄化されるんだろうなって。そう願いつつ文章を締めくくりたいと思います。


 余談

 直木賞とか芥川賞とか、それ以外にもナニナニ文学賞とかナニナニ新人賞とか、いっぱいありますよね。そりゃあノーベル文学賞っていうのもありますけど、一般的に言えば、直木賞と芥川賞っていうのが、ひとつの権威ですよね。

 ……本当はこのあと「大体こういう賞をもらう人って、今まで聞いたことない人たちばっかりだよね」という話を書こうと思ったんですが、念のためにと少々調べたら、そりゃあそうですよね。もともとこれは「新人」に与えられる文学賞なんですから。遠藤周作先生だって、デビューして2年目で受賞しているんだし。

 なるほど、腑に落ちました。そのうえで改めて、書こうと思っていたことを書きます。

 文学賞をもらうだけの作品を書ける人は、もちろん素晴らしい。でも、それを『私が』面白いと思うかどうかは別問題だって。これまた「当たり前だろうがボケカス」といってヒートアクションを繰り出したくなると思いますが、どうか抑えてください。こういうことをきちんと言葉に書き出すことが、私の精神的なリハビリテーションですから。

 余談++

 いったん記事を投稿した後、Wikipediaの「芥川賞」の項目を読みました。……うん、なるほどね……。

 いま私が青森で仕事をしているということを抜きにしても、私は太宰治という人が好きです。

 つらいことがあると悩み、落ち込み、(想像ですが)顔をくしゃくしゃにして男泣きにむせびながら「ひどいじゃないか。ひとが、こんなに頑張ってるのに。……ひどいよ」と弱音を吐くお人柄が、どうも他人のような気がしなくて。「わかった、みなまで言うな!」と全力で慰めてあげたくなっちゃいます。自分と、どうしても、重ねちゃって……。

 そんな太宰治という人を、よりによって本人の面前で「大嫌いだ」と言ってのけた三島由紀夫氏もけっこー好きなんですが……とりあえず、アレですね。今度は川端康成をかじろうと思います。小学校の図書室で『坊っちゃんから伊豆の踊子まで―名作入門』という本を読み、それがきっかけで漱石の方はやっつけたんですが、いまだに川端康成といえば『知ってるつもり!?』で見た記憶しかないですからね。これじゃあダメだろう、と。

 いやはや、まだまだ生きたくなる理由がありますね。本当に、これだから、長く生きることというのは……まったくもって、面白いことばかりです。


 ※

 「誰からも必要とされていない」とか「自分なんか、さっさと自殺した方が世の中のためだ」とか。もしも、万が一、何かの間違いでも何でもいいんですが、もしもそう考えている人がこの記事を読んでいたとしたら。そんなあなたに申し上げます。

 自分が生きたかったら、生きていていいんです。生きられるうちは、生きていていいんです。
 
 どうか、そんな優しすぎる、まじめすぎる、清らかすぎる理由で、自殺しないでください。

 そうです、あなたはとっても優しくて、純粋で、まじめなんです。

 だから、もうちょっと、デタラメに生きていいと思うんです。私がそうです。


 「自分なんか、死んでしまった方が世の中のためだ」そう思っていた時期がありました。それに関しては次のような理屈でぶっ飛ばしました(論破ではなく、無理やりぶっ飛ばした)。すなわち、

 「世の中にとっていいかどうかは、自分ごときが決められるものじゃない」

 ということです。自分がわかること、知っていること、想像ができることなんて、ごくごく狭いものですから。そもそも私たちがこの世に生まれて生きながらえている理由は何か? と言えば、それはひっきょう、ヨハネ伝3章16節に集約されるのです。それで十分でしょう。

 そのうえで、「それはキリスト教徒のひとだから、そう言えるんでしょう」とおっしゃる方のために、さらに独自の理論をぶち上げたいと思います。これはきれいな言葉じゃありません。もしかしたらイエス様も「そりゃ~ダメだよ」と言うかもしれませんが、あえて言います。いま、つらすぎて死にたいって思ってる人たちに向けて。

 「いま生きている以上、生きたいように生きる権利がある」

 と。

 ……と言って! もちろん、我が国は法治国家ですから。民主主義ですから。「生きたいように生きる権利がある。よし、自由闊達にやりますか」といってライフルを乱射、無差別殺人を犯したうえで動機について「生きたいように生きた」というのは、許されるものではありません。わざわざこんなに諄(クド)い話をしなければならないのか。そういうご時世だからね。そういえば今日読んだ『人生の同伴者』でも、そんなことを言っていたな。「聞いている人に、わかってもらえるかどうか心配だから、ちょっと諄いセリフ回しになってしまう」ってね。

 ……結論的には、そもそもこんなことを、不特定多数の人が目にするブログという場所で申し上げるべきじゃないのかもしれませんね。

 それでも、やっぱり、言わずにはいられないのです。やっぱり、自分よりもずっと若い人が、命を絶つような事例が少なくないっていうニュースを見てしまったから。

 私が正しくないというのなら、正しくなくてもいいです。極端な話、私のせいで「自分がやりたいことをやろうと思った」という動機で凶悪犯罪事件が急増したというのなら、それも仕方がないというか……責任を取ることはできませんが、「なんとでも言ってくれ」という感じです。それでも私は言いたいのです。すべての人に。特に、先述したような人たちに。

 生きられるうちは、生きていていいって。それでも「自分なんて、生きてるだけで周りの人に迷惑をかけるだけだから、死んだ方がましだ」っていうのなら、いいですよ、「周りの人たちに迷惑をかけるために生きるんだ」それくらいの気持ちでも、いいと思うんです。

 もしかしたら、あなたが想像できないくらいの未来で、あなたを必要としている人が、いるかもしれないから。そういう人と、出会うかもしれないから。そういう時のために、あなたは生きているのかもしれないから。

 これは外ならぬ私自身が「体感」したことです。想像ではありません。事実です。

 そういう思いが、今の私を生きながらえさせています。

拍手[0回]


こんばんは

 ちょっとテンプレートを変えてみました

 いぬがみです(前のだと記事が読みづらかったから)。


 最近は岡田尊司先生の著書を立て続けに読んでいます。『愛着障害』『回避性愛着障害』『愛着障害の克服』『死に至る病』『ADHDの正体』……5冊も読んでしまいました。

 内容的にはまあ、同じようなことではありますけれどね。ただ、やはり一冊の本の中で書けることというのは限りがあると思うので、それぞれの本を読んで、ようやく入り口に立てたのかなって気がします。

 今までの自分。今の自分。これからの自分。

 あんまり難しいことは言いません。ただ、たとい自分が精神障碍者だろうと何だろうと、生きていかなくちゃいけないんですから。死にたいと思っている時間が少しずつ長くなっていましたが、死にきれないのはやっぱり生きたいからですよ。「生きるだけ生きたなら死ぬこともあるだろう」とは前田「慶次郎」利益の言葉ですが、まだ生きるだけ生きていないような気がするんです。

 意地汚いんです。貧乏性なんです。だから、まだまだ生きていたいんです。

 で、生きるからには少しでも良く生きたい。これからは、そういう方向性で頑張ってみたいと思います。


 とりあえず今日は、日本酒を飲みながら書いているので、あまり変な文章になる前に切り上げます。最後にひとつだけ。

 岡田尊司先生の一連の本は、ユングや河合隼雄氏の本を読んだ時と同等以上の「腑に落ちる」感情を覚えました。

 こと心理学といえばフロイトや、一時やたらと流行ったアドラーの理論なのでしょうが、これらは「まあ、そんなもんなのかね」と、あんまり心に響きませんでした。

 ユングや、そのユング心理学の日本における第一人者であった河合隼雄氏の本を読んだときは、すごくシックリ来ました。ともすれば難解だとかオカルトめいているとかで敬遠されるユング心理学ですが、私にとってはフロイトやアドラーの理論よりも腑に落ちました。

 そして、それ以上に『愛着』という概念に基づいた岡田尊司先生の本は、腑に落ちました。不特定多数の人が読める本なのに、まるで自分のことを丁寧に分析されているかのような内容には、完膚なきまでにノックアウトです。それはどん底にまで落ち込むというわけでは無く――いわゆる「カタルシス」というやつ、なのかもしれません。

 それと同時に、岡田尊司先生が「こうすればいい」と提案していることのいくつかは、私が自分で既にやっていることもありました。誰かに話す代わりに文章にして書き出すとか、いわゆる「マインドフルネス」とか。

 だから変な話ですが、「普通の人のようになろう」と思って、今まで自分が心の平安を得るために編み出した(そして、実際に効果を上げていた)ことを「変なことだから」といってやめてしまったのが、今の、バランスが崩れて苦しい思いをしている状況を招いてしまったのかもしれません。

 
 いいんですよ、自分のやり方で。どうあれ生きるために編み出した方法なんですから。ただ、そのやり方で不便を感じたら、そして「もっといい方法」があったら、それに乗り換えればいいんです。

 生き方を変えることは、今までの自分を丸ごと否定することじゃ、ないんです。

拍手[0回]


こんばんは。

 ブログをチラシの裏にして何が悪い

 いぬがみです(検索で引っかかったら、気楽に読み流してください)。


 今日のテーマは「店内BGM」。

 先日、たぶん東北だけのチェーン店だと思うのですが『サンデー』というホームセンターに行きました。

 店内で流れていたのは、よくスーパーとかで流れている流行曲のインストゥルメンタル版。……なのですが、その中で突然Aqoursの『未来の僕らは知ってるよ』が流れてきたんです。

 何を隠そうラブライブ!大好きでAqours大好きな私。先日ひとりでカラオケボックスに行き、4時間で35曲を熱唱してきたのですが、その中の33曲がスクールアイドルの曲だったくらいですからね。ちょこっと聞いただけでピン! ときました。しかしながら、後期高齢者が主な客層である田舎のホームセンターにあって、それと気づいたのはおそらく私だけでしょう。

 でも、いいんです。こうしてAqoursは老若男女に親しまれる全世代対応アイドルになるんです。そして紅白の企画コーナーじゃなくて正式なエントリーをされるんです。

 あと、今日ダイソーで流れていた曲。なんだろう、多分これもUSENのチャンネルで流れている居kづあと思うんですが、ちょっと昔のビデオゲームみたいなコンピュータサウンドが流れていました。ちょっと心地よかったです。
 
 それから、これは青森県十和田市のローカルスーパーで「カケモ」というのがあるんですが、そこでのお話。何だかわからないんですが、こんな田舎のローカルスーパーのくせに、店舗内外に流れるBGMがけっこー攻めた感じのJ-POPなんですよね。

 たとえば……Maison book girlとか。私はこのお店に来るまで知らなかったのですが、なんだかとてつもなく歌詞が印象的で、その場で調べてようやくたどり着きました。まさか、こんなきっかけで新しいアイドルの存在を知るとは……。

 そんなわけで、今日の結論。「新しいきっかけ、新しい出会いは、そこら中に転がっている」。……いま7時のNHKニュースを見て「小中高生の自殺者の数が増えている」ということを知ったので、最後だけちょっぴりシビアに書きます。同時進行でビールを飲んでしまいましたが、できるだけ正気を保ちながらね。


 まぁ私自身、「あぁもう死にてー!」って絶叫したことがありますし、今でも自殺したいと思う瞬間はあります。むしろ、少しずつ増えています。

 だから、本当、つらくてつらくて死にたくなる気持ちはわかるんです。だから「自殺はダメ」「自殺するのは心が弱いから」とかって言うつもりはありません。

 それでも自分がアラフォーと呼ばれる年齢になるまでおめおめと生きながらえているのは、時々ある、こういう、

 「どーでもいいようなこと・しょーもないこと・くだらないこと」
  →「でも、ちょっぴりだけ、楽しいこと」

 が、あるからです。

 そして、それを踏まえて、あえて言います。多少酔いが回ってきていますが、まだ割と正気を保っています。そのうえで、あえて、あえて! 言います。


拍手[0回]




 「自殺するのはいつでもできる」

 ……だから今も、私は生きています。

 別に未来に輝かしい希望を見出しているわけじゃありませんよ。正直に言えば、今の仕事をしていて「ああもう死にたい」と思うことは、そういう瞬間は、少しずつ増えています。気持ちが、ニュートラルな状態に、戻りにくくなっているんです。

 本当にピンチです。こんな時に頼りの精神科医は「ああそうですか。じゃあ薬出しときますね」で終わりだし。

 でも、でも! まだ生きているんです。なんでかっていえば、「まだ死ななくてもいいかな」って思っているから。もっと言えば、

 「まだ生きられるのに、死ぬのはもったいない」

 そう思っているから。


 結局、極度の貧乏性なんですよね。「もったいない精神」といえば格好いいですが、早い話が貧乏性。服も靴もボロボロになっても「まだ使える」といって捨てないし、ほかの人から見ればゴミ同然のようなものも「何かの役に立つかもしれない」といって積み上げて。

 でも、そういう人間だから、自分の命も大事にするんです。

 もしも私が潔い人間だったら、さっさと自分に始末をつけているでしょう。そう思います。


 汚くていいんです。ボロボロでいいんです。

 実際に何かしら気持ち的に苦しい人がこのブログを読む可能性がどれほどあるのか……限りなく低いと思うんですが……もしかしたらそういう人がいるかもしれないと思って、結論めいたことを書きます。

 自殺なんて、しなくてもいいんです。誰かに殺されるか、何かに殺されるか。必ずそういう時が来るから。

 だから、みんな、生きられるうちは生きましょう。特に小中高生の諸君。皆さんはまだまだ何にでもなれるんですから。生きられるだけ生きなくちゃ、もったいないですよ。

 ……そう言う私自身が、生きて見せなくちゃいけませんよね。うん、また頑張ろう。


追記を閉じる▲

こんばんは。
 
 今日のタイトルは誤植ではありません
 
 いぬがみです。
 
 
 先日読んだ『美少女の現代史』だか『戦闘美少女の精神分析』だか……どっちかちょっと忘れましたが、この国における「萌え」とか「美少女」とか、そういうたぐいの女の子のなかで「メイドさん」という概念が初めて出たのは、90年代のパソコン用アダルトゲーム『殻の中の小鳥』であったと言います。
 
 そうだったのか……と思いました。
 
 当時まだ18歳未満だった私が、初めて買った18禁ゲームが、『殻の中の小鳥』だったんです。近所のパソコンショップで、そりゃ~もうドキドキしながら買って、プレイして……ま、あんまりこの手のゲームにはノレなかったんですけどね。
 
 その代わりに私がLOVEずっきゅんしたのが、有限会社ヘキサさんから発売されたパソコン用アクセサリー集『デスクトップのメイドさん』シリーズです。特にいえば、第一巻の『メイファン』です。一応全3巻で、さらにそのあとドラマCDが出たとかでないとか……ま、詳しい話は改めてすることにして、まずはメイファンについて。
 
 
 どんな女の子かって絵的なものは、この時代ですからgoogle画像検索すれば出てくると思いますが、私の言葉で説明すると黒髪ロングで眼がパッチリ大きくて、内気でおとなしくて泣き虫だけど可愛らしい女の子です。メイドさん・オブ・メイドさんです。「旦那様、お仕事は順調ですか?」→(全然ダメ)→「申し訳ありません、私が、至らないばっかりに……(目の幅いっぱい涙)」そんな感じです。
 
 スゲー可愛いんです。そして、私の「好きな女の子のタイプ」というのが、ある意味ここで決まってしまったような気がします。ええ、大事なことなので二度言います。スゲー可愛いんです。そして現代の日本における「メイドさん」というのは、まさにこのメイファンのような女の子だと思うのです。
 
 
 そんなティーンエイジャーだったころから二十余年。いま、精神的危機に瀕して、過去の楽しいもの・好きなものを根こそぎ総動員しているなか、Windows95専用と書かれているCDを問答無用でぶち込んだら、問題なく再生できました。
 
 ……いいんですよ、これが。
 
 そして、当時欲しくても買えなかったから、後に中古ショップとかネット通販とかを駆使して手に入れた「第二巻・シンディ」「第三巻・アニエス」も、色々と楽しんでいます。シンディとアニエスは、20年以上経って、初めて再生します。
 
 
 ……これである程度レベルを上げれば、最近はやりの「小林さんちのメイドラゴン」も攻略できるかな。向こうはドラゴンだから、かなりレベル上げなくちゃ勝てないかもしれませんが……。

拍手[0回]


おはようございます

結局、自分でやるしかないみたいです

いぬがみです(薬の量は減らされました)。


私の期待値が高すぎるのか。そういうことを期待しちゃいけないのか。結局のところ私は自分で何とかするしかないのか。だったらいいでしょう。こっちだって生きていかなくちゃいけないんですから。

と、まあ日中は中枢神経刺激薬の効果もあってか? それなりに楽しいこともありました。最近は結構クレーンゲームが好きで、景品を取るために時々思いっきりお金を使いますが、これが精神的に沈みがち落ち込みっぱなしの私にとっては、なかなかの薬になるような気がします。と、これだけいうとパチンコ依存症の人と変わりないのでもう少し。

クレーンゲーム……ここで言うのは特に、昔ながらの、2本のアームでぬいぐるみなどをガシッとつかむタイプのものなのですが、これは最近の言葉で言うと「実力機」というそうですね。それに対して「確率機」という言葉もあるとか。これなんかは機械の都合(=お店の都合)で確実に取れるか取れないかが決まる代物だそうで。……確かに巨大なぬいぐるみが入っている機械なんかで、せっかく3本のアームでつかんで空高く持ち上げたと思ったのに、急に取りこぼした、なんていう光景を見ますが……ああいうことなのかしら。

そうだとしたら本当にパチンコと同じですよね。とれるかどうかはお店とプレイヤーの資金力次第ですから、極端な話をすれば「お金を積み上げれば、いつかは取れる」ってことでしょうから。

で、それに対して「実力機」。まあアームの強弱の設定とか配置の難易度とかはもちろんあるでしょうけれど、ぬいぐるみのポイントをしっかり押さえれば、少ない金額で獲得することができるチャンスがあるわけですからね。さほど上手なわけでは無いけど、勝っても負けても納得がいきます。そして、何度もプレイすることだって、「こういう時はこうすればいいんだな」という経験を積むためのレッスン料になります。当然、日常生活に支障をきたさない範囲でね。

そして、そんなこんなで奮闘努力の甲斐あって景品を獲得した時は、とてもうれしいのです。これは30年くらい前、ほしくてもなかなか上手に獲得できなかった私にとってのリベンジでもあります。そう、これは私の愛着障害を乗り越えるためのトレーニングなのです(そう……なの??)。


ま、それはともかくとして……。

昨日は何ですか、「タヌキとキツネ」というマンガのキャラクターのぬいぐるみを獲得しました。うちの弟者が、なんかそんなマンガを読んでいた気がして。通常は1回200円の台はプレイしないのですが、たまには誰かのためにクレーンゲームに挑戦するのもいいかなと思って。

 ぬいぐるみの身長が高すぎてアームが規定位置まで下がらず故障騒ぎになったり、おき直してもらってもなかなか取れない私を見かねた店員のお姉さんが超アマアマ配置にしてくれたり。そんな小さいドラマをいくつか経て、ようやく獲得しました。たまにはこういうのをプレゼントするのもいいだろう。なんて思って帰ってきたんですが……。

まだ結論は出ていません。それを見せる前に、薬が切れてしまったからか。渡す前に「こんなものをもらっても、喜んでもらえないんじゃないか」というところから始まって。

「自分が良いと思ってやることは、たいていピント外れだから」
「そういうことが、前にも前にも前にもあったから」

で、最終的には今日一日楽しいことがあったはずなのに、そのエネルギーも手伝って夜は強く落ち込んだまま寝てしまいました。本当にさびしいし、切ない気持ちでした。


あえて、こういうことを書きました。これが私の気持ちを下へ下へと引っ張っていくスキーマとか自動思考とか、そういうやつです。誰かに喜んでもらいたいと思っているのに、誰かが喜んでくれることを推察するのが苦手な私。最低最悪の組み合わせです。

でも……ね。楽しかったことは楽しいまま、プラスの気持ちにもっていかないとね。せっかく楽しかったのに、それを台無しにしちゃもったいないですよ。

今日はそういうことに気づいたので、それを文章に書きだします。こういう小さなプラス転換を、これからもたくさん積み重ねていかなければ。

拍手[0回]


こんばんは

 爆裂不安神経症

 いぬがみです。

 
 薬を飲むと気持ちがヒリヒリしてダメですね。色々なことを感じすぎて、気持ちが疲れてしまいます。そのため何か夢中になれるものを見つけて、全力でそれに取り組んでいます。まあ、それでも気持ちが充足しないというか、ずっと欲求不満でイライラしているような感じなのですが。

 それでも、本を読めば、ある程度の知識が身に付きます。それだけ、前に進む糧になります。本は知識の泉、本は心の栄養剤。

 最近書店で「ADHDの正体―その診断は正しいのか―」という本を読み、その中に出てきた「愛着障害」という言葉を見て「そういえば昔、書店で平積みされている本があったな」と思い、古本を探してきて読みました。ああ、同じ先生だったんですね。

 
 これまでもユング心理学とか何とかを読んで自分なりに自分の(きわめてヘンテコな)心の何たるかを探ってきたのですが、この『愛着障害』という本は衝撃でした。あえて今は詳しく書きませんが、ここまで自分のこれまでの人生をなぞって言い当てているような本は読んだことがありませんでした。

 ユングともフロイトともアドラーとも違う「愛着障害」という概念。ようやく私の心のメカニズム、その中核が見えてきたような気がします。


 やっぱり私は心理学者でも精神科医でもカウンセラーでもありません。もしかしたら占い師に「あなたは〇〇な人間ですね」と言われて『ああ、その通りだ」と感銘しているのと同じかもしれません。

 でも、もう、いいです。今までずっとずっと苦しかったから。どうして自分はこんな訳の分からない人間なんだろうって。15年前に初めて行った心療内科の先生はとても良かったのですが、
今行っている病院は……。

 もともと、ただ薬を出すだけのところでしたけれどね。認知行動療法? というものがあるとネットで見て、それについて聞いたら「ネットでやり方が出てるから、それで自分でやって」と言われましたし。「薬は出すから、それ飲んで、あとは自分で何とかして」そういう場所なんです。

 だから私は自分でどうにかします。キーワードは『愛着障害』。そして、今の薬を飲み続けることが、これから先、自分にとってプラスになるとは考えづらいということ。

 まだ死にたくないけど、つらすぎて死にたいと思う時間が少しずつ長くなっているから、早く何とかしなければ……。

拍手[0回]


こんばんは

 「死に至る病」とは絶望と愛着障害

 いぬがみです。


 ここ数日、絶望的なほど心神耗弱状態でした。そんな状況でも無理して投稿し続けた記事。食欲減退甚だしく、一日一食以下という日々が続きました。腹が減っているのは薄々わかるんですが、どうしても「ご飯を食べよう」という気になれないんですよね。胃がムカムカして。

 それもあってかなくってか、精神的にも極めて不調。抑うつ的な傾向はさらに加速し、客商売でありながら全くお客様を楽しませることができないテンションでした。それがよくないこと、申し訳ないことと言って言われて自分をさいなみ、さいなみさいなみさいなみさいなみ……

 みさいなみ。

 というわけで、仕事が終わってから、眠くないけど布団に入って目を閉じていました。

 起きているとつらくて苦しい。

 目を閉じると、こんな状況になった我が身が悲しい。

 それでも、2時間くらい布団の中で無理やり充電し、久しぶりのビールで何とかギリギリの平常心を取り戻しました。だから、今は少しだけ、大丈夫です。死にたい気持ちに締め上げられているわけではありません。


 そんな中、ふと頭の中にひらめいたのが「死の陰の谷」という言葉。これ自体がwikipediaの一項目となるくらい超有名な旧約聖書詩編23編の言葉です。以下引用。

ダビデの賛歌

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう


 ここでこの御言葉に関する解説を私が加えるのは野暮の極みというか、恐れ多くてできません。その代わりに個人的なことを言います。すなわち一番新しい記憶の中では、公開から20年以上経ってようやく観て、けっこー感動してしまった1997年の映画「タイタニック」の記憶ですね。若かりしレオナルド・ディカプリオ扮するジャックと恋人のバカップr……いや! 若き男女のロマンスもいいんですが、実はそのほかの人たちの振る舞いが、いいんですよね。って、その話をすると長くなるのでぶった切りますが、この映画にも出てきました。

 でも、あえてここは大島渚監督の名作「戦場のメリークリスマス」をあげましょう。この映画でも、後半の非常に印象的なシーンで出てきます。もちろんこちらも、毎年クリスマスシーズンになって、有線で「Merry Christmas Mr.Laurence」が流れるころには、見てしまいます。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし。名作というか少々カオスな感じもしますが、そこはほら、大島渚監督ですから。


 ともかく、もう少し、生きられそうです。飲みすぎるのはいけないけど、少し飲むのは良いのです。これでも一応、新約聖書は全部読みました。そのうえで、以下の文章を引用させていただきます。

 【これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。】テモテへの手紙第一・5章23節

拍手[0回]


こんばんは

 今日は、お酒を飲むことを思いとどまりました

 いぬがみです。


 先日書いたように、私が毎日服用している「コンサータ」という薬は、アルコールによって副作用が増強される可能性があるそうです。これまではそんなのあんまり気にしないで、飲みたいだけ飲んでいたのですが、最近どうも……ね。

 極度に食欲減退、それに伴う体重の激減、夜中の2時3時になっても全然眠れなかったり、何よりも日に日に強さを増す抑うつ的な気分……。気持ちがビンビンに集中しているのはわかるのですが、その衝動のままにアレコレ行動を起こせば、それこそ多動性障害です。だからといって慎重に行動しようとすると、今度は自閉スペクトラム何とか……アスペルガーってやつですよ。あの特性が最近ものすごく強く出てきて、非常に生きづらくなっています。

 生きづらい時間が長く続くと、メンタル的に「もう死んでしまいたい」と思ってしまいます。それは否定しません。そして無理やり自分の気持ちを引っ張り上げるようなこともしません。だって、もう薬のせいで気持ちはギリギリまで引っ張られてるから。これ以上引っ張ったら、それこそ糸が切れてしまいます。そうなったら終わりです。

 だから、まあ、タイトルのように考えるようにしたのです。「まだ生きてるから、死にたくなるんだ」→ということは、まだ大丈夫だってね。

 生きたいけれど生きづらい。

 死にたくなるくらいつらいけれど、やっぱりまだ死にたくない。

 つくづく矛盾しています。異常というなら以上で結構です。破綻しているといわれれば、その通りかもれません。私だって、いつ爆発するかわからないような、安全ピンの外れた不発弾のような状態ですから。早く解体してほしいです。もっと穏やかに生きたいです。


 さあ、今日もまだ生きています。明日は今日よりも、少しでも生きづらさを感じないような日でありますように。……お茶でも飲もう。

拍手[0回]


おはようございます

 何とか起きだしてきました

 いぬがみです。


 朝、起きても仕事をしたくないというか、何もしたくないというか。十分に睡眠をとったので眠いとか、そういうことはないんですが、とにかく全体的に抑うつ的で、動きたくない。それでも、動かなければいけないから、どうやったら自分の心を動かせるんだろう。そう思って、とりあえずスマートフォンを手に取る。現代人のよくある行動ですよね。

 とりあえずNHKラジオニュースを聞きました。そのあとゲームをしました(毎日のログインボーナスとか、そういうのを受け取るために)。それで、そのあとgoogleから配信されるオススメ記事といったものをざっと眺めてみましたが、どうもピンとくるものがない。

 シボレー・コルベットC2のEV仕様? 1200馬力? 価格は2億円?……車好きではありますが、1000馬力だろうと2000馬力だろうと、もう心ときめくようなことはありません。そういう性能を使いきれる場所が地球上にそれほど多くあるわけじゃないし、使いきれるようなスキルを持った人が買うための車じゃないようだからです。

 ……ただ、そこでハタと気づいたのが、「こうして自分の心にピンとくるものを求めて延々スマートフォンと向き合う時間」こそ、私の心に悪影響を及ぼす大きな要因のひとつだということです。何も生み出さず、ただただ時間だけを浪費する。脳と眼が疲弊して、結局のところ起き上がる気力がそがれる。そういうことです。

 こうして記事を書くことは、もしかすると、そんな私の生活スタイルを改善する助けになるかもしれません。大したことは書けませんが、そんなのはブログを始めた15年くらい前から変わらないことですから。ま、とにかく今日も一日、なんとか生きていきたいと思います。

拍手[0回]


おはようございます

 発信していかなければいけない

 いぬがみです。


 前に東京03のラジオ番組にゲスト出演した人気声優の雨宮天さんが、衝動的にLINEを消したことがあったと聞いたので、私もLINEを消してみました。必要なことがあれば電話でもメールでも送ればいいんだし、完全に連絡手段を絶ったわけでは無いから、いいでしょう。やっぱりLINEっていうのがいけませんよ。SNSっていうのがいけませんよ。あれが私の心をむしばむんです。きっと。

 今朝はなかなか気持ちが重かったです。目が覚めても布団から出たくない。そんな感じ。……って、それはこの時期、誰しもが経験することかしら。部屋の温度が1ケタとかだと、まあ布団の中の温かさが心地よくて……ね。そういう物理的なことなのか精神的なことなのかわかりませんが、あまりよろしくありません。

 障害の度合いがひどくなるっていうのは、あるのでしょうか。そこそこ楽しくて、うまくやっていけるかなと思っていたら、急にどん底に突き落とされて。

 とりあえず確認しておきたいこと。

 「自分は他人の気持ちを汲むことができない」
 →これは本当に困ってしまいました。私の仕事は接客ですから、そういうのを何よりも大切にしなくちゃいけないハズなんですが、どうしてもそのあたりの感覚がわからない。考えれば考えるほどわからなくなって、チャンスを逸してしまったり、反対に余計なことをしてしまったり。最低の接客業者です。

 「自分の本当に好きなこと、楽しいと思うことは、人に話さない」
 →当たり障りのないこと、天気のこととか政治のこととか、そういうのだけ話すようにします。自己アピールというか、自分が大好きなものを相手にわかってもらいたいと思うし、それを相手が共感してくれたらうれしいって思うから、色々なことを話すんですけど、たいてい私の話なんて、誰も興味ないんですよね。そうじゃないのかもしれませんが、そういうスキーマがあるので。

 あと、私の好きなものへのアプローチの仕方とか組み立て方が、かなり特殊というか異常性を持っているから。たとえばひとつの物語を好きになった時、本編ではなく派生作品の方から入って、そっちの方にのめりこんじゃって本編の方はほったらかし、とか。あとは、自分の好きな要素だけをどんどん取り込んで、自分の中でひとつの別な物語を作ったりとか。それから、アニメの女の子に気持ちが入り込みすぎるあまり、よく二次創作作品にあるポルノグラフィティ化を許せない! と思ったり。

 
 以上2点をふまえると、私にとってSNSっていうのは危険だと判断しました。相手ともっと深くつながりたいと思って、余計なことばかり書いてしまいますから。非常に便利なツールだとは思うんですが、ワーキングメモリが8ビットPC並みの情報弱者オブ情報弱者ズ(複数形)である私にはハイテクすぎるようです。

 ……本当、生きづらいです。何とかならないかな、この心……。あ、この文章は当然ながら、まったくお酒を飲まないで書きました。もう、飲む気にもなりません。

拍手[0回]


こんばんは
 
 今日は節分ですね

 いぬがみです


 本心を書かないように訓練します。

 今日は休みだったので、青森市内にある浅虫水族館に行ってきました。

 とても楽しかったです。

 どんなところが楽しくて、どういう風に楽しかったのか。そういうのをたくさん伝えたい気持ちはありますが、全部、封じ込めます。

 ……ごめんなさい。なんか、気持ちがふさいで、ダメなんです。自分が好きなもの、面白いと思ったもの、楽しいと思ったものを一生懸命に説明したいんですが、それと同時に、自分のアプローチの仕方があまりにも特殊で、異常で、誰にも受け入れられないと思うから。

 とりあえず書きましたが、そういう感じです。ごめんなさい、こうやって書いているうちに、本当に気持ちがふさいじゃって……もう書けません。本当にごめんなさい。

拍手[0回]


こんばんは

 60ギガバイトも使いきれるのか

 いぬがみです。


 昨年12月にスマートフォンというやつを買い替えた私。私が何となく使い続けているうちに世の中は大きく動いたようで、しばらくドコモショップのお姉さんに料金プラン云々の話を聞き「ああ、そうなんですね~」と相槌を打ち、そして9割がたドコモショップのお姉さんの言う通りに料金プランを組んだ私。

 とりあえず今の契約では、月に50ギガだか60ギガだか……そのくらいデータ通信を使えるっていうんですね。今までは20ギガバイトでも使いきれなかったのに、50ギガバイト!? と驚愕しましたが、まあ多いに越したことはありません。そう思って契約したんですが、あれ? これって使いきれなかった分は切り捨てなんですね。

 それじゃあ、つって昨日、ハードディスクにため込んでいた写真をgoogleフォトにまとめてアップロードしてみたんですが、それでもせいぜい6ギガ程度しか消費できませんでした。

 ということは、もう毎日テザリングでこうしてブログを書いたり「パソコンで」ネットサーフィンしたりしても、全然余裕なんじゃね? と、まだ月初めですがそう思いまして。まあ、こうしてブログを毎日書き続けるのは、以前はやっていたことですからね。通信料を気にして、その習慣が途切れてしまいましたが、でもでも。どうせ目いっぱい使っても使いきれないでしょうし、万が一、上限を超えたって即座に電話が止まるわけじゃないし。

 と、まあ特に書きたいことがないのに書き出してしまった次第です。ごめんなさい、今日は内容がない、ようです(←山田君、座布団全部持ってって~!)。


 ……まあ、ね。逆に言うとアレですよ、いざっていう時にブログを書こうとすると、たいてい精神的にギリギリの状態だから、とっても重たいブログになっちゃうわけですから。こうして、どうでもいいことでも小出しに発信していればね。「ああ、今日もくだらねえこと書いてるなあ。でも、まあ生きてるんだなあ」と思ってもらえれば、それでOKです。そういうわけで今日右はこれで「終わりで~す!」(三四郎ふうオチ)

拍手[0回]


おはようございます

 心身ともに荒れています

 いぬがみです


 理由なく強力な抑うつ状態になったり、反対に心がざわついて、理性で抑えつけないと暴走してしまいそうになったり。

 タバコのせいかアルコールのせいか、薬のせいか。

 たぶん複合的なものだと思います。

 このままでは私の意志と関係なく死んでしまいそうな気がします。決して、私の望むところではありません。

 まだまだ生きたいです。死にたいと思う瞬間が最近少しずつ増えているような気がするので、まだ元気があるうちに、いい方向にもっていかないと……。

拍手[0回]


こんばんは

 続けてりゃ、いいことあるさ

 いぬがみです(←ここまでで、いぬ蔵・心の俳句)


 たまたま七五調になったから、そう言っただけですよ。別に深い意味はありません。って、それはいつものことですが。

 今日は久々に、まあ適度に酔っぱらっているから久々でもないかもしれませんが、軽いブログです。そんなにめいっぱい感情込めて書くわけではありません。面倒くさくありません。どうかご安心ください。というか……アレですかね。逆に、「ちゃんとした文章が書けないなら、ブログなんてやるべきじゃない」とかって更新をセーブして、心が決壊寸前のダムみたいになって、そこに集中豪雨的にお酒を飲んじゃうから、水害レベルのブログになっちゃうのかもしれませんね。

 なんてね。今日はこんな風に、思ったことを割とリアルタイムに打ち込んでいます。そういうブログです。いいんですよ私のブログはこんな感じで。内容はしおしおだって、かれこれ5年? いや2005年だか2006年だかに始めたから、もう14年くらい?? 続けているんですから。続けることに意義があるんです。そう、これが今日のテーマです(いや本当に)。


 別に今日が周年記念日とか、そういうわけではありませんが、そうなんですよね。もう15年近く経つんですよね。このブログを始めてから。

 開設当時は、「ブログ」というのは時代の最先端でした。今、自分で書きながらプーッ! と吹き出してしまいましたが、本当です。「ホームページ」よりも気軽に更新できる形式だから、つって、私も乗っかった。そういう感じです。

 ……いま思うとアレですかね。mixiっていう。ブログとか、それこそ今でも通じる言葉で言えば「SNS」ってやつですか? ごく狭い範囲のコミュニティで発信共有するツールとして、日記めいたことを書いていたのが、ベースなのかもしれません。少なくとも個人的には。そういうのをやっていたから、mixiっていう会員じゃなく全世界的に発信するのが今風だっていうから、それじゃあやってみようかね。そんな感じで始めたような気がします。


 まあ毎日毎日、実家暮らしでとりあえず常時接続環境がありましたからね。「起床→PC起動→ブログ書く」みたいなのが、一時期の私のルーチンでした。朝一番でブログを書く。私は今風に言えばASD(とADHD)なので、いったん身についたルーチンはガッチリ守るんです。そんなわけで、毎日毎日ブログは更新していました。

 といって、別に「やらなきゃ、やらなきゃ」という義務感とか強迫観念でやっていたわけじゃないんですけどね。あくまでも好きでやっていたことです。

 一言でいえば、新聞のコラム記事みたいなものを自分でもやりたい! と思っていて、それをちょっぴりだけ意識して、書いていたんですよね。朝日新聞で言えば「天声人語」とか。ああいう感じで。岩手日報のような地方紙だろうと何だろうと、折りたたまれた新聞をパッと開いて一面をざっと読んでいくと、隅っこに必ずある(……ありますよね?)コラム。ああいうのを目指してこのブログはやってきました。更新ペースが極端に遅くなったのは、ひとえに常時接続環境がなくなり、Wi-Fiテザリングでないと、こうして更新できなくなったからです。って、それは余計な話題でした。閑話休題……っと。


 もう……。書きながら適度にビールを飲んでるから、段々と文章がまとまらなくなってきましたよ。だから今のうちに、急いでこのブログをまとめます。ちゃんと意識があるうちにね。って、こんなはずじゃなかったんだけどなあ今日は……〇×△(ぶつぶつ)……。


 いや何が言いたいかっていうと、こうやってブログという形式で残しておくと、あとで思い出して、きちんとした文章を書こうと思った時に、すごく助かるってことなんです。何月何日何時何分に書いたってことが世界中の誰でもわかるように記録されるし、キーワードを打ち込めば、それがすぐに出てくるし。

 それを実感したのが、自分がとある文章を書こうとした時です。今年はあの震災からちょうど10年が経つ年ですから。自分の不確かな記憶を保管してくれるのは日時+撮影場所まで記録してくれているデジタル的な写真と、その時々の思いを書き留めたこのブログですから。

 だから、どんなにくだらないことだろうと支離滅裂なことだろうと。たとい世界中のあらゆる方々から否定されても、このブログは無くしちゃいけないなって。自分のパソコンのローカルファイルに保存すればいいのかもしれないけど、それだってHDDやPCそのものがクラッシュしてしまえば終わりですから。

 そういう時、どんなに格好悪くても、私の(ひょっとしたら「最期」になるかもしれない)思いが残るのなら。それが「ウェブ」に「ログ」すなわち「ブログ」として残るのなら、いいかなって。そう思ったんです。

 そういうわけで、今日はこの辺で。ありがとうございました。

 皆様お元気で。さようなら。

拍手[0回]