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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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新年、あけましておめでとうございます。

昨年中は散々な感じでしたが、今年はいつもいい年になればいいな、と元日には思うのですが、さてどうでしょうか。

今日は、そういうこともあって、とにかく正月らしいことをしまくろうと思って、結果、割と成功したような気がします。


まず、未明。日が変わったころ、私は山道を愛車にて爆走していました。自宅からざっと15分くらい山の中に入ったところにあった岩手山神社にて初詣をするためでした。

1000年近くの歴史を誇る古刹ながら、辺りは暗闇、人家もなければ訪れている人もあんまりいないようなひっそりとしたところでした。私が行った時氏子の人はひとりだけで、「あ、どうぞ。適当におみくじとかお札とか持っていってくださーい」という想像を超えたフリーダムな扱い。わお。

ともあれここで100円を投入し、お願いをしました。


通常、私が住まう岩手県で最強の神社というのは盛岡八幡宮なのですが、どうもそれじゃあ、いまいちありきたりだから、どこか別なところに行きたいと思っていたところ、東和町というところに熊野神社(熊野大社から分霊してもらったところ)があるということで、そこに急遽向かうことに。

高速で1時間。ぐるぐると曲がりくねった山道を登りきったところにあったその熊野神社は、いかにも歴史の重みを感じさせるようなところでした。建物もそうなのですが、むしろ本題はそこに祀られている兜跋毘沙門天の木像でありまして、これはかつては国宝とまで言われたくらいすごいものだそうです。

実に、神仏のパワーをもらってきた感がありました。

また去年はアルバイトの巫女に苦々しい思いを感じていたのですが、考えてみれば病院で看護師さんがそれらしい白衣を着ているように、ファミレスでウェイトレスがそれらしい制服を着ているように、飛行機の中で客室乗務員がそれらしい格好をしているように、ここは神社なんだから小袖に袴が制服みたいなもんであり、まあ自然なのかなと思いました。


ともあれ、一生懸命に正月らしさを味わおうと思った今日の試み、割と成功を収めた、といっていいんじゃないでしょうか。そういうわけで、今年もひとつよろしくお願いいたします。

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今年の元旦は最悪でした。何がって、まあ心身の調子を整えていた時間だったこともありますが、風邪引くし欲しいものも見つからないし、ろくでもないような一日でした。おまけに次の日も腰を痛めてしまったこともありますし、まあ最悪の幕開けでした。

それからゲームを。ラジコンを。萌えゲームとかアニメとかを好きになりました。

途中でHTML手打ちモードからブログになりました。

会社では、世話になった上司の人が東京に転勤になり、年末に近づくほどだんだんいづらくなっていきました。家の方は、まあそれなりにあまり多くを語ることはしないとしましょう。


一年を振り返って、何かを書こうと思ったのですが、古いことはどんどん捨てて生きてきたがために、あんまり振り返って何かを書くべきことが思い当たらなくて、せっかく年末なのに、ちっとも「らしくない」感じですね。

まあ、いいか。こういう感動のない年末年始があっても。

一年先のことがわからないくらい、一年前のことはよく覚えていません。いつもその時その時を、少しでも平和に生きるために、せつな的に生きている感じです。

その時だけを考えて、その時だけを生きていく。だから未来はどうなるかわからない。来年だってどうなるかわからない。けれど、今だけは生きている。

そんなこんなで、出来事も伝えたいこともありませんが、ともかくこれをもって2006年最後の日記としましょう。それでは皆様、よいお年を。そして、来年もまたよろしくお願いします。

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……どうも、あまり、調子がよくないようです……。
こころから身体がよくないのか。それとも反対なのか。まあよくわかりませんがとにかく、なんか、あまりよくない感じです。
はあ……。

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私が尊敬する人はそりゃいっぱいおりますが、その中のひとりである「ザ・グレーテスト」モハメド・アリは、「快楽を得ることができたって、神のお気に召さなけりゃなんの意味もない」と言い、金メダルを川に投げ捨てました。というと日本語として誤解されるのは明らかなので訂正を入れます。

金メダルを川に投げ捨てたのは、それが無価値だと断じたためです(単純になくしちゃったのを美談に仕立て上げたと言う話もありますが、この方がかっこいいので私はそれでいいです)。金や名声や、そういったものでこころが満たされないために、「天国の家賃」としての奉仕を続け、神様に気に入ってもらおうとしていたそうです。

来世信仰、というのは洋の東西を問わず、たぶん結構、みんな普遍的に持っている感覚なのかな、と思うのです。天国とか、極楽とか、浄土とか、呼び方は様々でしょうが、来世にみんな望みを託して、かといって現世で何もしないと来世でいいことがないから、みんないいことしましょうよ、と言っているんだと思います。

いいことだと、思うのです。

自分のやりたいことを押し通すためには、やっぱりそれなりの理由が必要なわけで、たとえばそれが自分のこころのよりどころでもある、神様のため、なんていったらこれほど力強いことはありません。

誰かに何かしてあげるのに、どうして理由が必要なもんかね。そうおっしゃる向きもあるかもしれません……というか、私が割とそうだったりします。理由がなくても、そりゃいいかもしれません、やろうと思えばやれるのかもしれません。

それでも、やっぱり。力ずくを押し通すためには、私の自我は少し弱いようです。だから、やっぱり、神様がいて欲しいと思うのです。

来世のために、現世をよく生きる。誰かのために徳を積む。それでいいと思うのです。誰かの言葉を借りると、言いたいことが見えなくなってしまいますし、きちんと言いたいことを言うために自分の言葉でいいます。

まあ、よく生きましょう。楽しく、みんなも楽しくするように、ね?

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一年後、半年後、3ヵ月後、一週間後、3日後。どうなってるか、私にはわかりません。「オバQ」でミニFMの放送局を正太とQ太郎が作ったとき、パーソナリティとして呼び出された住職は、「皆様も明日死ぬかもしれない……いや今日死ぬかもしれない」と言っていました。米兵もネイティヴアメリカンもゲバルも「死ぬにはいい日だ」と言っていました。

今日は仕事納めでそれなりに酒食、つって私はドライバーゆえ酒は飲まずにひたすら食い続けてきたのですが、今の私はもう旬を過ぎたと言うか、華がないというか、まあいてもいなくてもいいような存在になってしまったわけで、どこかでそれを望んでいたはずなのに、なんだかとても寂しい感じでした。

悪いこともなければいいこともない。作用も反作用もないから、だんだん精神が希薄になっていくんですよ。かすんでしまうんですよ。


といって私はかなりの意地っ張りなので、とりあえず何とかこの世に踏みとどまろうとします。けれど、踏みとどまることは出来ても、それだけじゃつらいですよね。

ただ生きていくだけじゃなくて、今よりよく生きていかなくちゃならない。人ってやっぱりそういうもんですよね。

だからとりあえず、踏みとどまってなおかつ前に進むために、生きる理由と言うか、前に進むための何かをいつも探しているような感じがします。


楽しいことがあるから。うれしいことがあるから。

何かしてくれる人がいるから。


いつもあるわけじゃなくて、本当に時々、思いがけない時にそれはやってくるんですけれど、そういうのがあるたびに、「生きててよかった」と思うんですね。ちょっと大げさかもしれないけれど、最近は本当にそう思います。

参ったなあ、どうもね。

まあ、つらい気持ちがなくならなくて、なかなか大変ですけれど、何とか生きています。だから、時々はかまってください。

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送別会、つってまあそれなりに古い知り合いなのですがそれほど会って飲み食いをするような気はしないのですが、まあとりあえず誘われたのだし出るとしますか、つって居酒屋へ。ただし車で行ったのでそれを言い訳に酒は飲まず、とりあえず食べ続けることに。

私の飲み会のスタイルと言うのは、基本的にほとんど席を立たずに飲み、かつ喰らい、まわりに来た人たちと適当に話して、全体的な散会までなんとなくい続け帰るというものであり、まあそ参加はするけれどもそれほど開かれていない、というかとにかく飲みかつ喰らうことが好きなのであって、だから誰が主役だろうとあんまり関係ないのですが。

ところが今日は何やら、私が花を去り行く人、いわば主役、しかも女性にあげるセレモニイ的な役割を担うことになり、どさくさで握手および……その……

……ほらプロレスとか相撲とかの技で、あるじゃないですか。ベアハッグとかサバ折りとか。……ともあれ硬派な性格のため、遠目に異性を見ることはあっても、近づいたり親しく話したり触ったりすることが出来ないんですよ。だから、そういう意味では貴重な体験だったのかなと。


……ずっと、こういうことをしてみたいと考えていたはずなのに、実際やってみると、どうも……何なんだろうって。こんなもんなのかなって。もっとも、酒でも入ってりゃ別でしょうが、テレが先行してうまく出来ませんでした。

開き直れない男なんて見苦しいだけや、違うか、森田……?

誰が森田だ。

ともあれ、非現実の世界にあまりにも親しみすぎたせいか、きちんと現実を受け入れられない、ちょっと社会不適合気味のメンタルになってしまったようです。男同士の付き合いならば素直に受け入れられるし、どこまでも行きたいと思うのですが。やはりある意味硬派、硬派になりきれない中途半端な気持ち。

やだなあ。

どうして生きているのかなあ。


……クリスマスとか、今日とか、そういうことがあるから、生きていけるんだろうなあ。と、本当にそう思います。

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息ができなくて、酸素が足りなくて、パクパクするような。真空っぽい宇宙空間でクロールをするような。気持ちはあるんだけれど、それが実際の身体に、行動につながらなかったり、うまくギアがかみ合わなかったり、どうもよくない日でした。

私は金魚でもありませんし、宇宙で文字どおり泳いだこともないし、そもそも宇宙は真空じゃないとかって聞いたこともあるくらいで確証は持てないのですが、ともかくローギアで平地または下り坂をアクセル全開で走ろうとするがごとき空回り気味の日でした。

そのせいか、私の不安神経症が今日はちょっと顕著に表れました。実際に失敗ばかりしているものだから、不安になったり心配になったりするのもまあ無理はないのですが、これでも精神が健康な時はその失敗をきちんと受け止め、なおかつ次の成功に生かす建設的な思考ができたのですが、立て続けに失敗の連続だったからか、それとも精神に失調が来たからなのか知りませんが、どうも不安ばかりが先行して、いまいち仕事の乗りが悪いな、と感じたのです。

慎重で臆病になることは、ほかの世界ではどうなのか知りませんが、車の世界ではいいことだそうです。私の世界もまあ、何とかなならないことの方が多いので、やはり間違いはない方がよろしいでしょう。ですが、なんか……。

ともあれ、必要なのは休息なのかもしれません。そして満足。何でもいいから満ち足りた気持ちになりたい。ああ、すみません。また暗いことを書いてしまいました。

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今日はクリスマスですね。ということを言わないと忘れてしまうくらい日常的な日常でした。まあ欧米諸国はともかくわが国ではなぜかイブばかりがとてもにぎやかで、当のクリスマスについてはそれほどにぎやかではないため、私もやや遅いながら年賀状の準備でもすりゃいいのかな、とかとも考えましたが、まあそういわずにクリスマスの話を。

クリスマスと言うと、いろいろ思うところありますが、必ず思い出すのはゴルゴ13なんです。そう、私はゴルゴ13が大好きなのですが、その中でもこの「クリスマス24アワーズ」って言う話が好きなんです。リイドコミックスなら52巻です。

人によってはワーストオブとか言われてるのですが、私はむしろベストな話にあげます。どういう話かって言うと、ホテル探偵のドールという人が、あからさまに怪しいゴルゴ13の狙撃を阻止しようとする話です。いや、決して狙撃者と見抜いたわけではないのですが、かといって普通の旅行者でもなく、プロの殺し屋というところはしっかり察知していたので、生命をかけてホテルでの事件を起こさせないようにするところが、そしてゴルゴの、「自分の邪魔をする人は容赦しないがそれ以外の人間には迷惑をかけない」流儀を見せてくれる良作です。

あとは、こち亀の「12月24日雪……」ですね(2巻収録)。それなりにたくさんの人たちと過ごしてはいるものの、この話を読むたびに、クリスマスっていいなあと思うんです。仲間だと思っていた人たちに仲間外れにされ、反対に普段憎らしいいたずら小僧やフータローが妙にいとおしい、ひとりで寂しい時に読むと泣きそうになるいい話です。特に今日とかね。


まあ、そういうわけで、昨日も今日もメリークリスマス。あんまりそういう雰囲気じゃないかもしれないけれど、とにかくメリークリスマスってね。本当に今年は、幸せなクリスマスですよワーイ。

いや、本当に、ね……ちゃんと、こころから、そう思います……。

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まず、初っ端に私信を。

えっと……届きました。バッチリ中身も確認させていただきました。あの、本当に……ものすごく、ありがとうございます。普段、こういったことを誰かにしてもらうことがなくて、その……本当に、とてもうれしかったです。

恥ずかしながら昨日も今日も明日も仕事で、「今年のクリスマスはあってないようなもんだぜ、フン」つって、とりあえずご飯はたくさん食べますが、それくらいで殺伐としたブログ書いてさっさと寝ようとかと思っていたのですが、おかげですごく暖かい気持ちになりました。まさに思いがけないサプライズ、本当に予想していなかったクリスマスプレゼントと言った感じです。

真摯な気持ちで、まっすぐな気持ちで、あえて厚顔に、あえて取り繕うことなく、それでもこういった場所で何なんですが、気持ちを表したいと思います。すごく、ありがとうございました。もしかしたら、うまくメッセージが伝わらないかもしれませんが、とにかく、ここでこころからの気持ちを、記させてもらいます。

----------私信 ここまで----------


さて私のクリスマスソングと言えば、マライア・キャリー? 山下達郎? いやいや、そりゃもう「メリークリスマス・ミスターローレンス」ですよ。あとは別にクリスマスってわけじゃないんですが、「アンダーディフィート」よりTears which diedとかですかね。

ええ、何せ今日も仕事でしたよ。クリスマスと言うのをことさら否定することはもうしません。かといって手放しに祝えるほど友達も、……素敵な人もいないゆえ、どうやってクリスマスを楽しんだらいいのか考えた結果、まあ、その……何もなくても気持ちだけは前向きにね。楽しんだらいいんじゃない。

しかしながら、毎年思うのは、時間の流れは平等で、それゆえ残酷だなということでして、どうしてかっていうと、せいいっぱい楽しもうと努力してもまた明日が来る、明日は何だ、クリスマスだけどイブほど特別じゃない。クリングル氏も来ない(私は「34丁目の奇跡」と言う映画が好きです)。寂しいじゃないですか。

でもって、もうイブだから、今日しか語れないこともいっぱいあるでしょうが今日誰かが見てくれるとは限らない。もしかしたら30日の忙しい時期にこれを、まるで2週遅れで平日の夕方に放送されるアニメのような状況になるかもしれない(岩手では、クリスマスの話を年末か、下手すると年明けに見ることがよくあります)。

まあ、それも仕方ないか。じゃ、これからあと何時間もありませんが、今から25日の零時まで。それか、それ以降でもまあいいや。とにかくこれをご覧になった皆様へ、メリークリスマスですよこんちくしょう。聖ニコラスですよ。ともかくみんな、楽しくやってくれればいいなと思うんですよ。

……いや、本当に。メリークリスマス。

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最近はずっと調子がよくありませんでした。車の選び方が悪いのか、スタート地点が悪いのか、いやいやお前のメンタリティの問題だろう。何がって、ええ「湾岸MIDNIGHT R」ですよ。

最近はカードを使うやつがあるのでしょうが、私はこのカードを使わない、古いタイプのやつがお気に入りです。何とならば、技術さえあれば必ず「悪魔のZ」すなわちラスボスまでたどり着き、それに競り勝つことが出来るのですから。お金を積まないと究極にたどり着けないゲームなんて……。

先日、(原作知っている人とかじゃないとわからない話ですが)汐留S字で派手にとっ散らかした山中のR33の巻き添えを食らった私のFCは分離帯に激突し、以来どうにもやる気が起こらなかったのですが、そうはいっても稼動していればついやってしまう。で、今日は初めて「悪魔のZ」と遭遇した時に乗っていたR33に乗って、スタート。


ギリギリのところできわどいながらもゲームを進め、ラス前ボスのレイナまでたどり着くと、なんだかこみ上げてくるものがありました。ほとんどゲージはないものの、それでも最後まで走りつづけると、相手のゲージが尽きてもタイムが尽きてもいないのに「来たあ 後ろ!」とレイナが言いました。

「悪魔のZ」は……とてつもなく速かったです。全力で走っているのにもかかわらず一向に追いつけなくて、そのうち私の精神ゲージが尽きてしまい、終わりでした。

ただ、不思議とあまり悔しさはありませんでした。何でだろう。やっぱりアレだ、原作でも、アキオに勝てなくてもそれなりに何かを見つけていった人ばかりだからかな(主人公に勝ってしまったら、ある意味それは漫画の終わりですし)。私も何か、ある意味一つのエンディングを迎えたような気持ちでした。

あ、あと同じフロアにある「ヴァンパイアナイト」というやつに、いまさらながら熱心になっています。もしドラえもんがいたら「きみはほかの子より 数年おくれて生きているんだね」なんて言われるかもしれませんが、ともかく、当時ほとんど見向きもしなかったものにいまさらながら気づき、やっている次第です。

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昔ある人が言いました。「この世を燃やしたって一番だめな自分は残るぜ」と。

自分で自分をいなくしてしまうことは無理なので、当分付き合っていくこととしましょう。


AC-130という、マシンガンとキャノン砲とたくさんの弾薬を搭載して地上の人間たちをジェノサイドする輸送機ベースの凶悪兵器を見ていて、そこから様々な兵器を眺め、さらにそこからアメリカの戦争系映画のことを見ていくと、つくづく自分と言うのは現実を受け入れられなさそうな人間なのだなと痛感しました。

「プラトーン」も、「フルメタル・ジャケット」も、「ハートブレイク・リッジ」も。どれもこれもベトナム戦争でひたすら殺戮機械となった米兵がそんな感じの場所で殺し合いをするものばかりで、決まってそこの新人教育係の古参の軍曹と言うのは、人格を破壊するところから始まるわけで、そういうのをまともに見ることが出来るメンタリティを私は持ち合わせていないようです。

もちろんそれは、私が80年代の日本に生まれ、平和な世の中を生きてきたからであって、その時代にその国に生まれてその時代に生きれば、受け入れられるものなのかもしれません。でも私はそんな戦争映画を見るよりも、もっと綺麗なものだけ見て生きたいんです。だから、私はやはり現実を見つめられるだけのメンタリティはないようです、と。

それでも、私が生きている間に戦争がテレビで放映されることはありました。ですがそれはレーダー(と、たぶんアメリカの偉い人たちの検閲)を介して、ビデオゲームのごとく正確で無機質なものにされたもので、ただ無邪気に戦闘機やミサイルの威力に驚嘆するばかりでした。


今でも兵器、たとえば戦闘機とか、ミサイルとか、個人用対戦車ミサイルとか、燃料気化爆弾とか地表貫通爆弾とかデイジーカッターとかとにかくでかい爆弾とか劣化ウラン弾とか成型炸薬弾とか7.62mmNATO弾とかといったものが好きで、好きなんですが、それが実際に使われる場所のことを考えると、その気持ちさえ罪悪であるような感じもし、実際にそんなものを使う場所に行くことさえも出来ないだろうな、と思うわけで。

……やっぱり、こういう話になるとまとまりませんね。すみません。やはり、メンタルな話をした方がいいのかもしれません。

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フロアの隅っこ、で、窓際。今日から席替えをして、私はその場所をあてがわれました。

机の周りには仕切りがあり、周りから隔絶されたような、離れ小島のような、隔離されたような場所ですが、それゆえにかえって心地いいと思うのは、よくないことでしょうか。

誰かと上手に付き合えない。仕事以外のことが、不器用にしてどうも上手ではない。それゆえに目立たず、「おれってここにいていいのかな」と思うこともしばしばあります。

でも、いいんです。とにかく愚直、とにかく黙々と仕事をする。そして成果を出す。クライアントからしてみれば、銭を生み出してくれる私を放っておくはずがないのですから。


でも、まあ、なんというか……。面白みがないのも確かですけれどね。でも、いいんです。仕事をこなして結果を出すことだけが、私が生きた証ですから。もしかしたら、唯一、ただひとつの。同じ言葉だ。すみません。

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先般、鳥になりたいとうそぶく人を「鳥もそんなに自由じゃないと思いますよ」と、これといって確証もなく言った次第ですが、それでもこの人間の不自由なことといったら……。

ただ、さほど自由でないにしてもやはり私は方舟に乗せられた鳩になりたいと思うのです。人間がどのようにして方舟から降りて生きていったのか。そんなことはまるで興味ありません(たくさんの言葉で語られているから)。それよりも気になるのは、やはり鳩です。

たぶん、自分がどれくらい生きられるのかとか、いろいろなことを考えることもなく、飛んでたら止まるところがないから戻ってきた。オリーブの葉っぱがあったけど止まるところがないから戻ってきた。止まるところがあったから、今度は戻ってこなかった。

それはある意味不自由だけれど、自由なのかなと。――あるいは、まあ単純に、方舟に戻らなくても生きていけると思ったから戻らなかったのかなと。


だから今度は鳩とか雀とか、それか「空気」になりたい。我が県には先日ちょこっと触れてきた「風の又三郎」なんていう名作もありますし、それでなくても私は「シルフィア」などの、いわゆる風にまつわるものが好きで、風になりたい、なんて歌を歌う人たちもいましたが、そういった人たちよりももっとリアルな風に、空気になりたいと思います。

もちろん私は水とたんぱく質とその他いろいろな細かいもので作られたものですので、そうそう空気になることなどは出来やしないんでしょうが、だとすればせめて気持ちだけでも空気のように、痛さとか切なさとか寂しさとか、そういう負の感情をいい感情といっしょでもいいのでなくしてしまいたい。そんな風に考えています。

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ファンタスティカ、という言葉を使いたくて、まずはそれが何語なのかと言うところから調べていきました。どうやらイタリア語のようです。

一応、「集めること」と「素敵なこと」という言葉をくっつけてみました。直接意味がつながるかどうかは、浅学にしてイタリア語の文法は何も知らないためひとつご了承ください。だとしたら日本語+ファンタスティカでいいじゃねえかというご意見もあろうかと思いますが、やはりきちんとそこはこだわりたかったので、まあ、これもまた勘弁してください。


とかく私はぬいぐるみが好きで、なおかつクレーンゲームが好きです。といっても最近流行の巨大なやつではなく、かといってキーチェーンにつけられるような小型のやつでもなく、昔からある手ごろなサイズのぬいぐるみを取るのが大好きなんです。

初めて本気で欲しいと思ったぬいぐるみは、ソニックの初期型のやつでした。そう、頭が以上にでっかくて手足が紐で目がフェルトだから時間が経過すると取れて白目になっちゃうアレです。当時は小学生でしたが、とにかく欲しい一心で両親にかなり無理を言ってやっとのことで取ってもらった記憶があります。

以来、ことあるごとにぬいぐるみをちょくちょく取ってきたわけですが、最近はそれほど好きなぬいぐるみもなかったため、あまり入れ込むことはしませんでした(と言いつつも、去年のクリスマスにはペコちゃんの大型ぬいぐるみを○千円つぎ込んでようやく取ったりもしていたのですが)。

最近は「ラブ&ベリー」のぬいぐるみを取りました。これはいつだったか、温泉場で戯れにやったところ割とあっさりラブの方が取れてしまい、しょうがねえ、ベリーの方もとらねぇと、と町田康の物まねをしながらやったところこれが難しく、あっという間に手持ちの資金の限界域に達してしまいました。

以来、しばらくお目にかかることもなく、ラブはひとりぼっちで転がっていたのですが、今日行ったゲーセンにベリーがありました。で、1コイン投入と。

正直、ぬいぐるみが山積みになっていれば取るノウハウもわかるのですが、そこはケースの中にわずか数体。容易に取れそうでちっとも取れなさそうな感じで、普段ならまず手を出さないのですが、片っぽしかないのもかわいそうなのでとりあえずトライ。重心を考えながら、広げた両手のところにクレーンが入るようにやってみました。

そうすると、微妙に重たい頭の方にバランスが崩れてしまい、取りこぼしてしまいました。「ふっ、所詮こんなもんさ」と自嘲的に笑いながらビデオゲームコーナーに行こうと思ったのですが、取り出し口へ直結する穴の近くにあったことが幸いし、はずみで穴に滑り落ちると言う、なんだか3段目のクルーンにパチンコ玉が入るような物理的な奇跡が起こり、見事にラブ&ベリーをそろえることができたのでした。もちろん服も、……えっと……なんだかよくわかりませんが、ほら、なんか普段着っぽいの。そういう方でお揃いでさぁ。

こないだは私がかつて愛してやまなかったさくらたんのフィギュア(箱入り)も取ることが出来ました。これまで私は箱ものに関しては取れたことがなく、今のところこれ一度きりなのですが、まあたまにはこういうのもいいのかなと。あるいは、おれもこういうのが取れることもあるのだなと。

つくづくぬいぐるみが好きな男のようです。それ以外にも、小型のクレーンゲーム機に中身の見えないカプセルを入れ、それを拾い上げて中に入っているくじに応じたぬいぐるみをもらえるプライズもよくやるのですが、これが結構、大きなものが当たるもので、どんどん巨大なぬいぐるみが増えまくる次第です。

一体何のためにこんなにぬいぐるみを集めるのだろう。……結論は出ていません。そして私が生きている間に出るのかどうか。きわめて、その点については心もとないと言えましょう。

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今はそれほど仲のよい人が多くない職場での忘年会……派手に飲むこともせず、粛々と飲み、また食っていると、どうも隣の人が妙に語るのが好きで、私も聞き上手と言うか、とにかく人の話を聞きつづける性格であるがゆえに、まあいろいろな話を聞きました。

その人が言いたいのは、要はイメージの力というやつで、本当かどうかわかりませんが、こういう話があるそうです。ところはアメリカのとある刑務所。

囚人の手首に金属の棒を当て、さらに水滴をたらさせる。その際囚人は目隠しをしているのですが、そうすると囚人は自分の手首が切り落とされたと錯覚し、数日して本当に死んでしまったと言います。いわゆるプラセボ効果というか、外気功とかその手のたぐいの、半分オカルトのような話ですが、なかなか面白いと思いました。

それほどでもないにしても、イメージの力は大きいとは思います。たとえば、筋力トレーニングをする時にしても、理想と言うか、筋骨隆々な自分を想像しながらやると、そうでない人よりもはっきりと筋肉のつき方が違うと言います。

また、「気の持ちよう」とか「病は気から」というように、つらい境遇にあっても気持ちが明るければそれほどその人は不幸ではないですし、その反対もあるのかなと思います。


自分の不幸な境遇ばかり愚痴る人を見ると、「くだらねぇ」と思うのです。エレファントカシマシというよりは、山崎竜二のように、吐き捨てるように。心からそう思います。要するに、まあ、落ち込んだらそれはしょうがないです。そういう時はどこまでも、落ち込んでいる自分にあきるまで、果てしなく落ち込んでいればいいと思います。

ただ不当に自分を卑下して、他人をも巻き込んで気分を害させるのは決してするべきではないと言うのが私の主張です。いくらか酒が入っているので、小難しいことを語っていますが、まあ与太話として聞き流してください。

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Windowlickerという、Aphex twinという人の曲が好きです。あとで拾います。

一方で私はある種の殺人機械が好きです。いわゆる銃砲のたぐいです。

どこの国の何とかと言う銃は、これだけの性能を誇り、云々かんぬん……。どうしてこれほどまでに武器、人が人を殺めるための道具が好きなのでしょう。私の中に、もしかするとそういう願望があるのでしょうか。などと思い悩んだりもしたものですが、どちらかと言うともう少し単純に、強さへの憧れみたいなものがあるのでしょうね。

戦争で他国の人々に向けられたり、テロリストによって一般の人たちに向けられたりすることも多数あるでしょうが、一方でそういった一般の人たちを守るために、テロリストに向けられることもある。とりあえず大多数の人たち、あるいは私にとってはそれは正義のための武器となるわけで、そういった側面もあるからきっと好きなんですよ、きっとね。

……あるいは単に、純粋にこの鋼鉄とプラスティックと木の組み合わせ(だったりプラスティックだけだったりしますが)でしかない機械が好きなのかもしれません。戦争が嫌いだけれどミリタリーが好き。けだし、この手のオタクの矛盾したような、しかし素直な思いです。


拾います。Aphex twinを聴いたのは高校生か、大学生のころでした。当時は今ほどはやっていなかったトランス系の音楽を聴き、その延長線上で様々なテクノ音楽を聞いていたのですが、その中でもこの人の曲は他よりもメロディアスというのか、綺麗な流れのある音楽のように思いました。

ユーロビートのようにズンタタズンタタとうるさいだけの音楽ではなく、綺麗な音楽。静かで、いい音楽。特に好きなのがWindowlickerでした。

最近は短距離走のように、とにかく駆け出して走れなくなるまで書きます。そろそろ立ち止まってしまいました。もうだめかも。

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私は坂本龍一さんの音楽が好きです。昨日「筋肉少女帯が好きだ」という話をしましたが、同じころ、「グルッポ・ムジカーレⅡ」というアルバムを借りてきてメタルポジションのテープにダビングして毎日毎日聴きまくりました。

どの曲が好きって、定番ですがMerry Christmas Mr.Laurenceです……何それって? ほら、「戦場のメリークリスマス」で使われてた楽曲ですよ。ちょうどそういう時期ですし、まあこういうのもいいんじゃないでしょうか。

そういった気持ちが強いためにこんなもの(注・音が出ます)を作ったこともありました。内容がないよー、って、そんなものですが。


……あれ、どうしたんだろう。何も書くことがありませんね。なんか生命力と言うか、何をしようにも何も手につかない、すごくモチベーションが低いですね……ごめんなさい。今日も何もかけません。本当に、すみません。生まれてすみません。

それでもこういう時、自分の気持ちの弱いところをきちんと見つめられて、しっかりと書くことが出来れば、いいのにねえ。

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元気のない時にお風呂に入っていると、元気の出てきそうな歌を思い出しました。筋肉少女帯の「レティクル座超特急」でした。

中学生のころに聴いたこの楽曲のおかげで、ある意味では救われ、ある意味ではずいぶんと捻じ曲がったメンタリティを形成して現在にいたると思います。


そのころ世の中は、地下鉄でサリンを撒かれて大変なことになっていました。私も現代でいうところのイジメみたいなものをされていました。もっとも私はそれをイジメというつもりはありませんが、06年現在の今の人々が言うところによればそうなるのかなと。

そういったわけで、オタクな世界、サブカルな世界に深く入り込み、知識をかき集めることでかろうじて自分のアイデンティティを守り抜いてきたのですがそのころ私の家にはセガサターンがあり、戦後50周年と言うこともあって、「ワールドアドバンスド大戦略 鋼鉄の旋風」がありました。

OPムービーは今でもかっこいいと思うのです。何が。ティーガーと大和とB-29がドカンとバカンとバリバリと撃つところと、当時の指導者(ヒトラー総統、東条首相兼陸相、ルーズベルト大統領)が実写で語るところ。アメリカって、当時からカラー映像があるのね、と妙なところでカルチャーショックでした。


一般にアメリカが初級者、ドイツが中級者、大日本帝国が上級者向けと言われているのですが、私は日本軍以外遣う気がしませんでした。そりゃそうでしょう。「1943」で、どうして日本の戦艦をおれが破壊しなきゃならんのだ? という気持ちであり続けたのですから、勇んで大東亜戦争に参戦しました。

結果。中国戦線ではソ連軍の抵抗に遭いとりあえず停戦。太平洋戦線は連戦連勝、ハワイまで手中に収めるわセイロンのイギリス軍を追い払うわで、一気にアメリカ本土へ進攻したものの、そこでとてつもない大国の底力を見せ付けられて惨敗し、それっきりとなってしまいました。

そういうわけでこないだ「信長の野望 革新」をクリアするまで、この手のシミュレーションゲームはだめだというコンプレックスを抱えることになったのですが、それでもすっかり私は軍ヲタになりました。


どうあれ、そうやって来ました。そんなことを思い出して、でもあんまり元気が出なくて、やっぱりだめだなあ。内容がなくてすみません。でも今日もまずは、寝るまで、起きています。

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その瞬間に限って言えばすごくエキサイティングと言うか、確かに強い気持ちがあるのですが、その強い気持ちになれる時間がすごく短くて、反対にそれ以外の時間はなんだかぼんやりしたというか、ひんやりしたというか、さっぱりきっぱりすっきりどんよりというか……。

脳が働いていないと言うか、前頭葉が眠っていると言うか、まあ……うつ病、うつ状態ではないのですが、かといって正常に元気、楽しい、心安い状態でもない、よくわからない状態なんですよね。

ある意味では、少しずつ戻りつつあるのかな。いつに。文学っ子だったころ。


すごくセンチメンタル、「羅生門」風に言えばサンチマンタリスム。老婆の服を剥ぎ取った下人さえそういった感情があるのだから、私がそういう気持ちになったとしても、あんまり責められるいわれもありますまい。

そういう気持ちの時しかかけない文章がある。そういう気持ちにならないとわからない世界がある。誰もそういう気持ちになることなんて望んでないでしょうが、まあ、とりあえず淡々と語ることとしましょう。


昨日の続き。無理をして、一般の人たちの思想に逆らってみたくて、「本当に鳥は自由なのか?」と語ってみましたが、一方でやはり空を飛ぶと言うことに憧れがあるのは否定できません。

フィリピンに。シベリアに。空の上に。そこまでいかなくても、何もないところを悠々と飛ぶ姿は、どこかで憧れがあります。もちろんそれは私たちが地面に這いつくばっているからなのでしょうが(ないものねだり)。

雀になりたい。鳩になりたい。オリーブの葉をくわえて、どこかに行きたい。


今日はいぬを可愛がりました。昔は吠え掛かられて、怖くなって逃げたこともありましたが、目が合えば今はしっぽを振って寄ってきます。撫でてあげれば身体をこすりつけてきます。鼻を押し付けてくるようになりました。大分、慣れてきたのかな。所詮は他人、というか人間といぬ。どこまでいってもそれはそれ。その上でなお、いぬを可愛がりたい。


要所要所で、意地を張る。弱さを突っぱねる。誰もいなくなったところを見計らって、崩れ落ちてゆく。まあ、そんな感じで。ごめんなさい。とにかく、皆様、すみません。

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昨日の日記で、今年の春を迎えられるかどうかわからない、という何やらアブナイ発言をしてしまいましたが、何でだろうと考えた結果、たぶん以前ほど未来の眺望、希望というか、そういったヴィジョンがないからなのだろうなと思うのです。

たとえば学生だったころというのは、割と明確にヴィジョンがありました。一年生が終わったら二年生に。二年生が終わったら三年生に。(中学・高校であれば)進学だの就職だの。そういう感じで目標があるものだから、まっすぐにそちらに進んでいけるわけでして。

今の仕事と言うのはどうも、未来がないというか。とりあえず3ヵ月単位で生きているので、そこから先どうなっているのか、まるでわからないのですね。お仕事させてもらえるのであればいいのですが……。

どうあれ、その瞬間をひたすらに生きていくしかないのかなと思うのです。とりあえず、今日。それから、明日。できれば、あさってとかしあさってとか。一歩ずつ、とにかく生きていくしかないのかなと。


……むう、きわめて生命力に乏しいと言うか、よくない感じですね。だめだ。明るいことを書こうと思っても、何も思いつかないや。まあ、とにかく当分、書き続けますから。書いている時は生きていると言うことですから、ひとつ、よろしくお願いします。


ここまで書いて、今日書きたいと思っていたことを思い出しましたので、書きます。

皆さん、どうして鳩が平和のシンボルとか言われているか知っていますか? 私はよくわかりませんが、とりあえずノアの神話で水が引いたことを教えたのは鳩だったそうです。

最初にノアが鳩を離したら、(止まるところがなくて)戻ってきた。もう一回離したらオリーブの葉っぱをくわえて戻ってきた。もう一回離したら、二度と戻ってこなかった。だから水が引いたんだな、つって、ノアのご一行様はまた地面に降りたとさ。どんとはれ。

そういう想像をした時、なんとなく、心地よい気持ちになりました。平和な気持ちって言うか。むしろ、鳩になりたいっていうか。

地面に足つけて生きているこの人間と言う生き物は、とかく自由(だとかってに考えている)に空を飛ぶ鳥というものにあこがれるところがあるようですがどうやら私もそのひとりのようです。まあ、そのことについては別途触れることとして、鳩っていいなあ。いや、でも滝川一益よろしく雀に生まれたい。

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怒ったり、泣いたり。あんまりそういうことをせず、いつも静かに笑っていられるような人になりたいなと、思いました。犬神です。思いっきり笑ったり、思いっきり泣いたりするのも気持ちいいのでしょうが、でもやっぱり、こころ穏やかに生きたいと思うのですね。

今日は宮沢賢治記念館に行ってきました。BGMはもちろんZABADAKの「光降る朝」でした。

宮沢賢治といえば銀河鉄道の夜ですね。テレビでみたからいい、999だろ? なんてことを言う小学生もいますが、たぶん全国的に有名なのはそのあたりなんじゃないでしょうか。私は未読ですが。

宮沢賢治が好きだという割にその作品を読んだことがないポンスケ犬神ですが、じゃあ何が好きなのかといえば、その生き方というか、ものの考え方と言うか、法華経の教義と科学の教養をゴタマゼにした独自の宇宙観、哲学、まあそういったものにたまらなく心惹かれるのですね。


実際にどういう風に考えていたのか。私の専攻は国文学ではなく英米文学なので専門的なことはわかりませんが、私が考える宮沢賢治(=理想像)は、仏の領域と言うか、まあフラットフィーリングの領域ですよね。でもってなおかつ誉められもしないけど、苦にもされないぐらいのポジション。そういうものに私はなりたいんですよホント。


現実にはちょっとその領域は遠いようです。今日も些細なことでくよくよと悩んだり、苛立ったり……でも、少しだけ、こころを切り替えることが出来たように思うのです。切り替える、言い換えればコントロールできるということ。嫌な感情を無理やり抑えつけるのではなく、なだめてしんと静めてあげること。

あんまり、楽しいことかけなくてごめんなさい。


最近、思うのは、来年の春まで生きていられるかなと言うことです。つって、別に病気してるとか土壇場に赴くとか、そういうことではないですし、ましてや自分からそっちの世界に行こうとすることなど毛頭ないのです。来年も再来年もあと50年は余裕で生きるだろうと思っているのですが、どうもそういった不安があります。

だから、思ったことはとにかく記録していこうと思います。心象スケッチというか、むしろ写真のように。撮り続けて、カメラが壊れるまで、ずっと。

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「私は加護女」という漫画のメインは和風の不思議世界と言うよりは、むしろ主人公の加護女のコスプレにあるということにようやく気づいた犬神です。いや、それはどうだろう。

ともあれ漫画、大好きです。特にマガジンとチャンピオンが。

どんな漫画が好きかというと、強い男の子、もしくは野郎が出てくる漫画が好きです。強い女の子が出てくる、または強い女の子が主人公の漫画も大好きなのですが、最近多いように感じている「強い女の子と、それに守られる弱い男」の漫画はあまり好きではないのです。

私自身も男の子、というかいい年をした成人男性、いわゆる野郎であるため、それなりに美少女が好きです。その一方でやはり強い男もまた好きで、たとえばそうですね、大統領に車を運転させたり2階に突き落とした大統領をいつのまにか1階で待ち構えて捕まえて耳に指を入れたり大地を殴って地震を止めたりする人が現在チャンピオンの漫画にはいますが、素直に「すげえ」と思い、どこかで尊敬してしまうのですね。

逆にいうと、どんなに主人公の女の子が強くて可愛くても、それに相対する男が弱いのでは、その漫画はあまり好きではないのでありまして、強い男ともっと強い女が出てきて、ほとんどの場合は女の子の方が強いけれどいざという時に男が強い――そういうタイプの漫画が好きなのかな、と思います。

(まれに、女性キャラがむしろ出てこないで男たちだけ出てきた方が好ましいと思う漫画もありますが……)

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麦酒を、いわゆる中ジョッキと呼ばれる大きさの器に2つ注ぎ、それを飲み干す。それがどうやら限界なようです。

かつては3つか4つくらい飲めました。その他の酒も多少は飲めました。ところがどうも調子がよくない。飲みすぎて吐いてしまうのは当然にしても、限界が以前より近くなってしまったような気がするのです。

加えて、この酒と言う液体の不味いこと……。一時期、その苦さがうまいと思ったこともあったものの、最近はまた不味く感じてしまうのです。正直なところ、あの日本酒がうまいとか焼酎がうまいとかという人の気が知れません。そういった人たちは、味覚がきっと、唐辛子を何にでも山盛りにしたりマヨネーズをかつ丼にかけたりする人たちと同じように、想像を絶するセンスをしているのでしょうね。


かつて、ヨーロッパのある国の指導者をしていた人はアルコール類を毒水と呼んで忌み嫌いました。また酒に強くなければ偉くなれないといわれた戦国時代にあって、毛利元就は二十代で酒を断ち、以来七十いくつかまでずっと酒を飲まずに生きたと言います。ちなみに戦国最強、某戦略シミュレーションゲームでは相手の部隊を蒸発させるような騎馬部隊を率いる上杉謙信は、飲みすぎで脳溢血になってトイレで倒れたと言います。

飲まざるをえないのであれば、それなりに飲みますが、決して「酒が好き」とはいえない。酒を1リットル飲むより、むしろ牛乳を1リットル飲みたい。こころから、そういう風に感じた夜更けのひと時。

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今朝はFMトランスミッターが電池切れになってしまったため、「話題のアンテナ 日本全国8時です」を聞きながら出社したのですが、そうすると今日のゲストは森田さんでした。

その中で聴いたことには、なんと人類がかつて持っていた「月に行く技術」というのが、今はもうなくて、なものだから2024年だかそこらまでに行けるようにがんばろうね、とアメリカが中心になって世界23カ国に呼びかけているそうで、ものすごく、びっくりしました。

僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ計画は……と歌っていた人々もいましたが、確かに私たちの世代の人間が生まれるずっと前に、人類は月に行っていました。けれども、その後わざわざ月に行っても仕方ないと思ったのか、何なのか知りませんが、ともあれ月に行こうとNASAもソ連も思わなかったせいか、月に行ってどうにかしようとする人は誰もいなくなり、進歩も発展も、それどころか技術を遺そうとする人もいなかったために、月はかえって遠くなってしまったような状態なそうです。

火星がどうとか行ってるし、月ぐらい余裕だろうと思っていたのですが、それじゃあカップラーメンのCMとかでやっているエデンはいつ出来るのでしょう。エデンからは出られない、じゃなくて地球から出られないようですね。当分。

ついでに言うと、天気図を書ける人も少なくなっているらしい。そのことを森田さんは嘆いておられました。これは湾岸MIDNIGHTで富永さんが言っていた、「カーナビを使ってると地図が読めなくなる」というアレと同じで、いわゆる、CPUの恩恵の裏返しですよ。誰でも同じことが出来るようになるけれど、すごく出来る人もいなくなってしまうってやつ。

アポロ何号だったか……まあ、それに搭載されていた機械は、わが国が開発した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」よりもずっと劣っていたと言いますが、一方でそれに乗って月に行ったアームストロング船長はどれだけすごい能力を持っていたのかと思うと、なんかすごい感じです。


ずっとずっと前に、地球人は小さな、しかし大きな一歩を踏み出しました。それから大分、時間は経ちましたが、ある意味では次の一歩は、まだまだ踏み出せずにいるようです。……でも、次の一歩を踏み出すために片足を上げるところまでは行ってるのかな、などと、妙に明るく輝く月を眺めながら思いました。

追記:森田さんのブログにも書かれていたので引っ張ってくることとします。ちなみに今年は暖冬、そして来年は冷夏なそうで、何でかって言うとエルニーニョ現象なそうです。

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