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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 『風雲新撰組』(今は『幕末伝』)をプレイして、急速に新撰組の人たちのことを知り、さらに暇さえあれば名前を検索して知識を深めているところなのですが、思ったのはやはり激動の時代に「いい人」では生き残れないのか……ということ。

 そう、今プレイしている時代は伊藤甲子太郎らが入隊し、オリジナルメンバーの山南(敬助)さんが立場的にも思想的にも追い込まれて悩んでいるところなのです。

 「……私は、幕府のために剣を振るうだけです」

 あまり感情を表に出さず、言葉も少ない主人公は、ただこう言うだけで山南さんにとっては何の役にも立たないのですが、その中の人は何とかしてあげられないものかと悩んでいるのですね。

 
 ただ、時代はどんどん動いていく。頭のいい人は上手に立ち回って生き抜いていったし、剣の腕の立つ人は言うまでもありません。(ゲームの中では)あまり深く考えて行動しないような人たちは、迷いもなく、ひたすらザクザクと不逞浪士を斬って生きています。

 深く考えないというのは、純粋一途に何かを信じて突き進む沖田君とか主人公も含めてのことです。

 まあ、プレイヤーもそうとでも思わないと、とてもやってられんのですが。

 ナントカ無双みたいに、ifストーリーで本来ありえない歴史を作り出すようなものではなく、どんなにがんばっても歴史を変えられない。ある意味『その時歴史が動いた』みたいな興亡体験ゲームですから、別れるべき人は別れるし、敵対するべき人間は……斬るしかないのでしょうね。そうじゃなかったら、根本的にストーリィが崩壊してしまいますしね。


 だからこそ、友好の証として愛刀『赤心沖光』をもらえたことは、とても嬉しかったです。攻撃力がアップするんじゃなくてダウンすることに気づいたのは随分後になってからでしたが……。

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