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手指がどうもツナくさいのは、帰り際の道中でツナ缶を食べたからです。餓狼伝で主人公がツナ缶とかサバ缶とか、ハムとか、生卵とか、牛乳とか、そういうのばかり食べていたのを見て、なんかとてもおいしそうだったからです。
実際にツナ缶だけを食べてみると、これはなかなかうまいものですが、ただ、箸はもちろんつまようじさえも使わずに食べるとなると、「缶をひっくり返す」「舌ですくい上げる」などをしなければならず、その姿はある意味カルカンっぽい、猫まっしぐらな有様であり、人間としてこれでいいのかどうかという気がしないでもないのかなと。
この日も書きましたが、ちょっと昔の話をしたいと思います。何で。昨日の続きで椎名林檎とか聴いてるからです。まあ、新鮮さは薄いですがそれなりに内容のある文章を書けるのではないかなと。
まあ当時というのは、今よりも現実を知らない分、自分で空想を広げてそれを現実のように思い込んでしまう多感な時期でありまして、それに加えて私は他の人々よりも空想する時間が長かったもので、暗かったり明るかったり、まあともかく空想ばかりしていました。クーソーしてから寝てました。それは昔のナムコのCMか。
で、そういった多感な時期ゆえ、高校のころからずっと引き続いていた澁澤龍彦やその流れで読むフランス文学、または江戸川乱歩のような猟奇的世界に耽り、ひっひっひっ、あるいはふっ、と厭世的な笑いを浮かべながら心地よい日々を送っていたのですが(一部誇張あり)、たまたま入ったサークルの先輩に、妙に私と趣味が合う人がいました。
その人も澁澤龍彦が好きで、江戸川乱歩が好きで、さらに椎名林檎が好きで一番好きなのが「闇に降る雨」なものだから、趣味が異様なほどに合うものだからものすごく驚きました。加えてその人は見た目もそれっぽいというか、大槻ケンヂの小説のヒロインみたいなイメージで、すごく綺麗でした。
いわゆる恋というやつをしたのは、この時が最後ではないでしょうか。
あまりにも綺麗過ぎて、近づけなくて、話し掛けられないまま、その人は遠くに行ってしまい、それっきりになってしまいました。今でもその時と同等か、それ以上の気持ちを誰かに持ったことは、たぶん、ありません。
白、または白っぽいグレー、あるいは青を基調とするこのブログにおいて、何やらずいぶん桃色片思いな文章を書いてしまい恐縮です。まあ、たまにはこういったものもよいでしょう。いつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ(後略)。
実際にツナ缶だけを食べてみると、これはなかなかうまいものですが、ただ、箸はもちろんつまようじさえも使わずに食べるとなると、「缶をひっくり返す」「舌ですくい上げる」などをしなければならず、その姿はある意味カルカンっぽい、猫まっしぐらな有様であり、人間としてこれでいいのかどうかという気がしないでもないのかなと。
この日も書きましたが、ちょっと昔の話をしたいと思います。何で。昨日の続きで椎名林檎とか聴いてるからです。まあ、新鮮さは薄いですがそれなりに内容のある文章を書けるのではないかなと。
まあ当時というのは、今よりも現実を知らない分、自分で空想を広げてそれを現実のように思い込んでしまう多感な時期でありまして、それに加えて私は他の人々よりも空想する時間が長かったもので、暗かったり明るかったり、まあともかく空想ばかりしていました。クーソーしてから寝てました。それは昔のナムコのCMか。
で、そういった多感な時期ゆえ、高校のころからずっと引き続いていた澁澤龍彦やその流れで読むフランス文学、または江戸川乱歩のような猟奇的世界に耽り、ひっひっひっ、あるいはふっ、と厭世的な笑いを浮かべながら心地よい日々を送っていたのですが(一部誇張あり)、たまたま入ったサークルの先輩に、妙に私と趣味が合う人がいました。
その人も澁澤龍彦が好きで、江戸川乱歩が好きで、さらに椎名林檎が好きで一番好きなのが「闇に降る雨」なものだから、趣味が異様なほどに合うものだからものすごく驚きました。加えてその人は見た目もそれっぽいというか、大槻ケンヂの小説のヒロインみたいなイメージで、すごく綺麗でした。
いわゆる恋というやつをしたのは、この時が最後ではないでしょうか。
あまりにも綺麗過ぎて、近づけなくて、話し掛けられないまま、その人は遠くに行ってしまい、それっきりになってしまいました。今でもその時と同等か、それ以上の気持ちを誰かに持ったことは、たぶん、ありません。
白、または白っぽいグレー、あるいは青を基調とするこのブログにおいて、何やらずいぶん桃色片思いな文章を書いてしまい恐縮です。まあ、たまにはこういったものもよいでしょう。いつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ(後略)。
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……とは我が県が輩出した詩人・高村光太郎氏の「道程」という詩の一節で、確か高校の生徒手帳にこのキーワードが掲載されておりました。
以来ずっと、というわけではなくて時々ですが、この言葉を振り返りながら、生きてきました。何、初めて聞いた? それじゃあ、これから使っていいです。たとえば、人生の岐路に立たされた時。就職が決まらなくて路頭に迷いそうな時。あるいは明日の天気がわからない時や交通状況がわからない時、はたまた道に迷った時。何でもいいのですが、困った時にそう言うと、極端な話、何をしても肯定される魔法のキーワードといってもいいかもしれません。
ただ一方で私の場合、前に道はないけれど後ろの道も次々に崩れ落ちてなくなってしまって、そんなもんだからひたすら前に前に、立ち止まることも出来ずに進んでいるような風にも考えられます。
進むことが出来ても、戻ることが出来ないのだから、それも一理あるのかもしれません。だから、過去に置いてきたものはもう取り戻せない。そんな風に思い、あまり過去を振り返るようなことは好きじゃないと言う風に言い聞かせて来ました。そうでないと、過去に出会った素敵な日々を、味気のない現在と比べて、不要に落ち込んでしまうからです。
……と思っていたのですが、そうでもないような気もしてきました。
高校、大学と同じところに入り、様々な、メンタルに深いところでいろいろと分かり合っていたものの、今は東京に住んでいる旧友からメールが来ました。どうやらメールを見ると、彼は以前と変わらず精神的に不安定で、向精神薬を常用しているようでした。
とてもうれしくなりました。何が。何がって。
必ずしも、変わらなくてもいいということ。気持ちがダメでもやっていけるということ。まともじゃなくてもいいということ。なんだか「天」でひろゆきが赤木しげるに諭されているシーンのようですが、そう思いました。
こころをラジオにたとえると、ちょっと電波のチューニングが悪い時も多々あります。混信してばっかりで大変ですが、それでも何とかやっていけそうなので、やっていこうと思います。時々また椎名林檎の(01年当時の)アルバムなども聞いていこうと思います。
とはいえ、やはり直視したくない記憶もいっぱいあるわけで、今日も物を整理していたら大学のころの、メンタルに……その、なんというか……まあ、いいや。明日覚えていたら書きます。
以来ずっと、というわけではなくて時々ですが、この言葉を振り返りながら、生きてきました。何、初めて聞いた? それじゃあ、これから使っていいです。たとえば、人生の岐路に立たされた時。就職が決まらなくて路頭に迷いそうな時。あるいは明日の天気がわからない時や交通状況がわからない時、はたまた道に迷った時。何でもいいのですが、困った時にそう言うと、極端な話、何をしても肯定される魔法のキーワードといってもいいかもしれません。
ただ一方で私の場合、前に道はないけれど後ろの道も次々に崩れ落ちてなくなってしまって、そんなもんだからひたすら前に前に、立ち止まることも出来ずに進んでいるような風にも考えられます。
進むことが出来ても、戻ることが出来ないのだから、それも一理あるのかもしれません。だから、過去に置いてきたものはもう取り戻せない。そんな風に思い、あまり過去を振り返るようなことは好きじゃないと言う風に言い聞かせて来ました。そうでないと、過去に出会った素敵な日々を、味気のない現在と比べて、不要に落ち込んでしまうからです。
……と思っていたのですが、そうでもないような気もしてきました。
高校、大学と同じところに入り、様々な、メンタルに深いところでいろいろと分かり合っていたものの、今は東京に住んでいる旧友からメールが来ました。どうやらメールを見ると、彼は以前と変わらず精神的に不安定で、向精神薬を常用しているようでした。
とてもうれしくなりました。何が。何がって。
必ずしも、変わらなくてもいいということ。気持ちがダメでもやっていけるということ。まともじゃなくてもいいということ。なんだか「天」でひろゆきが赤木しげるに諭されているシーンのようですが、そう思いました。
こころをラジオにたとえると、ちょっと電波のチューニングが悪い時も多々あります。混信してばっかりで大変ですが、それでも何とかやっていけそうなので、やっていこうと思います。時々また椎名林檎の(01年当時の)アルバムなども聞いていこうと思います。
とはいえ、やはり直視したくない記憶もいっぱいあるわけで、今日も物を整理していたら大学のころの、メンタルに……その、なんというか……まあ、いいや。明日覚えていたら書きます。
家族でテレビを見ていると、最近の若者は言葉遣いが悪いと言う話になりました。なるほど、「難しい」が「むずい」になり、「気持ち悪い」が「キモい」になるのは、日本語の乱れになるというのでしょうか。だとすれば昔のわが国の人たちは、みんな丁寧な言葉で話していたのでしょうか。
自分も使ってるくせに、というのは簡単なのですが、どうしてそうなるのか。考えてみました。
そうしたところ、「やべえ」とか「だせえ」とか「うぜえ」とか、いわゆる「え行」の発音を、ふたつ続けてやっているのに気づきました。また、岩手の方言のひとつに「よくない、だめだ」という意味を表す「わがねぇ」というのがありますが、これなども日本語の乱れと言うのでしょうか。
こういった仮説というか妄想に基づき、それを無理やり肯定させられる理屈がないものかと思い、書を読むお金と時間をはぶいて検索していると、非常に興味深いブログがありました。ここの、一番下の「発話エネルギー節約術(その4)」でした。
てやんでえ。とかべらんめえ。とか。そういう短くて強い江戸っ子の話し言葉が流れ流れて、現代の「e+e発音」になってるということでしょうか。やはり、ある日突然人々の意識が変わるとか、そんなことがあるはずないんですよ。うんうん、そういうわけだから、皆様も遠慮なくべらんめえ口調で話しましょう。
自分も使ってるくせに、というのは簡単なのですが、どうしてそうなるのか。考えてみました。
そうしたところ、「やべえ」とか「だせえ」とか「うぜえ」とか、いわゆる「え行」の発音を、ふたつ続けてやっているのに気づきました。また、岩手の方言のひとつに「よくない、だめだ」という意味を表す「わがねぇ」というのがありますが、これなども日本語の乱れと言うのでしょうか。
こういった仮説というか妄想に基づき、それを無理やり肯定させられる理屈がないものかと思い、書を読むお金と時間をはぶいて検索していると、非常に興味深いブログがありました。ここの、一番下の「発話エネルギー節約術(その4)」でした。
てやんでえ。とかべらんめえ。とか。そういう短くて強い江戸っ子の話し言葉が流れ流れて、現代の「e+e発音」になってるということでしょうか。やはり、ある日突然人々の意識が変わるとか、そんなことがあるはずないんですよ。うんうん、そういうわけだから、皆様も遠慮なくべらんめえ口調で話しましょう。
「信長の野望 覇王伝」のサントラより「雄偉の将(足利義昭のテーマ)」を聞きながら、キセルを吹かしていて、ぼんやり考えていました。とりあえず、静かで穏やかな気持ちになりたいと思って。
そうすると、少しわかったことがありました。
恥も尊厳も忘れ、築き上げてきた文明や科学もかなぐり捨てるような思いであえて正直に申し上げると
どうも、寂しいのですね。
この言葉を使うのは若干抵抗があるので言い換えますと、人とのつながりが少しばかり希薄すぎる割に誰かと交わっていたい、普通に誰かと価値観を共有したいと言う気持ちが強く、そのためになんとも切ない気持ちなのかなと思われます。
……と、まあ、時々まじめに思ったことを書いてみれば、最近はキャバクラの水割りみたいに薄い、といって私はキャバクラなんて言ったことないのですが、そんな薄い内容のブログばかり書いていたのにちょっと重みが、濃さが、出てくるんじゃないかと思うのです。
まあ、ほとんど誰も見ない場所ですし、もう少し青臭いことを書いてみることとしますか。
諸事情により普通のコミュニケーションが取りにくい性格および環境の犬神は言葉による心の交流よりも、行動による心の交流を重んじます。いわゆる、あれだ、ツンデレっぽいところがあるんです。
だから、相手に言わないと何も伝わらない、わかってもらえないとわかっているものの、それができずにいるのですね。そして現実は、漫画や映画のように言葉以外の方法で気持ちが伝えられるチャンス、イベントが多くないものだから、結果としてこのようにひとりで悶々とする日々を送らなければならないというわけであって、皆様も、自分から積極的に出た方がいいですよ。
ただ、一方である部分では、言葉を信頼しない部分があるため、秘するが花、とでも言いますか……うん、やっぱり何も言わないで、その代わり行動で示すのが大事と言う気持ちもあるわけで、割とそうやって生きてきたところがあるため、これからもそうやって生きていくのかなと思うのです。
いつか、変われる時まで……ね。
そうすると、少しわかったことがありました。
恥も尊厳も忘れ、築き上げてきた文明や科学もかなぐり捨てるような思いであえて正直に申し上げると
どうも、寂しいのですね。
この言葉を使うのは若干抵抗があるので言い換えますと、人とのつながりが少しばかり希薄すぎる割に誰かと交わっていたい、普通に誰かと価値観を共有したいと言う気持ちが強く、そのためになんとも切ない気持ちなのかなと思われます。
……と、まあ、時々まじめに思ったことを書いてみれば、最近はキャバクラの水割りみたいに薄い、といって私はキャバクラなんて言ったことないのですが、そんな薄い内容のブログばかり書いていたのにちょっと重みが、濃さが、出てくるんじゃないかと思うのです。
まあ、ほとんど誰も見ない場所ですし、もう少し青臭いことを書いてみることとしますか。
諸事情により普通のコミュニケーションが取りにくい性格および環境の犬神は言葉による心の交流よりも、行動による心の交流を重んじます。いわゆる、あれだ、ツンデレっぽいところがあるんです。
だから、相手に言わないと何も伝わらない、わかってもらえないとわかっているものの、それができずにいるのですね。そして現実は、漫画や映画のように言葉以外の方法で気持ちが伝えられるチャンス、イベントが多くないものだから、結果としてこのようにひとりで悶々とする日々を送らなければならないというわけであって、皆様も、自分から積極的に出た方がいいですよ。
ただ、一方である部分では、言葉を信頼しない部分があるため、秘するが花、とでも言いますか……うん、やっぱり何も言わないで、その代わり行動で示すのが大事と言う気持ちもあるわけで、割とそうやって生きてきたところがあるため、これからもそうやって生きていくのかなと思うのです。
いつか、変われる時まで……ね。
常に何か心配事をひとつかふたつ抱え込んでいて、それを引きずって生きているため、どうも心から楽しい気持ちになりきれない日々が続いています。
今日は珍しく、何も心配事がなくて、本来だったら心安い夜のひと時を送るはずなのでしょうが、どうも私のこころというのは、その楽しい気持ちの方に踏み出せずにいるのですね。
何でなのか。あまり難しく考えるのは得意ではないので、シンプルに考えていくと、たぶん、「嫌なことはないけど、いいこともない」からなのかな、と思うのですね。
そんな中、実相寺昭雄監督の訃報に直面し、なんともやりきれない思いになりました。
実相寺監督と言えば市川昆監督と同じくらい、不思議でかっこいい脚本と映像美で私も思い切り魅せられました。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ウルトラマンマックス」……それから「悪徳の栄え」「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」などなど。
批評は得意でないので、直感的に考えたことを書きますと、人のこころの暗い部分をわざと映し出して、リアルな恐怖を演出するのがうまいって言うのかな。「リアルに怖い」映像を作るのがすごく上手な人だったと思います。そしてそれを、「ウルトラマン」でも「ウルトラセブン」でも「ウルトラマンマックス」でもやってしまうのが、すごいなと思うのです。
おれっていつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ。って、ポルナレフのごとき感傷に浸りつつ、もっと書きたいけど、これ以上はよくないから、また稿を改めて書くとしましょう。南無。
今日は珍しく、何も心配事がなくて、本来だったら心安い夜のひと時を送るはずなのでしょうが、どうも私のこころというのは、その楽しい気持ちの方に踏み出せずにいるのですね。
何でなのか。あまり難しく考えるのは得意ではないので、シンプルに考えていくと、たぶん、「嫌なことはないけど、いいこともない」からなのかな、と思うのですね。
そんな中、実相寺昭雄監督の訃報に直面し、なんともやりきれない思いになりました。
実相寺監督と言えば市川昆監督と同じくらい、不思議でかっこいい脚本と映像美で私も思い切り魅せられました。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ウルトラマンマックス」……それから「悪徳の栄え」「D坂の殺人事件」「屋根裏の散歩者」などなど。
批評は得意でないので、直感的に考えたことを書きますと、人のこころの暗い部分をわざと映し出して、リアルな恐怖を演出するのがうまいって言うのかな。「リアルに怖い」映像を作るのがすごく上手な人だったと思います。そしてそれを、「ウルトラマン」でも「ウルトラセブン」でも「ウルトラマンマックス」でもやってしまうのが、すごいなと思うのです。
おれっていつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ。って、ポルナレフのごとき感傷に浸りつつ、もっと書きたいけど、これ以上はよくないから、また稿を改めて書くとしましょう。南無。
牛乳・乳製品が大好きで、特にこれといった意識をすることなく飲みまくっているこのごろです。そのうちバターとか食べるようになるかもしれません。いや、はっきり言ってそれは異常と言うか、角砂糖をガリガリガリガリかじる人と同じくらいおかしいのでしないと思います。そもそも刺身のトロとか、脂っこいものは好きではないので……。
ただ私は腸が弱いため、明治おいしい牛乳のようなUHT牛乳を飲むと、「くだる」んですよね。ちなみにUHT牛乳と言うのは何だろうというと、殺菌方法で「130度 2秒間」とかという、超高温・超短時間殺菌で処理されているやつです。だから明治だろうと森永だろうとメグミルクだろうと、ほとんどの市販の牛乳はこれで処理されているんですよね。
私ときたら酒にも弱いし牛乳にも弱いもので、飲むとゴロロロロ……として、1リッターも飲むともうレッツゴー個室ってなもので、だったらきちんと低温殺菌の牛乳を探して飲めばいいものの、そもそも牛乳ってのは精神を癒す飲み物ですから、飲まないとやってられねえ、ってんでついUHT牛乳に手を伸ばし、結果としてグロロロ……と、私の腸がネプチューンキングのごとくうなる次第であります。
それでもまあ、とにかく牛乳が好きでつい飲んでしまいます。脳細胞が死ぬ酒なんかより、牛乳。いいですね、やっぱりね。
ただ私は腸が弱いため、明治おいしい牛乳のようなUHT牛乳を飲むと、「くだる」んですよね。ちなみにUHT牛乳と言うのは何だろうというと、殺菌方法で「130度 2秒間」とかという、超高温・超短時間殺菌で処理されているやつです。だから明治だろうと森永だろうとメグミルクだろうと、ほとんどの市販の牛乳はこれで処理されているんですよね。
私ときたら酒にも弱いし牛乳にも弱いもので、飲むとゴロロロロ……として、1リッターも飲むともうレッツゴー個室ってなもので、だったらきちんと低温殺菌の牛乳を探して飲めばいいものの、そもそも牛乳ってのは精神を癒す飲み物ですから、飲まないとやってられねえ、ってんでついUHT牛乳に手を伸ばし、結果としてグロロロ……と、私の腸がネプチューンキングのごとくうなる次第であります。
それでもまあ、とにかく牛乳が好きでつい飲んでしまいます。脳細胞が死ぬ酒なんかより、牛乳。いいですね、やっぱりね。
この「歴史」ってカテゴリいらねんじゃね? と思ったものの、まあ3つあるし残しておきましょう。そしてこれから、よりいっそう増えていくことを祈り第一歩を書くこととしましょう。
通常、当家では火曜日の7時と言うと「ぴったんこカンカン」などを視聴しているのですが、今日はあいにくバレーボールの大会があって視聴できない、それじゃあ、ってんで私の大好きな戦国時代のドラマ「太閤記」を視聴するという次第でした。私ひとりだけ全開って世界でしたがまあたまにはよろしい。
今日は金ヶ崎の退き口~浅井攻め~比叡山燃ゆ~羽柴筑前守名乗り~柴田勝家との軋轢、といったあたりであり、来週はいよいよ本能寺の変に突入しそうです。京本政樹の足利義昭がなんか耽美系でかっこいいですね(追放されたし、もう出番がなさそうな気もするけど)。あと、ねねがかなり可愛いなと。
秀吉と言うと奥州仕置のこともあり、好きではないのですが、少なくともドラマの中ではよく笑ったり泣いたりと、すごく人間味のあるキャラクタで、誰も彼もが気難しくて堅苦しい語り口なのに、この人だけはものすごいハジケてていい味付けでした。
また、浅井から分捕った領地の人々から年貢を取らないようにしていた、ということも初めて知りました。もし事実とすれば、それもまた、誰にも思いもよらない発想だったと言えましょう。
信長=天魔の化身だから女子供にも容赦ない、光秀=インテリゲンチャで野菜い人だからそれが受け入れられない、というのはまあ、そういうドラマの味付けなのだからとやかく言うつもりはありません。私のイメージとは違う、というだけでね。
どうあれ、このような時代の物語を見ると、かつての名古屋行を思い出すわけであり、この東北人の私めが再び尾張の地を踏むことがあるのか。お伊勢参りをしてあそこのおかげ横町で一服することが出来るのか。というと、なんか無理なんじゃないかと言う気もしますが、まあいつかできればいいなと。
通常、当家では火曜日の7時と言うと「ぴったんこカンカン」などを視聴しているのですが、今日はあいにくバレーボールの大会があって視聴できない、それじゃあ、ってんで私の大好きな戦国時代のドラマ「太閤記」を視聴するという次第でした。私ひとりだけ全開って世界でしたがまあたまにはよろしい。
今日は金ヶ崎の退き口~浅井攻め~比叡山燃ゆ~羽柴筑前守名乗り~柴田勝家との軋轢、といったあたりであり、来週はいよいよ本能寺の変に突入しそうです。京本政樹の足利義昭がなんか耽美系でかっこいいですね(追放されたし、もう出番がなさそうな気もするけど)。あと、ねねがかなり可愛いなと。
秀吉と言うと奥州仕置のこともあり、好きではないのですが、少なくともドラマの中ではよく笑ったり泣いたりと、すごく人間味のあるキャラクタで、誰も彼もが気難しくて堅苦しい語り口なのに、この人だけはものすごいハジケてていい味付けでした。
また、浅井から分捕った領地の人々から年貢を取らないようにしていた、ということも初めて知りました。もし事実とすれば、それもまた、誰にも思いもよらない発想だったと言えましょう。
信長=天魔の化身だから女子供にも容赦ない、光秀=インテリゲンチャで野菜い人だからそれが受け入れられない、というのはまあ、そういうドラマの味付けなのだからとやかく言うつもりはありません。私のイメージとは違う、というだけでね。
どうあれ、このような時代の物語を見ると、かつての名古屋行を思い出すわけであり、この東北人の私めが再び尾張の地を踏むことがあるのか。お伊勢参りをしてあそこのおかげ横町で一服することが出来るのか。というと、なんか無理なんじゃないかと言う気もしますが、まあいつかできればいいなと。
筋道立てて論理的に物事を説明する。相手にわかりやすいように丁寧に話す。
そうした社会人、とりわけ客商売の業務に従事する人間としてそのようなことに日々心がけ、社内に社外に様々な人に話をする日々を送っていると、反動的に前衛的な、極端に抽象的で刹那的な言葉を叫びたくなるものであって、そのような心の反動、ひずみ、震度7は激震で1995年の阪神大震災から、というのが一昨日現れたようです。
んー、こういうのって、どういう風に伝わるんだろう。どうも伝わらないか。もしも寺山修司ならば多くの人々の胸を打ち、数年前の私のような文芸パンク青少年のその後の人生を少しく狂わせる(かもしれない)でしょうが、私の場合は「意味わからん」で終わりでしょうね。……いや、ちょっと脳が実年齢より年を取りすぎている人の文章のように思われるかも……。
そんなんでね、どんなんや(c テント)。
高校生のころ、難しい本を読んで、難しい文章を書くことがかっこいいことと思い、難しい文章をたくさん書きました。ところがそれは「読むのが」難しい文章であって、あとから読み返すと具合が悪くなってくるようなものでした。今はその反動で、あまり難しく考えないで平易な、すなわちシンプルな文章を書くよう心がけているのですが、どんなんだろう。そんなんですよ。
……いっぱい、どうやったら相手に気持ちが伝わるのかと言うことに腐心し、いっぱいストレスを感じてつぶされそうになって、それでもなんとか一日乗り切って、また一生懸命文章考えるのはつらいんです……。だから、ここでは、とにかく直感的にバリバリ書きます。20mm機関砲の連射、またはJu87の1.4t爆弾の投下のごとく。最後で無理やりタイトルと関連付けた感じもありますが、結論としては、MotherOfAllBombとデイジーカッターと燃料気化爆弾はどれもこれも違うんだよ馬鹿野郎様といったところであり、そんな私は不発のクラスター爆弾のようなところでしょうか。あ、なんかうまくまとまりましたね。
そうした社会人、とりわけ客商売の業務に従事する人間としてそのようなことに日々心がけ、社内に社外に様々な人に話をする日々を送っていると、反動的に前衛的な、極端に抽象的で刹那的な言葉を叫びたくなるものであって、そのような心の反動、ひずみ、震度7は激震で1995年の阪神大震災から、というのが一昨日現れたようです。
んー、こういうのって、どういう風に伝わるんだろう。どうも伝わらないか。もしも寺山修司ならば多くの人々の胸を打ち、数年前の私のような文芸パンク青少年のその後の人生を少しく狂わせる(かもしれない)でしょうが、私の場合は「意味わからん」で終わりでしょうね。……いや、ちょっと脳が実年齢より年を取りすぎている人の文章のように思われるかも……。
そんなんでね、どんなんや(c テント)。
高校生のころ、難しい本を読んで、難しい文章を書くことがかっこいいことと思い、難しい文章をたくさん書きました。ところがそれは「読むのが」難しい文章であって、あとから読み返すと具合が悪くなってくるようなものでした。今はその反動で、あまり難しく考えないで平易な、すなわちシンプルな文章を書くよう心がけているのですが、どんなんだろう。そんなんですよ。
……いっぱい、どうやったら相手に気持ちが伝わるのかと言うことに腐心し、いっぱいストレスを感じてつぶされそうになって、それでもなんとか一日乗り切って、また一生懸命文章考えるのはつらいんです……。だから、ここでは、とにかく直感的にバリバリ書きます。20mm機関砲の連射、またはJu87の1.4t爆弾の投下のごとく。最後で無理やりタイトルと関連付けた感じもありますが、結論としては、MotherOfAllBombとデイジーカッターと燃料気化爆弾はどれもこれも違うんだよ馬鹿野郎様といったところであり、そんな私は不発のクラスター爆弾のようなところでしょうか。あ、なんかうまくまとまりましたね。
25年ほど生きてきて、今年、一度だけ、雲の上に行きました。
空を飛んだのは2回。1度目はヘリコプターで、2度目はジェット機で。
ですが、乗ってみたいのは、乗って空を飛びたいのは、
もっとゆっくり飛ぶ、もっと古い飛行機だったりします。
要するにYS-11とか、もっといえば複葉機とか、そういう古~い飛行機に乗って空を飛びたいんですよ。YS-11から複葉機って時代さかのぼりすぎか。というかあれだ、「紅の豚」のイメージ直結なのかな。ちげぇねぇ! ってね。
ただ、実際的にはポルコ・ロッシの赤いやつじゃなくて、こちらのHPの「クラシックプレーン」の中の135番にある「中島式P-1郵便機」です。1930年代のわずかな期間にわずかな機数だけ生産された、マイナーな航空機のようですが、それでもすごく好きです。なぜか。「戦うための飛行機」じゃないから、というのが率直な感想です。
私はいわゆる軍用機が大好きで……まあ、とにかく大好きです。それも以前は「疾風」や五式戦(名無し)といった現実に活躍したものや「震電」のような実戦投入はできなかったもののとんでもなく強そうなロマンのある戦闘機ばかりに目がいっていたのですが、「彩雲」や「東海」のような偵察・哨戒機や、「剣」のような(実際の用兵上はともかく)作り手の篤い志を感じられるようなものも好きになり、さらにそれが広がって、こういう、民間の航空機も好きになったという次第です。
加えてこの日も書きましたが、手紙を運ぶのに空を飛ぶと言う思想がファンタジィの領域だったために、実際にそういうのがあるというのが余計にうれしくなりました。
昼も夜も、手紙を届けるためにひとりで空を飛ぶ……。そのイメージがすごくロマンティックと言うか、ファンタジィな感じできやきやした気持ちになってくるのですね。ちなみにこの「きやきや」というのは泉鏡花が好んで遣う表現だと、澁澤龍彦氏のエッセーで読みましたので、無理に使ってみました。
米国でエアプレーンと言うと、どうやら飛行機全般のことを言うようですが、私の場合はそういったクラシカルな趣のある飛行機のことを指す意味として、この言葉を気に入って使っている次第です。
空を飛んだのは2回。1度目はヘリコプターで、2度目はジェット機で。
ですが、乗ってみたいのは、乗って空を飛びたいのは、
もっとゆっくり飛ぶ、もっと古い飛行機だったりします。
要するにYS-11とか、もっといえば複葉機とか、そういう古~い飛行機に乗って空を飛びたいんですよ。YS-11から複葉機って時代さかのぼりすぎか。というかあれだ、「紅の豚」のイメージ直結なのかな。ちげぇねぇ! ってね。
ただ、実際的にはポルコ・ロッシの赤いやつじゃなくて、こちらのHPの「クラシックプレーン」の中の135番にある「中島式P-1郵便機」です。1930年代のわずかな期間にわずかな機数だけ生産された、マイナーな航空機のようですが、それでもすごく好きです。なぜか。「戦うための飛行機」じゃないから、というのが率直な感想です。
私はいわゆる軍用機が大好きで……まあ、とにかく大好きです。それも以前は「疾風」や五式戦(名無し)といった現実に活躍したものや「震電」のような実戦投入はできなかったもののとんでもなく強そうなロマンのある戦闘機ばかりに目がいっていたのですが、「彩雲」や「東海」のような偵察・哨戒機や、「剣」のような(実際の用兵上はともかく)作り手の篤い志を感じられるようなものも好きになり、さらにそれが広がって、こういう、民間の航空機も好きになったという次第です。
加えてこの日も書きましたが、手紙を運ぶのに空を飛ぶと言う思想がファンタジィの領域だったために、実際にそういうのがあるというのが余計にうれしくなりました。
昼も夜も、手紙を届けるためにひとりで空を飛ぶ……。そのイメージがすごくロマンティックと言うか、ファンタジィな感じできやきやした気持ちになってくるのですね。ちなみにこの「きやきや」というのは泉鏡花が好んで遣う表現だと、澁澤龍彦氏のエッセーで読みましたので、無理に使ってみました。
米国でエアプレーンと言うと、どうやら飛行機全般のことを言うようですが、私の場合はそういったクラシカルな趣のある飛行機のことを指す意味として、この言葉を気に入って使っている次第です。
仕事上で、どうもややこしいものにぶつかってしまった犬神です。私ひとりの判断ではどうにもならないような大きな問題になりそうな予感。これはまずい。鉄砲玉か若い衆のごとき派遣社員の私にはとても処理しきれないものの、no refuseつまり逃げ道なしの絶望的な状況。どうすればいいのか。いっそ身投げでもしようか……。
なんてね。
まあ、あんまり難しく考えても仕方ないことなんですよね。なるようにしかならないというか、考えて、することをして、あとはその結果を相手にぶつけるだけだ、と。
そこまでたどりついてしまったら、あとは考えても何も進まないし、何も生まれないのであって、そうなったらばそれ以上の思案はまったくの無意味であり、というか私は生粋のアンポンタンなので、考えることもめんどくさくなってくるんですよね。そのうち犬神は考えるのをやめた――って感じでね。
もっとも、そう割り切ったとしても、これまた神経症野郎の犬神ゆえ、気になるものは気になってしまいます。ただこの時点ですでにポイントは「目の前の問題をどうやって解決しようか」ということから「なんか楽しいことないかなー」ということにシフトしているのであり、その時点でそうだ玉川上水に行こう、なんていう思想は一片もないわけでして、要するにこれで結構私と言う人間は、生きる方向に向けて開かれているのかな、とかと思っています。
それにしてもまあ、今日びは自ら命を絶つ少女たちが多いようで、率直な感想を言わせてもらえば切ない感じです。あと、なんかもったいない感じ。厚顔なお方のように「命は地球より重い」なんてことを言うつもりはまるでありませんが、もっと簡単に考えればいいのにと思うのです。
経験上、いじめる人もいじめられる人も、難しく考えてて、逃げ道が欲しいからそういうことするんだろうと思うし、もっとシンプルに考えれば、結構なんとかなるのにな、と。
などと、柄にもなく難しいことを語ってしまって、すみません。明日は会社、あさっても会社、しあさっても会社だ~(マサルさんの例の曲で)。
なんてね。
まあ、あんまり難しく考えても仕方ないことなんですよね。なるようにしかならないというか、考えて、することをして、あとはその結果を相手にぶつけるだけだ、と。
そこまでたどりついてしまったら、あとは考えても何も進まないし、何も生まれないのであって、そうなったらばそれ以上の思案はまったくの無意味であり、というか私は生粋のアンポンタンなので、考えることもめんどくさくなってくるんですよね。そのうち犬神は考えるのをやめた――って感じでね。
もっとも、そう割り切ったとしても、これまた神経症野郎の犬神ゆえ、気になるものは気になってしまいます。ただこの時点ですでにポイントは「目の前の問題をどうやって解決しようか」ということから「なんか楽しいことないかなー」ということにシフトしているのであり、その時点でそうだ玉川上水に行こう、なんていう思想は一片もないわけでして、要するにこれで結構私と言う人間は、生きる方向に向けて開かれているのかな、とかと思っています。
それにしてもまあ、今日びは自ら命を絶つ少女たちが多いようで、率直な感想を言わせてもらえば切ない感じです。あと、なんかもったいない感じ。厚顔なお方のように「命は地球より重い」なんてことを言うつもりはまるでありませんが、もっと簡単に考えればいいのにと思うのです。
経験上、いじめる人もいじめられる人も、難しく考えてて、逃げ道が欲しいからそういうことするんだろうと思うし、もっとシンプルに考えれば、結構なんとかなるのにな、と。
などと、柄にもなく難しいことを語ってしまって、すみません。明日は会社、あさっても会社、しあさっても会社だ~(マサルさんの例の曲で)。
不安がなくならない――そういう時あなたは何をしますか? 「餓狼伝」の長田弘であれば床に水たまりができるまでサンドバッグを蹴り続けるのでしょうが、私の家にはサンドバッグがないのでどうしようかと思っている次第です。
こういう時、もしもピアノが弾けたなら、ではないですが楽器の演奏が得意だとか、趣味だとか、習っているとかというのがあれば、きっと大変な心の支えになるのだろうなと思うのです。
私の学生のころの友人に、イングヴェイ・マルムスティーンばりにギター演奏が上手な人がいましたが、その人は同じくらいピアノの演奏も上手で、しかもクラッシックもさることながらジャズピアニストっぽく即興で果てしなく演奏を続けていて、当時はちょっと退屈してしまいましたが、弾いている本人はとても楽しくてしょうがないのだろうな、と今ならわかる気がします。
悪いことに私はピアノを弾くことよりも言葉をつむぐ方を取ってしまいました。
言葉をつむぐためには、一度感情を言葉に翻訳しなければならず、その過程でいろいろ落としてしまうものもありますし、何より「何も考えずに」することができない。これが精神のバランスを欠いた時、そのバランスを取り戻す手段としては非常によろしくない。
だとすれば結局、人が作ったものに頼るしかないわけで、そういうわけですから皆様、楽器を演奏できるようになることはその後の人生を大きく、おそらくいい方向にシフトさせるのに十分すぎることですよ、とあえて断言しましょう。わたし(犬神)はあえて断言する、って古いしマニアックだし。
そういうこともあり(?)私はピアノの演奏を聞くのが大好きです。また、一時は単音ならばそれなりに楽曲を弾くことも出来ましたが、今はキーボードしか叩けません。なんともはや。
とはいえまあ、以前ウゴウゴルーガの「おしえてえらいひと」で細野晴臣氏がいっておりました。そこらへんのものを叩いて音がする。異なる音がふたつ以上続けば、それはすでに音楽なのだと。だからその理論に基づくと、「絵が描けない」というのは上手に絵が描けない、ということであり(チンパンジーが描いた絵もあるくらいですからね)、「音楽が作れない」というのはきちんとした理論に基づく音楽が作れないと言うだけ、だということですね。
……ん? きちんとした音楽理論に基づかない、自分だけの音楽? それってつまり……「ボエ~!」
こういう時、もしもピアノが弾けたなら、ではないですが楽器の演奏が得意だとか、趣味だとか、習っているとかというのがあれば、きっと大変な心の支えになるのだろうなと思うのです。
私の学生のころの友人に、イングヴェイ・マルムスティーンばりにギター演奏が上手な人がいましたが、その人は同じくらいピアノの演奏も上手で、しかもクラッシックもさることながらジャズピアニストっぽく即興で果てしなく演奏を続けていて、当時はちょっと退屈してしまいましたが、弾いている本人はとても楽しくてしょうがないのだろうな、と今ならわかる気がします。
悪いことに私はピアノを弾くことよりも言葉をつむぐ方を取ってしまいました。
言葉をつむぐためには、一度感情を言葉に翻訳しなければならず、その過程でいろいろ落としてしまうものもありますし、何より「何も考えずに」することができない。これが精神のバランスを欠いた時、そのバランスを取り戻す手段としては非常によろしくない。
だとすれば結局、人が作ったものに頼るしかないわけで、そういうわけですから皆様、楽器を演奏できるようになることはその後の人生を大きく、おそらくいい方向にシフトさせるのに十分すぎることですよ、とあえて断言しましょう。わたし(犬神)はあえて断言する、って古いしマニアックだし。
そういうこともあり(?)私はピアノの演奏を聞くのが大好きです。また、一時は単音ならばそれなりに楽曲を弾くことも出来ましたが、今はキーボードしか叩けません。なんともはや。
とはいえまあ、以前ウゴウゴルーガの「おしえてえらいひと」で細野晴臣氏がいっておりました。そこらへんのものを叩いて音がする。異なる音がふたつ以上続けば、それはすでに音楽なのだと。だからその理論に基づくと、「絵が描けない」というのは上手に絵が描けない、ということであり(チンパンジーが描いた絵もあるくらいですからね)、「音楽が作れない」というのはきちんとした理論に基づく音楽が作れないと言うだけ、だということですね。
……ん? きちんとした音楽理論に基づかない、自分だけの音楽? それってつまり……「ボエ~!」
先日から、何かに必要以上にときめいた時は「これは……プロトカルチャーだ!」といって恐れおののくことにしている犬神です。なんと言うか、いい気持ちなんだけれど、ちょっと迷惑な気持ちだからです。
それもまた平穏で安寧な日々とは少し違うような気がするからです。なんてね。実際のところフラット・フィーリングを掲げたこのサイトであまり萌え萌え言うのはちょっとそぐわないと思うからです。
ところが先日たまたま発見してしまったこのアニメを、今朝ようやく見たのですが、これがまたリン・ミンメイのごとく私の精神に干渉してくるんですよ。
「可愛いかそうじゃないかと言われれば……可愛いに決まってるだろう!」
と主に自分に言い聞かせるのが大変です。うむむ……何と言う可憐な……。
いや、いや、いや……。これ以上は語りますまい。あと一言か二言語ろうとすると、4000文字くらい延々と言葉が続きそうなので無理に言葉を切りますが、あえて言わせてもらえば……
png形式の画像はすべて、右クリック保存しました、と。
じゃ、空気を変えるべくフラットでフィーリングな話題を。
今日は健康ランドに行って来て、当世流行の岩盤浴というやつをやってきました。身体と精神の健康を回復させるべく、焼け石の上に寝そべる拷問のごとき……嘘、嘘です。けれど直接触れれば低温やけどしそうな(実際軽く触っても「あっつぅ!」と言ってしまうくらい)等間隔に並べられた石の上に寝るのは事実でした。
これ以前に足湯岩盤浴という、普通のサウナと岩盤浴の中間みたいなのに入って大量発汗したあとだったのですが、不思議なことにあまり汗をかかず、こんなもんなのかと思いつつ寝そべっていると、次第に汗をかいてきました。来た来た……つって、多少脳が痛くなるまで入り、いったん出て水を飲んでまた入室。身体の限界に挑戦しつつ流行の癒し系プレイスを満喫してきた次第です。
ちなみにその後はフルーツ牛乳を飲み、お約束の健康チェック(人差し指をセンサーに当てて、待つこと30秒……)。体力は健康体、肌は弱酸性という結果でした。よきかな、よきかな。
それもまた平穏で安寧な日々とは少し違うような気がするからです。なんてね。実際のところフラット・フィーリングを掲げたこのサイトであまり萌え萌え言うのはちょっとそぐわないと思うからです。
ところが先日たまたま発見してしまったこのアニメを、今朝ようやく見たのですが、これがまたリン・ミンメイのごとく私の精神に干渉してくるんですよ。
「可愛いかそうじゃないかと言われれば……可愛いに決まってるだろう!」
と主に自分に言い聞かせるのが大変です。うむむ……何と言う可憐な……。
いや、いや、いや……。これ以上は語りますまい。あと一言か二言語ろうとすると、4000文字くらい延々と言葉が続きそうなので無理に言葉を切りますが、あえて言わせてもらえば……
png形式の画像はすべて、右クリック保存しました、と。
じゃ、空気を変えるべくフラットでフィーリングな話題を。
今日は健康ランドに行って来て、当世流行の岩盤浴というやつをやってきました。身体と精神の健康を回復させるべく、焼け石の上に寝そべる拷問のごとき……嘘、嘘です。けれど直接触れれば低温やけどしそうな(実際軽く触っても「あっつぅ!」と言ってしまうくらい)等間隔に並べられた石の上に寝るのは事実でした。
これ以前に足湯岩盤浴という、普通のサウナと岩盤浴の中間みたいなのに入って大量発汗したあとだったのですが、不思議なことにあまり汗をかかず、こんなもんなのかと思いつつ寝そべっていると、次第に汗をかいてきました。来た来た……つって、多少脳が痛くなるまで入り、いったん出て水を飲んでまた入室。身体の限界に挑戦しつつ流行の癒し系プレイスを満喫してきた次第です。
ちなみにその後はフルーツ牛乳を飲み、お約束の健康チェック(人差し指をセンサーに当てて、待つこと30秒……)。体力は健康体、肌は弱酸性という結果でした。よきかな、よきかな。
というタイトルをつけて一体何を語ればいいのか、などと考えてはみたものの、まあ考えても仕方がない。どうせ誰も見ていないのだし、ということをみてくれる誰かのためにも、それなりに思ったことを書くとしましょう。
男の子として、やはりいろいろなものにあこがれたりすることも、それなりに年を重ねた現在でもあるわけですが、年を重ねていないころと重ねた今とで違うところは、つまりあこがれているものに向かって努力するかしないかということでありまして……。
本を読んだり、かっこいい服を探したり、珍しい音楽を聴いたり、なんだり、かんだり。
むなしいね、どうもね。
というのはどうも、どれもこれも不確かなものばかりで、自分のコンプレックスを払拭できないものばかりだったんです。世の中に認められなくてもいいや、という思想は今もそんなに変わりないのですが、どちらかというと認められなくては生きられないような場所にいるわけで、とりあえず現世で自分がいてもいい証明を、横文字で言うところのアイデンティティを求めて、なおも何かかにかやっている次第です。
そういうわけで決して心穏やかな日々というわけではないのですが、あんまりおとなしいとすぐに高いところにいったりロープにぶら下がったりする人々になってしまうため、それよりはいいのかなと思います。
「自分はこの世にいなくてもいい」ということは重々承知しております。家の内外の人々からは空気のように思われている、と感じることもしばしばあります。
かといって私は素直でないので、本当にどこかに行こうとは思いません。人から疎まれたり嫌われたりするために生きること、そのためだけにと考えて踏みとどまること。
そういう生き方もあるんじゃないかなと思います……よ。なんて、ずいぶんメッセージ色の強い内容になってしまい恐縮です。
男の子として、やはりいろいろなものにあこがれたりすることも、それなりに年を重ねた現在でもあるわけですが、年を重ねていないころと重ねた今とで違うところは、つまりあこがれているものに向かって努力するかしないかということでありまして……。
本を読んだり、かっこいい服を探したり、珍しい音楽を聴いたり、なんだり、かんだり。
むなしいね、どうもね。
というのはどうも、どれもこれも不確かなものばかりで、自分のコンプレックスを払拭できないものばかりだったんです。世の中に認められなくてもいいや、という思想は今もそんなに変わりないのですが、どちらかというと認められなくては生きられないような場所にいるわけで、とりあえず現世で自分がいてもいい証明を、横文字で言うところのアイデンティティを求めて、なおも何かかにかやっている次第です。
そういうわけで決して心穏やかな日々というわけではないのですが、あんまりおとなしいとすぐに高いところにいったりロープにぶら下がったりする人々になってしまうため、それよりはいいのかなと思います。
「自分はこの世にいなくてもいい」ということは重々承知しております。家の内外の人々からは空気のように思われている、と感じることもしばしばあります。
かといって私は素直でないので、本当にどこかに行こうとは思いません。人から疎まれたり嫌われたりするために生きること、そのためだけにと考えて踏みとどまること。
そういう生き方もあるんじゃないかなと思います……よ。なんて、ずいぶんメッセージ色の強い内容になってしまい恐縮です。
昔むかしのお話です。さていつでしょう。はい正解は2001年でした。
内容を見てみると、長州力と小川直也が戦ったりもしていましたが、全体に暗いですね。あと一人称が「僕」だったりするところがなかなか坊やな感じですね。
一方で、こういうのもあります。読みづらくてすみません。
今日、当時使っていたノートPCを引っ張り出してきたところ、データがすべて消失してるかと思えばまだまだこういった古い時代のものが残っており、なかなか感慨深いものがありました。
当時は学生なものだから、いろいろ思案に暮れることも多かったと思います。学生から社会人になればもっとハードな世界になる、ということはよくわかっていたのですが、アルバイトも何にもしてなかった当時そんなことを考えてもしょうがないな、ってことで、とにかくナマ言っていたような気がします。
でもってそんなナマ言ってる小僧でも世間様に意見を公開できるインターネットという手段を知って、かような文章をさらけ出していたことは、(当時は100パーセント本気だったのですが)今にしてみればあまりにも……いや、否定することはできませんわな。そういうことを書いて来た過去があるから、今の私があるのですから。
「もし運命を変えられるのなら、過ちを犯さずにすむのだろうか?
その時がわかったとして、正しい選択を下せるのだろうか?
何度やり直したとしても、運命を変えることなど不可能なのかもしれない
・・・
それでも、そこに生きた証は違うと信じたい」
当時、好きだった「レイクライシス」のPS版から取った文句です。この文言を散らしたFLASH(マクロメディア社の人が見たら泣くようなクオリティのヘボさですが)も同時に見つかりましたので、近日中にさらしてみようかなと思います。
内容を見てみると、長州力と小川直也が戦ったりもしていましたが、全体に暗いですね。あと一人称が「僕」だったりするところがなかなか坊やな感じですね。
一方で、こういうのもあります。読みづらくてすみません。
今日、当時使っていたノートPCを引っ張り出してきたところ、データがすべて消失してるかと思えばまだまだこういった古い時代のものが残っており、なかなか感慨深いものがありました。
当時は学生なものだから、いろいろ思案に暮れることも多かったと思います。学生から社会人になればもっとハードな世界になる、ということはよくわかっていたのですが、アルバイトも何にもしてなかった当時そんなことを考えてもしょうがないな、ってことで、とにかくナマ言っていたような気がします。
でもってそんなナマ言ってる小僧でも世間様に意見を公開できるインターネットという手段を知って、かような文章をさらけ出していたことは、(当時は100パーセント本気だったのですが)今にしてみればあまりにも……いや、否定することはできませんわな。そういうことを書いて来た過去があるから、今の私があるのですから。
「もし運命を変えられるのなら、過ちを犯さずにすむのだろうか?
その時がわかったとして、正しい選択を下せるのだろうか?
何度やり直したとしても、運命を変えることなど不可能なのかもしれない
・・・
それでも、そこに生きた証は違うと信じたい」
当時、好きだった「レイクライシス」のPS版から取った文句です。この文言を散らしたFLASH(マクロメディア社の人が見たら泣くようなクオリティのヘボさですが)も同時に見つかりましたので、近日中にさらしてみようかなと思います。
普通、生きていくのは大体6割くらいでいいと思うんです。普段は6割、時々8割。いざという時9割9分もしくは10プラス2割増ということでね。
ところが最近の私ときたら、なんだか常時8割くらいのペースで爆走しているせいか、気持ちの疲れが取れずに知ってるつもりつもって動きが鈍くなってきている感じがします。
休んでも休みきれずにずっと引きずってるこの鉛のような思い。うぐう……。やれんなあ。
もっと正直に生きればいいのに、とは思うのですが、なかなかそうもいかない。けれど楽になりたいがために今の場所から逃げるのは決してしたくない。
だから今まで想像したことのない、楽しいことを知ればいいと思うのです。想像したことのないこと、つまり知らないこと。
で、そういうのを知るためにどうしたらいいのか。面白そうなことに首を突っ込んでみる。いろいろなところに行ってみる。なかなか今月はそれに成功せず、それがために今こうしてちょっと落ち込んでるのかなとかと。
で、さらに思ったことは、あまり考えすぎるのはいけないなと。難しく考えると、どんどん本当の気持ちが見えなくなってしまう。シンプルが一番いい。素直が一番いい。とりあえず、そうやってみようとわかってるだけ、私はまだいいのかしらん。
ところが最近の私ときたら、なんだか常時8割くらいのペースで爆走しているせいか、気持ちの疲れが取れずに知ってるつもりつもって動きが鈍くなってきている感じがします。
休んでも休みきれずにずっと引きずってるこの鉛のような思い。うぐう……。やれんなあ。
もっと正直に生きればいいのに、とは思うのですが、なかなかそうもいかない。けれど楽になりたいがために今の場所から逃げるのは決してしたくない。
だから今まで想像したことのない、楽しいことを知ればいいと思うのです。想像したことのないこと、つまり知らないこと。
で、そういうのを知るためにどうしたらいいのか。面白そうなことに首を突っ込んでみる。いろいろなところに行ってみる。なかなか今月はそれに成功せず、それがために今こうしてちょっと落ち込んでるのかなとかと。
で、さらに思ったことは、あまり考えすぎるのはいけないなと。難しく考えると、どんどん本当の気持ちが見えなくなってしまう。シンプルが一番いい。素直が一番いい。とりあえず、そうやってみようとわかってるだけ、私はまだいいのかしらん。
「アンダーディフィート」だの「ボーダーダウン」だのといった、動体視力をたぶんに使うSTGに疲れてしまったので、ゆっくりと「天下御免」などをやっている犬神です。
なに、この「元禄商人シミュレーションゲーム」をご存知でない? 要するに江戸時代の商人となり、ちりめん問屋(注・他にもあります)のご隠居ならぬ若旦那となって店を切り盛りしつついっぱいお金儲けしましょうというゲームです。
ゲームを開始して何をしたらいいんだ。はい、まずは船を作ります。それから船に乗せる船頭を雇います。それからあなたの問屋として扱う商品を、さし当たって堺で買います。そしてあとは手代を雇って売らせれば、毎月お金が入ります。
ところでゲームをやっていて、どうも寄港地がいっぱいあるのに堺にしかいけない。というわけでとりあえず、その土地の藩のお偉い方に頼みに行こうってので、とりあえず染物問屋として漆の取れる釜石港に入れてもらうべく、我が南部盛岡藩の家老のところにお願いに……。
速攻で断られました。
じゃあ、寄付して貢献しよう。ということで月に1度くらい、1000両ずつ上げました。「山吹色のお菓子」もあげようとしましたが、「そんなものはいらぬ」と断られ、さすがは盛岡藩、要領は悪いがプライドはあるぜ、といって(ゲーム内で)2年経過。
……何も変わりませんでした。
攻略サイトによれば、何度も推せば渋々がった振りをしてお菓子を受け取るということで、お菓子の下に400ばかり包みクリック連打。……なるほど、10数回くらい断った挙句に受け取りました。そして味を占めた私は毎日毎日、そのお菓子を付け届けに行きました。
2ヵ月で釜石港への寄港の許可が出ました。
世の中、金だ(とりあえず元禄時代、商人として生きる場合に限って)――そんな当たり前のことに、私はようやく気づきました。
それからはもう、金を使って善行を働く日々。
街で借金に困った侍がいれば、30両。おとっつぁんの薬代に苦心する娘に、30両。さらには財布を落とした市川団十郎(!)にも30両、そして江戸で迷子になっている浅野匠頭(!!)にも、50両。
いずれご禁制の品(洋酒、アヘン、ギヤマン)に手を出したり、ライバルを暗殺したり、さらに大もうけしようかともくろんでいる極悪商人一歩前の小悪商人江戸屋元禄(という名前なのです)でした。
とはいえ、
「近頃世間に流行るもの 押し込み強盗 高利貸 賄賂をもらう偉ぇ人
金、金、金の世の中で 泣くのは弱い者ばかり
涙を拭いておいでなせぇ 恨みを晴らす仕事人 陰膳据えて待っておりやす」
(必殺仕事人Ⅳ OPより)
という啖呵が好きな犬神、多少汚い手は使っても、人の道から外れたことはしたくない、と思うのです。やっぱり……ね。
なに、この「元禄商人シミュレーションゲーム」をご存知でない? 要するに江戸時代の商人となり、ちりめん問屋(注・他にもあります)のご隠居ならぬ若旦那となって店を切り盛りしつついっぱいお金儲けしましょうというゲームです。
ゲームを開始して何をしたらいいんだ。はい、まずは船を作ります。それから船に乗せる船頭を雇います。それからあなたの問屋として扱う商品を、さし当たって堺で買います。そしてあとは手代を雇って売らせれば、毎月お金が入ります。
ところでゲームをやっていて、どうも寄港地がいっぱいあるのに堺にしかいけない。というわけでとりあえず、その土地の藩のお偉い方に頼みに行こうってので、とりあえず染物問屋として漆の取れる釜石港に入れてもらうべく、我が南部盛岡藩の家老のところにお願いに……。
速攻で断られました。
じゃあ、寄付して貢献しよう。ということで月に1度くらい、1000両ずつ上げました。「山吹色のお菓子」もあげようとしましたが、「そんなものはいらぬ」と断られ、さすがは盛岡藩、要領は悪いがプライドはあるぜ、といって(ゲーム内で)2年経過。
……何も変わりませんでした。
攻略サイトによれば、何度も推せば渋々がった振りをしてお菓子を受け取るということで、お菓子の下に400ばかり包みクリック連打。……なるほど、10数回くらい断った挙句に受け取りました。そして味を占めた私は毎日毎日、そのお菓子を付け届けに行きました。
2ヵ月で釜石港への寄港の許可が出ました。
世の中、金だ(とりあえず元禄時代、商人として生きる場合に限って)――そんな当たり前のことに、私はようやく気づきました。
それからはもう、金を使って善行を働く日々。
街で借金に困った侍がいれば、30両。おとっつぁんの薬代に苦心する娘に、30両。さらには財布を落とした市川団十郎(!)にも30両、そして江戸で迷子になっている浅野匠頭(!!)にも、50両。
いずれご禁制の品(洋酒、アヘン、ギヤマン)に手を出したり、ライバルを暗殺したり、さらに大もうけしようかともくろんでいる極悪商人一歩前の小悪商人江戸屋元禄(という名前なのです)でした。
とはいえ、
「近頃世間に流行るもの 押し込み強盗 高利貸 賄賂をもらう偉ぇ人
金、金、金の世の中で 泣くのは弱い者ばかり
涙を拭いておいでなせぇ 恨みを晴らす仕事人 陰膳据えて待っておりやす」
(必殺仕事人Ⅳ OPより)
という啖呵が好きな犬神、多少汚い手は使っても、人の道から外れたことはしたくない、と思うのです。やっぱり……ね。
私と敵対する会社のインターネットプロバイダサービスではありません。かといって光GENJIでもありません(ふるぅ!)。いや、イメージとしては後者の方が近いのかな。
気持ちに正直に。心に素直に。または心を隠しても本当に自分が何を思っているのかわかるようにする。
……そう心がけてきたのですが、結構流されてしまって、本当に自分がどういう風な気持ちでいるのか、自分でもうまく説明できないようになってきたところがある犬神です。だって、ねえ、昨日も書いたけど今日も書いてるし。
こんなことを、かつて文学っ子だった犬神は書いていました。え? 読みづらい? ですよねー。……この中で言いたいことというのは、ジャン・コクトーが「書くことは一種の愛の行為」だと言った、ということです。
そして、「文字を書いて何かしらの世界を作り上げたり表現したりするとそれだけで心が充足するような感触が」あったということです。
今こうしてブログを書いているのですが、ここでも言いたいことをセーブしているので、かつてほど楽しくはありません。かといって書くことをやめるわけにはいきません。ここで少しだけ、言いたいことを言うことが、呼吸ほどに当たり前で必要なことだからです。
それでも前ほど言葉が出てこない。声が出てこない。言いたいことがおなかのあたりで突っ張って、喉元まで上がってこない。だから私は自分に呼びかけるんです。ほら、言えって。
言いたいことをちゃんと言えって……。
気持ちに正直に。心に素直に。または心を隠しても本当に自分が何を思っているのかわかるようにする。
……そう心がけてきたのですが、結構流されてしまって、本当に自分がどういう風な気持ちでいるのか、自分でもうまく説明できないようになってきたところがある犬神です。だって、ねえ、昨日も書いたけど今日も書いてるし。
こんなことを、かつて文学っ子だった犬神は書いていました。え? 読みづらい? ですよねー。……この中で言いたいことというのは、ジャン・コクトーが「書くことは一種の愛の行為」だと言った、ということです。
そして、「文字を書いて何かしらの世界を作り上げたり表現したりするとそれだけで心が充足するような感触が」あったということです。
今こうしてブログを書いているのですが、ここでも言いたいことをセーブしているので、かつてほど楽しくはありません。かといって書くことをやめるわけにはいきません。ここで少しだけ、言いたいことを言うことが、呼吸ほどに当たり前で必要なことだからです。
それでも前ほど言葉が出てこない。声が出てこない。言いたいことがおなかのあたりで突っ張って、喉元まで上がってこない。だから私は自分に呼びかけるんです。ほら、言えって。
言いたいことをちゃんと言えって……。
以前好きだったアーティストのことを久しぶりに見たとき、今はどんな音楽をやってるのかなと思います。そのとき同時に思うのは、「自分が本当にその人が好きなのかどうなのか」ということです。
もちろん実際に今の音楽を聞いて「やっぱり、いい」と思えばいいし、たとえ昔好きだったとしても今聞いていいと思わなければ、少なくとも私にとってはいいものではないでしょうな。
ということはやはり一度、聞いて見なければならないと思うわけですが、このレーベルはタイトー系列の会社なんですね……それじゃタイトラスレコードの立場は!?
そういう風に好きな振りをしたり、好きじゃない振りをしているうちに、本当に自分がどう思っているのかわからなくなることが多いのかな、と最近は思います。右脳と左脳で考えていることが違うというか、心の深いところの思いと頭の浅いところの考えが違うというのかな。
そういったところで手傷をこうむるのが、一般にプレミア物と呼ばれるものと遭遇した時であり、たとえば、これ。
こんな、将来2倍以上の値段に跳ね上がることが予想されるものが割と定価で売られているのを目の当たりにしたのでは、「定価ならむしろ安い」とかと踏んでカートに入れるとクリックしてしまいかねません。ただでさえ○万も先月ゲームにつぎ込んでいるのに(おかげで貯金が限りなくない状態に……)。
確かに自分は「RAY」シリーズが好きです。「フォース」(初代)はSS版を、クレジット2倍にしてクリアしました。「ストーム」はそれなりにクリアしました。「クライシス」は残機設定9機にして何とかいい方? のエンディングを見ました。とんでもない下手野郎じゃねえかって? ええ、下手ですね。でも好きなんです。CDとかはアレンジ版もオリジナル版も持っています。
ここですよ。CD持ってるのに3/4が音楽CDじゃ、DISC4のために1万近くを投資するのであり、昨今の経済事情から考えるとそれはどうだろう、とちょっと疑問視します。ところが、そこでさっきの前頭葉の、ほら、「あとで欲しくなった時には値段が2倍以上になってるよ~」という声が聞こえてくるわけで、そのあたりで心は千々に乱れるわけですよ。
……まあ、とにかくフラットフィーリングの境地を目指す犬神としては、こういう時は「なくても心満たされるように」思考をねじ曲げコントロールするわけで、とりあえずプレミアムBOXにはない「クライシス」のアレンジ版でも聞くか、って言って銀盤を再生、「ああ、これならまあいいかな」と自分をなだめてトータル的な安息を求める次第です。
(でも、「信長の野望 革新」のプレミアムBOXには、サントラがついてるから欲しいかも……誰かサントラだけください)
もちろん実際に今の音楽を聞いて「やっぱり、いい」と思えばいいし、たとえ昔好きだったとしても今聞いていいと思わなければ、少なくとも私にとってはいいものではないでしょうな。
ということはやはり一度、聞いて見なければならないと思うわけですが、このレーベルはタイトー系列の会社なんですね……それじゃタイトラスレコードの立場は!?
そういう風に好きな振りをしたり、好きじゃない振りをしているうちに、本当に自分がどう思っているのかわからなくなることが多いのかな、と最近は思います。右脳と左脳で考えていることが違うというか、心の深いところの思いと頭の浅いところの考えが違うというのかな。
そういったところで手傷をこうむるのが、一般にプレミア物と呼ばれるものと遭遇した時であり、たとえば、これ。
こんな、将来2倍以上の値段に跳ね上がることが予想されるものが割と定価で売られているのを目の当たりにしたのでは、「定価ならむしろ安い」とかと踏んでカートに入れるとクリックしてしまいかねません。ただでさえ○万も先月ゲームにつぎ込んでいるのに(おかげで貯金が限りなくない状態に……)。
確かに自分は「RAY」シリーズが好きです。「フォース」(初代)はSS版を、クレジット2倍にしてクリアしました。「ストーム」はそれなりにクリアしました。「クライシス」は残機設定9機にして何とかいい方? のエンディングを見ました。とんでもない下手野郎じゃねえかって? ええ、下手ですね。でも好きなんです。CDとかはアレンジ版もオリジナル版も持っています。
ここですよ。CD持ってるのに3/4が音楽CDじゃ、DISC4のために1万近くを投資するのであり、昨今の経済事情から考えるとそれはどうだろう、とちょっと疑問視します。ところが、そこでさっきの前頭葉の、ほら、「あとで欲しくなった時には値段が2倍以上になってるよ~」という声が聞こえてくるわけで、そのあたりで心は千々に乱れるわけですよ。
……まあ、とにかくフラットフィーリングの境地を目指す犬神としては、こういう時は「なくても心満たされるように」思考をねじ曲げコントロールするわけで、とりあえずプレミアムBOXにはない「クライシス」のアレンジ版でも聞くか、って言って銀盤を再生、「ああ、これならまあいいかな」と自分をなだめてトータル的な安息を求める次第です。
(でも、「信長の野望 革新」のプレミアムBOXには、サントラがついてるから欲しいかも……誰かサントラだけください)
私は当時、「倍率ドン」で出てくる数字がどうやって決まっているのか知らなかったので、「倍率ドン」「さらに倍」で20倍になってる井森美幸に賭ければ圧倒的じゃん、と思っていたのですが、20倍なのは20倍なりの理由があるんですよね。
また、篠沢教授が好きでした。だってかっこいいんだもん。でもってすごく頭よさそうだもん(当たり前だ)。でも正答率はなかなかアレだったわけで、そこいくとやはり竹下景子なのかと。だが実戦ではやはり竹下景子だ、つって、私は今でもこの人を見ると「いつ見ても綺麗な」といって1000点くらいあげたくなります。
……そして、常に倍率は最低で、それと真逆に正答率は最高、誰しもが「3000点」をかける男……。
答えを事前に教えてもらってるんじゃないかとまで言われたはらたいら氏の訃報に当たった時、少なからず私は衝撃を受けました。巨泉のクイズダービーが徳さんのクイズダービーになったとしても、なおも中央の席に居続けたはら氏はまさに同番組の象徴でありました。「はらたいらさんに3000点」というフレーズは「倍率ドン」と並んで流行語になったとかならないとか。
ところで私ははらたいら氏の著作を一冊、持っています。「はらたいら作品集」というもので、数年前に古書市で買い求めました。
3000点の男はどういう漫画を書いているのか? まあ、あえてそのことについては触れません。本人がどうあれ、ほとんどの人にとって「はらたいら」=「倍率2倍の男」なのですから。
ともあれ少なからず衝撃を受けました、と。そういったところです。
また、篠沢教授が好きでした。だってかっこいいんだもん。でもってすごく頭よさそうだもん(当たり前だ)。でも正答率はなかなかアレだったわけで、そこいくとやはり竹下景子なのかと。だが実戦ではやはり竹下景子だ、つって、私は今でもこの人を見ると「いつ見ても綺麗な」といって1000点くらいあげたくなります。
……そして、常に倍率は最低で、それと真逆に正答率は最高、誰しもが「3000点」をかける男……。
答えを事前に教えてもらってるんじゃないかとまで言われたはらたいら氏の訃報に当たった時、少なからず私は衝撃を受けました。巨泉のクイズダービーが徳さんのクイズダービーになったとしても、なおも中央の席に居続けたはら氏はまさに同番組の象徴でありました。「はらたいらさんに3000点」というフレーズは「倍率ドン」と並んで流行語になったとかならないとか。
ところで私ははらたいら氏の著作を一冊、持っています。「はらたいら作品集」というもので、数年前に古書市で買い求めました。
3000点の男はどういう漫画を書いているのか? まあ、あえてそのことについては触れません。本人がどうあれ、ほとんどの人にとって「はらたいら」=「倍率2倍の男」なのですから。
ともあれ少なからず衝撃を受けました、と。そういったところです。
明治時代から「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」などと申しまして、髪型をかえるということはその人のスタイルを変えるということである、なんてことは私が言うまでもないことですが、要するに今日は床屋に行ってきたということです。
女性であれば髪を切る時は失恋した時とかでしょうが(※)男子たるもの、あまりボサボサした頭では格好がつかない、つっていつも行っている床屋に行き、あいまいに指示を出して切ってもらったわけですが、「ここをこーいう風にして、あと後ろのほうをウエーブをかけて……」とか何とかと詳しく注文できる人というのは、ある意味すごいなと思います。
服とかもそうなんですが、私ときたらあまりそういったものに頓着しない性格のため、ある程度はその職人のセンスに任せているので、出来上がりはその都度微妙に違います。違いますが、「これでいいですか?」と言われた時、よかろうとそうでなかろうと「あ、いいです」と言っています。少なくとも、自分がかっこいいと思わないような刈り方を床屋もするわけないでしょうし、実際それなりにいい出来だったりするからです。
で、今回散髪をしたのは、もうひとつは髪を切ることで、気持ちもいくらか変わるかな、と思ったからです。あの手この手を試してこの暗澹たる気持ちを払拭しようと努力しているわけですが、今日は髪を切って気分を変えよう、とまるで女子のような(※)思想ですね。
とはいえ、冒頭にも申し上げたように髪型はその人の生き方をも左右するわけであり、心はどっちかと言うと半髪頭(要は「チョンマゲ」)で因循姑息って言うか江戸時代好きなところもありますが、ここはひとつ御一新、いくらか心を開化させて、生きていかなきゃならんなと思いました。
(※)
小生、何分にも女性についてあまりにも知識がなく、そういったイメージがいまだにしみついているので、ご了承ください。どうやら髪は切ったものの、この因循姑息なところは当面直らないかもしれません。
女性であれば髪を切る時は失恋した時とかでしょうが(※)男子たるもの、あまりボサボサした頭では格好がつかない、つっていつも行っている床屋に行き、あいまいに指示を出して切ってもらったわけですが、「ここをこーいう風にして、あと後ろのほうをウエーブをかけて……」とか何とかと詳しく注文できる人というのは、ある意味すごいなと思います。
服とかもそうなんですが、私ときたらあまりそういったものに頓着しない性格のため、ある程度はその職人のセンスに任せているので、出来上がりはその都度微妙に違います。違いますが、「これでいいですか?」と言われた時、よかろうとそうでなかろうと「あ、いいです」と言っています。少なくとも、自分がかっこいいと思わないような刈り方を床屋もするわけないでしょうし、実際それなりにいい出来だったりするからです。
で、今回散髪をしたのは、もうひとつは髪を切ることで、気持ちもいくらか変わるかな、と思ったからです。あの手この手を試してこの暗澹たる気持ちを払拭しようと努力しているわけですが、今日は髪を切って気分を変えよう、とまるで女子のような(※)思想ですね。
とはいえ、冒頭にも申し上げたように髪型はその人の生き方をも左右するわけであり、心はどっちかと言うと半髪頭(要は「チョンマゲ」)で因循姑息って言うか江戸時代好きなところもありますが、ここはひとつ御一新、いくらか心を開化させて、生きていかなきゃならんなと思いました。
(※)
小生、何分にも女性についてあまりにも知識がなく、そういったイメージがいまだにしみついているので、ご了承ください。どうやら髪は切ったものの、この因循姑息なところは当面直らないかもしれません。
今日、突然「ノヴゴロド」という単語が思いつき、いったいなんだったのかと少しく疑問に感じました。
ここで本来ならば本家の親分さんのところに行って聞かなければならないところでしょうが、現代はインターネットで検索エンジンで2秒でパチッと出てくるわけで、こういうことでした。
ところで、私はあまり人を信用しない性格です。そのくせ自分は誰からも信用されたいと思うわけで、人から頼まれたことはほとんど請け負います。本来は当事者にさせた方がいい仕事とかもついやってしまいます。
苦労の割にあまり報われなかったり、認められなかったり、どぶさらいのような地味でつまらない仕事ばかりで、精神的なストレスばかりが積みあがっていくところですが、まあよろしい。上手じゃない、無駄が多いなら多いなりに、何かがあると信じて疑わないのですから。
あと、人を信用しないといいますが、それというのは決して人間嫌いというわけではなくて、あまり誰かに負荷をかけたくないのです。
「信じていたのに」「やってくれると思っていたのに」
そんな声を巷間で聞くと、じゃあかっしゃい、と町田康の物まねをして絶叫したくなります。それというのはたいていの場合、自分のすごく身勝手な思い込みを他人に押し付けているわけで、するのもされるのもすごく嫌なんです。もっとも、された場合は多少の無理難題でもどうにか成し遂げて見せようとするわけですが。
そんなことを繰り返しているうち、あまり誰かに依存しないようにしようと思い、今にいたります。自分でできることは極力自分でする。自分でできないことは他人にお願いするものの、やってもらえなくてもいいや、という気持ちでお願いするようにしています。
そして、容易に誰かを信用しない分、信用に値する人についてはとことん心を開くようなところがあります。もっとも、今そんな風に、どこまでも心を開ける人は、……。
ここで本来ならば本家の親分さんのところに行って聞かなければならないところでしょうが、現代はインターネットで検索エンジンで2秒でパチッと出てくるわけで、こういうことでした。
ところで、私はあまり人を信用しない性格です。そのくせ自分は誰からも信用されたいと思うわけで、人から頼まれたことはほとんど請け負います。本来は当事者にさせた方がいい仕事とかもついやってしまいます。
苦労の割にあまり報われなかったり、認められなかったり、どぶさらいのような地味でつまらない仕事ばかりで、精神的なストレスばかりが積みあがっていくところですが、まあよろしい。上手じゃない、無駄が多いなら多いなりに、何かがあると信じて疑わないのですから。
あと、人を信用しないといいますが、それというのは決して人間嫌いというわけではなくて、あまり誰かに負荷をかけたくないのです。
「信じていたのに」「やってくれると思っていたのに」
そんな声を巷間で聞くと、じゃあかっしゃい、と町田康の物まねをして絶叫したくなります。それというのはたいていの場合、自分のすごく身勝手な思い込みを他人に押し付けているわけで、するのもされるのもすごく嫌なんです。もっとも、された場合は多少の無理難題でもどうにか成し遂げて見せようとするわけですが。
そんなことを繰り返しているうち、あまり誰かに依存しないようにしようと思い、今にいたります。自分でできることは極力自分でする。自分でできないことは他人にお願いするものの、やってもらえなくてもいいや、という気持ちでお願いするようにしています。
そして、容易に誰かを信用しない分、信用に値する人についてはとことん心を開くようなところがあります。もっとも、今そんな風に、どこまでも心を開ける人は、……。
拳で地震を止められると信じて疑わない強烈なエゴイズムを持っているのであれば別ですが、それほどでもない時、自分がすごく不安定なものに感じることがあるのではないでしょうか。おれ(私)って何なんだろう、って。
んー、そういう時は、心を落ち着けて考えてみれば、はっ、アイデンティティだなんて小せぇちいせぇ、と石川五右衛門張りに啖呵を切ってお寺の門の上に立ち、ベランダかなんかから「絶景かな、絶景かな」と言いたくなろうかと思います。ただし本当にそうやって何かあっても責任は一切負いません。
ただ、往々にして実際にそうやって心が不安定な時は、急に落ち着かせようったって無理なものであって、一歩進んで、「どうやって心を落ち着かせるのか」ということについて考えてみると、自分を外から眺めることを私はおすすめします。
自分をふたつに分けて、目の前に置いて、じっくり眺めてみる。そうすると、自分の中にある時は感情が邪魔してうまく見えなかった言葉、理屈、自分がいったい何を考えているのかというのが見えてくるわけで、そうすると自分が考えていたことがくだらないことだったり、つまらないことだったり、仕方ないことだったりするわけで……。
でもって、気持ちの整理がつくと、それまで絶望の只中、迷妄のさなかにいた自分の気持ちがすっきりするんだろうな、という風に私は思います。
もちろん、本気で精神を病んだ場合は医師の処方を仰ぐのが最善の手段であることは言うまでもありません。ダメだと思ったらロープを買ったり高層ビルの屋上に立つ前に、心療内科の予約を入れることをおすすめします。それからでも遅くはありませんから。
また、「自分はそんなことができるくらい冷静にはなれない」ということであれば、無理にそんなことをする必要はありません。落ち着かないと疲れますが、無理をすればかえって疲れますから、何事もゆっくりと、急がずに行くことが肝要です。
今日はいくらか冷静に、ほどほどに落ち着いて、まずまず理屈がつむげたので、それっぽいことを書きました。ちょっといい話。なんて、何かの糧になれば幸いです。ならなくてもいいですけど。
んー、そういう時は、心を落ち着けて考えてみれば、はっ、アイデンティティだなんて小せぇちいせぇ、と石川五右衛門張りに啖呵を切ってお寺の門の上に立ち、ベランダかなんかから「絶景かな、絶景かな」と言いたくなろうかと思います。ただし本当にそうやって何かあっても責任は一切負いません。
ただ、往々にして実際にそうやって心が不安定な時は、急に落ち着かせようったって無理なものであって、一歩進んで、「どうやって心を落ち着かせるのか」ということについて考えてみると、自分を外から眺めることを私はおすすめします。
自分をふたつに分けて、目の前に置いて、じっくり眺めてみる。そうすると、自分の中にある時は感情が邪魔してうまく見えなかった言葉、理屈、自分がいったい何を考えているのかというのが見えてくるわけで、そうすると自分が考えていたことがくだらないことだったり、つまらないことだったり、仕方ないことだったりするわけで……。
でもって、気持ちの整理がつくと、それまで絶望の只中、迷妄のさなかにいた自分の気持ちがすっきりするんだろうな、という風に私は思います。
もちろん、本気で精神を病んだ場合は医師の処方を仰ぐのが最善の手段であることは言うまでもありません。ダメだと思ったらロープを買ったり高層ビルの屋上に立つ前に、心療内科の予約を入れることをおすすめします。それからでも遅くはありませんから。
また、「自分はそんなことができるくらい冷静にはなれない」ということであれば、無理にそんなことをする必要はありません。落ち着かないと疲れますが、無理をすればかえって疲れますから、何事もゆっくりと、急がずに行くことが肝要です。
今日はいくらか冷静に、ほどほどに落ち着いて、まずまず理屈がつむげたので、それっぽいことを書きました。ちょっといい話。なんて、何かの糧になれば幸いです。ならなくてもいいですけど。






