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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
今日は、当家から130キロ以上離れた地にある航空自衛隊/在日米軍三沢基地に行きました。1年に1度の基地開放日、航空祭に参加するためです。

 実は今から十数年前、まだ高校生のころにも、行ったことがあります。、その時は午前2時くらいに出発して3時間ほどかけて三沢に行き、そこで開場までしばらく車内で寝ていく、という行程で行きました。

 ・・・そうしたところ、寝不足がたたってひどい体調不良に見舞われ、なんとも後味の悪い結末となってしまったのです。それがずっと心に残っていたので、今回たまたま週休日と開催日が重なったこともあり、行って来たしだいです。

 混むだろうとは思っていたものの、ついてみたら想像の10倍以上は混んでいました。天気は悪いし、シャトルバスを待つ人の行列は数百メートルはあろうかと言う長さだし。

 決定的だったのは、バスを待つ人たちに向けて告げられた告知。

 「米軍がゲートをすべて閉鎖してしまった。いつ入れるようになるかわからない」

 ただでさえ時間がないのにこの仕打ちでは、さすがの犬神も蝶野さんばりにガッデム! といわざるを得ません。ファッ○ンニュージャパン! ガッチャメラエー!

 そういうわけで滞在20分ほどで早々に三沢基地(から随分と距離がある駐車場のキャンプ場)を後にしたのでした。


 その後はIBCまつりへ。弟者の知り合いが店を出していると言うので来ました。

 「奇跡の一本松」の根っこの大きさに驚愕し、陸前高田のマスコットキャラ「夢ちゃん」のグッズを買い、降りしきる雨の中、会場内をうろうろ。IBCアナウンサーの神山浩樹さんと松原友希さんがいろいろとやっているのををライブで見られて大興奮しました。さらに隣のステージでは菊池幸見さんや伊奈かっぺいさんらがバリバリの方言トークを繰り広げておりました。

 詳細な内容については書きませんが、進行の幸見さんが思わず「生放送じゃなくてよかったー! 生放送だったら、始末書書かされるところだったよ!」と言ってしまうくらいの過激トークが繰り広げられ、会場にいた人々はみんなドッカンドッカン笑っていました。そんな感じです。

 そして当の模擬店では弟者が「面と向かって買うのは恥ずかしい」というわけで私が代行して買いました。弟者と同級生ならまだ10代でしょう。私だって恥ずかしいですが、まあ何とか買いました。


 まあ、そんな感じの一日でした。

 三沢基地に関しては、まあ、十分に意義はあったと思います。基地内には入れなかったものの、とにかく自分の力で三沢市まで行けたこと。そこで元気に歩けたこと。それでいいでしょう。これは負け惜しみではなく心からそう思います。

 そうなると、まあ、あえて大混雑を覚悟で行ったり、それを避けるために夜明け前に家を出る理由もなくなるわけで・・・。そういうわけで、もう、二度と! 三沢基地航空祭には行かないと思います。

 あと、IBCまつりは・・・ライブで見ると、やはり松原アナは綺麗だったな・・・というところです。会場を後にしてから数時間が経ったと言うのに、思い出すたびに胸がドキドキしてしまいます。これで富田アナも見ていたら、いよいよもって今夜は眠れなかったかもしれません。

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2011年ごろから、「それはないだろう」ということが実際になってしまっている・・・そんな気がしました。

 3.11の震災もそうですけど、それよりも平泉中尊寺が世界遺産に登録されたことです。

 「なればいいなあ」という想いはあったにせよ、「いや~それは無理なんじゃないの」と思っていたのです。一回、申請を蹴られましたし。

 でも、構成遺産を変えて再申請したら通っちゃって。マチュピチュとかチチェン・イツァーとかナスカ台地のあの絵とかと同じものがわが県にあるのだ、という事実は、登録から2年経った今でも私の心をワクワクさせてくれます。ところでたとえがなぜ南米ばかりなのか。


 今朝、「5分であまちゃん」を見ようと思って、がんばって早起きしてテレビをつけると、2020年のオリンピックが東京に決定したというニュースが飛び込んできました。てっきりマドリードあたりになるだろう、と思っていただけに、まさに目が覚めるようなニュースです。

 前都知事が東京承知云々と言っていたころはドン・キホーテ的な勇ましい、しかしとうてい実現不可能なことだと思っていました。

 最近になって、テレビCMなどで「2020年東京招致を応援しています」というものをチラチラ見るようになり、少し現実味を帯びてきたかな? と思うようになりましたが、それでも「まあヨーロッパでやるんじゃないの」と思っていました。イスタンブールはちょっと政情不安定な雰囲気があるからアレかと思っていましたが、ヨーロッパの人が主導でやるんだろうから、スペインが堅いだろう。そう思っていたのです。犬神式ブックメーカーではマドリードが本命でした。

 そこに来て、このニュースですからね。最初はまだ投票結果が出ていないんだと思っていました。そういう、投票結果を生中継する番組なのだろう、と。でも、ハッキリと『決定』とうたっているから、これは、そういうことなのかな・・・と、20分ほど画面を見続けて、ようやくそれを認識したしだいです。


 21世紀に東京オリンピックと言うと、「ああ、そういえば『AKIRA』もそんな世界だっけな・・・」と、漠然と思っていました。

 って、あれも2020年開催予定なんですね。そのためにスタジアムを建設しているわけですが、その地下には、1982年に東京を壊滅させ、ひいては第三次世界大戦を引き起こした新型爆弾が眠っていて・・・。

 まあそれは漫画の話。新型爆弾も爆発していないし第三次世界大戦も起こっていないしネオ東京も建設されていないしピーキー過ぎて「そんなのに乗ってる方の気が知れねぇぜ」と仲間から言われる真っ赤な超伝導モーター式バイクに乗っている健康優良不良少年もいませんからね。それはそれですが、現実が漫画の世界にグイッと近づいた・・・ような感慨があります。

 
 ま、東京の話だから岩手県民の私には関係ない・・・と言えばそうなんですが、せっかく世界規模のお祭りが繰り広げられるのだから、しばらくこの話に乗っかってみたいと思います。このブログも長いこと読書三昧の隠棲生活ブログみたいになっていましたが、あるいはまた、旬の話題をちょくちょく書き出すかもしれません。

 以上、「こんなことを思った」というのを残しておきたいと思ったために書きました。ともあれ、決まっちゃったからには後に引けません。みんなで盛り上げていきましょう。


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奇妙な顔をしているから、奇妙丸。

 茶筅(髪型)が結えそうな髪だから、茶筅丸。

 生まれた日にちが三月七日だから、三七丸。


 これは某戦国大名・Oさん(尾張国出身)に息子が生まれた際の名づけエピソードです。

 この直感的なネーミングセンスに激しい衝撃を受けた私。昨日滝沢村役場に行った折り見かけたこの子に、直感的に名前をつけました。

 


 滝沢村で、チャグチャグ馬コの化身のようだな。・・・じゃあ、名前は

 「滝沢 駒子(たきざわ こまこ)」

 それで行こう、ということになったのでした。


 もちろん、これは私が個人的にこの子を特定するときの呼び名です。『もみ子』とか『ムチ子』とか、そういうカテゴリのものです。

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今日はうすみさこと臼澤みさきちゃんの初コンサートを収録した初DVD「臼澤みさきファーストコンサート 繋 -tsunagu-」の発売日です。皆様、もう買いましたか? ええ、私は買いましたよ。今年の5月に仕事があって行けなかった悔しさをこめて、初日にいきなり買いましたとも。

 買ってきたばかりなので、まだ中身は見ていないのですが、さぞかし素晴らしい内容でしょう。めいっぱい期待しています。

 私がアピールすることでないのかもしれませんが、ここはやはり矢野通選手ふうにアピールするしかありません。おい、お前ら100枚買え! 清○、テメーは1000枚だ! バカタレ!

 

 まあ、17日現在、在庫切れなので100枚も1000枚も買えませんが・・・そうしたら、近所のCDショップに行きましょう。

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元AKB仲谷明香 声優事務所アミュレートと契約 (2013年7月1日 スポーツニッポン)

 声優を目指し今年3月にAKB48を卒業した仲谷明香(21)が1日、声優事務所のアミュレートに所属することが決まった。

 仲谷は事務所所属が決まったことでリニューアルされたブログで「私仲谷明香、新たに所属させて頂く事務所が決まりました!アミュレートさんに今日からお世話になります」と報告するとともに「うおおおお!!発表やっと出来たー!!」とファンに伝えられる喜びを爆発させた。

 「すぐにはここには書けないかもしれないけど、お仕事いっぱい出来るように頑張るので!!まったり応援して頂けたら嬉しいです。これから、たくさんのオーディションに落ちるけど…そこは折れない心の精神で!!!いくぞー」と気合を入れた。

 同日、アミュレートのサイトに仲谷の名前が掲載された。同事務所は明坂聡美(25)、伊藤健太郎(39)を始めとした声優やファミコン名人として知られる高橋名人(54)、アイドルグループの「アフィリア・サーガ」が所属している。



 特にこのブログでは書きませんでしたが、そういうことがありました。スポニチさんだけがこの情報を報道してくれました。

 また、今朝はめざましどようびのスポーツコーナーで、なんと菊池雄星投手がミタパンからの単独インタビューを受けていました。

 どちらも大好きな人だけに、そして不遇の時代もずっと見てきただけに、ようやくここまでこぎつけたか・・・と感慨深いものがあります。


 超大型新人として期待されながら初年度はケガに泣き、その後も我慢の時代が続いた雄星投手。一方の仲谷も、「非選抜アイドル」というネガティブイメージを逆手にとって活動していたものの、今年の3月に脱退。フリーランスとして色々と厳しい言葉にさらされてきました。



 でも、これからは違いますよ。雄星はすでに一軍の主力投手としてバリバリ活躍していますし、仲谷明香は「声優・仲谷明香」としてこれから快進撃を繰り広げるんですよ。まあ、雄星もここまで来るのに4年かかりましたから、仲谷もしばらくはオーディションとかトレーニングとかで大変だと思いますが、絶対に花開くはずです。「仲谷、新作アニメ映画の主演に抜擢!」とかってニュースが日本中のメディアをにぎわす日が来るはずです。その日が来るまで犬神は仲谷明香を全力応援します!


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本日午前0時をもちまして、不肖犬神、32歳になりました。

 この1年を振り返って思うことは、とにかく激動の日々であったような気がします。

 特にこの2月にPCが壊れてからでしょうか。やることがなくなったので、とにかく家にある「そのうち読もうと思っていた本」を片っ端から読み漁り、さらにそれでも足りずに図書館に行き、『竜馬がゆく』をはじめとする幕末小説を読みまくり、さらにさらに『帝都物語』なども読みました。さらにその後には新渡戸稲造の『武士道』やら宮本武蔵の五輪書(ただし、『図解五輪書』という解説書)を読みました。

 具体的にどうとは言いませんが、それによって大きく考え方が変わった気がします。なんというか、目の前の問題を自分自身の力で、現実に即した形で何とかすることを考えるようになったのです。必要以上に大きく、また小さく考えるようにせず。


 そういった考え方を、過去にも持ち込みました。

 自分が小学生だったころ、中学生だったころ、高校生、大学生だったころ。そのころ手が届くところにありながら触れずにここまで来てしまったものを手に取り、それをキーにして過去のモヤモヤした思いに決着をつけてきたのです。まあ、それは単に、小学生のころにブームだった『帝都物語』を読み終えたとか、クリアできなかったゲームをクリアしたとか、そんな程度のものですが。

 過去を変えれば現在が変わる。現在がよくなれば、未来も変えられる。そんな『無双OROCHI2』理論を、仙界の人間でも22世紀の人間でもない私ができる範囲でマネをし、やったということです。


 こんな話、わざわざ誰かに語って聞かせるものでもないし、誰にも理解してもらえるものではないと思ったので今までは書きませんでしたが、今日は1年間の総括なので備忘録もかねて書きました。

 とにかく、そうすることでようやく私は31歳の現在を受け入れられたような気がします。それまでの人生のほとんどを受け止め、これを現在に生かしていく。悔しさも懐かしさも全部呑み込んで、前に進むためのエナジーにする。それが私の哲学です。


 ホップ・ステップ・ジャンプの法則で行くと、今年はジャンプの年。2011年、2012年と積み重ねてきたものをバネにして、一気に大上段で斬りかかるような32歳にしたいと思います。

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 ブログ、ツイッター、フェイスブック。私も含めた素人が自分の意見を好きなだけ世間に発信できるメディアはたくさんありますが、舌禍というか筆禍というか、そういったものを引き起こすことも、しばしばあるものです。

 その人が書いたことに対して誰かが反論を書く。それが不特定多数の人々に広まって集団でその人のことを糾弾する。よくある話です。

 これは筆禍とか舌禍というわけではありませんが、集団で特定の対象を袋叩きにするような状況をかつて目の当たりにしたことがありました。かつて私は電子掲示板『2ちゃんねる』のある板を毎日見るのを楽しみにしてたのですが、普段は書き込まないような人たちがいっせいにその板の常連さんを中傷する書き込みを投稿し、数分でスレッドをひとつ消費するような事件が起こったことがありました。

 このとき、『インターネットって怖い』と思いました。それ以来『2ちゃんねる』は極力見ないようにしています。

 あと、SNSがらみでも怖い目に遭ったことがありました。それ以来、そういったツールを利用した交流というのは一切信用できなくなりました。まあ、あまり詳しくは言いませんが、ともかくmixiとかツイッターとかLINEとか、そういったもので友達申請をする人は信用しません(元々ツイッターはやってないし、私はフィーチャーフォン利用者なのでLINEというやつをやる資格もないのですが)。

 そういうわけで、言いたいことがあっても言わず、思ったことがあっても書かず、このブログも半休止状態だったのですが、今後の私の身の振り方にもかかわってきそうなので、今回は書くことにしました。


 このところ、私の精神的支柱を根っこから揺るがす・・・というか、引っこ抜いて投げっぱなしジャーマンスープレックスで放り投げるような衝撃的ニュースが相次ぎました。

 ひとつは前WBCスーパーフライ級王者・佐藤洋太選手の引退。自伝とかも読んで、ずいぶんと力をもらっていただけに、この一報を受けた時は、ショックで倒れそうになってしまいました。・・・まあ、本人が『やりきった』とコメントしている以上、周りがどうこう言うわけにはいかないでしょうからね。これで一度目のダウンです。

 それならせめてボクシングの指導者とか、そういうところに! と思っていると、「引退後は、多少は先輩がやっているジム(ミナノジム・盛岡市)の手伝いをすることはあるけれど、ボクシングからは離れた仕事をしたい」ということでした。これで二度目のショック、二度目のダウンです。

 そして最後は元AKB48のなかやんこと仲谷こと仲谷明香さん(声優目指して奮闘中)が、自身のブログで「もう昔みたいに一日何回更新とかもないし!やめるわ!」宣言。ある意味これが一番ショックでした。これで三度目のダウン。TKOです。カンカンカンカーン(ゴングの音)。

 まあAKB時代は何もしなくても一般的な芸能ニュースで情報が入ってくるし、IBCのラジオ番組もあるし、ブログは特に読んでいなかったんですけどね。ええ、フリーになってからはめったに芸能ニュースにも出てこなくなったし、常にアンテナを張っておきたいなと思って、読むようになったんです。

 最初は近況とかイベント情報とかがわかればいいや、と思っていたものの、なんか・・・読んでいるうちに情が移って来ちゃったんですよね。特に「飼っている猫がいなくなりました(泣)」って時は私も泣きそうになったし、その後に「見つかりました!」という記事があった時は「よかったねー」と快哉を叫びました。

 そんなわけで、むしろ一個人・仲谷明香になってから熱烈なファンになってしまった私なのですが、それこそネット上のコメントに悩み、心を痛めることもあったようです。そういったことを割と強い言葉で告白する時もありました。私もたいがい外道・人非人・人面獣心が服を着て歩いているような男ですが、そんな私でさえ黙っていられないような言葉。もはやハマカーンの人の物まねで「地獄の鬼すら反吐はく所業」と言わざるを得ません。来世、人に生まれると思うなよ!

 こうなったら、もはや実力で見返すしかないですよ。実力で『声優・仲谷明香』というネームバリューをゆるぎないものにして、「AKB時代のファンつなぎとめるのに必死」とか、そんなことを言う連中を黙らせるしかありませんよ。わたし(犬神)はあえて断言しますが、仲谷明香をこれからも全力応援します! ブログへのブックマークは外しましたが、ぜひ立派な声優になってください! というわけで、その時までさようなら・・・そして、ありがとう・・・。


 ・・・というわけで、精神的支柱をいきなり2本も失ってしまいましたが、ある意味これは、私自身も新たなステージに行くタイミングなのかもしれません。まあ、いきなり会社を辞めるとか、そういうことはありませんが。ありませんが!

 ただ、会社は変わりませんが来月で32歳になります。だからというわけではありませんが、それまで手が出なかった長編(『竜馬がゆく』とか『帝都物語』とか)を読み、発売以来何年もクリアできなかった『虫姫さま ふたり』をクリアしたり(※)、大苦手なフライトシューティングの傑作『エースコンバット6』をクリアしたり(※※)。今までできなかったことにチャレンジし、これを乗り越えることができているのでね。新しい何かを作り上げる時期なのかもしれません。

 そうなれば、このブログもまた、何か新しいイメージで書けるかもしれません。なので、それまでは・・・以前ほどたくさん更新はしませんが、やはり閉鎖はしないでおきましょう。以上~!(なぜかKENSO風シメ)


 (※ 100円3クレジットのゲーセンで、3クレジット全部使い切りでクリアした)

 (※※ EASYモードでクリアした。それでも、リトライした回数は100回とも200回とも)

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 雑誌『レーシングオン』のシルエットフォーミュラ特集、買いました。

 私は31歳(1981年生まれ)なので、この雑誌で大々的にフィーチャーされている『ポルシェ935』をリアルタイムで見た世代ではないのですが、田宮のプラモデルでその勇姿を目にしていました。小学生のころに買ってもらった田宮の総合カタログで毎日眺め、下手ながらも何とかくみ上げたプラモデルを眺め。

 それと同時にセリカLBターボやらランチアストラトスターボやら、はたまた国産勢のスカイライン・シルビア・ブルーバードやら・・・と、やたらド派手な車に衝撃を受け、この車好きが生まれたんだろう、ということを再認識しました。


 シルビアやスカイラインのレースカーであれば、日産のホームページをはじめとして、たくさんの情報があるのですが・・・ポルシェ935については、なかなか詳しい情報がありません。一応Wikipediaに記事があるものの、本当に詳しいのは英語版で、その和訳版はどうも読みづらい。読みづらいというか、気が利いていない翻訳だな、と思ってしまったのです。

 こうして日本語で・・・というか、日本人の感覚と言葉で記事にしてくれたのは、本当にうれしかったです。

 ちなみに私が一番好きなのは、78年式「モビーディック」ではなく、76年式のもの。それもヘッドランプが2灯式のやつです(前期型?)。


リンクに表示されるテキスト

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 考えてみれば最初に新撰組好きになったころに、私のスタンスは決まっていたのです。

 史実は史実、小説は小説。どちらにしても、触れて感動できればいいんです。

 「竜馬がゆく」の坂本竜馬像が現実に即していなかったとしても、別にかまいません。「燃えよ剣」の土方歳三が実像とはかけ離れた創作の姿であったとしても、別にかまいません。一応、言い訳をさせてもらえば、私は『竜馬がゆく』の坂本竜馬に憧れ、『燃えよ剣』の土方歳三に感銘を受けた。そういうことですから。

 歴史上の人物について、色々な見方があるのは当然だと思います。

 でも、今を生きるのは私たちですから。そういった人たちから何を感じ取り、それを日々にどう生かしていくのか。それを考えるのも実際にするのも私たちなんですから。

 だから私は今日も、鬼の副長と呼ばれたあの人に思いをはせるのです。・・・おや? なにやら今日の副長は、自室にこもっておられるようですが・・・あっ、沖田さん。

 「豊玉宗匠、なかなかのご精励ですな」

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 今年は新撰組結成から150年という節目なんですね。

 特にそういったことを意識せず、「燃えよ剣」を読み、さらに歴史人の新撰組特集を買ってしまった私。

 さしあたって私は新撰組隊士としては著しく不適であると思われるので、コスプレ等々をしてみたいとは思わないのですが、かといって「人斬り集団」「テロリスト軍団」などと糾弾するつもりもありません。

 同じ生き方をすることは無理ですが、遠めに見て憧れの気持ちを抱く。その程度の感情はあります。これでいいと思っております。


 そんなこんなで「燃えよ剣」を読んだ余勢を駆って一息に読みきってしまった短編集「新撰組血風録」。今日はその中の、近藤局長の『虎徹』について。

 支度金20両で名刀・虎徹を用意してほしいと商人のところに頼んだ近藤局長。虎徹が20両で用意できるわけがないんだし、これでいいやとばかりに商人が用意したのは「偽ものの」虎徹でした。

 ところが局長はその「偽ものの」虎徹を気に入ってしまい、最終的には「おれが虎徹だと言ったら虎徹なんだ」といったとか言わなかったとか。偽虎徹を俺虎徹にしてしまったのです。

 先日「もしもシリーズ」を通じて菊一文字の話を書きましたが、あの記事の引用元サイトでは、

 「清麿(実際に近藤局長が持っていた刀)は虎徹よりも価値がある刀であり、虎徹は知らなくても刀を見る目があった近藤ならではの選択であった」

 といった意味合いのことを書いておられた気がします。

 やはり、近藤局長はすごいのです。

 
  *


 この短編では、後に斎藤一氏が「本ものの」虎徹を見つけてきてしまいます。ただ、土方副長が「虎徹は局長だけのものだから、これはしまっておこう」と言うことにし、結局押し入れに放り込んでしまいました。規律を守らせるために容赦ない粛清の嵐を吹かせた副長ですが、時々見せる人間くささ(ほかには、俳句を読む時とか)。こういうのがやっぱり、魅力なのかなと思います。

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 最近の若い人たちは女子高生がビジネス書を読んだ話をイメージするのかもしれませんが、もちろん違います。

 物語のキャラクタたちが愛用していた刀剣について解説しているサイトで書いていたことです。

 検索しても見つからないので、もしかすると今はないのかもしれません。そういうこともあって、ちょっとここに書き出したいと思います。


 1.

 念願の菊一文字を手に入れたぞ!

 →国宝級の名品なので、即お偉いさんに献上される

 総司ショック!(総辞職→駄洒落)

 →慶応四年、沖田総司、結核で死去


 2.

 念願の菊一文字を手に入れたぞ!

 →今度はバレないように隠し持つ

 →実戦で抜いてみるが、古すぎて使い物にならない

 総司ショック!(総辞職→駄洒落)

 →慶応四年、沖田総司、結核で死去


 ほかにも近藤局長の愛刀『虎徹』にまつわる面白エピソードなどが収録された短編集『新撰組血風録』の最後に収録された『菊一文字』を読み、このコントを思い出した春の日でした。

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 ご無沙汰しております。

 前回、新居昭乃さんのことについて書き、続きは明日! と書いたのですが、次の日にPCが故障して、まったく記事が書けなくなってしまいました。

 まあ、3月11日に弟者のPCを借りて「もうやめようと思います」という記事は書きましたが、それは削除しました。やめるのなら、そんな宣言をしないで、そのままフェードアウトすればいいと思ったからです。

 このたび代替PCを用意してもらい、また、どうしても記録しておかなければいけないと思ったことがあったので、書きます。


 初めましてご主人様 北上、メードカフェ開店(2013年4月24日 岩手日報)

 北上市大通り1丁目の北上駅前クレヨンタワーに今月、県内初の本格的メードカフェ「CAFFEめいど~る」(佐々木さやか社長)がオープンした。

 ドアを開けると、ピンクのドレスのメードたちが「お帰りなさいませご主人さま」とお出迎え。飲み物を届けた後は「きゅんきゅんポーズ」で愛のおまじないをしてくれる。

 料理はすべて手作りで、お薦めはおまけ付きのオムライス。メードとの2ショット写真とクマの縫いぐるみが「めいどのおみやげ」としてもらえる。営業は正午~午後10時。当面無休。問い合わせは同店(080・6045・5488)へ。

【写真=笑顔と真心で心を癒やすメードたち】


 ・・・岩手日報に載っちゃったんだから、これは仕方がありません。休止期間中はとにかく読書にふけり、このまま隠棲生活を送ろうと思っていたのですが、こんな話が舞い込んできたのでは、どうもそういうわけにはいきません。「くだらんな」と切り捨てたい私と「ツーショット写真が撮れる」とヤキモキしている私が激しい戦いを繰り広げています。

 かくなるうえは元ノアの志賀「アニキ」賢太郎選手のように、パンチパーマとサングラスで変装していくしかありません。オムライスなら、「昼間から酒を飲むことは出来ない」という真面目な理由で断念することもないでしょうし。


 ちなみにそんなニュースを見たせいか、昨晩は某女子アナウンサー(岩手の放送局)に後ろから抱きすくめられるという夢を見ました。結構、好きな子だったので・・・なんか、すごく温かかったです。

 そういうわけで、またはじめました。毎日更新というわけにはいかないと思いますが、また少しずつ、やっていきたいと思います。

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 たまたまとはいえ、そのタイミングでコンビニに立ち寄ってしまったのは、まったく不覚と言わざるを得ません。

 途中から聴いたので、最初はそうと気づかず、ずいぶんといい加減な心構えで聴いていました。


 ちょうどその時間はIBCラジオの「マ・カ・タ・ト」を聴いていたのですが、どうやら誰かアーティストが新曲のアピールか何かで、IBCラジオのリスナー向けに録音コメントを発していました。声を聴けば女性アーティストだということはわかっていましたが、どうせ私の知らない人だろう……と思っていました。

 「宮沢賢治に思い入れがあって……」

 はあ、そうですか。それはどうも。

 「1986年にデビューして……」

 あらら、私が想像していたよりもキャリアがありますね。

 『昨年はBlue planet、Red planetというアルバムを発売させてもらって……」

 ここまで聴いた時、思わず「あーっ!」と声を上げてしまいました。ここまで聴いて、ようやくわかりました。

 そう、私が世界一好きな女性アーティスト・新居昭乃さんだったのです。


 どうしてどれだけ思い入れがあるのかはまた改めるとして、とにかく新居昭乃さんの声が、まさかIBCラジオで聴けるなんて……と、涙ぐんでしまうくらい感動しました。「おれは今、モーレツに感動している!」というやつです(古くてすいません)。

 お話はその後、1月30日にリリースされた新曲(『まおゆう』とかいうアニメの歌らしいですね)の話と、ピアノの弾き語りで全国を回る、という内容でした。

 ま、まあ……こうして、歌ではなく通常のトーンでお話をうかがうのは初めてでしたからね……とはいったものの、すぐに気づけなくてごめんなさいという感じです。これに関してはいくらでも謝る用意があります。

 ともあれ、なんか、それまでどこか遠い世界の人だと思っていた新居昭乃さんが、急速に身近な存在に感じられるようになりました。やはり、明日、ちゃんとまとめて書きます。取り急ぎ今日はこんな感じで!

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 先日、電子ゲームのオセロを落札しようとしたらできなかった、という話をしましたが……。

 実はあの後、以前に買ったオセロTinyに電池を入れたところ、なぜか動きました。どうやら電池の接触が少々悪かっただけのようです。

 そういうわけで、今にして思えば「落札しなくてよかった」という感じです。まあ、せいぜい奪い合えばいいと思います。別にシリーズを全部コンプリートしたいというわけではありませんから。ひとつあれば十分ですから。


 で、これに気をよくした私。家中の電子ゲームを探してきて、新しい電池に入れ替え、動くかどうか片っ端からチェックしてみました。

 そうしたところ、「錆びていないところがない」くらいに液漏れで錆びまくっている『フロッガー』『宇宙壮絶戦車戦』を除き、すべて動作しました。中にはいつ電池を入れたかわからないようなものや、買ってから一度も電池を取り替えていないようなものもありましたが、これらも問題なく動きました。スゴイ。


 以前にも書いたような気がしますが、『最後の電子ゲーム世代』を自称する私。それは電卓セグメントディスプレイのように、あらかじめ表示される絵が決まっていて、それが表示されるかされないかでゲームをするタイプから、ドットマトリクス形式になった(すなわちゲームボーイ)のが、私が小学生のころ。発売当初は『高嶺の花』でしたが、後にこれを手に入れてからは、急速にそれまでの電子ゲームからは離れてしまいました。

 なので、「ずっと電子ゲームが好きでした」とは言いません。

 ただ、私という人格を形成する土台となった幼年期にあった電子ゲームを、完全に捨てきることはできません。あの頃に遊んだゲームはすべて手元に残っているし、モストウォンテッド指定だった『うる星やつら』も数年前に買ったので、別にオークションで苦しい思いをしてコンプリートしたいとか、そういうわけではありませんが……面白そうなゲームがあれば、手にとってみたい。それくらいの気持ちはあります。

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 何も書くことがないので、天気の話をしたいと思います。

 このところは非常に冷たい寒気が居座っているとかで、真冬並の寒さと言われております。実際わが町ではマイナス10度とか、そのくらいまで下がっているような気がします。

 こんなに寒い朝でも、フロントガラスが凍っていなかったりするので、凍結のメカニズムというのは「なんか、不思議なものだな」と思ったとか思わなかったとか。

 寒いのは嫌だな~と思っていると、このように猛烈に寒くなったり、雪が降るのはいやだな~と思っていると、連日ドカドカ雪が降ってきたり。もう2月も下旬とはいえ、まだまだ寒い日が続くのでしょうか。

 ただ、これは気のもちようですよね、きっと。

 「まあ、寒いのは寒いけど、仕方ないよな」 

 そういって寒さを受け入れてやれば、急に気持ちが楽になります。もちろん自宅にいる時はストーブもつけるし、外出する時は厚着をするわけですが、その上で気持ちを緩めればね。なんというか、「季節を楽しむ余裕」といったものも生まれるんじゃないかなと思ったのです。たぶん、日本人って、そういう考え方をずっと昔から持っているような気がするし。


 ま、そんな感じでね。今日はめざまし時計に起こされるまで爆の睡をしていたので、この後あわただしく準備をして出かけていきます。皆様も元気を出していきましょう。

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 『ウルトラジャンプ』なる雑誌を買ってくるように頼まれ、仕事帰りに街中を歩き回った私。

 大通りから菜園方面へ。そこから下の橋を渡り、肴町へ。……と、地元の人じゃないとわからない話をしてしまいましたが、大体1時間ほど歩きました。

 結局、どこにいっても目的のものは見つからず、途方にくれた私が最後にたどり着いたのは『盛岡バスセンター』……昭和35年に建てられ、当時のままず~っと盛岡の街に残り続ける昭和レトロな建物です。




 今から25年以上前……私が小学校に上がる前から、ここはちょっと特別な場所でした。真の意味での中心街は大通りや川徳デパートのあるあたりで、肴町というのはその中心街から少し東側にあるところなのですが、ここにもデパートが2つあり、肴町アーケードには本屋やゲームセンターがあり、一番近い『街』でした。ここでプレイしたゲームや買ってもらったおもちゃなど、思い出は尽きません。

 時間は流れるものですから、景色はどんどん変わります。かつて栄華を誇った『エンドーチェーン』なんかは、今では跡形もありません。中三デパートはNANAKになり、ゲームセンターはそば屋になりました。

 そんな中で、このバスセンターだけは昭和の面影をそっくりそのまま残しています。確かに売店の軒先に掲げられていた『明治スカット』や『カネボウハリス・チューイングボン』などのレトロ看板は覆い隠されていますが、それでも一部にはまだ当時の看板が残っています。あとは、椅子とかもきっと、当時のままなんでしょう。

 ……何もかも懐かしい。そんな風に思う人は、きっと何百万人といることでしょう。

 数年前、建て替えの話が持ち上がりましたが、2013年現在も相変わらずのバスセンター。どこかから来た人を迎え入れ、どこかへ行く人を送り出す。様々な事情があるとは思いますが、心情的にはこのままずっと、残り続けて欲しい建物なのです。

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 ※ 聞いた直後にあわてて書いた感が多々ありますがご了承ください。



 今週も『マ・カ・タ・ト』火曜日、週刊臼澤みさきこと『ようこそHomeland』を聴けました。

 今日の話は、さる2月16日に盛岡劇場で開催されたイベントの話……だったんですが、あれ? 何かイベントあったんですか!? とファンにあるまじき感想を持ってしまった私。まあ事前に知っていたとしても、16日は絶賛仕事中だったので、いけなかったのですが。

 今回は生バンドの伴奏で歌った(らしい)臼澤みさきちゃん。歌の合間にはトークなんかもあったみたいで、松原アナから「大分、慣れたんじゃない?」と言われていましたが、まだまだ緊張します! とのことでした。

 それでも「舞台上からお客さんのことを見ていると、色々な表情が見られて面白い」という言葉も出てきたくらいですから、少しは余裕が出てきたんじゃないでしょうか。……自分が同じ年齢だった頃を思うと、素直に「やるなぁ」と思います。


 今週末には岩手産業文化センターで開催されるスイーツ関連のイベント『S-1』グランプリにも来て歌を披露してくれる臼澤みさきちゃん。午前中はUnderpath! も来るし、こりゃ~是非行かなくちゃいかんな! と思っております。

 ちなみに甘いものは結構好きだという臼澤みさきちゃん。さるバレンタインの日には、『友チョコ』というのをたくさんもらったそうです。でもお返しはしていないそうです(なかなか、作る時間もないでしょうしね……)。今はそういうのもあるんですね。

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 かつて犬神は『週刊少年チャンピオン』という雑誌を毎週買っていました。

 特に好きだったのは『サナギさん』を連載していた頃だから……まあ社会人としてのキャリアを始めた頃ですね。その頃は好きどころではなく『心の支え』になっていました。それくらいの存在でした。

 その後もしばらくは読んでいたのですが、どうもピクルと刃牙と花山薫が3人でどこかに行ったあたりから記憶がありません。一応、過去の記事を検索すると2009年ごろまでは読んでいたみたいなんですが、今ひとつ、覚えていないのです。


 まあ、どっちにしても、3~4年ぶりにチャンピオン本誌を買いました。なんとなれば、『真・餓狼伝』の連載が始まったから。『範馬刃牙』が私の守備範囲を超えて遠い世界に行ってしまって以来です。

 ちょうどいいきっかけができたな、と思ったのです。あの頃好きだったマンガは、今どれほど生き残っているのか。そういうものを確かめたいのもありましたし、これをきっかけに、もう一度ドキドキを取り戻したい。そういうこともありました。

 で、実際に読んでみました。

 (……おおっ、『イカ娘』はまだ連載していたのか! あっ『クローバー』も! まあ『ドカベン』『浦安』は当然として……わっ! 『ヘレンESP』の木々津先生が連載を持ってる!)

 『真・餓狼伝』を中核として、ハードマンガとソフトマンガが程よくブレンドされていて、なおかつどれもこれもが非常に濃い味わい。一部を除いて『恋愛ゴッコ漫画』(*)ばかりになっている少年ジャンプと違って、心がたぎる雑誌でした。やはり私にはマンガが必要なようです。


 (* 最近ふえた少女漫画もどきの身の毛もよだつ少年漫画のこと。出典は『新雪之城変化!?』-こち亀』28巻に収録-より)

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 ウス!

 『ケーシー』というと『ベン』ではなく『高峰』

 犬神です



 (昨日らんまんラジオ寄席で久々にケーシー高峰センセイのエロ漫談……じゃなくて医事漫談を聞いたので)


 『彼女のカレラ』第1話読みました。

 ……元々はマンガ編集者としてキャリアをスタートさせたものの、現在は車雑誌『ドリヴィン』のスタッフとして日々を過ごしている麗菜。ちょうどその異動のあたりで私も読むのをやめたのですが、昨日書いたように『いい機会』だと思って見たら……えっ、廃刊!?(コミックバーズが、じゃなくて、ドリヴィンが)

 ただ、理想の車雑誌を作りたいという編集長は会社に辞表を出し、その気持ちに共感した麗菜も続きます。そして新しい編集部で新しいキャリアが始まる……そこに新しいスタッフが来て……というところで第1話は終了。

 
 自分たちではどうしようもない大きな力によって、今の体制が変わる。そういった場面にあって、どうするのか。……私も昨年の11月にそういう変化があったので、よくわかります。

 何人かは新しいところへ飛び出していきましたが、私は踏みとどまる方を選びました。

 本当は、こういう時って『理想を求めて自分で切り開く』方が格好いいんですよね。でも、そうしない選択もあるわけで。どんな体制だろうと、思い通りでなかろうと、やるべきことをやる。そういうプロ根性もあると思うんです。実際、マンガの中でも、

 「今いる現場が気に入らないからって、そんなにすぐに辞めるって……
  大人気ないなって思っただけです」

 そういって踏みとどまった人もいます。


 今の私は、10年前ほど車に対して熱くなれないと思います。

 でも、深さは10年前とは比べ物にならないくらいあると思います。

 誰かの言葉とか、そういうものに左右されない愛情。だれがなんと言おうとファミリアファミ子が好きなんだ! といえる気持ち。

 だから、まあ、その……。

 また、よろしくね。そういいたい気分です。

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 久々に買った週刊少年チャンピオンの話もしたいところですが、今日はもうひとつの方に絞って話をしたいと思います。

 それは今から1年ほど前のことでした。


 あの時、今の愛車であるファミリアファミ子の納車を目前にして、こんな記事を書きました。

 彼女のカレラ、私のファミリア

 そう、麻宮騎亜先生の『彼女のカレラ』にまつわる私の思いを書き出したのでした。


 あれから1年が経ちました。

 特に1年経ったから思い出したというわけではありません。たまたま立ち寄った書店で見かけた『コミックバーズ』の表紙に新連載として『彼女のカレラRS』というマンガが掲載されるという情報を見て、

 「これは、もしかしたら、チャンスかもしれない」

 そう思ったのです。


 「なんか違う」「おれの求めているものとは違う」そう言って連載を追いかけることもコミックスを買うこともやめていたのですが、掲載誌を変えての仕切りなおし。新しい世界でリスタートを切るところなので、そのドサクサに紛れて私もまた追いかけてみようと思ったのです。

 それに、あの記事を書いてから1年が経って、当時目指していた『私のファミリア』の世界もある程度は出来上がったのでね。今なら彼女の世界に対抗できるんじゃないかなと思ったのも、理由です。


 ま、いまさらカレラRSを運転する麗奈に引け目を感じたりはしません。私には私の世界がある。ファミリアファミ子と一緒に作り上げてきた世界があるから。……パワーバランスで言えばこっちの方がちょっと不利ですが、何とか一緒に走っていければいいなあと思っております。

 なんか、話がまとまらなくなってきたので、第1話についての感想はまた改めて書きますね。 

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 今日のTOKIMEKI FEELINGは、レイモン・ルフェーブルでした。

 例によって、今回の放送で初めてその名前を知ったのですが、ああ「シバの女王」の人でしたか。

 

 何でファミコンなんだよ! というツッコミもあろうかと思いますが(あと「2曲目はナウシカじゃねえか!」とも)、この『シバの女王』の曲名を知ったのはこの『ギャラクシアン』でした。そして初めて聞いた日から20年以上の時を経て、2013年ついに曲名と作曲者名が一致したのでした。

 あいにくと車を運転しながら聴いたので、すべての楽曲のタイトルを控えられたわけではありませんが、とりあえず思い出した分だけでも書きます。

 シバの女王
 デライラ
 雪が降る
 ばら色の心
 甘いささやき
 G線上のアリア
 涙のカノン
 パリのあやつり人形

 このうち私が特に気に入ったのは『雪が降る』。Youtubeの楽曲タイトルは『雪降る宵』ですが、まあどちらでもよろしいでしょう。とにかくこの曲がすごく気に入りました。まさに今ですね。雪降る宵。

 


 そんなわけで、今週も心安らぐひと時を過ごさせていただきました。帰り道だけでなぜか3回も転倒、うち1回は電話で話しながらだったこともあり、ひじをアスファルトに強打してしまいました。そんな散々な気持ちも楽曲と村松文代さんの声で癒されました。どこかで「これで1時間番組というのはちょっと……」なんて意見もありますが、私から言わせればこれで十分ですよ。

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 『めざましどようび』を見ながらこの記事を書いているのですが、今年は伊勢神宮の『遷宮』にあたる年だそうですね。

 江戸時代から『一生に一度はお伊勢参り』なんて、メッカみたいなことを言われているようですが、この犬神も一度だけ行ったことがあります。

 ただ……その頃は今ほど詳細な旅日記をつけるような習慣がなかったので、正直なところ何年前に行ったのかさえあいまいです。一生に一度がこんなことでは、きわめてもったいない話です……。


 確かその頃、兄者が仕事の都合であのあたりに出張していたとか、そういう偶然で行ったんじゃなかったかな。移動にしても、飛行機のマイルがたくさんあるからおいでよ、って感じで(これが生涯初めての飛行機移動だった)。

 名古屋を拠点にして、伊勢・伊賀・桑名(ナガシマスパーランド)など……あのあたりに行って遊んだ記憶はあるのですが、きわめて断片的にしか覚えておらず、

 「楽しかったのは楽しかったけど、具体的にどう楽しかったのかがよく思い出せない」

 という……きわめて残念な状況になっています。

 できればもう一度、行ってみたいと思いますが……距離もあるし、拠点もないし。そもそも「一生に一度」いければいいんだから、まあ、これはかなわぬ夢といったところでしょうか。

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 先日、献血を受けた際に「ALTの数値が高いですね」といわれ、イヤーマイッタマイッタという気持ちになってしまった私。昨日は血液の詳細なデータが郵送で届きました。

 日常的な飲酒の習慣がないので、よくいわれるガンマGTPの数値はず~っと低いままなのですが、気になるのはコレステロールの数値。記録が残っている中では最も古い平成15年1月9日時点での数値『182』をスタートに上昇の一途をたどっていた私のコレステロール。これが199(平成20年6月)→226(平成23年12月)→234(平成24年11月)と、年齢を重ねるとともに数値が上がっていきました。

 一応、このデータを送ってくれた血液センターによれば、250までが正常値の範囲内だそうですが、健康診断などの基準ではもっと厳しいもの。25歳のときに初めて血液検査をして『高脂血症』と診断されて以来、タバコもやめたし多少は身体を動かすようになりました。

 ただ、やはり十分ではなかったのでしょうね。


 今回の数値を見ると……『216』でした。おおっ、大幅に改善されています。

 多分この数値は、ステップマシンを利用した運動を前よりもたくさんやるようになったから出た結果だと思います。「本当に効果があるのかな」なんて思うこともありましたが、やはり身体は正直です。不摂生な生活をすればたちどころに悪影響が出るでしょうし、それをいい方向に戻そうと思えば、できるんです(悪くすることの数倍は努力が必要になるでしょうが)。

 でもって私のやっていることも、効率とか、そういう部分では荒削りなところもあるかもしれませんが……方向性としては、間違っていないんだということですよね。体重60キロ台の頃よりもコレステロールが減ってるんだから(今は大体76キロくらい)、何とか200を切るくらいのところまで頑張ってもって行きたいと思います。でもってその数値を確かめる意味でも、犬神はもっともっと献血に協力したいと思います。

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 バレンタインデーなんて……と言ってしまえば、それまでなんですが、そうすると朝起きて息をして寝るだけの人生になってしまうので、触れてみたいと思います。

 ええ、バレンタインデーですね、バレンタインデー。

 外国の風習とか文化を取り込み、自分たちのいいようにアレンジしてしまうのは、わが国が誇る文化だと思います。まあ、かつては「本来はそういう意味じゃないだろう!」と反発したこともありましたが、年月を経た今では、むしろそれがすごくいいことであるように考えるようになりました。たとえば寿司だって、アメリカではアボガドを巻いたりなんだりと、日本にはない独自のアレンジをされて、それが受け入れられているわけだし。

 だからWikipedia風に言えば、『日本のバレンタインデー』という独自習慣として受け入れよう。そう思ったのです。


 で、日本のバレンタインといえばチョコレートですね。

 最近(といっても10年以上前のような気がしますが)では冬期限定とか、そういうチョコレートがあったりしますが、私が好きなこの『霧の浮舟』も、どうやらこの季節限定のようです。

 ロッテ社の公式ホームページ

 これ、どういうわけか妙にノスタルジーを感じるんですよね。ブランドの歴史の長さで言えばガーナチョコも結構長いはずなのに、なぜかこれは特別な感情がこみ上げてきます。

 具体的には、親父の実家(見渡す限り山と川と田んぼが広がる光景を想像してください)に行った時のこと。そこから10分ほど歩いたところにある、築50年の木造店舗。重い木製の引き戸を全身でこじ開けて店の中に入り、色あせた陳列棚にあるチョコレートを手に取りお店の人に手渡す……。

 って、極・個人的なことを延々と書いてしまいました。そうそう、店の前には『オロナミンC』の自動販売機があったんですよね。色々入っているやつじゃなく、純粋にオロナミンCだけしかありませんよ! 私はそのためにここにいるんですよ! って感じのやつ(参照)。それがまた珍しくて……(当局の指示により以下削除)。

 以上、バレンタインとチョコレートにまつわる雑感でした。今日が皆様にとって、すばらしい日になりますように。


 ※ 最近、PCの調子が悪く、今朝も色々と準備に手間取りました。そのため、もしかすると何日か更新できない日が出るかもしれません。その時は「更新したくてもできないんだな」と想像して、あたたかい目で見守っていただければと思います。

 

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 昨日は「マ・カ・タ・ト」火曜日。松原友希アナの日です。

 今週はバレンタインデーがあるので、胸キュンなんとかというコーナーもいつもより長めでした。

 これはリスナーから、「こんなこと言われたら胸キュン? するというキーワードを募集し、これを発表するところです。まあ少年漫画少女漫画っぽいもの、松原アナが本当に胸キュンしたり爆笑したり自己判断で一部をカットする『松原規制』が入ったり(結構きわどいキーワードが入っていた模様)。非常に楽しいコーナーです。

 このブログを読んでいる人の中にも彼女持ちの人がいるかもしれないので、あまり私自身のことを延々と書くつもりはありませんが、まあ……たぶん、本当にこんな台詞をポンと口にする異性はいないんじゃないかな。だからこそ、この『夢見るTuesday』という番組にふさわしいコーナーだと思うんですが。

 ま、楽しいことは少しでも多い方がいいです。


 そして昨日のメインコーナー(?)といえば、やはり臼澤みさきちゃんのコーナー「ようこそHomeland」です。

 先日の三連休もイベント出演で大忙しだったみさきちゃん。とりわけ11日には、花巻市で行われた『第55回全日本わんこそば大会』で歌を披露、そしてわんこそば自体にもチャレンジしたそうです(参加カテゴリは県内各局のアナウンサーなどが出たメディア部門らしい)。

 3分間という時間制限の中で、どこまで食べられるのかという大会ルール。事前の目標としては20杯程度を想像していたそうですが、リザルトを見ると目標を上回る26杯! なかなか、やるじゃないですか。って、実は私自身がわんこそばを食べたことがないので、どれほどのものなのか実感はありませんが……。

 みさきちゃんが語ったところによれば、「かまずに飲むのは難しい」とか。コツとしては「かまずに飲む」ことが推奨されているわけですが、実際にやってみるとそれは意外と難しいそうで……ま、初めてだしね。さぞかし会場は盛り上がったことでしょう。

 そして本来の歌パートについては、リハーサルでなぜかみさきちゃんのご母堂が歌ったとか? です。サプライズというかなんと言うか……ま、それも含めて、すごくいいイベントだったみたいですね。あいにくと私は仕事で駆けつけることができませんでしたが……見たかったなあ。

 そしてコーナーの最後の方では、来る5月5日に県民会館中ホールで行われる初コンサートのことに少し触れられました。今月下旬にチケット発売ということですが、昼の部・夜の部をあわせても発売後3分で完売するであろうことは火を見るより明らか。多分その日は仕事だし、会場入りは難しいかな……もし早番で残業ナシなら、会場がオフィスから近いという地の利があるので、ギリギリ夜の部に滑り込めるかもしれませんが……。


 と、そんな感じでした。3月6日に発売される新曲『名前』は、テイチクのホームページでもPV(の一部)が公開されているようです。

 テイチクのホームページ

 ショートカットにしたみさきちゃんに刮目せよ! なのです。そしてみんなで応援しましょう! イヤァオ!

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