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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 『風雲 新撰組』がらみで、にわか幕末野郎になってしまった犬神ではありますが、こうしてみると自分が史実であると思ったことも、実は後の世の創作だった……なんてことが多々あって、ビックリしてしまいました。

 そうして考えてみると、どうも私がプレイしたこのゲームも、そういった創作の世界に基づいて作られているのかな、という感じがします。って、もちろん歴史上の事実は事実としてあるのですが、そこにいたるまでの経緯とかがね。

 このあたりについて、実際はどうだったのかと言うことを調べるとなると……もしかするとあんまり面白くないのかもしれません。めんどくさいのかもしれません。自分が築き上げたイメージが崩れるのが嫌なのかもしれません。

 ……ただ犬神の場合、創られた新撰組の世界の人たちが好きになったわけだし、実際はどうったのかな? というのは知識として溜め込みたいところではありますが、ただ現実は現実、創作は創作として、基本的には分けて考えたいと思います。だってその方が面白いんだもん。


 ということを踏まえて。

 今、一番興味があるのは『壬生義士伝』。私が言うまでもなく、元・南部藩士で新撰組撃剣師範の吉村貫一郎にまつわる物語です。ちょっと前に大ブームになりましたが、その頃はあまり興味がなかったのでね。

 この吉村貫一郎という男、果たして一体どんな人物なのか。って、それはもちろん『新撰組で一番強かった男』であって、それは疑うところのない事実であると思うのですが、Web上で色々な記事を読むと、少なくとも『壬生義士伝』に書かれているような最期であった、というのは違うようです。

 まあ、そこが違うからダメだのインチキだのというつもりは毛頭ありません。だってこれは、読んで感動するための物語なんだから。

 
 じゃあ実際にどうだったのかというと……一応、鳥羽・伏見の戦いで戦死(実際は死体が見つからなかったので消息不明か)というのが公式記録のようです。ただ、一方で子孫の家に残る記録では明治3年没となっているし……。

 ……どうもWeb上でも、皆さん好き勝手に自分の歴史を決めていらっしゃるようなので(?)、私はあえて明治3年説を採用するとしましょう。やはり生きてこそですよ。吉村さんならなおさらそう思います。

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