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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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こんばんは

 何とか今日もやり過ごしました

 高杉です(いまいちではありますが)。


 ある程度元気だから、少年漫画のシーンに元気をもらえるんですよ。

 例えば、これ。

 

 私もやっぱり男性なのだと思うのは、こういうシーンを見て奮い立つときです。たとい何かといえば異世界に転生して云々する昨今の若人でも、この宮下あきら先生の爆裂漢気イラストに奮い立たないことはないと思います。きっとそうだと信じています。

 もちろんこれは多分に昭和的な根性論精神論の世界であるとは思います(そもそも男塾という漫画自体が、そういう世界観ですし)。

 現実世界の例でいえば、とある武道団体の創立者は門下生にキックボクシング形式の試合をさせ、自らレフェリーを買って出たのですが、どちらか一方がダウンしても決して10カウント負けをさせなかったのだといいます。どういうことかといえば、

 「セブン、エイト、ナイン、ナイン、ナイン……」

 というわけで、立つまで半永久的に9カウントまでしか進まないんですね。だからその団体の門下生は心身ともに鍛え上げられたと言っていますから、指導者も門下生もすごいものだと思います。


 でも、それにしたってやっぱり、ある程度のスタミナが必要なんです。一定以下のスタミナしかなくて、朝になって目が覚めたものの「起き上がるのも面倒くさい」原因不明の倦怠感に苦しんでいるような人に、気合いだ気合いだと言ったって、無理なんですよ。

 ええ、私がそうでした。

 本当に、これまでの人生で体験したことがない種類の倦怠感を覚えて。朝、すっごくつらかったんです。まともにご飯も食べられないから、カロリーメイトで何とかごまかして。

 それで、最近よくテレビCMでもうたっている、「眠っている間に体力を回復する栄養ドリンク」を就寝前に服用したところ、なるほど、確かにある程度元気になりました。朝ごはんはついにエナジードリンクだけになりましたが、それでも一日どうにか切り抜けました。そして今、このブログを書いているところです。


 今まで精神的な理由で体調不良になることは何度もありましたが……今は、必ずしも、そういうわけではありませんよね。全国的に寒暖差が激しいし、これまで北東北の気候帯で生まれ育ってきた私が初めてやってきた南東北の気候帯に慣れられなくて、少々苦しんでいる。そんな要素もあるかもしれません。

 ともかく明日は一日お休みをいただきました。どこかに出かけるとかではなく、全力をもって休みたいと思います。そして休み明けに控えている試験を突破し、何とか7月以降もこの街で生きていけるよう願って、今日のこのブログを締めくくりたいと思います。

 毎日何かと気候の変動が激しくて、体調を崩しがちのところでありますから、本当に皆様に申し上げます。体調を崩されませんようご自愛ください。今回は真面目にそうお祈りしつつ締めくくります。

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こんばんは
 
 来た、見た、良かった
 
 高杉です。
 
 
 今日はどこへ行こうか、決めたきっかけはオートバイに先行して持ってきた「ツーリングマップル2020」でした。
 
 これ、面白いんですよね。明確に「どこそこに行きたい」という目的があるのなら今風のナビゲーションシステムが便利ですけど、「車で〇〇分くらいのところ」とか「海が見たい」とかって漠然とした動機の時、地図を眺めていると色々な想像がわいてくるから、「じゃあ今日はここに行こう」みたいな気持ちが作れるんですよね。宮城県〇〇市に、行ってらっしゃい! って所さんみたいなモーションで。
 
 加えて「ツーリングマップル」ならではの面白さというのは、執筆者が実際に現地を走り回っているからこそのインプレッションがあるんですよね。道路事情とか景色とかについて、ああだこうだとコメントがあるから、「この道を走ってみたいな」っていう理由で飛び出したこともあります。まぁそれはオートバイの時に限りますけど、とにかく私にとっては観光ガイドよりもツーリングマップルの方が、旅行計画を練るには適している気がします。
 
 そんななかで「オヤ!」と興味を引いたのが、岩沼市にある「千年希望の丘」というところでした。国家百年のナントカって言葉がありますが、千年ですよ千年。ミレニアムみたいで素敵じゃないですか。どんなところなんだろう見てみたいな。
 
 というわけで、そこをきっかけに亘理町、そのあとは引き返して名取市と、震災と復興に関する情報を見るためのツアーをやってきた次第です。ちなみに今回は第二回です。一回目は石巻市でした。
 
 話が長くなるので、今日は事実のみを書きます。そのうえで一言だけ感想を付け加えるならば、いずれの都市も(石巻市も含めて)震災のさいには甚大な被害をこうむったけれど、そこから確実に復興の道のりを歩み続け、今は新しい時代を切り開いて進んでいこうとしているのかな、という印象でした。特に名取市閖上地区の「かわまちてらす閖上」なんかは、もうオサレすぎて私のような風采の上がらないオッサンにはまぶしすぎるくらいでした。平日にもかかわらず多くの人たちでにぎわっているようで何よりです。
 
 今回はあくまで1回目ですからね。それほど極端に遠いところにあるわけでもないし。オートバイを持ってきたら、何度だって足を運びたいと思います。そんなわけで、今日は以上とさせていただきます。

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こんばんは

 どうやら疲れているみたいです

 高杉です。


 かつて新日本プロレスのエース・棚橋弘至さんは「生まれてから一度も疲れたことありあせん」と豪語しておりましたが(最近はちょっとわかりませんが)、私は疲れました。

 うん、疲れました。

 「もしかして、おれは疲れているのかな」と、ずっと感じてはいましたが、今日あえて自分で認めます。疲れているんです。心もそうですけど、体が。

 いわゆる「体が思うように動かない」とか「気持ちについてこない」とか、そういうやつです。あるいは体がちゃんとしてないから、心も引きずられて重ったるくなっちゃう、と言ってもいいです。

 それでも無理やり気持ちを奮い立たせようとするから、なんか自転車に乗っている時ちょうどいいギアよりも2段くらい低いところで漕いでいる感じで、空回りして変に疲れてしまうし仕事の方もあんまりはかばかしくないし。

 そんなわけで一週間ぶりにタバコを吸ってみました。お酒も飲んでみました。それでもたいして元気にならないので、これはきっと体が疲れているのだと結論付けることにした次第です。


 何せこのところ、寒暖差がとてつもなく激しかったですからね。昨日は15度だったのに今日は30度で、明日はまた18度……つって、10度単位で上がったり下がったりして。実際にわが社でも体調不良で欠勤する人が続出していました。私もまた、休んでもちゃんと疲れが取れないし。

 これはやはり、明日の休日はスーパー銭湯にでも行って、フィジカルな癒しを求めなければいけないかもしれません。残念ながらこれは徒歩・自転車ないしは電車で行ける場所にはありませんから(地下鉄の定期券区間でって意味です)、車を出さざるを得ませんが、仕方ありません。6月は正念場ですから。ここで何とかならなければ、乾坤一擲のビッグチャレンジは水泡に帰してしまいます。

 というわけで、今日は休みです。今日って、この記事を書いている時点では明日ですが、6月1日の午前零時に公開される予定なのでね。全力で体を癒して、心も復調するよう、やっていきたいと思います。

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こんばんは

 今日も皆様、お疲れさまでした

 高杉です。


 4月1日から新天地に活路を求め、もう2か月が経ちました。40歳の新人研修もいよいよ最終フェーズに入り、いよいよ18年に及ぶ社会人生活で得た(ことになっている)私自身の真価が問われようとしています。

 それでもお酒……はともかく(?)、タバコもクスリもやめて、何とか頑張って生きていこうとしている私。どうやら今のところ順調らしいです。

 そんなこんなでアワアワしながら仕事を終えて、満員電車に揺られて降り立った駅で、ふっと思ったんですよね。

 「ああ、落ち着くなあ」

 ってね。


 私のアパートの最寄り駅は『旭ヶ丘駅』といいます。そう、サザエさん一家が住んでいる街と同じ読み方の街です。そして私が住んでいるアパートの住所は「旭丘堤」……ま、ちょっと違いますが、そういう場所です。行政区分上はけっこー大きく異なりますが、物理的には車一台すれ違うのがやっとという道路を挟んだだけであり、どちらにしても歩いて10分圏内のエリアです。

 そう、今は憧れの「電車通勤」をしているんです。それも「地下鉄」。

 ん? なんで憧れかって?

 え~え~知らざあ言って聞かせやしょう! 私が生まれて育ってついこないだまでいた場所っていうのは、「バスが来る良くて1時間に1本」「最寄りのバス停まで歩いて10分15分」ってぇ場所だったんですよ。そして市街中心部まで「何もなければ」30分であって、交通渋滞云々かんぬんで45分50分とかって遅延したところで、「ま、そんなもんだよね」で済ませてしまうような、ある意味のどかな場所だったんです。

 そういう場所に住まう人間にとって、よほどのことがない限り時間通りにやってくる――たとい自分が予定している列車が目の前で走り去ったとしても、数分以内に次の列車がやってくる――地下鉄というのは、私のライフスタイルに強力な影響を与えてくれる、いわば「時計」そのものと言ってもいいくらい素晴らしいものなんです。

 「〇時〇分の電車に乗るために、〇時×分に家を出ればいいな。……万が一それに乗れなくても、次は〇時△分の電車があるから、まあ大体〇時×分でいいだろう」

 って感じで。ともすれば無秩序の極みに陥り衛星軌道を外れて無限の宇宙へ飛び出していきかねない私の生活にビシッと秩序を与えてくれるんです。


 ……ちょっと余計な話をしすぎました。また元に戻ります。

 
 そんな地下鉄「旭ヶ丘駅」に激務を終えて再び降り立った時、「妙にホッとした」という話なんですが。

 この街に来て2か月と少々、いよいよ「この街が、自分にとってのホームと思えるようになってきたのかな」と、そんな気がした。今日のブログで何を言いたいのかといえば、つまり、そういうことなんです。

 見るもの聞くものすべてが新鮮だった時代を経て、ようやく、この街が「新天地」から「自分にとってのホーム」になってきたのかな。そんなことがちょっと嬉しくて、今日のブログを書きました。

 いっぱい書きたいことがあって、まとまりがない内容になってしまった気もしますが、それはそれで素直に「ごめんなさい」。ただ、とりあえずナチュラルに温かい気持ちになったので、それを記録するために今日のブログを書きました。以ッ上!(厚切りジェイソンさん風シメ)。

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こんにちは

 書ける時に書きます

 高杉です。


 皆様もあまり見かけることはないかもしれません。また、なければない方がいいと言えるかもしれません。私も久しぶりに見かけました。

 何を?

 横断歩道の端っこに供えられた花です。タンポポなどのような野の花とは明らかに違った雰囲気を放つ花。野花立に仕込まれた花。しおれて枯れてなお異彩を放つ花。

 頭の奥がシンと冷えるような感じがしました。車を運転していて、信号待ちで止まった時に見たので、信号が青に変わったらまた走り出しましたが、少し考えました。


 あの花は、誰が供えたのだろう。そして、誰のために、供えたのだろう。


 花が供えられた場所で過去に何があったのか。それはわかります。

 でも、県道22号線は誰のものでもありません。その出来事の当事者も、きちんと手続きを経てしかるべき場所で眠っているはずです。「私はそこにいません」って、泉下で抗議しているかもしれません。

 そのうえで、私のような、かつて起こった出来事に1ミリもかかわりのない他人中の他人が、こういう気持ちになる。それが役割だというのなら、確かに意味のあるものでしょう。改めて、交通事故ゼロへの願いを、そして、そのために自分が果たすべき役割――事故を起こさない、起こさせない――を確認した一日だったのでした。

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おはようございます

 何度も繰り返されてきたこと

 高杉です。


 もうやめようと思ってもやめられないのが、このブログであり、私が生きることです。

 斉藤朱夏の歌ではありませんが、もう無理動けないと思っても、また走りだしてしまうのです。

 同じようなことで悩み、同じようなことで落ち込み、同じように気づいて、同じように立ち上がる。

 過去に書いた日記とかブログとかを読み返すと、「なんだ、〇年前にも同じようなことを経験しているじゃないか」と気づくことが年に数回あります。

 結局過去から何も学ばない、といえばそうでしょう。笑いたければ笑うがいいさってやつです。でも私は、そうやって気づくことができただけ儲けものだと思うんです。たとい、また同じようなことで膝をついてしまうことがあるにせよ、気づいた分だけ――ほんの少しでも、前に進めたわけですから。

 差し当たって昨日のことを回収します。考えてみれば私はもう、まともに生きることを放棄したはずです。薬を止められ以前のような常軌を逸した精神状態に持っていくことはできませんが、私はアグレッションに対して、「だからどうした」と開き直って生きる選択をしました。そういうことで、やっぱり「女性なのにすごい」とか「外国人なのに日本語が上手」とか、そういう感情が起こったら素直にそれを認めることにします。

 ただ、そういうのが気になる人がいる世の中だということは、承知し、「思っても声に出さない」ようにします。その事実だけを書いて、この話題は終わりにします。

  *

 話題を変えます。

 昨晩弟者から、岩手県一戸町にあるショッピングセンターのおもちゃ屋さんが閉店した、という話を聞きました。

 私の記憶にあるのは、ガンダムのプラモデルを探しに足を運んだことと、放送終了直後の『スイートプリキュア』のぬいぐるみを獲得したことですが、ブログを検索すると、確かにその時の記事がありました。

http://videogames.blog.shinobi.jp/Date/20120202/

 じつに、もう10年も前の話になります。そのことが、記憶だけでなく記録として残っていることが、嬉しくなってしまいました。

 だからこの記事も今から10年後、アラフォーどころかアラフィフになった私が読み返して、もう一度生きてみようと思うかもしれない――そう思って、書きました。これからも、そんな感じで書きたいと思います。

 世の中がどうなっても、私は私。私以外私じゃないの。そういう歌がありましたね。うまく締まりませんが、とにかく高杉ボヤキ日記予定終了でございます(まさかの人生幸朗・生恵幸子オチ)。

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こんばんは

 何とか2か月、頑張ってきました

 高杉です。


 ブログをあまり更新しなくなったのは、いくつか言い訳があります。

 シンプルに言えば気持ちに余裕がないから。ついでに言えば生活費にも余裕がないから。家計に余裕を持たせるためには固定費を削減するのがいいということで、差し当たって通信費とかを削減するための実証実験、すなわち「意識的にテザリングを減らせば、毎月の通信量も減って、もっと安い料金プランにできるんじゃないか計画」を実行しているから。あとは最近再び始めた図書館通いで、魅力的な本がたくさんあって、それを読むのに忙しいから……。

 そして、今日の河北新報の夕刊で、「ガーンと頭を頭をぶんなぐられたような」(byジャイアン)衝撃を受けたのが、「マイクロアグレッション」に関する記事でした。

 私もまた、心の中でマイクロアグレッションを他人に対して行ってきたことに、気づかされたのです。「女だてらに」とか「外国人なのに日本語が上手ですね」とか、そんなことを何度も思いました。心の中で。もうすぐ41年になろうかという人生の中で。おそらく何億回も。そして、それがゆえに心をときめかせてきたことも、同じくらいたくさんありました。

 そういうの、ダメなんですね。わかりました。気を付けます。

 でも……私はそんな世の中で、とても生きられない気がします。大体それがダメだって言ったら『八重の桜』も『おんな城主直虎』もドラマとして成立しない気がするんです。どちらも「女性なのにすごい」というところが物語の一番の魅力だと思うので。

 でも、そうじゃないんでしょうね。世の中の流れがね。

 だから私はもう、この世界では生きていけないのかもしれない。そう思いました。


 旨く気持ちを取り戻せたら、また戻ってきます。もし、うまく……だったら、『サヨウナラ!』

 (一ノ瀬泰造さん風シメ)

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おはようございます

 毎週火曜日更新

 高杉です(そうとは限りません)。


 私も一応たしたみとしてTwitterというやつをやっているのですが、よくよくこれは気を付けなければならないと思いました。思ったことをつぶやくのが本来なのかもしれませんが、それがデジタルな形で永久に残るというのは、なかなか大変なことです。

 このブログだって、酔いに任せて変なことを書き散らかしたことが、特にここ数年チラホラありますからね。つくづく気を付けなければなりません。って、そんな固いブログでもありませんがね。

 大切なのは品性。さもないことでも、きちんとした文章で書かなければ。そう心がけて、今日久しぶりに記事を書きます。


 私もこの街に来て、もうすぐ2か月になります。

 以前、青森にいた時代であれば、まあ月に1度か2度かそれ以上のペースで実家に帰っていましたが、今はまるっきり帰っていません。青森の中でも実家に近いエリア(十和田市)だったから、というのもあるのですが、岩手と宮城、盛岡と仙台は、物理的な距離以上に遠い気がします。

 いくつか要素はあると思いますが、ひとつには、「北東北」から「南東北」に来た、という意識があるから、だと思います。

 これは別に五畿七道とか令制国制度に基づいて区分けされたわけではなく、え~と……すみません、今だって別に、はっきりとした定義があるわけではないと思います(Wikipediaに項目はありますけど)。

 ただ、たとえば観光関係のキャンペーンでは、そういう「北東北3県合同キャンペーン」みたいなものをやっていましたから、私も何となく、そういうものなのかなと思って過ごしておりました。

 あとは個人的な見解ですけど、やっぱり「仙台コンプレックス」みたいなものも、あるんじゃないですかね。私はありました。

 盛岡も結構な都会だし、やっぱり自分が生まれ育った風土だから心地よいものがあります。それでも、たとえば有名な歌手が全国ツアーやります! ってなった時に、東京から仙台まで北上して、そこから一気に札幌まで飛んで行ってしまった時とかに、「ああ、やっぱり盛岡はこんなものか……」と、がっくりしてしまうのです。

 だから岩手県だけじゃなく、青森県・秋田県と手を組んで岩青秋三国同盟を組み、仙台コンプレックスを払しょくしようと頑張っていたのです。ちょうどホテルに転職したこともありましたしね。偏狭で閉鎖的な人間関係にはすっかり疲弊してしまいましたが、「どんなところでも見方を変えればいいところ」という理念が出来上がりました。


 そんな私ですから、「隣の県に引っ越した」ということ以上に「北東北から南東北」、もっと言えば東ベルリンから西ベルリンへ……って、別に県境にコンクリートの壁があるわけではありませんが、ある意味ちょっとした外国に来たような気分なのです。

 外国という言葉がちょっとピンと来ないのであれば、外つ国から中つ国へ、といっても構いません。なに、もっとピンと来ない? 今の言葉でいう畿内を中つ国といい、それ以外の国を外つ国と言ったのです。つまり、私にとって仙台というのは、そのくらい特別なイメージを持った場所で……いや、「がいつこく」じゃないよ! 「とつくに」ですから!

 そろそろまとめます。最初の方にも書きましたが、杜の都・仙台市にやってきてから、もうすぐ2か月になります。故郷を離れて暮らす不安はありますが、それを忘れさせてくれるくらい、仙台市というのは素敵な街です。電車で10分の中心地に行けばにぎやかさにクラクラしてしまいますし、うちの近所まで来れば巨大な森林公園と閑静な住宅街。よく言われるように「ちょうどいい度合の都会」なんです。

 何よりもうれしかったのが、コレですよコレ。もう今日は、このことを書くために延々と1時間以上かけて文章を練っていたんですから。


 Liella!はライブでも仙台に来てくれたし。この街で伊達ちゃんといえばサンドウィッチマンの伊達みきおさんですが、いいでしょう、伊達さゆりも伊達ちゃんと呼びます。いつかLiella!のライブを見に行ける日が来るまで、私はこの街で頑張ります!!!

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こんにちは

 もうすぐ、こんばんは

 高杉です。


 今日は掃除にお洗濯、9時過ぎにはエアコンの修理のために業者が来訪。それからコインランドリーに行ってシーツや何やといった大物をまとめて乾燥機に放り込み……と雑用を済ませた後、電車で街中に出かけました。目的地は「図書館」でした。

 仙台市はいくつかの行政区にわかれていることもあって、図書館がいっぱいあります(7か所もあれば私にとっては「いっぱい」です)。その中でも、どうやら一番大きそうだということで、仙台市役所など行政の中心地っぽい地下鉄南北線の勾当台公園駅から歩いて5分程度のところにある『せんだいメディアテーク』内の市民図書館に行ったのでした。

 建物も凝ってるし、中の蔵書量も相当なものです。初めてだったので館内ルールがわからず、アラームを鳴らして小騒動を起こしてしまいましたが、ずっとずっと読みたかった森雅裕『マンハッタン英雄未満』と浮谷東次郎『がむしゃら1500キロ』があったので、喜びもひとしおです。澁澤龍彦の本が何冊もあったりして、今度はもっとゆっくり見に行こうっと。

 
 なお、この図書館がある『せんだいメディアテーク』という建物は、なかなか凝ったというか、非常に前衛的なというか。一般的な建物のように梁があって柱があって……というのではなくて、なんか1階からず~っといくつもの鉄骨が伸びていて、それが各フロアを支えている、らしいです(Wikipediaによる)。

 私の中で図書館といえば、昔の盛岡市立図書館のような、コンクリートむき出しで少し薄暗い建物(それはものすごい量の本があるから、というのもあるでしょうが)のイメージだったのですが、これは超絶スタイリッシュです。花丸ちゃんもきっと「未来ずら!」と言ってくれるでしょう。私は言ってしまいました。

 じつに9年ぶりに、図書館通いの日々が再開しそうです。お金がなくても大好きな本を読みまくれる幸せを味わい、自分の心をいやしたり高めたりしてあげたい。目指せ年間100冊オーバー! いや大事なのは量じゃないって、それはわかってますよ。でも、年末に振り返ったらそのくらい読んでいた……と言えるくらい、夢中で本を読む生活が送れたらいいなあ。

 本はあります。あとは、読むか読まないか。あなた次第!(今日は都市伝説のひと風オチ)。

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こんばんは

 これでも植物とか育ててます

 高杉です。



 2021年10月。前職である青森県十和田市のホテルが一番忙しい時期、すなわち精神的にもっとも厳しい時期でした。具体的にどうだったかってことを、わざわざ改めて書くことはしませんが、一番厳しい時間であったと思います。突発的にカーッとなって……というわけではなく、色々なことを考えてやってみてダメだったから「もうだめだ、おしまいだ」と力なくうなだれて「その選択」を――一度実行に移せば、もう二度と戻れない選択を――する直前まで行きました。

 そんな時期に、「植物でも育ててみれば、少しは気持ちが和らぐかな」と思って買ったのが、この「アロマティカス」というものでした。

 青森時代から1か月ちょっとの実家生活を経て仙台へ。ずっと一緒に暮らしてきましたが、仙台に引っ越してきたある日、アクシデントがあって……ひょろ長く成長したアロマティカスの上にモノを落として、そのほとんどをへし折ってしまったのです。

 慌てて、折れた先端を土に突き刺して蘇生を試みましたが、「無駄なあがきだ」と思って、全部捨てました。そして半年かけて育てたアロマティカスは壊滅状態に陥ってしまいました。

 「いつだってオレは途中でダメにしちまう……
  くだらない男さ……」

 って、『ジョジョの奇妙な冒険』のアバッキオのようにクサッてしまうかというと、そうはいきませんでした。


 なぜなら。私は以前の私のように、絶望することができなかったからです。

 めちゃめちゃになったアロマティカスの鉢をよく見ると、それまで何もなかったところからモコモコッと葉っぱが出てきたのを見ていたからです。

 「一度ダメになっても、まだ生きているなら、もう一度よみがえるはずだ」

 そんな希望がつぶれなかったからです。自分の理性が何を言おうが、うるせーコノヤローとばかりに激烈反発。

 「とにかく自分もこの街で生きていかなくちゃいけないだ、だから一緒に頑張って」

 そう思って毎日毎日様子を見ていたら、なかなかどうして。毎日びっくりするぐらい力強く葉を広げているじゃありませんか。

 

 いまいちわかりづらいかもしれませんが、「この中の、うなだれた奥と手前の2本以外は、すべて折れて土だけの状態だった」のです。確かに何もない土の中から謎の葉っぱが広がり始めていましたが、その時点では果たしてアロマティカスなのかそれ以外の雑草なのか、わかりませんでした。

 土の上の葉っぱがへし折れても、根っこが生きていれば、必ずまた復活する。

 一生懸命育て続けたアロマティカスは、確かに育ち続けましたが、ひょろひょろと細長くて、葉っぱの重さに耐えきれないようなひ弱な植物になりました。それゆえ――とは言いませんが、アクシデントでへし折れて、いったんは壊滅状態になりましたが、今は以前よりも力強く成長しています。

 そこに希望を感じます。4月から始まった私の新生活は、やっぱりこのアロマティカスとともにあるような気がします。毎日の成長を楽しみにしながら、明日も生きていきます。

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こんばんは

 今日は缶チューダー

 高杉です。


 本格的な一人暮らしを始めて1か月と半分。実家暮らしでも寮暮らしでも賄いつきでもなく、掃除洗濯3食全部自分で何とかしなくちゃいけない生活ですから、自然と色々なことをやります。

 薬で気持ちを何とかできない分、日々の生活環境というか水準? を保たないとダメになってしまう! というプレッシャーもあるから、かもしれませんが、帰ってきてすぐテレビを見るとかビールを飲むとか、そういうことはしなくなりました。したくなるけど、まずシャワーを浴びて洗い物があればそれを片付けて、ある程度夜ご飯のめどをつけて、とっ散らかった布団を直して……などなど、思いつく限りの「やらなくちゃいけないこと」を済ませてからお酒を飲み始める。そんな感じで生きています。

 そうすると、まあ人間いい方にも悪い方にも「弾みがつく」とドンドンその方向に驀進していくものですから、アイロンがけひとつとっても「こうした方が早く済むな」とか「こうした方がきれいになるな」とかって、少しずつ上を目指して頑張って、実際に上達した気になって、いい気になってしまうのです。

 別にそれは悪いことじゃないですよね。いつも母親に任せっきりだった家事全般を自分でやって、なおかつそれを楽しむことについて、誰に遠慮がいるものか。そんな感じで少しずつ家事適性が上がっている気がする今日この頃。


 今日はとうとう、会社で食べる昼ご飯を自分で作ってしまいました。せーの、ドン!

 

 ええ、ええ、わかっております。極端にシンプルな弁当です。「弁当を作るんだから早起きしなくちゃ!」と思って早起きして取り掛かったら、ご飯を詰め込んで蓋をするまで含めても10分弱で終わってしまいました。調理工程だってフライパンひとつで溶き卵とか赤いウインナーとかをシャーシャーッと炒めて、包丁でカットして弁当箱に詰め込めばOKです。

 正直、「やろうと思えばだれでもできる」レベルです。今この記事を書きながら見ているテレビ番組『家事ヤロウ!!!』の方が、まだ手が込んでいます。

 今日わざわざこのブログという場を借りて世界中に発表しようと沢田研二さんの『ダーリング』ばりに思ったのは、たぶん人生で初めて『弁当』というやつを作ったからです。そのことを記録として残しておきたかったからです。

 そりゃあ、まあ、弁当「のようなもの」といいますか。たとえば前日の残り物を、実家から持って来たタッパーに詰め込んで、ご飯を用意して、それをカバンに入れて飛び出して出先で食べる……ということを、したことはあります。

 でも「弁当を作ろう、弁当を持っていこう」と思って台所に立ち、「お昼になったらこれを食べよう」ということを考えながらフライパンを振り、「これを食べて午後も頑張ろう」と思っている数時間後の未来の自分を想像しつつ弁当箱に詰め込む……ということをやったのは、今日が初めてです。

 たかがそれだけですが、それがとても嬉しかったのです。まだガキの頃から社会人になった後も(実家から会社に通っていた時代)、いつも弁当を作ってくれた母親の気持ちが、少しだけわかった気がして。「ポンコツでもそれなりに頑張れば、何とか形になるんだ」って気がして。


 千里の道も一歩より。色々な意味で新生活、一発逆転をかけて飛び出した新天地デイズ。飛び出した時には想像だにしなかった地味~なレベルですが……結構、手応えあります。

 「少しずつ強くなる、それがいいんだ」

 そんなリュウ師匠(@『ストIII3rd』時代)の言葉を、年齢的にも近くなった? あるいは追い越した? 今だからこそしみじみとかみしめつつ、このブログを締めくくりたいと思います。今日は割と真面目に締めます。それなりにお酒はたくさん飲んでますけど、本当に大事なこと、いいことを書いたと思うので。

 それでは今日も皆様、お疲れさまでした。明日が皆様にとって良い日でありますように。


 (……これ、今度からブログの定型文にしようかな)

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おはようございます

 今日は久々の早朝ブログです

 高杉です。


 五月病予防のために「寝すぎない」ことが大事だと読み捨てのウェブ記事で読みました。もうそれが何だったのかさえ覚えていないので、この記事も覚えていただかなくて結構です。ただ基本的に、体験に基づいた記事を書くのがこのブログですから、とりあえず私自身のことを書きます。これはインターネットでどれほど検索しても、ここでしか書いていません。

 私は古い人間なので8時間眠るのがちょうどいいと考えています。人によって6時間とか4時間半とかっていう人もいますが、私は8時間がいいです。それより短いと、なんだか心が重たくて、結局ゴロゴロと無駄な時間を過ごすからです。だから私は誰が何と言おうが8時間寝て朝ごはんも食べて、っていうスタイルが体に合っているんです。それでいいんです。

 8時間仕事して、8時間眠って、あとの8時間は? 移動時間とか食事時間とかってやると、おや、ちょうど1日を3分の1ずつ分ける感じになりましたね。そこまでスケジューリングするような生活習慣を目指しているわけではありませんが、たまたま勤務時間と睡眠時間を抜いて残ったのが8時間だった。そういう小さな気づきがあったということです。

 もちろん状況によって8時間どころか10時間とかそれ以上眠ってしまうこともあります。本当は良くないのかもしれませんが、体と心をリフレッシュさせるために必要だとなれば、私はそれをも受け入れてあげたいと思います。

 仙台に来て1か月余り、これまでずっと飲み続けていた薬をもらいたくて病院を予約しようとしても、ことごとく受け入れを拒否され、薬なしで生きていかなくちゃいけないから、そのために何とか……ね。

 元気を出していきましょう。いつかは、こういう時が来るのだから。というか、本当は自分でも望んでいたのですから。「なければなくてもなんとかなる」と言って生きることを。同じようにお酒とかたばことかも控えたいと思って、結局手を出してしまうような日々を繰り返しておりますが、少しずつ減ってきているし。

 時間がかかっても、そこに向かおうとする気持ちがあれば、きっと何とかなります。そう信じています。

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こんばんは

 探偵神宮寺三郎

 高杉です。


 皆様今年のゴルシウィークもといゴールデンウィークはいかがだったでしょうか。久しぶりに行動制限のない大型連休だけに、皆様それぞれレジャーを楽しまれたことと思います。私はそんなの関係ねぇとばかりに、まったく機械的に休みを取り仕事をして酒を飲み悪い奴ほどよく眠るを地で行くような生活を送っていました。黒澤映画は『用心棒』と『椿三十郎』くらいしか見たことがないのですがゴメンナサイ。

 そんな今日いまこの頃は、先日仙台のブックオフで買った降幡愛の『東へ西へ』を聞いています。ブックオフで買った、という時点ですでに申し訳ない感じがしますが、1stと2ndは新品で買ってますし、1stに関しては初回限定のアナログ盤を買っているので、それに免じて許していただきたいと思います。

 初めて聞きましたが、やっぱりすごく素敵です。もとより1stと2ndミニアルバムの時点で「これは『ふりりん』じゃなくて『降幡さん』というべきだな」と驚嘆したバリバリ80'sサウンド&大人ボイスを期待して買ったのですが、バッチリ予想が当たりました。「がんばルビィ」な「ふりりん」の声も好きですが、私は「降幡さん」モードの歌声も大好きです。どっちが本来なのかはわかりませんが、この際欲張りな私は「どっちも」と言わせていただきましょう。中島みゆきだって歌う時とオールナイトニッポンとかで語るときは全然違うし、そういうものですよね。

 昔、仙台のブックオフでは「がんばルビィ」と書かれたピンク色の法被を着た強者を見かけましたが、アノ人はこの大人ふりりんこと降幡さんのことをどう思っているのでしょう。初めてソロアルバムを聞いたときは、

 「すべてのAqoursファンを切り捨てる覚悟で、降幡さんは自分の音楽の世界を切り開いた」

 とか、

 「これは1983年にタイムスリップしたふりりんが降幡愛名義で発売した幻のデビューアルバムなのかもしれない」

 とかって、それなんて仮面ライダージオウですか? という妄想を膨らませたものですが、それは私が昭和56年生まれのアラフォー世代であり80年代アイドルソング大好き特性を持つからであって。もしもルビィちゃんのイメージしか持っていない人がこれを聞いたら、果たしてどうなってしまうのだろう……ひょっとしたら泡を吹いてその場で倒れてしまうんじゃないか……なんて、いらぬ心配をしてしまいました。


 ともあれ、私はふりりんこと降幡愛さんが大好きです。それにとどまらず、スクールアイドル関係の声優が本人名義でCDを出したら、結構よく聞いています。いちいち名前を書き連ねるのも面倒なくらいよく聞いています。ほとんどの人はアニメで演じたスクールアイドルと同じような声質で、イメージも重ねやすいのですが、そんな中で降幡愛だけは異質というか。

 新田恵海を『えみつん』と呼び、諏訪ななかを『すわわ』と呼ぶことを「そういうものかね」と何とか受け入れる私でさえ、つい「降幡さん」とかしこまってしまう雰囲気。すなわち、「ラブライブ! サンシャイン!!』の黒澤ルビィ役あるいは某プリキュアのエレメントさんのような声と本人名義のCDの歌声を呼び分けなければいけない気になる感じといいますか。まあ宇佐美ヨーコと黒澤ダイヤさんだって同一人物(が演じているもの)だといまだに認識していないから、姉妹そろってそういうものだといえば、そうなのかもしれませんが。

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こんばんは

 軽いブログを書きます

 高杉です(色々頑張りました)。


 いつも通勤時にはiPodで音楽を聴いていますが、最近は2006年ごろに作ったプレイリストに基づく音楽を聴いています。主に新居昭乃さんです。

 今日そのことを振り返って書こうと思ったら、新居昭乃で検索しているのにグランド・ファンク・レイルロードの音楽が出てきました。

 それぞれのことについては、今日は書きませんが、いずれも大好きな音楽です。でも、最近はあまり聞いていませんでした。

 ただ、不思議なもので、久々に聞いてみると――懐かしいという、もう手の届かない時間に思いをはせてしみじみしちゃう感情ではなく、もうすぐ41歳になろうかという自分を受け入れつつ、その頃のみずみずしい感情もよみがえってくるという、不思議でお得な気分になってしまったのです。

 ある意味、タイムスリップ的な感じでしょうか。

 これは非常に個人的な話なので誰も共感していただかなくて結構ですが、自分でもびっくりすることがありました。すなわち、グランド・ファンク・レイルロードの楽曲を聞いたとき、30年以上前に飲んだコーラの味がよみがえってきたのです。

 ええ中間を思いっきり端折っているので何を言っているのかわからねーと思いますが私も何をされたのかわからなかった……って別に恐ろしいものの片鱗を味わったわけではないのですが、そうですね。私以外のすべての人類に短く説明するとすれば、

 「その音楽を知るきっかけになった時のことを、視聴覚だけじゃなく味覚まで動員して思い出した」

 ということでしょうか。といっても「ああ、あの時食べたナントカはおいしかったなあ」という程度のものですが、そこまで深く踏み込んだことがなかったので、自分でもびっくりしてしまったのです。

 小林秀雄風に言えば、

 「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである」

 ということなのでしょうが、不意に過去からそんなサプライズを仕掛けられると、はっとさせられてしまいます。そして、こんな「しょーもないこと」に苦笑するような夜があるから、「なかなかどうして、生きていれば面白いことがあるものだなあ」と思い、「もう少し頑張ってみようか」と思うのです。

 うん、どうやらご飯が炊けたみたいです。これから晩ご飯を作ります。もしかしたら今日の夕食は明日の午前零時に食べることになるかもしれませんが……って、おなかがすいたのでサッサとブログを切り上げ夕食づくりに入ります。終わりで~す!(もはや定番の三四郎オチ)

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おはようございます

 こっちのハワイには温泉があります

 高杉です(福島スパリゾートハワイアンズのCMです)。


 今年は行動制限がない数年ぶりのゴールデンウイークということもあって、国内外とも旅行者が爆裂増加中と聞きます。私は先日も申し上げた通りゴールデンウイークなんてどこ吹く風と言わんばかりの勤務なので(今日はたまたま休みですが)、「久々にハワイに来ました、インスタントラーメンが600円くらいして、高くてビックリしました~」なんて言っているのを見ると、行けるだけのお金があるならいいじゃね~かよ! などと言いたくなります。

 もちろん、これは100%ひがみ根性です。私もわかっています。「こんなこと言っても仕方ねえよなあ」と苦笑いです。

 あと、ここ2年ばかり新型コロナウイルス関連のニュースが報じられて、心がある意味感染症にかかってしまったからかな。心の中ではいまだに行動制限がかかっている感じがして、こうも好き放題に旅行している人たちに違和感を感じます。別に、何も責められることをしているわけではないと、わかっているのですが……。

 智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。
 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 そんなわけで、理性と感情のバランスをしょっちゅう崩しながらも、それでも何とかまっすぐ歩けるように、今日も生きていきます。とりあえず早起きをして洗濯をしました。あとは冬物をしまったりしようかな。でもこないだみたいに前日差マイナス10度とかっていう日があれば困るしなあ。とはいえさすがに厚手のコートはいらねえよなあ。……

 近所にある台原森林公園の山道を歩きながら、私も考えてこようかしら。

 

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こんばんは

 今日は日本酒を飲みながら書きます

 高杉です(ちょっとつらいことがありました)。


 あまり詳しいことは書きませんが、こんな時、自分を慰める言葉を皆さんもお持ちのことと思います。あるいは何かしら検索して拾ってくる方もあるでしょう。大いに結構です。何につけ気の持ちようなのですから。

 私が良く思い出すのは、今も何回目かのプレイをしている『信長の野望』のセリフ。特に私が初めてクリアした『革新』の、武将たちがこの世を去る時のセリフです。

 有名な『辞世の句』がある人はそれを口にするのですが、その人のイメージを表したようなモノローグを残して去る人もいます。いくつか、あげてみましょう。正解は最後に書きます。


 「笑いたければ笑うがいい。大義を思うものは首をはねらるるまで命を惜しむものじゃ」

 「生きるだけ生きたならば死ぬることもあろうて・・・
  まったく、面白い世の中であったわ・・・」

 「おお、三途の川の向こうで皆が待っておる 
  おいも、おいも今行くぞ!!チェストーーー!!」


 そんな中で私が特に好きなのは、このセリフです。

 「くっくっく、さすがのそれがしも病を騙すことはできぬわ・・・
  これでいい、これで・・・」

 これは真田昌幸さんです。息子の信繁さんは超絶武力を誇りますが、お父さんは智謀で世の中を生きようとしました。実際、信州上田城の戦いでは数で勝る徳川軍を撃退してますし、こと戦国武将というカテゴリでいえばトップクラスの人だと思います。

 それでも「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」とノブじゃいや織田信長さんが口癖のように(フィクションの世界で)おっしゃっていたように、人間だれしも命に限りがあるものです。どれほど長生きしたっていつかは死ぬのです。 そのことを、気丈に笑いながらも渋々受け入れる昌幸さん。

 「これでいい、これで……」

 今では私の口癖のようになっています。

 自分の思い通りにならなくても、つらいとか苦しいとか切ないとか恥ずかしいとか、色々とネガティブな気持ちになってしまうことに出くわしたとしても、笑ってそれを受け入れられるのなら、これほど心強いことはありません。


 「これでいいのだ」

 と言ってしまうと、それはまた違うんですよね。それは赤塚不二夫氏、厳密に言えばバカボンのパパ的な感じになってしまいます。私はそこまでオプティミストになれません。

 嫌な気持ちになってしまった自分の、その悪感情、不愉快さもまとめて飲み込み、それでも前に進むために自分を奮い立たせる。グングン踏み出せるほど元気にはなれないけど、すべてを認めて、受け入れて、背負って、前に進んでいく。

 ゲームでは病死する時に聞くセリフですが、それでもまだ生きられそうな私は、前に進むためにこのセリフを今日もつぶやきます。きっとそれが「心の強さ」だと思うので。


 (それぞれ石田三成さん、前田『慶次郎』利益さん、島津義弘さんでした)

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こんばんは

 今日はチューハイ一本だけにしておきます

 高杉です(でも度数は9%)。


 酔いに任せてわけのわからないことを書き、後になってゾッとすることが何度もあるので、「お酒を飲んだらブログを書くのはやめよう!」と思ったものの、結局のところ気持ちをほどいて色々なことを書ける時間というのは、仕事が終わってゆったりしている今のような時間であり、そういう時間であればやっぱりお酒を飲みたくなるのが人情……つって、今日も飲酒ブログとなっております。

 それでも、今日は大事なことを書きたいので、この一本だけにとどめておきます。いや、そんなに構えるようなことでもないかもしれませんけどね。テーマは「残る言葉」について。

 今の職場では、あんまり詳しい話はできませんが、以前のように対面でやり取りをするのではなく、こうしてデジタル的なデバイスの上で言葉のやり取りをする機会が多くなりました。顔が見えないコミュニケーション、良くも悪くもテキストで意思疎通を図るスタイルですね。

 対面とも電話とも違った、文字だけで行うコミュニケーション。考えてみるとこれは私にとって初めての体験です。実際、今までの経験を活かしつつも初めての体験と思える部分もあります。

 とりあえず大切だなと思ったのは、イントネーションが全く表現できないというところですね。ニュアンスと言ってもいいのですが、私が発した言葉が私の意志とは違った形で受け止められる……なんてこともあり得るわけです。いや実際にそういうことがあったわけではないのですが、そういうリスクがあるだろうなと想像した、という話でね。

 
 もちろん私だって、趣味のレベルではありますが、2000年からインターネットの世界で情報発信をしてきました。このブログだって気が付いたら17年目に突入しています。言葉には気を付けてきたつもりですが……もっともっと慎重にならなければいけないな、と。そう思った次第です。


 とりあえず、思ったことをすぐに発信できるTwitterとかLINEとかっていうメディアは、できればあんまりかかわらない方がいいかなと思いました。君子危うきに近寄らず? それでもいいんですが、聖人や君子とは最も縁遠い男(影慶先輩ふうに)である私らしく、こういい変えましょう。すなわち「触らぬ神に祟りなし」と。

 まあ17年もブログをやっていれば、色々なことを書き残しています。恥を「書いた」ことなんて1000件や2000件じゃ足りないでしょう。でも、せめて「この時はこんな感じだったんだよね」と受け入れられる程度にとどめなければいけない。そう思いました。泥酔したならしたなりに、ちゃんとした文章でなければならない、と。


 そんなわけで、今日書きたいことは大体書いたので、いったん締めくくります。明日もそれなりに早いので、今日は早々に休みたいと思いますが、もう少し飲みたいな。ちょっとコンビニまで酒を買いに行ってきま~す!(ひどいオチ)

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こんばんは

 今日は短くまとめます

 高杉です(けっこー飲んじゃったので)。


 いまテレビでナイターを見ています。巨人阪神戦です。

 ちょっと新鮮な感じがします。

 私が住んでいる仙台市は宮城県。宮城県といえば楽天ゴールデンイーグルス。本来であれば今日もホームで試合がある予定だったのですが、あいにくの悪天候により試合中止。……だからってわけじゃないですよね。巨人阪神戦といえば「伝統の一戦」と言われるぐらいの、レジェンド同士の試合ですから。

 でも、私があえて記事に書こうと思った理由は、この「巨人阪神戦のナイター中継をテレビで見る」ということが、とても新鮮に感じたからです。

 プロ球団の本拠地がある街だから、テレビ中継をする。それは仙台だけでなく、函館にいる時に知っていたことでした(北海道といえば日本ハムファイターズですからね)。

 でも、昭和56年生まれの私は、別に本拠地があるわけでも何でもない時代を知っているのです。縁もゆかりもない盛岡にいた時に、遠く離れた東京や大阪に本拠地のあるプロ野球チームが戦っている模様をテレビで見て、それなりけっこーなかなか思いっきり興奮していた記憶を持っているのです。

 そういったノスタルジーな基盤があれば、地元の球団が出ていない試合の中継だとしても、ちょっぴりだけ興奮してしまうのかな。つって、自分のなかに湧き上がる感情を整理してみました。少なくとも、毒にも薬にもならないような、わけのわからないバラエティ番組よりは、ずっと意義があるような気がします。


 すみません、すでに結構飲んじゃってるし、明日も早いので、ちゃんとまとまらない文章を公開します。でも、せっかく感じた気持ちを酔いに任せて流したくないので、急ぎ投稿いたします。以ッ上!(厚切りジェイソンさん風オチ)。

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こんばんは

 朝日ソーラーじゃけん

 高杉です(菅原文太さんつながり)。


 4月の末から5月の初旬にかけて祝日が立て続けにやってくる、というのは、一応知っています。ただ毎年毎年「今年のゴールデンウイークは〇連休!」というテレビ番組の報道には、まったくもってピンとこない、どこ吹く風、知ったこっちゃねえという感じなんです。だって、社会人になってから20年弱経ちますが、いずれも土日祝日関係ないシフト勤務の仕事ばかりだったから。

 いや、むしろ世間の皆様の「〇連休」は、そのまま私にとっての「〇連勤」に当てはまりました。色々含めて10連休! 皆様遊んで遊んで遊びまくりましょう! って『めざましテレビ』かなんかでいう年があるとすれば、私にとっては「色々含めて10連勤! 死なない程度に稼ぎましょう!」って感じで。ホント心身耗弱状態でした。

 とはいえ皆様の余暇を食い物にするのが――って、メチャクチャ言い方が悪くて申し訳ないんですが、私はそのように認識しています――ホテル観光業ですから。土日祝日キッカリ休んでバッチリ遊ぶ人たちあっての私たちでしたから。どれほど心神耗弱状態だったとはいえ、やっぱり「ああ良かったなあ」と言って帰ってもらえるのは嬉しかったです。


 この4月から働き始めた今の会社も、原則として土日祝日ゴールデンウィークにボン・クレー間違えた盆暮れ関係なさそうな感じですが、さらにそれを推し進めてというか。入社直後(今月上旬)に出された私の一か月のシフト上で、たまたま29日ええ昭和の日ですがその日が休みなんです。「土日祝日関係ない」っていうのを極端に推し進めた結果、「私の公休日が、どうやら世間の祝日らしい」という惑星直列グランドクロス天文学的一致を見出したわけです。

 世間的な祝日、しかもゴールデンウィークのさなかとなれば、世間一般のイベントもあるでしょう。これまでの人生では味わえなかった世間並みのウキウキ気分というやつを、ちょっぴりでも味わえればいいなあ……でも今は新型コロナ云々で人がいっぱい集まるような場所には行きたくないしなあ……と逡巡した挙句。

 「通勤で利用している地下鉄の駅のそばにあるスーパーマーケットで、大好物である『ちくわの天ぷら』と『お寿司』が半額だったので、『今日は人並みに浮かれてやろう』と言ってビールを購入しお祝い気分でいい感じ」

 ……てなわけでサッポロゴールドスターのホイド缶(※)を2本あけたところです。ここまでちくわの天ぷらで間に合わせてしまったので、どうやらお寿司は完全にディナーとして味わう流れになりましたね。うん、それがいい。確かに地元からコッチに引っ越してくる直前に買ったワインもあるけれど、それはもっとお祝いしたいときに飲もうって決めていたし。

 というわけで、そろそろ『アメトーーク』が始まるので、このブログもいったん締めくくります。前回のブログで、ずいぶん前からリンクを貼らせてもらっているnkyさんに呼びかけた後、シッチャカメッチャカなことばかり書いている自分を恥じたりもしたのですが……仕方ないですよね。これが私なんだもん。終わりで~す!(結局いつもの三四郎小宮さんオチ)。


 ※ 「ほいど」というのは青森の方言でこじk……いえ、ええと……まあ「意地汚い」というか「ケチくさい」というか。もうちょっとかわいい言葉でいえば「けちんぼ」という感じの意味です。青森時代に地元の人が500mlの「ロング缶」缶ビールをさして『ほいど缶』と言っていたので、私も影響を受けて、そう言ってしまった。そういうことです。

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こんばんは

 できるだけコンパクトにまとめます

 高杉です(ワインを飲み始めてますから)。


 じつに1週間ぶりのブログでありますが、つまり、それだけ忙しかったということです。いや、確かに実働時間は8時間と、ごく一般的な会社の定時時間内なのですが、やっぱり新しい仕事を始めたばかりということで、とにかく覚えなくちゃいけないことがたくさんあって。それで、毎日が激闘の日々だったのです。

 そうしているうちに、1か月が経ちました。タイトルにもあるように、とにもかくにも1か月という感じです。

 仕事の方も、それを含めた仙台での生活も、ようやく……ほんの2ミリか3ミリ程度ですが、慣れてきた気がします。少なくとも自分の住所を仙台市泉区と書くことに、ちょっぴりだけ違和感が薄れてきた。そんな感じ。

 仕事のほうは毎日つらいです。でも、あえてポジティブに言います。――ギリギリだけど、そう言えるってことは、何とかついていけているということだろうなって。

 不思議と「もうダメもう先に進めない」という感じがしないのです。「自分はここでのし上がっていくぜ」という野望メラメラって感じではないし、「この仕事が自分にとっての天職だ」と浮かれる気持ちもないのですが。

 やっぱり「要領よく」とか「上手に」とかって思わずに、一所懸命に取り組んでいるからかな。些細なことでもガリガリとノートに書き出して(これは昔、最初にかかった心療内科の先生に教えてもらった「心のバランスをとる」ためのテクニックなのですが)、1ミリでもその半分の3分の1の半分でも進めるように。進んだと自分で思えるように。

 あるいは、たといこの先どういう未来が待っていようと、後悔しないように。かな。

 「おたがいちからをだしきったんだ……
  どちらがまけても おかしくはなかった」

 これは超絶人気格闘ゲーム『ストリートファイターII』の主人公・リュウの勝利セリフですが、そう、とにかく力を出し切るために、今の私は生きています。もし力及ばずドロップアウトしてしまう未来にたどり着いたとしても、自分の力を出し切ったのならば、きっと後悔はしないと思うのです。


 これまでも何度も心の支えになってくれた、格闘ゲーム界随一の求道者「リュウ」。しばらく離れていましたが――40年以上生きてきて、ようやく、近づけたかなって思った今日この頃でした。


 ドコかの街で元気ですかnkyサン・・ 
 オレは元気
 こんなに充実した日々初めてだもん

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こんにちは

 昨日の続きを書きます

 高杉です。


 さて、ちょっと仕切り直して、ちゃんと最後まで読みました『みぶなつき画集 鉄道むすめ 鉄道制服読本』。その感想を書きます。



 昨日も書きましたが、この本に収録されているのは1期から9期までのイラスト。最初に載っていたのが国鉄時代の食堂車でウエイトレスをやっていた「白河ひばり」で、この時点でそもそも『鉄道むすめ』というのは時間も空間も自由な世界で生きる子たちをひとつひとつピックアップした企画なのだと理解しました。

 運転士だけでなくウエイトレス、アテンダント、整備士、さらに警視庁鉄道警察隊のひとまで。思っていたよりもずっと広い範囲で「鉄道にかかわる」ひとたちの姿を眺め、時々プロファイル(本人たちが語る『自己紹介』的なもの)を読み、存分に楽しみました。

 おお、函館市電の『柏木ゆの』もいるじゃないですか。函館は私の弟者が一時期住んでいたので、十和田市とかと同じくらい好きな土地です。湯の川から谷地頭まで、要するに始点から終点まで全部乗りました。『松風かれん』は、この本には出てきませんでしたが、柏木ゆの仕様の一日乗車券は私の大切な記念品です。


 それとともに、一部のキャラクタについての関係性みたいなものも知ることができました。すなわち三陸鉄道の運転士『久慈ありす』と、盛駅の職員『釜石まな』です。

 この頃『久慈ありす』は、自分がプロデュースした企画『スイーツ列車』などで名声を轟かせていたようです。そんな彼女に憧れて、Uターン就職で地元に戻り三陸鉄道に入社した新人『釜石まな』――そのあたりのストーリィは、本を読むまで詳しく知りませんでした。そして、読んだ後はいっそう二人のことが好きになりました。


 いま、ふたりの関係性について本を読むことで詳しく知ったと書きましたが、そのあたりのストーリィについては何と短編小説で詳しく書かれているんですね。主人公は『釜石まな』、彼女の一人称で、ある日の出来事について書かれています。別にアクシデントで原稿を紛失したからその穴埋めで書いたわけではないと思いますが、丁寧にしっかり読みました。

 私も今は新人社員。なかなか大変なところでありますが、ギリギリのところで受け止めました。「まぁいい、おれも、もう少し頑張るから」って。あと、『久慈ありす』まじめな一面だけじゃなくて、意外とサプライズを仕掛けるのが好きなところがあるんだなっていうのも、楽しかったです。早い話が『イタズラ好き』ということですが。

  *

 そんな時代から10年と少しが経ちました。

 ただでさえ毎年赤字を出し存亡が取りざたされている(とニュースで報じられている)三陸鉄道は、この本の時代から1年後に震災で大打撃を受けました。しかしながら地元愛の強い岩手県民は復興への道のりを確実に歩み続けました(私も物販や、実際に乗りに行くなど微力ながら協力しました)。

 そうしたところ、廃線になるどころか、これまでJRが担っていた区間をも受け持ち、とうとう久慈市から大船渡市まで一直線に線路がつながりました。そのためかつては『北リアス線』と『南リアス線』に分断されていた名称も『リアス線』に変更。じつに東西ドイツ統一に匹敵するくらいの歴史的出来事であります。

 その間に全国の鉄道むすめも増えに増えています。公式ホームページを見ると、青森なんかは何ですか、青森っていうくくりでドカッと追加された感じですか。2016年には仙台市交通局の『青葉あさひ』も登場。新人だった『釜石まな』も10年選手ということになります。すっかりおなじみです。後輩には超絶イケメン乗務員もおりますし。ちょっとカテゴリが違う感じもしますが、ともかく三陸鉄道、ものすごく元気にやっている気がします。旅客収入がどうかはさておき、メディア展開に関してはね。

 おや、思いのほか長くなってしまいましたが、ようやく私も『鉄道むすめ』正面切って大好きだと言えるようになったのではないでしょうか。今まではそもそも日常生活で電車に乗る機会がめったになかったけど、今は通勤に必ず乗っていますし。寝てようがソーシャルゲームやっていようが、ものの10分で市街中心地に運んでくれる地下鉄は、私にとってまさに「日常の足」。だからそんな鉄道にかかわる『鉄道むすめ』が私は大好きです! イェイ!

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こんばんは

 毎日精神的にギリギリな状況です

 高杉です(激烈研修中)。


 まあ、厳しい状況ではありますが、何とか頑張っております。資料を持ち帰ることができないので、今この場所では何もできませんし。とりあえず心を癒して、また戦いに臨むための英気を養わなくては。

 というわけで、実家から持ってきたこの本を開きました。



 いつ買ったかわかりませんが、帯には2010年締め切りのキャンペーン情報が書いているので、たぶんその頃でしょう。初めて『鉄道むすめ』というものを知ったのは2009年ごろなので、間違いないかな。

 別にこれ自体は珍しくない、全国どこの書店でも手に入る(入った)ごく普通の出版物です。しかしながら、もう表紙を見るだけで「みぶなつき」さんのイラストにドキドキしてしまって、今の今まで包装紙のビニールを破くことさえしなかったのです。

 そんな封印を今! この場で解き! ついに解放される美しき鉄道むすめたちのイラスト! ドーン!


 ……と勇んで踏み出したものの、最初の数ページでいったん本を閉じ、この記事を書いています。

 いや、これは私がいけないんです。これは「みぶなつき」先生が足掛け5年描き続けた、1期~9期までの設定画を収録した本なんです。

 それに対して私は『鉄道むすめ』に対して、「地元の子」というイメージをもって接していたから、少しズレが生じたわけです。

 まず私の地元は岩手県なのですが、岩手代表といえば何と言っても『久慈ありす』。第2シリーズで初登場ですから、古参といっていいでしょう。地元を盛り上げてくれるキャラクタに対してはとにかく優しい岩手県民ですから、フィギュアが発売されたときは岩手日報も(夕刊の)一面で取り上げ、10年以上経った現在でも『釜石まな』と一緒に看板キャラクタとして活躍しています。もちろん私も大好きです。

 じつに7年ほど実質的な拠点として滞在した青森県、十和田市を中心とする三八上北には「七戸ちびき」「八戸ときえ」「清水なぎさ」と3人もいます。特に、私が7年もお世話になった十和田市の子である「清水なぎさ」なんかは、結構好きなんです。鉄道は2012年時点で廃線になっていますが。

 そしてこの度やってきた宮城県仙台市。私が通勤で使う仙台市交通局の運営する地下鉄には、「青葉あさひ」というキャラクタがいます。三陸鉄道さんほどゴリゴリにキャラクタ頼みというわけではありませんが、駅構内の広告とかには積極的に採用されています。至らないところは元気でカバーという、スクールアイドルでいえば星空凛ちゃんみたいな設定です(色々と物議をかもしそうなたとえ)。

 というわけで、自分の地元だったり、あるいは訪れたり縁ができたりした土地にいるキャラクタを、その土地のことを含めて好きになったんですね。だから、あんまり思い入れのない土地の子だと、どう感情移入していいのかわからなくて、立ち止まってしまったのです。

 これはひとえに、10年もヴィンテージしてしまった私の責任です。それを踏まえて、気持ちを切り替えて。むしろこの本をきっかけに、色々なところを旅してみたいなという気持ちを高めていくことにしましょう。すでにビールはロング缶を2本ほど飲み終わりそうな感じですし。向かい合わせの座席がある列車で、窓際の棚にビールを置いて、流れる景色を見ながら揺れるから酔っぱらうのも早いな~! なんてね。


 ……ええと、まあ、そこまで酔っぱらっているわけではないんですけどね。でも、そんな電車旅をしてみたいなって気持ちは、いつもあります。ちょっと古めかしいかもしれませんが、ほら2人掛けの向かい合ったシートが何組かある昔風の? 電車で、窓際にちょっとした飲み物を置く小さな棚があって、そこにお茶じゃなくてビールいやいやワンカップ大関を置いて……ってね。ノスタルジックというか、わざとそういう「雰囲気」を自分で作って、味わってみたいなって。

 ごめんなさい、せっかくモエモエした話をしようとしたのに、完全に昭和なオッサンの話になってしまいました。別に『マツコ有吉のかりそめ天国』を見ながら記事を書いていたから雰囲気に引っ張られてしまった……と言い訳することはヨシとしませんが、これ以上書くことはヨシとしません。また何か書きたいことがあったら、別な機会に書くことにしましょう。終わりで~す!(毎度おなじみ三四郎小宮さん風シメ)。

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こんばんは

 今日はちょっと生活感のあるコラムを書きます

 高杉です(?)


 以前は休みの日といえば、特に行って何をするというわけでもないのに、わざわざ車で1時間も2時間もかけて遠くの観光地に行き2時間ほどぼんやりして帰ってくるということをしていました。それが気持ちをリセットする方法だったのですが、最近はあまり外出をしたいと思わなくなりました。

 それでも、やっぱり部屋にずっといるのは良くないよなと思って、何かと理由をつけて表に出ます。といって、せいぜい近くのスーパーまで歩いていくとか、その程度ですけれどね。たとい片道数百メートルだとしても、やっぱり犬も歩けば棒に当たる、街を歩けば発見があります。「ああ、今日も相変わらずだな」それだって発見です。ちょっぴりプラスになるんです。


 いつも時間帯が合わなくて、そこにお店があるのは知っていたけれど営業しているところを見たことがなかったカレー屋さんが営業していて、店の前を通りかかるとツーンと心地よいスパイスのにおいがしました。これはかなり本格的なカレー屋さんのにおいです。確かに夕飯前で食欲をそそられますが、今日はあらかじめ用意しておいた巻き寿司を食べる予定だったのでスルーしました。

 スーパーで用事を済ませて帰る時、住宅地のほうを歩いていると、今度は麻婆豆腐のにおいがしました。今度は中華風のスパイシーな匂いです。今日は中華じゃなくてキンパを食べるんだよと、またしても大変な努力をして家路についた私。落ち着いたところでふと思ったのは、こうして「匂い」を感じることって、ずいぶん久しぶりだなということでした。

 そうか、こうして街の皆さんも夕ご飯を食べるための準備をしているんだな――それを、いつも車に乗って匂いを遮断していたから気づかなかったんだな――と、私なりに仮説を打ち立てつつ、予定通りの夕食をビールとともに味わうのでした。


 ……スーパーに行った時「河北新報」を買ってきて、それを読んだ後に書いています。実は私がブログというやつを始めた理由は、河北新報や岩手日報のような地方紙のコラムめいたものを書きたいと思ったからです。新聞らしい風格のある文体でありながら、その内容は小学生でも理解できるような平易なもので、軽妙でさわやかだけども少し教訓っぽいこともある――ある意味それを読むために新聞を買ってきたようなところもあります。

 新聞の良さのひとつって、そういうことだと思うんですよね。速報性というフィールドでは、ネットニュースやテレビにはかないませんが、きちんと整理された、落ち着いた言葉を読めるメディアとして、やっぱり新聞っていいなと思うんです。いま大好きなお笑い芸人の『錦鯉』の長谷川さんも読売(KODOMO)新聞を読んで教養を高めてますし。

 と言って、そのことを確かめようとしたら、つい錦鯉さんのyoutubeを見始めて一時中断したので、このあたりで切り上げましょう。新聞コラム的なブログは、まだまだ遠い。

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こんばんは

 前回の記事を書いた余勢をかって

 高杉です(これから夜ごはん食べます)。


 前回の記事を書き始めた時は、『クローズアップ現代』で先日亡くなった藤子不二雄A先生のことを特集していました。

 そのあと、アレコレ記事を添削しているうちに『うたコン』になって。あれ『めざまし8』でおなじみの谷原章介さんっていうか黒岩刑事どうしたんですか、と谷原章介さんのことがテレビゲーム『ジャッジアイズ 死神の遺言』で好きになった私は思ったのですが、その流れでずっと見ていました。

 太田裕美さん。おお、初期の『こち亀』でしょっちゅう出てきた歌姫ですね。今も相変わらずおきれいで、歌声も素敵です。

 キンプリも出てきましたか。いや私は『鉄腕DASH』とかほかのジャニーズ系バラエティ番組である意味大活躍中の岸くんしか知らないのですが、ちょっと嬉しくなってしまいます。

 そんな前後のアレコレもありますが、私がチャンネルを「バナナサンド」に変えることなく見続けたのは、『野宮真貴』さんが出るという一方をキャッチしたからでした。

 私にとって野宮真貴さんといえば、言うまでもなく『ピチカートファイヴ』のヴォーカルです。それは同時ゲストの横山剣さんも語っておられましたが、ええピチカートファイヴです。実際はピチカートファイヴというのはある意味小西康陽さんのプロジェクトそのもの、ある意味コーネリアスみたいなもの、なのかもしれませんが、それは今初めて知ったことですから。とにかく私にとってピチカートファイヴというのは野宮真貴さんと小西康陽さんのユニットであって、「渋谷系」という音楽の象徴でした。そして私の兄者のフェイヴァリットであり、それを見て育ってきた私にとっての「最先端の音楽」でした。


 兄者が持っていたCDは、たぶん1997年に発売された10枚目のアルバム『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』だったと思います。その中に収録された『モナムール東京』に衝撃を受けたことを今でも覚えているからです。

 「これが今の、最新の音楽なんだ!」

 つって16歳の私は近所のレンタルCD店に爆走。そこで「は行」のピチカートファイヴの棚を探し、そのお店で最も新しいアルバムを借りたのですが、それは9枚目のアルバム『ロマンティーク96』でした。そして異常な興奮を覚えた『モナムール東京』と似たタイトルの『トウキョウ・モナムール』を聞き、なんとも言えないわびしい気持ちになったことがあるかい? と、それは電気グルーヴですか? と言わんばかりの感慨を覚えたのでした。


 そんなアオハルの時代から20年経って、今じゃ何かといえば懐かしい懐かしいというオッサンになってしまった私ですが、テレビの生放送で歌う野宮真貴さんは相変わらずの野宮真貴さんでした。いや確かに四半世紀くらい生きてきた野宮真貴さんだったのですが、その歌声は相変わらず色気たっぷりで、私も当時と現代の時間軸が一緒くたにされて心地よくなってしまいました。

 これなら、おれも、まだイケるな。そう思いました。

 40歳(今年の7月で41歳)という事実を受け入れつつも、意味もよくわからないまま「渋谷系」という言葉に「時代の最先端」を感じた10代の頃の気持ちを思い出すことができる。つまり、まだ心は死んでいない、ということです。いま、少し心が疲れて元気じゃない日々が続いていただけに、そう思えたことが、ちょっぴりうれしかったです。

 おなかがすきました。そろそろご飯を食べます。以ッ上!(今日は厚切りジェイソンさん風シメ)

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こんばんは

 クローズアップ現代を見ながら

 高杉です(チューハイを飲みながら)。


 トキワ荘といえば宝焼酎のサイダー割り――すなわち『チューダー』ですが、今日は缶入り焼酎ハイボール(レモン)を飲んでいます。いえ、クローズアップ現代で藤子不二雄A先生が取り上げられると知ったのは、これを買って家に帰ってきてからだったのですが。

 あと、果たして当時テラさんこと寺田ヒロオさんを筆頭に若き漫画家たちが宝焼酎を飲んでいたのは以前見た映画のなかの話なので、本当にそうだったかどうかはわかりませんが、それはともかく。

 「とうとう来たか」

 そんな感じです。藤子不二雄A先生の訃報に触れた数日前に思ったこと。

 人間としてこの世に生まれた以上、誰もがいつか迎える瞬間。それに、いわゆる『トキワ荘メンバー』というくくりで語られる仲間たちは、そのほとんどが鬼籍に入ってしまいましたから。

 寺田ヒロオ先生も、藤子・F・不二雄先生も、石ノ森章太郎先生も、赤塚不二夫先生も。鈴木伸一さんや水野英子さんは今日この『クローズアップ現代』でも(インタビューVTRに)出てきましたが。

 だから、むしろ「長生きされたな」「お疲れさまでした」という気持ちがあります。


 私はどちらかというとF先生の漫画の方が好きです。こと少年漫画について言えば、ハットリくんとか怪物くんよりも、ドラえもんの方が好きです。これはもう、私自身のストーリィがあるので、どうにもなりません。でもF先生の異色SF短編よりもA先生のブラックユーモア短編にワクワクしてしまう時も、たくさんあります。

 どっちも人間のダークな部分というか、あんまり意識したくない部分をさらけ出した感じだと思うのですが、A先生の場合は最初から最後まで人間くさいのが特徴なのかな、と思います。『笑ゥせえるすまん』なんか、その真骨頂ですよね。理性では喪黒福蔵のポジションから「やっちゃいけないことをやったからだ」と思うものの、「ドーン!」を受けて「ギニャ~」となって破滅するキャラクタにシンパシーを感じる……と。

 F先生のSF短編だと、もっと突き放した感じというか。人間くさいのは同じなんですが、個人の強さ弱さではどうにもならないようなシチュエーションがあって、その中でどう生きるか、という。映画の『ディープインパクト』みたいな、そんな印象があります。そこに「すこし、ふしぎ」なスパイスがあってね。


 ……と、私は『ドラえもん』原理主義なので、どうしても後付け的というか、ある程度年齢が上がって偏屈ぶりにターボがかかってきたころに好きになったことを正直に告白したところで、そろそろこの記事を締めくくります。缶チューハイも2本目に差し掛かりましたし、テレビの方も次の番組になりましたし。

 藤子不二雄A先生、お疲れさまでした。私は『ハットリくん』も『怪物くん』も『まんが道』も完全に読んでいません。『笑ゥせえるすまん』も、実家に単行本があって何度か読み返しましたが、怖すぎて「大好き!」とは言えません。

 でも……。

 今でこそ色々な情報が手に入って、「あの当時、実際はこうだった」という「事実」や「真実」を誰でも簡単に知ることができる時代でありますが、あえて私は言います。当時の、1981年生まれのオッサンとして。


 私にとって『藤子不二雄』名義で世に出た漫画は、すべてお二人の漫画でした。そういう認識でした。……心情的には、今でもそうです。

 ドラえもんも、ハットリくんも、怪物くんも――とにかく私が目にしたり手にしたりする本に『藤子不二雄』と書いていれば、それはすべて「ベレー帽をかぶった人とサングラスをかけた人、二人で描いた漫画」という認識でした。実際はそうじゃなかったと言われれば、確かにそうなのですが、先述したように私自身のストーリィの部分は変えようがありません。「そういう認識で生きてきた」私の人生は誰にも変えられません。正しいとか間違ってるとかじゃなく。これは「過去」ですから。動かしがたい事実ですから。


 すでにこの記事を書いている間にテレビ番組は変わって、うわ~私が中高生の頃大好きだったピチカートファイヴの野宮真貴さんが出てるよ渋谷系だって懐かしいなRomantique'96だよなんて話を書いています。ここから先はまた、稿を改めて書くとしましょう。もう缶チューハイ(しかもロング缶)を2本飲み終わってしまったので、少々不安がありますが、とにかく今日はこの辺で。終わりで~す!(困った時の三四郎小宮さん風シメ)

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