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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
近頃はめっきりと内臓が弱くなってしまった私。お酒は嫌いなわけではないのですが、以前のように前後不覚になるくらい酔っ払うことができなくなりました。そこまで行く前に胃が食べ物・飲み物を消化できなくなってダメだこりゃ状態になってしまうのです。

その上、胃のムカムカした状態が数日にわたって続くため、飲酒は1か月に1回程度が適量、という感じです。

にもかかわらず、今週は昨日一昨日と2日連続で飲み会に出席した私。1日目はともかく2日目はほとんど酒が飲めませんでした。

これは前もって想像できたことなので、あらかじめ参加を断っておいてもよかったかな・・・という気もしますが、ちょっと特別なイベントだったのでね。無理を押して参加した次第です。


というのは、昨日開催されたイベントは、毎年恒例となっている職場の花見会だったのです。そして、おそらく6月いっぱいで今の職場を離れることになるので、これが最後だからという思いがあったのです。

イメージとしては、豊太閤(豊臣秀吉)が晩年に開催した大イベント『醍醐の花見』ですね。
ああいう感じで、最後にひとつ派手なことをして、みんなの記憶に残ればいいなあと思って、今回は事前の準備にも深く関わりました。具体的には料理の買い出しや下ごしらえ、それを開催場所まで運ぶことなどです。

結果的には、かなり盛り上がったので、良かったかなと思います。酒もギリギリまで控えたので、今は若干の胃のムカつきがあるかな? というくらいですし。・・・また、今日からは自分のために生きていきたいと思います。

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昨日あたりから早い人はゴールデンウイークの連休モードに突入されたんじゃないかと思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私はあいにくカレンダーの日付が赤くても黒くても出る日は出て、休む日は休む。そういう職場なので、連休というのはありません。

しかしながら、それでも関連部署が休みだったりするので、やはり多少は特別な雰囲気があります。それに実は取引先などが休暇に入るので、出社するとはいえ、多少は仕事量が減ります。ある意味では私もゴールデンウイークです。

それでも完全な休日が少ないので、せっかく宇都宮から帰郷している兄者と一緒にどこかに行ったりすることができないのが残念です。ま、せめて夜の街に繰り出し、そこで盛大に飲み食いをすることにしましょう。こういうイベント時にしか、私はお酒を飲みませんから。


そうそう。こんな中でも読書は欠かせません。昨日は山岡荘八先生の短篇集「柳生の金魚」を読みました。そして今度は村山早紀先生の「黄金旋律」を読む予定です。因縁浅からぬ角川銀のさじシリーズですが、知らない作家じゃありませんからね。その点においては大丈夫だろうと思っています。

その一方で、随分と前から貸してもらっている「クロヒョウ2阿修羅編」とかもプレイしているのですが、こちらはあまり長続きしません。昔のアクションゲームが上手になった代わりに、今の時代のアクションゲームが相当下手になってしまったからです。まだ第2章なのに10回以上ゲームオーバーになっちゃってます。

「やはり、本ばかり読んでいるから、戦いの心を失ってしまったのだろうか」

そう思い、再び熱さを取り戻すために日々取り組んでいます。・・・となればいいんですが、残念ながら、そうでもありません。決して読書という行為がゲームの上にあるとは言いませんが、ゲームは1日30分〜1時間程度にとどめたいなと思っています。いや、別にやらない日があってもいいかな、と思っています。


以上、このところの私の日常を見回してアレコレ書いてみました。こういう、どーでもいいようなことを書いてこそブログですよね。

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今からだいたい6年くらい前に、学校の周りを走るジャージ姿の中学生諸君を見て、それまでなんとなく送っていた社会人生活を改め、積もり積もったコンプレックスを解消するべく奮闘努力を続けてきました。その甲斐あって、決して誰に誇れるわけでもありませんが、少なくとも「自分はダメだから、何もしない」という思いは抱かなくなりました。

「ダメだけど、やれるだけやってみる」

そう思えるようになりました。これは今でもそうです。

そんな私に、新しい目標ができました。昨日、まったく思いがけない形で。


盛岡市と雫石町にまたがる形で広がるダム湖『御所湖』の周りを、普段は車で通っているけれど、試しに歩いてみよう。――これは別にトレーニング目的ではなく、なんとなく・・・あえて言えば散歩感覚で歩いていた時のことです。

どういうわけか、警察学校の生徒さんたちと合流しました。今ホームページとかで見てみましたが、もしかするとこれが男塾名物岩手県警察学校名物・10キロメートル持久走ってやつかもしれません。

一応10キロという距離がどれほどのものかというのは、私も体感で知っています。今回も同じコースを(9割以上徒歩ですが)踏破したので、その上で言いますが、かなりハードです。ましてや陸上競技場のようなフラットな道ではなく、山をひとつ越えるようなコースなので、ちょっとした箱根駅伝状態です。

そこをひたすらに走りまくる皆様。その熱気に当てられて、私も気持ちだけはトレーニング気分です。それまでフラフラ歩いていたのに急に走りだすというのも妙な感じなので、端っこに寄って邪魔にならないように歩いていましたが。

ただ、そんな私にも「こんにちは」と声をかけてくれる人もいました。正直なところ、それどころじゃないだろうと思うのですが、そんな中でも私のような通りすがりの人間に声をかけてくれる心に感動。いぬがみも走り去っていく後ろ姿に心の中でエールを送りました(挨拶は返しましたよ。もちろん)。


さて、生徒さんたちのスタート地点と私のスタート地点は異なるので、先に一周し終わった私はコースから離脱し、その様子を脇から眺めていました。

速い人もいれば、そうでもない人もいます。てっきりファミコンウォーズのCMみたいに(古くてすいません)整然と隊列を組んで走るものだと思っていましたが、まあ高校のロードレース大会とあまり変わりません。つまり、みんながみんな自分のペースで走っていたのです。

そんな中で最後の生徒さんが来たのは、休憩も終えて帰ろうかなと思った頃。他の人たちと比べると大きく遅れており、逆・一人旅状態でした。

どうも、その姿を見ていると、かつての自分を思い出します。中学高校と持久走が大苦手で、いつも他の人たちと比べると思いっきり遅れて、あんな感じで一人旅状態。寂しいというか恥ずかしいというか・・・とにかく嫌な思い出です。

でも、それでも走っている。コースを間違えないようにする先生の姿もなく、「合ってますよねえ?」と誰にともなく問いかけながら(声に出ていたのでよくわかった)走り続けている。その姿に、いぬがみは強く感動しました。

「合ってます合ってます、そのまま頑張って!」

こっちもそんな風に声を掛けたくなりましたが、これは駅伝大会ではなく警察学校の訓練の一つですからね。私が声をかけていいようなものではないと判断したので、これまた心の中で声援を送りつつ、見守り続けました。そして彼女が正しいコースを走っていく後ろ姿を見送ったあと、今度は愛車ファミリアファミ子に乗って帰ってきた次第です。


「……羨ましいな
 以前、オレは…警官になりたいと思っていた…
 子供のころから……ずっと、りっぱな警官に……なりたかったんだ……」
(ジョジョの奇妙な冒険 59巻 115頁)

これはアバッキオのセリフですが、私も本当にそう思っていたことがありました。でも、「おれはそういうの向いてないから」とか何とかって、賢いふりをして、色々なことをあきらめてきました。なんだって途中で終わってたんです。くだらない男です(?)。

でも、今こうして警察学校の生徒として頑張っている皆さんは、強い『意志』を持ち、目標を実現させるために頑張っている。それも、今でも心のどこかで憧れ、尊敬している警察官という――自分が叶えられなかった夢を。

妙に、心が熱くなりました。ここ最近は今ひとつ仕事に対するモチベーションが上がらず、小説を読みまくることで何とかある程度の水準を保っていたところですが、一所懸命に頑張っている生徒さんたちを見て、

「お前も、しっかりしなきゃいけないぞ」

と活を入れられました。かぁーつっ!(アレは『喝』ですけど)


そういうわけで、私も同じコースを走りきれるようがんばります。でも本も読み続けます。そして仕事の方も、7月以降どんなところに飛ばされようと、一所懸命にがんばります。

だから、あの時に走っていたみなさんも、頑張ってください。あの時アシックスのウインドブレーカーを着ていた男は、いつもみなさんのことを応援しています!

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村山早紀先生の小説で『ルリユール』という言葉を知りました。本の修復職人とか、そういったことに携わる職人のことをいうようです。

それをテーマに扱った小説を読むことで、私の「本そのものが好き」という感情にターボがかかり、その勢いのまま本を粗末にする人間たちへの呪詛の言葉をブログに書こうと思いましたが、やめました(下書きはしましたけど)。その代わり、昨日まちなかで見かけて思ったことを書きます。


昨日、諸用を済ませて自宅に帰る途中、下校中の小学生を見かけました。・・・一年生ではないようです。また、体つきもそれほど大きくないので、中学年くらいでしょうか。まあ、それはどうでもいいのですが、とりあえず女の子二人、連れ立って歩いていました。

その時に「おや?」と思ったのは、背負っているランドセルの色。ひとりは赤いランドセルだったんですが、もうひとりは「黒い」ランドセルだったんです。

無論ここで男女同権論とかそれに対する反論とか、そういうことを試みるつもりはありません。ただ、1981年生まれの私は『黒いランドセルは男子が、赤いランドセルは女子が背負うもの」ということを誰も疑わない社会で生きてきたので、女の子が黒いランドセルを背負っているのを見て「おや?」と思った。そういうことなんです。

今日びは赤黒どころか、非常に多くのカラーバリエーションがありますからね。黄色だろうと水色だろうと宇治金時色だろうと、自分が好きなカラーを選べばいい。そういう時代だから、別に珍しいことではないんでしょうね。


・・・と、ここまで書いてきて、「そういえば、おれの周りにも赤黒じゃないランドセルを背負った女の子がいたな」ということを思い出しました。別に友達だったとか、友達より大切な人だったとか、そういうわけではないのですが、その子が背負っていた薄いピンク色のランドセルが珍しかったから、印象に残っていたのです。

参考:2014年のランドセル人気色について

・・・まあ、いいでしょう。何も言いませんよ、何も・・・。

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昨日に引き続き、もう少しPCの話をします。

このたび私が買い入れたのは、富士通のFMVです。サブタイトル(?)は「LIFEBOOK」。型番は718NU4というものです。

プロセッサはCeleronの1.8GHzでメモリは512メガに増設済み、ハードディスクは20ギガというところです。・・・ええ、決して現行バリバリのハードではありません。一昔前のスタンダードです。2003年型です。LIFEBOOKという名前が、まだ法人向けハードにつけられていた時代のものなんです(個人向けノートPCは「BIBLO」と言っていた時代)。


無線LANとか何とかといった、今風のものはついていませんが、LANポートはあるしUSB2.0ポートが4つも標準でついているし、使い道があるのかないのかわかりませんがFDDもついています。ついでにいえばPCの後ろにはアナログ的な端子がいくつもついております。レガシーインターフェースというそうです。

さすがの私もフロッピーディスクはここ数年利用していないのですが、大学生の頃までは自宅と学校の間のデータ持ち運びをフロッピーディスクで行なっていましたから、どこか懐かしい感じはします。今ではメディアもなかなか手に入りませんが、せっかくあるのだから、無理やりにでも利用したい感じがします。

そんなこんなで、10年選手ということを差っ引いてもアナログな装置満載のLIFEBOOKさん。それでもDebianなら利用にまったくストレスを感じません。もっと軽いOSやデスクトップ環境もあるようですが、私はこのGNOMEというやつが結構気に入っているので、まずはこれでよしとしましょう。


・・・ただ、ソフト的には軽いんですが、ハード的には結構分厚くて、重いです。公式ページのスペックを見るとわかりますが、3キロ以上あります。この重量感は私が初めて買ってもらったPC(Dynabook Satellite Pro 430)とほぼ同等のレベルです。

いやいや、そこは私ですから。PCを利用しての主たる作業はこういうブログ記事やホームページの記事を作成すること。別にど派手なグラフィック性能とかDVD作成能力があるとか、そういうのは必要ありません。その代わり100万文字打とうが200万文字打とうがビクともしないキーボードとか、そういうタフネスさを求めます。そんな私にとっては、この法人向け仕様はいかにもうってつけといった感じです。

ま、そんなこんなで、毎日アレコレといじっています。

Debian GNU/Linuxというソフトは、なかなか難しいものがあります。ただ、知れば知るほど色々なことができるみたいなので、じっくり時間をかけていじり倒していきたいと思います。

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OSがないPCを買ってきて、そこにDebian GNU/Linuxというのを放り込み、それでもってこの記事を書いています。

調べてみると一口にLinuxといっても色々なものがあるんですよね。GUIが充実しているものもあれば動作がとにかく軽いものもあるし。自分で「こんな感じにしたい」というのをOS選択の段階から自由に選べるというのは、本当に面白いなと思います。

私がインストールしたGNOMEデスクトップ環境なんかだと、標準でブラウザもメーラーもテキストエディタもついてくるし、日常的に使うには全く不自由しません。・・・と、ここまでは先日も書いた話。あれから一週間くらい経ちますが、動作も結構快適です。


さてDebianというOSは、とにかくフリーソフトが充実しているというのが特徴だそうです。データベースに登録されているソフトは2万以上というからたまりません。WordもExcelもろくすっぽ使いこなせない代わりに、あれやこれやとフリーソフトをかき集めて環境を整えてきた私にはうってつけのOSです。

それを入手するためにはちょっとしたコマンドを入力しなければいけないので、Windows方式のやり方しか知らない私は少々苦戦しましたが、逆に言うと、コマンドを一行カタカタと打ち込めばダウンロードからインストールまでやってくれるので、直感的であるともいえます。

いいですね、Debian。といっても本当はWindowsとの並立制で行こうと思っていたのでね。ネットにはつながなくても、Windowsマシンでしかできないこともあるし。いずれもともと利用していたPCの方も修復して、それぞれに使って行きたいと思います。

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このところは、とにかく本の感想ばかり書きまくっておりますが、今日はちょっと時事的なことを書きたいと思います。たまにはこういうのを書かないと、せっかく読んだ本の内容もちゃんと消化しきれませんからね。


関東の方には信じられないかもしれませんが、盛岡城址公園において桜が満開になった、と盛岡地方気象台が発表したそうです。ええ、今日、4月21日に満開になったんです。

この『満開宣言』というのは、盛岡城址公園の中にあるいくつかの観測用ソメイヨシノの『花が、だいたい8割方咲いた頃』にするのだそうです。まあそういう厳然とした基準があるので、満開になったと言えば満開になったのですが、我々一般人がイメージする『満開』とはすこ〜しズレがあります。

とはいえ、今週末くらいにはきっと見頃を迎えることでしょう。毎年恒例となっている職場での花見会も、おそらく今年がラストとなるでしょうから(理由:一身上の都合)、めいっぱい楽しみたいなと思っております。


それにしても我が町・盛岡は気候的な都合により、梅も桜も同時に咲いてしまいます。さらに牡丹も咲いてしまうし、派手と言えば派手なんですが、なんだかなぁ〜という気もします。そのくせ急に散っちゃって、仕方がないから「葉桜見物も粋なものだ」とかってワケのわからない空元気を装ったり。それが盛岡の春です。

ただ、それでも何でも、私は春が好きです。それまでギリギリと歯を噛み締めて震えながら寒さに耐えていた時期も終わり、ようやく活動的になってくる季節ですからね。

春の夜は値千金か‥

春は花が咲き
月もおぼろ

だが
雨も多く
霧も出る‥

春宵一刻値千金

それはあまりに少なく
千金にも値する日々‥

次はいつあるのかわからない

これが最後かもしれない‥


 この文章を探すために「春宵一刻値千金 湾岸ミッドナイト」で検索したらこのブログが出てきちゃいました。ギャフン。

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思いの外早く、戻ることができました。

 こうして記事を書いているという事は、もちろん、xpではありません。

 このたびDebianというOSを入れたんです。ついにLinuxを導入したんです。

 従来利用していた(12年もの)デスクトップPCに、小生意気にデュアルブート仕様で設定しようとしたらファイルシステムエラーか何かで動きがとれなくなり、結局、新しいPCを買ってきた私。新しいと言ってもDesigned for XPというシールがはられた中古の端末です。そしてOSなしモデルです。そういうこともあって、スペックの割に非常に安く手に入りました。


 WindowsでもMacでもない、LinuxというOSは、長らく「マニアの人が趣味的に使うもの」というイメージでした。私の用途(テキストを書く、音楽を聞く、動画を見る)であれば、Windowsがあるのに積極的にLinuxを選択する理由もないだろう、ってね。

 ところが今回のXPサポート終了の一報を聞いて、その考えを改めることにしました。新しいOSが出たら、どんどんそれに乗り換えるのが当然だと思うのですが、それがなんとなく悔しいんですよね。「ホラホラ、もうサポート終了しますよ。新しいOS買ってくださいよ。そうじゃないと大変なことになりますよ」と煽られるような感じがして。

 そこで、有志が集まってみんなで作り上げる無償のOSであるLinuxを入れることにしました。その中でDebianを選んだのは、各ディストリビューションの紹介記事を読む中で、「思想的にも技術的にも、これぞLinux」という言葉があったからです。その割に、とりあえずインストールしただけでも、ブラウザ・メーラー・テキストエディタにメディアプレーヤーが標準搭載されているという親切さ。とりあえず不自由はしません。

 その上で、なんだかんだと知らないことは調べて知識を深めていく。やはり、実際にやらないとわからないですからね。これから少しずつ、知識を深めていきたいと思います。

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多くの企業や何やでいまだに重用されているOS『WindowsXP』がサポートを終了することに伴い、個人情報流出やウイルス感染などへのリスクが増大するというニュースが巷間をにぎわせているところですが、そんな記事を書いている私のPCもXPなんです。

まあ「ウイルス対策ソフトは入れてるし、大丈夫でしょ」とどこ吹く風だったんですが、今朝めざましテレビでトレンドマイクロ社の人が、

「ウイルス対策ソフトは窓にかける鍵のようなもの。OSのサポート終了後は、その窓がぶち破られている状態だから、防ぎようがない」

ということを言っていたので、考えを改めることにしました。

新しいOSが入ったPCを買うか、XPでもセキュリティの安全性を確保できる何かを見つけるか、今のPCを丸ごとフォーマットして個人情報の一切を削除し「取るものは何もないから、どうぞお入りください」とオープン生活をするか。私なりにこの危機的状況を打破する妙案が浮かぶまで、ちょっとブログの更新を一時的に停止します。

こういうのはちょっとツライですね。本人のやる気は十分なのに、ハード面の理由から停止せざるを得ないというのは。

ま、でもね。ホームページを開設してから14年ほどが経ちましたが、こういう中断期間は何度かありました。それでも、何度も復活しました。なので今度も、ちょっと時期はわかりませんが、きっと戻ってきます。

どうかそれまで、皆様お元気で。

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考えてみると、地球の裏側で起こった地震の影響で日本まで津波が来るというのは、すごいことだなと思います。どのくらいの高さで来るのか? いつごろ来るのか? そういうのを予想するのはきわめて困難なことだろうとは思うのですが、予想時刻を越えた6時30分現在でもまだ来ないというのは不安です。


津波が怖いというのは、もちろん2011年の震災のこともありますが、その前にも何度か大きな被害を受けた歴史があるからです。『三陸海岸大津波』(吉村昭)という本が詳しいですが、明治29年と昭和8年にも壊滅的な被害を受けたことがありますし、1960年には今回と同じくチリで起きた地震の津波で多くの犠牲者が出ました。

と、ここまでは歴史上の出来事ですが、2010年に起こったチリ地震津波は今も記憶にあります。あの時には1960年の津波を教訓に作った山田町の防波堤が威力を発揮し、大きな被害はなかったと思います。


ともあれ、地震とか津波とか、本当に恐いです。私が直接的に被害を受けるわけではありませんが、同じ県の、大好きな「海のそばの街」にまた何かあるんじゃないかと思うと本当に心配です。これは地球レベルの話なので、もちろん私の意志でどうこうできるわけではありませんが、早いところ津波注意報が全面解除になることを祈っております。

今日は本当は『真剣師小池重明』の感想を書く予定でしたが、内容を一部変更してお送りいたしました。時刻はまもなく7時11分になります。エヌ・エイチ・ケイ。(?)

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今日から平成26年度の始まりです。増税だとかテレビ・ラジオの新番組だとかで色々と大きく変化があるかと思いますが、まあ、何とかやっていきましょう。

そういう意味では、3月いっぱいで『徳川家康』を読了できたのはいいタイミングだと思います。この大著からは私の考え方の根深いところから影響を受けていますからね。色々と困難なことはありますが、そこはどうにか乗り越えていくことにしましょう。今時、こんな考え方ははやらないでしょうけど。


一方で、なんだか難しいことばかり考えるようになったな、という気がします。別に一言居士を気取るつもりはないのですが、色々なものに対して、難しく考えるようになった感はあります。

もっと素直に、もっと柔軟に。重厚な考え方は心のコアな部分にしっかりとしまいこんで、一日一日をしっかりと生きていこうと思います。今の日常も、ずっと続くものではないでしょうから。

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『徳川家康』24巻読了しました(大坂冬の陣~夏の陣の直前くらいまで)。ですが、とてもここでまとめられるものではないので、一切書かないことにします。

その代わり昨日書いたClariSに関する話題をひとつ。

彼女らを非常に気に入っているのはすでに書いたとおりですが、そのことについて色々考えたところ、彼女らが『2人組』のユニットであることも、影響しているかもしれません。

正直なところヴォーカルがあまり多いと、ちょっと困惑してしまうんです。「おれは一体、誰の声が好きで、この楽曲を聴いているんだろう」と。3人でもちょっと多いかなという感じですから、5人とか10人とかウン十人とかでは、もう何がなんだかわかりません。合唱コンクールならいざ知らず、フツーにCDで聞くのにそんなに大勢いらないだろう、と思うんです。


そういった2人組女性ユニットとして思いつくのがRYTHEM(リズム)ですね。アニメ『NARUTO』のエンディングテーマとして歌われていた『ハルモニア』が好きになって、それが収録されている「ウタタネ」というアルバムも買って。2010年に解散してしまいましたが、それでも好きだったアーティストです。

さらに一世代さかのぼり、中高生の頃によく聞いていた……というほどではないにせよ、何かと耳にする機会が多かった人たちといえば、なんといってもパフィーですね。あの頃はHEY!HEY!HEY!を毎週見ていたので、そういうこともあって、何となく好きでした。

さらにさらにさかのぼると……まあWinkとかになるのでしょうが、これはどちらかというと兄者(昭和51年生まれ)の世代。これ以上さかのぼるともう「あみん」とかになるでしょうが、いくら私でもここまではカバーできません。いくら待ってもらってもそこまではいけませんよ。


こと音楽の世界で5年10年と活動を続け、CDも定期的に出すというのは非常に大変なことだと思いますが、基本的に私はCDを手にすることでしか、アーティストの音楽に触れることが出来ません。何も考えずに店頭に行けば当たり前のように新譜が発売されたことに気づける人であればいいんですが、そうでもないのなら、やはり自分でAmazonを検索するなり公式ホームページを見るなりしなきゃいけないな……と思った春の日のことでした。

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私が街中に借りている月極駐車場の近くには中学校があります。そのためチャイムで現在時刻を知り、放課後にランニングをする生徒諸君を眺めながら「まあ頑張りたまえ」と紫煙をくゆらせたり(2008年ごろまで)「おれもこうしちゃいられないぞ」と自分を見つめなおしたり(それ以降~現在に至る)することがあります。

昨日はまあ、11時くらいの時間帯だったんですが、ごくフツーのリュックサックを背負い、『スクールザック』はスーパーのレジ袋に入れて手に提げている子を見ました。

新中学生が真新しいザックを買ってきたのか、旧中学生が何かの記念に提げてきたのか。今ひとつ判然としませんでしたが、その背格好を見ると、後者のような気がします。


その夜はラジオで、「今日は離任式がありました」というリスナーのメールが読み上げられました。なるほど、そういうことなのかもしれません。

離任式というのはちょっと面白いイベントで、3月上旬~中旬に卒業式を終え、エンディングを迎えた卒業生たちもまた制服を着てその場にはせ参じるという……延長戦というか、スタッフロール後に流れるエピローグというか、なんだか奇妙な雰囲気を感じる日でした。

高校の離任式は正直なところ行ったかいかないかよく覚えていないのですが、中学の時はよく覚えています。その頃の学校の雰囲気を形作っていた教師がまとめて転任となったからです。

怒鳴りつける時の声がやたらデカくて、泣かされた生徒が後を絶たなかった国語の教師。普段は温厚ながらちょっとやんちゃな生徒がいると廊下に連れ出して「制裁」を食らわす理科の教師。アコースティックギターの名手で文化祭の時はオリジナルソングを引っさげ全校生徒を熱狂させた美術の教師。そして竹刀を片手に昇降口に立ち、元気のない生徒には「挨拶しないとダメだよ~」と鋭い眼光でにらみながら指導する体育教師。

最近の学校はどうかわかりませんが、私の時代にはまだこういった古風な先生がゴロゴロいました。そして生徒の側も、恐れながらもどこかで信頼していました。そういうわけでワル気取りの連中も少なくありませんでしたが、不思議と秩序は保たれていました。ちなみに、生徒たちはこれらの先生たちを総称して「四天王」と呼んでいました。

あれから15年以上が経過して、ようやくわかる先生のありがたみ。これらの先生たちも、当時の私のクラス担任だった新任の女先生も、今はどこでどうしているのやら。……ああ、ちなみにこちらの女先生は、逆にクラスの野郎どもに泣かされることが数度ありました。ゴメンねK野先生。


そんな春の日でした。ようやく雪も溶け、春の雰囲気が出てきた盛岡。自分が10代のジャリボーイだった頃を思い出しつつ、今日も30代を生きていこうと思います。

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テレビで録画予約をしてこなかったのはファン失格のそしりを受けるかもしれませんが、とりあえずリアルタイムでちゃんと見ることが出来たので、ひとつ大目に見てもらいたいものです。

何の話かというと、今日の夕方4時からIBCテレビで放映した『復興の歌姫 臼澤みさき~カナダへのありがとう!』という番組の話です。これはうすみさこと臼澤みさきちゃんが岩手県盛岡市の友好姉妹都市であるカナダはヴィクトリア市に行き、復興支援をしてくれたことに対する感謝を伝えるためにトーク(震災体験を自ら語り伝える『語り部活動』のこと)をしたり歌ったりした模様を30分にまとめたものです。

盛岡市とヴィクトリア市が姉妹都市提携をしたのは1985年。きっかけとなったのは盛岡市ゆかりの新渡戸稲造博士がヴィクトリア市で客死した縁だそうです。そういった交流があったので震災の時も随分と支援していただいたわけで、この感謝を込めて被災地・大槌町出身の歌手である臼澤みさきちゃんが選ばれて……ということみたいですね。

いまさら私が言うまでもありませんが、やはり臼澤みさきちゃんの歌声は、心に響くんですよね。心に響くから真剣に聞き入るし感極まって涙ぐんだりする人も出ます。これは同郷の子というホームタウンディシジョン要素を差っぴいても、民謡がベースにある歌手は声量があるから響くんです(去年いきなり紅白に出場した演歌歌手の福田こうへいさんなんかも民謡がベースにあるし)。

2ndシングル以降のCDは発売日に即購入しているし、ライブは行けなかったものの、その様子を収録したDVDはやはり発売日に購入している私。今月で大槌中学校を卒業し、来月からは『中学生歌手』という肩書きが外れることになるわけですが、いぬがみはこれからも臼澤みさきちゃんを応援します。なお念のために書いておきますが、「うすみさ」というのはいつものような独自の愛称ではありません。地元のクラスメートからそう呼ばれているというのを以前ラジオ番組で聞いたので、なぜか縁もゆかりもない私がそう呼んでいる・・・そういうことです。

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先日、会えなくなってしまった人と話すための『風の電話』の話をしましたが、あのブログを書いた後、私も墓参りに行ってきました。

『私も』と言いましたが、まあ、『風の電話』と直接的な関係はありません。お彼岸だからとか、天気が悪くてランニングが出来ないからとか、そういった複数理由があったからです。

でも、何となく気持ちを後押しされた……というのは、あるかもしれません。今から16年前に父親側の祖母が、そして5年前に母親側の祖父が歿くなりました。どちらも随分とよくしてもらいました。


一時期は「人間なんて、死んでしまったらそれまでだ」とかって言って、彼岸や盆参りを随分おざなりに済ませていたこともありましたが、祖父が歿くなった頃にはすごく真剣に供養の意義とかを考えるようになりました。

加えて3年前の震災で家族・友人を歿くした人の気持ちを(新聞などを通じて)知ったり、『徳川家康』など仏教的な考え方が底流にある小説をたくさん読んだりして、今では結構な信仰者になっています。といってもお正月は神社に行くしクリスマスはケーキを食べるし、そもそも一番身近な神様はアラハバキだし……と言ってのけるような人間ですが。家康公や本阿弥光悦のような篤信家ではないのですが。

要するに、歿くなった人のその後のこともちゃんと考えていこうと思ったのです。その人のことを思い、ずっと忘れないようにするために。そして、その上で自分もちゃんと生きていけるように。

過去があるから現在がある。特に祖父は戦争経験者で、直接聞いたわけではありませんが、戦争でケガをしてずっと障害を背負っていたそうです。そういった人たちの壮絶な苦労があったから、今の平和がある。そのことに感謝するためにも、皆様お墓参りはぜひ行きましょう。

以上、『テレビ寺子屋』でした。

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今井美樹さんがカヴァーした方の『卒業写真』のPVに、昨年プロレスを引退した小橋健太さんが出ていると知って衝撃を受けたことにちなみ、今日はそんな話をします。

街中で袴をはいた若い女性を見た日、すなわち3月20日は、どうやら岩手大学の卒業式であったようです。もしも普段着にあんな格好をしている方がいたら生涯最大のサプライズですが、まあ卒業式帰りの大学生と考えるのが順当でしょうね。

どうして女性は、卒業式のときにああいう格好をするのか。まあちょっと検索すれば出てくるのでしょうが、それでは味も素っ気もないので、ここではあえて「わからない」ということにしておきます。袴姿の女性は嫌いではありませんからね。『めちゃモテ委員長』のカードゲームでも、ああいう格好をしていたカードがありましたし(最盛期は1枚4000円ほどの値がついていたが、今では十把一絡げ状態に)。

一応、私も10年ほど前に大学の卒業式というやつは体験していますが、正直なところ、あまりいい思い出ではありません。今だから言えるものの、その頃は就職先も決まらず、精神的にも少々不安定になり始めていた頃で、誰にも見送られることなく会場を後にし喫煙ルームでひとりタバコを吸っていた……とか、そんな記憶しかないのです。

まあ、もちろん、誰を責められるものではありません。学生時代にただの1秒ほどもアルバイトをせず、本ばっかり読んで社会人になるための準備など一切していませんでしたからね。あまりゲームにたとえるのは好きではありませんが、言ってみれば初期装備も何もなしでフィールドに飛び出したようなもんですから。ええ、仕方がなかったと思います。


その1ヵ月後に何とか今の会社にもぐりこみ、何とか一人前になったかな? という今日この頃。今は就職活動の形も色々と変わってきているみたいですが、次代を担う若者として、頑張ってもらいたいと思います。私はテキトーにするするとすり抜けていきますから。

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このところ重たい話題ばかりだったので、今日は軽い話題でいこうと思います。

・・・と思って想像をめぐらせてみたのですが、なんだか、何もないんですよね。最近は『サザエさん』くらいしかアニメは見ないし。モエモエしたアニメや漫画やゲームなんかもトンとご無沙汰で、そういう浮ついたイメージも浮かびません。

昔のように「モエモエしていればなんでもOK!」というわけにはいかないんです。

こんな時代ですから、アニメちっくな美少女は三歩進めば5度ぶつかるといわれるくらい氾濫していますが、

「じゃあ、自分はどうしてこの女の子が好きなんだ?」

ということをそのイラストなどを凝視しじっくりと考えていると、納得してしまうんですよね。「ああ、この眼がとても大きなところが気に入っているんだな」とかって。それで終了です。

イラストじゃなくアニメの場合もそんな感じです。「このアニメは、どういうことをウリにしているんだ?」ということに頭が働いてしまう。「ああ、つまりコレとコレとコレが、人々に受け入れられる要素なんだな」と、実際にその通りかどうかはともかく分析し、整理してしまうんです。


私は批評家ではありませんから、それがいいとか悪いとかいうつもりはありません。ただ、色々な物語を読んできたから、『感動のハードル』は思い切り上がっているような気がします。自分が持ち合わせているものを総動員して、それで見え透いてしまうようなものであれば即終了です。

そういう意味では、ヘンに狙った作品よりも、直球勝負の作品の方が、心に響くのかもしれません。あるいは王道というか。


というわけで、今日も私は『徳川家康』を読んでいます。

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基本的に『朝ドラ女優』というか、まあそういう言葉があるのかどうかわかりませんが、朝ドラのヒロインとしてテレビに出てきた時に初めてその女優の名前を知った‥‥という時に、私はそういう言い方をします。

ちょっと前なら瀧本美織(『てっぱん』)だし、最近だったらやはり能年玲奈(『あまちゃん』)あたりでしょうか。あらゆる一般常識や暗黙の了解などで重苦しい世の中に強烈なパンチを食らわし、すべてを前向きに変えてしまうエナジーは、それを見ている私をも元気にしてくれます。たぶん朝ドラが好きな人って、みんなそう思ってるでしょうけど。

特に能年玲奈はいいですね。私はそれまでこの名前を知らなかったし、岩手日報で『あまちゃん』関連の第一報が流れた時も特に何も感じませんでした。「どうせたいした話題にならずに終わるでしょ」と、どこかいじけた気持ちがあったから、というのもありますが(まさか、あそこまで大きな現象となるとは)。

そんな私が興味を持ち出したのは『あまちゃん』放送直前に毎日jp(毎日新聞のウェブサイト)に掲載されたインタビュー記事を読んだ時でした。「養成所にいた頃は生ゴミといわれていました」「ライオンのようにガオーッて感じで頑張ります」などと、少々エキセントリックな雰囲気が早くもにじみ出ていたのですね。

そんな能年(親しみを込めて、あえてこう呼ばせていただきます)が出ている『かんぽ生命』のCM。なんか、何度か見ているうちに、だいぶ好きになってしまいました。

やっぱり、有無を言わせないまっすぐさと力強さがあると思うんですよね。そんじょそこらのアイドル気取りの子が同じことを言えば「ハイハイわかりました」つってすぐにチャンネルを変えてしまうんですが、能年に言われると「そんなもんかね」とうなずいてしまう。「まあ能年がそこまで言うんなら、しょうがねえな」って気持ちになってしまう。

そんなわけで、能年を見ると元気になります。元気があればブログも書けます。元気ですかー!!!(それは違う人だ)

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最近、昔に使っていたPCをまた使っています。2013年2月まで使っていたものです。

当時『ついに壊れたか』と思い、いずれ修理に出す予定でしまっていたのですが、こっちのPCの内蔵ハードディスクにしかないデータを取り出したくて、1年ぶりに引っ張り出してきたのです。

修理に出すにしても、具体的にどういう症状が出るのかを説明しなくちゃいけないし。と思って久々に立ち上げてみると・・・あれ? なんか、1年前に出た症状がなかなか出ません。

そういうわけで、様子を見るという名目で再び旧PCを利用しています。


こうして使っている中で、何度か、症状は出ました。カーソルなどが、まるでノイズが入ったみたいにチラチラとなり、そのうち画面全体がグチャグチャになったり、モニタの電源が勝手に落ちたりして、PC自体はちゃんと動いているみたいだけれど画面が表示されない。そんな状況です。

でも、前兆が出たらすぐに再起動すれば、またしばらくは何とかなるし。根本的な解決にはなっていませんが、とりあえず利用するには不便がないし。まあ、これでいいでしょう。

12年前のハイエンド機。一応セキュリティソフトくらいは最新のものを利用していますが、それ以外は結構、古いものです。

でも、これでしかできないこともあるし。やはり、私はよくなじんだこのPCがいいなと思うのです。

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すでに何度か書いていることですが、私という人間はつくづく自分のためにしか生きられない人間だな、と思いました。

少なくとも、誰かのメンタルに直接タッチすることが出来ない人間であることは、間違いないと思います。悲しみに沈む人のことを励ましたり、寄り添ったり、そういうのは出来ない気がするのです。

震災から3年。そろそろ、はっきりとそのことを認めなければならないと思ったのです。

誰かを元気付けたりするのは、作家の人とか歌手の人とか、そういう人に任せたいと思います。私もそういう、読む側で聴く側に回りますから。


どうして、こうなったのかというと、きっと「考える」ことよりも「感じる」人間になったからだと思います。去年はとにかくたくさん本を読んだのですが、その中で自分が『こう思う』『こうすればいい』という考えが必ずしも正しくないというか、もっといい考え方がその小説の中で出てきて。「ああ、そういう考え方もあるんだ」と。

そういうのを繰り返しているうちに、下手な自分の理屈を振りかざすことをやめました。その代わり登場人物の気持ちを出来るだけ受け入れて、感情を共有できるようにしたのです。その方が物語により深く入り込めますからね。

そんなこんなで、最近の私はとても内省的になっています。誰かの気持ちに働きかけてアアだコウだと引っ張ることは出来ません。

そういうことをするのって、多分、技術がいるんだと思います。傾聴ボランティアというのがありますが、あれも希望者は事前に講習を受けて、それなりの準備をしてからやらなければいけないそうです。物を書く仕事とか音楽を作る仕事とかは、なおさらでしょう。

だから私はそういうのは、ほかの誰かに任せます。その代わり、いい物語があればたくさん触れたいし、その感動を共有したいと思います。

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最近、ちょっと体が衰えてきたのかな‥‥と思っています。

 いや、ちょっと風邪を引いただけなんですけどね。以前であれば、多少の具合の悪さは気合一閃で吹き飛ばすことができたような気がするのです。

 ところが今回は、そうもいきませんでした。身体は寒気で震えるし、頭は熱が出てポーッとするし。完全に風邪にやられてしまったのです。

 そのためさすがの犬神もパブロンを服用。いつもより1時間早く床に入り、1時間遅く出ました。それで少しは回復したのですが‥‥やはり気合で何とかできなかったのは、ちょっとショックでした。

 まあ、20代の頃と同じようには、どうしてもいかないのかもしれませんけどね。そういうことを認めて、その上で身体を鍛え、風邪を引かないようにしなければいけないんでしょうけど。

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車の世界では『バッジエンジニアリング』という言葉があります。コレは要するに他社の車に自社のエンブレムをつけて、自社の車として販売することです。OEM車ってやつです。

 何でこんな話題を出すのか? といえば、たまたま今朝、マツダの『フレア・クロスオーバー』という車を見たからです。「あれ、これって(スズキの)ハスラーじゃないの」って。

 商売としては正しいことだと思うんですよね。あまり、あの手の車に乗る人で「OEM車だからヤダ」って言う人はいなさそうな感じがするし。ああいうのでも、とにかく自社ブランドのラインナップとして並べれば、なんかにぎやかに見えますしね。

 あくまでこれは、「そう思った」それだけです。そして、軽自動車に関してはまず「どこのOEM車よソレ?」ということを第一に考えるようになった、ということです。‥‥こないだ代車で乗ったeKワゴンも、てっきりどこかのOEMだろうと思っていたら、あれは三菱オリジナルの車でしたね。大変失礼しました。

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今日とある契約をしたのですが‥‥というとなんか魔法少女みたいで嫌だな‥‥言い換えます。とある金融商品に関する契約書を交わしたのです。

 その中で、端的に言うと「私は反社会的勢力の構成員ではないし、そういった人間との付き合いもありませんよ」ということを証明するための書類があり、それに署名をしたのですが、文章を読むと聞いたことのない用語がポンポン飛び出してきました。

 その中のひとつが、この『特殊知能暴力集団』という言葉なんですが、なんかすごい響きですね。Intelligence For Violenceってことですか。東城会直系錦山組って感じですか(初代組長時代限定)。

 

 一応wikipediaによれば「暴力団などの反社会的勢力と連携して、法律などの専門知識を悪用して、証券市場や企業から金品の要求を繰り返す者」だそうなので、悪徳弁護士とか、そういう人のことでしょうかね。まあ頭も力もあるわけですから、かなりタチが悪そうです。私は頭も悪いし力もないので、そういう関係の人間になることはできないし、関わることもしたくありませんが。

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流れの中に身をおくのが一番だなと思いました。

 制限速度50キロの道路を、50キロかそれより少し速いくらいのペースで走る。そんな当たり前のことが、すごく気持ちよく感じたのです。

 同時に、その流れをコワすように車線変更と追い越しを繰り返す車が「嫌だなあ」と思いました。

 まあ結局、少し先の信号で並んで、そのあと追い越すことができたんですけどね(その車の前にいる車が、こちらよりも少し遅かった)。結局こういうことなんですよ。

 まあ、そういう、無理が効かない車だからというのもあるんですけどね。グーッと踏み込んだとしても、すぐについてこない車だから。パワーもトルクも特筆するべきところのない、ごくフツーの車だから。


 ま、そういったことを感じました。いつだって自分のペースでしか、やっていくしかないんですよ、きっと。

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『向かい風で飛べ!』を読んでおります。やはり若い子がスポーツにひたむきに打ち込む姿は気持ちがいいものです。

 さて、そんな今日この頃、地元紙『岩手日報』では喜ばしいニュースが報じられました。わが八幡平市で催されたインカレのスキージャンプ競技で、岩手出身の小林兄妹(潤志郎、諭果)がそれぞれ優秀な成績を収めたというのです(各2位)。このブログでは小林諭果選手のことを何度も取り上げてきたので、今回も取り上げます。

 向かい風と追い風では、追い風のほうが不利だといいますが、小林諭果選手が飛んだのもそういう状況でした。それでも「そういう状況でもちゃんと気持ちを作っていかなければいけない」と前向きなコメント。さすがです。

 先日も書きましたが、現在の早稲田大学スキー部では、女子のジャンプ選手はひとりだけ。用具運搬や何やといった競技準備の部分でもいろいろと苦労しているみたいですが、いろいろな人に助けられて、着実に手応えを感じているそうです。シーズン最終戦は3月の宮様大会らしいので、それまで犬神もできる限り追いかけ続けます。そして、いずれ兄妹で大きなジャンプを見せてもらいたいものです。

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