天童市美術館にてミュシャ展を観てきました。
私も古今東西のあらゆる人たちと同じく、ポスター絵でミュシャが大好きになりました。今回14年ぶりに「ジスモンダ」それに「黄道十二宮」の絵を見て感動で込み上げるものがありました。全作品撮影OKということでしっかり写真を撮ってきました。中にはジスモンダの写真と一緒に自撮りしたものもあります。これはひとりで撮影しなければいけない制約のもとで撮ったので、あまり上等なものではないし、きわめてプライベートな写真なので別に公開するつもりはありませんが。
そのうえで、今回感じたことというのは、やっぱりちょっと違うんですよね。14年前とは。
というのは、今回の所蔵品は上記の通りチマル博士のコレクションによるものであり、14歳の頃に初恋の人を想って描いたイラストや20代の頃に生計を立てるため各雑誌に載せた挿絵、さらに素描やお菓子の箱など……「アール・ヌーヴォー時代のポスターだけじゃないんだよ」ということを教えてくれる内容でした。
それを私は5周して感じました。ノートに感じたことを一生懸命書きました。見ている時間よりも文字を書いている時間の方が長かったかもしれません。最後に美術展の概要を紹介する5分ほどのビデオを見て、
「どうやら、私が感じて考えたことは間違いがなさそうだ」
ということを確認しました。なので今回はあくまで私の感想ではありますが、X(旧Twitter)では長すぎて長すぎてまとめられないような長文を、この場を借りてドカンとかましてやろうと思います。
1.「ミュシャ様式」について
極めて単純な考え方で行くと、「アールヌーヴォー=ミュシャのポスター」だったんですよね。これではあまりにも乱暴すぎます。私だってそう思っていましたが、ただ具体的にどう深堀りして行けばいいのかわからない……そう考えながら絵を眺め、感じたことを大切にしつつ解説文もしっかり読みました。
そうすると、この「ミュシャ様式」という言葉が出てきたんですね。すなわち、植物と女性を組み合わせた構図。どちらが勝ちすぎているわけでもない。清楚さと瑞々しさが適度に溶け合った世界。そこでは草花に癒されつつさりげない女性の美しさに心がときめきます。決して扇情的なものではないのに、いつまでも眺めていたくなるポスター絵。これを会場で書き留めた私のノートでは「美しいという言葉以外のあらゆるものが無意味になり風の前のチリの如く消え去ってしまう」と表現していました。アールヌーヴォーっていうか平家物語ですね、どうもね。
2.「アールヌーヴォー=消費の時代の始まり」
今回の美術展で覚えた言葉として、「ベル・エポック」というのがあります。日本語にすれば「良き時代」ですね。アールヌーヴォーというのはあくまで芸術様式のひとつをさす言葉であって時代そのものをまとめて取り込むには「ベル・エポック」と言った方が適当なようです。
そんな時代に、「ジスモンダ」のポスターで一気に時の人となったミュシャ。その後も時代を代表する舞台女優サラ・ベルナールの主演舞台のポスターを何枚も描き、ポスターだけでなくお菓子の箱や大皿や時計など、実用品にも流用されます。私が大好きな「黄道十二宮」のデザインもちょっと改変されてお菓子の箱になりました。
そもそも何で私がミュシャ好きになったのかといえば、2003年に伊藤園から販売された缶コーヒー「サロンドカフェ」のラベルになっていたからだし、これは当然の流れなのでしょうね。会場の外にあるミュージアムショップではこの時代のイラストがあしらわれたお菓子やグッズが所狭しと並べられ、女性たちがこぞって買いあさっていました。確かに私も黄道十二宮のイラストがあしらわれた金属缶のクッキーには心がときめきました。ただ2500円はちょっと高いです……私の予算は、図録とそれを入れるためのオリジナルデザイントートバッグで精一杯なんです……。
これらの商品ポスターに関して一言で説明すると「商品を手に取ってもらうためのデザイン」ということなんですね。ベルエポック、アールヌーヴォーの時代とは消費の時代の始まりであり、あらゆるものを手に取って買って生活の中に取り入れる……物があふれて生活が豊かになる時代だったのです。だから商品そのものではなく「商品を手に取ってこれを楽しむ女性」を描いたミュシャのイラストは大いにもてはやされ、人気絶頂の大作家となったのでしょう。
この辺、何となくアンディ・ウォーホルのそれとも近いのかな、という気がしました。いやミュシャは消費されるためのデザインをした人でウォーホルはそれをひねって自分の美術作品にしてしまった人なので全然違うんでしょうが、私は「消費」という言葉にこだわる人間なので、そういう言葉で結びつけてしまいました。
そして、そう考えると少し自分の心の動きを冷静に俯瞰することができました。サラ・ベルナールのポスターがとっても綺麗で大好きなことは真実ですが、それだけじゃないよね、って。ミュシャはそれだけじゃない。その前(挿絵画家時代)のミュシャがあり、その後(祖国チェコに戻り「スラブ叙事詩」を仕上げた時代)のミュシャがある。その全体を通してみて、自分のなかのミュシャ像を完成させよう。そう考えたのでした。
3.マルチアーティスト・ミュシャー紙幣・切手・メダルー
1918年。それまで他国の支配を受けていたチェコはようやく独立し「チェコスロバキア共和国」なりました。その時に紙幣や切手のデザインを引き受けたミュシャ。この10コルナ紙幣にデザインされた少女は愛娘ヤロスラヴァでした。
ヤロスラヴァはチェコ帰国後のミュシャの代表作「スラブ叙事詩」のポスターにもモデルとして登場しています。絵だけではなく写真術にも通じていたので、先にポーズを決めて写真を撮り、それをもとに絵におこして大きなポスターにしたということで……パリ時代のそれと比べると陰影がより鮮明になっていて、目力もアップしていますね。精悍な感じ、という言葉を女の子に使っていいのかどうかわかりませんが、それはこの時代のミュシャの特徴というか……とにかく私はそう感じたってことですから、どうしようもありません。
そんなわけで紙幣や切手、それに所属していたフリーメーソンのメダルなど、デザインに関わる仕事を何でもこなしていたミュシャ。ポスターだけじゃないんだってことを深掘りする非常に良い機会となりました。私は別に美術評論家じゃないから、このくらいでいいんじゃないですかね。言葉による解説がたっぷり書かれた図録も買って来たし。後にそれを読んで、あとは少しずつ理解を深めていきたいと思います。以上、ミュシャ展の感想でした。Salut !
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