このたび、また新しいホームページを作成、開設しました。
内容としては、我が愛車『ファミリアファミ子』ことファミリアS-ワゴンについて。また『湾岸ミッドナイト』のことなど・・・・車関係の話に特化した場所です。
まあ立ち上げたばかりなので、「そういう場所にする予定です」といった程度のものですが、十数年ぶりにフレームのあるHTMLを作成しました。あとは画像とか文字色の設定とか、現在のFLAT FEELING 2よりもよほど手の込んだ感じです。
どうしてわざわざそんなことをしたのかといえば、やはり車に対するスタンスが変わったから、ということになるのかな。そもそも今の車を買った時もそうですけど、今回、車検に出すにあたってタイミングベルト交換などを含めて相当な金額がかかることになって。手持ちの貯金だけじゃ足りなくて、アレコレと金策をしてようやくかき集めたんですが、
「これほどのコストをかけたんだから、ずっとこの車と付き合っていこう」
と、思いまして。・・・・で、その並々ならぬ思いを書き出すのには、もはやそれに特化したひとつのサイトを作るしかない! ということで、立ち上げた次第です。
ま、そういうわけで車に興味のある方に限られると思うんですが、よろしければ一度ご覧ください。サイト名はSUPER FAMIKOです。なんだかミーハーな名前をつけていますが、中身はいたってマジメな車情報サイトです。
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まあ立ち上げたばかりなので、「そういう場所にする予定です」といった程度のものですが、十数年ぶりにフレームのあるHTMLを作成しました。あとは画像とか文字色の設定とか、現在のFLAT FEELING 2よりもよほど手の込んだ感じです。
どうしてわざわざそんなことをしたのかといえば、やはり車に対するスタンスが変わったから、ということになるのかな。そもそも今の車を買った時もそうですけど、今回、車検に出すにあたってタイミングベルト交換などを含めて相当な金額がかかることになって。手持ちの貯金だけじゃ足りなくて、アレコレと金策をしてようやくかき集めたんですが、
「これほどのコストをかけたんだから、ずっとこの車と付き合っていこう」
と、思いまして。・・・・で、その並々ならぬ思いを書き出すのには、もはやそれに特化したひとつのサイトを作るしかない! ということで、立ち上げた次第です。
ま、そういうわけで車に興味のある方に限られると思うんですが、よろしければ一度ご覧ください。サイト名はSUPER FAMIKOです。なんだかミーハーな名前をつけていますが、中身はいたってマジメな車情報サイトです。
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現在ちょうどニキ・ラウダとジェームス・ハントの映画『ラッシュ』が公開されていることもありますし、何の前触れもなく突然ニキ・ラウダについて書きたいと思います。
私の小学生時代はちょうど日本におけるF1ブームと重なります。1988年にはマクラーレン・ホンダが16戦15勝という圧倒的な強さを誇り、その後はバブル景気も重なって大盛り上がり。中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京といった日本人ドライバーも参戦しましたし、ツーリングカーレースの方が好きだった犬神も少なからずその熱に当てられました。今の人は亜久里といえば円亜久里なのかもしれませんが、私の世代はなんといっても鈴木亜久里です。電気系がね~。
ただ、実際に速かったのはやはり外国人でしたね。アイルトン・セナは言うまでもなく、同じチームで活躍していたアラン・プロストやゲルハルト・ベルガー、ライバルのウイリアムズで活躍したナイジェル・マンセルなんかでしょうか。あとはタミヤがスポンサーをしていたロータスで運転していたミカ・ハッキネン、ジョニー・ハーバートなんかも好きですね。
今回テーマに持ってきたニキ・ラウダは、私がリアルタイムで見ていた世代の人ではありません。実際にその走りを見ていたわけではないのですが、当時愛読していたコロコロコミックで彼のことを書いた短編漫画を読み、それでずっと心に――ある意味ではもっとも敬愛するF1ドライバーとして、存在し続けるのです。
もう20年以上も前のことなので、正式なタイトルとか作者名とか詳しいストーリィとかは覚えていません。確か主人公が何かの都合でタイムスリップして、70年代に行った話じゃなかったかな。で、そこでまだ少年だった『タミヤの前ちゃん』こと前田靖幸氏と出会った、と。
「ニキ・ラウダに笑われちゃうよ!」
90年代の小学生に70年代の小学生が力強く言い放った言葉は、今も頭に残っています。どういうシチュエーションでそんなことを言ったのかはよく覚えていませんが、いずれにせよ転んで痛い思いをしたからといって泣きべそをかいては、ニキ・ラウダに笑われる! ということだったと思います。
そしてどうして笑われるのかと言えば、もちろん――1976年のF1グランプリで大きな事故に遭い、瀕死の重傷を負ったものの驚異的なペースで回復し、わずか6週間で復帰したという伝説があるからでしょう。その年はシリーズチャンピオンを逃したものの(どうしてそうなったかは、ぜひ映画を見てください)、この復活劇はチャンピオンになること以上の感動があります。
だから私は史上もっとも敬愛するドライバーとして、ニキ・ラウダをあげるのです。セナよりもプロストよりもシューマッハよりも、ニキ・ラウダを尊敬しているのです。
私の小学生時代はちょうど日本におけるF1ブームと重なります。1988年にはマクラーレン・ホンダが16戦15勝という圧倒的な強さを誇り、その後はバブル景気も重なって大盛り上がり。中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京といった日本人ドライバーも参戦しましたし、ツーリングカーレースの方が好きだった犬神も少なからずその熱に当てられました。今の人は亜久里といえば円亜久里なのかもしれませんが、私の世代はなんといっても鈴木亜久里です。電気系がね~。
ただ、実際に速かったのはやはり外国人でしたね。アイルトン・セナは言うまでもなく、同じチームで活躍していたアラン・プロストやゲルハルト・ベルガー、ライバルのウイリアムズで活躍したナイジェル・マンセルなんかでしょうか。あとはタミヤがスポンサーをしていたロータスで運転していたミカ・ハッキネン、ジョニー・ハーバートなんかも好きですね。
今回テーマに持ってきたニキ・ラウダは、私がリアルタイムで見ていた世代の人ではありません。実際にその走りを見ていたわけではないのですが、当時愛読していたコロコロコミックで彼のことを書いた短編漫画を読み、それでずっと心に――ある意味ではもっとも敬愛するF1ドライバーとして、存在し続けるのです。
もう20年以上も前のことなので、正式なタイトルとか作者名とか詳しいストーリィとかは覚えていません。確か主人公が何かの都合でタイムスリップして、70年代に行った話じゃなかったかな。で、そこでまだ少年だった『タミヤの前ちゃん』こと前田靖幸氏と出会った、と。
「ニキ・ラウダに笑われちゃうよ!」
90年代の小学生に70年代の小学生が力強く言い放った言葉は、今も頭に残っています。どういうシチュエーションでそんなことを言ったのかはよく覚えていませんが、いずれにせよ転んで痛い思いをしたからといって泣きべそをかいては、ニキ・ラウダに笑われる! ということだったと思います。
そしてどうして笑われるのかと言えば、もちろん――1976年のF1グランプリで大きな事故に遭い、瀕死の重傷を負ったものの驚異的なペースで回復し、わずか6週間で復帰したという伝説があるからでしょう。その年はシリーズチャンピオンを逃したものの(どうしてそうなったかは、ぜひ映画を見てください)、この復活劇はチャンピオンになること以上の感動があります。
だから私は史上もっとも敬愛するドライバーとして、ニキ・ラウダをあげるのです。セナよりもプロストよりもシューマッハよりも、ニキ・ラウダを尊敬しているのです。
ソチオリンピック、開幕しましたね。
もっとも私の場合、初めっからメダル云々と言う話にはあまり興味がないのですが。
昨年末に『レガッタ!』などのアスリート小説を読んで以来、自分にはできないような高度なパフォーマンスを見せてくれること自体に感動するようになったのです。メダルが取れるに越したことはありませんが、あくまでもそれは結果だろう、と。
そんな私が応援している選手のひとりが「上村愛子」選手。私よりも2つ年上の、モーグルの選手です。
さかのぼれば私がまだ高校生だった時分、1998年の長野オリンピックでしょうか。あの時にオリンピックに初参加し、今回は5回目。モーグル競技の選手のピークがどのあたりにあるのかはわかりませんが、いずれにしてもすごいキャリアです。まだ34歳なのか、もう34歳なのか――どう受け止めればいいのかよくわかりませんが、ともあれ長く見ている分、思い入れも結構強いです。
競技をライブで見ることはできず、今NHKのハイライトを見ているのですが、その前に7時からのニュースで結果は知ってしまいました。
ふむ・・・・。メダルに手が届かなかったのは、きっと無念だと思うのですが、犬神は素直に感動しました。なんか、やりきったって感じなのかな。終わったあとのインタビューを見た限りでは、そういう風に見えました。それこそ、『レガッタ!』を読んだあとのようなさわやかさを感じました。
最近は色々な感情を「内へ、内へ」向けているので、なかなかブログが書けずにいるところですが、いいことがあったらすぐ書きます。「もうやめるわ」(仲谷風に)宣言はしません。
もっとも私の場合、初めっからメダル云々と言う話にはあまり興味がないのですが。
昨年末に『レガッタ!』などのアスリート小説を読んで以来、自分にはできないような高度なパフォーマンスを見せてくれること自体に感動するようになったのです。メダルが取れるに越したことはありませんが、あくまでもそれは結果だろう、と。
そんな私が応援している選手のひとりが「上村愛子」選手。私よりも2つ年上の、モーグルの選手です。
さかのぼれば私がまだ高校生だった時分、1998年の長野オリンピックでしょうか。あの時にオリンピックに初参加し、今回は5回目。モーグル競技の選手のピークがどのあたりにあるのかはわかりませんが、いずれにしてもすごいキャリアです。まだ34歳なのか、もう34歳なのか――どう受け止めればいいのかよくわかりませんが、ともあれ長く見ている分、思い入れも結構強いです。
競技をライブで見ることはできず、今NHKのハイライトを見ているのですが、その前に7時からのニュースで結果は知ってしまいました。
ふむ・・・・。メダルに手が届かなかったのは、きっと無念だと思うのですが、犬神は素直に感動しました。なんか、やりきったって感じなのかな。終わったあとのインタビューを見た限りでは、そういう風に見えました。それこそ、『レガッタ!』を読んだあとのようなさわやかさを感じました。
最近は色々な感情を「内へ、内へ」向けているので、なかなかブログが書けずにいるところですが、いいことがあったらすぐ書きます。「もうやめるわ」(仲谷風に)宣言はしません。
これはきっと、私が書かなきゃいけないと思ったので、書きます。
ジャンプ競技で女子といえば、なんといっても高梨選手でしょう。大会で次々と優勝し、今度のオリンピックでも金メダルを期待されています。そのことはいまさら私がどうこう言わなくてもいいことでしょう。そのことはもちろん私も認めます。
ただ、積極的に応援する気にはなれないんですよね。だって、別に金メダルが取れそうだとかそうじゃないとか、そういうのにはあまり興味がないから。そういうのが狙えるような実力があることは認めますし、それ自体はスゴいと思いますが、それだけ。それ以上は興味も関心もありません。
特にメダルが狙えるとか、目覚しい活躍をしているとか、そういうわけではないけれど、応援したくなる人がいる。応援することで私自身も色々なことを頑張れる。そういう選手がいるんです。高梨選手以外に。このスキージャンプという競技に取り組む女子選手で。
過去に2度、岩手出身のスキージャンプ女子選手である「小林諭果」選手について、取り上げたことがあります。1回目は2011年9月の記事。2回目は翌2012年の3月。
それ以来ずっと記事には書いていませんでしたが、早稲田大学に入学し、スキー部の部員として頑張っているということは知っていました。いわくスキー部で唯一の女子ジャンプ選手だということです。
先日行われたワールドカップでは、残念ながら2回目を飛ぶことができず、順位的には35位に終わりましたが、いいじゃないですか。小説『レガッタ!』を読んで以来、やはりアスリートは全力を尽くして競技に取り組むことが一番ですよ。詳しいことはわかりませんが、とにかくあの頃からずっとジャンプ競技に取り組んでいることがわかって、私も勇気付けられました。
そして早稲田大学スキー部のオフィシャルサイトでは、その小林選手が飛翔している写真を見ることができました。美しいフォームです。私も勇気100倍です。この勢いで昨年のクリスマスに買った『向かい風で飛べ!』という小説を一気に読もうと思います。・・・・あ、これもスキージャンプ競技に挑戦する女子の物語です。こちらは女子小学生ですけど。
ジャンプ競技で女子といえば、なんといっても高梨選手でしょう。大会で次々と優勝し、今度のオリンピックでも金メダルを期待されています。そのことはいまさら私がどうこう言わなくてもいいことでしょう。そのことはもちろん私も認めます。
ただ、積極的に応援する気にはなれないんですよね。だって、別に金メダルが取れそうだとかそうじゃないとか、そういうのにはあまり興味がないから。そういうのが狙えるような実力があることは認めますし、それ自体はスゴいと思いますが、それだけ。それ以上は興味も関心もありません。
特にメダルが狙えるとか、目覚しい活躍をしているとか、そういうわけではないけれど、応援したくなる人がいる。応援することで私自身も色々なことを頑張れる。そういう選手がいるんです。高梨選手以外に。このスキージャンプという競技に取り組む女子選手で。
過去に2度、岩手出身のスキージャンプ女子選手である「小林諭果」選手について、取り上げたことがあります。1回目は2011年9月の記事。2回目は翌2012年の3月。
それ以来ずっと記事には書いていませんでしたが、早稲田大学に入学し、スキー部の部員として頑張っているということは知っていました。いわくスキー部で唯一の女子ジャンプ選手だということです。
先日行われたワールドカップでは、残念ながら2回目を飛ぶことができず、順位的には35位に終わりましたが、いいじゃないですか。小説『レガッタ!』を読んで以来、やはりアスリートは全力を尽くして競技に取り組むことが一番ですよ。詳しいことはわかりませんが、とにかくあの頃からずっとジャンプ競技に取り組んでいることがわかって、私も勇気付けられました。
そして早稲田大学スキー部のオフィシャルサイトでは、その小林選手が飛翔している写真を見ることができました。美しいフォームです。私も勇気100倍です。この勢いで昨年のクリスマスに買った『向かい風で飛べ!』という小説を一気に読もうと思います。・・・・あ、これもスキージャンプ競技に挑戦する女子の物語です。こちらは女子小学生ですけど。
ちょっと感傷的な記事を書きます。
昔、筋肉少女帯が大好きでした。運動も勉強も不得意で、努力も嫌いで、行き場のないオタクなコゾーだった十代前半の頃に強く惹かれ、好きと言うか、もはや人生の指針のようになっていました。オーケンこと大槻ケンヂさんのエッセーもほぼ全部読んでましたし。
今はそれほどでもありません。一時期、活動休止していた筋肉少女帯が復帰したり、ももクロに楽曲を提供したり、『ヌイグルマー』が映画化されたりと、そういった動きはなんとなく見ていましたが、もう自分のものではないと思っていました。
社会人になりたての頃、そうやって温めてきた理念がまったく通用しなくて、完全に打ちのめされてしまったからです。そしてそこから這い上がる過程で、どうしても反社会的(?)な歌詞が合わなかったからです。アノ頃自分が否定していたような人間になることが正しいと思ったし、それでいいと思ったところもあったのです。
今でもそれが間違っていたとは思いません。そうやってきたから、何とか10年間、社会人をやってこられたのだし。
でも、自分のものではないけれど、完全に捨て去ることもできずに、ずっと持っていました。十代の頃はそれがすべてだったし、それがあったから生きてこられたというのが事実ですから。
当時はソロアルバムというものがよく理解できませんでした。何でわざわざ個人名でCDを出すの? とかって。
初めて聴いたのは桑田圭祐『孤独の太陽』で、次に聞いたのは濱田マリの『フツーの人』。そしてその次に聴いたのが大槻ケンヂ『I STAND HERE FOR YOU』でした。
なんか、すごくメッセージ色が強いというか、穏やかなアルバムです。1曲目からピアノの伴奏に乗せてオーケンさんが語りかけるようなトラックが入っていて、ちょっと戸惑ってしまったのです(『レティクル座妄想』から入ったタチなので)。そういうこともあって、あまり好きなほうではなかったのですが、今朝ふとそのキーワードを思い出しました。
I stand here for you.
I'm standing here for you.
……ダンシャリとかって言葉がありますけど、こと心の部分に関しては、無駄が多いほうがいいようです。『いつか役に立つかもしれない』と思って、とりあえず持っていれば、こんな風に思いがけず役に立つこともあるのですから。なんかこれ、内田樹先生の本でも読んだんですけど、やはりそういうもののようです。
昔、筋肉少女帯が大好きでした。運動も勉強も不得意で、努力も嫌いで、行き場のないオタクなコゾーだった十代前半の頃に強く惹かれ、好きと言うか、もはや人生の指針のようになっていました。オーケンこと大槻ケンヂさんのエッセーもほぼ全部読んでましたし。
今はそれほどでもありません。一時期、活動休止していた筋肉少女帯が復帰したり、ももクロに楽曲を提供したり、『ヌイグルマー』が映画化されたりと、そういった動きはなんとなく見ていましたが、もう自分のものではないと思っていました。
社会人になりたての頃、そうやって温めてきた理念がまったく通用しなくて、完全に打ちのめされてしまったからです。そしてそこから這い上がる過程で、どうしても反社会的(?)な歌詞が合わなかったからです。アノ頃自分が否定していたような人間になることが正しいと思ったし、それでいいと思ったところもあったのです。
今でもそれが間違っていたとは思いません。そうやってきたから、何とか10年間、社会人をやってこられたのだし。
でも、自分のものではないけれど、完全に捨て去ることもできずに、ずっと持っていました。十代の頃はそれがすべてだったし、それがあったから生きてこられたというのが事実ですから。
当時はソロアルバムというものがよく理解できませんでした。何でわざわざ個人名でCDを出すの? とかって。
初めて聴いたのは桑田圭祐『孤独の太陽』で、次に聞いたのは濱田マリの『フツーの人』。そしてその次に聴いたのが大槻ケンヂ『I STAND HERE FOR YOU』でした。
なんか、すごくメッセージ色が強いというか、穏やかなアルバムです。1曲目からピアノの伴奏に乗せてオーケンさんが語りかけるようなトラックが入っていて、ちょっと戸惑ってしまったのです(『レティクル座妄想』から入ったタチなので)。そういうこともあって、あまり好きなほうではなかったのですが、今朝ふとそのキーワードを思い出しました。
I stand here for you.
I'm standing here for you.
……ダンシャリとかって言葉がありますけど、こと心の部分に関しては、無駄が多いほうがいいようです。『いつか役に立つかもしれない』と思って、とりあえず持っていれば、こんな風に思いがけず役に立つこともあるのですから。なんかこれ、内田樹先生の本でも読んだんですけど、やはりそういうもののようです。
あまり詳しくは書きませんが、結構、厳しい状況です。
山積みになった自分の仕事に関しては、まあ頑張り次第でどうにでもなります。頑張りが足りなければ、さらに上乗せして頑張ればいいんですから。そしてその頑張りの上限にぶつかったら、せめてそのレベルをずっと維持できればいいんですから。「やれるだけやる」それで十分でしょう。
一方、どうも周りの人と仕事に対するスタンスがズレて来たなと思うことがしばしばあります。今、私がいるフロアでは日々新しい施策が打ち出され、そのあたりの意識あわせがうまくいかずに衝突することがよくあるんですね。
そんな時、自分の権利や意志を主張する。それはきっと正しいことだと思います。相手が誰だろうと、自分の意志を押し通そうとする。それがすごくいいことなんだろうとは思います。
でも、私はそうしない。そうしたくない。そう思うのです。
今の状況の中で最善を尽くす。求められたら、持てる力をすべて尽くし、それに答える。それが私の『意志』ですから。
そんな考えをしているのは私ひとりです。周りからは「言われたことだけをやる人間」「何も考えていない」と言われます。
そんな言葉には「ああ、そうですね」「これじゃいけませんよね」と返事をしますが、内心ではよりいっそう『そういう人間になってやろう』と考えてしまいます。どこまでもオーダーを受けて、それに応えていく生き方。ただし、何も考えずに受けるのではなく、やってやろうという意志を持ってやること。
要するに「職人的」になりたいのです。そういう生き方をしたいのです。
今までやってきたこと、読んできたこと。色々と心の支えになっているものはたくさんありますが、それを改めてここで開陳するつもりはありません。自分の言葉じゃないから、どうも上滑りしそうな気がするためです。
正直、ちょっと弱気になるところもあります。このまましぼんでしまうんじゃないかという思いもあります。そのことも隠しません。だから、これから先はどうなるかわかりません。
一応、書けるうちに書いておきます。
山積みになった自分の仕事に関しては、まあ頑張り次第でどうにでもなります。頑張りが足りなければ、さらに上乗せして頑張ればいいんですから。そしてその頑張りの上限にぶつかったら、せめてそのレベルをずっと維持できればいいんですから。「やれるだけやる」それで十分でしょう。
一方、どうも周りの人と仕事に対するスタンスがズレて来たなと思うことがしばしばあります。今、私がいるフロアでは日々新しい施策が打ち出され、そのあたりの意識あわせがうまくいかずに衝突することがよくあるんですね。
そんな時、自分の権利や意志を主張する。それはきっと正しいことだと思います。相手が誰だろうと、自分の意志を押し通そうとする。それがすごくいいことなんだろうとは思います。
でも、私はそうしない。そうしたくない。そう思うのです。
今の状況の中で最善を尽くす。求められたら、持てる力をすべて尽くし、それに答える。それが私の『意志』ですから。
そんな考えをしているのは私ひとりです。周りからは「言われたことだけをやる人間」「何も考えていない」と言われます。
そんな言葉には「ああ、そうですね」「これじゃいけませんよね」と返事をしますが、内心ではよりいっそう『そういう人間になってやろう』と考えてしまいます。どこまでもオーダーを受けて、それに応えていく生き方。ただし、何も考えずに受けるのではなく、やってやろうという意志を持ってやること。
要するに「職人的」になりたいのです。そういう生き方をしたいのです。
今までやってきたこと、読んできたこと。色々と心の支えになっているものはたくさんありますが、それを改めてここで開陳するつもりはありません。自分の言葉じゃないから、どうも上滑りしそうな気がするためです。
正直、ちょっと弱気になるところもあります。このまましぼんでしまうんじゃないかという思いもあります。そのことも隠しません。だから、これから先はどうなるかわかりません。
一応、書けるうちに書いておきます。
さかのぼると感情的には、やはり中学生の頃になるのかな。犬神です。
……久々に、唐突極まりない書き出しで記事を書き始めてみましたが、どういうことなのかというと、音楽の話です。
本当の原点はといえば、小学生のころに同じ部屋で過ごしていた兄者がよく聴いていたサザンでユーミンでビートルズなんですが、私が自分で好きな音楽というものを模索し始めたのが中学生の頃なんです。といっても、一番強く心惹かれたのは、やはり兄者が聞いていたモダンチョキチョキズであり筋肉少女帯であり人間椅子だったのですが。
ただ、それでも自分自身で当時出始めの相川七瀬とか川本真琴とか、そういった人たちのCDも買いました。そして近所のCD店で借りてきてカセットテープにダビングし(時代を感じますね)、繰り返し繰り返し聞いていたのが坂本龍一『グルッポ・ムジカーレII』でした。
今でも大好きなアルバムです。例の『メリークリスマス・ミスターローレンス』が聴きたくて借りたCDでしたが、それ以外にも素敵な曲がたくさん入っています。
でも、その大好きな理由を奥深く探っていくと、結局のところ中学生の頃の感情がよみがえってくるからなんだろう、と思うのです。いわゆる思春期と呼ばれる時代。楽しいことも恥ずかしいこともいっぱいありました。
それを中2病とかいう言葉でごまかさず、冷静に見つめなおすと、案外面白いのですね。年齢を重ねて、考えすぎるようになったせいで忘れていたものがあることに気づくから。
「経験を重ねるとモノはわかる…
だが余計なコトもわかっていく
モノゴトが直感で判断できなくなっていくんだ」
そんな言葉もあるようです。ただし、これはそういう言葉を聞いたから思ったのではなく、自分が体験的に温めていたことが湾岸ミッドナイトの中でも語られていた。そういうことです。
ま、そんな感じで、このところは色々と難しく考えることが多い日々を過ごしています。会社には『仲間』はいませんし、今の職場では「そういうの、いらないかな」と思っています。その代わり、自分を磨き、高めていくよう努力して行きたいと思います。
……久々に、唐突極まりない書き出しで記事を書き始めてみましたが、どういうことなのかというと、音楽の話です。
本当の原点はといえば、小学生のころに同じ部屋で過ごしていた兄者がよく聴いていたサザンでユーミンでビートルズなんですが、私が自分で好きな音楽というものを模索し始めたのが中学生の頃なんです。といっても、一番強く心惹かれたのは、やはり兄者が聞いていたモダンチョキチョキズであり筋肉少女帯であり人間椅子だったのですが。
ただ、それでも自分自身で当時出始めの相川七瀬とか川本真琴とか、そういった人たちのCDも買いました。そして近所のCD店で借りてきてカセットテープにダビングし(時代を感じますね)、繰り返し繰り返し聞いていたのが坂本龍一『グルッポ・ムジカーレII』でした。
今でも大好きなアルバムです。例の『メリークリスマス・ミスターローレンス』が聴きたくて借りたCDでしたが、それ以外にも素敵な曲がたくさん入っています。
でも、その大好きな理由を奥深く探っていくと、結局のところ中学生の頃の感情がよみがえってくるからなんだろう、と思うのです。いわゆる思春期と呼ばれる時代。楽しいことも恥ずかしいこともいっぱいありました。
それを中2病とかいう言葉でごまかさず、冷静に見つめなおすと、案外面白いのですね。年齢を重ねて、考えすぎるようになったせいで忘れていたものがあることに気づくから。
「経験を重ねるとモノはわかる…
だが余計なコトもわかっていく
モノゴトが直感で判断できなくなっていくんだ」
そんな言葉もあるようです。ただし、これはそういう言葉を聞いたから思ったのではなく、自分が体験的に温めていたことが湾岸ミッドナイトの中でも語られていた。そういうことです。
ま、そんな感じで、このところは色々と難しく考えることが多い日々を過ごしています。会社には『仲間』はいませんし、今の職場では「そういうの、いらないかな」と思っています。その代わり、自分を磨き、高めていくよう努力して行きたいと思います。
昨日の話題に関連して。
今はブラウザの「ブックマーク」というのをほとんど利用していないのですが、かつてはちょっとでも気になる、気に入るとすぐにお気に入り登録をしておりました。
そして、当時の私はそのブックマークをエクスポートして保存していたみたいです。今日、外付けハードディスクの中を探していたら、そんなものが出てきました。2006年に作成しているようですから、ちょうど私がホームページからブログへ移り変わるあたりでしょうか。
ゲーム系、ラジコン系、自動車系、それから音楽とかコンピュータとかミリタリーとか……ちょっと大っぴらには書けないようなジャンルのものとか。細かくフォルダ分けをして、整理されていました。
もう何年もクリックしていないブックマーク。そのサイトが残っているのかどうか? かなりドキドキします。
とりあえず、ラジコン系のフォルダ内にあるリンクを片っ端から確認してみました。そうすると残っていたのはRCTさんとRC Maniaxさん、それから兎の工作室さんとTAMIYA RC MUSEUM(タミヤラジコン博物館)さんですね。あとは、TIME TUNNELさんは管理人が変わって運営中みたいですね。
これはラジコン系サイトに限ったことではありませんが、やはりinfoseekがホームページ運営を終了したことが大きいような気がします。もしかしたらその時に別なURLに移行したのかもしれませんが、何年も更新がないまま放っとかれて、その時にいっきに整理された……そんなところでしょうか。まあ私も同じような理由でHPを引越ししていますが。
そんなわけで、今はもう存在しないサイトも多数存在しますが、かつてそういうサイトがあったこと、またそういうサイトをお気に入りとして登録していたことがわかるだけでも、なんかうれしいです。自分のルーツの手がかりが見つかったような気がして。
私のホームページも、ドメインは少々変わりましたが、最後の「nekotora」という部分は2000年に開設した時からずっと変わりありません。当時のWebサイトのタイトル「猫と少女のトランス」にちなんでつけたアドレスなので、今のホームページにはそぐわないような気もしますが、これもルーツですから。
今はブラウザの「ブックマーク」というのをほとんど利用していないのですが、かつてはちょっとでも気になる、気に入るとすぐにお気に入り登録をしておりました。
そして、当時の私はそのブックマークをエクスポートして保存していたみたいです。今日、外付けハードディスクの中を探していたら、そんなものが出てきました。2006年に作成しているようですから、ちょうど私がホームページからブログへ移り変わるあたりでしょうか。
ゲーム系、ラジコン系、自動車系、それから音楽とかコンピュータとかミリタリーとか……ちょっと大っぴらには書けないようなジャンルのものとか。細かくフォルダ分けをして、整理されていました。
もう何年もクリックしていないブックマーク。そのサイトが残っているのかどうか? かなりドキドキします。
とりあえず、ラジコン系のフォルダ内にあるリンクを片っ端から確認してみました。そうすると残っていたのはRCTさんとRC Maniaxさん、それから兎の工作室さんとTAMIYA RC MUSEUM(タミヤラジコン博物館)さんですね。あとは、TIME TUNNELさんは管理人が変わって運営中みたいですね。
これはラジコン系サイトに限ったことではありませんが、やはりinfoseekがホームページ運営を終了したことが大きいような気がします。もしかしたらその時に別なURLに移行したのかもしれませんが、何年も更新がないまま放っとかれて、その時にいっきに整理された……そんなところでしょうか。まあ私も同じような理由でHPを引越ししていますが。
そんなわけで、今はもう存在しないサイトも多数存在しますが、かつてそういうサイトがあったこと、またそういうサイトをお気に入りとして登録していたことがわかるだけでも、なんかうれしいです。自分のルーツの手がかりが見つかったような気がして。
私のホームページも、ドメインは少々変わりましたが、最後の「nekotora」という部分は2000年に開設した時からずっと変わりありません。当時のWebサイトのタイトル「猫と少女のトランス」にちなんでつけたアドレスなので、今のホームページにはそぐわないような気もしますが、これもルーツですから。
私がラジコンの世界に引き戻されたのは、過去の日記を振り返ると、2006年3月頃だったようです。
あの頃はそれまでイメージしかなかったラジコンの知識が、ネット上で色々と書いている人の記事を見て急速に深まった時期でもありました。ドッグファイター(ヨコモ)とか、アソシエイテッドとか。
あれからもうすぐ8年が経とうとしています。
あの頃、私に色々なことを教えてくれた先輩たちのホームページは、今はあまり残っていないようです。TIME TUNNELさんは運営者が変わって新しい形で更新中ですし、RCTさんも一応15周年のご挨拶などが出ていたから、まだそちらは現役なんでしょうけど、やっぱりさびしいです。ジャカジャカダンパーという言葉を検索しても、もう出てきません。すべては幻のようなただの錯覚だったのか・・・・。
インターネット上での主流がブログになり、そこからさらにSNSや動画サイトになったとしても、私はやはりホームページにこだわりたいと思います。そして、手持ちの材料は少ないですが、2014年は私が持っているラジコンの知識を記事としてあげていきたいと考えています。コロタン文庫のこととかね。
そして、ただ懐かしいとか、そういうところから抜け出して……きちんと自分で納得することができる領域までもって行きたいと思います。
やっと手に入れた、彼女(※)とともに。
※ 「「まあ、車はメスが多いな。(中略)金のかかるわがまま娘ばかりだ」」 by北原所長 こち亀29巻「五式物語」 を参照のこと。
あの頃はそれまでイメージしかなかったラジコンの知識が、ネット上で色々と書いている人の記事を見て急速に深まった時期でもありました。ドッグファイター(ヨコモ)とか、アソシエイテッドとか。
あれからもうすぐ8年が経とうとしています。
あの頃、私に色々なことを教えてくれた先輩たちのホームページは、今はあまり残っていないようです。TIME TUNNELさんは運営者が変わって新しい形で更新中ですし、RCTさんも一応15周年のご挨拶などが出ていたから、まだそちらは現役なんでしょうけど、やっぱりさびしいです。ジャカジャカダンパーという言葉を検索しても、もう出てきません。すべては幻のようなただの錯覚だったのか・・・・。
インターネット上での主流がブログになり、そこからさらにSNSや動画サイトになったとしても、私はやはりホームページにこだわりたいと思います。そして、手持ちの材料は少ないですが、2014年は私が持っているラジコンの知識を記事としてあげていきたいと考えています。コロタン文庫のこととかね。
そして、ただ懐かしいとか、そういうところから抜け出して……きちんと自分で納得することができる領域までもって行きたいと思います。
やっと手に入れた、彼女(※)とともに。
※ 「「まあ、車はメスが多いな。(中略)金のかかるわがまま娘ばかりだ」」 by北原所長 こち亀29巻「五式物語」 を参照のこと。
いやV35じゃなくてポルシェなんですけどね。しかもタムテックギアの。
今日は会社が休みなので、病院に行ったりコートを買ったりして、落ち着いたらいよいよ買いに行こうと思います。
それにあたり、今回は私のルーツともいえる本を引っ張り出してきました。……いや、もうボロボロのバラバラで本とはいえないような状態になってるんですけどね。
左は昭和60年7月現在の『最新』ラジコン全百科。昭和なジャリボーイ(と、もしかしたらガールも)ならおなじみコロタン文庫の中の一冊です。タミヤならホットショットやポルシェ956、京商はターボスコーピオンとかプラズマ3P(MKII)といった時代です。あとはヒロボーの『ゼルダ』ね。4独4駆ベルトドライブ。
この本のすごいところは、ラジコンの操縦やメカニズムに関する基礎的なことが私のような機械オンチの小学生だった私にもわかりやすく解説されていることです。そのため実際にその知識が生きるのは90年代後半に廃業寸前の模型店の安売りで買った『ソニックファイター』を手に入れる時まで10年以上の時間を要するのですが、本当に素晴らしい本です。
……まあ、メカに関しては、スピードコントローラーが巻線抵抗式から3段変速スイッチに移り変わりつつある時代に書かれた本なので、現代では役に立たないものもあります。こないだ模型店の店員さんとタムギア購入後のことを相談したら、完全に浦島太郎状態でした。スピコンはアンプ方式しかないの? とか、2.4GHzって何? とかって。
右のものは、表紙にもあるとおり89年版のカタログです。カタログなので詳しいメカの解説などはありませんが、写真とかスペックとか短い解説文とかが各車ごとについているので、当時の雰囲気は十分に感じられます。しかも車だけではなく飛行機やヘリやボートの記事もあります。こちらではあの『アバンテ』が最強マシンとして紹介されております。一方の京商は『ターボオプティマミッドスペシャル』と妙に長い名前のキットが同じようなポジション(価格帯とか)として紹介されています。
本の後ろのほうにはパーツが紹介されています。純正だけでなくサードパーティ(フェニックス・インコーポレーション)のものも掲載されています。特に目を引くのはアルミ削り出しの「クリエイトホイール」。4本一組7800円、量産が不可能なため、完全受注生産……だったそうです。あと、ゴールデンリミテッドオイルダンパーという大仰な名前のダンパーがありますが、こちらはセットで1980円。意外とリーズナブルです。
当時、買うことも組むこともできなかった犬神はカタログを何度も眺めては「アバンテもいいけど、やはりサンダードラゴンだな」 「モーターはダイナテック01Rしかないだろう」 「バッテリーはレーシングパックEXにしよう」とかって、何度も頭の中で想像するばかりでした。なお、この頃はミニ四駆に大ハマリしていたので、タミヤ以外のモデルにはほとんど興味がありませんでした。
あの頃憧れていたキットとは少し違いますが、タミヤのラジコンであることには変わりありません。29年分の思いを込めて、今日にも買ってこようと思います。
このところポルシェの話が続いているので、それに関連した話をします。あまり難しく考えてはいません。サラッとね。
どうしてこんなにポルシェに惹かれるのかといえば、初めて組んだプラモデルがポルシェだったからだと思います。ただし911とか934とか935ではなく、なぜか928でした。それの、ぜんまいで動くやつ。今で言うミニッツレーサーくらいの大きさで、当時の価格で100円くらいじゃなかったかな。
箱には真っ赤に塗られたポルシェがあったのですが、箱を開けてみれば成型色の白でした。仕方がないのでラッカースプレーでボディを真っ赤に塗り、それから組みました。何せ小学校低学年くらいの時代ですから、もちろん、ボディ以外はすべて素組みです。
もう、とにかく愛着はありました。走らせて楽しみ、眺めて楽しみ、それをスケッチブックに書き写して楽しみ。本当に思い出深いキットでした。
その後はミニ四駆ブームに乗って発売された、なぜかピンスパイクタイヤをはいた4WD仕様のポルシェ928のキットを買ったり、ケーニッヒチューンの928をモデルにした1/24のキットを組んだり。それ以外にも色々と組みましたが、やはりポルシェは特別な存在です。
この流れでいけば、やはり1/12サイズの『タミヤのポルシェ』を組むしかないでしょう。ただしディスプレイ用のビッグスケールシリーズは、さほどプラモを組みなれていない私にとってはあまりにも手に余る難易度ですし、どちらかというとラジコンのほうが楽しそうなので……例のフルキットを買おうと考えつつ、盛岡市内の中古雑貨店に、まかりまちがって組み立てキット(しかも未組み立て)があったりしないかなあ、と悪あがきする予定の今日この頃です。
どうしてこんなにポルシェに惹かれるのかといえば、初めて組んだプラモデルがポルシェだったからだと思います。ただし911とか934とか935ではなく、なぜか928でした。それの、ぜんまいで動くやつ。今で言うミニッツレーサーくらいの大きさで、当時の価格で100円くらいじゃなかったかな。
箱には真っ赤に塗られたポルシェがあったのですが、箱を開けてみれば成型色の白でした。仕方がないのでラッカースプレーでボディを真っ赤に塗り、それから組みました。何せ小学校低学年くらいの時代ですから、もちろん、ボディ以外はすべて素組みです。
もう、とにかく愛着はありました。走らせて楽しみ、眺めて楽しみ、それをスケッチブックに書き写して楽しみ。本当に思い出深いキットでした。
その後はミニ四駆ブームに乗って発売された、なぜかピンスパイクタイヤをはいた4WD仕様のポルシェ928のキットを買ったり、ケーニッヒチューンの928をモデルにした1/24のキットを組んだり。それ以外にも色々と組みましたが、やはりポルシェは特別な存在です。
この流れでいけば、やはり1/12サイズの『タミヤのポルシェ』を組むしかないでしょう。ただしディスプレイ用のビッグスケールシリーズは、さほどプラモを組みなれていない私にとってはあまりにも手に余る難易度ですし、どちらかというとラジコンのほうが楽しそうなので……例のフルキットを買おうと考えつつ、盛岡市内の中古雑貨店に、まかりまちがって組み立てキット(しかも未組み立て)があったりしないかなあ、と悪あがきする予定の今日この頃です。
先日「ミニッツ買います」といっていたところですが、ここに来てちょっと状況が変わってきました。
盛岡市内の模型店をいくつか回ってみたものの、なかなかJKB86のレディセットが見つからないんです。……そうなると通販か、そうでなければ北上まで1時間半くらいかけて買いに行かなきゃいけません。それはちょっと大変です。
そして、それならというわけではありませんが、かれこれ3年ほど前から盛岡市内の模型店の委託販売コーナーに並んでいるタムテックギア版のポルシェ934を買おうかな、という気持ちになりつつあります。
ラジコンに関するルーツをたどれば、そこにはいつもタミヤのRCがありました。さすがにリアルタイムでポルシェ934を見ていた世代ではありませんが、オフロードバギーよりもオンロードの、それも古いラジコンに憧れがありました。
そこにやってきたタミヤの再販ラッシュ。本当はIIの方が好きなんだけどな……といいつつも『グラスホッパー』を購入。プロポとあわせて2万円前後のコストがかかりました。そのあとはずっとあこがれていた『ホーネット』も無理して購入。ああ受信機を買わなくちゃと思っているうちに、ポルシェ934がタムテックギアで復刻。ちょっと待ってよ、と。さすがに予算のほうが追いつかず、そのままポンと7年以上の時が経ってしまいました。
委託販売コーナーにあるポルシェ934は、私の知らない誰かが組んだ完成モデルです。オリジナルのカラーリングが施され、プロポやバッテリーがすべてセットになったものです。そして説明書きによれば様々なオプションパーツが組み込まれたチューンド仕様らしいです。それでいて値段は新品のフルセットよりも割安なので、コストパフォーマンス的には申し分ないのですが、なかなか踏ん切りがつかず、初めて見てからもう3年ほど経ってしまいました。
できれば、自分で組みたい――いま組み立てキットなんて、新品で手にはいりませんよ。
今度見かけたら買おう――いったい、何回見かけてるんですか。
ドライバー人形がない――カスタマーサービスに部品発注すればいいでしょ。
目をそらす言い訳をいくつも考え、それを打ち消していく。そんなことを考えているうちに、気持ちが傾いてきたのです。
ミニッツのJKB86は2014年1月現在でも最新のシャーシですし、チューニングも思いのままでしょう。常に進化し続けている印象です。一方でタムテックギアのポルシェ934は、2006年当時のシャーシのまま進歩がないように見受けられます。ちょっと古くさい印象です。
……でも、好きだった時間が違うんですよね。好きになってから3日ほどしか経っていないJKB86に対し、何年も温め続けてきた気持ち。そのことを考えれば、答えは……。
盛岡市内の模型店をいくつか回ってみたものの、なかなかJKB86のレディセットが見つからないんです。……そうなると通販か、そうでなければ北上まで1時間半くらいかけて買いに行かなきゃいけません。それはちょっと大変です。
そして、それならというわけではありませんが、かれこれ3年ほど前から盛岡市内の模型店の委託販売コーナーに並んでいるタムテックギア版のポルシェ934を買おうかな、という気持ちになりつつあります。
ラジコンに関するルーツをたどれば、そこにはいつもタミヤのRCがありました。さすがにリアルタイムでポルシェ934を見ていた世代ではありませんが、オフロードバギーよりもオンロードの、それも古いラジコンに憧れがありました。
そこにやってきたタミヤの再販ラッシュ。本当はIIの方が好きなんだけどな……といいつつも『グラスホッパー』を購入。プロポとあわせて2万円前後のコストがかかりました。そのあとはずっとあこがれていた『ホーネット』も無理して購入。ああ受信機を買わなくちゃと思っているうちに、ポルシェ934がタムテックギアで復刻。ちょっと待ってよ、と。さすがに予算のほうが追いつかず、そのままポンと7年以上の時が経ってしまいました。
委託販売コーナーにあるポルシェ934は、私の知らない誰かが組んだ完成モデルです。オリジナルのカラーリングが施され、プロポやバッテリーがすべてセットになったものです。そして説明書きによれば様々なオプションパーツが組み込まれたチューンド仕様らしいです。それでいて値段は新品のフルセットよりも割安なので、コストパフォーマンス的には申し分ないのですが、なかなか踏ん切りがつかず、初めて見てからもう3年ほど経ってしまいました。
できれば、自分で組みたい――いま組み立てキットなんて、新品で手にはいりませんよ。
今度見かけたら買おう――いったい、何回見かけてるんですか。
ドライバー人形がない――カスタマーサービスに部品発注すればいいでしょ。
目をそらす言い訳をいくつも考え、それを打ち消していく。そんなことを考えているうちに、気持ちが傾いてきたのです。
ミニッツのJKB86は2014年1月現在でも最新のシャーシですし、チューニングも思いのままでしょう。常に進化し続けている印象です。一方でタムテックギアのポルシェ934は、2006年当時のシャーシのまま進歩がないように見受けられます。ちょっと古くさい印象です。
……でも、好きだった時間が違うんですよね。好きになってから3日ほどしか経っていないJKB86に対し、何年も温め続けてきた気持ち。そのことを考えれば、答えは……。
も・・もう一度
もう一度RCやっちゃダメか・・?
あの金使っちゃダメか・・?
本当にこれで最後だから・・
・・2月に車検があるのヨ・・洸一・・
昨日、とあるおもちゃ屋さんで『ミニッツレーサー』というラジコンを見ました。
いやミニッツレーサーというものがあることは知っていたんですけどね。ダイキャストのミニカーのような精密デザインの車が入った箱があり、よく見るとそれがラジコンで操縦できるらしい、と。その中には20年以上前に私があこがれつつ手に入れることができなかったロスマンズカラーの『ポルシェ962C』もありました(962Cなのでタムテックです)。
コンセプトも、タムテックと同じですよね。小型ラジコン。今は『タムテックギア』として、私のようなオールドタイプをガンガン取り込む戦略を打っているようですが、それを京商がやった、と。
高級メカにこだわりすぎて実戦では使い物にならないと玄人筋から評価されているタミヤ製品に対し、まじめで実践的なメカを製作する会社として評判のある京商。もっと実戦志向な横掘模型なんていうのもありますが、それはさておいて、どうやらこのミニッツって言うのも随分と奥が深いみたいですね。サイズが小さいだけで、チューニングパーツもたくさんあるし、スケールスピードではなく実際的な速度として50キロ以上も出るとか出ないとか。……スゴイ。
別な模型店で『ミニッツ福袋』が5000円で売り出されているのを見て、急速に興味がわきました。もしも5000円でミニッツが始められるのなら……と思い、真剣に箱を手にとって調べてみたのです。
そのお店では、さすがに5000円というわけには行きませんでしたが、それでも送信機セットで13000円台というプライスタグがつけられていました。これを高いというか安いというかはそれぞれだと思いますが、フルセットなら2万円くらいするだろうと思っていただけに(福袋は例外として)、これだったら、通常価格で買ってもいいかなと思ったのです。
そのフルセットの中には……おお、91年にル・マンで総合優勝したマツダ787Bがあるじゃないですか。心情的にはやはりポルシェ962Cですが、タムテックのかたきをミニッツでとるというのもなんだし、やっぱり日本車がいいかなという思いもあるので、これはいいかもしれません。
それから……と別な場所に目をやると、なんだかピンク色のド派手なスポーツカーが。名前は『JKB86』……要するにトヨタ・86のレース仕様で、京商50周年モデルのようですが、ボディには女の子のイラストがあります。おいおい、こりゃ~当節流行のアレかい? と思ったのですが、どうも違う感じがしました。
箱を手にとって詳細に眺めるうちに、理解しました。JKB……秋葉原でもジャカルタでもありません。そう、『女子カート部』です。
公式サイト
いやでも目に付き印象に残る、ピンクを基調としたド派手なカラーリングで、ずっと頭の中に残っていました。モデルやってますどう綺麗でしょ? といった雰囲気は好きではないのですが、レーサーとしての経験・実績は私よりもずっと上だから、そこは認めたいし、応援もしたい……と、どうしたらいいのか結論が出ていないところですが……な、なんと、こんなモデルが出ていたんですね。しかもこれ、ただのオリジナルRCではなく、実車で塚本代表がワンメイクレースに参戦している、ということで(これは帰ってきてからネットで調べて知った)。
なお、5000円の『ミニッツ福袋』は、よく見るとチョロQのセットが入っているものでした。実際に買って開けてみたわけではなく、プライスタグのところについている内容説明文をよく見たらそう書いていました。ギャフン。
そんなこんなで、いまだにこの「JKB86」を買おうかどうしようか、悩んでいるところです。
まあ、7:3くらいで『買う』側が優勢です。とりあえずシステム的にも最新みたいですし、この車のシャーシは、ほかのシャーシを利用しているモデルのボディも乗せられる万能型みたいなんですね。多少アタッチメントを取り付ける必要はあるみたいですが、そのくらいで済むならOKOKですよ。ポルシェ934のホワイトボディも何とか手に入れるめどをつけたし。
そうなると、すぐに934にのせかえてしまうのかという話なんですが、そう簡単にはいきません。86なんて好きじゃないんだとか、女子カート部っていうのがねとか、色々と理屈はありますが、
……こういうことになっちゃうのかなあ。
※ 漫画とかのセリフの改変はあまり好きではないのですが、湾岸ミッドナイトだけは、どうしてもやってしまいます。これはもう10年以上読み続けているので、すっかりしみこんでしまったのです。
もう一度RCやっちゃダメか・・?
あの金使っちゃダメか・・?
本当にこれで最後だから・・
・・2月に車検があるのヨ・・洸一・・
昨日、とあるおもちゃ屋さんで『ミニッツレーサー』というラジコンを見ました。
いやミニッツレーサーというものがあることは知っていたんですけどね。ダイキャストのミニカーのような精密デザインの車が入った箱があり、よく見るとそれがラジコンで操縦できるらしい、と。その中には20年以上前に私があこがれつつ手に入れることができなかったロスマンズカラーの『ポルシェ962C』もありました(962Cなのでタムテックです)。
コンセプトも、タムテックと同じですよね。小型ラジコン。今は『タムテックギア』として、私のようなオールドタイプをガンガン取り込む戦略を打っているようですが、それを京商がやった、と。
高級メカにこだわりすぎて実戦では使い物にならないと玄人筋から評価されているタミヤ製品に対し、まじめで実践的なメカを製作する会社として評判のある京商。もっと実戦志向な横掘模型なんていうのもありますが、それはさておいて、どうやらこのミニッツって言うのも随分と奥が深いみたいですね。サイズが小さいだけで、チューニングパーツもたくさんあるし、スケールスピードではなく実際的な速度として50キロ以上も出るとか出ないとか。……スゴイ。
別な模型店で『ミニッツ福袋』が5000円で売り出されているのを見て、急速に興味がわきました。もしも5000円でミニッツが始められるのなら……と思い、真剣に箱を手にとって調べてみたのです。
そのお店では、さすがに5000円というわけには行きませんでしたが、それでも送信機セットで13000円台というプライスタグがつけられていました。これを高いというか安いというかはそれぞれだと思いますが、フルセットなら2万円くらいするだろうと思っていただけに(福袋は例外として)、これだったら、通常価格で買ってもいいかなと思ったのです。
そのフルセットの中には……おお、91年にル・マンで総合優勝したマツダ787Bがあるじゃないですか。心情的にはやはりポルシェ962Cですが、タムテックのかたきをミニッツでとるというのもなんだし、やっぱり日本車がいいかなという思いもあるので、これはいいかもしれません。
それから……と別な場所に目をやると、なんだかピンク色のド派手なスポーツカーが。名前は『JKB86』……要するにトヨタ・86のレース仕様で、京商50周年モデルのようですが、ボディには女の子のイラストがあります。おいおい、こりゃ~当節流行のアレかい? と思ったのですが、どうも違う感じがしました。
箱を手にとって詳細に眺めるうちに、理解しました。JKB……秋葉原でもジャカルタでもありません。そう、『女子カート部』です。
公式サイト
いやでも目に付き印象に残る、ピンクを基調としたド派手なカラーリングで、ずっと頭の中に残っていました。モデルやってますどう綺麗でしょ? といった雰囲気は好きではないのですが、レーサーとしての経験・実績は私よりもずっと上だから、そこは認めたいし、応援もしたい……と、どうしたらいいのか結論が出ていないところですが……な、なんと、こんなモデルが出ていたんですね。しかもこれ、ただのオリジナルRCではなく、実車で塚本代表がワンメイクレースに参戦している、ということで(これは帰ってきてからネットで調べて知った)。
なお、5000円の『ミニッツ福袋』は、よく見るとチョロQのセットが入っているものでした。実際に買って開けてみたわけではなく、プライスタグのところについている内容説明文をよく見たらそう書いていました。ギャフン。
そんなこんなで、いまだにこの「JKB86」を買おうかどうしようか、悩んでいるところです。
まあ、7:3くらいで『買う』側が優勢です。とりあえずシステム的にも最新みたいですし、この車のシャーシは、ほかのシャーシを利用しているモデルのボディも乗せられる万能型みたいなんですね。多少アタッチメントを取り付ける必要はあるみたいですが、そのくらいで済むならOKOKですよ。ポルシェ934のホワイトボディも何とか手に入れるめどをつけたし。
そうなると、すぐに934にのせかえてしまうのかという話なんですが、そう簡単にはいきません。86なんて好きじゃないんだとか、女子カート部っていうのがねとか、色々と理屈はありますが、

……こういうことになっちゃうのかなあ。
※ 漫画とかのセリフの改変はあまり好きではないのですが、湾岸ミッドナイトだけは、どうしてもやってしまいます。これはもう10年以上読み続けているので、すっかりしみこんでしまったのです。
今日は1月2日。たいていのお店が初売りとなる日ですね。
そういうわけで私もずっと前から欲しかったファミリアファミ子用のスノーブレード『スーパーグラファイト』を買いました。3年前に大変な目に遭って以来、スノーブレードの大切さはよく認識していますからね。その割には、去年はノーマルブレードで何とかしのいだのですが。
あとはスポーツ用品店でアシックスのウインドブレーカーを買いました。これもまた初売りで40パーセントOFFだったのです。それでも結構な金額だったので、たまらずクレジット分割払いになってしまったのですが。
そんなわけで、今日は思いっきり大きな買い物をしました。
そういうわけで私もずっと前から欲しかったファミリアファミ子用のスノーブレード『スーパーグラファイト』を買いました。3年前に大変な目に遭って以来、スノーブレードの大切さはよく認識していますからね。その割には、去年はノーマルブレードで何とかしのいだのですが。
あとはスポーツ用品店でアシックスのウインドブレーカーを買いました。これもまた初売りで40パーセントOFFだったのです。それでも結構な金額だったので、たまらずクレジット分割払いになってしまったのですが。
そんなわけで、今日は思いっきり大きな買い物をしました。
平成二十六年。謹んで新春のご挨拶を申し上げます。本年もFLATFEELING別館・南部忍びの雑記帳をよろしくお願いします。
一年の計は元旦にありといいます。『ドラえもん』のぐーたらお正月セットの話を読んだ方なら分かると思いますが、せっかくの元日をなんとな~く過ごしてしまうことほど、もったいないことはありません。なのでこの日をどう過ごすか? というのは、私にとって一年でもっとも真剣に考え、行動する日でした。
そういう意味では、今年は0時0分から思いっきり頑張りました。今日から私の住む「岩手郡滝沢村」が「滝沢市」にランクアップするので、その式典を村役場改め市庁舎前で行ったのです。
その後は同じ滝沢「市」内にある蒼前神社にお参り。ここは「チャグチャグ馬コ」発祥の地であり、今年の干支の馬神様(?)をまつる場所なのです。
さらにそのあとは、年越し特別営業中の日帰り温泉に。再び家に帰ってきた時は午前2時30分でしたが、最高のスタートダッシュを切れたといえます。
……といえればよかったんですが、最初のセレモニーの時は立ち位置が悪くて記念の花火をろくすっぽ見られず、神社にお参りをした時は激烈に混雑して寒い中長時間並び、そして最後の日帰り温泉は情報が間違っていたのか、実際に行ってみたら完全閉店中につき、何もせずにサッサと帰ってくることになりました。ちなみにこの日の天候は大雪で、視界も道路も最悪状態でした。
でも、いいんです。いつだって何かをやろうとすると、困難が降りかかってくるのが私の人生ですから。
そして、そういう時はいつも力ずくで乗り越えようとするのが、私の人生ですから。……本館で書きましたが、若い女の子たちのひたむきさを目の当たりにしたことで、そうすることに決めたのです。その温泉には入れませんでしたが、今日の夕方に別な温泉に入れたし。
このところは「ホップ・ステップ・ジャンプ」の理論に基づき3年でひとつの区切りとなっています。それまではシームレスというか、なんとな~く25年、26年、27年と歳を重ねていたのですが、2008年からその考えを改めました。そして3年目の2010年には、それまでと違って思いっきり交友範囲が広がり、ドキドキなお付き合いも始まりました。
翌2011年はどうか。この年は三十代の始まりであり、震災の年でもありました。そのため「これからの人生を、どう生きるのか」を真剣に考え、後悔することがあっても振り返った時に納得できるような人生を送ろうと決心。いっそうまじめに自己研鑽を重ねました。その結果、何とか過去のすべてのマイナスを帳消しにし、ちゃんと32歳の現在を受け止められるようになりました。
ここから先はマイナスを取り戻すのではなく、プラスを積み上げていく日々です。果たして何をどうしていくのか。色々なことを考えつつ、まあ、それなりにやっていこうと思います。
そんなわけで、今年もよろしくお願いします。
一年の計は元旦にありといいます。『ドラえもん』のぐーたらお正月セットの話を読んだ方なら分かると思いますが、せっかくの元日をなんとな~く過ごしてしまうことほど、もったいないことはありません。なのでこの日をどう過ごすか? というのは、私にとって一年でもっとも真剣に考え、行動する日でした。
そういう意味では、今年は0時0分から思いっきり頑張りました。今日から私の住む「岩手郡滝沢村」が「滝沢市」にランクアップするので、その式典を村役場改め市庁舎前で行ったのです。
その後は同じ滝沢「市」内にある蒼前神社にお参り。ここは「チャグチャグ馬コ」発祥の地であり、今年の干支の馬神様(?)をまつる場所なのです。
さらにそのあとは、年越し特別営業中の日帰り温泉に。再び家に帰ってきた時は午前2時30分でしたが、最高のスタートダッシュを切れたといえます。
……といえればよかったんですが、最初のセレモニーの時は立ち位置が悪くて記念の花火をろくすっぽ見られず、神社にお参りをした時は激烈に混雑して寒い中長時間並び、そして最後の日帰り温泉は情報が間違っていたのか、実際に行ってみたら完全閉店中につき、何もせずにサッサと帰ってくることになりました。ちなみにこの日の天候は大雪で、視界も道路も最悪状態でした。
でも、いいんです。いつだって何かをやろうとすると、困難が降りかかってくるのが私の人生ですから。
そして、そういう時はいつも力ずくで乗り越えようとするのが、私の人生ですから。……本館で書きましたが、若い女の子たちのひたむきさを目の当たりにしたことで、そうすることに決めたのです。その温泉には入れませんでしたが、今日の夕方に別な温泉に入れたし。
このところは「ホップ・ステップ・ジャンプ」の理論に基づき3年でひとつの区切りとなっています。それまではシームレスというか、なんとな~く25年、26年、27年と歳を重ねていたのですが、2008年からその考えを改めました。そして3年目の2010年には、それまでと違って思いっきり交友範囲が広がり、ドキドキなお付き合いも始まりました。
翌2011年はどうか。この年は三十代の始まりであり、震災の年でもありました。そのため「これからの人生を、どう生きるのか」を真剣に考え、後悔することがあっても振り返った時に納得できるような人生を送ろうと決心。いっそうまじめに自己研鑽を重ねました。その結果、何とか過去のすべてのマイナスを帳消しにし、ちゃんと32歳の現在を受け止められるようになりました。
ここから先はマイナスを取り戻すのではなく、プラスを積み上げていく日々です。果たして何をどうしていくのか。色々なことを考えつつ、まあ、それなりにやっていこうと思います。
そんなわけで、今年もよろしくお願いします。
このところ、漫画『湾岸ミッドナイト』をよく読んでいます。元々大好きな漫画だったし、ゲームのほうの『湾岸ミッドナイト』をやっているから、というのもあるのですが・・・そこで読んだ言葉が、最近になって妙に心に響くんです。
人によって「変なオッサンが真夜中にワケわかんないことをぼやいている」と言われたり「名言の宝庫」と言われたり、評価がはっきり分かれる物語であると思いますが、私は後者のほうです。すごくいい言葉ばかりです。まだ20代の頃からたくさんの言葉をもらい、それを胸に生きてきました。
初めてその言葉に触れた時も感動したはずなんですが、最近これを読み返したら、その時の何倍も心に響いた。それは多分、私自身が色々なことを経験して、体験して、実感を伴ったからなのかもしれません。……もちろん真夜中の首都高を時速300キロで走ったとか、そういう意味じゃなくてね(ゲーム上ではそれをやっていますが)。もっと広い意味で、社会人として色々なことを経験したという意味です。
そういう経験を踏まえて思ったことは、
「どんなにいい言葉でも、それをモノにするためには、受け止める側もある程度のレベルが必要」
だということ。どんなにいい言葉でも、心に響かなければ、ただの言葉以上のものにはならないと思うんです。……もちろん、その言葉を大事に取っておけば、いつか真に名言・金言として生きてくると思うので、名言集や名言まとめサイトなんかを活用するのも結構だと思いますが……ただ、今の私にはそういうのは、いらないかな。
いま、私はこのブログを、できるだけ自分の言葉で書こうとしています。
コミックを片手に何かいい言葉を拾って引用したり、あるいはコピペ改変したりして載せれば、それなりに面白い文章が書けるかもしれませんが・・・何となくそういうの、やりたくないんですよね。やっぱり、誰かの言葉を借りてくるだけじゃ、なんか言葉が上滑りして気持ちをうまく表せないから。
正直、すごく難しいです。そのあたりのことを今読んでいるユングの分析心理学では解説しているんですが、これを引用しながら説明することはできません。ただ読むだけでも中身をちゃんと理解できないのに、それを誰かに説明するなんて無理です。
そういう前提で、少し思ったことを書きます。たぶん私が今、意識できる『私』というのは、全体的な『私』の中の、ほんの一部分であり、それしか認識できないからなのかもしれません。それなのに、全体的な『私』を捉えようとしているから、こんなに苦労しているのかもしれません。
これから先も、色々な言葉を書くと思います。でも、それが私のすべてだとは思わないでください。思想がコロコロ変わるんじゃなく、その時に意識できなかった別な私が出てくるだけですから。
どうやら現在読んでいる『分析心理学』を読み終えるのは来年に持ち越しになりそうです。さらにそのあとは『自我と無意識』を読もうと思っています。そのため、来年はもしかしたら、なんか妙ちくりんなブログになってしまうかもしれませんが、そうなったらそうなったでお笑いください。
では皆様、また来年。
人によって「変なオッサンが真夜中にワケわかんないことをぼやいている」と言われたり「名言の宝庫」と言われたり、評価がはっきり分かれる物語であると思いますが、私は後者のほうです。すごくいい言葉ばかりです。まだ20代の頃からたくさんの言葉をもらい、それを胸に生きてきました。
初めてその言葉に触れた時も感動したはずなんですが、最近これを読み返したら、その時の何倍も心に響いた。それは多分、私自身が色々なことを経験して、体験して、実感を伴ったからなのかもしれません。……もちろん真夜中の首都高を時速300キロで走ったとか、そういう意味じゃなくてね(ゲーム上ではそれをやっていますが)。もっと広い意味で、社会人として色々なことを経験したという意味です。
そういう経験を踏まえて思ったことは、
「どんなにいい言葉でも、それをモノにするためには、受け止める側もある程度のレベルが必要」
だということ。どんなにいい言葉でも、心に響かなければ、ただの言葉以上のものにはならないと思うんです。……もちろん、その言葉を大事に取っておけば、いつか真に名言・金言として生きてくると思うので、名言集や名言まとめサイトなんかを活用するのも結構だと思いますが……ただ、今の私にはそういうのは、いらないかな。
いま、私はこのブログを、できるだけ自分の言葉で書こうとしています。
コミックを片手に何かいい言葉を拾って引用したり、あるいはコピペ改変したりして載せれば、それなりに面白い文章が書けるかもしれませんが・・・何となくそういうの、やりたくないんですよね。やっぱり、誰かの言葉を借りてくるだけじゃ、なんか言葉が上滑りして気持ちをうまく表せないから。
正直、すごく難しいです。そのあたりのことを今読んでいるユングの分析心理学では解説しているんですが、これを引用しながら説明することはできません。ただ読むだけでも中身をちゃんと理解できないのに、それを誰かに説明するなんて無理です。
そういう前提で、少し思ったことを書きます。たぶん私が今、意識できる『私』というのは、全体的な『私』の中の、ほんの一部分であり、それしか認識できないからなのかもしれません。それなのに、全体的な『私』を捉えようとしているから、こんなに苦労しているのかもしれません。
これから先も、色々な言葉を書くと思います。でも、それが私のすべてだとは思わないでください。思想がコロコロ変わるんじゃなく、その時に意識できなかった別な私が出てくるだけですから。
どうやら現在読んでいる『分析心理学』を読み終えるのは来年に持ち越しになりそうです。さらにそのあとは『自我と無意識』を読もうと思っています。そのため、来年はもしかしたら、なんか妙ちくりんなブログになってしまうかもしれませんが、そうなったらそうなったでお笑いください。
では皆様、また来年。
……今年のことを振り返って、アレコレ書くのがこの時期の私のブログでしたが、今年は取り立てて書きたいことが思いつきません。
何でなのかなと思ったら、多分、世の中に対して以前ほど興味がなくなったからなのかもしれません。……というと、来年から世捨て人になる人のようなので、ちょっと付け加えます。とてもこのブログだけでまとめられるほどのものではないので、ひとつまみだけ書くと、誰かのせいにするのをやめようと思ったのです。
「○○が悪い」 「○○のせいだ」 「謝罪しろ」 「土下座しろ」 「倍返しだ」……そういうの、私はもういいです。
以前は私も色々なものを批判したり糾弾したりしました。そうすることで自分のアイデンティティを確認していたんだと思います。でも、「そういうオマエはどうなの?」と言われた時、自分があまりにもショボショボであることに気づいたんですよね。だからとにかく本を読み、自己研鑽を重ねているうちに、もう誰が悪いとかという話はどうでもよくなっちゃったんです。
あとは、なんというか、自分が蝦夷と呼ばれた側の人間であることを強く意識するようになったから、というのもあるかもしれません。「日本を守る」とか「日本を取り戻す」とか「日本とはこんな国だ」とか、そういうことを言う人はたくさんいますが、私はそれ以前に岩手の人間であり、南部の人間であり、大きな戦いの時にはいつも反体制側に立たされてきた人間である……ということを意識してしまいます。
ほかはどうあれ、私は私。なんかチャットモンチーの歌みたいですが、本当そんな感じだと思います。
これから先、艦艇を擬人化したアニメキャラがはやろうが極端な保守系思想雑誌の表紙をアニメキャラが飾ろうが、私は何も言いません。極端な論調で語る人からは距離を置きます。世の中がどうなろうと、これからも私は私のいいと思ったものを選択し、生きていきたいと思います。
「正しいコトと自分がソレをセレクトするかは また別だろ」
……『湾岸ミッドナイト』の話は、また後日と言うことで。
何でなのかなと思ったら、多分、世の中に対して以前ほど興味がなくなったからなのかもしれません。……というと、来年から世捨て人になる人のようなので、ちょっと付け加えます。とてもこのブログだけでまとめられるほどのものではないので、ひとつまみだけ書くと、誰かのせいにするのをやめようと思ったのです。
「○○が悪い」 「○○のせいだ」 「謝罪しろ」 「土下座しろ」 「倍返しだ」……そういうの、私はもういいです。
以前は私も色々なものを批判したり糾弾したりしました。そうすることで自分のアイデンティティを確認していたんだと思います。でも、「そういうオマエはどうなの?」と言われた時、自分があまりにもショボショボであることに気づいたんですよね。だからとにかく本を読み、自己研鑽を重ねているうちに、もう誰が悪いとかという話はどうでもよくなっちゃったんです。
あとは、なんというか、自分が蝦夷と呼ばれた側の人間であることを強く意識するようになったから、というのもあるかもしれません。「日本を守る」とか「日本を取り戻す」とか「日本とはこんな国だ」とか、そういうことを言う人はたくさんいますが、私はそれ以前に岩手の人間であり、南部の人間であり、大きな戦いの時にはいつも反体制側に立たされてきた人間である……ということを意識してしまいます。
ほかはどうあれ、私は私。なんかチャットモンチーの歌みたいですが、本当そんな感じだと思います。
これから先、艦艇を擬人化したアニメキャラがはやろうが極端な保守系思想雑誌の表紙をアニメキャラが飾ろうが、私は何も言いません。極端な論調で語る人からは距離を置きます。世の中がどうなろうと、これからも私は私のいいと思ったものを選択し、生きていきたいと思います。
「正しいコトと自分がソレをセレクトするかは また別だろ」
……『湾岸ミッドナイト』の話は、また後日と言うことで。
歴っしゅ歴 ドル美甘子サンあたりから、どうもアイドルの亜流と言うか、「アイドル+何か」というものをウリにする人が多いように思うのですが、こうもたくさんいると、ちょっと辟易してしまいます。
とはいえ、それが岩手の子であれば、応援せざるを得ません。
皆様、「あゆか」という自称アイドルをご存知でしょうか。……自称アイドルって言うと、なんかの容疑者みたいだな。いえ、多分、本当のアイドルです。厳密に言うと農業アイドルです。
私もつい1週間ほど前に知ったばかりなので、あまり詳しいことは知らないのですが、特徴としては話し方にドギツイ訛りがあることでしょうか。……まあ、こないだラジソンで競演した俳優の村上弘明さん(花屋の政)によれば内陸・沿岸の訛りが色々と混ざった訛りだということなので、ナチュラル訛りなのか営業訛りなのかわかりませんが……。
まあ、ナチュラル訛りなのかもしれません。昔と違ってほかの地域にも簡単にいけるし、テレビやラジオでその言葉を聞けば無意識のうちに感染することもあるでしょう。かく言う私も『標準語』を話すよう心がけているものの、時々他地方の方言がポンと出てしまいます。これはそういう方言を使っている人を意識的に真似しているうちに、自分のものとして取り込んでしまったからです。
……うん、いいんじゃないですか、『あゆか』。正直なところ訛りアイドルと言えば佐藤唯(山形弁)という先達がいますが、もっとガンガン売れてくれればうれしいです。犬神も、今日から応援します。あ、今日からじゃないな。昨日から応援しています! なんか変な日本語ですけどね。
とはいえ、それが岩手の子であれば、応援せざるを得ません。
皆様、「あゆか」という自称アイドルをご存知でしょうか。……自称アイドルって言うと、なんかの容疑者みたいだな。いえ、多分、本当のアイドルです。厳密に言うと農業アイドルです。
私もつい1週間ほど前に知ったばかりなので、あまり詳しいことは知らないのですが、特徴としては話し方にドギツイ訛りがあることでしょうか。……まあ、こないだラジソンで競演した俳優の村上弘明さん(花屋の政)によれば内陸・沿岸の訛りが色々と混ざった訛りだということなので、ナチュラル訛りなのか営業訛りなのかわかりませんが……。
まあ、ナチュラル訛りなのかもしれません。昔と違ってほかの地域にも簡単にいけるし、テレビやラジオでその言葉を聞けば無意識のうちに感染することもあるでしょう。かく言う私も『標準語』を話すよう心がけているものの、時々他地方の方言がポンと出てしまいます。これはそういう方言を使っている人を意識的に真似しているうちに、自分のものとして取り込んでしまったからです。
……うん、いいんじゃないですか、『あゆか』。正直なところ訛りアイドルと言えば佐藤唯(山形弁)という先達がいますが、もっとガンガン売れてくれればうれしいです。犬神も、今日から応援します。あ、今日からじゃないな。昨日から応援しています! なんか変な日本語ですけどね。
メリークリスマス。……ちょっと遅くなりましたが、一応ご挨拶をしておきます。
いやはや昨日は大変でした。本来ならば17時で終わりの予定だったんですが、三連休明けの平日ということもあってか、次々と仕事が舞い込み大忙し。「今日はクリスマスだから残業したくありません」と言ってみたものの「欧米か!」と一蹴され、結局めいっぱい残業して帰ってきた次第です。なんて日だ!
本当は毎年恒例のラジオ・チャリティー・ミュージック・ソン――いわゆるラジソンをずっと聞きたかったんですが、ま、こういう時もありますよね。仕方がないです。
このところ投稿するのは読んだ本の感想とか、震災のこととか、色々と難しいこととか、そんなのばかりでした。まあ、私なりに日々考えて生きていたんです。
「人生は楽しい 考えることがたくさんある」
コレは以前にも引用した『湾岸ミッドナイト』のセリフですが、色々と考えることは苦しい時もあるし、楽しい時もありました。あ、ありましたじゃなくて、あります、か。
それもこれも、たくさんの良書に会えたからだと思います。
ハイティーンの女の子が自分の夢に向かって頑張る小説を読んで熱くなったかと思えば、内田樹先生の『日本辺境論』などを読んでスーッと気持ちを落ち着ける。いわば、健康ランドでサウナ→水風呂→サウナを延々と繰り返すようなものです。今日現在はユングの『分析心理学』を読んでいるので、水風呂パートと言ったところでしょうか。
そんなことを繰り返しているうちに、やっと現在を、
「これで、いいか」
と受け入れられるようになった気がします。十代の熱さも、三十代の理性も、両方がうまくバランスしている現在。
身の程をわきまえつつ、いつも新しいことにチャレンジする気持ちを忘れない。まあ頑張りたまえと大人の振りをしつつ、内心では少年の如くアツくなってしまう。今なら城島サン(これも『湾岸』の登場人物です)の気持ちがわかるような気がします。
そういうわけで、またこのブログも、どうでもいいようなことをつらつら書き付けるブログに戻そうと思います。別に何かを意識して変えたつもりはないんですが、それほど肩肘張らずにね。ま、そんなわけでこれからもよろしくお願いします。
いやはや昨日は大変でした。本来ならば17時で終わりの予定だったんですが、三連休明けの平日ということもあってか、次々と仕事が舞い込み大忙し。「今日はクリスマスだから残業したくありません」と言ってみたものの「欧米か!」と一蹴され、結局めいっぱい残業して帰ってきた次第です。なんて日だ!
本当は毎年恒例のラジオ・チャリティー・ミュージック・ソン――いわゆるラジソンをずっと聞きたかったんですが、ま、こういう時もありますよね。仕方がないです。
このところ投稿するのは読んだ本の感想とか、震災のこととか、色々と難しいこととか、そんなのばかりでした。まあ、私なりに日々考えて生きていたんです。
「人生は楽しい 考えることがたくさんある」
コレは以前にも引用した『湾岸ミッドナイト』のセリフですが、色々と考えることは苦しい時もあるし、楽しい時もありました。あ、ありましたじゃなくて、あります、か。
それもこれも、たくさんの良書に会えたからだと思います。
ハイティーンの女の子が自分の夢に向かって頑張る小説を読んで熱くなったかと思えば、内田樹先生の『日本辺境論』などを読んでスーッと気持ちを落ち着ける。いわば、健康ランドでサウナ→水風呂→サウナを延々と繰り返すようなものです。今日現在はユングの『分析心理学』を読んでいるので、水風呂パートと言ったところでしょうか。
そんなことを繰り返しているうちに、やっと現在を、
「これで、いいか」
と受け入れられるようになった気がします。十代の熱さも、三十代の理性も、両方がうまくバランスしている現在。
身の程をわきまえつつ、いつも新しいことにチャレンジする気持ちを忘れない。まあ頑張りたまえと大人の振りをしつつ、内心では少年の如くアツくなってしまう。今なら城島サン(これも『湾岸』の登場人物です)の気持ちがわかるような気がします。
そういうわけで、またこのブログも、どうでもいいようなことをつらつら書き付けるブログに戻そうと思います。別に何かを意識して変えたつもりはないんですが、それほど肩肘張らずにね。ま、そんなわけでこれからもよろしくお願いします。
読んだ方は「あぁ、そいつは俺も同じだ」と言ってください。
もう、とにかく、これは……本当に、とてつもない、物語でした。
一歩踏み出すたびに、殴り飛ばされるような衝撃。そんな激しすぎる刺激をガンガンに受けまくり、そのたびに立ち上がる――私がね。それを読んでいる私が。
以前、『ガッチガチのバイク小説』だと思ったらそうでもなかった、と書きましたが、ちょっと付け加えます。バイク小説であることは間違いありません。でも、それよりも少し多めに、ハイティーンの少年少女が繰り広げる人間ドラマがありました。このあたりに、32歳の(しかも、人の目をまっすぐに見られないような十代を送ってきた)犬神は散々にやられました。
人の心は難しい。「こういうものだ」と割り切ってハイ次、というわけにはいきません。良かれと思って言ったことが、かえって相手を傷つけることもあるし。傷つけたくないと思っていると、それがまた相手を苦しめることになるし。
今はまだ読み終えたばかりで、長い文章を書けるような状態では、とてもありません。なのでとりあえず速報形式で書きます。
今は、「ようやく終わったのかな」。そういう感じです。ずっと引け目を感じていたところ。彼女らにまっすぐ向き合えなかった自分の弱さ。今回この『レーシング少女』を読んで向き合い、そのあたりにオトシマエをつけられた……そんな気がします。『湾岸ミッドナイト』の山下サン風に言うと、「自分の青春にオトシマエをつけ」た、そんな感じです。
これでもう、十代の頃には戻れないでしょう(精神的にね)。熱い気持ちでいきたいというところは変わりませんが、それは三十代の熱さであって、十代の熱さは……このところ読んだ小説ですっかり完全燃焼しました。もう十代の頃にやり残したという思いはありません。だから、ここまで共感することはないという意味で……十代の頃のようになることは、もうないと思います。たぶんね。
あと、たといゲームの世界でも、私はレーサーにはなれないと思いました。これは後ほど改めて書きたいと思いますが、どこまでもレースの世界と言うのは特別で、そこに生きている人たちというのも特別ななのだと感じたのです。
嫉妬の余地がないくらい、自分たちとは違う人たちだから。プロレスラーもプロレーサーも、私は心から尊敬するし、心から熱くなれる。応援できる。大好きになれる。……つまり、そういうことなのです。
まったくもって、たぎる物語でした。完全にイヤァオな物語でした。
では、以前弟者が大学の図書館から譲ってもらった『徳川家康』と一緒に送ってきた、ユングの『分析心理学』などを読んでみたいと思います。……読めるのか、これ?
もう、とにかく、これは……本当に、とてつもない、物語でした。
一歩踏み出すたびに、殴り飛ばされるような衝撃。そんな激しすぎる刺激をガンガンに受けまくり、そのたびに立ち上がる――私がね。それを読んでいる私が。
以前、『ガッチガチのバイク小説』だと思ったらそうでもなかった、と書きましたが、ちょっと付け加えます。バイク小説であることは間違いありません。でも、それよりも少し多めに、ハイティーンの少年少女が繰り広げる人間ドラマがありました。このあたりに、32歳の(しかも、人の目をまっすぐに見られないような十代を送ってきた)犬神は散々にやられました。
人の心は難しい。「こういうものだ」と割り切ってハイ次、というわけにはいきません。良かれと思って言ったことが、かえって相手を傷つけることもあるし。傷つけたくないと思っていると、それがまた相手を苦しめることになるし。
今はまだ読み終えたばかりで、長い文章を書けるような状態では、とてもありません。なのでとりあえず速報形式で書きます。
今は、「ようやく終わったのかな」。そういう感じです。ずっと引け目を感じていたところ。彼女らにまっすぐ向き合えなかった自分の弱さ。今回この『レーシング少女』を読んで向き合い、そのあたりにオトシマエをつけられた……そんな気がします。『湾岸ミッドナイト』の山下サン風に言うと、「自分の青春にオトシマエをつけ」た、そんな感じです。
これでもう、十代の頃には戻れないでしょう(精神的にね)。熱い気持ちでいきたいというところは変わりませんが、それは三十代の熱さであって、十代の熱さは……このところ読んだ小説ですっかり完全燃焼しました。もう十代の頃にやり残したという思いはありません。だから、ここまで共感することはないという意味で……十代の頃のようになることは、もうないと思います。たぶんね。
あと、たといゲームの世界でも、私はレーサーにはなれないと思いました。これは後ほど改めて書きたいと思いますが、どこまでもレースの世界と言うのは特別で、そこに生きている人たちというのも特別ななのだと感じたのです。
嫉妬の余地がないくらい、自分たちとは違う人たちだから。プロレスラーもプロレーサーも、私は心から尊敬するし、心から熱くなれる。応援できる。大好きになれる。……つまり、そういうことなのです。
まったくもって、たぎる物語でした。完全にイヤァオな物語でした。
では、以前弟者が大学の図書館から譲ってもらった『徳川家康』と一緒に送ってきた、ユングの『分析心理学』などを読んでみたいと思います。……読めるのか、これ?
暦の上ではディセンバー
私の心はサバイバー
犬神です
……毎週日曜日にテレビ岩手で放送している『らどんぱ!』という番組のエンディングテーマが、このベイビーレイズの『暦の上ではディセンバー』なんです。ええ、『あまちゃん』でアメ横女学院の人たちが歌っていたアレです。
そうこうしているうちに本当に暦の上ではディセンバーになってしまいました。
「1年なんてあっという間だね」
日々を大切に生きるよういつも意識してはいるものの、さすがにそう言わざるを得ません。無為に過ごしたつもりはありませんが、「もう12月か」と思ってしまいます。
最近は、世の中でいろいろなことがありますね。
そのたびに新聞やテレビなどでは『専門家』の人たちが詳しい解説をしてくれます。ネット上では個人レベルで色々な意見を述べられている人がいます。
そういうのを見るたびに、
「自分は、嫌な人間になってしまった」
そんな風に思うのです。
せっかく皆様が発信している「正しい知識」や「正しい見解」を、丸ごと受け入れて自分のものにする。その通りに考え、その通りに行動する。そういうことが、できないようなのです。
できないのか、しないのか、わからないのか。
……たぶん「わからない」のかな。
本を読むたび、そう思います。
で、この「わからない」ままでいいのかな、とも思うようになりました。
最近は極論本とか言って、今までの常識をひっくり返すようなことを訴える本がはやっているそうですが、そういうのに興味がわかないのも、今の「わからない」状態でいいと思うから、なのかも知れません。
わからないから学びたい。学ぶことは面白い。
それは確かなことだと思います。
以上、これまでとこれからを形にとどめるため書きました。
私の心はサバイバー
犬神です
……毎週日曜日にテレビ岩手で放送している『らどんぱ!』という番組のエンディングテーマが、このベイビーレイズの『暦の上ではディセンバー』なんです。ええ、『あまちゃん』でアメ横女学院の人たちが歌っていたアレです。
そうこうしているうちに本当に暦の上ではディセンバーになってしまいました。
「1年なんてあっという間だね」
日々を大切に生きるよういつも意識してはいるものの、さすがにそう言わざるを得ません。無為に過ごしたつもりはありませんが、「もう12月か」と思ってしまいます。
最近は、世の中でいろいろなことがありますね。
そのたびに新聞やテレビなどでは『専門家』の人たちが詳しい解説をしてくれます。ネット上では個人レベルで色々な意見を述べられている人がいます。
そういうのを見るたびに、
「自分は、嫌な人間になってしまった」
そんな風に思うのです。
せっかく皆様が発信している「正しい知識」や「正しい見解」を、丸ごと受け入れて自分のものにする。その通りに考え、その通りに行動する。そういうことが、できないようなのです。
できないのか、しないのか、わからないのか。
……たぶん「わからない」のかな。
本を読むたび、そう思います。
で、この「わからない」ままでいいのかな、とも思うようになりました。
最近は極論本とか言って、今までの常識をひっくり返すようなことを訴える本がはやっているそうですが、そういうのに興味がわかないのも、今の「わからない」状態でいいと思うから、なのかも知れません。
わからないから学びたい。学ぶことは面白い。
それは確かなことだと思います。
以上、これまでとこれからを形にとどめるため書きました。
先日NHKニュース9で、ユーミンさんこと松任谷由実さんの特集がありました。この番組、こないだはウルトラマンが来てたし、なんだかただのニュース番組じゃない感じですね。
今年はデビューから40周年。これまで発売したアルバムは36枚だそうです(で、最近37枚目のアルバムが発売された)。
テレビのインタビューでは、20代の女の子から50台の夫婦まで、実に幅広いファンがいることを報道していました。その上で、世代によって「この1曲!」というのが違うんですよね。『恋人はサンタクロース』だったり『Hello,my friend』だったり。
私にとっての「この1曲!」は何か? といわれると……同じくらい好きな曲はたくさんあるけど、という前提を許してもらえるのなら……
これを、あげさせていただきますか。
ちょうどこれはニュース9のなかで放送されたNHKの番組「新日本紀行」の1シーンなんですが、この歌の成立経緯とか、ちゃんと歌い出しからサビまで聞いたのはこれが初めてでした。そしてサビの部分を聞いたとき、思わず電流が走りました。あの人の漫画ふうに言えば「犬神に電流走る――!」という感じです。
それが一体いつのことだったのか、そもそも本当にあったことなのか。もしかしたら初めからこの世に存在しなかったのかもしれませんが、この曲を初めて聴いたのは……テレビ番組のCMでした。
確か『あっぱれさんま大先生』か何かだったと思うのです。通常版であればあの(何かと物議をかもした)『記念樹』がテーマソングなんですが、それは『分校スペシャル』とかという特別版だったように記憶しています。……本放送を見たわけではなく、15秒程度のCMを見ただけなので、それ以上のことは覚えていないのですが、そのCMでこの曲が流れていたことは鮮烈に覚えています。そして画面には、雪深いどこかの寒村で子どもがはしゃぐシーンがあったことを覚えています。
そういうわけで私にとって、この歌は真冬のイメージだったんですが、どうしてもその曲のタイトルにたどり着けずにおりました。唯一無二のあの声から、ユーミンさんの歌だという確信はありましたが、楽曲があまりにも膨大で探すのも大変だし……というわけで、ずっと中途半端なまま記憶にとどめていたのですが、なるほど『瞳を閉じて』という曲だったんですね。作曲の経緯を知ると、確かに分校のイメージと合致しますね。あるいは、分校がある風景のイメージというべきか。
私自身は分校育ちではないので、こういった情景にノスタルジーを感じることはない……はずなのですが、どういうわけか様々なイメージがむくむくとわきあがってきます。その時、私は島を離れる側の人間なのか? それとも島に残る側の人間なのか? これは当事者じゃないからそんな風に思うんでしょうけど、とにかく十数年前にまかれた種が、ここに来て急に芽吹いた感のある晩秋の朝でした。
今年はデビューから40周年。これまで発売したアルバムは36枚だそうです(で、最近37枚目のアルバムが発売された)。
テレビのインタビューでは、20代の女の子から50台の夫婦まで、実に幅広いファンがいることを報道していました。その上で、世代によって「この1曲!」というのが違うんですよね。『恋人はサンタクロース』だったり『Hello,my friend』だったり。
私にとっての「この1曲!」は何か? といわれると……同じくらい好きな曲はたくさんあるけど、という前提を許してもらえるのなら……
これを、あげさせていただきますか。
ちょうどこれはニュース9のなかで放送されたNHKの番組「新日本紀行」の1シーンなんですが、この歌の成立経緯とか、ちゃんと歌い出しからサビまで聞いたのはこれが初めてでした。そしてサビの部分を聞いたとき、思わず電流が走りました。あの人の漫画ふうに言えば「犬神に電流走る――!」という感じです。
それが一体いつのことだったのか、そもそも本当にあったことなのか。もしかしたら初めからこの世に存在しなかったのかもしれませんが、この曲を初めて聴いたのは……テレビ番組のCMでした。
確か『あっぱれさんま大先生』か何かだったと思うのです。通常版であればあの(何かと物議をかもした)『記念樹』がテーマソングなんですが、それは『分校スペシャル』とかという特別版だったように記憶しています。……本放送を見たわけではなく、15秒程度のCMを見ただけなので、それ以上のことは覚えていないのですが、そのCMでこの曲が流れていたことは鮮烈に覚えています。そして画面には、雪深いどこかの寒村で子どもがはしゃぐシーンがあったことを覚えています。
そういうわけで私にとって、この歌は真冬のイメージだったんですが、どうしてもその曲のタイトルにたどり着けずにおりました。唯一無二のあの声から、ユーミンさんの歌だという確信はありましたが、楽曲があまりにも膨大で探すのも大変だし……というわけで、ずっと中途半端なまま記憶にとどめていたのですが、なるほど『瞳を閉じて』という曲だったんですね。作曲の経緯を知ると、確かに分校のイメージと合致しますね。あるいは、分校がある風景のイメージというべきか。
私自身は分校育ちではないので、こういった情景にノスタルジーを感じることはない……はずなのですが、どういうわけか様々なイメージがむくむくとわきあがってきます。その時、私は島を離れる側の人間なのか? それとも島に残る側の人間なのか? これは当事者じゃないからそんな風に思うんでしょうけど、とにかく十数年前にまかれた種が、ここに来て急に芽吹いた感のある晩秋の朝でした。
その昔ファミコン通信という雑誌で連載されていた漫画『大トロ倶楽部』。私はこの漫画が大好きでした(というよりも、これを描いている片山まさゆき先生の漫画が大好き)。
毎回色々なゲームのネタを登場人物が取り込んでパロディを演じるのですが、その中で『ハリキリ十勇士』という話がありました。これはタイトルどおり『ハリキリスタジアム』と『真田十勇士』という2つのゲームが混ざり合ったものなんですが、その中では実在の野球チームについて『徳川ジャイアンツ』とか『毛利カープ』とかといわれていました。
その理論で行くと、当然楽天なんかは『伊達ゴールデンイーグルス』となるでしょう。そしてある意味では伊達と徳川の戦いに伊達が勝ったということでしょうか。
ええ、昨日の日本シリーズの話です。
野球に関しては、どこか特定のチームを応援するというわけではありませんでした。ただ、岩手県出身あるいは岩手の高校出身の選手の活躍をちらほら聞くようになっていたので、それなりに見ていました。中継があればそれを聞くし、新聞やテレビの試合結果が流れればそれを見るようにするくらいですけどね。
ただ、ジャイアンツに限っては、あまり好きではありません。理由は『強すぎるから』。ホームランもパカパカ打つし、試合中継を聞いていても追加点追加点で余裕の勝利って言う感じばかりなので、「ま、どうせまた今日も勝つんでしょ」という気持ちになってしまいました。それぐらい強さがあるって、すごいことだと思うんですけどね。
それに対して楽天といえば、弱小チームの代名詞みたいなイメージがありました。実際、毎年の成績はさっぱり振るわなかったわけですが、今年はどういうわけか日本シリーズに進出。どういうわけかって、やはり『神の子』田中投手の存在が大きいのかもしれませんが。あと銀次ね! 岩手出身の銀次!
……ただ、この時点でも、「巨人が4連勝して終わっちゃうんじゃないの」という思いがありました。そのくらい強力なイメージがあったのです。
ところが実際に始まってみれば、大活躍じゃないですか。あのラスボス級のジャイアンツ相手に渡り合い、しっかりと勝利を収めていく。負けた試合にしても、私が想像していたような圧倒的な差をつけられての惨敗・完敗ではなく、ギリギリのところで競り負けたとか、そんな感じ。
「これはもう、どちらが勝ってもおかしくない」
そんな気持ちになっていました。万が一ジャイアンツが勝ったとしても、「楽天強し」の印象は揺るがないだろう。そう思っていたのですが……最終戦は堅実に得点を獲得し、その一方で相手に点は与えず。しかも最終回だけ田中投手が登板して締めるという前代未聞のドラマティックな結末。おそらくこれは歴史に残る名試合だったと思います。
東北の人間として、私もお祝いムードに参加させてもらいたいと思います。楽天おめでとう。あと銀次も、おめでとう。正直なところシリーズ中盤くらいまで岩手県出身だということも知りませんでしたが、今はすっかりファンになってしまいました。犬神は銀次と楽天イーグルスをこれからも応援し続けます!
毎回色々なゲームのネタを登場人物が取り込んでパロディを演じるのですが、その中で『ハリキリ十勇士』という話がありました。これはタイトルどおり『ハリキリスタジアム』と『真田十勇士』という2つのゲームが混ざり合ったものなんですが、その中では実在の野球チームについて『徳川ジャイアンツ』とか『毛利カープ』とかといわれていました。
その理論で行くと、当然楽天なんかは『伊達ゴールデンイーグルス』となるでしょう。そしてある意味では伊達と徳川の戦いに伊達が勝ったということでしょうか。
ええ、昨日の日本シリーズの話です。
野球に関しては、どこか特定のチームを応援するというわけではありませんでした。ただ、岩手県出身あるいは岩手の高校出身の選手の活躍をちらほら聞くようになっていたので、それなりに見ていました。中継があればそれを聞くし、新聞やテレビの試合結果が流れればそれを見るようにするくらいですけどね。
ただ、ジャイアンツに限っては、あまり好きではありません。理由は『強すぎるから』。ホームランもパカパカ打つし、試合中継を聞いていても追加点追加点で余裕の勝利って言う感じばかりなので、「ま、どうせまた今日も勝つんでしょ」という気持ちになってしまいました。それぐらい強さがあるって、すごいことだと思うんですけどね。
それに対して楽天といえば、弱小チームの代名詞みたいなイメージがありました。実際、毎年の成績はさっぱり振るわなかったわけですが、今年はどういうわけか日本シリーズに進出。どういうわけかって、やはり『神の子』田中投手の存在が大きいのかもしれませんが。あと銀次ね! 岩手出身の銀次!
……ただ、この時点でも、「巨人が4連勝して終わっちゃうんじゃないの」という思いがありました。そのくらい強力なイメージがあったのです。
ところが実際に始まってみれば、大活躍じゃないですか。あのラスボス級のジャイアンツ相手に渡り合い、しっかりと勝利を収めていく。負けた試合にしても、私が想像していたような圧倒的な差をつけられての惨敗・完敗ではなく、ギリギリのところで競り負けたとか、そんな感じ。
「これはもう、どちらが勝ってもおかしくない」
そんな気持ちになっていました。万が一ジャイアンツが勝ったとしても、「楽天強し」の印象は揺るがないだろう。そう思っていたのですが……最終戦は堅実に得点を獲得し、その一方で相手に点は与えず。しかも最終回だけ田中投手が登板して締めるという前代未聞のドラマティックな結末。おそらくこれは歴史に残る名試合だったと思います。
東北の人間として、私もお祝いムードに参加させてもらいたいと思います。楽天おめでとう。あと銀次も、おめでとう。正直なところシリーズ中盤くらいまで岩手県出身だということも知りませんでしたが、今はすっかりファンになってしまいました。犬神は銀次と楽天イーグルスをこれからも応援し続けます!
今から10年以上前のことですが、当時はダイヤルアップ回線でインターネットに接続していました。
ピーピーガーガーと奇怪な音を響かせてインターネットに接続するのですが、要するにアクセスポイントまでパソコンを使って電話をかけるようなものなので、そこまでの電話料金がかかります。そのため事前に調べたいことなどを紙に書き出し、つなげてそのホームページを開いたらすぐに切断して、オフラインでじっくり内容を閲覧する・・・ということをよくやっていました。
また、家にネット環境がない友人などが当家まで来て見たいホームページを表示させ、それを丸ごと保存して帰っていくこともありました。最近はあまりしませんが、ファイル(F)→ページを保存(S)というのは、当時としては割とよくやっていたのです。フロッピーディスク5枚だの6枚だのに分けて保存して・・・う~む、何もかも懐かしい・・・。
最近、外付けハードディスクに保存していた古いデータを調べていたら、そうやって大昔に保存していたホームページのHTMLデータが出てきました。
今はもう公開していないサイトの内容とかがそっくりそのまま残っているのは、ある意味では感動的です。特に『幻の名作』と称してファミコンやMSXっぽいタッチで描かれたゲームの画像とか(開発中のグラフィック、というテイで掲載されていました)。
特に犬神が衝撃(?)を受けたのは、MSX版「ときめきメモリアル」。TurboR専用というのはともかく、ディスク20枚組という空前絶後の仕様となるので発売中止になったということです。そりゃ~無理でしょうね。
その一方で、たまに当時のリンクがまだ生きていたり、そのホームページ自体が生きていたりすることもありました。これは非常にうれしいですね。
私のホームページも10年以上やっていますからね。タイトルが変わったりURLが変わったりしましたが、それでも・・・。
やはり、年に数回の更新ペースとはいえ、ホームページは続けていこうと思います。
ピーピーガーガーと奇怪な音を響かせてインターネットに接続するのですが、要するにアクセスポイントまでパソコンを使って電話をかけるようなものなので、そこまでの電話料金がかかります。そのため事前に調べたいことなどを紙に書き出し、つなげてそのホームページを開いたらすぐに切断して、オフラインでじっくり内容を閲覧する・・・ということをよくやっていました。
また、家にネット環境がない友人などが当家まで来て見たいホームページを表示させ、それを丸ごと保存して帰っていくこともありました。最近はあまりしませんが、ファイル(F)→ページを保存(S)というのは、当時としては割とよくやっていたのです。フロッピーディスク5枚だの6枚だのに分けて保存して・・・う~む、何もかも懐かしい・・・。
最近、外付けハードディスクに保存していた古いデータを調べていたら、そうやって大昔に保存していたホームページのHTMLデータが出てきました。
今はもう公開していないサイトの内容とかがそっくりそのまま残っているのは、ある意味では感動的です。特に『幻の名作』と称してファミコンやMSXっぽいタッチで描かれたゲームの画像とか(開発中のグラフィック、というテイで掲載されていました)。
特に犬神が衝撃(?)を受けたのは、MSX版「ときめきメモリアル」。TurboR専用というのはともかく、ディスク20枚組という空前絶後の仕様となるので発売中止になったということです。そりゃ~無理でしょうね。
その一方で、たまに当時のリンクがまだ生きていたり、そのホームページ自体が生きていたりすることもありました。これは非常にうれしいですね。
私のホームページも10年以上やっていますからね。タイトルが変わったりURLが変わったりしましたが、それでも・・・。
やはり、年に数回の更新ペースとはいえ、ホームページは続けていこうと思います。
今朝は「めざましテレビ」で、スフィア・・・だったかな? なにやらそういう名前の、声優さん4人組のユニットを見ました。今月いっぱいで退社する松尾翠アナのコーナーで紹介されたものです。
当たり前なんですが、画面を見ないとそこに何人ものアニメキャラがいるような錯覚をしてしまいます。
どきどきすると言うか、そわそわすると言うか。
なんか、ただただ「声優さんってすごい」そう思ったのでした。
まあ、声優さんは「声」をウリにする職業だと思うので、あまり声優さん自身がテレビに出て話しているところは、見たくないのですが。イメージがありますから。
・・・もちろん、そう思わない声優さんもいます。それというのは、やはり私自身がまだそんなことを思わない時代からず~っと顔を知っている方でしょうか。たとえばドラえもん(旧版)の声優陣なんかは小学生のころから映画のパンフレットなどで顔を見知っているので素直に受け入れられるし、日高のり子さんは初めて見たのが『タミヤRCカーグランプリ』だったりするので、『トップをねらえ!』を見るまで声優という認識がありませんでした。
それから、『アイドル雀土スーチーパイ』にて声を当てている方々も、割と受け入れられます。なんとなれば、割と早い段階でおまけディスクに収録されているインタビューを見ていたからです。下手にアニメキャラのイメージが固まる前に触れられたのが、よかったのかもしれません。
そんなわけで、まあ、その・・・。
普段あまり積極的にアニメを見ない私にとって、松尾翠コーナーは重要な情報源だったのですが、今後はそれが見られなくなるのかな。というよりも松尾翠自身が見られなくなるのかな・・・。結構古くから見て慣れ親しんでいたので、随分とさびしい気がします。そんなことを思いました。
当たり前なんですが、画面を見ないとそこに何人ものアニメキャラがいるような錯覚をしてしまいます。
どきどきすると言うか、そわそわすると言うか。
なんか、ただただ「声優さんってすごい」そう思ったのでした。
まあ、声優さんは「声」をウリにする職業だと思うので、あまり声優さん自身がテレビに出て話しているところは、見たくないのですが。イメージがありますから。
・・・もちろん、そう思わない声優さんもいます。それというのは、やはり私自身がまだそんなことを思わない時代からず~っと顔を知っている方でしょうか。たとえばドラえもん(旧版)の声優陣なんかは小学生のころから映画のパンフレットなどで顔を見知っているので素直に受け入れられるし、日高のり子さんは初めて見たのが『タミヤRCカーグランプリ』だったりするので、『トップをねらえ!』を見るまで声優という認識がありませんでした。
それから、『アイドル雀土スーチーパイ』にて声を当てている方々も、割と受け入れられます。なんとなれば、割と早い段階でおまけディスクに収録されているインタビューを見ていたからです。下手にアニメキャラのイメージが固まる前に触れられたのが、よかったのかもしれません。
そんなわけで、まあ、その・・・。
普段あまり積極的にアニメを見ない私にとって、松尾翠コーナーは重要な情報源だったのですが、今後はそれが見られなくなるのかな。というよりも松尾翠自身が見られなくなるのかな・・・。結構古くから見て慣れ親しんでいたので、随分とさびしい気がします。そんなことを思いました。