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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
愚痴は好きではないのですが、認めざるを得ないので、一言だけ言います。

「どうすればわからないけど、どうすればいいのか考える――そして、どうにかする」

仕事って、そういうものだと思うんです。

「どうすればいいか聞いていないから、できない」

そんなことを平気でまくし立てる人間を見ると、赤木しげるのセリフを思い出します。言えば言うほどお前の恥になる・・‥オレはバカだと宣伝して回るのと一緒だ‥‥。


そんな最悪な精神状況で読んだ村山早紀先生の『黄金旋律―旅立ちの荒野』。ここからが今日の本題です。


主人公の少年・臨(14歳)は、あるきっかけで現代から数百年後の未来の病院で目覚めます。そこは見渡す限り廃墟が広がる、崩壊後の世界でした。しかも生物はその環境に適した進化を遂げており、ファンタジーさながらの世界でした。

そんな状況に戸惑いつつも、優しい看護師ロボットらと共に過ごす臨。しかしながら人との触れ合いを求めて外の世界に飛び出し、野性的な少年・ソウタや背中に翼の生えた猫・アルファと出会い・・・と、ここまでは表紙の折り返しに書いてあるあらすじです。

村山先生の本だから、つって手にとったものの、よくよく見ると私にとっては因縁深き『角川銀のさじシリーズ』。でもなあ、村山先生の本だからなあ・・・と思って、なんとか最後まで読みました。私があまり詳細なあらすじや解説を書いても仕方がないので、できるだけ感情的にざっくりと書きます。


なんというか、終始むずむずした気持ちで読み通しました。これは多分、14歳の男子らしい感情と、14歳らしからぬコンピュータなどの知識を併せ持った臨に対し、ちょっとしたコンプレックスを感じていたかもしれません。でも、『十方暮の町』を読んだ頃と比べれば格段に強力な哲学があるのでね。つまり、そのへんの感情的なせめぎあいがあったんでしょうね。

ただ、なんとか押し切りました。私の自我はゆるぎませんでした。その上で、

「まあ、君は君で頑張りたまえ」

そう言いながら本を閉じたのでした。ほんの少し、すさんだ気持ちが和らいだ気がします。


あとは、その・・・これは「何となくそう思った」というレベルなので、忘れてもらって構わないのですが・・・アレだ、私はどちらかというと、物語の世界に違和感なく溶け込めるような文章が好きだなと思いました。確かに臨も21世紀の遠野市(※)で暮らしていた人間なので、見たこともない世界に放り出された時は、もともと自分が持っていた世界観と照らしあわせて

「これはまるで映画みたいだ」
「確かこれは、○○って言うんだよな」

という感想を抱くのは、ごく自然な流れだと思うのですが、かえってそういうことを言われると、なんとなく興ざめしてしまいます。時代小説なんかを読んでいて「ここは現在では、こういう場所になっていて・・・」とかって言い方をされると、せっかくその時代の人間になりかけていたのに、急に21世紀に引き戻されてしまう。これまた興ざめです。

シバリョー先生よりも山岡荘八先生の方が好きになったのは、そういう事情もあるのかもしれません。

ま、そんな感じでした。ひとまず、これで一勝一敗。角川銀のさじシリーズとの戦い、引き分けということでいいでしょう。


※ 我が岩手県にも同名の街がありますが、隣に毎度おなじみ風早の街があるそうなので、きっと別な街でしょう)

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