兎年の2023年に入って100冊目に読んだのは、矢川澄子『兎とよばれた女』でした。なお向こう側にある兎のぬいぐるみは先日秋保の杜佐々木美術館&人形館に行った時にお迎えしたものです。清水だいきちさんの作品です。
多分これは、今まで読んで来た矢川澄子さんの作品のなかで一番、私の心に沁み込みました。活字を読んで想像するのが文学なので意識や思考のフィルターは透過しているのですが、大好きなアート作品を見た時のように心の奥底――プシケー(たましい)の領域にまで浸透した作品でした。そのために、一度読んで一晩経った程度ですべてを語り尽くせるとは思えませんが、これまで何度か矢川澄子さんの文章について書いてきた以上、これを内緒にしておくわけにはいかないと思うので……とりあえずメモしたことをもとに、今書けることを書きたいと思います。読了直後の新鮮な感想は、今しか書けないと思うので。そういうのをどんどん書いていくのが私のブログなので。
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「できるだけかるく生きること」
「人並みの幸福を追いもとめるのはやめようね」
本を開いて僅か数ページ目で出て来たこの言葉を読んだ時、デジャヴュを感じました。矢川澄子さんのエッセーでも何度か出て来た、ある人物――矢川澄子さんが、かつて親しくし一緒に暮らしていたていた男性がしょっちゅう言っていた言葉として知っていたので、すぐに世界観に入り込むことができました。
果たしてこれをそういう前提条件なしに読んだ人はどう思うのかな、なんてこともチラと考えましたが、私はあくまでも矢川澄子さん自身のことを先に知り、その上でそこから入ったのだから、そんなことを考えてみても仕方がないですよね。そういう前提で読むことは私の特権だし、取り消すことはできないし。
なのでこれは自伝小説なんだろうな、と認識しました。自伝小説であり、自分の主張を訴える小説。小説であり思想書でありその中間にあるもの。……私はこれを「自分の感想」として書いています。実際にそうだとかそうじゃないとかっていう客観的評論は他の人に任せます。この先もそんな感じで書きます。
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率直な感想<1>
本の中で語られる「女性の気持ち」を読むほどに、あくまで私は男性なのだと認識しました。あなたには解らないでしょうねと言われれば、「本当のところ、私にはよく分らなかったとしかいいようがない」と澁澤龍彥さんの文章を引用して言わざるを得ません。どれほど「私の中の女性らしさ」と認識しても、それは私のアニマであって、それを同一化することはできません。私はどこまでも男性であり、アニマと共に手を携えて生きる人間なのです。それを改めて認識しました。
率直な感想<2>
文章はとても澄み切っています。特にエッセーという、私と同じ世界にいる矢川澄子さんが語る言葉ではなく、小説という別世界の登場人物が語る感情の言葉なので、その中では読者にすぎない私もまた声を出すことは固く禁じられ、息をして空気を震わせることさえためらわれるような世界のように感じられました。もちろん肉体の方では息しないと倒れちゃうから息はするけど、心の中に息をしなくてもいい私……それは肉体とは別な、より精神的な私……メタバースというデジタル的な世界でいえばそれを「アバター」というのでしょうが……を想像し、その子をリモートコントロールして、矢川澄子さんの文章の世界を探検するような読書体験でした。
率直な感想<3>
先ほど「心の奥底――プシケー(たましい)の領域にまで浸透した作品」であると書きましたが、改めてその点について書きます。ちょっと、メモした内容をそのまま引用してみます。
切ない? 悲しい? 優しい? 愛おしい? どんな言葉が適切なのかわからない。あるいは、これらの感情がカキマゼられて、ドロッドロのマーブル模様になっているのかな。ともかく「愛おしい」という感情が強いかな。読み返すこともあるだろうし、それがなかったとしても、手元に置いておきたい。『おにいちゃん』とこの本を並べて置いておきたい。本そのものに対する愛おしさが溢れてやまない。
(私の読書メモより)
感じたことをダイレクトにさらけ出すのも気恥しいのですが、これ以上、自分の気持ちを適切に表現する言葉が見つからないので、そのまま引用しました。そして、ここに至るまでの道のりを、「電燈と案内板のある兎穴」というふうに表現していました。つまり観光洞窟みたいに坑内支保とラムプそれに地図まで用意されていて、ある程度の道のりを知っている状態で探検するような読書体験。既にそうやって知識があるから、余計なことを考えずアリスのように兎穴の奥底にある世界に飛び降りて、世界観に浸ることができたのでしょうね。このタイミングで読むのも必然だったのかな。そう思った方が良いのでそういうことにします。
なお、私の読書メモの最後は、こんな言葉で締めくくられていました。
兎穴の奥の世界には、一羽の兎がいました。兎は怯えているようでした。でも、生きることをあきらめていなかったから、私にお話を聞かせてくれました。私は幸せでした。
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今年は兎年ということもあって、年初から兎に関する写真を撮ったりしていましたが、12月に入って兎アートを見て兎のぬいぐるみをお迎えして『兎とよばれた女』を読む……と、間に合わせたように兎尽くしですね。巷間ではもう来年の干支のことばかり話していて、兎のことなんて12年後まで忘れられてしまうでしょうが、私はギリギリ間に合って良かったです。これは本の感想とは関係ない余談ですが。
それでは皆様良いお年を!(まだまだ年内更新します)
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