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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

少しく酔っぱらってしまって、申し訳ありません

いぬがみです(あの日からもうすぐ10年ですので)。


2011年3月11日。……私はド内陸・岩手県盛岡市のオフィスで仕事をしていましたが、あの時のことは忘れません。

その、ほんの少し前まで、沿岸の都市の方と電話で言葉を交わしていて。いったん商談が成立して、やれやれと一息。そのあとの行程を進めるための書類作成をやろうかなと思っていた時に、突如、地震が起こりました。


私の特性として、何かトンデモナイことが起こった時、あえてそれを自分自身と切り離して他人事のように考える「回避型愛着障害」……ま、それだって最近知った言葉ですが、そういうことだったのでしょうね。あくまで冷静なふりをしようと試みました。私のデスクの上にあったデスクトップPCがガッタンガッタン揺れて、オフィスビルが停電して非常灯のぼんやりしたあかりの下で一時帰宅を命じられ、家族にケータイで安否確認を試みても返事が返ってこなくても。

それでも誰かがワンセグで映し出したテレビの中の映像を見て、帰りの車の中でラジオを聞いて、いま何が起こっているのかを知りました。そして、泣きました。

 「どうして、こんなことに」
 
 自分が何かしたわけでは無く、自分が何とかできることでもない。それだけに、いっせいに、恐怖とか無力感とか何とかってーー自分が見ないふり、気づかないふりをしていたものに一斉攻撃すなわち袋叩きに遭い、やられてしまったのです。
 
 
 あれから10年が経ちますが、私にとっては「長かった」とも「短かった」とも言えません。
 
 10年は10年。それ以上でもそれ以下でもありません。
 
 もちろん私だって自分の人生を生きてきました。それでも、この東日本大震災のことを忘れたことはありません。だから、10年が経ったという「事実」……それを素直に受け止めています。
 
 
 とりあえず、今日はこのくらいにしておきます。
 
 ほかのことは、またほかのタイミングで書きます。
 
 ともかく、ひとつ言えることは。……新型コロナウイルスとか何とかって、世界中でいっぱい大変なことがあり、ツラい目にあっている人があり、マスコミなどがそれをクローズアップするのは世の自然な流れですが、だからといって「みんな震災のことは忘れてしまった」「風化してしまう」ということはありません。
 
 少なくとも私は忘れていませんから。そしてこれからもずっと、忘れませんから。
 
 とりあえず、誰が見るか見ないかわかりませんが、ここも世界中に開かれている場所ですからーー何か私の想像しえないキッカケによって、私の言葉を見る人がいるかもしれない――そう信じて、発信します。そう、これからも。

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