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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは。

今日は阪神大震災から22年目

『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。


 私は岩手の人間ですので、真っ先に頭に浮かぶのは2011年3月11日の「東日本大震災」。もちろんこれは一日たりとも忘れたことはありません。風化が進むという報道が流れるたび、「どうして、いまだにこんなに苦労している人がいるのに、みんな忘れてしまうんだ」と思うことがありましたが、そんな私も阪神大震災のことを忘れていました。今日の夕方、ご飯を食べに食堂に行って、そこで新聞を読むまで。今テレビで「報道STATION」を見るまで。

 あの時、私は中学1年生でした。甚大な被害を受けた関西地方から遠く遠く離れた岩手県の私にとってあの日は、半ば非現実的な世界の出来事でした。私の現実は、いつもと変わらずに朝起きて、テレビをつけただけだったから。そのテレビの中で、崩れ落ち、燃え上がる神戸の街並みが映し出されているだけだったから(これはのちのアメリカ同時多発テロの時もそうでした)。

 実際に家族や愛する人を亡くした人は、それこそ一生涯、絶対に忘れることはないでしょう。それは私もそうです。誰も喪うことなく、何も壊れることがなかった私ではありますが、私が生まれ育った岩手県と宮城県、そして福島県の人たちと街に対する思いは、これからもずっとずっと変わりありません。

 でも。ね。

 ……あの時のことを今の今まで忘れていた自分のことを思うと、なんというか、その……

 東日本大震災のことを忘れないで、という気持ちに変わりはありません。でも、阪神大震災のことも忘れてはいけない。そのことを、改めて心に誓いました。


 *


 ただ、阪神大震災と東日本大震災で、ちょっと違うところはあると思うんですよね。今の神戸はかつて震災で壊滅したことを忘れてしまうくらい繁栄しているものの、東日本大震災で被災した岩手県の沿岸の街は、いまだに多くの人が仮設住宅に入り、復興途上なんです。私も実際に被災地に足を運んだので言いますが、もう5年以上も経つのに、こんな感じなんです。事実として、私の脳裏にはこの曲が流れました。



 これは物語のとある展開により崩壊した街を歩くときに流れるBGMなのですが、本当そんな感じです。

 身内や愛する人を喪った悲しみを、第三者が忘れさせることは絶対に無理でしょう。でも……。


 すべての、震災の犠牲になった人たちに冥福を。そして、今も震災で苦しんでいる人たちに寄り添う気持ちを。いぬがみは、これからもずっと、そういう気持ちで生き続けます。そして、少しでも力になれるよう、努力していきます。

 がんばれ、がんばれ、がんばれ、みんな(さまださし『関白失脚』的オチ)。

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