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盛岡時代と仙台時代(現在)の間には7年ほど「青森時代」というのがあるんですが、これが微妙な感じなんですよね。職場は青森県十和田市なので仕事をするために会社の寮に入っていたのですが、戸籍は相変わらず岩手に置いたままで、文字通りの「青森県民」になったことはありません。そしてその時期というのは極めて忙しく、とてもブログを詳細に書けるような心理状況ではなかったのです。
初めての海外旅行……オートバイデビュー……結婚と離婚……連続飲酒やニコチン中毒、さらに薬物の過剰摂取……ADHDでASDの診断が下り……コロナ禍で仕事がなくなり……人間関係もこじれまくって自死を考えたり……良いことも悪いこともありましたが、悪いことの方が印象が強いですね。
ただ、盛岡時代を懐かしみ現在の仙台時代を楽しむのであれば、その間にある青森時代も何とか自分の中で認め、整理整頓しないと道がつながらないような気がして……なので昔の画像を活用しながら、少しずつ……何回かに分けて書いていこうかなと思います。タイムリーな記事ではありませんが、夕刊みたいなブログですから。そういう最新情報はSNS関係に任せます。私は私にしか書けないことを書くんです!
……なんて意気込んでみたものの、いざ書こうと思うとなかなか言葉が出て来ないことに気づきました。つらくて苦しくて自分ひとりじゃ抱えきれないことを告白するような記事は当時書いていましたが、いまはそういう気持ちじゃないし。別にそういうテーマで書かなきゃならない仕事を受けた訳じゃないから、青森を思い出す切っ掛けがあったら書けばいいか。
ということを14日の朝の時点で下書きして放っといたら、夜になって青森時代の上司(勤めていたホテルの料理長)から電話がかかってきました。黒松公園でのどんと祭を終えて帰ろうかという時でした。
今となっては出る義理もないのですが、ちょうどそんな風に考えていた時だったので出てみると、かねてより言っていた『自分の店』を青森にオープンしたとのこと。これは素直に良いことだと思ったので、心からの祝意を伝えました。
そして、青森を離れて2年近く経って、ようやく当時のことを振り返れるくらいに心が回復してきたのかなと感じました。もちろん、まだまだ時間はかかると思いますが、「料理長と平スタッフ」という関係から「個人対個人」の関係にシフトしたわけですし。お互い元気なうちにもう一度会いたいなという気持ちもチョッピリだけ芽生えました。
私だって、いつまでもつらいままじゃなくたって、いいはずなんです。
「残りの人生、やりたいことをやって楽しむことに全力を尽くすよ」
そんな風に藤やん料理長こと藤やんも言っていたし、私もそういう方向で動いていきたいと思います。既に現在は楽しいことばかりなんですが、過去のつらい思い出も何とか折り合いをつけて心を整理して……何のためらいもなく、充実した日々を送るために……。
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