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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。


 矢川澄子『反少女の灰皿』『受胎告知』を読みました。
 今年に入ってから矢川澄子さんの本を次々と読み、そのたびに感想を書いているので、これについても感想を書かなければならないと思っているのですが、ちょっと感想を書くのが難しい……と言うのが感想です。
 なぜかというに、これは多分、私にとって相当奥深いところに眠っていた……個人的無意識の彼方に落ち込み、手を伸ばしても届かないようなところにあった記憶を呼び覚ますようなテーマだったからでしょう。それはもう20年も前に心の閉架書庫に放り込んで鍵をかけていた『アリス』の記憶です。
 それに加えてヘルマフロディトスへの強い憧れを持つ私の心にdeep resonanceする記述があって、きちんと正しく感想をまとめるには時間がかかりそうな気がするのです。なので今回はとりあえずこのタイミングで読んだ、ということだけを書いておきます。
 一緒に借りてきた『受胎告知』……これはどういう経緯で発売されたのかとか、あとがきも解説も紹介文もないのでわかりませんが、発売日が2022年11月30日……矢川澄子さんが自死された後に未発表の作品を収録して発売されたことだけはわかりました。作者の歿後に未発表の作品を発表されるのは、作者本人にとってはどんな気持ちなんだろうって思わないこともないですが、読んだ後に気づいたので……。

  *

 もう少し詳しく書いてみます。
 『反少女の灰皿』は1981年(私の生まれ年!)に刊行された矢川澄子さんのエッセイ集としては古い方ですね。これに収録された『不滅の少女』というタイトルのエッセーについて、以前別な機会に読み、今回感じたことを色々書いてしまったのですが、今回はきちんと本を一冊読んだのでね。改めて同じことを今の言葉で書きます。


わたしはそのような架空の男との対話をたえず頭の中でくりかえし、それによって力を得てきたのですし、……相手が異性だと思えばこそ、こちらの感じ考えたことをできるだけよくわかっていただこうとして精神が活撥に動き出すのが、自分でもありありとわかるのですから。
(「透明と聡明」 矢川澄子『反少女の灰皿』)


 矢川澄子さんのこういう感覚が私の心に重なる部分があるのですね。私も誰かに読んでもらうための物語を書くわけではなく、自分の心を整理するために書き出すためだとしても、こんな感じで書きます。何だったら私自身が心の中で性転換を試み、女性として振る舞っていました。私の心の中にあるアニマを解放し、私が自ら「アニマ」になり切るのは現実世界でもメタバースの世界でもなく文芸の世界なんです。


……「お話をかくひと」を夢みるとき、おかしなことにわたしは、無意識のうちにつねに女であることを忘れ、一個の人格として、男としてふるまっていた。この男は、少女の夢想のなかで次第に成長して、ついには架空の恋人役をも兼ねるにいたる。ルイス・キャロル=ドジスン教授にせよ、ポオのウィリアム・ウィルスンにせよ、ドッペルゲンガーはほとんど同性の相似のすがたであるが、わたしの場合はセラフィータなみに、両性具有の願望をもどうにかして叶えようとしていたものか。 
(「不滅の少女」 矢川澄子『反少女の灰皿』)


 果たして私が試みたアニマとの和解は両性具有の願望なのか。あるいは理想のヒロインを作り上げようと躍起になるピュグマリオン・コンプレックスなのか。ともかく事実として、矢川澄子さんとは逆に「男性が想像する女性」が一人称でモノローグを語る形式で、たくさん書きました。女性になり切った私が正直な感情をさらけ出し、それを受け止める男性がいる形式もあれば、別な女性(これもまた私が女性になり切って細かい心理的なアレコレを書き出している)との交流を描いたものもありますが。
 そんな2023年の私の気持ちをまとめたのが久々の短編です。投稿サイトに出してみたら気に入ってくれた人が一人いらっしゃったみたいで……私自身のことを認めてくれたみたいで、とっても嬉しいです……。
ハロウィン・シンデレラ ーpixivー
 失礼、これは余談でした。ともかくそういう部分で非常に共感してしまったということで、『反少女の灰皿』についての初読感想とさせていただきます。

   *

 一方の『受胎告知』の方は、矢川澄子さんの書いた小説のなかでは、ある意味では一番優しい世界観の作品でした。先に読んだ『兎とよばれた女』や『失われた庭』も素敵な世界観ではありますが、矢川澄子さんの私小説的な色合いが強いためか、
 「……と言っても、男性であるあなたにはわからないでしょうね」
 といって鼻先でぴしゃりと閉ざされてしまうような(気がした)場面が何度かありました。でも、これに収録された3篇の小説はそういったこともなく、ただただ素直に楽しめました。
 つまり「聖性」なんでしょうね。初めて矢川澄子さんの文章を読んだ時に感じたこと。何冊も読んで自分なりに矢川澄子さんの人物像が出来上がってきて、親しみを感じつつ「そうかなあ?」と澁谷かのんちゃん的に疑問を呈したりしていたところですが、また聖性に戻ってきたのかもしれません。
 以下、収録作品に関する簡単な感想を。

 『ファラダの首』……肉体の束縛を解き放たれた魂が自由に羽ばたき、時空を超えて語る短編です。別に難しい解釈は必要ないでしょう。読んで白馬とともに天を翔ける想像をして楽しめばよいと思います。ちなみにファラダというのはグリム童話『鵞鳥番の女』に出てくる馬の名前です。
 『受胎告知』……肉体的には血を分けた親子という関係でありながら精神的には対等に話し合い理解しあっていた父娘の物語です。自分の境遇や経験がどうであっても、それをもって幸せな人に恨みや妬みをぶつけたり「特別なひと」と差別するのはやめようと思いました。やればやるほど、みじめな気持ちになりそうなので……。誰がどうであれ、私が幸せかどうかは私が決めればいいんです。そして他の人が幸せなら、それを素直に認めればいいんです。いっしょに喜んで上げられればさらに良いと思いますが、それはなかなか難しいかなあ。
 『湧きいづるモノたち』……未発表作品。それまで前時代的な型枠の中に収められ均衡を保っていた親子関係が、父の死によってくずれ、そこに入り込んで来た外国人『デュモンさん』と新たな世界を歩き出す主人公の女性の物語です。あんまり難しく考えて詳しく感想を書くというよりは、何となく読後に胸がふくらんで「ふはふは」した。それでいいかなって気がします。

   *

 こんな感じで、2冊まとめて感想を書きました。『兎とよばれた女』『失われた庭』が矢川澄子さんの自伝的小説の裏表だとすると、この『反少女の灰皿』『受胎告知』も……形式は全然違いますが同じタイミングで読んだ大好きのカップリングとして……これはまた時間を置いて読みたいと思います。何度も読み返して自分のものにしたい。けれど今回は「読みました」という記録を残すために、簡単な感想を書きました。

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