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もう15年も前になりますが、太宰治の随筆『美男子と煙草』について書いたことがあります。
2008年8月26日 『気楽文学』
青空文庫にもあるので時々読み返しては嗤っているのですが、嗤いながらも、どうしようもなく「自分も同じようなものだな」と思ってしまいます。決してこの世のすべての不運不幸を背負い込んでニヤリと笑うような太宰治氏の取り巻きになりたいということはなく……むしろそんな取り巻きに囲まれた太宰氏のもとに出て「ぼくは太宰さんの文学が嫌いなんです」と言い放った三島由紀夫さんのカチリとした文章が好きなんですが……。
ただ、『美男子と煙草』を読んでいると、普段の私の考え方を鏡映しにしたような描写が多く出てくるのです。もし私にお給仕をしてくれるパートナーがいれば、箸もお茶碗も放り出して泣きべそをかいていたと思います。残念なことに私のパートナーはすでになく、そのうえここ半年ばかり邪恋に焦がれ憂き身をやつして「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは令和五年の九月末なり」と芥川龍之介の『病中雑記』を捩って書きたくなるような強がりを言うのがせいぜいなのですが……
……いや、そんな状況だからこそ、『美男子と煙草』を読み返したのでしょう。自分の心を解放するために。
じつに、私にとっては文学とか美術とかっていうのは、自分の心を解放する行為なのです。
確かに私も人間ですから、アドラー先生の言う承認要求はあります。SNSで「いいね」をつけてもらえるよう一般向けの、フォトジェニックな、エモーショナルなものを求めて格好つけてみたこともあります。トレンド? という言葉のハッシュタグをつけて乗っかってみたことがあります。結果は無惨なものでしたが。
何よりもこの半年、……そう、確かにそれは恋でした!……私が恋をした相手に気に入ってもらいたくて、少しずつ自分を作っていきました。それは本来の自分とは違った彫像のようなものでしたが、それは結局、破綻してしまいました。私の心が、もうもたないところまで、来てしまったのです。
自分と違ったタイプの人に恋愛レベルで強く惹かれるのは無理からぬことではありますが、決して相容れない……論理と感情は天秤のように、どちらかが優勢になればもう一方は劣勢になるものであり……最初は「自分に欠けているものをこの人は持っている! これこそ理想のパートナーだ!」と思っても本来の自分が出てくると齟齬が出てきて、無理が生じる……そういうものである、ということは、河合隼雄先生の本で知っていました。
わかってはいました! わかってはいましたが!
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)
……ということです。
そして私は飛び降りました。衝突寸前でハンドルを切って、ガードレールを突き破って崖下に転落する道を選んだのです。
しかし、私は生き延びています。
ギリギリのところで私の心を文学と美術が救ってくれたのです。
文章を読んで想像する。美術作品を見て感情が湧く。
それで同じように心が活力を取り戻すなら、それでいいじゃないか。
そう思いました。
これから先、きっと私は、ずっと……こうして泣きべその気持ちを抱えながら生きていくことになると思います。
でも、仕方がないんです。これが私なんですから。
むしろ、こんな私の感情を突き詰めていって、「感じること、受け入れること」に関してであればだれにも負けない! というくらいに心を作って行ければいいかな、って気がしています。
『在りたい私』
今度はそう言うのを目指して、生きてみたいと思います。

…それは確実に進行しています。誰にも侵されない心の世界。それは神秘の本殿の奥深くに安置される本尊のようなものです。それを守るお社は、少しずつ作られています。
地上10階地下10階の大迷宮みたいなのがいいですね。カテドラルみたいなの。そのための資材はまだまだ足りません。もっともっと本を積み上げて、神秘の内的体験をしてみたいと思います。それが心のカテドラル建設というものです。
2008年8月26日 『気楽文学』
青空文庫にもあるので時々読み返しては嗤っているのですが、嗤いながらも、どうしようもなく「自分も同じようなものだな」と思ってしまいます。決してこの世のすべての不運不幸を背負い込んでニヤリと笑うような太宰治氏の取り巻きになりたいということはなく……むしろそんな取り巻きに囲まれた太宰氏のもとに出て「ぼくは太宰さんの文学が嫌いなんです」と言い放った三島由紀夫さんのカチリとした文章が好きなんですが……。
ただ、『美男子と煙草』を読んでいると、普段の私の考え方を鏡映しにしたような描写が多く出てくるのです。もし私にお給仕をしてくれるパートナーがいれば、箸もお茶碗も放り出して泣きべそをかいていたと思います。残念なことに私のパートナーはすでになく、そのうえここ半年ばかり邪恋に焦がれ憂き身をやつして「僕の神経衰弱の最も甚しかりしは令和五年の九月末なり」と芥川龍之介の『病中雑記』を捩って書きたくなるような強がりを言うのがせいぜいなのですが……
……いや、そんな状況だからこそ、『美男子と煙草』を読み返したのでしょう。自分の心を解放するために。
じつに、私にとっては文学とか美術とかっていうのは、自分の心を解放する行為なのです。
確かに私も人間ですから、アドラー先生の言う承認要求はあります。SNSで「いいね」をつけてもらえるよう一般向けの、フォトジェニックな、エモーショナルなものを求めて格好つけてみたこともあります。トレンド? という言葉のハッシュタグをつけて乗っかってみたことがあります。結果は無惨なものでしたが。
何よりもこの半年、……そう、確かにそれは恋でした!……私が恋をした相手に気に入ってもらいたくて、少しずつ自分を作っていきました。それは本来の自分とは違った彫像のようなものでしたが、それは結局、破綻してしまいました。私の心が、もうもたないところまで、来てしまったのです。
自分と違ったタイプの人に恋愛レベルで強く惹かれるのは無理からぬことではありますが、決して相容れない……論理と感情は天秤のように、どちらかが優勢になればもう一方は劣勢になるものであり……最初は「自分に欠けているものをこの人は持っている! これこそ理想のパートナーだ!」と思っても本来の自分が出てくると齟齬が出てきて、無理が生じる……そういうものである、ということは、河合隼雄先生の本で知っていました。
わかってはいました! わかってはいましたが!
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)
……ということです。
そして私は飛び降りました。衝突寸前でハンドルを切って、ガードレールを突き破って崖下に転落する道を選んだのです。
しかし、私は生き延びています。
ギリギリのところで私の心を文学と美術が救ってくれたのです。
文章を読んで想像する。美術作品を見て感情が湧く。
それで同じように心が活力を取り戻すなら、それでいいじゃないか。
そう思いました。
これから先、きっと私は、ずっと……こうして泣きべその気持ちを抱えながら生きていくことになると思います。
でも、仕方がないんです。これが私なんですから。
むしろ、こんな私の感情を突き詰めていって、「感じること、受け入れること」に関してであればだれにも負けない! というくらいに心を作って行ければいいかな、って気がしています。
『在りたい私』
今度はそう言うのを目指して、生きてみたいと思います。
…それは確実に進行しています。誰にも侵されない心の世界。それは神秘の本殿の奥深くに安置される本尊のようなものです。それを守るお社は、少しずつ作られています。
地上10階地下10階の大迷宮みたいなのがいいですね。カテドラルみたいなの。そのための資材はまだまだ足りません。もっともっと本を積み上げて、神秘の内的体験をしてみたいと思います。それが心のカテドラル建設というものです。
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