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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
小林秀雄の「無常という事」を読んだのは、高校の現代文の授業でした。

正直なところ当時はその魅力の30%も理解できなかったんじゃないかな。それなりに本を読んでいるつもりではあったものの、やっぱりね。基本的なレベルが低かったですから。10代だからそれも当然なんですが。

そんなわけで、本のタイトルも詳しい内容もすっかり忘れていたのですが、思い出に関する解釈については、ずっと心に残っていました。

「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである」


あれは一体、誰の言葉だったろう。「思い出は美化される」という巷間の言葉に対する反撃の武器として、いつも心に留めていたものの、実はそのへんが非常に曖昧でした。それで何度も検索をかけて最近になってようやく「ああ、おそらくこういうことだったんだな」と納得した次第です。

そしてこの「無情という事」に関するネット上の様々な解説を読み、自分の体験にまぶしてコロコロと転がしているうちに、いきなりその言葉が腑に落ちたのです。おれもまた、そういうものに心惹かれているのだな、と(ここ1年くらいですが)。

まあ、まだオリジナルをちゃんと読んでいないので、これはあくまでも手前勝手な話です。時間が過去から現代にかけてずっとつながったものである、という考え方とあわせて、「現代における最大の妄想」というふうに思っていただければ結構です。後ほどきちんと読んで、その上で改めて文章を書きたいと思います。

でも、きっかけはつかめたと思うのです。あの時わからなかったことがわかるきっかけ。そして、過去・現在・未来をどう考え、生きていくかを考えるきっかけ。

やっぱり読書って、面白い。

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