これはすごい物語だぜ。――と、夢枕獏先生の文体で思わず言いたくなってしまいます。本当にすごい物語だと思いました。
いったんI・IIで物語が終わったみたいなんですよね。『闘蛇編』と『王獣編』で。
ただ、そのあと続編を望む声を受けて、『探求編』と『完結編』が書かれた、と。
物語の中でも『王獣編』と『探求編』のあいだには10年以上の隔たりがあります(その間を埋めるのが外伝『刹那』なわけですが)。
そのせいなのか何なのかわかりませんが、後2編は結構、難しい感じがしました。まあエリンも大人の女性となり、明らかになる歴史も多いし、政治的な状況はさらに複雑だし。それもやむを得ないのかもしれません。
そんな大きなうねりの中に巻き込まれながらも、物語の終わりまで自分の意志で決断し、生き続けたエリン「さん」……。
物語を読んでいるうちに、「自分だったらこうする」とか、そういう風に考えることをやめました。私もまた上橋先生の圧倒的な筆力に飲み込まれ、ひたすらに夢中でページを繰るばかりでした。
そして最後の最後まで読み切った時、なんともいえない感動で胸がいっぱいになってしまいました。
正直なところ、私がどうだこうだと語るには、この物語はあまりにも大きすぎる気がします。
とにかく面白い。ひたすら面白い。
それしか言えないのです。
いずれ何度か読んで、自分なりに咀嚼できたら、また改めて文章を書きたいと思いますが、今はとにかく、読みきったということ、面白かったということ――それだけを書きたいと思います。たぶん、自分が知る限り、日本最強のファンタジー物語であると思います。
PR
闘蛇編 感想
王獣編 感想
気持ちはあっても、周りがそれを認めず、大きなうねりの中に巻き込まれていく。
そんな中で、どうするのか。運命を受け入れるのか、新たな道を切り開くのか。
大人となり、母となったエリンの、そんな葛藤そして決断がこの『探求編』の大まかな流れです。
『探求編』の名にふさわしく、本作ではそれまで知られていなかった過去の出来事がひとつひとつ紐解かれます。ソヨン(エリンの母)が処刑されるきっかけとなった闘蛇の大量死事件の真相、さらにエリン自身のルーツにつながる古い伝説……。
それは真相に迫る着実なステップでしたが、同時にエリンが望まないもの――王獣や闘蛇たちをより効率的に軍事利用する流れも加速させてしまいます。
折りしも辺境の商業地帯を巡って隣国との緊張が高まり、そういったミリタリーバランスの観点からも、必要を迫られるエリン。果たしてどういった決断を下すのか……。
これに限らず物語というのは、主人公の特殊能力や機転で、主人公が思うような理想へどんどんばく進していくものだと思っていたのですが、これはそうではないのですね。様々な理由で、エリンはそうせざるを得ないからそうしているのですが、それがより大きなうねりを引き起こし、望まない方向へと趨勢が傾いていく。
でも、エリンは生きることをあきらめないのですね。状況はどんどん悪くなっていくものの、その中で最善の策を探し、選んでいく。
あまりにも強烈に気持ちを揺さぶられてしまうので、とても上手に感想を書くことなど出来ないのですが、それでも何かしら言葉にしておきたい。きちんと感情を、定着させたい。そう思って記事を残しておくことにします。さて、これを読み終わったら、いよいよ『完結編』だ。
王獣編 感想
気持ちはあっても、周りがそれを認めず、大きなうねりの中に巻き込まれていく。
そんな中で、どうするのか。運命を受け入れるのか、新たな道を切り開くのか。
大人となり、母となったエリンの、そんな葛藤そして決断がこの『探求編』の大まかな流れです。
『探求編』の名にふさわしく、本作ではそれまで知られていなかった過去の出来事がひとつひとつ紐解かれます。ソヨン(エリンの母)が処刑されるきっかけとなった闘蛇の大量死事件の真相、さらにエリン自身のルーツにつながる古い伝説……。
それは真相に迫る着実なステップでしたが、同時にエリンが望まないもの――王獣や闘蛇たちをより効率的に軍事利用する流れも加速させてしまいます。
折りしも辺境の商業地帯を巡って隣国との緊張が高まり、そういったミリタリーバランスの観点からも、必要を迫られるエリン。果たしてどういった決断を下すのか……。
これに限らず物語というのは、主人公の特殊能力や機転で、主人公が思うような理想へどんどんばく進していくものだと思っていたのですが、これはそうではないのですね。様々な理由で、エリンはそうせざるを得ないからそうしているのですが、それがより大きなうねりを引き起こし、望まない方向へと趨勢が傾いていく。
でも、エリンは生きることをあきらめないのですね。状況はどんどん悪くなっていくものの、その中で最善の策を探し、選んでいく。
あまりにも強烈に気持ちを揺さぶられてしまうので、とても上手に感想を書くことなど出来ないのですが、それでも何かしら言葉にしておきたい。きちんと感情を、定着させたい。そう思って記事を残しておくことにします。さて、これを読み終わったら、いよいよ『完結編』だ。
これは新潮文庫版ですが、私が読んだのはたぶんもっとも初期のものだと思います(95年4月初版、私が持っているのは同年7月に出た7版)。数年前に弟者が買って来て、途中まで読んでいたが「それどころではなくなった(弟者談)」ので私の部屋の本棚にず~っとしまっていたものです。
漫画化、映画化、ゲーム化と、いかにも角川作品らしく色々なメディアミックス戦略を打たれた本作でありますが、そのいずれもが少しずつ(ゲーム版は「全然」かな)違っていて、やはり本作についてちゃんとした感想を書くためには原作を読むしかあるまい! と思い、今回手に取った次第です。なおマンガ版については、それだけで色々と書きたいことがあるので、稿を改めることとしましょう。
……いやはや、これはスゴイ作品です。原稿用紙700枚以上の長編でありますが、中盤からもう手が止まらない。とにかく一気に読みきってしまいました。
そして、これまで悶々としていた感情に一本の理論的裏付け(または私の言い訳)が敷き詰められた、特別な一冊となったのでした。
『生化学者の妻が、不可解な交通事故死を遂げた。夫は妻の死を受けいれられず、肝細胞を“Eve1”と名づけ培養する。徐々に恐るべき性質をあらわす…。人間という種の根幹を揺るがす物語。』とは、Amazonの内容紹介文ですが、こういう話です。
中盤くらいまで読んで思ったのは、この本が刊行されたころ1995年(または94年ごろ)は、今ほど臓器移植というのが認知されていなかったのかな、ということ。確かにいわゆる『臓器移植法』が制定されたのは1997年ですからね。それ以前は心臓停止をもって「人の死」と認め、大急ぎで臓器を取り出して移植していたようなのです。
そんな時代だから、他人の身体を切り開いて臓器を取り出し、それを別な人に移植する……ということ自体に対するイメージは、あまりよくなかったのかもしれません。作中でもそういった趨勢をうかがわせるような記述があります。当時中学生だった犬神君はマンガ版(立ち読み)でこのあたりに起因する小事件を読み、ショックで慌てて本棚に戻し、以来ず~っと記憶の彼方に封じ込めていたのです。
移植ものといえば齋藤智裕の『KAGEROU』なんかも、そんな感じですが、中盤くらいから「ああ、これはSFホラーだったんだ」と思い出させるような急展開が来ます。もはや絶叫マシーン並に急加速します。
物語の鍵となるのは、私たち人間が誰でも持っている「ミトコンドリア」。理科の時間があまり好きでなかった私には頭が痛くなってくるような単語ですが(笑)、私たちが生きるエネルギーを得るためには必要不可欠な「共生者」ですからね。このミトコンドリアがあったからこそ、私たちはかくも進化したのでしょう。
ところが、実はこのミトコンドリアは独自にDNAを持っており、「共生」ではなく「寄生(パラサイト)」して、私たちとともに進化を続けてきて……そして、それがついに反乱を起こし始め……。
……そもそも著者がその方面の専門家なので、科学的な描写についてはとても専門的です。専門的過ぎて私には理解できない部分も少なくありませんが、まあ専門用語の部分は完璧に理解できなくても大丈夫です。
亡くなった妻の代わりに肝細胞を愛してしまった夫に「オイオイ」と薄ら寒いものを覚え、そういう病気になってしまったために偏見と療養生活に苦しむ少女に胸を痛め、そしてそれらをすべて飲み込もうとする寄生者に、恐怖を感じる……。一通り読み終えた時、そういった異なる感想を持ちました。なんか、お得感です(笑)。
*
そして、これを読んだ時、ふとつながったものがありました。それは藤子・F・不二雄先生のSF短編を読んだ時のことでした。
アレと同じ感覚。……筋道のある、理論的なプロセスに乗っ取って事象がどんどん進み、確実に破滅へと近づいていく。そして、それに対して有効な作戦を何も思いつかないものだから、やがて訪れる結末を受け入れるしかない……という、あの感覚を思い出したのです。
おばけとか、幽霊とか、そういうオカルトな恐怖もあると思うのですが、これなら逆に精神力如何でどうにかなる気がするのですね。いざとなったら神頼みでどうにかなりそうだし。
でも、SF的な恐怖というのは、そうはいかない。原因がハッキリしているから、その原因を取り除かないと、祈ろうが何をしようが、結果を変えることが出来ないわけですからね。そういう、恐怖の質の違いなのかな、と思ったのでした。
*
ミトコンドリアの反乱によって脅かされる、私たち人類は、果たしてどんな結末を迎えるのか。それに関しては、ここでは触れません。かなりの長編作品ですが、ぜひ原作をご覧ください。
中盤くらいまで読んで思ったのは、この本が刊行されたころ1995年(または94年ごろ)は、今ほど臓器移植というのが認知されていなかったのかな、ということ。確かにいわゆる『臓器移植法』が制定されたのは1997年ですからね。それ以前は心臓停止をもって「人の死」と認め、大急ぎで臓器を取り出して移植していたようなのです。
そんな時代だから、他人の身体を切り開いて臓器を取り出し、それを別な人に移植する……ということ自体に対するイメージは、あまりよくなかったのかもしれません。作中でもそういった趨勢をうかがわせるような記述があります。当時中学生だった犬神君はマンガ版(立ち読み)でこのあたりに起因する小事件を読み、ショックで慌てて本棚に戻し、以来ず~っと記憶の彼方に封じ込めていたのです。
移植ものといえば齋藤智裕の『KAGEROU』なんかも、そんな感じですが、中盤くらいから「ああ、これはSFホラーだったんだ」と思い出させるような急展開が来ます。もはや絶叫マシーン並に急加速します。
物語の鍵となるのは、私たち人間が誰でも持っている「ミトコンドリア」。理科の時間があまり好きでなかった私には頭が痛くなってくるような単語ですが(笑)、私たちが生きるエネルギーを得るためには必要不可欠な「共生者」ですからね。このミトコンドリアがあったからこそ、私たちはかくも進化したのでしょう。
ところが、実はこのミトコンドリアは独自にDNAを持っており、「共生」ではなく「寄生(パラサイト)」して、私たちとともに進化を続けてきて……そして、それがついに反乱を起こし始め……。
……そもそも著者がその方面の専門家なので、科学的な描写についてはとても専門的です。専門的過ぎて私には理解できない部分も少なくありませんが、まあ専門用語の部分は完璧に理解できなくても大丈夫です。
亡くなった妻の代わりに肝細胞を愛してしまった夫に「オイオイ」と薄ら寒いものを覚え、そういう病気になってしまったために偏見と療養生活に苦しむ少女に胸を痛め、そしてそれらをすべて飲み込もうとする寄生者に、恐怖を感じる……。一通り読み終えた時、そういった異なる感想を持ちました。なんか、お得感です(笑)。
*
そして、これを読んだ時、ふとつながったものがありました。それは藤子・F・不二雄先生のSF短編を読んだ時のことでした。
アレと同じ感覚。……筋道のある、理論的なプロセスに乗っ取って事象がどんどん進み、確実に破滅へと近づいていく。そして、それに対して有効な作戦を何も思いつかないものだから、やがて訪れる結末を受け入れるしかない……という、あの感覚を思い出したのです。
おばけとか、幽霊とか、そういうオカルトな恐怖もあると思うのですが、これなら逆に精神力如何でどうにかなる気がするのですね。いざとなったら神頼みでどうにかなりそうだし。
でも、SF的な恐怖というのは、そうはいかない。原因がハッキリしているから、その原因を取り除かないと、祈ろうが何をしようが、結果を変えることが出来ないわけですからね。そういう、恐怖の質の違いなのかな、と思ったのでした。
*
ミトコンドリアの反乱によって脅かされる、私たち人類は、果たしてどんな結末を迎えるのか。それに関しては、ここでは触れません。かなりの長編作品ですが、ぜひ原作をご覧ください。
追記を閉じる▲
流行に乗っかって、買ってみた本です。
お気に入りの書店で、以前平積みでプッシュされていた『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』が面白かったので、これも「どんなもんかね」と思って買ってみました(実際に買ったのは昨年末ですが)。
日本人の少年。聡明で不思議な美少女。
もしもこれが角川文庫でなければ、「ラノベのにおいがプンプンするぜェーッ」と言って取り合わなかったでしょうが、とりあえずスニーカー文庫ではなく一般の角川文庫でしたからね。「どんなもんかね」半分、「まあ大丈夫だろう」半分の気持ちで買い読んでみました。
……しまった、と思いました。
主人公の年齢相応の話し方といえば、そうなのかもしれません。ただ、それを活字で表現する時に、2文字以上の長音符や波ダッシュ、はたまた感嘆符を2列並べるなどの表現をするのは、何となく嫌な感じがしました。それこそラノベのにおいがプンプンしてくる感じです。
途中で放り出すという選択肢に手をかけたことも、何度もありました。でも既に事件が動き出してしまったのだから、せめて最後まで読もう。そう思ってグイグイと読み進め、2時間弱でいっぺんに終えてしまいました。
「やっと終わったか」
少々、荒い読み方であったかもしれません。元々富士見ミステリー文庫で刊行された本だと気づいたのは、一通り読み終えたあとでした。なるほどね、という気がしないでもありませんでした。
物語としては、巻き込まれ型のミステリーです。これは私が作った言葉ですが、要するに主人公たちが現在進行形の殺人事件に巻き込まれ、これを知恵と勇気で切り抜けるという、『名探偵コナン』みたいな話です。なのでその手の物語が好きな方、あるいは単純にこの手の少年少女が好きな方なら、大いに楽しめると思います(実際、アニメなども放送されたみたいですしね)。
私はどうだったかというと……うーむ。続編がいくつも出ていますが、またあの小難しい美少女ヴィクトリカに出会いたいとは、ちょっと思いません。何とか最後まで読みきった、ホッとした。今はそんな感じです。
……でも、主人公の少年は、そんなに嫌いではないのです。確かにこっちはこっちで理屈っぽいし、帝国軍人の子息とは思えないほど現代っ子な雰囲気だし、中盤くらいまでは嫌いでしたが……でも、ね。
まあ、もう少し時間が経ったら、読むこともありえるのかな。今日時点では、そういった言葉で締めくくるとしましょう。こんなこと言いながら、結構ドキドキしながら読んだしね。
皆様、『岩波新書』の本を、一冊でも読んだことありますか?……私は、つい2日前まで、まったくありませんでした。
そして、弟者が読書感想文用の課題図書として学校から指導されることがなければ、恐らくこれからも決して手にとることはおろか、書店のコーナーの前に立ち止まることさえなく、生涯を終えていたかもしれません。
とにかく(推理小説以外は)本を読むことが大嫌いな弟者であることと、40冊ある課題図書リストの中で、実際に書店に並んでいるのがほんの2~3冊であったこと、何よりも『弟者がテキトーな読み方をした後、私も読めそうなの』をと思い、選択したのは下記の一冊でした。
とりあえず4分の3ほど読みましたが、なるほど、これは面白い本です。
たとえば、色について説明する時、私たちは「青紫」とか「黄緑」とかではなく「赤」「青」「黄」などの『基礎色』を11個も持っているのですが、世界レベルで考えると、私たちが青とか緑とかっていう色をひとつの言葉で表してしまう……どころか、極端な話「明るい色」と「暗い色」くらいの区別しか持っていない言葉もあるそうなのです。
じゃあ、そういった人たちは色の区別がつかないのかというと……決してそういうわけではないのですね。
と、まあそういった内容なのですが、2時間も読んでいると15分ほど休憩を取らなければなりません。要するに眠ってしまうのです(笑)。
元プロレスラーで現在は国会議員をされている馳浩さんが現役時代に書いた『君はまだプロレスを知らない』で、バスの移動時などは30分くらいかけて新聞を読むと気持ちよく眠れる、と書いていましたが、それに近いのかもしれません。まあ、そうなったら素直に休憩して、少しでも理解を深められるよう読みすすめています。
*
と、こんな感じで超硬派教養図書といった位置付けの『岩波新書』ですが、昨日久々に渋民イオンモールの中にある宮脇書店に行ったところ、そのコーナーがどこにもないのですね。
今まで見向きもしなかったくせに、こんなことを言うのも何なんですが、「岩波を置いていない書店もあるのか!」と驚いてしまいました。
まあ、私のようにほとんどの人に見向きもされない(ような気がする)本を置くくらいなら、よく売れるであろうビジネス書やライトノベルを一冊でも多く並べた方がマーケティングの観点から見ると正しい気はします。書店だって商売ですからね。
でも、そうだとしても、やっぱり岩波コーナーがある本屋とない本屋では「風格」が変わって来ます。あるいはバランスというか……。
天秤で言えば、支柱みたいなもんだと思うんですよね。片手にコミックやライトノベル、片手に文学書。その両方を支えるのが、思想にとらわれず知識を与えてくれる岩波新書。そんな感じがします。
そして、弟者が読書感想文用の課題図書として学校から指導されることがなければ、恐らくこれからも決して手にとることはおろか、書店のコーナーの前に立ち止まることさえなく、生涯を終えていたかもしれません。
とにかく(推理小説以外は)本を読むことが大嫌いな弟者であることと、40冊ある課題図書リストの中で、実際に書店に並んでいるのがほんの2~3冊であったこと、何よりも『弟者がテキトーな読み方をした後、私も読めそうなの』をと思い、選択したのは下記の一冊でした。
とりあえず4分の3ほど読みましたが、なるほど、これは面白い本です。
たとえば、色について説明する時、私たちは「青紫」とか「黄緑」とかではなく「赤」「青」「黄」などの『基礎色』を11個も持っているのですが、世界レベルで考えると、私たちが青とか緑とかっていう色をひとつの言葉で表してしまう……どころか、極端な話「明るい色」と「暗い色」くらいの区別しか持っていない言葉もあるそうなのです。
じゃあ、そういった人たちは色の区別がつかないのかというと……決してそういうわけではないのですね。
と、まあそういった内容なのですが、2時間も読んでいると15分ほど休憩を取らなければなりません。要するに眠ってしまうのです(笑)。
元プロレスラーで現在は国会議員をされている馳浩さんが現役時代に書いた『君はまだプロレスを知らない』で、バスの移動時などは30分くらいかけて新聞を読むと気持ちよく眠れる、と書いていましたが、それに近いのかもしれません。まあ、そうなったら素直に休憩して、少しでも理解を深められるよう読みすすめています。
*
と、こんな感じで超硬派教養図書といった位置付けの『岩波新書』ですが、昨日久々に渋民イオンモールの中にある宮脇書店に行ったところ、そのコーナーがどこにもないのですね。
今まで見向きもしなかったくせに、こんなことを言うのも何なんですが、「岩波を置いていない書店もあるのか!」と驚いてしまいました。
まあ、私のようにほとんどの人に見向きもされない(ような気がする)本を置くくらいなら、よく売れるであろうビジネス書やライトノベルを一冊でも多く並べた方がマーケティングの観点から見ると正しい気はします。書店だって商売ですからね。
でも、そうだとしても、やっぱり岩波コーナーがある本屋とない本屋では「風格」が変わって来ます。あるいはバランスというか……。
天秤で言えば、支柱みたいなもんだと思うんですよね。片手にコミックやライトノベル、片手に文学書。その両方を支えるのが、思想にとらわれず知識を与えてくれる岩波新書。そんな感じがします。
森見登美彦『太陽の塔』を読みました。
今年は製作者・岡本太郎の生誕100周年イヤーですからね。私も毎日jpなどでその名前を目にして、少しく『太陽の塔』に興味を持ち、検索したところAmazonでこの本を見つけたという次第でして。これはもちろん森見先生の小説であって、美術論ではないのですが、なぜかこれを手にとってしまうのがいかにも私らしいというか。
もっとも、私がこの本をレジに持っていった時、店のオヤジさんが、「こないだこれテレビでやってましたよね」と言って来たので、私ばかりが恥じ入ることもないでしょう。その場では「それは本物の『太陽の塔』ですよね」と指摘したい気持ちを抑えつつ、「ああそうですね」と笑顔で相槌を打ったりしていたのですが。
内容は……『四畳半神話大系』などと同じように、理論的な思考で行動するダメ男子大学生が、特定の女の子のことを思いながら悪い友人などに引きずりまわされ不思議世界に入り込んでいくというファンタジー物語です。もっとも本作の主人公は「休学中の5回生」という、本人の言葉を借りれば相当タチの悪い設定なのですが。
そして主人公が追いかける女の子『水尾さん』は、実はかつて付き合っていたものの話し合いの末別れてしまった元カノというやつです。
別れた女の子を追い掛け回すという、一歩間違えば非常に危険な行動をこの主人公はしているのですが、よりを戻したいというのではなく『研究対象』として彼女を見ているのだから、断じてストーカーではないと本人は弁解しています。確かに(同じように彼女に付きまとう別な男に対してはともかく)直接的な何かというのはしないんですよね。
『四畳半神話大系』と同じように、ちょっと難しそうだけどテンポのよい森見先生の文章で展開される美しい(?)京都の舞台や、ちょっと変な友人との掛け合いや、巻き起こる不思議現象。そういった冷静な口調で最後まで物語が進むので、「いつのまにか」物語に引き込まれてしまうのかもしれません。なかなかの本でした。
今年は製作者・岡本太郎の生誕100周年イヤーですからね。私も毎日jpなどでその名前を目にして、少しく『太陽の塔』に興味を持ち、検索したところAmazonでこの本を見つけたという次第でして。これはもちろん森見先生の小説であって、美術論ではないのですが、なぜかこれを手にとってしまうのがいかにも私らしいというか。
もっとも、私がこの本をレジに持っていった時、店のオヤジさんが、「こないだこれテレビでやってましたよね」と言って来たので、私ばかりが恥じ入ることもないでしょう。その場では「それは本物の『太陽の塔』ですよね」と指摘したい気持ちを抑えつつ、「ああそうですね」と笑顔で相槌を打ったりしていたのですが。
内容は……『四畳半神話大系』などと同じように、理論的な思考で行動するダメ男子大学生が、特定の女の子のことを思いながら悪い友人などに引きずりまわされ不思議世界に入り込んでいくというファンタジー物語です。もっとも本作の主人公は「休学中の5回生」という、本人の言葉を借りれば相当タチの悪い設定なのですが。
そして主人公が追いかける女の子『水尾さん』は、実はかつて付き合っていたものの話し合いの末別れてしまった元カノというやつです。
別れた女の子を追い掛け回すという、一歩間違えば非常に危険な行動をこの主人公はしているのですが、よりを戻したいというのではなく『研究対象』として彼女を見ているのだから、断じてストーカーではないと本人は弁解しています。確かに(同じように彼女に付きまとう別な男に対してはともかく)直接的な何かというのはしないんですよね。
『四畳半神話大系』と同じように、ちょっと難しそうだけどテンポのよい森見先生の文章で展開される美しい(?)京都の舞台や、ちょっと変な友人との掛け合いや、巻き起こる不思議現象。そういった冷静な口調で最後まで物語が進むので、「いつのまにか」物語に引き込まれてしまうのかもしれません。なかなかの本でした。
これは大分前に新品で買って、それ以来、何度となく読み返してるかなり好きな本です。
私はスーパーカーブームの世代ではないのですが、その頃に製作された車にかなり小さい頃からほれ込んでいて、ランボルギーニだのフェラーリだのポルシェだのといった車の写真を眺めたりするのが大好きでした。
この本はそういったスーパーカーに対して、自動車評論家の立場から鋭く斬り込んだ批評集なのですが、それがとても面白いのですね。
まず『新車試乗レポート』ではないので、機械的な欠陥とか、そういうのを冷静かつ正確な目線から見抜き、それをズバッと書いています。たとえば『アウトラン』で有名なフェラーリ・テスタロッサはスピードの乗った状態で曲がろうとすると簡単にスピンしてしまうとか(重心がとても高いため)。これ以来、現実のテスタロッサに乗ってみたいとは、まったく思わなくなりました。
また、それぞれの車がどのような発想から生まれ、どのようにして設計、施工され、世に送り出されたのか……という成り立ちについても詳しく書かれています。幻の車といわれた『ランボルギーニ・イオタ』や、レースで勝つために作られた『ランチア・ストラトス』などのエピソードは、何度読み返しても面白いです。
私のフェラーリに対するスタンスはこの本でひっくり返され、ほぼ確定したのですが、反対にそれまであまりいいイメージを持っていなかったものがひっくり返ったのもありました。それが『マクラーレンF1』というものです。
かつてアイルトン・セナなどが所属していた名門F1コンストラクター『マクラーレン』が、公道を走れるF1を、というコンセプトで開発した真のスーパースポーツカー……なのですが、馴染みがないせいもあって、犬神はあまり好きではありませんでした(ビデオゲームでも、いつもポルシェの方を選んでたし)。
ただ、実車は元『ボーソー族』である福野氏をしてビビらせるすさまじい動力性能を持つみたいで、まさに公道を走れるF1なのです(いわく「ターボカーの600馬力と自然吸気の600馬力は違う」と)。1台何億円という値段ですが、それでも売れば売るほど赤字になるという、かつてのトヨタ2000GTのような、奇跡のような車なのです。
あと、私がつい何度も読み返してしまうのは、文章にロマンチシズムがあまりないことでしょうかね。先ほども書いたようにフェラーリだろうとなんだろうと、平等にひとつの機械として分析し、欠陥を指摘し、実際に乗って危ない目にあって(笑)。
私自身はあまりメカに詳しくないし、触るなんてトンデモナイという話ですが、機械を機械として正しく理解するということはこの本で勉強しました。機械に感情はないけど、物理の壁を越えることは出来ないし、乗り手がラフな扱いをすれば機械の方もラフになっていく、ということ。
そういうこともあって、愛車に乗る時もあまり無茶はしないようになりました。ありふれまくりのワゴンR(初代)ですが、やることはポルシェとかフェラーリとかと同じなんだから、って。……まあ、福野氏に影響を受けまくった楠センセイが描いた『湾岸MIDNIGHT』の影響も多分にあると思うのですが。
結構カタカナ語が多くて難しいところがあるかもしれませんが(それは前書きで著者自身も反省していました)、車に対する正しい理解をしたい方すべてにオススメします。これは本当に面白い本です。
そもそもゲームから入った人間なので、「八方ヶ原」編までの思い入れが強かったんですよね(セブンスターリーフは最初のバージョンに出てこなかったのであまり知らなかったし興味もなかった)。
で、ゲームの方でVer.1の全峠を制覇して、車もフルチューンして、一通り満足したらマンガの方に対しても……う~ん、なぜか記憶がないので、あまり読んでなかったのかもしれません。この頃にはもう『湾岸MIDNIGHT』の方に移行していたからかな。
一応wikipediaでおおよその流れを振り返ってみたのですが……あ、『岩瀬恭子』は覚えてますね。シングルタービンでハイパワーのFD乗り回す、あと他人の車にキスしたりするヘンt……いや、えーと、一直線な女の子。残念ながらそことフラれたところしか覚えていないのですが、一応読んでいたのかな。
それから、秋山渉再登場の頃も覚えています。「あれ? 何でまた出てるの?」と思ったら、スーパーチャージャーにして復活したとか何とかって。このアタリは飛び飛びなので、たぶん雑誌で連載を追いかけていた頃なのでしょう。
そして毎号の連載ページ数があまりにも少なくて、徐々に気持ちが離れていった頃だったのでしょう。
そして問題のランエボ編。
名誉とかそんなのじゃなくてカネ目的でバトルして、地面にオイルを撒いたり走り以外のところで脅しをかけたり、ヤンマガじゃなくて少年マガジンの『ジゴロ次五郎』に出てきそうな連中です。
おいおい、そういうのって違うんじゃないの。そう思いました。
もちろんバトル自体は、藤原タクミが運転技術で相手を追い込み、自分たちが撒いたオイルでスリップさせて終了。さらにそのあと藤原タクミのパートナーである高橋啓介が元暴走族の幹部であることも発覚し(相手が連れてきた「元暴走族リーダー」の兄貴分)、色々な意味で相手をねじ伏せることに成功したのですが……。
で、ゲームの方でVer.1の全峠を制覇して、車もフルチューンして、一通り満足したらマンガの方に対しても……う~ん、なぜか記憶がないので、あまり読んでなかったのかもしれません。この頃にはもう『湾岸MIDNIGHT』の方に移行していたからかな。
一応wikipediaでおおよその流れを振り返ってみたのですが……あ、『岩瀬恭子』は覚えてますね。シングルタービンでハイパワーのFD乗り回す、あと他人の車にキスしたりするヘンt……いや、えーと、一直線な女の子。残念ながらそことフラれたところしか覚えていないのですが、一応読んでいたのかな。
それから、秋山渉再登場の頃も覚えています。「あれ? 何でまた出てるの?」と思ったら、スーパーチャージャーにして復活したとか何とかって。このアタリは飛び飛びなので、たぶん雑誌で連載を追いかけていた頃なのでしょう。
そして毎号の連載ページ数があまりにも少なくて、徐々に気持ちが離れていった頃だったのでしょう。
そして問題のランエボ編。
名誉とかそんなのじゃなくてカネ目的でバトルして、地面にオイルを撒いたり走り以外のところで脅しをかけたり、ヤンマガじゃなくて少年マガジンの『ジゴロ次五郎』に出てきそうな連中です。
おいおい、そういうのって違うんじゃないの。そう思いました。
もちろんバトル自体は、藤原タクミが運転技術で相手を追い込み、自分たちが撒いたオイルでスリップさせて終了。さらにそのあと藤原タクミのパートナーである高橋啓介が元暴走族の幹部であることも発覚し(相手が連れてきた「元暴走族リーダー」の兄貴分)、色々な意味で相手をねじ伏せることに成功したのですが……。
あと、アレですね、この頃にはもう藤原タクミが遠い世界に行っちゃった感じがするというのも理由としてあるのかもしれません。なんか技術がすごすぎて、ちっともヒヤヒヤドキドキしなくなっちゃったんです。「おいおい、こんな状況でどうやって勝つんだよ!?」っていうのから、「ま、どうせモニャモニャやって勝つんでしょ」と思うようになっちゃって。
今にして思うと、ちょっと寂しいです。
それでも何とか次の「パープルシャドウ」編も読んでいました。『ゴッドハンド』ことジョウシマさんは速かったですね。ワンハンドステアは、ずっとシフトレバーに手をかけてるとミッションによくないって昔車雑誌で読んだけど大丈夫なのかな? という疑問はありましたが。あと医者だそうですが、やっぱり担当は外科なんでしょうか。
そして私が決定的に『頭文字D』を見限ることになったのが、次の『ゴッドフット』星野さん。神業アクセルワークとか何とか、それはいいのですが、最初に書いたように33Rを「日産の失敗作」呼ばわりする見識の浅さというか、なんと言うか。
まあ、重いとかでかいとかダルいとか、そういうのは物理的な事実なのでしょう。だからそう考えるのも間違ってはいないのでしょう。だとしても何にしてもそんなことを言う人が出ているマンガを読むわけには行きません。そして本誌でもすっ飛ばして読むようになったのでした。
最近旧バージョンが1プレイ50円で遊べるところを見つけ、じつに8年ぶりに『公道最速伝説』とやらにチャレンジするにあたり、今の勢力状況をプロジェクトDのホームページ……ではなくWikipediaで調べてみたのですが……やっぱり、何かオカルト志向になってるんじゃないですか?
「無の境地」とかいうものを求める寺の息子はまだいいですよ。メンタルな部分は大事ですからね。
でも、走ってる車に「白い翼」が見えたと言う少年とか、自分も相手も死ぬことを厭わない「死神GT-R」とか。初期の「走り屋コゾー」同士のバトルでワイワイやっていた頃が懐かしいですよ。
長期連載ゆえの宿命かもしれませんが、私にはもうわかりません。
*
あと、これはマンガ云々ではなく私のことなのですが、自分で免許を取って運転するようになってから、一般道で必要以上にスピードを出して走る方々のことがすごく嫌いなんですよね(高速道路は、高速で走るための道路なので、基本的には左車線を粛々と走ります。150キロだろうと200キロだろうと気になりません)。
制限速度かそれよりも少し速いくらいのペースで走ってるのに、猛然と車線変更はみ出し運転で追い抜いていく人たちが多いこと多いこと。
そもそもあまりスピードの出ない車ですし、ガソリンも日々値上がりしていくためバトル云々よりもまず燃費第一なので、別にアツくなることはないのですが、気持ち的にはよくないですわな。特に峠道とかをのんびり走ってる時に、いきなり視界に入ってこられると、興がそがれるのです。
そのためムキになって追い上げてくる車がいた場合、わざと制限速度ピッタリで走ったり、必要以上にブレーキを踏んだり(東堂塾の酒井がやっていたフェイントみたいなもの)して、安全かつ合法的に嫌がらせ(?)をしています。
長くなりましたが、大体そんな感じです。
ゲームをまた始めたのは1回50円だからと言うのと、ほかに出来そうなゲームがないから。別に誰よりも速くなりたいとか、今さらそういうつもりはありませんが、やるからにはキッチリやりたい。そう思っています。
今にして思うと、ちょっと寂しいです。
それでも何とか次の「パープルシャドウ」編も読んでいました。『ゴッドハンド』ことジョウシマさんは速かったですね。ワンハンドステアは、ずっとシフトレバーに手をかけてるとミッションによくないって昔車雑誌で読んだけど大丈夫なのかな? という疑問はありましたが。あと医者だそうですが、やっぱり担当は外科なんでしょうか。
そして私が決定的に『頭文字D』を見限ることになったのが、次の『ゴッドフット』星野さん。神業アクセルワークとか何とか、それはいいのですが、最初に書いたように33Rを「日産の失敗作」呼ばわりする見識の浅さというか、なんと言うか。
まあ、重いとかでかいとかダルいとか、そういうのは物理的な事実なのでしょう。だからそう考えるのも間違ってはいないのでしょう。だとしても何にしてもそんなことを言う人が出ているマンガを読むわけには行きません。そして本誌でもすっ飛ばして読むようになったのでした。
最近旧バージョンが1プレイ50円で遊べるところを見つけ、じつに8年ぶりに『公道最速伝説』とやらにチャレンジするにあたり、今の勢力状況をプロジェクトDのホームページ……ではなくWikipediaで調べてみたのですが……やっぱり、何かオカルト志向になってるんじゃないですか?
「無の境地」とかいうものを求める寺の息子はまだいいですよ。メンタルな部分は大事ですからね。
でも、走ってる車に「白い翼」が見えたと言う少年とか、自分も相手も死ぬことを厭わない「死神GT-R」とか。初期の「走り屋コゾー」同士のバトルでワイワイやっていた頃が懐かしいですよ。
長期連載ゆえの宿命かもしれませんが、私にはもうわかりません。
*
あと、これはマンガ云々ではなく私のことなのですが、自分で免許を取って運転するようになってから、一般道で必要以上にスピードを出して走る方々のことがすごく嫌いなんですよね(高速道路は、高速で走るための道路なので、基本的には左車線を粛々と走ります。150キロだろうと200キロだろうと気になりません)。
制限速度かそれよりも少し速いくらいのペースで走ってるのに、猛然と車線変更はみ出し運転で追い抜いていく人たちが多いこと多いこと。
そもそもあまりスピードの出ない車ですし、ガソリンも日々値上がりしていくためバトル云々よりもまず燃費第一なので、別にアツくなることはないのですが、気持ち的にはよくないですわな。特に峠道とかをのんびり走ってる時に、いきなり視界に入ってこられると、興がそがれるのです。
そのためムキになって追い上げてくる車がいた場合、わざと制限速度ピッタリで走ったり、必要以上にブレーキを踏んだり(東堂塾の酒井がやっていたフェイントみたいなもの)して、安全かつ合法的に嫌がらせ(?)をしています。
長くなりましたが、大体そんな感じです。
ゲームをまた始めたのは1回50円だからと言うのと、ほかに出来そうなゲームがないから。別に誰よりも速くなりたいとか、今さらそういうつもりはありませんが、やるからにはキッチリやりたい。そう思っています。
追記を閉じる▲
では、昨日の続きです。
……と言いたいところなのですが、ちょっと内容を変更したいと思います。
というのは、割と冷めた視点で『頭文字D』に熱狂したあの頃はなんだったのかと言うことを振り返ろうと思っていたのですが、わずかに記憶に残っている当時の名台詞とかを検索し、ストーリィを頭の中で補完していくうちに、かつてのドキドキまで一緒に思い出してしまって。
これは、ただざっと振り返るだけじゃ物足りないなと思い、改めてちゃんと書こうと思った次第です。
当時の私の年齢は20歳そこそこでしたから、マンガの主人公たちともほぼ同世代。あえて言えば藤原タクミに対する池谷先輩とか、そのくらいの立ち位置でしょうか。
それでいて、当時は免許を持っていなくて、空想やビデオゲームの中でしか車をたくさん運転したことがなかったので、割と「その気に」なりやすかったんですよね。ゲームの中でなら結構上手に車を運転できるし、どんな車のオーナーにもなれるし。
こういったベースがあったので、限界ギリギリのところでバトルを繰り広げる登場人物たちとマンガの世界に対して、まさに「アドレナリンどっばどば」だったのです。
あと、今になって読み返してみると、脇役陣がすごく好きみたいです私。
たとえば、隠れファンが多い(?)中里毅。マンガの中では連戦連敗ですが「GT-RのRは不敗神話のRだ」「イモロータリーなんかに負けっかよ」「また板金7万円コースか……」など、印象的なセリフをポンポン口にしています。連敗街道とはいえひたむきな努力でチーム内の結束力も上がっていますし、とにかく好きなんです。
あとは走りとは関係ない部分ですが、池谷先輩とか武内樹の恋愛話は今思い出しても胸がキューッとなってしまいます(特に池谷先輩……女の子の方を知ってる読者サイドからしてみれば「行けよ!」と猛チャージしたくなってしまいます・笑)。あ、主人公は割とモテるっぽいので全然興味ないんですけどね。
それから、同じAE86型スプリンターを愛車にしている秋山渉さんなんかも面白いですね。
古い車で新しい車を追い込むのが快感なんだと言いつつ、貧乏根性と言うかひがみ根性大爆発(笑)。マンガだったかゲームだったか忘れましたが、バトルを断ると「オレがハチロクだからか?」と言ったり、藤原タクミが搭載した改造エンジンを見てうらやましがったり、そのエンジンのスゴさに気づかないことに怒ったり。実際に相対したらこれほど面倒くさい人はいないと思うのですが(笑)、車が古い分培った技術と根性はすさまじいものがありました。気の強い妹も合わせて好きです。
じゃあ、いつからそういった感情が薄れていったのかというと……前回も書きましたが、車の技術以外で勝とうとする人たちが出てきた頃でしょうか。地面にオイルを撒いたり、車を降りたところで脅しをかけてきたりね。
(つづく)
……と言いたいところなのですが、ちょっと内容を変更したいと思います。
というのは、割と冷めた視点で『頭文字D』に熱狂したあの頃はなんだったのかと言うことを振り返ろうと思っていたのですが、わずかに記憶に残っている当時の名台詞とかを検索し、ストーリィを頭の中で補完していくうちに、かつてのドキドキまで一緒に思い出してしまって。
これは、ただざっと振り返るだけじゃ物足りないなと思い、改めてちゃんと書こうと思った次第です。
当時の私の年齢は20歳そこそこでしたから、マンガの主人公たちともほぼ同世代。あえて言えば藤原タクミに対する池谷先輩とか、そのくらいの立ち位置でしょうか。
それでいて、当時は免許を持っていなくて、空想やビデオゲームの中でしか車をたくさん運転したことがなかったので、割と「その気に」なりやすかったんですよね。ゲームの中でなら結構上手に車を運転できるし、どんな車のオーナーにもなれるし。
こういったベースがあったので、限界ギリギリのところでバトルを繰り広げる登場人物たちとマンガの世界に対して、まさに「アドレナリンどっばどば」だったのです。
あと、今になって読み返してみると、脇役陣がすごく好きみたいです私。
たとえば、隠れファンが多い(?)中里毅。マンガの中では連戦連敗ですが「GT-RのRは不敗神話のRだ」「イモロータリーなんかに負けっかよ」「また板金7万円コースか……」など、印象的なセリフをポンポン口にしています。連敗街道とはいえひたむきな努力でチーム内の結束力も上がっていますし、とにかく好きなんです。
あとは走りとは関係ない部分ですが、池谷先輩とか武内樹の恋愛話は今思い出しても胸がキューッとなってしまいます(特に池谷先輩……女の子の方を知ってる読者サイドからしてみれば「行けよ!」と猛チャージしたくなってしまいます・笑)。あ、主人公は割とモテるっぽいので全然興味ないんですけどね。
それから、同じAE86型スプリンターを愛車にしている秋山渉さんなんかも面白いですね。
古い車で新しい車を追い込むのが快感なんだと言いつつ、貧乏根性と言うかひがみ根性大爆発(笑)。マンガだったかゲームだったか忘れましたが、バトルを断ると「オレがハチロクだからか?」と言ったり、藤原タクミが搭載した改造エンジンを見てうらやましがったり、そのエンジンのスゴさに気づかないことに怒ったり。実際に相対したらこれほど面倒くさい人はいないと思うのですが(笑)、車が古い分培った技術と根性はすさまじいものがありました。気の強い妹も合わせて好きです。
じゃあ、いつからそういった感情が薄れていったのかというと……前回も書きましたが、車の技術以外で勝とうとする人たちが出てきた頃でしょうか。地面にオイルを撒いたり、車を降りたところで脅しをかけてきたりね。
(つづく)
この本は毎日jp(まんたんウェブ)の『はじめの一冊』コーナーで紹介されていたのを見て買いました。果たしてどんな文章を読んで買ってしまったのかをハッキリさせたいので、引用したいと思います。
ネットゲームにのめり込み、働かないニートの父に変わって店を切り盛りする小学6年生サトミ。クラスメートの男の子、売れないマンガ家、元気な女子大生ら、少しだけいるなじみのお客さん、いなくなった母の帰る場所を守るため、けなげに頑張り続ける……というほのぼのストーリーだ。(まんたんウェブ編集者)
小さな胸に秘めた恋心も、大人の事情で帰って来れない母も。望めば望んだだけかなってほしい。きっとそう思えるはず。未読の方、ぜひご一読を!(連載誌『コミックフラッパー』の編集部)
サトミのかわいらしさやコミカルなドタバタ劇もあったはずなんですが、気付けばあまりの世知辛さにいたたまれない気分になってしまいました。(中略)でもこれだけ小さな女の子が頑張ってるんだから、ハッピーエンドを拝むまでは読むのをやめるわけにはいかないですよ!(鹿児島・ひょうたん書店の筒口征洋さん)
……そこまで言うなら、受けてたってやろうじゃねえか、とその気にさせられた犬神、何軒かの書店を歩き回り、ようやく購入して読んでみました。
一応「ラブコメディ」という言葉でくくられているものの、読後感は決してさわやかなものではなく、ふわふわしたものではなく、何となく沈み込んだ気持ちになってしまいました。
何せこの物語の主人公であるサトミ(小学6年生女子)は『本当に』仕込み……仕込みはすし屋か(笑)……商品仕入れのために問屋に発注をかけるところから、いや、それまで取引のない問屋をネットで調べて新たな経路を取り付けるところから始めます。
この問屋の女性は極めてまっとうな社会人なので、突然やってきた「自称・文具店経営」の小6女子など相手にしません。『お店ごっこ』ならよそでやって、と一蹴です。
それでもしつこく食い下がるサトミに、「これあげるからもう来ないで」とさらに突き放します(一応、この時点で店に来た顧客のためにキャンパスノートを一束『仕入れ』たのですが)。
そしてノートを一通り売り切り、新たに商品を仕入れるために問屋に行くと、「もう来ないでって行ったでしょ」と憤慨。退けない理由があるサトミは『お店ごっこ』ではないと反論しますが、「子どもって大きな声出せばなんでも通ると思ってるから嫌い」と言って相手の足を止めたあと、いかに店舗経営が大変なのかと言うことをパパのお説教(てんとう虫コミックス8巻参照)並延々と説明。浮かせ技から空中コンボでサトミのライフはもうゼロよってな状態です。
知ってる限りの言葉で茶化してみたつもりですが、サトミの側を知っている私としては、そうじゃなきゃマンガの世界に飛び込んで「こいつはちゃんとした文房具屋だよ!!!」と言いたくて仕方がないのです。
しかもサトミの父親は、先の紹介文にも書いていましたが、本当にどーしようもない人間です。まあ親子にしかない感情があるでしょうからあまり強くは言いませんが、少なくとも私にとっては限りなく最高に近いくらい嫌いなタイプの人間です(ネットゲームに夢中で店舗経営も投げ出し、奥さんにも逃げられ、娘が必死で頑張っているにもかかわらず一切無視して引きこもり生活中)。
そのくせ文房具屋を潰してガレージにして儲けようというプランをサトミに提案した時は、父親の権限で反対する娘の意見を聞かずゴリ押ししようとするのだからたまらない。サトミがどういう感情を抱いていようと、私がこんな人間を前にしたら、冷静でいられる自信はありません。
*
ふー……(ちょっと一息)。
と、少々熱くなってしまいましたが、自分としてはあまり笑える場面はありませんでした。「せつなカワイイ」というのが売り文句ですが、カワイイの要素が大幅にかすんでしまって、ひたすら切なさばかりでした。そう何度も何度も手に取りたいマンガでは、ありません。
かといって、続巻を買わないと言うことになれば、それは私もまたサトミを見捨てることになってしまう。どんな結末になるかわかりませんが、ともかくはじめの1巻を買ってしまったのだから、私もまた最後まで行くしかないのです。
ちなみに本作は作者「あさのゆきこ」さんのデビュー作だそうです。ドラフトではありませんが、もしかしたら今後私のお気に入り作家になるかもしれないし、単純に応援したい気持ちがあったから……というのも、買った理由に数パーセント混じってます。
とりあえず(作者様ではなく、物語の登場人物に対する)不満は爆発させました。気持ちはある程度整理させることが出来たので、続巻を心待ちにするとしましょう。
追記を閉じる▲
今年は、去年とかおととしと比べて、たくさん本を読んだ一年であった、と思います。まあ、それまでがあまりにも少なかったので、とても胸を張れるような冊数ではないのですが、すごくいい物語との出会いがたくさんあったように思います。
一応、きっかけとなったのは『四畳半神話大系』かな。あとは同時に買った『夜は短し歩けよ乙女』。前者については表紙が今の版になる前のバージョンでしたが、ともかくこれで、再び小説の世界に引っ張り込まれました。もちろん抜群にお気に入りです。
ちなみにこの本との出会いは、やくしまるえつこの『神様の言うとおり』という曲を聴き、それが『四畳半神話大系』のアニメ版で使われていると聞き、「まあ、やくしまるえつこが歌っているんだから、それなりのものなんだろう」と思ってとりあえず原作本を手にした……という、ちょっと不思議な出会いでした。面白いものです。
そのあとは記録的な猛暑の中、『龍が如く3』と並行して読み進めた、上橋菜穂子先生の『獣の奏者』シリーズ。これもまた去年だったか、アニメでやっていたのを見たのがきっかけでした。まあ、それでなくても上橋先生の物語は『守り人』シリーズで相当気に入っていたのですが。
全4巻のうち、3巻まで読み終えましたが、これは本当にすごい物語でした。すごすぎて1回読んだだけではあんまり理解できていません(苦笑)。なのでもう一度読み、何とか自分のものにしてから、感想文を書きたいと思います。
そして、これはごく最近なのですが、齋藤智裕の『KAGEROU』ですね。
サンケイスポーツの匿名記者たちからはなんだかんだとけなされ、あげくの果てに週刊誌で八百長疑惑をぶち上げられるなど、悪い意味で話題になっている感がありますが、なるほど、そういった人たちから見れば、どうしてこの本が大賞に選ばれたのか理解できないのでしょう。
十分な取材? ふん。プロの目から見ればそんなものってこと? ふん。
まあ、もしもそれがプロであり、正しいのであれば、私は正しくなくてもいいです。ライトノベル級の文学脳でもいいです。アマチュアでいいです。
ただ、私の心は物語の世界とうまくリンクしたし、読後感もすごくよかったです。だから批判酷評の言葉には耳を貸しません。Amazonのレビューも見ません。あえて感情的に、私はこの本をオススメします。
物語以外でも、色々と本を読むようになって。……ともかく、また活字の世界に親しめるようになったのが、今年の大きな収穫ですね。一時期は活字どころかマンガさえろくに読まなくなっていたのですが。
ただ、今年の目標に掲げていた『ライトノベル』の世界は、来年に先送りになりそうです。ま、これは仕方がないのかな。
最後になりましたが、私にとって『面白い本』っていうのは、やっぱり波長がきちんと合わせられる本なのかな、って気がします。批評家の目線で行けば言葉遣いがどうとか物語の展開がこうとか、あるのかもしれませんけど、私はアマチュアですから。ただの消費者ですから。面白ければ何だっていいんです。
そうすると、今まで毛嫌いしていたライトノベルの世界も多少は触れないと嘘になりますからね。今年なんとか活字メディアに親しむところまでは行ったので、来年はこれをさらに飛躍させていきたいと思います。……ただし、だからといってどんなラノベも「面白い」と感じられるかどうかは別問題ですよ。少なくとも『生徒会の一存』とかは、ザックリした内容紹介を見ただけですが、アレはNGのような気がします。
追記を閉じる▲
『KAGEROU』は結局、発売日に買って来ました。そして昨日で一気に読みきってしまいました。
これはすごく面白かったです。だからというわけではありませんが、ブログの方ではなくホームページの方に感想を書きました。よろしかったら参考に……はならないと思いますが、ご覧ください。
私と命 齋藤智裕 『KAGEROU』論
それで、こっちでは『KAGEROU』を読む前に読み終えた『野武士のグルメ』について、触れたいと思います。
これはすごく面白かったです。だからというわけではありませんが、ブログの方ではなくホームページの方に感想を書きました。よろしかったら参考に……はならないと思いますが、ご覧ください。
私と命 齋藤智裕 『KAGEROU』論
それで、こっちでは『KAGEROU』を読む前に読み終えた『野武士のグルメ』について、触れたいと思います。
検索すれば超有名マンガ紹介ブログ様で面白おかしく紹介されておりますが、読んでみると確かについ笑ってしまうような久住昌之さんのひとり飯エピソードが満載です。
さしあたって犬神が何度読み返しても笑ってしまうのは『生野菜定食 焼肉つき』を頼んだ時の久住さん。まあ言葉通りのものが出てきたので文句をいう筋合いはないのですが、感情的にはそうも行かないみたいで、思わず心の中で「何考えてるんだここのオヤジ、バカじゃないのか」と激怒。そのあたりの機微がすごくおかしかったです。
それから、絶対に夜は飲み屋になる(むしろそっちの方が主収入だろうと推測)であろう謎のマダムが経営するラーメン屋で食べた、悲しくなるほどまずいラーメン。何せうまいとかまずいとかいう前に「ヌルイ」という魔王がこのラーメンを支配しているため、どうしようもありません。それでも空腹を満たすために何とか麺をすすりこんだものの、得たのは満腹感よりもむしろ悲愴感。なんだか太宰治のエッセーなみに落ち込んで店を出て行く結末には涙を禁じ得ませんでした(言い過ぎ)。
ただ、意外だったのはそうやって笑える話ばかりでなく、何となくしんみりしてしまう話もいくつかあった、ということ。
やっぱり、自分で読んでみないとわからないこともたくさんあるんだな。そんな当たり前のことを再確認し、私のお気に入りの本棚に新たな一冊を加えたのでした。
追記を閉じる▲
大山さんはずっと前から『ドラ声』と言われていたそうですが、元々それはあの独特な声を悪く言う言葉だったといいます。それなのに若い女の子に「ドラえもんの声だからドラ声って言うんですよね」といわれてビックリした、と言う話が本文中にあって……。
たぶん、生まれた時からずっとドラえもんの声を聞いて育ってきて、あとから大山さんのことを知ったから、そういう言い方になっちゃうんでしょうね。って、私も『ドラえもんの声だからドラ声』だと思ってたのです。
さて、この本は声優としてのキャリアのほとんどをドラえもんのために費やしてきた大山さんが、収録の時のことを振り返っていろいろと書いている思い出の一冊です。
ってことはよくある「ドラえもんファンのための本」というよりは、「ドラえもんの声を演じていた大山のぶ代ファンのための本」という雰囲気なのかな。そう思いました。
もちろん、大山さんら声優陣の立場から見た『ドラえもん』の物語でもあるので、私たちが見ていたテレビアニメや映画の裏側ではどんなドラマがあったのか? という楽しみもあります。
そして藤本先生の逝去、大山さん自身が降板を決意したいきさつ、など……。このあたりは、一行一行がすごく重いと言うか、ギュッと心に訴えかけてくるような、そんな感じがしました。
初めて聞いた時は「なんだよこれ!?」と思ってしまった水田わさびサンの『新・ドラ声』も5年くらいが経過し、大分慣れました。むしろ古い時代の、大山さんのドラ声を聞いた時、ちょっと新鮮な気持ちになってしまうくらいです。
……それでも、私が子どもの頃からずっと一緒にいてくれたドラえもんは、大山さんのドラであり、のび太、スネ夫、ジャイアン、しずかちゃん……も、みんな、あの声優陣だったんだよな……。
そんな風にちょっと懐かしいような、新鮮なような、気分でした。なんか全然書評になってなくてごめんなさい。でも、改めてドラえもんが好きになる。そんな本です。
(ちなみにタイトルにつけた「あの子」とは、もちろんドラさんのことです。大山さんは声を演じつづけている26年間……あるいは今も? ずっと「あの子」と呼んでいたそうです。そして大山さん自身がちょっと悩んだりした時、ポーンと決心をつけさせるような一言を投げかけてくれたりしたそうです)
犬神はプロレスに関する、いわゆる『暴露本』というジャンルにはどうも興味が出ません。わざわざそんなものを書き立てて、真実の姿を知ったからといって、それでプロレスの面白さが損なわれるわけでも、反対に盛り上がるわけでもない、と思っているからです。あ、でも色々と余計なことを考えるようになって、損なわれるのかもしれませんね。
この『子殺し』は、金澤さん自身が「これは暴露本ではない」と語っています。でもブログでは「これは暴露本でしょう」と語る人がいました。実際どっちなの? じゃあ暴露本ってなんなの?
……考えれば考えるほど、よくわからなくなってしまいます。
でも、ここでは金澤さん自身の言葉を額面通り受け取りたいと思います。これはスポーツドキュメントなのです。実際にその時、その場で起こったことを追いかけ続けた元『週刊ゴング』編集長とプロレスラーたちの戦いの記録なのです。
当時、確かに格闘技バブルというのがあったと思います。
あまりよく覚えてはいないのですが、K-1とかPRIDEとか、そういったものが今よりもバンバン放送されて、「とにかく強いやつは誰なんだ!」と想像をめぐらすのに興奮しまくっていた時代があったと思います。
その頃は私もさほどプロレスに興味がなく、あえて言えば格闘技側の立場からそれを眺めていたような気がします。多分、今でもほとんどの人がそうだと思いますが、「プロレスラーは実際には強くない」っていう、あのスタンスです。
はっきりそう感じたのは、覚えている人もたくさんいると思うんですが、『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退スペシャル』と銘打たれたあの番組で、橋本さんがオガワに負けてしまった時。そして後にそのオガワが、いつだったかな、同じ柔道出身の吉田秀彦さんに負けた時。
『プロレスラーは強くない』そんな金科玉条が私の心の中にズドンと立ってしまったのでした。
そんなオガワがプロレス界で巻き起こした事件が、今も語り継がれる99年1月4日のドーム大会における掟破り。私は多分、映像を見ていないのですが、どういう試合内容だったかは無論この本でも語られていますし、色々な人が語っているので、よくわかります。
ただ、この本では個人的な親交があったのもあり、そのあたりの経緯とその後の流れが非常に詳しく書かれています。このあたりが暴露本とかそうではないとか、そういう議論のあるところなのかもしれませんが、当事者のひとりとしてその場に立会い、重要な役割を果たした金沢さんが言うのだから、暴露本とは少し違う気がするのです。
むしろそういった裏側のドラマを知ることで、もっともっとプロレスラーのすごさを感じることができると思うのです。何せ『神』と戦っていたんですから。
あとは、永田さんこと永田裕志選手、ケンドー・カシンこと石沢常光選手、藤田和之選手の総合格闘技参戦に関する話。これを読めば永田さんがただの白目レスラーではないことをこれでもかというほどに痛感するでしょう。そして恥も何もすべてを受け入れることを決めたキリストのような人間性に涙が止まらなくなることでしょう(言い過ぎ)。
ともかく、すでに4回くらい読み返してしまいましたが、そのたびにまるで自分が当時のその場所に立ち会っているかのような緊迫感を味わえる『子殺し』。なんだか色々と強い気持ちにさせてくれる一冊なのです。
あまりよく覚えてはいないのですが、K-1とかPRIDEとか、そういったものが今よりもバンバン放送されて、「とにかく強いやつは誰なんだ!」と想像をめぐらすのに興奮しまくっていた時代があったと思います。
その頃は私もさほどプロレスに興味がなく、あえて言えば格闘技側の立場からそれを眺めていたような気がします。多分、今でもほとんどの人がそうだと思いますが、「プロレスラーは実際には強くない」っていう、あのスタンスです。
はっきりそう感じたのは、覚えている人もたくさんいると思うんですが、『橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退スペシャル』と銘打たれたあの番組で、橋本さんがオガワに負けてしまった時。そして後にそのオガワが、いつだったかな、同じ柔道出身の吉田秀彦さんに負けた時。
『プロレスラーは強くない』そんな金科玉条が私の心の中にズドンと立ってしまったのでした。
そんなオガワがプロレス界で巻き起こした事件が、今も語り継がれる99年1月4日のドーム大会における掟破り。私は多分、映像を見ていないのですが、どういう試合内容だったかは無論この本でも語られていますし、色々な人が語っているので、よくわかります。
ただ、この本では個人的な親交があったのもあり、そのあたりの経緯とその後の流れが非常に詳しく書かれています。このあたりが暴露本とかそうではないとか、そういう議論のあるところなのかもしれませんが、当事者のひとりとしてその場に立会い、重要な役割を果たした金沢さんが言うのだから、暴露本とは少し違う気がするのです。
むしろそういった裏側のドラマを知ることで、もっともっとプロレスラーのすごさを感じることができると思うのです。何せ『神』と戦っていたんですから。
あとは、永田さんこと永田裕志選手、ケンドー・カシンこと石沢常光選手、藤田和之選手の総合格闘技参戦に関する話。これを読めば永田さんがただの白目レスラーではないことをこれでもかというほどに痛感するでしょう。そして恥も何もすべてを受け入れることを決めたキリストのような人間性に涙が止まらなくなることでしょう(言い過ぎ)。
ともかく、すでに4回くらい読み返してしまいましたが、そのたびにまるで自分が当時のその場所に立ち会っているかのような緊迫感を味わえる『子殺し』。なんだか色々と強い気持ちにさせてくれる一冊なのです。
追記を閉じる▲
私が古本屋で買って読んだのは、1999年に出版された単行本の方でした。まあ中身はたぶん、どっちも変わらないでしょうけど。
私はそもそも『仮面ライダーのいない時代』に幼少期を送ってきた身なので、それほどライダーに対する思い入れというのは、ありません。いや確かに『ブラック』があったのですが、当時の私には怖いイメージしかなく、そこに憧れを抱くところまでは行きませんでした。
そうするといわゆる平成ライダーはどうか、となると、そういうヒーロー不在の時代を生きてきたので、これまたそれほど思い入れがありません。唯一『ディケイド』だけは大好きなのですが、それでも大人も大人、いい大人になってから見たので、単純に憧れ、とは、違うように思います。
じゃあどうしてこんな本を買うんだよ、という話になると思うのですが、ライダーにそれほど思い入れはなくても『藤岡弘、』さんは大変に尊敬の念を抱いていますし、憧れもありますし、要するに大好きなんです。
撮影中の事故で足を複雑骨折し、いったん退場。さあどうする。打ち切りか。いやいや「ライダーは死なない」んだからそんなことしちゃいけない! そんな平山プロデューサーの熱血エピソードや、大野剣友会の皆様の職人気質など、当時の人たちの猛烈な空気の記憶を、藤岡さんが思い出しながら書いている。そんな内容です。
村枝賢一先生の『仮面ライダーを作った男たち』とか、そういうのがたくさんある時代で、マニアの方には目新しい要素はないかもしれません。ただ、私はひたすら素直に当時の撮影現場の雰囲気を感じ、はぁ~と感嘆のため息をつくばかりでした。
最近の映画とかドラマとかで、出演者が撮影現場を語る時、「みんな笑って和気あいあいとした雰囲気で作っていました」という言葉を聞きます。もう100回以上色々な人が言っているのを聞いたような気がします。
もちろん、それはとてもいいことだと思うのです。演じる時も演じた後もそうやっていい雰囲気でいられるのは、すごくいいことだと思うのです。
だから、これは是非を問うのではなく、当時の撮影現場はそんな感じだった。それだけ。
そういう前提で語りますが、当時はものすごい職人気質の人たちが集まって『少しでもいいものを作ろう』という裂ぱくの気合いがほとばしる現場であったといいます。特に大野剣友会の皆様なんかは、私たち素人からしてみればムチャなアクションでも会長の「行け!」の一言でポーンとこなしてしまう。そしてその裏にはたゆまぬ練習と、会長への絶対的な信頼があったからできるのだ……。
いわゆる、山本小鉄論ですね。激しさ、厳しさの裏にある情熱と優しさ。当時のやり方をそのまま2010年に持ち込んでも、そのまま通じるとは思いませんが、確かに当時はそういうのがあって、そういうのがみんなをひとつにまとめていた。ちょっとだけ、うらやましいような気がするのです。
特撮マニアではなく、俳優・藤岡弘、さんを尊敬してやまないひとりのファンとして、今度『仮面ライダー』を見てみよう。そう思いました。
先日、いきなりこの世を去ってしまったためか、グングン値段を釣り上げて高く売り抜こうとする下衆な方がいらっしゃるようですが、もしかしたら本当にプレミアな状況になっているかもしれないこの本について。ちなみに私はジュンク堂で普通に買いました。
内容は、山本勝という人間がプロレスラー・山本小鉄となり、2008年(本刊が出版された当時)まで生き抜いてきた中で得た多くの人生訓をぎっしり押し込めたものです。ぎっしり、といっても1時間ほどで最初から最後まで読めるような分量、といえば大体想像はつきますでしょうか。
ちなみに私が最初に買った小鉄本『人間爆弾発言』と比べると、語り口は随分と穏やかなものです。なんと言うか、『人間爆弾発言』は新日本の鬼軍曹度爆発大噴火な内容なのに対し、こちらは人間・山本小鉄の講演会といった内容なのです。
そのため、私たちのような一般人でも構えることなくスッと受け入れられるし、明日から使えるような心構えとか、そういったものをたくさん得ることが出来ます。
さしあたって私が強く感動したのは、「頼まれたら断るな」ということ。
それは小鉄さんがまだまだデビュー前の若手だった頃。当時はリングの設営とか、そういった雑用が終われば後はフリーだったので、大好きなビールを飲んでいい感じで会場に戻ったところ、当初リングに上がる予定だった先輩レスラーが都合で出られなくなり、
「お前、出ろ」
と言われたのだそうです。
普通なら、「えっ、ちょっと……」と躊躇するところですが、小鉄さんは即決。こうしていきなりやってきたチャンスをガッチリ物にして、初のマットを踏んだのでした(ハヤブサさんも同じような経緯でデビューしたと聞いたことがあります)。
ここから小鉄さんが得たことは、「頼まれるということは、それだけ信用されているんだから、せっかくやってきたチャンスをみすみす捨てるような真似はするな」ということ。残業だ休日出勤だと言われてウンザリしている時は、このエピソードを思い出せば、俄然やる気も出てくるというものです(今日とか)。
あとは、幼少期のエピソードですね。
山本家はとにかく子沢山で、10人も兄弟姉妹がいたのだそうです。かといって特別に裕福だったわけでもなく、小学校高学年にもなれば、自分の食費や服のお金くらいは自分で何とかしなければならず、新聞配達やら何やらで駆け回ったそうですが、さすが! と思ったのは、そのことを別に誇るでもなく、
「ずっとそういうものだと思っていたから、別につらいとは感じなかった」
ということ。
どんな環境でも、こう思えれば無敵です。ともすれば社会が悪い、政府が悪い、生まれが悪い、天気が悪い……とにかく自分以外の何かのせいにして、ひどい時には殺し合いにまで発展することもしばしばありますが、まず現実をちゃんと受け止めること。そして、その中で少しでも環境をよくしようとして努力をすること。そうすれば少しずつ変わってくる……「環境は、自分しか変えられない」という結論です。
さしあたって私も私の家もあまり収入が多くないのですが(苦笑)、そのことを必要以上に落ち込む必要はないんだ、と思いました。たくさんお金を持っていても満たされない人は満たされないし、そうじゃなくてもこうして力強く生きていけるのだ。そんな風に思いました。
*
あとは、若手時代の失敗談苦労談、盟友(だった)アントニオ猪木をはじめとする当時のプロレスラーへの思い、そして鬼軍曹としての指導要領。とにかく山本小鉄という人の厳しさと、その内側にあるまじめさ、熱さ、そして優しさをたっぷり感じられる一冊でした。昔死亡事故があった某ヨットスクールの教官のように、ただ厳しくして自分は煙草を吹かす……そんなことでは誰もついて来ないのです。自分にも弟子にも厳しいからこそ、最後の最後まで小鉄さんは慕われ続けたのです。
今回の訃報は、本当にがっくり来ました。正直なところ、三沢さんの事故の一報を聞いた時よりも、さらにがっくり来ました。会社じゃなかったらその場で泣いていたかもしれません。
でも、まあ、ようやくゆっくり長い休みを取れるようになったのかな、と思います。10年間病院で過ごした祖父を見送った時も同じようなことを思いましたが、そんな気がします。
ともかく、お疲れ様でした。私はただの一般人ですが、この本を何度も読み返して、強く生きられるようがんばりたいと思います。
とにかく、いつぐらいからなのか……今ひとつ、いつもとは違った日々でした。
現実的にはどうということのない、いつも通りの日なのですが、気持ちがね。
ひとつは、先日買ってもらったPS3で『龍が如く3』をやっていたから。
言わずと知れた血と札束が乱舞する暴力(そして義理人情)ゲームです。
そしてもうひとつは、『獣の奏者』を読んでいたから。
どちらも犬神にとっては、非日常の世界。そしてどちらも物語の中で自分の生死、そしてもっと大きな大きな、たくさんの人たちの未来をかけた戦いが繰り広げられていたのでした。
現実的にはどうということのない、いつも通りの日なのですが、気持ちがね。
ひとつは、先日買ってもらったPS3で『龍が如く3』をやっていたから。
言わずと知れた血と札束が乱舞する暴力(そして義理人情)ゲームです。
そしてもうひとつは、『獣の奏者』を読んでいたから。
どちらも犬神にとっては、非日常の世界。そしてどちらも物語の中で自分の生死、そしてもっと大きな大きな、たくさんの人たちの未来をかけた戦いが繰り広げられていたのでした。
『闘蛇編』から直結したストーリーで、進んでいくこの『王獣編』は、幼い頃からエリンに飼いならされてきた『リラン』という王獣(でかい鳥みたいなもの……王国の権威の象徴として、畏れ敬われている)の物語です。
通常、この世界では『王獣』というのは、決して人になつかない……というのが常識でした。情を持って接しても、逆に鋭い爪で切り裂かれてしまう。それは王国の中枢にいる人たちから遠く離れた獣医学校(みたいなもの)の子どもたちまで、誰もが信じて疑わないことでした。
エリンはその常識を知らず、自分が感じたことを素直に試し、その結果を積み重ねて王獣と心を通わせる……どころか、かなりの精度で意思の疎通が出来るようになってしまったのですが、そうなるとコレを政治に利用する者が出てきます。圧倒的な軍事力を持ってすれば、王の権威はより絶対的なものになる、ってね。
気ままに獣たちと心を通わせ、自然を感じてのびのびと生きる。権力者がそれをエリンに許さなかったのでした。このあたり、否応なく大きなビジネスに巻き込まれる桐生さん(『龍が如く3』の主人公)を思い出します。
暴力ゲームとファンタジー小説。まったく違う世界で、このふたつを同時進行で進める人はこの世に何人もいないでしょうが、両方を並べて見ているうちに、なんというか……
「誰が正しいのか」
「誰の言葉を信じればいいのか」
まったくわからなくなって、もう、すごくつらい気持ちになってしまったのでした。
でも、目をそらすわけには行かない。
誰も信じられなくても、エリンと桐生さんだけは、信じていたから。どういう結果になろうと、主人公がどういう判断を下し、どういう結果を迎えたかだけは、きちんと見届けたい。
その一心で本を読み終え、ゲームをやり終えたのでした。
あまり本を読まなくなったせいか、こういった文章を書くのがちょっと苦手になりました。うまく中身を説明すること、自分の感想を書くことが出来ないのです。
あるいは、この物語が大きすぎて、私の手には負えないのかもしれません。ある程度主人公の精神が出来上がった状態から始まる『守り人』シリーズと違って、主人公の成長物語もあるので、余計に感情を揺さぶられた……ということもあるかもしれません。
ゲームの方は、まあ、置いといて。
久々にものすごい、心にどどんと響く本を読んだ。そんな気がしました。やっぱり上橋先生の物語は、私は大好きです。それだけは断言できます。
*
ところで、物語的には一区切りしていますが、本はこのあとも刊行されています。
もしも「全4巻かよ、ちょっとキチィな」と思う方がいらっしゃったら、とりあえず1巻と2巻だけ読んでみて、そのあともしも興味があったら3巻、4巻と手にとるというのでいいと思います。
通常、この世界では『王獣』というのは、決して人になつかない……というのが常識でした。情を持って接しても、逆に鋭い爪で切り裂かれてしまう。それは王国の中枢にいる人たちから遠く離れた獣医学校(みたいなもの)の子どもたちまで、誰もが信じて疑わないことでした。
エリンはその常識を知らず、自分が感じたことを素直に試し、その結果を積み重ねて王獣と心を通わせる……どころか、かなりの精度で意思の疎通が出来るようになってしまったのですが、そうなるとコレを政治に利用する者が出てきます。圧倒的な軍事力を持ってすれば、王の権威はより絶対的なものになる、ってね。
気ままに獣たちと心を通わせ、自然を感じてのびのびと生きる。権力者がそれをエリンに許さなかったのでした。このあたり、否応なく大きなビジネスに巻き込まれる桐生さん(『龍が如く3』の主人公)を思い出します。
暴力ゲームとファンタジー小説。まったく違う世界で、このふたつを同時進行で進める人はこの世に何人もいないでしょうが、両方を並べて見ているうちに、なんというか……
「誰が正しいのか」
「誰の言葉を信じればいいのか」
まったくわからなくなって、もう、すごくつらい気持ちになってしまったのでした。
でも、目をそらすわけには行かない。
誰も信じられなくても、エリンと桐生さんだけは、信じていたから。どういう結果になろうと、主人公がどういう判断を下し、どういう結果を迎えたかだけは、きちんと見届けたい。
その一心で本を読み終え、ゲームをやり終えたのでした。
あまり本を読まなくなったせいか、こういった文章を書くのがちょっと苦手になりました。うまく中身を説明すること、自分の感想を書くことが出来ないのです。
あるいは、この物語が大きすぎて、私の手には負えないのかもしれません。ある程度主人公の精神が出来上がった状態から始まる『守り人』シリーズと違って、主人公の成長物語もあるので、余計に感情を揺さぶられた……ということもあるかもしれません。
ゲームの方は、まあ、置いといて。
久々にものすごい、心にどどんと響く本を読んだ。そんな気がしました。やっぱり上橋先生の物語は、私は大好きです。それだけは断言できます。
*
ところで、物語的には一区切りしていますが、本はこのあとも刊行されています。
もしも「全4巻かよ、ちょっとキチィな」と思う方がいらっしゃったら、とりあえず1巻と2巻だけ読んでみて、そのあともしも興味があったら3巻、4巻と手にとるというのでいいと思います。
追記を閉じる▲
児童文学を評するにあたり、「大人の鑑賞にも堪えうる」という決まり文句がありますが、私はこの言葉が大嫌いです。
なんと言うか、上から目線と言うか……「本来、自分はこんな子ども向けの話なんてバカバカしくて読まないんだけど、これはそういった知識人、常識人、インテリゲンチャな目線から見ても結構面白いと思うよエヘン」とかって遠藤周作みたいな眼鏡をかけてネスカフェゴールドブレンドを片手に語っているようなイメージなんですよね。
もちろんこれは、犬神のものすごい偏見と言うか、妄想というか、冗談ですが。というか犬神自身も大学生の頃は、まあ本を読んでそのレポート(感想ではなく)を書かなければいけない、という立場上、そうしなければいけないと思って、実際にそういったスタンスで文章を書いていたのですが。
でも、今はただ読んで楽しめばよろしい。だとしたらこっち側の世界から見るんじゃなくて、物語の世界に飛び込んでいって、必要なら29歳の自分を10代の自分に置き換えて、出来るだけ物語の中の世界に自分を合わせ、満喫することが出来る立場になったので、今回の『獣の奏者』も、一気に読み終えることが出来たように思います。
なんと言うか、上から目線と言うか……「本来、自分はこんな子ども向けの話なんてバカバカしくて読まないんだけど、これはそういった知識人、常識人、インテリゲンチャな目線から見ても結構面白いと思うよエヘン」とかって遠藤周作みたいな眼鏡をかけてネスカフェゴールドブレンドを片手に語っているようなイメージなんですよね。
もちろんこれは、犬神のものすごい偏見と言うか、妄想というか、冗談ですが。というか犬神自身も大学生の頃は、まあ本を読んでそのレポート(感想ではなく)を書かなければいけない、という立場上、そうしなければいけないと思って、実際にそういったスタンスで文章を書いていたのですが。
でも、今はただ読んで楽しめばよろしい。だとしたらこっち側の世界から見るんじゃなくて、物語の世界に飛び込んでいって、必要なら29歳の自分を10代の自分に置き換えて、出来るだけ物語の中の世界に自分を合わせ、満喫することが出来る立場になったので、今回の『獣の奏者』も、一気に読み終えることが出来たように思います。
元々、上橋先生の物語はいわゆる『守り人シリーズ』……いっぱいあるのです……これを大学生の頃に読んで、それ以来ずっとファンでして。もうすぐ年齢的にも追いついてしまうアラサー(当時はこういう言葉はありませんでしたが)女用心棒・バルサに憧れ、原作・アニメ・漫画と一通り読むくらい好きなのです。
なので今回もかなり期待して本を開きました。
そして、ものすごい情熱を持って、一気に読んでしまいました。
あまり小難しいことは書けません。とりあえず感想だけザックリ書きます。
全4巻のうち、この『闘蛇編』ではエリンの幼年期から物語が始まります。エリンの母・ソヨンは村で『闘蛇』という巨大攻性生物(ってパンツァードラグーンかよ)を飼育する立場にありました。幼い頃からその様子をずっと見続け、自分も同じように闘蛇を育てる職業に就きたいと思っていたのですが……
……ある時、その闘蛇が大量に死んでしまいます。そしてその責を問われ、ソヨンは処刑されてしまい、エリンも色々あって村を飛び出し、様々な人々と触れ合いつつ眠れる才能を開花させていく……そして、そのことで村どころか国中を大きく揺るがすことになる……といった話です。
ソヨンというと私は『龍が如く2』を連想してしまいますが、まあアレはよく調べたらスヨンでしたね。もちろんまったくの無関係ですが、何となくそういった名前が似ていることも、ちょっと親しみやすい要因のひとつでした。
あとは、エリンは優れた才能をもっているのですが、成長とともに身につけていく技術のほとんどは、才能と言うよりは地道な積み重ねなんですよね。
闘蛇、それに『王獣』と呼ばれる攻性生物(本編ではこういう言い方はしていません)、さらには野を飛び回るミツバチと触れ合う時でさえ、「なぜ?」「どうして?」という疑問をもち、それをとことん突き詰めていく。科学者のような気質なのです。
そしてそれを、私たちに明快な理論で語ってくれるのです。餓狼伝の磯村露風ばりに言えば『これは神秘な力でもなんでもないよ』といったところです。
その一方で、単なる夢物語に終わらせないのが上橋先生らしいところでして。
科学的な立場からすれば、エリンの考え方や、体験を通じて得た事実は、とても正しいことなのですが……それは社会的な常識を根こそぎひっくり返すような、いわばコペルニクスやガリレオの唱えた地動説のようなトンデモナイ事柄だったのですね。
それでなくてもエリンとその母・ソヨンは『霧の民』と呼ばれる、そうでない人たちからは気味悪がられる放浪の民。どこに行っても、そういった視線を向けられます。
自分だったらどう思うかな。自分だったら、どうしてるかな。
そう考えながら本を読み、エリンの聡明さに目を開かされ、純粋さに胸をドンドン打たれるのでした。
現在は第2巻『王獣編』を読んでいますが、事態は少しずつ政治的な要素を帯び始めています。詳細は読み終えてから、また書きたいと思います。
なので今回もかなり期待して本を開きました。
そして、ものすごい情熱を持って、一気に読んでしまいました。
あまり小難しいことは書けません。とりあえず感想だけザックリ書きます。
全4巻のうち、この『闘蛇編』ではエリンの幼年期から物語が始まります。エリンの母・ソヨンは村で『闘蛇』という巨大攻性生物(ってパンツァードラグーンかよ)を飼育する立場にありました。幼い頃からその様子をずっと見続け、自分も同じように闘蛇を育てる職業に就きたいと思っていたのですが……
……ある時、その闘蛇が大量に死んでしまいます。そしてその責を問われ、ソヨンは処刑されてしまい、エリンも色々あって村を飛び出し、様々な人々と触れ合いつつ眠れる才能を開花させていく……そして、そのことで村どころか国中を大きく揺るがすことになる……といった話です。
ソヨンというと私は『龍が如く2』を連想してしまいますが、まあアレはよく調べたらスヨンでしたね。もちろんまったくの無関係ですが、何となくそういった名前が似ていることも、ちょっと親しみやすい要因のひとつでした。
あとは、エリンは優れた才能をもっているのですが、成長とともに身につけていく技術のほとんどは、才能と言うよりは地道な積み重ねなんですよね。
闘蛇、それに『王獣』と呼ばれる攻性生物(本編ではこういう言い方はしていません)、さらには野を飛び回るミツバチと触れ合う時でさえ、「なぜ?」「どうして?」という疑問をもち、それをとことん突き詰めていく。科学者のような気質なのです。
そしてそれを、私たちに明快な理論で語ってくれるのです。餓狼伝の磯村露風ばりに言えば『これは神秘な力でもなんでもないよ』といったところです。
その一方で、単なる夢物語に終わらせないのが上橋先生らしいところでして。
科学的な立場からすれば、エリンの考え方や、体験を通じて得た事実は、とても正しいことなのですが……それは社会的な常識を根こそぎひっくり返すような、いわばコペルニクスやガリレオの唱えた地動説のようなトンデモナイ事柄だったのですね。
それでなくてもエリンとその母・ソヨンは『霧の民』と呼ばれる、そうでない人たちからは気味悪がられる放浪の民。どこに行っても、そういった視線を向けられます。
自分だったらどう思うかな。自分だったら、どうしてるかな。
そう考えながら本を読み、エリンの聡明さに目を開かされ、純粋さに胸をドンドン打たれるのでした。
現在は第2巻『王獣編』を読んでいますが、事態は少しずつ政治的な要素を帯び始めています。詳細は読み終えてから、また書きたいと思います。
追記を閉じる▲
プライベートと言うか、業務上のめんどくさいことが山積みで、物語を読んで何とか気持ちのバランスを取っているところですが。
昨日は宮澤賢治の『蛙のゴム靴』『シグナルとシグナレス』を読みました。……地元出身の有名作家で、そういうこともあって子どもの頃からその名前や代表作のタイトル、さらには記念館にも年に1度くらい足を運ぶようなファンでありながら、今までほとんど触れたことがなかったボケナスだったのです。
『蛙のゴム靴』は、3匹の雄蛙(と、1匹の雌蛙)がゴム靴をめぐって小さないさかいを繰り広げる短編です。
評論家の人、批評家の人であれば、一言一句を取り上げてその意味合いと言うか、何かを見出すのでしょうが、犬神にはそこまでわかりません。ただ素直に「随分と意地の悪いことをするものだ」と思ったり、「ああ、もうダメだもう終わってしまった」と思ったり、そうでもなかったり。
とにかく、まあ、感情的にはとてもドキドキワクワクしたので、よかったです。
『シグナルとシグナレス』は、東北本線の新式信号機『シグナル(男)』と、岩手軽便鉄道の旧式信号機『シグナレス(女)』の淡い恋愛物語です。
これもまたwikipediaを読めばなんだかんだと書いてありますが、私はこれまた単純に深窓の令嬢(※)のような繊細なシグナレスに胸をときめかせ、すぐに返事をもらわないと勝手に絶望して「雷に打たれて死んでしまいたい、消えてしまいたい」と嘆く、妙にせっかちなシグナルに笑いました。
もっとも、ふたりの恋はそう簡単に成就するものではありません。後見人を自称する古参の電信柱は身分の違うふたりが結ばれることに反対しています。果たしてこの恋はかなうのかどうなのか。すごく気持ちのいいファンタジー短編でした。
本来アニメとか、そういったものをもっと見なければいけないのですが、残業で時間が取れないこともあって、なかなかそうはいかないのがつらいところ。ならばせめて、インターネット上で物語を読んで、少しでも感情のバランスを取るべきか。
(※ そういう言葉があるのは、知らないわけではありませんでしたが、実際に使いこなしているのを『四畳半神話大系』で見て、つい使いたくなったので使いました)
昨日は宮澤賢治の『蛙のゴム靴』『シグナルとシグナレス』を読みました。……地元出身の有名作家で、そういうこともあって子どもの頃からその名前や代表作のタイトル、さらには記念館にも年に1度くらい足を運ぶようなファンでありながら、今までほとんど触れたことがなかったボケナスだったのです。
『蛙のゴム靴』は、3匹の雄蛙(と、1匹の雌蛙)がゴム靴をめぐって小さないさかいを繰り広げる短編です。
評論家の人、批評家の人であれば、一言一句を取り上げてその意味合いと言うか、何かを見出すのでしょうが、犬神にはそこまでわかりません。ただ素直に「随分と意地の悪いことをするものだ」と思ったり、「ああ、もうダメだもう終わってしまった」と思ったり、そうでもなかったり。
とにかく、まあ、感情的にはとてもドキドキワクワクしたので、よかったです。
『シグナルとシグナレス』は、東北本線の新式信号機『シグナル(男)』と、岩手軽便鉄道の旧式信号機『シグナレス(女)』の淡い恋愛物語です。
これもまたwikipediaを読めばなんだかんだと書いてありますが、私はこれまた単純に深窓の令嬢(※)のような繊細なシグナレスに胸をときめかせ、すぐに返事をもらわないと勝手に絶望して「雷に打たれて死んでしまいたい、消えてしまいたい」と嘆く、妙にせっかちなシグナルに笑いました。
もっとも、ふたりの恋はそう簡単に成就するものではありません。後見人を自称する古参の電信柱は身分の違うふたりが結ばれることに反対しています。果たしてこの恋はかなうのかどうなのか。すごく気持ちのいいファンタジー短編でした。
本来アニメとか、そういったものをもっと見なければいけないのですが、残業で時間が取れないこともあって、なかなかそうはいかないのがつらいところ。ならばせめて、インターネット上で物語を読んで、少しでも感情のバランスを取るべきか。
(※ そういう言葉があるのは、知らないわけではありませんでしたが、実際に使いこなしているのを『四畳半神話大系』で見て、つい使いたくなったので使いました)
坂口安吾の『白痴』(新潮文庫)を手に取ったのは、高校2年生のときでした。
古本屋だか古本市だかで見つけた色あせてボロい文庫版で、古い時代の装丁だから味気なく明朝体で『白痴 坂口安吾』と書いているだけで。
その頃は犬神もそれなりに自分のアイデンティティを模索していた時期で、身の回りの人々は煙草を吸ったりパチスロに行ったり万引き行為をしたり(発覚、停学処分に)して世間に反抗、「自分なり」を満喫していたのですが、私はそういった古い文学、一般の人が眉をひそめそうな文学を読んでやろうと思ったのが、きっかけでした。
そんな偏屈街道へ向けて駆け出した犬神にとっては、うってつけのタイトルでした。
携帯でもPCでも一発で変換できない、させないようにしている? この言葉。なんともたまらない響きです。
夏休み前の三者面談で、担任の女教師に向けて、自信満々に、
「最近は、坂口安吾とかを読んでますね……」
などと言ってやったのも、よく覚えています。
もっとも、その後フンと鼻で笑われて、「ああ、いかにもって感じだね。高校生らしいよね……」と言われたのは心外でした。あれ? そういうリアクションなの? というのが正直な感想。
実際、読んだことは読んだものの、犬神の当時の読解力ではその20パーセントほども理解できていなかったように思います。ただ「読んだ」という事実だけ。
そして、ある意味それで十分だったのかもしれません。
「おれはライトノベルなんかじゃ満足できない。やっぱり文学だね。坂口安吾とか、そういったものを読まないとイカンよ」
つって、そういう「読んだ」という事実だけを身につけてね。
で、今、29歳になって読み返してみると……
なるほど、コレは面白い。
当時はただ、ひとりの男がひとりの白痴女と出会い、暮らす物語である、といった程度の認識しか出来なかったのですが、主人公の思想や何やといったものをひとつひとつ読み解いていくと、恋に落ちるでもなく愛を深めるでもない、なんとも言いようのない不思議な心地よさを感じました。
まあ、私は評論家ではないし、文学オタクにすらなりそこなった「普通の人」ですから、あんまり難しいことは言えません。
でも、これは面白い。こうして読み返すきっかけにもなったから、当時この本を手に取ったことは無駄ではなかったと、当時の自分にちょっとだけ感謝したい気持ちです。
古本屋だか古本市だかで見つけた色あせてボロい文庫版で、古い時代の装丁だから味気なく明朝体で『白痴 坂口安吾』と書いているだけで。
その頃は犬神もそれなりに自分のアイデンティティを模索していた時期で、身の回りの人々は煙草を吸ったりパチスロに行ったり万引き行為をしたり(発覚、停学処分に)して世間に反抗、「自分なり」を満喫していたのですが、私はそういった古い文学、一般の人が眉をひそめそうな文学を読んでやろうと思ったのが、きっかけでした。
そんな偏屈街道へ向けて駆け出した犬神にとっては、うってつけのタイトルでした。
携帯でもPCでも一発で変換できない、させないようにしている? この言葉。なんともたまらない響きです。
夏休み前の三者面談で、担任の女教師に向けて、自信満々に、
「最近は、坂口安吾とかを読んでますね……」
などと言ってやったのも、よく覚えています。
もっとも、その後フンと鼻で笑われて、「ああ、いかにもって感じだね。高校生らしいよね……」と言われたのは心外でした。あれ? そういうリアクションなの? というのが正直な感想。
実際、読んだことは読んだものの、犬神の当時の読解力ではその20パーセントほども理解できていなかったように思います。ただ「読んだ」という事実だけ。
そして、ある意味それで十分だったのかもしれません。
「おれはライトノベルなんかじゃ満足できない。やっぱり文学だね。坂口安吾とか、そういったものを読まないとイカンよ」
つって、そういう「読んだ」という事実だけを身につけてね。
で、今、29歳になって読み返してみると……
なるほど、コレは面白い。
当時はただ、ひとりの男がひとりの白痴女と出会い、暮らす物語である、といった程度の認識しか出来なかったのですが、主人公の思想や何やといったものをひとつひとつ読み解いていくと、恋に落ちるでもなく愛を深めるでもない、なんとも言いようのない不思議な心地よさを感じました。
まあ、私は評論家ではないし、文学オタクにすらなりそこなった「普通の人」ですから、あんまり難しいことは言えません。
でも、これは面白い。こうして読み返すきっかけにもなったから、当時この本を手に取ったことは無駄ではなかったと、当時の自分にちょっとだけ感謝したい気持ちです。
時間が遅いので簡単な記事になってしまいますが、森見登美彦先生の『四畳半神話大系』を読んで、再びあの頃(2002~2003年)のような文学オタクになりつつある犬神です。
そのころと言うのは英米文学科所属ということで当然ですが、毎日本を読んではレポートを書くと言う日々。読む能力も書く能力も激しく鍛え上げられたのでした。……読む方はともかく書く方はどうなのよ? というのは私の日々の記事を読めば、誰しもが当然疑問を抱くとは思いますが。……思いますが!(なぜか強気)
さしあたって今日は残業を申し渡されたので、その腹いせの意味もこめて12年前にも一度読んだ坂口安吾の『白痴』を、さらに当時は読んだことのなかった『堕落論』を、そして大学に入ってからようやく読んだ『少女地獄』『瓶詰の地獄』を、ついでに時々読み返していた太宰治の『美男子と煙草』を……すべて青空文庫で読了。
そのため業務中ではあったものの、「小説を読む合間に仕事をする」というような状況に(?)。
で、それだけでは飽き足らず、amazonなどで面白そうな本を探してメモしたり、手持ちの文庫本の最後に載っているほかの本の広告などを読み、貪欲に読書の幅を広げるべく画策しているところです。
若者の活字離れとかと言う話も聞きますが、私はこれでなかなか活字大好き人間。うまいご飯をおなかいっぱい食べるように、面白い物語はガツガツとむさぼりたいのです。
そのきっかけを与えてくれた『四畳半神話大系』。いずれきちんと感想を書いて、自分のものとして定着させたいと思います。そのために従来は『黒豹』シリーズしか入れられなかった(笑)カテゴリも修正しました。
これを読んで、誰かがその本を知るきっかけ、読むきっかけになれば、それはもちろんこの上なく嬉しいのですが……まあ、そうでなければ、それはそれでいいです。とりあえず私が読んだ記録、読んだ感想が、きちんと整理できると言う意味合いもあるのでね。
そのころと言うのは英米文学科所属ということで当然ですが、毎日本を読んではレポートを書くと言う日々。読む能力も書く能力も激しく鍛え上げられたのでした。……読む方はともかく書く方はどうなのよ? というのは私の日々の記事を読めば、誰しもが当然疑問を抱くとは思いますが。……思いますが!(なぜか強気)
さしあたって今日は残業を申し渡されたので、その腹いせの意味もこめて12年前にも一度読んだ坂口安吾の『白痴』を、さらに当時は読んだことのなかった『堕落論』を、そして大学に入ってからようやく読んだ『少女地獄』『瓶詰の地獄』を、ついでに時々読み返していた太宰治の『美男子と煙草』を……すべて青空文庫で読了。
そのため業務中ではあったものの、「小説を読む合間に仕事をする」というような状況に(?)。
で、それだけでは飽き足らず、amazonなどで面白そうな本を探してメモしたり、手持ちの文庫本の最後に載っているほかの本の広告などを読み、貪欲に読書の幅を広げるべく画策しているところです。
若者の活字離れとかと言う話も聞きますが、私はこれでなかなか活字大好き人間。うまいご飯をおなかいっぱい食べるように、面白い物語はガツガツとむさぼりたいのです。
そのきっかけを与えてくれた『四畳半神話大系』。いずれきちんと感想を書いて、自分のものとして定着させたいと思います。そのために従来は『黒豹』シリーズしか入れられなかった(笑)カテゴリも修正しました。
これを読んで、誰かがその本を知るきっかけ、読むきっかけになれば、それはもちろんこの上なく嬉しいのですが……まあ、そうでなければ、それはそれでいいです。とりあえず私が読んだ記録、読んだ感想が、きちんと整理できると言う意味合いもあるのでね。
いつも通りの、とはいったものの、黒豹の(人間とは思えない)戦闘能力は従来作品よりもパワーアップしています。どれくらいかというと、色々なものが入り乱れすぎて、どんな描写なんだか全然わからないくらい。
とりあえず日本に帰ってきた黒豹は、秘書・高浜沙霧とともにアマゾン奥地にある悪の組織V/Nの基地へと飛びます。この時、いつのまにか倉脇首相はDC-8旅客機を経費で購入し、改良の上黒豹専用機として与えています。操縦も自分でやるのですが、ぶっつけ本番で自転車から宇宙船まで操縦できる黒木にとっては(マニュアルさえ事前に読めば)造作もないことだからOKです。
しかしながら、中篇で大騒ぎした月の知的生命体が、ここでもまた登場します。それは前回、あっさり見捨てた科学者三十数名を含めた地球の悪の軍団を全滅させたということ、そしてもしもまた月を攻めてきたら今度は地球全体に総攻撃を加える、という最後通牒だったのでした(しかも、日本語で!)。
これに対して黒木は「自分が組織を壊滅させるから、全面攻撃は待ってくれ」と(日本語で)返信。それに対する返事はありませんでしたが、まあ、黒木ならどうにかなるのでしょう。あと、チャイナ・シンドロームに関する問題も「コーネフ博士が何とかしてくれるでしょう」と、サラリと触れて後はほとんど出てきません。はっきり言ってそれどころではないのです(黒豹のバトルシーンを書きたい門田先生が……たぶん)。
DC8でアメリカに渡ると、そこで涙ながらに大統領がV・N掃討を依頼してきます。さらにそのための秘密兵器(発射すると3方向に分裂し、その先で手榴弾15個分の爆発が発生する、らしい『クロス・ファイヤー』なる兵器です)をもらい、ステルス・グライダーを操縦してアマゾンの奥地へ降り立つふたり……。
ここから大体150ページくらいを費やして、ジャングルにおける戦闘が繰り広げられるのですが、その描写がとてもすさまじいのです。
ジャングルの中で大勢の兵士を相手に応戦するのはいつも通りなのですが、戦いの最中にも猿、大蛇、ジャガーなども入り乱れて、何がなんだかよくわからない激闘ぶり。私の読解力が足りないのか、精神力が足りないのか。兵士に向かって銃を乱射していたかと思うと、いきなり大蛇が黒木の左肩を強打し、もんどりうって倒れた時に銃弾が木の上で怯えていた猿の脳髄を砕き、ジャガーが咆哮を上げ、食らいつこうとした大蛇の頭にベレッタの銃弾を撃ちこんだ頃、敵が音を立てないようにしながら撤退する……。
何を言ってるのかわからないと思いますが、わずか数ページにこんな感じのアクションが詰め込まれているので、私も具体的にどういう状況になっているのかよくわかりません。わかるのはとにかく、「黒豹スゴイ」ということくらいなのでした。
あとは奥地に住む原住民たちと身振り手振り、あとは地面に書いた絵を使ってのコミュニケーションを経て、敵の秘密基地に乗り込むふたり。黒豹がここに乗り込むことを事前に察知していた悪の組織のボスはすでにここにはいなかったのですが、とりあえず合衆国に照準を合わせているICBMの発射装置を破壊するべく例の秘密兵器クロス・ファイヤーで徹底的に破壊し尽くす黒豹、そしてそれをサポートする沙霧。
そして第二十三章『一輪の花が散りて……』で黒豹の、そして門田先生自身のテンションはまさにフォルテッシモに達します。
大腿部、わき腹、鎖骨の貫通銃創から鮮血をほとばしらせ、さらに目とか鼻とか口からも血を流し、半裸になって62式機関銃を乱射する黒豹は、『黒豹皆殺し』で白瀬明日香を殺された時よりもさらに激しく、読んでいて思わず吹き出してしまうほど凄絶なものです。「沙霧イイイイイッ」と絶叫しながら撃ちまくる黒豹には、恐らくジョン・ランボーさえも悲鳴をあげて逃げ出してしまうに違いありません。その姿を想像するたびに私は笑いをこらえるのに必死になってしまいます。笑うところじゃないんだけどなあ。
と、書きたいだけ書き尽くした後は、非常にあっさりした幕切れとなります。一応、地球爆発の危機についても「たぶん、大丈夫だろう」とフォローされていますが、悪の大ボスは結局のところ取り逃がしてしまったので、なんだかバッドエンドな感じです(まあ、このあと、全7冊もの大長編『黒豹ダブルダウン』へと続いていくのですが……)。
最後に、一通り振り返ってみると、中篇あたりから門田先生のテンションがおかしくなり始めたような気がします。いや、確かに前編の、宇宙からのメッセージを受信したくだりから変な感じはしていたのですが、トンデモない盛り上がり(一般的には『暴走』とも)を見せ始めるのは、やはり中篇でしょうね。そしてかなり乱暴で強引な叩き込みの展開を見せる後編。ひたすら黒豹の血まみれの凄絶さだけを書き殴った構想4年、原稿用紙1600枚と言う『一大叙事詩』。ようやく読了しました。
wikipediaで『ランボー 怒りの脱出』が、ベトナム戦争で味わったアメリカ人の喪失感を癒すファンタジーである、と語られたように。またある方が『黒豹伝説』のレビューで、失われた理想的な日本を描いたファンタジーであると語られたように。荒唐無稽、支離滅裂、奇想天外、……まじめな小説を読みなれた人からしてみればゴミクズ同然のものだとしても、素直に私は黒豹は強いと思うし、かっこいいとも思います。
もしもこんな男が日本にいたら、と思ってもしまいます。
そういうわけなので、とにかく一冊、手にとってみてください。あ、でも初期の方は割とまじめなので、個人的には『黒豹伝説』『黒豹皆殺し』『黒豹キルガン』あたりから読み始められることをお勧めします。もちろんいきなりこの『黒豹スペースコンバット』から読み始めても大いに楽しめることとは思います。
とりあえず日本に帰ってきた黒豹は、秘書・高浜沙霧とともにアマゾン奥地にある悪の組織V/Nの基地へと飛びます。この時、いつのまにか倉脇首相はDC-8旅客機を経費で購入し、改良の上黒豹専用機として与えています。操縦も自分でやるのですが、ぶっつけ本番で自転車から宇宙船まで操縦できる黒木にとっては(マニュアルさえ事前に読めば)造作もないことだからOKです。
しかしながら、中篇で大騒ぎした月の知的生命体が、ここでもまた登場します。それは前回、あっさり見捨てた科学者三十数名を含めた地球の悪の軍団を全滅させたということ、そしてもしもまた月を攻めてきたら今度は地球全体に総攻撃を加える、という最後通牒だったのでした(しかも、日本語で!)。
これに対して黒木は「自分が組織を壊滅させるから、全面攻撃は待ってくれ」と(日本語で)返信。それに対する返事はありませんでしたが、まあ、黒木ならどうにかなるのでしょう。あと、チャイナ・シンドロームに関する問題も「コーネフ博士が何とかしてくれるでしょう」と、サラリと触れて後はほとんど出てきません。はっきり言ってそれどころではないのです(黒豹のバトルシーンを書きたい門田先生が……たぶん)。
DC8でアメリカに渡ると、そこで涙ながらに大統領がV・N掃討を依頼してきます。さらにそのための秘密兵器(発射すると3方向に分裂し、その先で手榴弾15個分の爆発が発生する、らしい『クロス・ファイヤー』なる兵器です)をもらい、ステルス・グライダーを操縦してアマゾンの奥地へ降り立つふたり……。
ここから大体150ページくらいを費やして、ジャングルにおける戦闘が繰り広げられるのですが、その描写がとてもすさまじいのです。
ジャングルの中で大勢の兵士を相手に応戦するのはいつも通りなのですが、戦いの最中にも猿、大蛇、ジャガーなども入り乱れて、何がなんだかよくわからない激闘ぶり。私の読解力が足りないのか、精神力が足りないのか。兵士に向かって銃を乱射していたかと思うと、いきなり大蛇が黒木の左肩を強打し、もんどりうって倒れた時に銃弾が木の上で怯えていた猿の脳髄を砕き、ジャガーが咆哮を上げ、食らいつこうとした大蛇の頭にベレッタの銃弾を撃ちこんだ頃、敵が音を立てないようにしながら撤退する……。
何を言ってるのかわからないと思いますが、わずか数ページにこんな感じのアクションが詰め込まれているので、私も具体的にどういう状況になっているのかよくわかりません。わかるのはとにかく、「黒豹スゴイ」ということくらいなのでした。
あとは奥地に住む原住民たちと身振り手振り、あとは地面に書いた絵を使ってのコミュニケーションを経て、敵の秘密基地に乗り込むふたり。黒豹がここに乗り込むことを事前に察知していた悪の組織のボスはすでにここにはいなかったのですが、とりあえず合衆国に照準を合わせているICBMの発射装置を破壊するべく例の秘密兵器クロス・ファイヤーで徹底的に破壊し尽くす黒豹、そしてそれをサポートする沙霧。
そして第二十三章『一輪の花が散りて……』で黒豹の、そして門田先生自身のテンションはまさにフォルテッシモに達します。
大腿部、わき腹、鎖骨の貫通銃創から鮮血をほとばしらせ、さらに目とか鼻とか口からも血を流し、半裸になって62式機関銃を乱射する黒豹は、『黒豹皆殺し』で白瀬明日香を殺された時よりもさらに激しく、読んでいて思わず吹き出してしまうほど凄絶なものです。「沙霧イイイイイッ」と絶叫しながら撃ちまくる黒豹には、恐らくジョン・ランボーさえも悲鳴をあげて逃げ出してしまうに違いありません。その姿を想像するたびに私は笑いをこらえるのに必死になってしまいます。笑うところじゃないんだけどなあ。
と、書きたいだけ書き尽くした後は、非常にあっさりした幕切れとなります。一応、地球爆発の危機についても「たぶん、大丈夫だろう」とフォローされていますが、悪の大ボスは結局のところ取り逃がしてしまったので、なんだかバッドエンドな感じです(まあ、このあと、全7冊もの大長編『黒豹ダブルダウン』へと続いていくのですが……)。
最後に、一通り振り返ってみると、中篇あたりから門田先生のテンションがおかしくなり始めたような気がします。いや、確かに前編の、宇宙からのメッセージを受信したくだりから変な感じはしていたのですが、トンデモない盛り上がり(一般的には『暴走』とも)を見せ始めるのは、やはり中篇でしょうね。そしてかなり乱暴で強引な叩き込みの展開を見せる後編。ひたすら黒豹の血まみれの凄絶さだけを書き殴った構想4年、原稿用紙1600枚と言う『一大叙事詩』。ようやく読了しました。
wikipediaで『ランボー 怒りの脱出』が、ベトナム戦争で味わったアメリカ人の喪失感を癒すファンタジーである、と語られたように。またある方が『黒豹伝説』のレビューで、失われた理想的な日本を描いたファンタジーであると語られたように。荒唐無稽、支離滅裂、奇想天外、……まじめな小説を読みなれた人からしてみればゴミクズ同然のものだとしても、素直に私は黒豹は強いと思うし、かっこいいとも思います。
もしもこんな男が日本にいたら、と思ってもしまいます。
そういうわけなので、とにかく一冊、手にとってみてください。あ、でも初期の方は割とまじめなので、個人的には『黒豹伝説』『黒豹皆殺し』『黒豹キルガン』あたりから読み始められることをお勧めします。もちろんいきなりこの『黒豹スペースコンバット』から読み始めても大いに楽しめることとは思います。
はい、じゃあ、続きを。
直前まで悪の組織からの妨害を受けながらも無理やり気味に飛び立ったロケットに乗って、黒豹は月を目指して飛びます。
その間も地球上では、重要人物が暗殺されたりなんだりと、別行動を取っている秘書の高浜沙霧の活躍はあるのですが、宇宙空間におけるかつてないほどの激闘の前ではかすんでしまいます。
まず、最初に襲ってくるのは謎のICBMですが、黒豹は宇宙服にベレッタを持ち、宇宙空間に飛び出してドンドンドンッと9ミリ弾を発射します。もちろんただの9ミリ弾ではなく、防衛庁の秘密最新技術によって作られた秒速30キロで飛んでいく特殊徹甲弾なので、アッサリ撃破してしまいます。『ポリスノーツ』では反動で吹っ飛ばされていましたが、たぶんそこも防衛庁の秘密最新技術でリフトガンに改造されているのでしょう。あとはもう、私たちの知っているものとは別な物理法則が働いている世界なのだと思うしかありません。
しかしながら、黒豹の激闘はまた続きます。今度は未確認飛行物体が宇宙船を襲います。
この宇宙船は「シャッ」と音を立てて、紫色の、なぜか見てからかわせるレーザーを発射してきました。真空中なのに? 大丈夫です、そのあたりは門田先生自身が地の文で突っ込みを入れていますから。そして光線でも熱線でもいいんですが、それを見てからかわしたニュータイプ・黒豹はまたもや拳銃を発射、これを撃墜してしまいます。
もっとも、このあと不用意に船外に飛び出した愛知はそんな能力もないのであっさり熱線で殺害されてしまいます(章タイトルはそのものズバリ「愛知卓三暗黒界に死す」です)。今にして思えばわざわざ愛知が船外に行く理由はなく、黒木と博士を生還させるために殺させた、という門田先生の思惑が見え隠れするような気もしますが、まあこの際それは置いといて、と。
月には地球中から連れてこられた科学者たちがいましたが、コーネフ博士だけにしか興味のない黒豹は、博士の居場所を聞いたらあとは「じっとしていろ」と言い、あからさまに彼らを見捨てて救出します。そして月の先住民族(!)と戦っている悪の組織の構成員を次々と射殺した後、月から脱出しようとします。
ところがここでまた問題が発生します。この月着陸船は1人乗りなので、どちらかが月に残らなければならない。そうなると、もちろん黒木は自分が残るというのですが、そうかといってコーネフ博士もいきなり月着陸船を操作して司令船とドッキングせよ、なんて無理な話。当然ながらそれを渋るのですが、
黒木は、
「泣き言を行っている場合ではありません」
といって強引に説得? を試みます。
泣き言とか甘っちょろいこととかではなくて、当然の主張だと思うのですが、ICBMにもUFOにも勝てる「世界最強の男」にこんな風にすごまれてはいたし方ありますまい。
しかしながら、博士が「自転車にも乗れない」というと、なぜか急に黒木は態度を軟化させ、「仕方がない」といって、結局2人で月から脱出します。……黒木の中では「自転車に乗れれば、月着陸船も操作できる」という公式でもあるのでしょうか。というか、定員1名のところに2名乗るリスクよりも、素人のコーネフ博士に操作させるリスクの方が大きい気がするのですが……。
まあ、とにかく。
その後は大小さまざまなトラブルに遭いながらも、何とか黒木は北海道沖に着水しますが、その影には未確認飛行物体のサポートがありました(プラターズの「オンリー・ユー」を無線に流して来る、など)。信頼できるのは黒木だけだ、だから「オンリー・ユー」をメッセージとして送ったのだ、と地の文では語っていますが、それでプラターズ?……よくわかりませんが、とにかくそんな感じで怒涛のアマゾン激闘編へと突入します。
たぶん、SF的なトンデモなさが一番凝縮されているのが、この中編なのだろうと思います。文中ではいつもの口調で「実は宇宙人は地球に来ていた」とか何とかと語られていて、中には信じてしまう人もいるんじゃなかろうかと危惧してしまいます。
それでなくても、流星が火の粉を撒き散らしながら宇宙空間を飛んだり、ドンドンドンッと拳銃を撃ったり、私のようなド素人でも「ん?」と思うような要素が満載。ストーリィよりもそのトンデモなさを味わいたいのであれば、この中編からいきなり読んでみるのも一興かもしれません。
では最後に、この中編全体を象徴するような愛知卓三の言葉を。
「凄いですねぇ、宇宙は」
……凄い……ですねぇ、本当に……。
直前まで悪の組織からの妨害を受けながらも無理やり気味に飛び立ったロケットに乗って、黒豹は月を目指して飛びます。
その間も地球上では、重要人物が暗殺されたりなんだりと、別行動を取っている秘書の高浜沙霧の活躍はあるのですが、宇宙空間におけるかつてないほどの激闘の前ではかすんでしまいます。
まず、最初に襲ってくるのは謎のICBMですが、黒豹は宇宙服にベレッタを持ち、宇宙空間に飛び出してドンドンドンッと9ミリ弾を発射します。もちろんただの9ミリ弾ではなく、防衛庁の秘密最新技術によって作られた秒速30キロで飛んでいく特殊徹甲弾なので、アッサリ撃破してしまいます。『ポリスノーツ』では反動で吹っ飛ばされていましたが、たぶんそこも防衛庁の秘密最新技術でリフトガンに改造されているのでしょう。あとはもう、私たちの知っているものとは別な物理法則が働いている世界なのだと思うしかありません。
しかしながら、黒豹の激闘はまた続きます。今度は未確認飛行物体が宇宙船を襲います。
この宇宙船は「シャッ」と音を立てて、紫色の、なぜか見てからかわせるレーザーを発射してきました。真空中なのに? 大丈夫です、そのあたりは門田先生自身が地の文で突っ込みを入れていますから。そして光線でも熱線でもいいんですが、それを見てからかわしたニュータイプ・黒豹はまたもや拳銃を発射、これを撃墜してしまいます。
もっとも、このあと不用意に船外に飛び出した愛知はそんな能力もないのであっさり熱線で殺害されてしまいます(章タイトルはそのものズバリ「愛知卓三暗黒界に死す」です)。今にして思えばわざわざ愛知が船外に行く理由はなく、黒木と博士を生還させるために殺させた、という門田先生の思惑が見え隠れするような気もしますが、まあこの際それは置いといて、と。
月には地球中から連れてこられた科学者たちがいましたが、コーネフ博士だけにしか興味のない黒豹は、博士の居場所を聞いたらあとは「じっとしていろ」と言い、あからさまに彼らを見捨てて救出します。そして月の先住民族(!)と戦っている悪の組織の構成員を次々と射殺した後、月から脱出しようとします。
ところがここでまた問題が発生します。この月着陸船は1人乗りなので、どちらかが月に残らなければならない。そうなると、もちろん黒木は自分が残るというのですが、そうかといってコーネフ博士もいきなり月着陸船を操作して司令船とドッキングせよ、なんて無理な話。当然ながらそれを渋るのですが、
黒木は、
「泣き言を行っている場合ではありません」
といって強引に説得? を試みます。
泣き言とか甘っちょろいこととかではなくて、当然の主張だと思うのですが、ICBMにもUFOにも勝てる「世界最強の男」にこんな風にすごまれてはいたし方ありますまい。
しかしながら、博士が「自転車にも乗れない」というと、なぜか急に黒木は態度を軟化させ、「仕方がない」といって、結局2人で月から脱出します。……黒木の中では「自転車に乗れれば、月着陸船も操作できる」という公式でもあるのでしょうか。というか、定員1名のところに2名乗るリスクよりも、素人のコーネフ博士に操作させるリスクの方が大きい気がするのですが……。
まあ、とにかく。
その後は大小さまざまなトラブルに遭いながらも、何とか黒木は北海道沖に着水しますが、その影には未確認飛行物体のサポートがありました(プラターズの「オンリー・ユー」を無線に流して来る、など)。信頼できるのは黒木だけだ、だから「オンリー・ユー」をメッセージとして送ったのだ、と地の文では語っていますが、それでプラターズ?……よくわかりませんが、とにかくそんな感じで怒涛のアマゾン激闘編へと突入します。
たぶん、SF的なトンデモなさが一番凝縮されているのが、この中編なのだろうと思います。文中ではいつもの口調で「実は宇宙人は地球に来ていた」とか何とかと語られていて、中には信じてしまう人もいるんじゃなかろうかと危惧してしまいます。
それでなくても、流星が火の粉を撒き散らしながら宇宙空間を飛んだり、ドンドンドンッと拳銃を撃ったり、私のようなド素人でも「ん?」と思うような要素が満載。ストーリィよりもそのトンデモなさを味わいたいのであれば、この中編からいきなり読んでみるのも一興かもしれません。
では最後に、この中編全体を象徴するような愛知卓三の言葉を。
「凄いですねぇ、宇宙は」
……凄い……ですねぇ、本当に……。
本作は『トンデモ本の世界』で山本弘さんに散々突っ込まれていたので、ご存知の方もたくさんいらっしゃるかとは思いますが、それまでの『黒豹』とは明らかに違う一大SF巨編です。まず、長い。いや、そうではなくて。
一応、上巻・中巻まで読んだので、そこまでの内容とか感想とかを少し。
上巻は、黒豹がパラボラアンテナのテスト中に謎のメッセージを宇宙から受信するところから始まります。
いつものように重要人物が次々と暗殺され、それに応戦してその数倍の人数を射殺、または撲殺しながらそのメッセージを解読すると、何とそれが月から送られていることがわかります。謎のメッセージはわざわざ日本に向けて発せられた科学者・コーネフ博士からのSOSメッセージだったのです。
普通の人ならそんなものは知らなかった振りをするところなのですが、この小説における最高権力者・倉脇首相は「わざわざわが国に助けを求めてくれてるんだから」と、2つしかない国産ロケットを使って月まで博士を助けに行かせることに。政治家とは思えないくらい情に厚いのが特徴なのです。
また、その頃、地球には謎の怪光線が降り注いで大規模な火災や地震が起こるわ、原発が爆発してその火球が地球の中心に向けて時速3キロだか4キロだかで進み始めるわ(チャイナ・シンドロームを参照)で大騒ぎとなっています。なぜ怪光線で大地震が起こるのかまったくわからないですが、とにかくそういうことなんです。作中でもそんな感じでドンドン進んでいきます。これはいつも通りです。
この危機を救えるのはコーネフ博士しかいない。そして博士を助けられるのは、黒豹しかいない。そういうわけでマニュアルをとりあえず読んだ程度で、「あとはコンピュータがすべてやってくれるさ」というノリで黒豹は月へ向かって飛び立ったのでした。この世界におけるコンピュータは、なんでもありなのです。
ちなみに上巻の後半部ではイギリスを代表する「あの」スパイが登場します。改造されたアストンマーチンを颯爽と乗り回し、今でも新作が作られる「あの」スパイです。ただしストーリーにはあんまり絡んで来ないため、山本弘さんがおっしゃっていたように、「ただ会わせたかっただけ」と思われても仕方がない気がします。
そんな感じで、よりいっそう(ヘンな)SF色を濃くしていく中編へとなだれ込むのですが、長くなりそうなのでいったん稿を改めることにしましょう。
一応、上巻・中巻まで読んだので、そこまでの内容とか感想とかを少し。
上巻は、黒豹がパラボラアンテナのテスト中に謎のメッセージを宇宙から受信するところから始まります。
いつものように重要人物が次々と暗殺され、それに応戦してその数倍の人数を射殺、または撲殺しながらそのメッセージを解読すると、何とそれが月から送られていることがわかります。謎のメッセージはわざわざ日本に向けて発せられた科学者・コーネフ博士からのSOSメッセージだったのです。
普通の人ならそんなものは知らなかった振りをするところなのですが、この小説における最高権力者・倉脇首相は「わざわざわが国に助けを求めてくれてるんだから」と、2つしかない国産ロケットを使って月まで博士を助けに行かせることに。政治家とは思えないくらい情に厚いのが特徴なのです。
また、その頃、地球には謎の怪光線が降り注いで大規模な火災や地震が起こるわ、原発が爆発してその火球が地球の中心に向けて時速3キロだか4キロだかで進み始めるわ(チャイナ・シンドロームを参照)で大騒ぎとなっています。なぜ怪光線で大地震が起こるのかまったくわからないですが、とにかくそういうことなんです。作中でもそんな感じでドンドン進んでいきます。これはいつも通りです。
この危機を救えるのはコーネフ博士しかいない。そして博士を助けられるのは、黒豹しかいない。そういうわけでマニュアルをとりあえず読んだ程度で、「あとはコンピュータがすべてやってくれるさ」というノリで黒豹は月へ向かって飛び立ったのでした。この世界におけるコンピュータは、なんでもありなのです。
ちなみに上巻の後半部ではイギリスを代表する「あの」スパイが登場します。改造されたアストンマーチンを颯爽と乗り回し、今でも新作が作られる「あの」スパイです。ただしストーリーにはあんまり絡んで来ないため、山本弘さんがおっしゃっていたように、「ただ会わせたかっただけ」と思われても仕方がない気がします。
そんな感じで、よりいっそう(ヘンな)SF色を濃くしていく中編へとなだれ込むのですが、長くなりそうなのでいったん稿を改めることにしましょう。
最近の楽しみ方? は、物語を書いている時の門田先生自身の思想を想像すること。わざとなのか本気なのか知りませんが、地の文とか登場人物の言葉とかに仮託して、門田先生自身が日ごろ思っていることをぶちまけているように見受けられる『黒豹』シリーズなのですが、この頃はなにか女性関係でフラストレーションがたまっていたのでしょうか。やたらとまぐわうシーンが多いような気がします。
思わず笑ってしまったのは、戦闘ヘリの操縦席で秘書の高浜沙霧とまぐわっていたこと。何もそんなところでしなくても……。
まあ、そういう部分だけではなく、全体的に女性キャラが活躍する場面が多いような気がするのが今作のような気がします。黒豹もいつものように一方的に(大腿部やわき腹を貫通したり、こめかみのところをかすってもんどりうって倒れこむことはあっても)CIAなりKGBなりその他悪の組織を阿修羅の如く撃ちまくるだけではなく、割とピンチに陥ります。そんな時に枯れをサポートするのが秘書の沙霧なのですが、その様子が特に生き生きとかかれている気がします(次が「さらば黒豹」かな)。
あとは、本作の最重要ヒロインであり、後々まで黒豹のこころに残り続ける女性『白瀬明日香』も出てきます。元々心臓が弱くて、心臓移植を受けるためにアメリカの病院に渡るのですが……。
元々、女子供にはとても優しく、それゆえにそういった人たちが犠牲になると通常よりも割増で怒り狂う黒豹ですが、本作での怒りッぷりはまさに最高潮。個人的感情で次々と悪人をぶっ飛ばし、悪人なのかそうじゃないのかあいまいな人も容赦なく殴り飛ばします。とにかく今回の黒豹は、いつもの強さに加えて情念の炎が燃え上がっているのです(注・褒めてます)。
せっかく機首に30ミリ機関砲がついているのにわざわざ身体を外にさらしてサブマシンガンを撃ったり、それで相手の武装ヘリのパイロットが倒されたり、海底戦車なるびっくりどっきりメカが出てきたり、今回もトンデモないネタには事欠かない『黒豹皆殺し』。400ページ以上の長編ではありますが、グイグイ読めるのでブックオフで見かけたらぜひどうぞ。
思わず笑ってしまったのは、戦闘ヘリの操縦席で秘書の高浜沙霧とまぐわっていたこと。何もそんなところでしなくても……。
まあ、そういう部分だけではなく、全体的に女性キャラが活躍する場面が多いような気がするのが今作のような気がします。黒豹もいつものように一方的に(大腿部やわき腹を貫通したり、こめかみのところをかすってもんどりうって倒れこむことはあっても)CIAなりKGBなりその他悪の組織を阿修羅の如く撃ちまくるだけではなく、割とピンチに陥ります。そんな時に枯れをサポートするのが秘書の沙霧なのですが、その様子が特に生き生きとかかれている気がします(次が「さらば黒豹」かな)。
あとは、本作の最重要ヒロインであり、後々まで黒豹のこころに残り続ける女性『白瀬明日香』も出てきます。元々心臓が弱くて、心臓移植を受けるためにアメリカの病院に渡るのですが……。
元々、女子供にはとても優しく、それゆえにそういった人たちが犠牲になると通常よりも割増で怒り狂う黒豹ですが、本作での怒りッぷりはまさに最高潮。個人的感情で次々と悪人をぶっ飛ばし、悪人なのかそうじゃないのかあいまいな人も容赦なく殴り飛ばします。とにかく今回の黒豹は、いつもの強さに加えて情念の炎が燃え上がっているのです(注・褒めてます)。
せっかく機首に30ミリ機関砲がついているのにわざわざ身体を外にさらしてサブマシンガンを撃ったり、それで相手の武装ヘリのパイロットが倒されたり、海底戦車なるびっくりどっきりメカが出てきたり、今回もトンデモないネタには事欠かない『黒豹皆殺し』。400ページ以上の長編ではありますが、グイグイ読めるのでブックオフで見かけたらぜひどうぞ。