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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
久々に買った本を読んでいます。小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』です。

先日もちょっと書きましたが、ひとえに『無常という事』を16年ぶりに読みたいと思って買いました。

あとは、「美しい花がある。花の美しさというものはない」といった趣旨のことを見て、どうやらそれがこの評論集に収録されている『当麻』に出てきた言葉らしい、というのを知ったので、「まあ一冊くらい、手元においておいてもいいよな」と思い買った次第です。ちなみに同時に買ったのは村山早紀先生の『ルリユール』でした。これもまた、同じような理由です。感情的には「ぜひ、手元に置いときたい!」という感じで、かなり強力な思いですが。


いやはや、正直なところ、超・難解な文章です。こんなことを言うと、まるで自分はアホーだと言っているような感じですが、嘘をついても仕方がないので正直に言います。ほんの数ページを読むのに、10分とか15分とか、そのくらいかかっています。

これまで確かに多くの本を読んできたから、少しはいいだろうと思っていたのですが、読んできたのは主に小説でしたからね(しかも小中学生向けの本も少なくないし)。こうした評論文はあまり読んでこなかったですから、結構、苦戦しています。こんなに読み進めるのがツライのは、アシモフの科学エッセイ以来です。

多分こういうのって、読み手にもある程度の知識がないとダメなんですよね。アシモフの科学エッセイもそうだと思うんですけど、『モォツアルト』ならモーツァルトの音楽はどういうものなのか? というのをある程度、読み手もわかっていなくちゃいけない。さらにゲーテとかニーチェとかスタンダールとかのことも知らなきゃいけない。モーツァルトと言われてキダ・タロー先生の方が先に浮かぶような奴は「帰れ!」というところです。門前払いどころか江戸十里四方所払いと言ったところです。

そういう知識、見解を持った人が読んで初めて、この人の言うことが「そうだったのか!」とわかるわけであって、極めて断片的な知識しかない私などはバラエティ番組に出てくるバカタレントのようなリアクションを取るしかないわけです。


ただ、実は、わからないならわからないなりに読み進めていけばいいかなとも思っています。最初からちゃんと理解してやろうというのが思い上がりというか、ケンシロウ風に「すでにそれが過ちだということに気づかないのか」と言われかねないことですから。はう!! あおおえへげえっ!!(例の断末魔)

それに、一応日本語の文章ですからね。フランス語とかアラビア語の文章じゃないですから、数パーセントくらいはわかります。「無常という事」を高校生の頃に(現代文の授業で)読んだ時も一部――思い出が美しいのは、過去の方で余計な思いをさせないためである、ということ――を、ずっと覚えていて、それを頼りに今回こうして本を手に入れたわけですし。

まあ、これをスタートとして、色々な知識を深めた頃に読みなおして、「そうだったのか……」と味わえればいいかなと思っています。そのために、わざわざ買い入れたのだし。

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