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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
前回の続き


 若干のブランクはあったけれども、ここで17年間ブログを書き続けたことも、力になっているとは思いますが、この接客サービスの仕事で、さらに磨きがかかったと思います。


 ひとつは、私から「お客さま」に対して伝える力。

 私が提供するのはメニューに印刷された料理と飲み物でありますが、お客さまの方は一期一会。もちろん中には4度も5度も来てくれるリピーターの方もおり、非常にありがたいし嬉しいところではありますが、基本的には一度きりだと思って接しています。

 世界的にも有名な観光地・奥入瀬渓流の近くにあるので、関東関西近畿九州さらには(緊急事態宣言前には)外国からもお客さまが来ることがありました。また地域だけでなく、視覚や聴覚に障害があるお客さまもおりました。

 そういう状況にあって、いかにお客さまにこちらの気持ちを伝えるか? そういう時、私の気持ちはほかの人よりもず~っとず~っと強くなります。ほかの人は、結局のところ「健常者で日本人の」お客さまと同じような接客しかしないからです。そして、こういう時に頑張るのが、私がここにいる理由なのだと思っていたからです。

 まあ、そうはいっても付け焼刃ですからね。なかなか格好よく決まったことはありません。相手もある程度「日本人が話す英語」に慣れていれば、何とかなるのですが、本当にネイティブな英語じゃないと伝わらない場合は大変です。一度ベルギーから来たお客さま(英語とドイツ語しかわからない)をお迎えしたことがあったのですが、その時のことは忘れません。

 どうだったか? 最終的には、

 「言葉が伝わったかどうかはわからないけど、伝えようとする気持ちは伝わった」

 そう確信しました。ここで書いた「自分のスタイル=熱血不器用タイプ」が出来上がったというか、「これでいこう」と思った瞬間でした。

 そして、一番うれしかったのは、聴覚障害のあるお客さまに対して「手話で」気持ちを伝えることができた時です。始まる直前にyoutubeで二つ三つ見て、何とか伝わりそうなもの、絶対に伝えたいものをひとつ選んで、それをやってみました。

 

 で、リアクションが、これ。



 私のような人間でも、ほんの一瞬でも、誰かを喜ばせることができる。――この日のことは、一生忘れません。だって、そういう一瞬がいつ来るかわからないですからね。その時のために、私は生きられるだけ生きなければならないのです。


 ドコかの街で元気ですか、私がお迎えし、お送りしたお客さま。

 私は元気です。

 だって、とっても心が温かくなるから。あの日の朝のことがあったから。……

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こんにちは

 

いぬがみです(今日もこのテーマソングで行きます)。


 この7年間を振り返って、「すごく楽しかったです」とかって一言でまとめると噓になります。2回目の心療内科通いは今も続いていますから。そうなってしまうくらいの精神的ダメージを受けて、「もう死んでしまいたい」と思ったことは何度もあります。

 でも、ギリギリのところで踏みとどまって、どうにか生きてきたので、色々なことがわかりました。自分のいいところとか、悪いところとか。……いや、いい悪いじゃないですよね。いい悪いじゃなくて、得意なことと苦手なこと。向いていることと向いていないこと。好きなことと嫌いなこと。

 これを「個性」というんでしょうかね。私の場合それが極端すぎてASDとかADHDとか愛着障害とかって診断を受けているわけですが、それをいいとか悪いとか言っても仕方ないですよね。不便なことはありますが、私だって神様から与えられたミッションがあってこの世を生きているわけですから。

 それで昨年、新たにITパスポート試験を受けてコレに合格し、さらに新しい仕事を見つけて、4月からリスタート! ということになった次第ですが。まぁこれも自分の「個性」をギリギリのところまで受け入れることができたからですよね。そのうえで、

 「さあ、どうする」( " What do you do ? " )

 と昔の映画『スピード』でキアヌ・リーブスがデニス・ホッパーに言ったみたいに問いかけて。

 「得意なことを突き詰める」
 「1点ミスしても、ほかで3点か5点プラスして帳尻を合わせる」
 「自分で何ともできないことは、誰かにパスを出す」

 そうやって、ここまで来ました。

 そして、

 「今の自分ができる仕事をする」

 という基本理念を

 「自分がやりたい仕事をする」

 と置き換えることができるようになりました。それは同時に、

「今はできるかどうかわからないけど、やってみたいから。
 できるように、なりたいから。
 そこまでの道のりが、何とか見えているから」

 という、割と現実的な裏付けがあっての話ですけどね。Javaを使った企業向けシステムのエンジニアとかになりたい! とか言っても、そこまでの道のりが見えない以上、不可能と言わざるを得ません。まぁこれは少々極端なたとえ話でありますが。

 そういうわけでレストランの話じゃなくて私のパーソナルな話になってしまいましたが、今宵はここまでにいたしとうござりまする(今日は懐かしの大井夫人オチ)。

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こんばんは

 

 いぬがみです(私の職場もフレンチなレストランなので)。


 このドラマが放送されていた1995年は、私はまだ中学2年生だったので、20年後に洋食レストランで仕事をしていることになるとは想像さえしませんでした。

 いや、もっといえば、30過ぎてから宿泊サービス業に転職しようと思った時でさえ(レストランに配属になる8か月前)、洋食のホールスタッフになるとは、想像していませんでした。ええ、最初はフロント志望で入社して、フロントで仕事をさせてもらっていましたから。(これもドラマの影響。姉さん、事件です!


 それで、私が配属になったレストランですが……まあ、これが本当に、ドラマのような感じでした。まず全体を統括するマネージャーが不在で、一応ホテル創立当初から働いている人(パート待遇)が若い社員を取りまとめているような感じだったのですが、取りまとめているといっても彼以外に正社員がいなかったんですよね。みんな辞めちゃって。

 そこに、私のような海千山千……というか「海のものとも山のものとも」的な人間が入ったあたりから、少しずつ形になってきたんじゃないかな。私が入社した後、ドラマで言えば千石武のような凄腕マネージャーが入ってきて、その人の紹介で今度は「旅館で女将をやっていた」人が入ってきて、さらに翌年には非常に鋭いセンスを持った新卒の青年が入ってきて……と。ちょっとスパンは長いですが、本当にドラマのような展開でした。

 十和田湖、奥入瀬渓流の近くにある自然豊かなリゾートホテル。そこにいらっしゃったお客様に提供する、青森の食材を使ったフレンチのコース料理……それが私が7年勤めたウチのホテルのセールスポイントです。

 果たして私は残念ながらドラマのような華麗で崇高、あるいは無双にして最強これが無限流なり……と言えるようなスタッフにはなれませんでしたが、最後のほうになって、ようやく「自分のスタイル」というものを確立できた気がします。確立というか「自分は、こんな感じでやってくしかねえよな」というのが、何となく見えてきたというか。


 一言でいえば、「熱血不器用サービススタッフ」。

 常識も話術も器用さもないけど、誰に何を言われようとも自分が正しいと思ったことを無理やり押し通す!

 気持ちが迷ったりためらわれたりしたら、とりあえず無理やり踏み出してみる!

 飛び出した先でどうなろうが、後は野となれ山となれ、とにかく自分のすべてを出し切る!


 かっこよくない、美しくない、上手じゃないけど――「熱い」サービススタッフでありたい。そう思って、かなり、いいところまで近づけた。そんな気がします。

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おはようございます

 このタイトルを書くために20分、フランス語を調べました

 いぬがみです(部分冠詞って何)。


 わざわざフランス語なんて使わなくてもよっさそうなものですが、一応うちのレストランの名前が "la breeze"といいまして。これでもフレンチベースの料理を出しているんですよね。そして、こんな人間ではありますが、なんだかんだで7年くらい勤めたので、それをまとめておこうかと思ったので、あえてこんなタイトルにしてみました。

 このたび、そんなホテル勤めの日々を終え、新しいステージに立つことが決まりました(早い話が転職です)。そこで、自分がやってきたことをきちんと振り返って、取りまとめて整理することが、新しいステージでの糧になると思うので、この記事を書きたいと思います。振り返り力ってやつですよ。いいことも悪いことも、すべて背負ってこその私ですから。


 初めて今の職場に来た時のことは、よく覚えています。2015年4月20日のことでした。

 その日は確か、ホテルそのものは休館だったと思います。私が配属されるレストランのスタッフは誰もおらず、フロントの人に出迎えられ、支配人にご挨拶をし……ううん、とにかく緊張して、相当カッチリした挨拶をしたような気がします。

 それで、次の日になって、本格的に仕事がスタート。まずは日帰り団体の対応でした。改めてホールスタッフ、それに調理場のスタッフに挨拶をし、2015年当時で20歳の「先輩」の背中について仕事を始めました。

 1まわり以上年下とはいえ、先輩ですからね。とにかく何でも吸収して、早いところ一人前に近づかなくちゃいけないと思って、相当頑張りました。まぁ青森に来る前に、半年ほどではありますが、系列会社のホテルで仕事をしていたのでね。多少「接客心得」みたいなものは持っていましたが、やはり和食と洋食の違いは大きいものがあります。

 しかも、私がついた先輩というのが……洋食の仕事は素人の私ではありますが、社会人としては14年先輩の私から見て、

 「なんか違うんじゃねえの」

 と思うようなことが多々あって、その先輩の言うとおりにやっていたらほかの人(上司とか)から怒られた、なんていうこともありました。おかげで3日後には、「(年下だけど一応先輩だから)さん付け」だったのが「くん付け」になりました。とはいえ彼が辞めるまで、友人として楽しく過ごさせてもらったのでね。今は建設屋さんで頑張ってるそうですが、元気かなナリタくん! あっ言っちゃった!


 ということで、ちょうど分量もそこそこ、話も一区切りしたので今日はこのくらいにしておきましょう。以ッ上!(今日は厚切りジェイソンさん風シメ)。

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こんばんは

 グレートでした、岩渕麗楽選手

 いぬがみです(心からねぎらいの言葉を)。


 女子ビッグエア、本日、決勝でした。

 村瀬心椛選手、銅メダル獲得、おめでとうございます。

 鬼塚雅選手、お疲れさまでした。

 そして岩渕麗楽選手、一番スゲーのを見させていただきました。

【スノボビッグエア】岩渕麗楽4位 着地失敗も女子初トリプルコーク、前日に左手甲を骨折も挑戦

 フィギュア男子の羽生結弦選手もそうですが、前人未到の大技にチャレンジして、これを成功させて見せた……というのは、本当にグレートなことだと思います。岩渕選手自身は悔し涙でしたし、ほかの人がどう思うかはほかの人次第ですが、私はある意味、金メダルを獲得することよりもスゲーことだと思います。

 だって、オリンピックが開催されるたびにメダリストは生まれるけど、「世界初」ができるのは世界で一人だけですから。それをやり切って、全部出し切って……。この感動は一生忘れたくない。そう思って、今この記事を急ぎ書くことにしました。

 ジャンプ団体は5位入賞。これも立派なものです。競技場の内外で色んなゴタゴタがあって、もちろんそれは、ちゃんと正さなくちゃいけない問題ではあると思うのですが――やっぱり、オリンピックって、スポーツのお祭りですから。競技として、採点して順位をつけて表彰されるのは当然だし、そこでの成果も大事だとは思うんですが、

 「記録じゃなく記憶に残る」
 「心から、感動する」
 「グレートですよこいつはァ……と言いたくなる」
 「一番スゲーのは、この選手なんだよ! と言いたくなる」

 そんな、胸が熱くなることが度々あった……そしてカーリングなど、現在進行形でまだまだ起こる、そんなオリンピックであると思います。

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おはようございます

 堀島選手、メダル獲得おめでとうございます

 いぬがみです。


 漫画『ジョジョの奇妙な冒険』が好きで真似をしているうちに、割とナチュラルに『グレート』という言葉を使うようになった私ですが(理由の一つに『やばい』という言葉が嫌いなこともあります)、堀島選手の活躍を見たときは、「グレートですよこいつはァ」とうなってしまいました。本当にスゲーものを見せてもらいました。

 一方で女子スキージャンプの方は、まあメダル獲得とはいきませんでしたが、それでもやっぱり一人一人の競技はすごくよかったです。競技だから順位がつくのは当然ですが、精いっぱい出し切ったのなら、それでいいじゃないですか。これも、本当に心からの言葉です。


 そして今日は岩手県勢が続々と出てきます。男子スキージャンプの小林陵侑選手と兄の潤志郎選手、それに女子スノーボードの岩渕麗楽選手です。特に小林陵侑選手は、1998年の長野オリンピックで大活躍した「レジェンド」葛西紀明選手の指導を受け、新たなるエースとなってワールドカップでも大活躍中ですからね。

 今日は岩手県勢の活躍を期待します。

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こんばんは

スキージャンプ女子の中継を見ながら書いています

いぬがみです。


あることないことワケのわからないことばかり書いているこのブログですが、ひとつだけ誇れることは、2006年からず~っと書き続けているということです。確かに「一日も欠かさず」というわけではありませんが、それでも「その時、その時」の私の思いを書いてきたこと、それがパブリックな場所に保存されていることは、ひとつの財産であると思います。

そのうえで、申し上げます。

不肖いぬがみ、スキージャンプ女子は、ほかの競技よりも2割増しで強い関心をもって見ています。


理由その1は、2014年(今から、ええと……8年も前になるの!?)に乾ルカ先生の小説『向かい風で飛べ!』を読んだから。まあ、その時のナマの感想はリンク先を参照していただきたいのですが、テレビで見ているだけではわからないアレコレがあるのです。特に日本男児たるいぬがみには絶対にわからんのだッ!(アヌビス神が乗り移ったふうに)ということもありました。テレビ中継で語られるウインドファクターとかって言葉を何となく理解できるようになったのも、この小説を読んだおかげです。

そしてもうひとつは、岩手には「小林諭果」という女子選手がいて、その人のことを私は10年以上前から追いかけてきたからです。

ん? 岩手? 小林?

ええ、男子スキージャンプで超絶大躍進ロードを現在進行形で驀進中、今回のオリンピックでもメダルを期待されている小林陵侑選手の姉で、小林潤志郎選手の妹です。もう『小林一族』ってくくりで言ってもいいんじゃないかってくらいなんですが、みんな岩手県八幡平市の出身なんです。私も岩手県盛岡市出身なんです。同郷なんですエッヘン。


……失礼しました。今日のテーマはなんでしたっけ。そうそう『スキージャンプ女子』ということですね。


このブログで小林諭果選手を初めて取り上げたのは2011年9月のこと。当時から高梨沙羅選手は『天才少女』とマスコミでもてはやされていました。

当時も今も『天才少年少女』というキャッチコピーは大嫌いな私ですが、高梨沙羅選手に関しては、もう文句のつけようがないですよね。……ちょうどいま、高梨沙羅選手のジャンプをライブで見ましたが、こりゃあスゲーわ。

それと同時に、どれだけ頑張っても結果を出さないと認められないっていう、競技の世界の厳しさを感じるところであります。それは今、すべての選手が1回目のジャンプを終えた後のリザルトで、「こりゃあスゲーわ」といった高梨沙羅選手が5位になったというところで、改めて思いました。


でも、ね。そういう競技的なこととは別な視点、もっと心情的な視点から見たときに、すごく嬉しい情報もあったんですよね。

HBCカップジャンプで小林諭果選手(八幡平市出身)が2度目の優勝

この時、私は今このブログを書いている青森県十和田市からウン百キロ……本州で一番面積が広い(特に南北に)岩手県を飛び越して、宮城県仙台市に人生をかけた大勝負を仕掛けていたので、すぐに記事を書くことはできませんでしたが、この一報はすごく嬉しかったです。


もちろん、オリンピックという世界最高のステージで競技をすることは、素晴らしいことです。でも、「オリンピックに出られなかったから全部ダメ」ってことじゃないんです。これは不肖いぬがみ、自分自身に向けて言っていることです(喧嘩師の極み・壁詰め)。

とはいえ、私のようなド素人は、結局テレビで放送されるくらい大きなイベントでもなければ、下手すると、そういう競技があることさえ知らずに生きているわけですからね。だから、まあ、一概には言えないと思うのですが……。


すみません、ビールを飲みながら書いていたので、着地点が少々アヤフヤになってしまいました。でも、とにかく言いたかったのは、こういうことです。無理やり要点を書き出します。

いぬがみは、女子スキージャンプ競技を、強い興味をもって見ています。

そして「岩手県初の、女子スキージャンプ競技選手」たる小林諭果選手を、いぬがみはずっとず~っと応援しています! 2011年9月にIBCで放送されたテレビ番組『飛行少女物語~岩手初の女子スキージャンパー成長記~』を見たときからずっとね!


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こんばんは

 北京をベイジンと呼ぶ男

 いぬがみです(杉崎真宏さんのモノマネで)。


 いや、ベイジンだとかリーベンだとかシーチンピンだとか、「確か中国語では、こんな風に発音するんだよな」ってことを知っている、というだけで、北京はペキンといいます。日本は「ニホン(またはニッポン)」といいますし、習近平国家主席は「シューキンペー」といいます。

 とにかく北京オリンピック、開幕しましたね。いま、選手たちの入場行進を見ながら書いています。今年は「中国語で、漢字で書いたときに画数が少ない順」に入場しているそうで、最初はトルコであり、日本は10番目でした。

 中国でオリンピックが開催されることが、気に入らない人たちはいるでしょう。一方でスポーツの祭典を政治的にからめることを面白く思わない人もいるでしょう。「選手はこのためにずっと頑張ってきたんだから、それに水を差すようなことをするな」という人もいるでしょう。

 だから、まあ全世界のひとが無条件にお祝い歓迎ムードっていうのは絶対に無理なんでしょう。これはもう、仕方がありません。


 そのうえで私が言いたいのは、「楽しめるのなら、楽しもう」ということです。

 これ、東京オリンピックの時も、確か思ったんですよね。「こんな時にオリンピックなんかやってる場合か」って批判もわかるんですが、やっぱり地元に聖火が来ると、否が応でも気持ちが盛り上がっちゃうんです。そして今もそう。


 なんでもいいんです。私は頭のいい人たちのように色々なことを考えたり批判したりするのが苦手なんです。オリンピックも結局のところ政治の道具だというのが真実かもしれませんが拙者はそんな真実よりも薫殿の言う甘っちょろい戯言の方が好きでござるよ(なぜか最後は懐かしの『るろうに剣心』オチ)。

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おはようございます

 その名言、いりますか

 いぬがみです。


 いわゆる「名言集」みたいなものが、本屋さんに行くと売っています。古今東西さらには漫画のキャラクタのセリフなんかをかき集めて本にして売り出す……たとえば福本信行氏の漫画とかね。

 いや漫画そのものは大好きなんですよね。最近のやつは読んでませんが90年代は近代麻雀を毎月購読していましたし、カイジもパチンコ編あたりまでは読んでいました。パロディ的に使いまわすようなセリフもたくさんありますが、ズシリと響く言葉もあります。

 そういう言葉を取り入れて、自分の人生を生きるための手助けにするのは、大いに結構だと思います。

 ただ、手軽に触れられて手軽に感動できるベストセラー的な名言集は、岩場にまかれた種のようなもので。すぐに感動してすぐにその気になったものは、飽きて忘れるのも早いものです。土が薄いから根が張らず、すぐに芽は出るもののすぐに枯れてしまうのです。

 私なんかは、まさにそういう人間で。だから安易に言葉を聞いて感動してはいけないと常に自戒しています。全く話を聞かなければ、せっかくまかれた種も鳥に食べられて終わりですから、いい言葉があれば大事に育てていきます。

 たぶん、ちゃんと自分のものにするのは、時間と手間がかかるんだと思います。言葉通りに、偉人さんのように生きられないからといって、格好だけ真似してもダメです。その気になっただけじゃ3日も続きません。でも、たとい地面に出ている部分が枯れても、根っこが生きていれば、また葉をつけて花を咲かせるじゃないですか。だから、「そういうものだ」と思って生きれば、きっと変われるんじゃないかなと思います。


 私は、変われました。

 旧軍の連合艦隊司令長官を務められた山本五十六氏が言っていた(とされる?)言葉に、次のようなものがあります。

  やってみせ、言って聞かせて、 させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。
  話し合い、耳を傾け、承認し、 任せてやらねば、人は育たず。
  やっている、姿を感謝で見守って、 信頼せねば、人は実らず。

 いつどこで言ったのかはわかりませんが、とにかくそういうことです。2行目と3行目に関しては、あんまり聞いたことがありませんが、とにかくそういうことです(大事なことなので2度言いました)。

 私の後輩への指導スタイルは、こんな感じです。

 まず、私は極度の不器用人間なので、最初は自分の動きを見てもらうしかありません。

 でも、職人の世界じゃないので「見て覚えろ」というわけにはいきません。だから「その時、自分がどういう考えに基づいて動いたか」ということを説明します。

 ここまで教えたからすぐにできるだろう、なんてことはありません。誰よりも私自身が呑み込みの悪い方だったので、実際に自分のものにできてるかどうか……やってみてもらいます。

 そして、良いところは良いといい、至らないところは「こうすれば、もっといいよ」と言ってアドバイスをします。それを1年以上やり続けた後輩は、まさにライジングスターの勢いで成長しています。

 

 「あとは君たちに任せる」

 そういって、ここを去るタイミングは、そろそろかな……。

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おはようございます

 やはり、続けなければならない

 いぬがみです。


 実家にある2台の外付けHDDを、久々に見てみました。

 それぞれ120GBと250GB……買ったころはとてつもない大容量に感じましたが、やはり年月を重ねてデータの量も積み重なって、それぞれ90パーセント以上のディスク使用率となりました。そこで現在は2.5インチの1TBストレージをメイン使用しています。

 一方で、「何らかの理由で消したけれど復活させたい懐かしデータ」が残っていることに気づいたので、それを転送しました。その過程で見つけたのが、2006年ごろのブラウザのブックマーク。40とも50ともしれないハイパーリンクがHTML文書としてエクスポートされていました。

 それをコツコツと開いてみる。……私のサイトもそうなんですけど、本人の都合じゃなくてプロバイダがホームページサービスを終了するとか何とかで移転を余儀なくされたサイトもたくさんあるでしょう。インフォシークとかジオシティーズとかって、「うわ~懐かしい」と思った御仁は私の仲間です、ええ、ベテラン軍の一員です。ある一定以上の年齢の方です。


 でも、今も同じアドレスで運営を続けていらっしゃる方も多々いました。

 そして、今まで何十回も同じことを繰り返していますが、また言います。

 「やっぱり自分も、ホームページを守り続けなくちゃいけない」

 最終更新は昨年の9月なので、まだ大丈夫でしょう。もう一度、何とか盛り立てていきたい。さびれていても、火を消すわけにはいかない。せめて、広告が表示されないくらいの頻度で更新しなければ……。

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おはようございます



或人社長(いや人違いですが……)。


 ずいぶん長いことリサイクルショップ等々を探しても見つからなかった、飛電インテリジェンスの社長秘書ヒューマギア『イズ』のフィギュアを、弟者に手配してもらいました。メルカリってやつです。

 AIなのか人間なのか。AIは人間の生活を助けてくれるパートナーなのか、人間を世の中から追い出してしまう脅威の存在なのか。そんなのはずっと昔のSF物語で取り扱われるテーマですが、私は親AI派。私自身が「空気を読む」とか「人間の情動を機敏に察知」とかっていうのを大の苦手とするので、深い人間関係を作ることが苦手なのです。そのうえで、クリーンな状態からものすごい速度で学習(ラーニング)して「理想の状態」をずっと維持できるヒューマギアはいいなあ、と思って。
 ……いや、あくまでもドラマの感想ですよ。


 『イズ』は、そんなヒューマギアを作る会社で仮面ライダーの主人公『飛電或人』の秘書を務めるヒューマギアで、社長業だけでなく仮面ライダーとしての戦闘でもサポートしてくれる有能な秘書です。或人社長は人間とヒューマギアの共存を求め、ヒューマギアを信じる熱くて優しくて明るい性格なのですが、最近までお笑い芸人をやっていたのでビジネスの方は得意ではなく……ついでに言えばギャグの方もあまり得意ではなく(自信はおありのようですが)……でも、それをマッハでサポートしてくれるのがかわいいんですよね。一発ギャグの解説とかもしてくれるし。


 基本的にあまりフィギュアというのをコレクションするほうではないのですが、やはりこれは欲しくなってしまいました。もともと実写の人を精密に再現したフィギュア。イズを演じていた鶴嶋乃愛も認めるスペシャルな代物です。

 人間からAIへ。私はAIを組むことはできないですが、せめてデジタルとアナログの間に立てれば。自分なりにデジタルな世界にかかわることができれば。そんな夢を忘れないために、近くにフィギュアを置いていたいと思います。


参考画像

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おはようございます

 いつも、いいところで目が覚めます

 いぬがみです。


 昨日、24時間営業の「オートスナック」で、超絶人気ゲーム『ペルソナ4』のパチスロをやりました。

 普段パチスロは……というか、パチスロ自体、一度もプレイしたことがないのですが、うちの弟者がめっぽう好きなものでね。まあどんなものかプレイしてみようと思ったら、たまたまボーナスをひいて、ちょっと長めに演出を楽しむことができました。あと『久慈川りせ』と『天城雪子』というヒロインの名前を覚えることができました。

 そして、夢を見ました。

 どこかのラーメン屋で食事をしていると、ふと外から、20年来会っていない高校時代の友人の声が聞こえたのです。少し待っていると、その声の主が、もうひとりの友人を連れてきてくれたのです。

 「おお~、久しぶり」

 立ち上がって挨拶をする私。最近すっかり精神的に疲弊し、「心から笑う」ことを忘れていた私でしたが、この時は本当にうれしくて、楽しくて、何も意識することなく笑うことができました。

 そして、目が覚めてしまったのです。


 「もっと話したかったな」と思う一方、「これでよかったのかな」とも思いました。夢で出会った友人も私も、あれから20年くらい年を重ねているし。むしろ息子や娘が高校生でも不思議のない年齢です。いまだにアニメやゲームに夢中な私のほうが、きっと珍しいでしょう。本来そうあるべきではないでしょうから、多くは語りませんが。

 とりあえず、私の気持ちが、元気になれた。それでいいのです。

 そして、そのきっかけになったのはパチスロの『ペルソナ4』だったと思います。スタイリッシュな少年少女が、いろいろと難しい問題を抱えつつも、それを仲間といっしょに解決していく。素敵じゃないですか。私はそんな諸君の2倍以上の人生を費やしていますが、やっぱり気持ちは10代20代のままなんです。基本、熱さで乗り切るのです。


 もっとも、それだけじゃないよな、とも思っています。40歳になった自分が、社会から求められているものは何か。「自分はリーダーになるようなガラじゃないから」といって、いつまでもプレイヤーであり続けるわけにはいきません。大体、プレイヤーであっても自然とリーダー的な役割がついてくるものです。私だってそうです。

 何人もの部署をまとめることはできないけど、せめて一人か二人なら。ほんの少しだけ、自分が知っていることを、若い人たちに伝えられたら。そんな思いでここ数年、やってきました。

 それが、もう少しで花開きそうです。

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こんばんは

 新年あけましておめでとうございます

 いぬがみです。


 こんな記事がありました。

 年末年始が嫌い。お正月はめでたくない!って人こそ「おめでとう」と言いましょう

 腑に落ちました。ちょっと泣きそうになりました。そして、心が軽くなりました。

 「笑う門には福来る」と、昔のことわざにもあります。

 
 いつも笑顔でいられるように。どんな時でも心から笑顔でいられるように。誰に何を言われようと柔和でいられるように。

 苦しい時に苦しいというのは、いいことだと思います。ちゃんと自分の気持ちを受け止めてあげないと、私のように回避性愛着障害になってしまいますから。

 苦しい時に苦しいと認め、辛い時はつらいといえばいいのです。誰かに助けてもらえばいいのです。そうすれば、きっと自分も誰かを助けたくなるのですから。そしてお互いに笑顔になって、福が来るのですから。

 もう少し、色々なことを考えてみたいと思います。今日は朝から晩まで仕事をしました。明日も同じくらい仕事します。だから今日はもう寝ますが……

 きっといいことがありますよね。生きてさえいればね。

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こんばんは

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます

 いぬがみです(めでたくなくても使える新年のあいさつ)。


 すでに本日は午前6時から稼働し、早い話が疲れちゃってもう寝たいんですが、一応、元旦ですからね。まずは短文ながら、ご挨拶を。

 ……昨年の大みそかから色々あって、それらを冷静に書きだすためには、もう少し心の準備が必要みたいです。だからといって変に楽しいことだけ書いて取り繕う気にもならないし。


 とりあえず、今日は仕事が終わってから、車で15分の所にある最寄りのコンビニでお正月っぽいもの、福袋っぽいものを買ってきました。森永製菓の「キョロちゃんおたのしみ袋」というやつです。世間的には子供向けの、お菓子の詰め合わせです。

 ほかにはローソン十和田湖町店が独自にチューニングしたスイーツ福袋もあったのですが、

 「とにかく福袋と言うやつを買ってみたい。それで無理やりにでも正月気分を味わいたい」

 という悲しすぎる動機に基づいた独身40代男の、というとますます悲しくなってきますが、そんなささやかな気持ちを満たすためには子供向けのそれで充分です。袋のデザインがお正月っぽくて、しかも「2022」という数字が入っているのなら、言うまでもありません。この時点でクリスマスの売れ残りではないということが、証明されたのですから(?)。


 とにもかくにも今年はどうなるだろう。新年早々、不安が付きまとっていますが、今年の抱負を一言で。

 「格好良く死ぬよりも、(できるだけ)格好悪くて苦しくて嫌な生き方をしたい」

 とにかく生きていこう。苦しんで苦しんだうえで力尽きるのなら仕方がないけど、楽になりたいと思って格好つけて死ぬことは避けよう。それが今年の私のテーマです。

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こんばんは

 皆様、どんな大晦日をお過ごしでしょうか

 いぬがみです(私はさっきまで仕事でした)。


 いつのころからか……お正月というのが、まったく楽しくなくなりました。

 この仕事を始めたから?

 心の中にいつもおられるイエス様の存在に気づいてから?

 よくわかりませんが、とにかく明日も朝6時30分には出勤しなければならないので、今夜も早寝をします。年越しも何も関係ありません。ああ嫌だ嫌だ……。


 ……なんてね。

 誰かを楽しい気持ちにさせることで、私はお金を得ているわけですから。これもまた、仕方がないことなのでしょう。

 それをいったん受け入れたうえで、人並みにとはいかなくても、ほんのちょっとだけでも「楽しい気持ち」に、なれれば、いいなあ。とりあえず、自分の思い込み次第でコントロールできる余地が、まだ、ほんのちょっとだけあるから。

 もしかしたら、そんな余地もなくなって、自分ではどうしようもなくなっちゃうかもしれません。それは、そう遠くないような気がします。実際、それに限りなく近い状態に陥ることも少なくないし。

 でも、ね。

 ほんのちょっとだけでも、まだ、大丈夫なら……。


 ああ、間もなく年が変わります。

 八百万の神々が住まうとされる我が国においては、クリスマスも独自の解釈でお祝いする代わりに、その日を過ぎればたちまちお正月モード。サンタクロースの余韻もそこそこに年神様を迎える用意にいそしむのは、いいも悪いも「そういうもの」と、これまた日本人的な感覚で受け入れていましたが、本来のキリスト教国である欧米では、クリスマスの雰囲気が1月上旬ごろまで続くのだといいます

 なるほど、だからジョン・レノンもハッピークリスマスとニューイヤーを同時に歌っていたんですね(?)。私もそういう雰囲気のなかで生きたかったなあ……クリスマスを、それほど長い間、楽しめるなんて、どれほど素敵なことだろう……。ああ、これは余談です。

 あと20分ほどで、今年も終わります。紅白歌合戦も、まもなく集計結果が発表されます。私はこれから晩御飯を食べます。ちょうど年が変わるころに眠ることになるでしょう。とにかく皆さん、今年もお疲れさまでした! そして、良いお年を~! 終わりで~す!(最後まで三四郎・小宮さん風オチ)。

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おはようございます

 年も押し迫って、皆様いかがお過ごしでしょうか

 いぬがみです。


 クリスマスの楽しい雰囲気をうってかわって、年末年始というのは私にとって非常に憂鬱な感じがします。いつもと違う雰囲気に、とっても疲れてしまうのです。まあ、それでもこの国には正月というのがあるので、仕方がありませんが。

 さて年末特集「コトシノワタシ」ですが。……なんか、振り返るのもつらいなあ。

 ちゃんと積み重ねてこなかったから、なのかもしれませんが。

 でも、今年はとにかく精いっぱい生きてきたという気がします。今こうして、文章にすることが上手にできませんが、新しいものに挑戦し確実に一歩を踏み出した。そう言えるはずです。だから、本当はもっと意気揚々としていていいはずなんですが……やっぱり、ごめんなさい、うまく気持ちが……。

 
 今までで一番大きな前向きのパワーで、今までで一番メンタルに負荷がかかって。機械だってそうですよね。過度にパワーを引き出そうとすれば負担がかかるし、それでも頑張らせればどうなるか。

 壊れてしまいますよね。

 もう誰に何を言われても、気持ちをキープすることが、できなくなりつつあります。それでも前に進まなくちゃいけない。

 来年はさらなる変革の年にしたい。そのために、今年も頑張ってきたんだから。

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おはようございます

ちょっと早いですが、メリークリスマス

いぬがみです。


 google photoで写真を眺めながら、「今年オートバイで、どこに行ったか」ということを振り返っていました。よほど暇だったのかと言われそうですが、私には「振り返り力」が必要なのです。せっかくコストをかけて出かけたのに、自分のなかでプラスになっていないんじゃ、もったいないですよね。

 いい写真でも拙い写真でも、どこで何をしたのかを記録することは必要なのです。


 今年の初走りは3月初め。割合に暖冬だったのかもしれません。

 手始めに近くのお気に入りスポットを走った……わけではありませんでした。この日に関してはブログの記事も書いていたので、わかりました。なるほど、この日に青森から岩手まで、自らオートバイを陸送してきたんですね。

 初っ端からそういうことをしていたから、3月11日には、オートバイで宮古市それに大槌町などに行ってきました。これは、2月に車で出かけた時、「自分のオートバイと一緒に写真を撮りたい」と思ったから。山間部など一部のエリアは軽く路面凍結していましたが、何とか走り切りました。


 とりあえず写真で振り返られるのは、10回くらいでした。もう少したくさん走りたかったけれど……まあ、それでも岩手県内、あちこち走り回ることができたし。今年はこれでよしとしましょう。

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おはようございます

 「ウマ娘」の話しじゃありませんよ

 いぬがみです。


 今回のテーマは『地方競馬と女性騎手』。

 そもそも私は競馬というものをほとんど知らないし、勝馬投票券を買ったこともないのですが、時々「女性騎手」というキーワードに反応することがあります。

 2012年5月19日

2013年12月14日

 2014年12月29日

 これは岩手競馬というのが歴史的に女性騎手を多く輩出していること(ほかの地方競馬とかと比べてね)、小説『きみはジョッキー』を読んで感動したこととか、そういうのがあると思うんですよね。さらに当時は実家で「岩手日報」を購読していて、そのなかで取り上げられたのを読んで興味を持って……とかね。

 それで、今回はNHKのドラマ『風の向こうへ駆け抜けろ』のロケで使用された水沢競馬場にて、企画展が開催されているということで、私も現地に飛びました。今日はそのレポートです。




 さあ、ついにやってきました水沢競馬場。……でも火曜日はレースは開催していないし、馬券も販売していないから、超絶静かです。警備員さんも全然やる気がありません。いえ違います。およそ競馬と縁もゆかりもなさそうな中年男がフラ~ッと近づいてきたので、即時臨戦モードに入りました。もちろん私も退けない理由があるので、押し問答のうえ強行突破です。それも違います。

 

 ドラマの前編が終わってから、企画展をやっていることを知ったので、まだ本編は見ていないのですが……こういう、野球とかサッカーの試合みたいな横断幕をぶら下げて応援するんですね。実際のところ競馬場に足を運ぶ人というのは、自分が賭けた馬が1着になってお金を儲けたいという人ばかりだと思っていたのですが……。



 パドックにやってきました。ここの競馬場の名物は昔ながらの「手書き看板」。ドラマでも当然これが使われていたそうですが……なんか、すごいなあ。これは実際に来てみないと、わからなかったから、ちょっと良かったです。

 


 このスタンドに観客が満たされて、大歓声の中、競走馬たちが駆け抜けるシーンを想像しつつ、このブログを締めくくります。ひとつの経験として、やっぱり味わってみたいなあ。当たるかどうかはさておきね。

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こんばんは

 家計簿ソフト利用中

 いぬがみです。


 家計簿をつけているとはいっても、元より「人生どんぶり勘定」のいぬがみ。予算を決めてアレコレ~というのではなく、「とりあえず、使ったお金を用途別に記録する」だけなので、家計簿というよりは小学生の「お小遣い帳」レベルの代物であるとは思いますが、いわゆる「家計簿ソフト」というのが、そんな用途でもすごく便利なのでね。

 その家計簿への入力のために、レシートをもらえる買い物であれば、すべて回収しています。自動販売機や田舎の個人商店のようにレシートをもらえない場合でも、記憶が消える前に、できるだけ入力しています。だから、それなりに、ある程度の精度はあると思うのです。

 いつの時代も人間の思い込みと実際の行動は乖離があるもの。「自分ではこう思っていたが、実際はそうじゃなかった」というのをマザマザと見せつけてくれるのが数値(データ)なわけですが、まさに、そういうことです。

 一例をあげれば、私はこう思っていたのですね。

 「タバコとかは数日に1回買うだけだから、そんなにたいした金額じゃないだろう。それよりも、毎回1000円とか2000円とか買う食料とか酒類の方が大変だよな」

 ところが実際は、そうじゃなかったんですよね。12月15日時点で数字を見てみると、気になっていた酒類のお金はタバコの半分でした。確かに食費はそれなりにかさみますが、それは仕方ないですよね。エンゲル係数って言葉があるくらい、絶対に必要なものですから。

 
 「精神的につらいから」「一日に吸う本数を減らしてるから」とか何とかって言い訳を立てて吸い続けているタバコですが、こうして現実問題を考えてみると、これはなかなか……。まあ、家計簿に登録していない出費もあるかもしれませんが……だからといって、タバコを肯定することは、できないですよね。

 だってご飯は食べなきゃ死んじゃうけど、タバコは吸わなくても死なないから(逆に「吸うと死んじゃう」と言ってもいいでしょう)。


 喫煙者の皆さん、ちょっと検討してみましょうよ。体に害があるとかないとかって話は諸説ある……って私は喫煙者ですが、「害がないわけないだろう」と思っています。それだけでもつらいのに、経済的にも大きなダメージを与えるとしたら……ってね。そういう部分から考えてみましょうよ。

 私は本当に考えます。

 一時期はタバコを吸わなくても大丈夫な時期が(年単位で)あったわけですから。決して無理な話ではないと思うのです。でも、ある意味(精神的な意味で)「生きていくために必要なもの」と認識しているだけに、やめるのは簡単じゃないかもしれません。


 少なくとも、今の仕事に従事している間は。

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こんばんは

 今日は『ニュースウォッチ9』を見ながら書きます

 いぬがみです(そしてビールを飲みながら)。


 コロナウイルス『オミクロン株』が、世界77か国以上で広がっているといいます。これに対して各国政府は3回目のワクチン接種云々という政策を打ち出しているわけですが、それに対して街の人たちは「受けたい」「受けたくない」「まだ決めかねる」などバラバラ。

 以前であれば私は、限りなく100パーセントに近い割合で「ワクチン接種推進派」でした。別にSNSでラジカルな意見をまくしたてるようなことはしませんが、

 「ワクチン接種否定派の人が感染しても、結果的にほかの人にうつしてしまうのだから」

 一日の感染者数が『過去最多』を続々更新し、重症者があふれかえって医療従事者の方々も追い込まれ、芸能人を含めたあらゆる人たちが死亡する非常事態宣言下だからかもしれませんが――私はそんな風に考えていました。

 確かに副反応は少々キツかったです。でも、「これで、一人でも重症者や死亡者が減るのなら」という思いがあったから、何とか乗り越えられました。


 一方で今のオミクロン株。

 ……

 ……いや! 決して軽視するつもりはありません。ワクチンを接種して感染リスクが下がるのなら、やはり接種するのが道理でしょう。それはわかっているのですが、ほんの少しだけ、気持ちの強さがね。最近プレイしている昔のゲーム『維新の嵐』ふうに言えば、

 「公議100 尊王0 佐幕0」

 だったのが、

 「公議85 尊王10 佐幕5」

 ……てな感じで。自分の主義は変わらないのですが、ほんの少しだけ「受けたくない」とか「決めかねている」という人の心情もわかる、と。


 まあ、ワクチン接種をしてもしなくても、基本的な感染症対策は変わりませんよ。マスクをつけないよりもつけた方がいいだろうし、お店の出入り口にあるアルコール消毒も、しないよりはした方がいいだろうし。さらにいわゆる「ソーシャルディスタンス」ってやつを意識すれば、感染リスクは下がるわけですから。

 こんなことで悩まなくてもいいような日常は、きっと、あります。でも、そのためには、もう少し我々の苦労とか努力が必要なのでしょう。私も色々あって心神耗弱状態ですが、明るい未来を想像して、今日は深酒します。だって明日は休みですから。イエ~イ!(サンシャイン池崎ふうに←これがオチです)

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こんばんは

 今日も少しくお酒を飲みながら記事を書いています

 いぬがみです(飲まないとやってられない)。


 私は洗礼を受けたわけではないのでクリスチャンではありませんが、生き方の物差しというかモラルのよりどころとして聖書の言葉を大事にしています。昔の日本の「キリシタン」みたいなものです。洗礼は受けていないけれど、やっぱり神様に心を開くと、荒み切った気持ちがすごくフラットになるのです。

 さて今日は、聖書とお酒に関するお話です。なに、私もすでに酒を飲みながら書いているので、皆様も構えずに読み流してください。


 ことに酒というのは昔々から人類とともにあるものですが、それゆえに宗教によってはこれを厳しく禁止するものがあります。私たちのように八百万の神々が住まう文化に生まれ育った人間からしてみれば、「イスラム教が飲酒を禁止してるから、キリスト教もダメなんだろうな」とかって思いがちですが、必ずしもそういうわけではありません。

 そもそもイエス様が、いわゆる「最後の晩餐」の席上にて、弟子たちに「これは私の肉、これは私の血」といってパンとワインを振舞っています。さらに聖パウロが『テモテへの手紙』の中で、こんなことを言っています。

 『これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。』
(新約聖書 テモテへの手紙第一 5:20~23)

 ……な~んて、これを日本人の特技『錦の御旗』として掲げて、欲望のままにワインを飲みまくる……そんなことでは、いけません。私は過去に何度も何度も何十回もそういう過ちを犯してしまったから、あえて言います。ついでに言えば、当時の衛生環境とか何とかということを、この記事を書くためにアレコレ調べているうちに知ったので、それを踏まえて言います。


 聖パウロがこういう風に書いた時代(今から2000年くらい前)は、そもそも飲料水というものが、かなり……よくなかったらしいのですね。衛生面とか、そういうので。

 それなのに私は現代日本の、「カルキ臭い」なんて贅沢な不満が出てくるくらい徹底的に消毒された安全な水を毎日のように飲みまくっている価値観で解釈してしまったものですから、ついつい「なんだ、聖書でもワインを飲むことを推奨してるじゃないか」「適量だったらいいんだよ、適量ならね」つって、ついつい過度に飲酒してしまう……そんな日々を過ごしていました。

 
 日本語で言う「宗教」というもの。神様でも仏様でもイエス様でも、なんでもよろしい。とにかく自分が信じて一生懸命にその教えの通りに生きようと思う「目安」となるもの。その拠り所となるものが、歴史の長さがあればあるほど権威があるような気もしますが、一方でその当時の世の中の環境とか、そういうものも意識しないといけない――そうでないと、大事なことを見誤ってしまうかもしれない。今日はそんな自戒の意味を込めた記事でした。

 終わりで~す!(唐突に三四郎小宮さん風オチ)。

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 「これからの時代はコレだぜよ」

 いぬがみです(高知の人ゴメンナサイ)。


 私は東北の人間なので、土佐弁というのはドラマやアニメなどのフィクションでしか、聞いたことがありません。ただ、そういうフィクションの世界で活躍する坂本龍馬とかが好きで、私自身の言葉遣いにも少し影響があると思います。

 まぁこれは私自身が「影響を受けやすい」性格だから、というのも、あるのでしょうね。もともと盛岡弁がベースだったのですが、フィクションの登場人物やテレビタレントが使う河内弁とか泉州弁とか名古屋弁広島弁そして6年以上いるうちに少しずつ浸透してきた津軽弁――。

 たぶん普段の話し言葉は「盛岡弁ベースの津軽弁風標準語」なんだと思います。お客さんから言われて意識するようになったのですが、なるほど、言葉のイントネーションとかは、結構津軽弁の影響を受けているような気がします。そういうのはナチュラルにしゃべる時に出てくるんですよね。


 他地域の人は信じられないと思いますが、青森の人はびっくりした時に、

 「わいは」

 といいます。ハワイじゃないですよ「わいは」です。

 でも、これはまだ……標準語で表せば「ああ、びっくりした」という若干の心の余裕がある時であって、本当にびっくりした時は、

 「わいぃぃぃ!」

 といいます(「うわー!」とか「どわー!」とかと同義語です)。

 そして、これを盛岡弁に置き換えると「じゃじゃじゃ」といいます。「じぇじぇじぇ」じゃないです。「じゃじゃじゃ」です。「わいぃぃぃ!」に相当するのは「じゃっー!」です。いや、それは私だけかもしれませんが。


 最近の私は「水曜どうでしょう」を週5くらいで見ているので(?)それに加えて、北海道方言も少しずつミックスされています。でも、北海道の人の言葉遣いと青森の人の言葉遣いって、結構、共通するものがあるんですよね。

 たとえば、

 「なんも、なんも」

 全国の人たちにわかるよう翻訳すると、何も気にすることないよ、といった意味合いの言葉です。青森に来てから……いや、ひょっとするとそれ以前から? ナチュラルに使っていたのですが、函館駅の本屋さんで買った『北海道民のオキテ』という漫画を読んだとき、わざわざ注釈付きで書かれていたので、

 「これは世間一般では、北海道方言なんだろうか」

 と思ったんですよね。

 あと「あずましい(=心地いい)」という言葉も、津軽弁だと思っていたんですが、観光誘致のポスターで「なまらあずましい」と北海道方言として使われているのを見たりして。いや、函館・青森間の観光促進キャンペーンとして、あえてハイブリッドで使ったのかな。「なまら」は完全に北海道方言ですから。青森県では聞いたことありませんから。というか実際に使っているのは大泉洋さんくらいしか見たことありませんが。なまら怖かったよぉ!(だるま屋ウイリー事件)。


 夜ご飯も食べずにワインを飲みながら書いているので、そろそろまとめます(酔っぱらって、ちゃんとした文章を書ける自信がなくなってきたので)。

 好きなフィクションの登場人物とか、好きなテレビ番組の出演者とか、そういうのを真似して日常会話に取り入れているところはあります。でも、それと同時に、岩手県・青森県という僻地に住んでいるゆえに培われたナチュラルな「方言使い」でもありますから、私の話し言葉というのはかなりメチャクチャな気がします。

 でも、あくまでも「自分の気持ちを一番ナチュラルに伝えられる言葉」を選んで話しているつもりなのでね。このままいけばどうなるか、そんな自分を楽しみながら、これからの時間を生きていきたいと思います。

 じゃじゃじゃじゃじゃあGO! (最後は藤村D風オチ)。


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 「NEWS ZERO」を見ていてドキリとしました

 いぬがみです。


 23時過ぎに自室につき、軽くシャワーを浴びて、さてビールでも飲むか……と思いつつテレビを付けたら、NEWS ZEROの時間を過ぎていました。今日は櫻井君の日ですね。

 内容は、今から80年前、1941年12月8日未明――って、これは日本時間であって、ハワイ時間で言えば12月7日ですが――そう、真珠湾攻撃に実際に参戦した方の話をしていたんですね。御年103歳であるといいますから、当時は23歳ですね。

 「その時、人を殺すという意識はありましたか?」

 櫻井君がそう問いかけた時、戦争を知らない私ではありますが、ギューッと締め付けられるような思いがしました。

 テレビだから仕方がないのかもしれませんが、「何でそんなこと聞くの?」と思ったのです。


 「戦艦を、空母を沈めて来いと命令されていた。
  人を殺してこいとは言われていない。
  自分としては、命令通りの仕事をしたと思っている」

 そのうえで、

 「戦争はいけない。一番たくさん人が死ぬから」

 とおっしゃっていました。


 ……


 色々な思いとか、言葉が一気にあふれてきて、上手にまとめられないので、終わります。最後に少しだけ書いてからね。

 たぶん、自分の中で「戦争は嫌なものだ」とハッキリ思えるようになったのは、澤田教一さん(と、同時代に同じ場所にいたカメラマンたち)が撮り続けたベトナム戦争の写真を山ほど見てからだと思います。それまでも、沖縄戦とか原爆投下直後の広島とか、そういう写真を見ていたから、土壌はあったんです。

 でも、そういった写真は銃後の人たち、民間人、非戦闘員のものばかりで。澤田さんの写真に写るのは民間人だけじゃなく、兵隊さんも、たくさん写っているんですよね。それも、アメリカ・ベトナム両国の。

 ……ううん、もうダメ。

 こんな私をダメだというのなら、なんとでも言ってください。

 とにかく私は戦争が嫌です。人を殺すことも嫌です。でも、そういう時代があったから、今の平和な日本があるのだということも、わかっているつもりです。

 今この時間、この国を作ってくれた皆様へ感謝を込めて。私は明日も生きていきます。

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 今日はTM NETWORKを聞きながら記事を書いています

 いぬがみです。


 TM NETWORKといえばGet Wildが超絶有名ですし、そのほかにはアニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の主題歌「BEYOND THE TIME (メビウスの宇宙を越えて)」なんかも、良く知られたところだとは思いますが、私が一番ピーンと心に響いたのは、そのGet Wildの前に出たシングル、タイトルは「Self Control (箱舟に曳かれて)」という楽曲です。

 2016年3月12日の日記にも書きましたが、これ確か震災関連のラジオ番組で、誰かがリクエストしたんですよね。ご存じの通り、誰にもコントロールできなくなった原発は、多くの人たちに影響を与えました。

 そういうタイミングが絶妙だったのもあるでしょうし、あとは、やっぱり音楽そのものが、すごく私が気に入ったからでしょうね。


 やっぱり小室哲哉さんには、音楽しかないですよ。きっと、おかしな時流に飲み込まれて、セルフコントロールできなくなっちゃったんでしょうけど、復帰するというのなら私は応援します。どれほど偏屈で暗い思春期を過ごしていたとしても、やっぱりテレビとか街の有線放送とかで小室さんの音楽を聴いていましたから。

 小室さんの音楽よりも好きな音楽はいっぱいあります。でも、小室さんの音楽は単体じゃなくて、その時の景色とか空気とかという記憶の一要素ですから、欠かすことができないんです。


 別に小室さんがらみのホットニュースが飛び込んできたわけではありませんが、どうしてもこの「Self Control」が聞きたくて、パソコンのHDDを探していたら昔ベストアルバムを借りてコピーしたのが見つかって、もう一度聞くことができたのが嬉しくて。それでつい、こんな、とりとめのない話をしてしまいましたゴメンナサイ。特にオチもありません。重ね重ねゴメンナサイ(x2)。

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こんばんは

 楽しいことを楽しみたい

 いぬがみです(ちょっと心が疲れてます)。


 取り立てて書くようなこともなく、明日も早いのでさっさと寝てしまいたいのですが、戻ってきてから炊飯器のスイッチをオンしたため、まだ晩御飯を食べていません。

 寝る何時間前までに食事を済ませないと、変な時間に目がさえて眠れなかったりするのですが――それが正しいとは思うのですが、やっぱり食べないと満足しませんから。私はライデン湯沢殿下とは違うので「たりなひ」と周囲に訴えかけるわけではありませんが、やっぱりご飯を食べること自体が、ストレス発散の重要な手段なんです。

 「気の持ちよう」とは、この低迷した嫌な気持ちを理論的に好転させるための「おまじない」みたいなものです。実際にそうコロッと好転するわけではありません。でも、そう思い続けることで、何とか、少しでもいい方向に進めばいい。そう思いながら、今この記事を書いています。

 楽しい気持ちになれそうなら、無理に自分を囲い込んでかたくなにならず、楽しい気持ちで眠りたい。そう思います。


 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は,その日だけで十分である」。マタイによる福音書 6:34,「新共同訳」,日本聖書協会

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