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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
このところ、とにかく読んだ本の感想ばかり書いてきた我がブログですが、これについての弁明と反省をします。

こうも本を読みまくっていたのは、ひとえに日常生活における不安感から逃れるためでした。毎日の仕事のプレッシャー、未来(具体的には7月以降)への不安、などなど。

「おれは、あの仕事をきちんとやっただろうか」

一応キッチリと仕上げて出した自負はあるのですが、どうしても、どこかで手落ちがあったんじゃないかという思いが……いつも付きまとい、なかなか心が晴れる日がありません。

そういった心の弱さを内面から鍛えなおしたり、緊張を和らげたりするために、とにかく連続して本を読んだというしだいです。

……あとは、手にかけた『小説徳川家康』が世界最長レベルの作品なので、それを読み終わったあとも『何か読んでいないともやもやする』というニコチン中毒のような症状もあったかもしれません。

とはいても、やはり本を読むだけではいけません。ちゃんと自分のものにしなければ西郷南州翁に『書物の虫』といわれてしまうし、三浦梅園からは「衒学くさい野郎だな」と不愉快な顔をされてしまいます。もっとも、ということを新渡戸稲造先生の『武士道』を読んで気づかされたのだから「オイオイ」と言われるかもしれませんが、ともかくそういうことです。


本の知識がそのままでは役に立たないことは、10年前に痛感しました。ただでさえ学生時代にアルバイトというのをただの1秒もしたことがなく、知識は本やネットで仕入れたようなのばかり。その知識によって作り上げられた私という商品はどうにも買い手がなく、やっともぐりこんだ会社でも最低ラインを1年以上這いずり回り、抗不安薬なしでは生活できないほど追い込まれました。

そういうこともあって、ろくすっぽ本を読まずに過ごしていた頃もありましたが、去年PCが故障したことをきっかけに、また本を読むようになりました。今思うと、読んでレポートを書かなきゃいけないとか、そういうことがないので、大学時代よりシンプルに読書を楽しめているような気がします。だから冊数もそれなりに積みあがったのかな。って、数の問題じゃないですけどね。


ともかく、『小説徳川家康』の再開に始まった2014年の我が読書生活は、ここでちょっと小休止です。少し手綱を緩めて、ゆっくりゆっくりと溜め込んだ知識を活かす道を探っていきたいと思います。活人剣みたいなものです。そういうわけで私の手元には、先週申請した『柳生宗矩』が到着したから取りに来るようにというはがきがあります。結局また読書ってマジっすか先輩!?(紙兎ロペふうに)

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