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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
もうすぐ今の職場で働き始めて3ヶ月がたとうとしています。トライアル雇用、終了の時です。

もう夜も遅いので短めの文章しか書きませんが、

「感謝」

すべてはその言葉に集約されます。

私のような人間を雇い入れ、失敗ばかりでも見放さず叱咤激励してくれた今の会社の人達へ。

ありがとうございます。

この3ヶ月は半年分、一年分の経験をした気がします。

繰り返します。ありがとうございます。

では、おやすみなさい。

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最近「めざましテレビ」で、何やら各界有名人の『名言』をスポット的に放送するようになったようですね。

ちょっと検索すると、そういった名言ばかりをひたすら掲載するブログなんかもありますし、やっぱり誰かのいい言葉は、それだけで気力が回復するような効果があると思います。『湾岸ミッドナイト』なんかは、そういうセリフが次々と出てきます。

一方で、「それでいいのか」と思う時があります。これはフジテレビとかそういったブログを運営している方への批判ではなく、自戒の意味を込めた言葉です。「お前はそれでいいのか?」と。そういった言葉を安易に取り入れて、ひとかどの人物になった気になってるんじゃないのか? と。

そして、何でそんなことを思うのかというと、私の人生の大半はそういった『借り物の言葉』で取り繕ってきたからです。中身は変わらず、見た目と気分だけ一人前。今風に言えばエアなんとか、といったところでしょうか。

ま、そんなことを考えながら、ちゃんと名言を取り込み、自分を高めていければいいな、と思いながら今日も生きています。今の職場もあと10日ほどで任期満了となるでしょうし、ラストスパート、頑張っていきます。


コラム:今日のもりおか小発見

盛岡市内にある映画館『中央映画劇場』(通称:中劇)で、どういうわけか『ドラゴンへの道』を上映していることを知り、激しく衝撃を受けた私。戦闘マシンのような『燃えよドラゴン』と違い、とっても純朴で気さくな笑顔のブルース・リーが見られる本作が私は大好きなんですが、それを映画館でやるのか!? と。

いやはや、こういうことがあるんですよね、盛岡の映画館は。『名画座』といえるほど特化したわけではないんですが、古い映画をデジタルリマスターしたものなどをリバイバル上映するなど、『映画館通り』という場所を全力で守っていこうとする空気があるんです。そのために電線を地中に埋めてイメージアップを図るなど行政面でもバックアップしていますし。

残念ながら1週間限定の上映で、ちょっと見に行く事はできなさそうなんですが……そういったことをする中劇に乾杯。

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これは野球に興味が云々というよりも、テレビもラジオもネット環境もない場所で暮らしているという情報弱者? ぶりゆえなんですが……最初にお断りしておきます。

セ・リーグのCSで阪神タイガースが読売ジャイアンツに4連勝し日本シリーズに進出したということを、今朝になってようやく知った私。ジャイアンツがリーグ優勝を達成した時点で日本シリーズ進出は揺るがないものと思っていたので、あえて詳しい情報を追いかけなかった……というのもありますが、まさかまさかの大どんでん返し(言い回しが90年代で恐縮です)。

確かに、もしも阪神が日本シリーズで優勝したら29年ぶりの快挙となります。たぶん大阪府内では死人が出ます(死因は溺死など)。道頓堀や新世界に警察が出動し厳戒態勢になるでしょう。

でも、まあ、その……なぜかタイガースは、ジャイアンツよりも距離を感じてしまいます。あまり積極的に応援した気持ちが起こらないのです。あるいは私が東日本の人間だからなのかもしれませんが、とにかく大きな驚きとわずかなガッカリ感に襲われました。今更? と言わないでくださいね。とにかく私は、今日になって、ようやく知ったのですから。


一方でパ・リーグの方は、今日、ホークスが日本シリーズ進出を決めたようですね。これは正直に言ってガッカリ感しかありません。私としては日ハムに勝って欲しかったです。なんとならば、それはもちろんタニオーこと大谷投手(岩手・花巻東高校出身)が日ハムにいるからです。そして、私はソフトバンクではなくドコモユーザだからです(?)。

そういうわけで今年の日本シリーズは、どちらも今ひとつ応援しづらいチーム同士の戦いになってしまいました。いやはや、なんとも……。

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昨日に引き続きマッスンの話をします(といっても日付上は今日ですが)。

私も彼も三十代なので、別に結婚してようと子どもがいようと不思議な年齢ではないのですが、やはり彼が「いい人」を見つけ、その人と近々結婚する予定だという話を聞いた時はガクッと来てしまいました。ショットガンマリッジではないので、まだ子どもはいませんが。

相手は普段から通っている喫茶店の店員だそうです。足しげく通って何とか口説き落としたのでしょうか。それとも得意のウイスキーで……い、いや! そんなことはないでしょう。まあどっちにせよ、おめでたい話です。私の酒量も増加の一途をたどります。……これは冗談。


彼に限らず、知り合いで結婚した人間は何組かあります。私がまだ大学生だった頃すでに子どもを抱いている人もいましたし、しばらくぶりに会ったら娘がどうこうという話をされて腰が抜けそうなほど驚いたこともありました。

そういう話を聞くほどに、自分もまた、それなりの年代まで来てしまったのだなと思いました。


振り返ってみればそういうチャンスがなかったわけではないのですが、まあ、それをものにできなかったのが私の限界なんでしょう。そのことについて悔いるつもりはありません。ただ、それまで少年漫画少女漫画はたまた恋愛シミュレーションゲーム程度のビジョンしか持てなかったのが、その先のよりリアルな日々を考えていけるようになった。そういう風になったのかな、というのを感じました。

ともあれ、マッスンおめでとう。もしこのブログを読んでいたらコメントをください。でもって、また一緒に飲みましょう(私信オチ)。

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現在放送されている朝の連続テレビ小説『マッサン』。モデルになったニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝氏のことをリタ夫人がそう呼んでいた事実に基づく愛称だそうです。

私もかつては毎晩毎晩ニッカウヰスキーを飲んでいましたからね。まあせっかくだから、つって久々に「ブラックニッカ・クリアブレンド」を飲みました。……そうしたところ、かつては「ピリッとするだけの水」程度にしか思えなかったクリアブレンドが、なかなかどうして、随分と美味しく感じられました。

その美味しさ、ドラマ放映以前からずっと抱き続けてきたニッカへの思い、さらにここ2ヶ月半の日々と11月以降の身の振り方云々……まあともかく色々な思いが混ざり合って、小一時間ほどでポケット瓶(180ml)を飲み尽くしてしまいました。ちなみに全部ストレートです。


ところで私の友人に『マッサン』ではなく『マッスン』と呼ばれている男がいました。理由はシンプルに、その男の名前が升田だったからです。まあ俳優の升毅さんをマッスンと呼ぶようなものです(故・中島らもさんがそう呼んでいた)。

そして私の友人のマッスンもウイスキーが好きで、ブラックニッカだハイニッカだと話していたのを思い出しました。それまではお酒自体あまり飲まない方だったのですが、彼に飲まされているうちに随分と知識も深まったし、酒にも強くなった気がします。

またそのうち一緒に飲みたいと思わないわけではないのですが……。

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月食というものがどういうふうに見えるのか、33年ほど生きていながら、実はあんまりよく知りませんでした。

そんな私も昨日は天候および時間的都合に恵まれたので、かけ始めから完全に隠れてしまった状態まで、ゆっくりと眺めることができました。こういった模様を翌朝のめざましテレビとかではなくリアルタイムでみられたことは、本当にラッキーなことだったなと思います。


 *


こうして記事を書いていて思い出したのですが、月食というと往年の名作『ゲームセンターあらし』に出てきた月面魔神なんですよね。昔、一冊だけうちに残っていた80年代半ばのコロコロコミック(82年12月号)に載っていたのがその話だったんです。

詳しい経緯はよくわからないのですが、とにかく月火水木金土日……? いろいろな天体の化身とゲームで勝負し、腕時計に封印するシリーズだったみたいです。その中で月面魔神はラス前の結構強いキャラクタで、タイトルにもある「魔界必殺・皆既月食剣」という技であらしを攻撃します。

これはゲームで高得点を出すとかではなく、相手をダイレクトに斬りつける技です。それをまともに食らってしまったあらしは白目をむいて死亡してしまいます(すぐに、実は気絶していただけということが発覚しますが)。

今回の天体ショーとは何の関係もない話で恐縮ですが、そういうことがあったので皆既月食という言葉はちょっと怖いイメージがありました。ああ、あとは『忍者龍剣伝』ですね。黒い月が輝くとき、光と影はくずれ、闇の王はよみがえる……。って、これも関係ないか。すいません、こんな話ばっかりで。



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ノーベル賞というとナメたらアカン……じゃなくて、よしりんこと小林よしのり先生の怪作『世紀末研究所』がまっさきに思いつきます。両手の人差し指を頭のあたりで上下から突き合わせてこのセリフを言うんですが、こんなことを書いて、果たしてどれほどの人がピンとくるのか。

今年のノーベル賞の前評判では『憲法9条を守り続けた日本国民』にノーベル平和賞を、という話が盛り上がっていて、ひどく驚いてしまいました。護憲とか改憲とか、色々な話があると思うものの、いくら何でも話が大きすぎるんじゃないの、と思ってしまいました。確かに受賞してしまえば今後の政治に影響するでしょうが……ま、今朝のニュースで何も言わないという事は、何もなかったんでしょうね。

そのことに関しては、ここでは書きません。だから「ここんとこが、のーべる!」というセリフで茶化して終わりとします。

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さほど車に興味のない兄者から「今日はF1の日本グランプリがあるらしいね」と聞いた私。まったくの初耳でした。

さらに最近のF1には回生ブレーキやらターボチャージャーやらがついているという話も聞き、さらに驚いてしまいました。私にとってF1にターボチャージャーがついていた時代というのは80年代末までで、自然吸気のエンジンで走るものだと思っていたのです。

そういう話をしているうちに、どうやら私のF1のイメージは90年代初頭の「F1ブーム」の頃のままなのかな、という気がしてきました。車好きだけどF1好きではナイ。そういう人間もいるんです。

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パ・リーグの優勝がホークスだということを、「優勝セールが始まって大賑わいです」というニュースで知ったいぬがみです。いくら時勢に疎いとはいえ、これはちょっと残念な感じです。せめてクライマックスシリーズは、ちゃんと追いかけなくては。

ところでオールドタイプないぬがみとしては、ホークスというと「ダイエーホークス」のイメージが強かったりします(さすがに「南海」とは言いません)。まあ、これは私の野球知識が当時コロコロコミックで連載していた「かっとばせキヨハラくん」に由来するためなんですが……。

ただ、そういったことを差っ引いても、「ダイエー」という名前には、なんともいえない懐かしさを感じます。かつては岩手県を含めた日本全国に展開していた一大スーパーマーケットですからね。(感覚的にはデパートですけど)。

今でこそ盛岡店およびダイエーのフランチャイズ店として展開していた「シティ青山」は跡形もなくなり、それぞれ新しい建物が建っているのですが、ダイエー盛岡店(の中にあった時計店)で買った時計は、8年経った今でも愛用しています。この時計が、私とダイエーを結ぶアイテムです。

それはたとい、この地上からダイエーという名の店舗が完全に消え失せたとしても、変わらないでしょう。さようならダイエー、ありがとうダイエー。ニチイやサティと同じように、これまたイオンに飲み込まれてしまうことになりましたが、この腕時計がある限り、絆は消えません。


 * という記事を書いた後、ちょっと調べてみると私が時計を買った「ゼノン」というお店はダイエーの100%子会社であったこと、そして2013年に全店舗閉店・会社清算となっていたことが発覚。oh my god ! (ジョセフ・ジョースター風に)

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プロ野球は、ジャイアンツがリーグ優勝しましたね。

私は特定の支持チームを持たない「日和見」「判官贔屓」的なファンなんですが(そのため、今年は久々にAクラス入りした広島カープを若干応援している)、逆に言えば特別にジャイアンツの優勝を快く思わないわけではなく……。

要するに、ジャイアンツが優勝したのなら素直に「さすがだな」と感嘆する……そういうことなんです。

なんてことを言う私も、かつて毎週土日に「ズームインサタデー」「ザ・サンデー」を見ていた頃は、自然とジャイアンツファンでした。そのため知っている選手の年代がちょっと古いんですが(長嶋監督が「メークドラマ」と言っていたころが最盛期)、ある意味ホッとするというか、昭和保守的な安心感を求める日本人的なイズムが自分にもあるのだな……と感じます。

「巨人大鵬卵焼き」というやつです。いや私もまだ生まれてないんですけどね。この言葉が流行っていた頃はね。

原監督以外には高橋由伸、阿部慎之助くらいしか知っている選手がいないのですが(あとはスポーツ新聞で内海・菅野といった名前を目にするくらい)、リーグ優勝「さすがだな」と思います。今はクライマックスシリーズがあるので、即・日本シリーズ進出というわけにはいきませんが、2014年リーグ優勝という栄誉はジャイアンツだけのもの。

楽天・西武以外のチームがパ・リーグ代表として出てくるのなら、ぜひとも圧倒的なパワーで今度は「日本一」の栄誉を勝ち取り、日本中を盛り上げてほしいものです。

  *

これは野球の話とは少し違うのですが、プロ野球チームが優勝すると必ず話題になるのが「経済効果」。色々と優勝セールを打ち出すお店が多数あるので、それによって経済効果が何億円見こまれ……なんて言う話になりますよね。

話によると今回のリーグ優勝による経済効果は650億円! と言われています。その経済効果の0.00(1億桁省略)1%でも恩恵に預かれればいいんですが、ま、それはともかく。行ったお店で優勝セールが開かれていれば、そのお店とジャイアンツにどういう因果関係があるのかに想像をめぐらせつつ、乗っかってみたいなと思っています。

改めて、ジャイアンツ優勝、おめでとうございます。つぎはCSそして日本シリーズ!

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岩手県と秋田県の境目にある「西和賀町」。旧湯田町と沢内村が合併して2005年にできた町です。

そんな西和賀町のフリーマガジン「元気な西和賀どっとこむ」の2014年夏号の表紙に躍っていたキャッチコピーが、この「だって、夏しか会えないでしょ?」です。その下には「風に揺れる水のスカート」との表現も。要するに西和賀町が誇るダム湖「錦秋湖」の放流を、この季節だけやってくる幻想の少女に例えているんですね。

(なお、だからといって萌え萌えしたイラスト等は一切ありません。そういうものを期待していた方には、心をこめて「ザンネンでした」と言わせて頂きます)

もちろん放流を遠巻きに見るだけでも結構な迫力なんですが、この錦秋湖のすごいところはダムの内側に通路があり、激しい放流の模様を間近で、しかも真裏で見ることが出来るんです。

こんな機会はなかなかありませんからね。もちろん私も行ってきました。

最初に「ほっとゆだ駅」まえの観光案内所で手書きの地図のコピーをもらい、それを頼りに1時間半かけて錦秋湖の周りを徒歩で一周。景色を眺め、放流を裏側から体験し、しばらく歩いて湖畔の公園にてオニギリを食べて……まるで小学校の遠足か何かのようなことをして、帰って来ました。


なお、帰りには再び深澤晟雄資料館へ立ち寄り、今度は「自分たちで生命を守った村」(※1)
、「いのち燃え尽きるとも」(※2)、「その時歴史が動いた」(※3)と立て続けに3本の映像を鑑賞。最後に「村長ありき」という本を買って帰って来ました。

これから出かけなければならないので、かなり簡素な内容となってしまいましたが、とりあえず出来事をまとめておきます。いずれ、きちんとした形で書きたいと思いますが、まずはここまで。


※1 岩波書店から刊行された同名の書籍の映像化版。

※2 1978年にIBCで製作・放送されたもの。深沢村長と奥様以外はすべて沢内村民が出演し、特に助役は本人が演じていた。ちなみにテレビ放送をそのまま録画したものだったので、ローカルCMや「赤いきつね」のCMなどがそのまま収録されていた。武田鉄矢さんが同乗したトラック運転手に日本語で色々と説明し「これだけ言えばわかるだろ」と言ってシメるものです。

※3 第299回 「赤ちゃんを死なせない〜乳児死亡率ゼロ・ある村の記録〜」2007年9月19日

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今日は盛岡最大の祭りである八幡宮の例大祭がありました。

って、今日はもう最終日なんですけどね。そういうわけですでに閉店した屋台もあり、出店で食い倒れという毎年恒例のアレはちょっとむずかしいかなと思いました……が、まあ、そこは大丈夫でした。

焼きそば、フランクフルト、たこ焼き、フライドポテト……とにかく食べまくり、さらに沿岸から来ていたお店のカキなどをペロリといただき、目一杯腹いっぱいでした。もちろんアルコールは飲んでいません(キリンフリーは飲んだけど)。

というわけで、食うものを食ったら帰るか……とはいきません。最終日には神事・流鏑馬(やぶさめ)が執り行われるのです。


境内に設置された500mほどの馬場を『射手奉行』が駆け抜けつつ矢を放ち、さらにそのあとを『介添奉行』が追いかける。射手3人介添3人の計6人が3セット行うのが南部流鏑馬です。

ここで南部流鏑馬独特のシステムである『介添奉行』について少々説明を加えます。

これはかつて射手奉行を務めた十八歳の若者がすべての的を射抜いた時、何くれと世話を焼いていた祖父があまりのうれしさに馬場に飛び出して「よう射った、よう射った!」と賞賛したのがきっかけであると言います。

これを踏まえて現代では日の丸の扇子を振りかざして射手奉行を褒め称えつつ超高速で駆け抜けていきます。矢をつがえて射たなければいけない射手と違って、こちらはとにかく走り抜けていけばOKなので、本当にすごいスピードで駆け抜けていきます。その中の一頭は日本ダービーで6着になったG1馬だそうですから、それもそのはずです。


元より神事ですから、的に当たる・当たらないは関係ありません。本来であれば神職の人たち同様、我々も厳粛な気持ちであたらなければいけないと思うのですが……まあ、矢が的に当たれば歓声が上がるし、ゴールからスタート地点に引き返す時は拍手も出ます。南部家四十六代当主・南部利文公も観覧される中、神事はおごそかに? 終了しました。

かつては山車と屋台こそ祭りの華であり、流鏑馬というのはあまり関心がありませんでしたが、今は流鏑馬の歴史とか馬の迫力とか射手および介添奉行の技量とか……そういったアレコレが十分に理解できるので、しっかりと最初から最後まで楽しむことができました。時間的都合で山車をゆっくりと眺めることができなかった分、そういう意味では、良かったかな。

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1981年生まれの私は、ちょうど時代の移り変わりをリアルタイムで感じた世代であると思います。

小学生の頃に年号が昭和から平成になり、大学生の頃に千年紀を迎え、さらに21世紀へ突入。そういった節目節目を感じながら生きてきた……つもりだったのですが、どうもその割に随分と時流に疎いところがある気がします。それは1994年生まれの弟者と話している時に色々感じます。

今日もそんな話を少しします。


『新玄』『C1000』『プラッシー』……ふなっしーじゃないですよ、プラッシーですよ。まあそれはいいんですが、今はこれ、ハウスウェルネスフーズという会社から出ているんですね。

確かに「C1000」はテレビCMでも実際に商品を手に取った時もそういう表示がありましたし、プラッシーはそもそも商品じたい見ないのでいいんですが、『新玄』もハウスに移行していたとは……と思って調べてみると、もともと武田薬品の子会社として武田食品工業というのがあり、それが色々あってハウスウェルネスフーズという会社になって……。

まあ、吸収合併は今の流行りですからね。そのあたりについてはこれ以上触れませんが、とりあえず言いたいのは、私にとっては未だにこれらの商品はタケダのイメージであり、多分これからもそのイメージは変わらないだろうと思います。やはり武田薬品のイメージの方がより効き目がありそうだからです。そして私がナチュラルに昭和感覚の男だからです。

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今の会社で働き始めて1ヶ月半が経ちました。

日々全力で頑張っています。大変な仕事ではありますが、非常に充実しています。

ところが、先日……

……おっと、ここで臨時ニュースが入ってきたので話題を強引に切り上げます。

11月以降も、私は全力でがんばります。その時には、この3ヶ月で得た経験が大きく物を言うことになるでしょう。たとい、今と同じではない会社で働くことになるとしても(現在は3ヶ月限定契約の社員なので)。


  *


たった今、OCNからメールで来た情報によりますと、何やらホームページサービスを2015年2月いっぱいで打ち切るということでした。

オイ! オイ! オイ! (大仁田「邪道」厚選手ふうに)

確かに現在の更新頻度は年に数回程度ですが、それでもホームページは私の活動の原点。2000年に自分の場所を借りて以来14年、どちらかというとブログでの更新が増えた2006年以降も大きな記事(ブックレビュー、旅日記など)はホームページの方で更新してきました。

「軽めの記事はブログで、本腰を入れての記事はホームページで」

そんな二段構えのスタンスで活動してきた私にとって、今回の一報は世界の終わりを宣告されたような感じです。セカイノオワリじゃありませんよ。

まあ、来るべき時が来たのかな、という気持ちもあります。時代はツイッターやSNSといったものに移行しており、いつまでも私のようなオールドタイプのためにリソースを割けないという事情もあるのでしょう。


……しかし、そうかといってこのまま終焉を受け入れるほど、物分かりのいい私ではありません。ドラえもんが巨大隕石による滅亡から恐竜人たちを救う『聖域』を作ったように(『のび太と竜の騎士』を参照)、まだ時間があるうちに新しい場所を探します。そして早めに告知を出します。

実生活にせよ、Web上での生活にせよ、今年は本当に激動の年です。11月以降はまた今の島を飛び出して大海に漕ぎ出さなければいけないでしょうし……。

とはいえ、本人は至って元気です。『何とかなる』『やれるだけやってみよう』日々そんな感じで頑張っています。こうしてブログで考えをまとめて、次につなげることもやってますしね。

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今日は弟者を新花巻駅というところに送って来ました。

岩手県花巻市(現在の私の職場がある場所でもある)にある、新幹線が停車するための駅だから、新花巻駅。新横浜とか新大阪とか、そういう意味での『新花巻』です。

まあ新横浜とか新大阪とかであれば、人の出入りも激しいでしょうから、街も発展するでしょう。しかしながら新花巻駅周辺はとっても寂しいです。駅の建物を出ると、元々JAの建物だったレストラン兼土産物屋が一件ポツンと建っているだけ。とっても、と〜っても寂しい感じです。

しかも市街中心部へは結構な距離があります。徒歩で向かおうとすると気が遠くなるくらいの距離があります。途中の風景も田畑と住宅地ばかりで、コンビニがかろうじて1〜2軒あるかな? という感じです。

まあ、こういった立地条件は仕方がないと思うんですけどね。当然ながら、まず線路ありきですから。超特急で南北を結ぶために必要な設備があって、その途中途中に駅が出来る。そういうものですから、これは仕方がないんだろうと思います。


と、自分なりに考えていると、駅周辺で新花巻駅設立に至るまでの経緯を書いた記念碑を発見。なかなかの長文で詳細に記されたそれは、当時の花巻市民の汗と涙によって勝ち取った激闘の記録でした。

それによると、元々国鉄としては花巻市に新幹線の駅を作る予定はなかったのだと言います。新幹線が通れば、当然花巻市にも駅が出来るだろう……と市民は期待していたのに、それがかなわなかった。そこで有志が立ち上がり、何千人もの市民をまとめあげて国鉄やら県知事やらに直訴。あまりの熱意に負けた国鉄側は、駅建設のための費用(数十億円)を花巻市側が負担することなどを条件に新花巻駅を作りました。国内でもあまり例をみない、「花巻市民の、花巻市民による」新幹線の駅なのです。


今までは『時々立ち寄る街』だったのが、今は『週5日滞在する街』になった花巻市。そこに生きた熱き人々の伝説は、少しずつ花巻市民になりつつある私の心を激しく打ちます。そして、この街をもっともっと知り、好きになりたい――そう思ったのでした。

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久々に中古雑貨店『萬屋』に行ったところ、1Fに巨大な『ミニ四駆』のコースができていました。

今は……ええと、第3次ミニ四駆ブームってことで、いいんでしょうか。時代の流れもあるのか、随分と凝ったメカニズムになり、それに伴いキットの単価も値上がりしていますね。って、そういう話をするのはオッサンになった証拠かしらん?

私は第一次ブーム直撃世代。1988年には初の全国イベント『ジャパンカップ』が開催され、大・大爆発ブームに酔いしれました。次々とニューモデル、さらに『グレードアップパーツ』も発売。私もあれやこれやと模型店に走ったのですが、どんどん先鋭化するミニ四駆の世界に金銭的/技術的に追いつけなくなり、流れから降りてしまいました。

あとは、やはり初期のキットがカタログから消えたことが大きかったですね。私にとってレーサーミニ四駆は実車(この場合、1/10RCカーのこと)が高くて買えないから、その弟分であるミニ四駆で雰囲気を味わいたい、というのがありましたから。確かにコース競技には向いていないと思うんですが、やっぱり実車らしさを感じられるモデルじゃないと気持ちを乗せられませんよ。


第二次ブームの頃は、私は傍観者でした。

当時私の中学でも、休み時間になるとベランダでミニ四駆を走らせている連中はいました。傍らで話を聞いていると、みんな非純正モーターを使って、とにかくスピードを追求していたようです。……具体的にどういうものだったのかを知ったのはずっとずっと後のことだったんですが、当時からそういうのは、あまり好きではありませんでした。モーターだけ強化したら、駆動系やその他のパーツに大きな負担がかかるような気がしたからです。

それでなくても、漫画がベースのミニ四駆にはそれほど興味を持てませんでした。「ダッシュ四駆郎」は大好きだったのですが、「レッツアンドゴー」世代ではないのです。


それからずっと時間が経った21世紀、弟者がガンプラを見に行くというので一緒についていき、ぼんやり眺めていると『サンダーショットMk2」「アバンテMk2」「ネオファルコン」といった、往年の名車の名前を冠したモデルが発売されているのを発見。さらに『ミニ四駆レーサーカケル』というストーリー漫画があることも知った私は、ノスタルジー半分・カムバック半分で久々にキットを購入しました。『アバンテMk3 アズール』というやつでした。

今では当時のキットを現代のシャーシに乗せたモデルがあったり、まるごと当時のキットを復刻させたものがあったり。それでなくても『グラスホッパー』『ホーネット』などのRC復刻モデルを次々と発売しオッサンたちをとり込もうとしているタミヤの戦略に乗っかっている私ですが、まあいいでしょう。どんな形であれ現役モデルとしてリリースされているなら、これ以上嬉しいことはありません。


……あれ? 何でこんなにミニ四駆の話をしているんだろう。

ああ、そうそう。『萬屋』という中古雑貨店に行ったらミニ四駆のコースがあったっていうところから、話が始まったんですよね。

当然ながらキットもあったんですが、当時600円だったキットに3800円のプライスタグがつけられているのに驚愕しました。限定発売されたモデルはさらなるプレミア価格がついています。オイオイ、たしかに当時のキットは貴重かもしれないけど……。

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大分、時期を逸した感はありますが、何分にも週に1〜2度くらいしかブログを更新できない身なので、ご了承ください。

というのは、今年の「24時間テレビ」の話。私も何かと批判的な記事を書いてきた身なのですが、今年は……ま、そもそもテレビがないし、休日でもなかったので、ちゃんと見ることはできなかったのですが……携帯電話のワンセグチューナーを利用して関ジャニが「オモイダマ」を歌うあたり〜番組終了時までは見ることができました。

そして、今年のテーマは「小さなキセキ、大きなキセキ」……。

今年はその言葉を笑ったり批判したり糾弾したりすることはできません。私なりに、キセキという言葉の重みを、息が詰まりそうになるくらい感じたからです。


確かに、なんというか、その……

「ほら、彼(彼女)はこんなに頑張ってるんですよ。すごいでしょう。感動するでしょう。お前らこれからはテレビを見て笑うんじゃねえ! 泣くんだ!」(ビシッ)

と言っているように取られる放送内容は、なかなか素直に受け止められません。そういった演出がなければもっと素直に共感したり、感動したり、「よしオレも頑張ろう!」という気持ちになったりできるのに……と思わないことはありません。

ただ、楽しくなければフジテレビじゃないように感動演出がなければ24時間テレビではないので、その点に関しては少しずつ慣れていく事にしましょう。たぶん私がリーダーと同じ年齢になるころには、もう少し見られるようになってるんじゃないかな。その頃にはテレビもあるだろうし。


でも、とりあえず番組の大きなテーマは、受け止められたんじゃないかな。TOKIOも関ジャニも大好きだって言うこともありますが、キセキ……いい言葉です。今年は社会人生活10年目にして失職→再就職というプロセスがありました。これもある意味、私にとってのキセキです。

そして、せっかくつかみとったキセキですから、これを「大きなキセキ」へつなげるために、また頑張ろう。そう思った次第です。

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またタイトルを変えました。

『お休み処』という名前にしたのは、他ならぬ私自身がそういう場所を求めていたからです。毎日全力で仕事にあたり、それでも足りなくて桃色吐息、じゃなくて青息吐息な日々。ひたすら目の前の「やらなきゃいけないこと」に必死で食らいつくような状況です。

職場に通うため住んでいる場所はテレビなし・ネットなしの環境なので、こうして実家に帰ってきた時くらいは更新しよう、内容もあまり難しいことを考えず素直に思ったことを書こう、と思った次第です。


 *


一時期「過去は振り返らない」「現在と未来のコトだけを考えていく」というポリシーを掲げて生きていた時期がありましたが、そうしたところ手持ちの弾薬が尽きて再起不能寸前まで追い込まれました。

最近はハードディスクに保存した過去の記事や小説の形式を真似た空想記録を読み返しています。これはとてもプライベートな内容というか、その当時の自分の感情と理想を架空の人物に託して盛り込んだ代物なので、もちろん誰かに読ませられるものではありません。

私自身、テキストにまとめている時はいいものの、数カ月後に読み返すと「?」と思うことがしばしばあります。書いた時と読み返した時は心境が変わっているので、なんか違うんじゃないの、と思ってしまうのです。

それでも、まあ大きくて150kbくらいのデータですし、

「とにかく、その時は全力で考えて、そういうふうに思ったんだから」

という自分自身への温情判断もあって、地道に積み重ねてきました。

それが今になって生きてきた。そんな感じです。それがいいかどうかはわかりませんが、ともかく今の私にとっては、それが今を生きる糧になっています。


同じようなことを、過去の岩手ローカルCMの動画などを見ながら思っています。特に88年〜90年くらいの動画がいいですね。81年生まれの私は小学校低学年、毎日が理屈抜きでひたすらエキサイティング、かつ楽しい日々だったような気がします。

まあ小林秀雄に言わせれば余計な思いを抱かせないからなのかもしれませんが、ともあれそういったCMをトリガーに、25年以上の重みを加えた感情が一気に爆発する……なんていうことがあります。


これもまた、極めてプライベートな話です。誰かに理解してもらいたいとは言いません。

ただ、こうして書くことで、またいつか何かにつながるかもしれないし、ひょっとしたら私以外の誰かが何かにつなげるトリガーになるかもしれない……。そう思って、見える形で記事を残したいと思います。

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昨日は、岩手県久慈市に行ってきました。現在、詳細な旅行記を作成しているところですが、あいにくと時間がないので今月中にアップロードできるかどうか……といったところです。

そこで、このブログで突然、なんの脈絡もなく、濱田マリ『フツーの人』の記事を書きます。これが今回の旅行における主なBGM(行き帰りで3周以上聞いた)だったからです。





一般的に「ハマダマリ」というと浜田麻里さんの方を想像すると思うんですが、私にとってはこっちです。現在は女優・タレントとしての地位を確立しておられますが、90年代前半には音楽エンターテイメント集団「モダンチョキチョキズ」のボーカルとしてツインテールを振り回しながら美声を披露し、関西の言葉でまくし立てるパフォーマンスで一世を風靡していました。

そして感情むき出しの思春期時代にモダチョキの洗礼を受けてしまったため、その後筋肉少女帯→人間椅子と、まったくもって不可思議な音楽志向になってしまったのですが……そんな私にとってこのソロアルバムは極めて衝撃的でした。

当時『ソロアルバム』という形態をよく理解できなかったため「濱田マリ、モダンチョキチョキズ脱退か!?」と、誰もヒトコトも言っていないのにそう思い込んでしまったこと。髪型もいつものツインテールじゃないこと。肝心の歌も、どうも面白おかしいだけじゃない……なんか、ちゃんとしたラブソングみたいな歌になってること。何もかもがショックでした。


あれから十数年が経ち、変わった歌もフツーの歌も色々と聞いて、それなりに感動したりなんだりするメンタリティを手に入れた今になって聞いてみると、なかなか……いいんですよね。以前は「フツーのラブソングに近い」と思っていた曲も、濱田マリさんらしい可笑しみと元気の良さがこもった歌詞ですし。

そんなわけで、今回のちょっと不安な感情を抱いたまま行った私の気持ちをほどよく癒すアルバムでした。お気に入りは『フツーで行こう』『愛されますよ』『ひとひと』です。なお『ひとひと』は1995年に公開された映画『トイレの花子さん』のイメージソングです。イメージソングなので劇中で流れたどうかはわかりませんが、とにかくそういうことです。

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現在の会社に雇ってもらって、だいたい3週間が過ぎました。何とかやっています。

何とか、と言いましたが、なかなか充実しています。正直なところ常に100%の気持ちでやらなければいけないので、負担は以前の職場よりも大きいですが、その代わりリターン(やりがい)も大きいのでね。物理的には大変ですが、精神的にはなかなか充実しているのです。

一方で、ゆっくり本を読むような余裕はありません。こちらは逆に、それなりに時間はあるものの、なかなか本格的に物語の世界にひたる気持ちになれない。そういった感じです。 ま、そういった部分というのは、時間が解決してくれると思いますが。


これは確か内田樹さんも著書で書かれていたと思うのですが、自分が今まで経験したことは、ある時点では役に立たなくても、もっと後の時点では役に立つ時が来るものだと最近は思っています。進学やら就職やら離職やら転職やら……色々あって環境がガラリと変わり、それまで培ってきたノウハウが通用しなくなるタイミングがあっても、「いつか役に立つ日が来る」そう思って取り置きしておくことが、大事なのかなって。

中学2年の頃に角川スニーカー文庫『パワードール』を読み(これが生涯初の小説)、それを自分なりに真似た文章を書いたことをきっかけとすると、じつに20年近く、自分の思いを文章にまとめる作業をしてきたことになります。故・三島由紀夫氏ならそれを『小説』まで昇華させたでしょうが、私のはとてもとても。そもそも極めて個人的なもので、一応それらしい体裁を取ってはいるものの、他人に公開する前提で書いたものはほとんどありません。

今にして読み返すと、いかにも稚拙でむず痒いものがありますが、『恥ずかしい』という感情は起こりません。技術はなくても、そこには当時の心境が目一杯つめ込まれているからです。そして、それを読むことにより、自分も当時の感情を蘇らせることができるからです。しかも、その頃と比べて格段に知識・経験がアップした状態で。

それはある意味、過去にタイムスリップするような感覚です。アレコレ悩んでいた過去に戻り、今の自分と一緒にその問題の解決に当たる。……ま、あまり真剣に考えていくと『自分会議』になってしまうので、『のび太の大魔境』的な感覚でね。あいにく気の利いた秘密道具は持っていけないけど、巨人像の秘密とか、そういうのを持って助けに行きたい。でもって逆に、その頃の熱さを今の私に分けて欲しい。そんな感じです。


(これはまったくの余談なんですが、『のび太の大魔境』で一番好きなシーンは巨神像の中でのび太が敵の隊長サベールと斬り合いを演じるところです。秘密道具『電光丸』を使用したとはいえ、決定的な一打を与えたのは、のび太の気合だと思うからです。男気ジャイアンも文句ナシにかっこいいですが、それはほら、みんな言ってますから……)


……というわけで、今日もまたよくわからない文章を思うまま書き連ねてしまいました。

『答えが正しいかどうかなんて、後になってからわかるもんだ』

これは『龍が如く5』のサブストーリィで桐生さんが言っていたセリフですが、けだし名言であると思います。5年とか10年とか経って、その時の妄想が生きてくることもあるし、いつか誰かの役に立つ日が来るかもしれない……そう思って、この文章を公開します。ご笑覧ください。

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これはブックレビューとは異なるのですが、6月30日時点でああいったことを書いた手前、この7月のこともきちんと書いておくのが筋だろうと思ったので、ちょっと書きます。

6月30日時点で内定し、7月1日から正社員として通うはずだった会社は、3日ほど出社したところで突然、「明日から来なくていいよ」宣言を受けました。正式な雇用契約書とかを交わす前にファイヤーとなったので、記録上は内定取り消しです。

思いがけない形で、完全フリー(失業とも言う)状態になってしまったのです。


もちろん、雇用保険をもらいつつ、ゆっくり職探し……なんてのんきなことを言う私ではありません。確かに「龍が如く5」を数十時間プレイしたり、山岡先生の長編小説『徳川慶喜』を読破したりと、高等遊民のような生活をしていた事実はありますが、一日も早く再就職できるよう毎日何かしらの活動をしていました。言うまでもなく、そうしないと心身ともに本当に高等遊民になってしまうからです(正式には高等遊民気取りの低等貧民、つまり廃人)。

職安に通うのは当然のたしなみとして、各種転職サイトに登録し、フリーペーパーの就職情報誌なんかもこまめにチェック。履歴書を書いて写真を撮って、それを郵送して、返事が来るまでゲームしたり本を読んだり……しながらも、気持ちを切らさないよう努力していました。

そして努力のかいあって? 来る8月4日から、ひとまず3ヶ月、仕事をさせてもらえる会社に出会うことができたのです。


確かに3ヶ月という有期雇用スタイルなんですが、これは私にとっても大きなチャンスです。というのは、今回は職安の方で用意してくれた『トライアル雇用』というシステムを遣っての就職なんです。

トライアル雇用というのは、要するに労働者と雇用者の間に3ヶ月の『お試し期間』を設ける、というものです。雇用主にとっては「コイツ本当に使えるのか?」というのを見極めるための時間であり、労働者にとっても「ココは本当に、オレに向いている会社なのかな?」というのを確かめる……と、まあお互いにとってメリットのあるシステムなんです。私は今回の場合、労働者の側なので、雇用者の方がどう思っているかはわかりませんが。

何せ、今回私が就職先として選んだ会社は、今までとはまた違った業種(直接接客系)ですからね。あらかじめトライアル雇用でおねがいしますと伝え、履歴書にも『接客経験はありません』と明記し、さらに面接時にもそのことを強調した私。こういう人間ですけど、本当に雇いますか? と逆にこちらから持ちかけるような態度です。トンデモナイ野郎です。

……って、もちろん、ヤル気があるから申し込んだんですけどね。「経験はないけど、何とか3ヶ月、やらせてください!」って感じで。その熱意が通じたのか、「とりあえず試してみるか」と思ったのか……どちらかはよくわかりませんが、ともあれ3ヶ月、また働くことになりました。

職場は今の住まい(実家)から数十キロ離れた場所です。通いが大変なので、近くにある寮に入ろうと思います。当然ネット環境とかはないので、物理的な理由で更新はもちろんネット閲覧さえ出来ません。まあ更新頻度は激烈に低くなったので、それはいいと思いますが……。


以上、ご報告でした。

3ヶ月後、「期間の定めのない雇用をしてもらえることになりました」と報告できるようにがんばります。その前に何かモヤモヤしたことを書いたら……そういうことかとお察しください。

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ご無沙汰しております。

6月30日に最後の記事を書き、このままフェードアウトする予定だったんですが、ちょっと6月30日時点で想定していた状況と変わって来まして……まあ、さすがの私も羞恥心があるので詳細なコメントは差し控えさせて頂きますが……結構、こうして記事を書く時間的・精神的余裕が出来るような状況になりました。

といっても、以前のように時事的なことをつらつら並べ立てるつもりはありません。基本的には、読んだ本の感想をまとめるブログにする予定です。じっくりと練り上げた記事はホームページで書くことにして、速報ベースで書く時とか、もっとライトな内容で済ませられられそうな時とか。


当初、タイトルは「読書百冊」にしようと思いました。これは北方謙三さんの言葉から引用したので「百遍」ではなく「百冊」でいいんです。ちなみに2冊は太宰治です。おっと、太宰は続けて読んじゃいけませんよ(と北方先生が言っていた)。

でも、それは元々記事カテゴリの名前にしていたので、寺山修司の著書をもじることにしました。

吉川英治先生の『宮本武蔵』でも、手の付けられない暴れん坊だった武蔵が沢庵和尚によって書庫に押し込められ、そこで何年も書物を読み続けたことで文武両道の剣士となったように。私もあまり街には出ず、ひたすら本を読んで過ごしたいと思います。そして、そんな日々でせっかく出会った感動を、そのまま風化させるのはもったいないので、こうした記事を書きたいと思います。

もしも何かのきっかけで私の記事が目に触れ、本を手に取るチャンスになったら、これほど嬉しいことはありません。

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この世に生を受けて32年、ようやく真の意味で『社会人』としてデビューできそうな気がします。

小学生の頃からいつも強い劣等感を背負い、周りの人の言葉に過敏になり、何事においても「どうせ自分はダメだから」と気持ちがくじけてしまう。「やる前から負けること考えるバカ」だったので、実際にそういう場面になってもほとんどの場合ダメでした。

「それでも仕方がない」

ダメだった時に奮起すればまだしも、そう言ってダメな結果をそのまま受け入れていました。自分としてはそれを「おれは現実をちゃんとわかっている」「努力が無駄だという事をわかっている」と肯定的に考えていました。中学2年の時点でこんな考え方をしていたんですから、大成はもちろん、人並みさえ無理でしょう。フツーの人は夢や目標を設定し、それに向かって努力するからフツーになるのであって、自分で作った夢(=空想、妄想)を見るだけで満足して実際的な努力を放棄しているんですから、どうしようもありません。

大学卒業後、なんとか就職はできたものの、散々に打ちのめされました。その頃の日記を見ると、まったくもってダメな人間であったことがわかります。それでも三人前の「かっこつけ」だったので、なんとか這いずりまわっていたのですが、ついに心療内科に通うことになりました。

そこで処方されたパキシルとメイラックスのおかげで何とか復調し、それまでの部署から配置転換になったこともあり(?)、それなりにスルスルと生きられるくらいの力は身につけました。ダメなところはそのままだけど、そこそこお金も稼いでるし、これが大人というものだって。酒もタバコもそれなりにこなす、典型的なサラリーマンでした。

その意識が変わったのが、今から6年前の夏のこと。高校の授業以来10年ぶりに泳いだ時、自分の想像よりもずっと上手に泳げることがわかったのです。

「やれば結構できるのかも」

そう思って、今までイメージだけで満足していた様々なことを、体験として知るために、チャレンジするようになりました。


「無双OROCHI2」というゲームでは、主人公たちが過去の世界にさかのぼって歴史改変を行う(それによって、その時に死んでしまった英雄たちを生き延びさせる)というターミネーターシリーズのようなメインストーリーがありますが、私もそんな感じでした。

小学生の頃のトラウマ、中学生の頃のコンプレックス、高校生、大学生……今を抑圧する様々な要因を取り除くため、その頃の記憶を引き出して似たような心のシチュエーションを作り出し、しっかりと向き合っていく。要するに「その頃できなかったこと」を今やることで、気持ちを前へ前へと押しやることができました。エネルギーが、いい方向に流れるように変わったのです。

そしていま、最後のコンプレックスが取り除かれました。大学卒業後10年ばかり時間が経ってしまいましたが、ようやく正社員としての仕事に就くことができたのです。

無論これがゴールというわけではありません。「イメージファイト」で言えば実戦ステージが始まったところであり、土方さんが浪士組に加わって上洛したところです。

はっきり言って今度の職場は「何でもやる」ところらしいので、かなり苦労するでしょう。3日や1週間で辞めた人もいるそうです。

でも、後へは引けません。せっかくつかんだチャンスですから。これまでずっとマイナスを抱えてきた人生でしたが、それがプラスマイナスゼロになったところですからね。これからプラスを積み上げていくためにも、絶対に退きません。会社の方からファイヤー(解雇)されたら仕方がありませんが、自分からケツを割るようなことがあっては絶対にいけないと思うのです。

……本当はここでヴェルレーヌ→太宰治→前田日明さんと受け継がれてきたあの言葉をもって締めくくろうと思ったのですが、それは以前別な記事で書いたような気がするので、やめます。

その代わり豊玉宗匠の発句集から二首、引用させて頂きます。

さしむかふ心は清き水かがみ
梅の花咲る日だけにさいて散


今まで当ブログをご愛顧いただき、本当にありがとうございました。

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自分はもう、何かを世間に対して訴える資格はないな、と思ったのです。

政治のこと、芸能のこと。色々と思うところはあります。今はツイッターやら何やらで簡単に自分の意見を発信することが出来る時代ですから、誰だって思ったことを自由に発言できます。

そういうところから新しい見方、新しい発見があったりする……こともあるでしょう。だから、そういうのを否定するつもりはありません。

でも「おれはいいや」って。

自分自身、思ったことをそのまま世間に発信する作業をやめる代わりに、そういうことをしている人たちを無視しよう。そう思ったのです。


たぶん、世の中の早すぎる流れについていけなくなっちゃったんでしょうね。最近は時流に乗れず(というか、自分の意志であえて乗らず)滅びていった人たちに共感しています。その筆頭が土方歳三です。……私は新選組隊士でも幕府の人間でもないので「副長」とか「陸軍奉行並」ではなく、あえて『土方さん』と呼ばせて頂きます。本当は『歳さん』と呼びたいくらいなんですが、これは近藤さんだけが許される愛称でしょう。

今は村瀬彰吾先生の『人間 土方歳三』という本を読んでいます。これは明治二年のとある日に函館で開催された宴会において、土方さんがその場に居合わせる人たちにこれまでのことを語る……という形式の小説なんですが、シバリョー先生ふうの「喧嘩師」のイメージとは少し違った、「年月を経て温和になった」(by中島登)土方さんなんですよね。

1ページごとに心が震えます。

そして、素人が土方さんを語るのは現に慎まなければいけないと思いました。村瀬先生は土方さんの出身地である日野市の方で、深い知識と熱い思いを併せ持つ方ですから、いいと思うんですが、私のようなドシロウトが良かった悪かったと語るのは良くない気がするのです。正否ではなく「力不足」という意味で。確かにそういう「新しい意見」が刺激的に感じられたこともありましたが、やはり……ね。


何かを発信するためには資格がいると思います。そういうのはユーキャンでも取得できません。テーマに対する深い知識と強い愛情。そして、それを伝えるための表現力。そういうのを持たないまま、思ったことをロクに吟味せずポッポッと吐き出すのは、あまり格好良いものじゃないな。……そう思ったので、それを生き方として貫くため、ブログをやめることにしました。

ただ、ホームページの方は続けます。こちらは(Webという媒体ではあるものの)しっかりと自分なりに練りあげて書いた文章だからです。またビデオゲーム系のブログも続けます。これはテーマがはっきりと決まっているぶん、それなりに存在する需要があるのかな? と思うからです。

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今度の仕事は「自分に合わないから辞める」とか、そういうのではないと思っています。どんなに仕事が大変であろうと、それは「正社員」としての仕事だからです。10年間ずっと派遣社員という肩書きに甘んじてきた私。2年前に派遣社員から契約社員に――そして正社員にステップアップする機会をスルーした私(当時はまだ、今ほどの気合がなかった)。その代わりに契約社員になった同僚の送別会において、「居心地がいい現在の場所を選んだ」となじられた私。

これは私にとって、やっと掴んだビッグチャンスなんです。あの送別会の時に私をなじった派遣元の社員を見返すチャンス。
今まで私のことを指導してくれた派遣先職場の皆様に「おかげさまで」と言うチャンス。今までダメだダメだと思い込んできた自分を変えるチャンス。大事な大事なアタックチャンス。

途中から児玉清さんふうの口ぶりになってしまいましたが、私はいたって本気です。本気なんですが気負いすぎて、ちょっと正気を失いかけています。それを何とか引き戻すために、この記事を書いています。


普段こういうこと、ブログでも現実世界でも言わないんですが、「誇り」とか「信念」という言葉が好きなんです。去年から1年間かけて時代小説を読みまくり、武士の生き方に感銘を受けて。プライドのためなら生命をも惜しまないその覚悟に魂が震えました。

まあ私は武士ではないです。誰かと斬り合うようなことはないでしょうし、腹を切るようなこともないでしょう。そういう意味では、「誇りのために生命を張る」……その意味はわかりません。少なくとも、今までは、そういうことはありませんでした。

でも、これからは、そういう生き方をできるかもしれません。

笑われてもいいんです。引かれてもいいんです。私にとって「正社員」というのは、生命を張るに値する身分なんです。だから、どんなに大変なことがあろうと、絶対に手放したくない――そういう、強い覚悟をもっていきたいと思うのです。


「ポリスノーツは俺の人生にとって誇りなんだ!」


まだ10代のガキだった頃に聞いた言葉。……あるいは、この言葉の意味が、わかる時が来たのかもしれません。

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