×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昔、大槻ケンヂという人のエッセイで、マス大山の正拳一発! というエッセイがあった、という文章を読んだことがありました。それによると基本的にどんな悩みも
「君ィ! 極真空手をやりなさい」
で解決するそうです。何を言っても。いじめも借金も女性関係も全部、空手。まさに空手至上主義。というか空手原理主義。すごい。
一方で北方謙三という人は若者向けにこう言ったそうです。
「死にたくなったら読書百冊。うち二冊は太宰治。ただし太宰は続けて読むなよ(ニヤリ)」
……かっこいいなと思うのです。そして結構、むちゃくちゃに見えて、真理を突いているのかなと思うのです。
私のこのところの持論は、「悩む時というのは結構、体力があまっている時」であって、ちょっと何かして疲れてしまえば余計なことに気が回らず、結果として無駄が省けてすっきりするようなところがあります。
だからもやもやしたら、とりあえず走ることにしています。といっても真っ昼間はオフィスに詰めていて、そこで走り回るわけにもいかないので、主に帰り道になりますが、走ります。といっても別に長時間・長距離あるいは「このくらいの距離を走ろう」と決めてそうするわけではなく、ただ息が切れるまで走ります。
とりあえず走る。で、息が切れたら歩く。その繰り返し。
駐車場につくころには息も上がり、汗もドバドバ流れていますが、不思議と気持ちが落ち着いている。こころもまた肉体の調子の上にあるとすれば、色々考えることになんてエネルギーまわしてられんよ、全エネルギー波動砲に集中させろ、みたいな状況になっているのでしょう。
そうやって思い切り疲れることをよくやっているからなのか、イエーガーマイスターを飲まなくても朝の目覚めがよくなりつつあります。結構、健康になりつつあるのか知らん。そうするとFLAT FEELINGどころか、もっと元気で前向きなFEELINGになってしまうかもしれません。いいことですよね。それはきっとね。
「君ィ! 極真空手をやりなさい」
で解決するそうです。何を言っても。いじめも借金も女性関係も全部、空手。まさに空手至上主義。というか空手原理主義。すごい。
一方で北方謙三という人は若者向けにこう言ったそうです。
「死にたくなったら読書百冊。うち二冊は太宰治。ただし太宰は続けて読むなよ(ニヤリ)」
……かっこいいなと思うのです。そして結構、むちゃくちゃに見えて、真理を突いているのかなと思うのです。
私のこのところの持論は、「悩む時というのは結構、体力があまっている時」であって、ちょっと何かして疲れてしまえば余計なことに気が回らず、結果として無駄が省けてすっきりするようなところがあります。
だからもやもやしたら、とりあえず走ることにしています。といっても真っ昼間はオフィスに詰めていて、そこで走り回るわけにもいかないので、主に帰り道になりますが、走ります。といっても別に長時間・長距離あるいは「このくらいの距離を走ろう」と決めてそうするわけではなく、ただ息が切れるまで走ります。
とりあえず走る。で、息が切れたら歩く。その繰り返し。
駐車場につくころには息も上がり、汗もドバドバ流れていますが、不思議と気持ちが落ち着いている。こころもまた肉体の調子の上にあるとすれば、色々考えることになんてエネルギーまわしてられんよ、全エネルギー波動砲に集中させろ、みたいな状況になっているのでしょう。
そうやって思い切り疲れることをよくやっているからなのか、イエーガーマイスターを飲まなくても朝の目覚めがよくなりつつあります。結構、健康になりつつあるのか知らん。そうするとFLAT FEELINGどころか、もっと元気で前向きなFEELINGになってしまうかもしれません。いいことですよね。それはきっとね。
PR
どちらかというと一関市民にとってリアルな記憶、あるいは伝承として伝えられているかとは思いますが、私が住んでいた盛岡市にも一応かかわりがあるので書きます。
北上川。岩手県民にとっては利根川より多摩川より最上川より馴染み深い川です。岩手の黄河、盛岡の長江と言ってもいいくらいです(よくないです)。とにかくでかい川なのですが、ここには昔、「この台風の時はココまで水位が来ました」という看板がありました。今は護岸工事をして小奇麗になったから、もうないのかな。それに私もその街の住人じゃないですしね。
で、そこにあったのが「カサリン台風」「アイオン台風」でした。
カサリンというのはKATHLEENであって一般的にはカスリーン台風というのでしょうか。チャートを見ると岩手にダイレクトに来たようには見えないのですが、ともかく雨量がすさまじいために大変な被害を受けたといいます。盛岡でもずっと記録に残っているくらいだから、とんでもない水量だったのでしょう。
アイオン台風はその翌年に来て、関東をざっと洗い流し、再び岩手県に大打撃を与えました。死者・行方不明者の大半が一関市でした。というのは北上川が氾濫したためなようですが、台風の被害がそれほど深刻ではない岩手県に住まう者として、とにかくその名前だけはよく覚えています。
ちなみにこの大被害を教訓として作られた巨大ダム「四十四田ダム」は人工の建造物のくせに「南部片富士湖」と呼ばれているそうです。地元なのに知らなかったですよ。
関連リンク
http://www.teganuma.ne.jp/
「一関のおもいで」→「台風の記憶」とたどっていくと、当時の写真とかがあります。
http://www.d2.dion.ne.jp/~mjro_3/takara/caslin.html
地元の小学生が演じた当時の状況についていろいろ書かれています。住民のために最後まで安否を気遣い、殉職した警察官の方もおられたようで、ちょっと目頭が熱くなる思いでした。
ようやく台風が、九州方面に深い爪痕を残しつつも去ったかと思ったら、今度は新潟でまた巨大な地震が起こり……天変地異が続いていますね。だからというわけではないのですが、今回は記憶にずっと残っているこのふたつの台風のことについて書きました。普段から我々はこういった教訓に基づき、気をつけなければならないのでしょうね、などと今回はまじめに締めくくってみましたがいかがでしょうか。
北上川。岩手県民にとっては利根川より多摩川より最上川より馴染み深い川です。岩手の黄河、盛岡の長江と言ってもいいくらいです(よくないです)。とにかくでかい川なのですが、ここには昔、「この台風の時はココまで水位が来ました」という看板がありました。今は護岸工事をして小奇麗になったから、もうないのかな。それに私もその街の住人じゃないですしね。
で、そこにあったのが「カサリン台風」「アイオン台風」でした。
カサリンというのはKATHLEENであって一般的にはカスリーン台風というのでしょうか。チャートを見ると岩手にダイレクトに来たようには見えないのですが、ともかく雨量がすさまじいために大変な被害を受けたといいます。盛岡でもずっと記録に残っているくらいだから、とんでもない水量だったのでしょう。
アイオン台風はその翌年に来て、関東をざっと洗い流し、再び岩手県に大打撃を与えました。死者・行方不明者の大半が一関市でした。というのは北上川が氾濫したためなようですが、台風の被害がそれほど深刻ではない岩手県に住まう者として、とにかくその名前だけはよく覚えています。
ちなみにこの大被害を教訓として作られた巨大ダム「四十四田ダム」は人工の建造物のくせに「南部片富士湖」と呼ばれているそうです。地元なのに知らなかったですよ。
関連リンク
http://www.teganuma.ne.jp/
「一関のおもいで」→「台風の記憶」とたどっていくと、当時の写真とかがあります。
http://www.d2.dion.ne.jp/~mjro_3/takara/caslin.html
地元の小学生が演じた当時の状況についていろいろ書かれています。住民のために最後まで安否を気遣い、殉職した警察官の方もおられたようで、ちょっと目頭が熱くなる思いでした。
ようやく台風が、九州方面に深い爪痕を残しつつも去ったかと思ったら、今度は新潟でまた巨大な地震が起こり……天変地異が続いていますね。だからというわけではないのですが、今回は記憶にずっと残っているこのふたつの台風のことについて書きました。普段から我々はこういった教訓に基づき、気をつけなければならないのでしょうね、などと今回はまじめに締めくくってみましたがいかがでしょうか。
もしあなたが今、首をつるロープを探しているのならば、その前にお酒を飲んでみてください。
そして考えてみてください。
どうして、首をつるロープを探しているのか。
それは、どうにかできそうなことではないですか?
首をつるのは5分もあれば出来ます。けれど、その前に。
どうせいつでもできるのだから、いつでも出来ないことから、先にやってみてはいかがでしょうか。
また、首をつるのは今度、ということになることでしょうから。
……と、まあ、なにやら富士の遊歩道の傍らにある看板のようなメッセージを考えてみました。私は富士吉田には行ったことがないのですが、資料として手に入れた某マニュアルにはこんなことを書いてある立て看板がある、と写真入で解説が載っておりイメージダウンに一役買った? 感があります。迷子はやばいぞFU-JI-SANってそれは電気グルーヴ。
それにしても、少ない言葉でいいことを書く。詩人というのは実にすごいと思うのです。私なんかは色々と詰め込んで書いてしまう性格なので、散文というか散弾銃みたいなメチャクチャな文章になってしまいますし。でもそうかと思えば、散文詩と呼ばれる形式もあるし、どちらにしても私は結構、町田康さんの文体の真似を好んでするところがあるようです。イエイ。
そして考えてみてください。
どうして、首をつるロープを探しているのか。
それは、どうにかできそうなことではないですか?
首をつるのは5分もあれば出来ます。けれど、その前に。
どうせいつでもできるのだから、いつでも出来ないことから、先にやってみてはいかがでしょうか。
また、首をつるのは今度、ということになることでしょうから。
……と、まあ、なにやら富士の遊歩道の傍らにある看板のようなメッセージを考えてみました。私は富士吉田には行ったことがないのですが、資料として手に入れた某マニュアルにはこんなことを書いてある立て看板がある、と写真入で解説が載っておりイメージダウンに一役買った? 感があります。迷子はやばいぞFU-JI-SANってそれは電気グルーヴ。
それにしても、少ない言葉でいいことを書く。詩人というのは実にすごいと思うのです。私なんかは色々と詰め込んで書いてしまう性格なので、散文というか散弾銃みたいなメチャクチャな文章になってしまいますし。でもそうかと思えば、散文詩と呼ばれる形式もあるし、どちらにしても私は結構、町田康さんの文体の真似を好んでするところがあるようです。イエイ。
何かを検索してよく引っかかってくるのが「Wikipedia」であり「はてなダイヤリー」であり「関心空間」あたりだと思うのですが、このうちWikipedia以外のふたつが、私はあいにくとあまり詳しくなく、まあ「はてな」なんたらというのはWikipediaのもう少し砕けたようなところのようですが、「関心空間」ってなんじゃい。
……よくわからないのですが、個人が好き勝手にいろいろなことを書ける場所なようですね。
たとえば私はこのところ菅野よう子サンの関係で、遠藤響子という人の「走れ走れ」といううたが好きで、よく聞いていたのですが、これについて調べてみると、「関心空間」の項目が出てきました。
私はこういうの好きですよ。「湾岸ミッドナイト」で色々なポエムに触れてきましたから、結構こういうポエムね。好きです。あまり行き過ぎたポエムはちょっとスミマセン勘弁してくださいですが、自分で自分の言葉に酔っていい気持ちになる、さらにそれを推し進めて誰かに語る。いい言葉だからみんなに伝えたい。そういうのが好きなら、そういうことができるのなら、いいんじゃないでしょうか。
……よくわからないのですが、個人が好き勝手にいろいろなことを書ける場所なようですね。
たとえば私はこのところ菅野よう子サンの関係で、遠藤響子という人の「走れ走れ」といううたが好きで、よく聞いていたのですが、これについて調べてみると、「関心空間」の項目が出てきました。
私はこういうの好きですよ。「湾岸ミッドナイト」で色々なポエムに触れてきましたから、結構こういうポエムね。好きです。あまり行き過ぎたポエムはちょっとスミマセン勘弁してくださいですが、自分で自分の言葉に酔っていい気持ちになる、さらにそれを推し進めて誰かに語る。いい言葉だからみんなに伝えたい。そういうのが好きなら、そういうことができるのなら、いいんじゃないでしょうか。
一般に欲しいものは努力して手に入れるものであって、特に大好きなスポーツカーに乗っている人などは、手に入れるために大変な努力をしているわけですよね。バイトをする、ホストをする、とかなんとか。
「湾岸ミッドナイト」で現在RX-7というスポーツカーを運転している荻島さんという人も、大学時代にめいっぱいバイトしてお金をためて買ってるわけでして、やっぱりそれが普通なんですよね。
主人公も「悪魔のZ」は解体屋で引っ張ってきたものですが最初の車はバイトでお金をためて買ったそうですし、本当に元手なしで解体屋からMR2(SW11)を持ってきたりガルウイングでバッテリー上がってるのにライトが光ったりするのはたぶん空想の四乗ぐらいありえないことなのでしょう。「彼女のカレラ」は父親の遺産がカレラRSだそうなので、少し違いますが、まあよろしい。
で、私が今乗っているCN21S(スズキ・アルト)は元手ゼロで手に入れたものです。というか名義が別な方なので、かれこれ3年ぐらい借りっぱなしになっているものです。
5桁のメーターが一回り以上していて、走行距離は「不明」ですが、よく走ります。さすが鋳鉄ブロック(たぶん)だからタフですね。ブレーキはちょっと甘いですが、よく走ります。
ただやはりFDやらGT-RやらカレラRSやらランボルギーニやらフェラーリやらと比べるとちょっとコンプレックス、高嶺の花、しょぼん……となってしまうわけで、いい車に乗らないとそう行った世界の人たちのことはわからないんだろうなあ、と落ち込んでしまいます。
そうなると、免許さえ持っていなかったころがまだしも幸せだったのかもしれません。免許もなく、車もなく、運転するということは「GT3」とかをやること。ゲームをやることがそのまま「運転する楽しみ」なのですから、ランエボだろうとFDだろうとレーシングカーだろうと思いのまま。
プレステ2のコントローラを握り締めて「やはりFDのシャープさはピカイチだね」とか「チューンしてもちゃんとついてくるから、RB26はすごいよ」などと無邪気にうそぶくことができたのですから。
夢を見て楽しみたいと思っても、夢を見る手前に現実が見えてしまうのは、ほんの少しつらいです。車が好きでない人は、そういうコンプレックスでしょんぼりすることがない分、幸せだと思います。私もそうなろうと思って生きてきましたが、やっぱりこころの基礎に自動車への気持ちがあるせいか、ちょっと無理なようです……。
「湾岸ミッドナイト」で現在RX-7というスポーツカーを運転している荻島さんという人も、大学時代にめいっぱいバイトしてお金をためて買ってるわけでして、やっぱりそれが普通なんですよね。
主人公も「悪魔のZ」は解体屋で引っ張ってきたものですが最初の車はバイトでお金をためて買ったそうですし、本当に元手なしで解体屋からMR2(SW11)を持ってきたりガルウイングでバッテリー上がってるのにライトが光ったりするのはたぶん空想の四乗ぐらいありえないことなのでしょう。「彼女のカレラ」は父親の遺産がカレラRSだそうなので、少し違いますが、まあよろしい。
で、私が今乗っているCN21S(スズキ・アルト)は元手ゼロで手に入れたものです。というか名義が別な方なので、かれこれ3年ぐらい借りっぱなしになっているものです。
5桁のメーターが一回り以上していて、走行距離は「不明」ですが、よく走ります。さすが鋳鉄ブロック(たぶん)だからタフですね。ブレーキはちょっと甘いですが、よく走ります。
ただやはりFDやらGT-RやらカレラRSやらランボルギーニやらフェラーリやらと比べるとちょっとコンプレックス、高嶺の花、しょぼん……となってしまうわけで、いい車に乗らないとそう行った世界の人たちのことはわからないんだろうなあ、と落ち込んでしまいます。
そうなると、免許さえ持っていなかったころがまだしも幸せだったのかもしれません。免許もなく、車もなく、運転するということは「GT3」とかをやること。ゲームをやることがそのまま「運転する楽しみ」なのですから、ランエボだろうとFDだろうとレーシングカーだろうと思いのまま。
プレステ2のコントローラを握り締めて「やはりFDのシャープさはピカイチだね」とか「チューンしてもちゃんとついてくるから、RB26はすごいよ」などと無邪気にうそぶくことができたのですから。
夢を見て楽しみたいと思っても、夢を見る手前に現実が見えてしまうのは、ほんの少しつらいです。車が好きでない人は、そういうコンプレックスでしょんぼりすることがない分、幸せだと思います。私もそうなろうと思って生きてきましたが、やっぱりこころの基礎に自動車への気持ちがあるせいか、ちょっと無理なようです……。
昨日は宮古浄土ヶ浜・とどヶ崎灯台に行ってきました。ちなみにとどヶ崎の「とど」は魚へんに毛と書きますが、そういう漢字は出てこない(文字化けてしまう)場合がありますのでここではひらがなで表記させていただきます。
基本的にとど山のてっぺんにあるので、3.8キロに及ぶ山道を歩かなければならず、結構きつかったり狭かったり舗装されていたりされていなかったりで、普段着で着た私の足には結構こたえました。
だからといって休むわけには行かず、今日も今日とてお仕事お仕事。内勤で助かりました。しかしながら徐々に下半身全体が筋肉痛となり、足首もふくらはぎもひざも太もももなぜかお尻も痛く、日ごろいかに運動していないかをまさに「痛感」した次第でございまして、うまいねー、犬神さんの座布団全部持っていきな。あんまりうまくないですからね。ん? うまくなければスルーされてそのまま次の楽太郎さんあたりに振られるのかな。
筋肉痛が遅れてやってくるのが少し切ない気もしますが、ここであきらめたりへこたれたりせず、筋肉痛が「やってこない」くらいハードに鍛え上げればいいんじゃないの、などと思ったりもしましたが、そうなる前に歩けなくなるんじゃないかという心配もあり、やっぱり程々が一番ですよ皆様。なんつって、明日も早いので今日はイエーガーマイスター飲んで寝ちまいます。よい夢を、おやすみ。
基本的にとど山のてっぺんにあるので、3.8キロに及ぶ山道を歩かなければならず、結構きつかったり狭かったり舗装されていたりされていなかったりで、普段着で着た私の足には結構こたえました。
だからといって休むわけには行かず、今日も今日とてお仕事お仕事。内勤で助かりました。しかしながら徐々に下半身全体が筋肉痛となり、足首もふくらはぎもひざも太もももなぜかお尻も痛く、日ごろいかに運動していないかをまさに「痛感」した次第でございまして、うまいねー、犬神さんの座布団全部持っていきな。あんまりうまくないですからね。ん? うまくなければスルーされてそのまま次の楽太郎さんあたりに振られるのかな。
筋肉痛が遅れてやってくるのが少し切ない気もしますが、ここであきらめたりへこたれたりせず、筋肉痛が「やってこない」くらいハードに鍛え上げればいいんじゃないの、などと思ったりもしましたが、そうなる前に歩けなくなるんじゃないかという心配もあり、やっぱり程々が一番ですよ皆様。なんつって、明日も早いので今日はイエーガーマイスター飲んで寝ちまいます。よい夢を、おやすみ。
いいことを言ってやろう、と思いましたが、やめました。どうでもいいじゃん、とかと酒を飲みながら思ったからです。
でも私自身はいい言葉がほしくて、でも誰もくれないっぽいので自分で言います。
出来ることをして、出来ないけど手が届きそうなことをする。それでいいんじゃないですかね。
何も書くことがなくて、すみません。今日は遅かったんです。明日も早いんです。だkら今日もイエーガーマイスターを飲んで、寝ます。ちょっと足りないかな。でもこれくらいがいいんですよね。きっとね。
でも私自身はいい言葉がほしくて、でも誰もくれないっぽいので自分で言います。
出来ることをして、出来ないけど手が届きそうなことをする。それでいいんじゃないですかね。
何も書くことがなくて、すみません。今日は遅かったんです。明日も早いんです。だkら今日もイエーガーマイスターを飲んで、寝ます。ちょっと足りないかな。でもこれくらいがいいんですよね。きっとね。
牛乳を飲む。ゴクゴク……。
オレンジジュースを飲む。……。
イエーガーマイスターを原液で飲む……うぐう!
やはりきついですね。いくら翌朝が早いからとはいえ、やはりストレートはきついですね。もちろん氷を大量にぶち込んでるから、徐々に薄まってちょうどよくなっていくのですが、そのまま原液を飲み込むのはやっぱりきついです。
ところでオン・ザ・ロックというのは、なるほど、氷が溶けて徐々に薄まっていくから、変わり行く味わいを楽しめる……というのが本来のようですね。私はお酒のことはあまり詳しくないがために、単純に冷やしてうまいってぐらいに思っていたのですが。言われてみれば適度に薄まっておいしく感じられるのは、そういうことなのかな……と。
あとは、「シングル」とか「ダブル」とかっていうのは、量のことなんですね。今日で26歳になるというのにそんなことも知らずに生きていたようです私は。ダブルでおかわり。一度言ってみたいせりふですね。
ただ、まあそれほど酒は強くないし、「寝覚めがよくなる」とか「胃腸がよくなる」ということがなければまず飲まないでしょうが。あとは、飲む時は氷をぶち込んで、しばらくその氷が溶けてから飲むことにします。
それから、今日でめでたく26歳になりました。だからどうした、なんて言わないで今後ともいっそう精進していきたいと思います。何に?
オレンジジュースを飲む。……。
イエーガーマイスターを原液で飲む……うぐう!
やはりきついですね。いくら翌朝が早いからとはいえ、やはりストレートはきついですね。もちろん氷を大量にぶち込んでるから、徐々に薄まってちょうどよくなっていくのですが、そのまま原液を飲み込むのはやっぱりきついです。
ところでオン・ザ・ロックというのは、なるほど、氷が溶けて徐々に薄まっていくから、変わり行く味わいを楽しめる……というのが本来のようですね。私はお酒のことはあまり詳しくないがために、単純に冷やしてうまいってぐらいに思っていたのですが。言われてみれば適度に薄まっておいしく感じられるのは、そういうことなのかな……と。
あとは、「シングル」とか「ダブル」とかっていうのは、量のことなんですね。今日で26歳になるというのにそんなことも知らずに生きていたようです私は。ダブルでおかわり。一度言ってみたいせりふですね。
ただ、まあそれほど酒は強くないし、「寝覚めがよくなる」とか「胃腸がよくなる」ということがなければまず飲まないでしょうが。あとは、飲む時は氷をぶち込んで、しばらくその氷が溶けてから飲むことにします。
それから、今日でめでたく26歳になりました。だからどうした、なんて言わないで今後ともいっそう精進していきたいと思います。何に?
長いシリーズものの小説で、ある特定の人物をあらわす時、毎回同じ説明描写で読者に「ああ、この人が出てきたんだな」とわからせる技法があるようです。
たとえば私が、高校生のころ異様にハマった門田泰明先生の「黒豹」シリーズで、主人公・黒木豹介(職業:特命武装検事)が出てくると「ロダンの彫刻のような……」という描写が始まり、これが出てくれば街中だろうと首相官邸だろうと昭和基地だろうとラブホテルのシャワー室だろうと「ああ、黒木が出てきたんだな」とわかります。
同様に「餓狼伝」という小説で、なんでもかんでも「太い」という説明で出てくる男がいます。たとえば、
その男は、太かった。眼も。腕も。足も。鼻も。首も。吐く息も。眼光も。……
吐く息とか眼光とかも太いわけで、思わず笑ってしまいます。イメージされるのは当然といいますか、板垣恵介版の松尾象山その人です。このことに関して夢枕先生は、
「うん、太くしちゃった」
と、「ころりと言葉を吐き出した」と思わず夢枕言葉になってしまいますが、そんな感じでした。そしてその描き方が、結果として「松尾象山=絶対無敵」という事実?をどんどん強固なものにしているのかな、という気がしました。
「太い」というのは絶対的な安心感を感じますね。色々な技術論とか精神論とかを、そっくり丸めて「こうすりゃいいんだろ」って、無造作にポンと放り投げるような、豪快さと明るさというか。
こういうのがいいなあ、と思うのです。身近に師匠としてこういう人がいたら、すごくいいだろうなって。まあ、実際にいないから余計にそう思うのかもしれませんが。
というわけで、私も少し太く生きてみようかなと心掛けているところですが、何せ26年間「細く長く」生きて来たために、太く生きるためにはもう26年かけなきゃならないのかな……でも26年経ったら大体、今の松尾館長ぐらいの年齢になってるだろうし……。
たとえば私が、高校生のころ異様にハマった門田泰明先生の「黒豹」シリーズで、主人公・黒木豹介(職業:特命武装検事)が出てくると「ロダンの彫刻のような……」という描写が始まり、これが出てくれば街中だろうと首相官邸だろうと昭和基地だろうとラブホテルのシャワー室だろうと「ああ、黒木が出てきたんだな」とわかります。
同様に「餓狼伝」という小説で、なんでもかんでも「太い」という説明で出てくる男がいます。たとえば、
その男は、太かった。眼も。腕も。足も。鼻も。首も。吐く息も。眼光も。……
吐く息とか眼光とかも太いわけで、思わず笑ってしまいます。イメージされるのは当然といいますか、板垣恵介版の松尾象山その人です。このことに関して夢枕先生は、
「うん、太くしちゃった」
と、「ころりと言葉を吐き出した」と思わず夢枕言葉になってしまいますが、そんな感じでした。そしてその描き方が、結果として「松尾象山=絶対無敵」という事実?をどんどん強固なものにしているのかな、という気がしました。
「太い」というのは絶対的な安心感を感じますね。色々な技術論とか精神論とかを、そっくり丸めて「こうすりゃいいんだろ」って、無造作にポンと放り投げるような、豪快さと明るさというか。
こういうのがいいなあ、と思うのです。身近に師匠としてこういう人がいたら、すごくいいだろうなって。まあ、実際にいないから余計にそう思うのかもしれませんが。
というわけで、私も少し太く生きてみようかなと心掛けているところですが、何せ26年間「細く長く」生きて来たために、太く生きるためにはもう26年かけなきゃならないのかな……でも26年経ったら大体、今の松尾館長ぐらいの年齢になってるだろうし……。
私の住まう街から東へ90キロくらい行ったところに龍泉洞というところがあります。いわゆる鍾乳洞ですね。日本三大鍾乳洞などといわれていますが、あとふたつがどこなのかはわかりません。もっとも、wikipediaでもそういう風に謳っているのでしょうから間違いはないでしょうね。
特徴はとにかく水が綺麗なこと。ライトアップされているからなのか、何なのか知りませんが、奥深くにある地底湖はものすげぇ綺麗です。またその道中も、鍾乳石が色々な形を作っていて、非常に面白いです。
一応、今回の目的としては「真っ暗いところで写真を撮ったらどうなるのか」ということを実験したくて、という名目がありました。屋外であれば百数十枚に及ぶ様々な撮り方を試し、おおよそのイメージはつかめてきたのですが、まっくらくらなところで写すとどうなるのか。フラッシュをつけるか、フラッシュをつけずにしばらく開放して撮るのか。
以前、土門拳という写真家が仏堂の中で絞りを30分くらい開放してフラッシュを使わずに撮影したらどうなるか、というのをやってみたら全然ダメだった、という話もありましたが、やはり自分でやってみないとわからない。というわけで現像に出して結果が帰ってくるのは何日後かな。
ただ今回は写真撮影よりもむしろ「とりあえず岩泉龍泉洞までの道のりはどんなもんかね」という、行くこと自体に意義がある、みたいな感じでして、上ったり下ったりめちゃくちゃきついカーブがあったりゆるい左カーブでトンネルに入ったらいきなり壁(=超きつい右カーブ)があってうおおおおってなったりして、挙句の果てに腹が減っては何とやらつって名物のいわな寿司とカツ丼をガツガツ食べてうまいねぇ…って何をしにいったんだ私は。
しかも走っている途中で、海岸まで10数キロで届くということで、海にすごい憧れがある私は龍泉洞探索、龍泉新洞科学館研究を終え、腹ごしらえを済ませて海へ。うおおおお。海はまだか海はまだか。走りつづけること30分。そしてついに小本港という看板が見えてきた。わああああ。海だー。
……海でしたが、そこは100パーセント商業港でした。しかも建設途上みたいで、私のような素人はすみません間違えましたっつってくるりと方向転換。その後は道に迷ったり展望台に上ったり、展望台の上まで登ったのはいいけれど木が生い茂ってあんまりいい眺めじゃなかったりまた道に迷ったりして、とにかく何とか海を見て、潮のにおいを感じ、数枚写真を撮って帰ってきました。
本日の出費:1000円(龍泉洞入洞料金)
1480円(昼飯)
950円(お土産とか)
本日の燃費:20kぐらい/L
特徴はとにかく水が綺麗なこと。ライトアップされているからなのか、何なのか知りませんが、奥深くにある地底湖はものすげぇ綺麗です。またその道中も、鍾乳石が色々な形を作っていて、非常に面白いです。
一応、今回の目的としては「真っ暗いところで写真を撮ったらどうなるのか」ということを実験したくて、という名目がありました。屋外であれば百数十枚に及ぶ様々な撮り方を試し、おおよそのイメージはつかめてきたのですが、まっくらくらなところで写すとどうなるのか。フラッシュをつけるか、フラッシュをつけずにしばらく開放して撮るのか。
以前、土門拳という写真家が仏堂の中で絞りを30分くらい開放してフラッシュを使わずに撮影したらどうなるか、というのをやってみたら全然ダメだった、という話もありましたが、やはり自分でやってみないとわからない。というわけで現像に出して結果が帰ってくるのは何日後かな。
ただ今回は写真撮影よりもむしろ「とりあえず岩泉龍泉洞までの道のりはどんなもんかね」という、行くこと自体に意義がある、みたいな感じでして、上ったり下ったりめちゃくちゃきついカーブがあったりゆるい左カーブでトンネルに入ったらいきなり壁(=超きつい右カーブ)があってうおおおおってなったりして、挙句の果てに腹が減っては何とやらつって名物のいわな寿司とカツ丼をガツガツ食べてうまいねぇ…って何をしにいったんだ私は。
しかも走っている途中で、海岸まで10数キロで届くということで、海にすごい憧れがある私は龍泉洞探索、龍泉新洞科学館研究を終え、腹ごしらえを済ませて海へ。うおおおお。海はまだか海はまだか。走りつづけること30分。そしてついに小本港という看板が見えてきた。わああああ。海だー。
……海でしたが、そこは100パーセント商業港でした。しかも建設途上みたいで、私のような素人はすみません間違えましたっつってくるりと方向転換。その後は道に迷ったり展望台に上ったり、展望台の上まで登ったのはいいけれど木が生い茂ってあんまりいい眺めじゃなかったりまた道に迷ったりして、とにかく何とか海を見て、潮のにおいを感じ、数枚写真を撮って帰ってきました。
本日の出費:1000円(龍泉洞入洞料金)
1480円(昼飯)
950円(お土産とか)
本日の燃費:20kぐらい/L
何か不愉快なことが立て続けに起こり、しかもそれが主に他人に端を発することばかりであれば、他人を怒ることもあることでしょう。そんな時におすすめなのが「ジョジョの奇妙な冒険」第5部からのこのセリフです。
「この世はアホだらけなのかァ~~~」(ゴゴゴゴゴ)
あまり人に聞かせるセリフではないので、トイレの個室にでも入った時に言ってみるといいかもしれません。ただし自分に原因がある時は、ただの責任転嫁になりますので、決して言わないようにしましょう。いや、別に私に嫌なことがあったわけじゃなくて……。
とはいえ、私も精神修養がまだまだでして、時々仕事上やそれ以外上での理不尽な出来事や振る舞いに少なからず腹が立つことがあります。怒りゲージがたまることがあります。もちろん私はヘボな社会人ゆえ特に何もしないのですが、これではストレスがたまるばかり。
怒りを発散させる方法とか、怒りをごまかす方法というよりは、そもそも怒らないようにしなければなりません。徳川家康公も言っていました。「怒りは敵」と。一方で結構短気だったとかと聞きますが、どちらにせよあんまり怒ってるとことを仕損じるしかえって敵が増えるし、いいことはあまりありませんしね。
だから、どうすればいいのか。私のアイデアとしてはやはり「自分を俯瞰で見る」ということでしょうか。
頭に血が昇る。ゲージがたまる。堪忍袋がメルトダウンした。しゃらくせぇ!……と普段ポケットにしまっている設定上の左手を取り出し飛び上がって誰かを襲う一歩手前でぐっと踏みとどまり、後ろから冷静に眺める。
そうすると、怒りの種が結構小さな火種というか、「何だ、こんなことか」と言うことに気づいてしまいます。あとはそれをうまくかわして、いなして、えいやっと消化してしまえば冷静さを保つことが出来ます。ちっ、くだらねぇ、ってね。なおこれはあくまでも一例であり、別にこのように香港を根城にする沖縄出身のヤクザ上がりのブローカーの真似をする必要はありません。
怒っている人よりも冷静な人の方が強いというのは「グラップラー刃牙」でもよく出てきます。理想的にはやはり渋川先生の領域でしょうか。いや平常時の。戦わないのが理想って言う時の。だからあの、ケガしてるジュニアの人をギタギタにしてる時じゃなくてッッ。
……といっても、言うは易し。その領域に達するには、私もまだまだ精神修養が足りないようです。これではナコルルにまた諌められてしまいます。精神修養もしっかりね、って。とにかく格闘ゲームからの引用が多いのはやはり「餓狼伝説スペシャル」のサントラを聞きながらこのブログを書いているからか。烈風拳。(BGM:ギースにしょうゆ)
「この世はアホだらけなのかァ~~~」(ゴゴゴゴゴ)
あまり人に聞かせるセリフではないので、トイレの個室にでも入った時に言ってみるといいかもしれません。ただし自分に原因がある時は、ただの責任転嫁になりますので、決して言わないようにしましょう。いや、別に私に嫌なことがあったわけじゃなくて……。
とはいえ、私も精神修養がまだまだでして、時々仕事上やそれ以外上での理不尽な出来事や振る舞いに少なからず腹が立つことがあります。怒りゲージがたまることがあります。もちろん私はヘボな社会人ゆえ特に何もしないのですが、これではストレスがたまるばかり。
怒りを発散させる方法とか、怒りをごまかす方法というよりは、そもそも怒らないようにしなければなりません。徳川家康公も言っていました。「怒りは敵」と。一方で結構短気だったとかと聞きますが、どちらにせよあんまり怒ってるとことを仕損じるしかえって敵が増えるし、いいことはあまりありませんしね。
だから、どうすればいいのか。私のアイデアとしてはやはり「自分を俯瞰で見る」ということでしょうか。
頭に血が昇る。ゲージがたまる。堪忍袋がメルトダウンした。しゃらくせぇ!……と普段ポケットにしまっている設定上の左手を取り出し飛び上がって誰かを襲う一歩手前でぐっと踏みとどまり、後ろから冷静に眺める。
そうすると、怒りの種が結構小さな火種というか、「何だ、こんなことか」と言うことに気づいてしまいます。あとはそれをうまくかわして、いなして、えいやっと消化してしまえば冷静さを保つことが出来ます。ちっ、くだらねぇ、ってね。なおこれはあくまでも一例であり、別にこのように香港を根城にする沖縄出身のヤクザ上がりのブローカーの真似をする必要はありません。
怒っている人よりも冷静な人の方が強いというのは「グラップラー刃牙」でもよく出てきます。理想的にはやはり渋川先生の領域でしょうか。いや平常時の。戦わないのが理想って言う時の。だからあの、ケガしてるジュニアの人をギタギタにしてる時じゃなくてッッ。
……といっても、言うは易し。その領域に達するには、私もまだまだ精神修養が足りないようです。これではナコルルにまた諌められてしまいます。精神修養もしっかりね、って。とにかく格闘ゲームからの引用が多いのはやはり「餓狼伝説スペシャル」のサントラを聞きながらこのブログを書いているからか。烈風拳。(BGM:ギースにしょうゆ)
午前4時半にいきなり目がさめた犬神です。
通常であれば何となく意識を取り戻し、「~~ねむ……」とか言いながら時計を見て本当におきなければならない時間まで10分か16分くらいあってあ~めんどくさいなとか言いながらゴソゴソ起き上がるというのが私の日常です。また多くの人々がそんな感じで起き上がることでしょう。クノールカップスープはありませんが、とにかくそれがいつもの眠い朝でした。
ところが今日はいきなりバチッと目がさめた感じでした。いくら夢の中で「龍虎の拳」をやっていて、妙に飛燕疾風脚が決まって気持ちいいな~とはいっていたものの、この目覚めは自分でも驚いてしまいました。しかも当然ながらそれじゃ寝る時間が足りないわけで、目だけはバッチリでしたが脳はちょっと眠い感じでした。
これが蒸留酒、ドイツの守護聖人か。とか何とか言いながら、その蒸留酒の何たるかを調べていくと、なるほど、色々な成り立ちがわかりました。
醸造酒がある意味偶然に出来上がってしまったのであれば、蒸留酒は造ろうと思って作ったような代物なんですね。さかのぼれば中世ヨーロッパの錬金術師たちが作り、それをキリスト教が接収。それはもっと言えば「神の領域」にたどり着こうと思った人たちが作り上げたものだったんですね。
もっとも、現実的にも効果はあるようですね。私は元々、酒って言うのはトランスするために飲むものだと思っていたので軽蔑的な気持ちで思っていたのですが、強力なアルコールにハーブや木の皮や根っこを溶かしてエキスを抽出することで現実に薬としての効果を期待することが出来るのですから、とにもかくにも手が出てしまいます。
そういうわけで、「お酒を飲んで酔っ払いたいぜイエイ」てな気持ちではなくて、もっと薬効を期待して、そして当時のロマンを想像しながら、クイッと飲んでみたいなと思っています。ドイツのォォォォ薬酒はァァァァ世界一ィィィィィッッ
なのかな?
通常であれば何となく意識を取り戻し、「~~ねむ……」とか言いながら時計を見て本当におきなければならない時間まで10分か16分くらいあってあ~めんどくさいなとか言いながらゴソゴソ起き上がるというのが私の日常です。また多くの人々がそんな感じで起き上がることでしょう。クノールカップスープはありませんが、とにかくそれがいつもの眠い朝でした。
ところが今日はいきなりバチッと目がさめた感じでした。いくら夢の中で「龍虎の拳」をやっていて、妙に飛燕疾風脚が決まって気持ちいいな~とはいっていたものの、この目覚めは自分でも驚いてしまいました。しかも当然ながらそれじゃ寝る時間が足りないわけで、目だけはバッチリでしたが脳はちょっと眠い感じでした。
これが蒸留酒、ドイツの守護聖人か。とか何とか言いながら、その蒸留酒の何たるかを調べていくと、なるほど、色々な成り立ちがわかりました。
醸造酒がある意味偶然に出来上がってしまったのであれば、蒸留酒は造ろうと思って作ったような代物なんですね。さかのぼれば中世ヨーロッパの錬金術師たちが作り、それをキリスト教が接収。それはもっと言えば「神の領域」にたどり着こうと思った人たちが作り上げたものだったんですね。
もっとも、現実的にも効果はあるようですね。私は元々、酒って言うのはトランスするために飲むものだと思っていたので軽蔑的な気持ちで思っていたのですが、強力なアルコールにハーブや木の皮や根っこを溶かしてエキスを抽出することで現実に薬としての効果を期待することが出来るのですから、とにもかくにも手が出てしまいます。
そういうわけで、「お酒を飲んで酔っ払いたいぜイエイ」てな気持ちではなくて、もっと薬効を期待して、そして当時のロマンを想像しながら、クイッと飲んでみたいなと思っています。ドイツのォォォォ薬酒はァァァァ世界一ィィィィィッッ
なのかな?
私というやつはどうも……体感的に「暑い」と思うことがよくあります。暑がりなんです。
ただ正直なところ空気が「暑い」のか私の体温が「熱い」のかよくわからないんですよね。要するに本当に暑い日なのか、単に私が風邪を引いて熱があるだけなのか。いや、往々にしてそういう時ってのは後者の方が多いんですがね。
加えて最近は胃腸の弱いこと弱いこと……。第一に、肉が食べられません。第二に、あまり量が食べられません。第三に、時々ちょっと「えづく」ことがあります。よくないですね。どうもね。
というわけで今、久しぶりにイエーガーマイスターを飲んでいます。
「あまっ……うっ、にがっ」
そんな感じの味わいで、とにかくうまいというかまずいというか、飲めば胃腸にポッポッと刺激が加わり、なんだかものすごく消化がよくなるような気がするので好きです。要はほら、ドイツの養命酒みたいなもん。でしょ?
ただ正直なところ空気が「暑い」のか私の体温が「熱い」のかよくわからないんですよね。要するに本当に暑い日なのか、単に私が風邪を引いて熱があるだけなのか。いや、往々にしてそういう時ってのは後者の方が多いんですがね。
加えて最近は胃腸の弱いこと弱いこと……。第一に、肉が食べられません。第二に、あまり量が食べられません。第三に、時々ちょっと「えづく」ことがあります。よくないですね。どうもね。
というわけで今、久しぶりにイエーガーマイスターを飲んでいます。
「あまっ……うっ、にがっ」
そんな感じの味わいで、とにかくうまいというかまずいというか、飲めば胃腸にポッポッと刺激が加わり、なんだかものすごく消化がよくなるような気がするので好きです。要はほら、ドイツの養命酒みたいなもん。でしょ?
たとえば今、私が戦国時代の住人だとすれば、どれくらいのものになるのか? と「その時歴史が動いた」の真田特集(アンコール)を見ながら考えると、……まず大名にはなれないでしょうね。私は政治も戦闘もダメですし。
だとすれば兵か民の立場になるのでしょうが、民だとすれば「戦争のたびに侍に畑をあらされて嘆く農民」だろうし、兵だとすれば大きな戦の緒戦か第2戦で真田幸村が首級何十と上げている陰で敵方の兵士の誰かに逆に首だけ持っていかれている無名の足軽、ってところでしょうか。
自分で書いていてなんだか切ない気もしますが、やはり戦国時代の人たちのようにはなれないようです。遠い星のような存在です。……でもそれは、一方でそれだけ憧れや興味をそそられるものであって、自分も結城秀康のように強くて純な男になりたい、などと思ったりするわけですね(なお犬神は「花の慶次」を5回はぶっ通しで読んでいます)。
「戦国無双」とかが好きで、なおかつ「信長の野望」も3回はクリアして、そのくせいまだに「天を衝く」を読んでいないのですが(どこに行ったのかちょっと……)、とにかく戦国時代の話が好きです。当時の人はこんなことをしていた。こんな考えで生きていた。そういったものを読むたびになんだか元気が出てくるような気がします。
現代の考え方を拾って現代を生きていくのは、いくらか不器用な私にはちょっと難しいようです。だからそう、戦国武将のように太く、強く生きていきたいものです。とにかく不特定多数の人と話すことがあり、どんどん消耗していくような感じがするので、そうではなく……戦国の世を生き抜くように、この世を生きていければ。というわけでまた折につけ、どこかで拾ってきた戦国時代の話を語りたいと思います。
だとすれば兵か民の立場になるのでしょうが、民だとすれば「戦争のたびに侍に畑をあらされて嘆く農民」だろうし、兵だとすれば大きな戦の緒戦か第2戦で真田幸村が首級何十と上げている陰で敵方の兵士の誰かに逆に首だけ持っていかれている無名の足軽、ってところでしょうか。
自分で書いていてなんだか切ない気もしますが、やはり戦国時代の人たちのようにはなれないようです。遠い星のような存在です。……でもそれは、一方でそれだけ憧れや興味をそそられるものであって、自分も結城秀康のように強くて純な男になりたい、などと思ったりするわけですね(なお犬神は「花の慶次」を5回はぶっ通しで読んでいます)。
「戦国無双」とかが好きで、なおかつ「信長の野望」も3回はクリアして、そのくせいまだに「天を衝く」を読んでいないのですが(どこに行ったのかちょっと……)、とにかく戦国時代の話が好きです。当時の人はこんなことをしていた。こんな考えで生きていた。そういったものを読むたびになんだか元気が出てくるような気がします。
現代の考え方を拾って現代を生きていくのは、いくらか不器用な私にはちょっと難しいようです。だからそう、戦国武将のように太く、強く生きていきたいものです。とにかく不特定多数の人と話すことがあり、どんどん消耗していくような感じがするので、そうではなく……戦国の世を生き抜くように、この世を生きていければ。というわけでまた折につけ、どこかで拾ってきた戦国時代の話を語りたいと思います。
あるんだそうです。極夜というそうですね。白夜なら知っていますが、その反対もあるとは。だから誰かを慰める時は「やまない雨はない」「明日は必ず来る」はいいですが「朝が来ない夜はない」という言葉はちょっと違うんじゃない? と、こころないツッコミが返って来ることが考えられます。
エコラン・ビューティ2ってわけで、今日も田沢湖まで。今日はとある調査のため、初めからそのつもりで角館まで走り、戻り、また田沢湖へ。この時点で軽く5時半過ぎでした。
普段であれば46号線から入って最初にぶつかるレストハウスで車を停め、ふらふら歩いて今日のドリフ大爆笑を見るために速攻で帰るわけですが、今日は田沢湖名物「たつこ像」を見たいと思い、そのレストハウスから湖沿いに約9キロ。この時点で日は大分傾き、適当なところで切り上げて帰ったほうがいいかな、とも思いましたが、途中で曲げてしまっては後々まで影響する、といってそのまま走り続ける。
しかしながら、やっぱり果てしなく走り続けるのはちょっと心理的およびガソリンの負担が厳しいので、「たつこ茶屋」とかいう広い駐車場兼レストハウス(当然、開いてません)に来て、数枚写真を撮り、まあいいかということで帰ってきました。元々第一目的は写真を撮ることだったしー。
そう、この「写真を撮るために」というのがポイントでして。午後2時に行けば午後2時の、午後6時にいれば午後6時の写真が撮れるわけで、想像力か創造力があればなんでもいいんですよね。時間による景色の若干の変化はあっても、いいところなのには変わりないですし。
……ただ今度はもっと時間に余裕を持って、ちゃんと行きたいなと思います。写真も大事ですけど、結局「たつこ像」ってどれだかわからなかったし……。
エコラン・ビューティ2ってわけで、今日も田沢湖まで。今日はとある調査のため、初めからそのつもりで角館まで走り、戻り、また田沢湖へ。この時点で軽く5時半過ぎでした。
普段であれば46号線から入って最初にぶつかるレストハウスで車を停め、ふらふら歩いて今日のドリフ大爆笑を見るために速攻で帰るわけですが、今日は田沢湖名物「たつこ像」を見たいと思い、そのレストハウスから湖沿いに約9キロ。この時点で日は大分傾き、適当なところで切り上げて帰ったほうがいいかな、とも思いましたが、途中で曲げてしまっては後々まで影響する、といってそのまま走り続ける。
しかしながら、やっぱり果てしなく走り続けるのはちょっと心理的およびガソリンの負担が厳しいので、「たつこ茶屋」とかいう広い駐車場兼レストハウス(当然、開いてません)に来て、数枚写真を撮り、まあいいかということで帰ってきました。元々第一目的は写真を撮ることだったしー。
そう、この「写真を撮るために」というのがポイントでして。午後2時に行けば午後2時の、午後6時にいれば午後6時の写真が撮れるわけで、想像力か創造力があればなんでもいいんですよね。時間による景色の若干の変化はあっても、いいところなのには変わりないですし。
……ただ今度はもっと時間に余裕を持って、ちゃんと行きたいなと思います。写真も大事ですけど、結局「たつこ像」ってどれだかわからなかったし……。
当家の名誉にかけて申し上げますが、家自体は決して貧乏なわけではありません。ただ私が学生のころから、10000円あれば7~8千円を趣味につぎ込み、残りの2千円で日常の飲食代に使ってきたもので、飲み食いのコストを節約してしまう癖がついてしまったのです。
たとえば、お菓子を買うとなった時。ちょっと贅沢したいと思って、手を伸ばしそうになるのが「板チョコ」。あれをそのままパクパク食べるのが贅沢なんですが、やっぱりちょっと手が伸びない。気が引けてしまう。というわけで結局フルタセコイヤチョコレート(30円)とゴールデンチョップ(30円)とうまい棒2本(20円)でごまかすという貧乏じみた買い物をしてしまうことに。
……お菓子ってやっぱり食べ慣れないせいか、上手に贅沢できないんですよ。ほとんど「小学生がドッジボール大会の練習の帰りに駄菓子屋で買う」レベルでして、黒スーツの男がまじめな顔してうまい棒をバリバリ食べるのはいかがなものでしょうか。
「怒首領蜂」日記。今日は5面途中でボン。やはり2面と3面で1機ずつミスしてしまったのは痛かったか。
おっと、あまりにもシンプルでしたか。ではもう少し。
このところゲーセンが、マンネリって言うか、ちょっと……あまり新しいゲームの動きがないから、ちょっと物足りない気持ちです。「MJ3」と「怒首領蜂」くらいしかやるのがないっていうか……まあ「エグゼリカ」も「虫姫さま ふたり」もあるけれど最近はちょっと前のシューティングが好きなんです。
「何か新しいゲームないかなー」と思ってみても、そこはいつもと変わらない風景。好きなゲームがなくならない、というのはいいかもしれませんが、好きの度合いが「そこそこ」なんですよね。昔みたいにデモ画面でご飯が食べられるゲームがない。だとすると、もうちょっと何かないものか……。そういうわけで、記事の内容もちょっと不発気味です。
たとえば、お菓子を買うとなった時。ちょっと贅沢したいと思って、手を伸ばしそうになるのが「板チョコ」。あれをそのままパクパク食べるのが贅沢なんですが、やっぱりちょっと手が伸びない。気が引けてしまう。というわけで結局フルタセコイヤチョコレート(30円)とゴールデンチョップ(30円)とうまい棒2本(20円)でごまかすという貧乏じみた買い物をしてしまうことに。
……お菓子ってやっぱり食べ慣れないせいか、上手に贅沢できないんですよ。ほとんど「小学生がドッジボール大会の練習の帰りに駄菓子屋で買う」レベルでして、黒スーツの男がまじめな顔してうまい棒をバリバリ食べるのはいかがなものでしょうか。
「怒首領蜂」日記。今日は5面途中でボン。やはり2面と3面で1機ずつミスしてしまったのは痛かったか。
おっと、あまりにもシンプルでしたか。ではもう少し。
このところゲーセンが、マンネリって言うか、ちょっと……あまり新しいゲームの動きがないから、ちょっと物足りない気持ちです。「MJ3」と「怒首領蜂」くらいしかやるのがないっていうか……まあ「エグゼリカ」も「虫姫さま ふたり」もあるけれど最近はちょっと前のシューティングが好きなんです。
「何か新しいゲームないかなー」と思ってみても、そこはいつもと変わらない風景。好きなゲームがなくならない、というのはいいかもしれませんが、好きの度合いが「そこそこ」なんですよね。昔みたいにデモ画面でご飯が食べられるゲームがない。だとすると、もうちょっと何かないものか……。そういうわけで、記事の内容もちょっと不発気味です。
六道輪廻と言う思想があります。いつも瞑想している聖闘士の必殺技にもありますが、いわゆる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上というやつですか。まあ要するにどこにいたってろくでもないから、早くそのサイクルから抜けましょうね、というのが趣旨なのでしょうが、そのうち畜生界と修羅界というのが私はよくわかりませんでした。
…………。
畜生界というのは畜生の世界であり(当たり前だ)、本能のみに忠実に生きるケダモノの世界と言うことでしょうか。そして修羅界というのは修羅たちの世界であり(……)いつも戦いばかりしている場所なそうで、恐らく「ふは~次にオレの姿を見た瞬間貴様は死ぬ!」とか言う人がいたり、いやそれはどうか。
今日は何かと怒ってばかりでした。思い通りにならない仕事。思い通りに動いてくれない人々。ルールがあるじゃん。どうしてルールどおりにできないのかなぁ。そんなこんなでイライラが募り、ハードな気持ちでギリギリでした。
そうかといって机をひっくり返す、奇声を上げる、ライフルを乱射するなどといったことは出来ないので、慎み深くこらえて一日を終えたのですが、周りは誰も信用せず自分自身を高めていくことに腐心。もはや自分以外はすべて味方ではない、という、何やら自ら発する炎に焦がされるような思いでした。
よくないな、と思うのですが、気を抜くと仕事も失敗してしまう。だからひたすらに自分だけを考え、他人を一切無視して切り離して生きていかなければならない。ひたすらに戦い続ける。……
これは修羅の考えですね。私が格闘家、あるいは一子相伝の暗殺拳の伝承者であればそれもいいのかもしれませんが、人間界に住まう者として、やはり安らぎが欲しい。東照宮遺訓にもありました。怒りは敵と。案外、家康公も短気な方であらせられたという話もありますが、ともあれ忍耐して忍耐して、もう一歩進んで怒りを持たないようにしたいなと思う今日この頃です。
宮沢賢治風に言えば「おれはひとりの修羅なのだ」(詩集「春と修羅」 第1集より)といったところでしょうか。そうすると私が「イツモシズカニワラッテ」いられるようになるには、もう少し時間がかかると言うことでしょうか。賢治先生……。
…………。
畜生界というのは畜生の世界であり(当たり前だ)、本能のみに忠実に生きるケダモノの世界と言うことでしょうか。そして修羅界というのは修羅たちの世界であり(……)いつも戦いばかりしている場所なそうで、恐らく「ふは~次にオレの姿を見た瞬間貴様は死ぬ!」とか言う人がいたり、いやそれはどうか。
今日は何かと怒ってばかりでした。思い通りにならない仕事。思い通りに動いてくれない人々。ルールがあるじゃん。どうしてルールどおりにできないのかなぁ。そんなこんなでイライラが募り、ハードな気持ちでギリギリでした。
そうかといって机をひっくり返す、奇声を上げる、ライフルを乱射するなどといったことは出来ないので、慎み深くこらえて一日を終えたのですが、周りは誰も信用せず自分自身を高めていくことに腐心。もはや自分以外はすべて味方ではない、という、何やら自ら発する炎に焦がされるような思いでした。
よくないな、と思うのですが、気を抜くと仕事も失敗してしまう。だからひたすらに自分だけを考え、他人を一切無視して切り離して生きていかなければならない。ひたすらに戦い続ける。……
これは修羅の考えですね。私が格闘家、あるいは一子相伝の暗殺拳の伝承者であればそれもいいのかもしれませんが、人間界に住まう者として、やはり安らぎが欲しい。東照宮遺訓にもありました。怒りは敵と。案外、家康公も短気な方であらせられたという話もありますが、ともあれ忍耐して忍耐して、もう一歩進んで怒りを持たないようにしたいなと思う今日この頃です。
宮沢賢治風に言えば「おれはひとりの修羅なのだ」(詩集「春と修羅」 第1集より)といったところでしょうか。そうすると私が「イツモシズカニワラッテ」いられるようになるには、もう少し時間がかかると言うことでしょうか。賢治先生……。
尻尾譚と読みます。そのままポニーテイルでも構いません。私の地元にはPonyTelというテレクラがありますがそれとは関係ありません。
一般的、かつ普遍的、とにかく特別な思い入れや感情を極力廃して冷静に見つめた時、ポニーテールと言う髪型がすごく綺麗だなと思いました。
定義はとりあえず、後ろでぎゅっと髪を縛っていればなんでもかんでもそうなるのかもしれませんが、私の中ではそれはただ「髪を後ろで束ねている」だけであって、頭の上の方で縛って垂らしているのがイメージ的にはポニーテールです。ちなみに私も大学生のころは2年も髪を伸ばし続け、後ろでぎゅっと縛っていたのですが、それはただの「束髪」であってポニーテールでは断じてありません。
で、むしろそのポニーテールの、髪の毛を縛っているところに何をつけるかと言うことです。色つきのゴムなら一般的ですね。ただ一方で「リボン」というのは、どうなんでしょうか。
ポニーテールでリボン。アニメなら「うる星やつら」のラムちゃん、人形ならバービーの50年代ファッション、ドラマなら「探偵物語」第1話の熊谷(現・松田)美由紀さんかな。すべてに共通しているのは軽く20年以上前の流行ってことですね。
ってことは、今時そんなポニーテールでリボンなんて流行らないのか。私の嗜好は80年代ですでに停止してしまっているのか。というか何かにつけてもう80年代で停止してしまっているのか。
あいにく私は異性のことについて極端なまでに知識がなく、これからもそういった知識について明るくなる見込みがないと思うので、これ以上の広がりはないのかなと思いますが、ただそう思いました。いや、そもそもリボンと言うものを、髪飾りとしてつけている人さえ見たことがありません。ピンとか何とかなら見かけますが、これって私の身の回りだけなのでしょうか。ってことを問い掛けたいですね私は。
一般的、かつ普遍的、とにかく特別な思い入れや感情を極力廃して冷静に見つめた時、ポニーテールと言う髪型がすごく綺麗だなと思いました。
定義はとりあえず、後ろでぎゅっと髪を縛っていればなんでもかんでもそうなるのかもしれませんが、私の中ではそれはただ「髪を後ろで束ねている」だけであって、頭の上の方で縛って垂らしているのがイメージ的にはポニーテールです。ちなみに私も大学生のころは2年も髪を伸ばし続け、後ろでぎゅっと縛っていたのですが、それはただの「束髪」であってポニーテールでは断じてありません。
で、むしろそのポニーテールの、髪の毛を縛っているところに何をつけるかと言うことです。色つきのゴムなら一般的ですね。ただ一方で「リボン」というのは、どうなんでしょうか。
ポニーテールでリボン。アニメなら「うる星やつら」のラムちゃん、人形ならバービーの50年代ファッション、ドラマなら「探偵物語」第1話の熊谷(現・松田)美由紀さんかな。すべてに共通しているのは軽く20年以上前の流行ってことですね。
ってことは、今時そんなポニーテールでリボンなんて流行らないのか。私の嗜好は80年代ですでに停止してしまっているのか。というか何かにつけてもう80年代で停止してしまっているのか。
あいにく私は異性のことについて極端なまでに知識がなく、これからもそういった知識について明るくなる見込みがないと思うので、これ以上の広がりはないのかなと思いますが、ただそう思いました。いや、そもそもリボンと言うものを、髪飾りとしてつけている人さえ見たことがありません。ピンとか何とかなら見かけますが、これって私の身の回りだけなのでしょうか。ってことを問い掛けたいですね私は。
最初、ガソリンが半分くらい入っていました。
帰ってきたら、ガソリンが1/4くらいになっていました。
その走行数じつに150キロくらい。ちなみに満タン30リッターです。……これって結構いいセン行ってますよね?
別な用事があったから、行こうと思っていたところに行けなかった……そう言って数カ月前、下手すりゃ数年前に買い入れた「ようこそようこ」のビデオをベッドに寝転がりながら見ていれば、それはそれで平和な時間が過ぎていくのですが、晴天の下そのようにすることは私の気持ちが許しませんでした。
住まうところから西へざっと数十キロ。田沢湖畔へ。
……行こうと思っていたのですが、その田沢湖畔と秋田方面への分岐地点でふと数年前に連れて行ってもらったオートスナックのことを思い出しました。そこはいにしえの自動販売機(お菓子とかトーストとか)があり、スペースインベーダーがあり、稼動こそしていなかったものの「ブルーシャーク」やドラム式のピンボールマシンや何やらン十年前の自動販売機やらがゴロゴロしており、非常に楽しみでした。
ただはっきりとした場所は覚えておらず、漠然と田沢湖とは別な方向へ20キロほど西へ行きました。
しかしながら行けども行けどもその記憶の場所は見えず、そのうち日本海へたどり着いてしまう恐れが出てきたため、泣く泣く引き返すことに。このときすでに時刻は4時を回っていました。
で、結局田沢湖についたのは4時50分。土産物屋はちょうどシャッターを閉め始めたところであり、ともすればまるで私が来た瞬間、「カンフーハッスル」の冒頭で踊る組長・サムを始めとする斧頭会の面々が来たかのごとくバシバシと店を閉められてしまいました。
まあ、私にはみやげはなくてもカメラがあるさ、つって、とりあえず湖畔に赴き、それなりに写真を数枚。以前来た時は夕日が沈むところがすごくかっこよかったのですが、今日はあいにくの曇りで、「とりあえずこういうところに来ました」ということがわかる写真しか撮れませんでした。
まあ、天気はどうしようもないですしね。とりあえず田沢湖までたどり着いたと言うこと。そして私の記憶の場所は思ったよりも遠くか、それともか既になくなっていたということがわかっただけでも、よしとしましょう。そうそう、それと思いのほか、私の愛車君は燃費がよかったということも。上り坂は苦手だけど、平らな道はそこそこ走ってくれます。
帰ってきたら、ガソリンが1/4くらいになっていました。
その走行数じつに150キロくらい。ちなみに満タン30リッターです。……これって結構いいセン行ってますよね?
別な用事があったから、行こうと思っていたところに行けなかった……そう言って数カ月前、下手すりゃ数年前に買い入れた「ようこそようこ」のビデオをベッドに寝転がりながら見ていれば、それはそれで平和な時間が過ぎていくのですが、晴天の下そのようにすることは私の気持ちが許しませんでした。
住まうところから西へざっと数十キロ。田沢湖畔へ。
……行こうと思っていたのですが、その田沢湖畔と秋田方面への分岐地点でふと数年前に連れて行ってもらったオートスナックのことを思い出しました。そこはいにしえの自動販売機(お菓子とかトーストとか)があり、スペースインベーダーがあり、稼動こそしていなかったものの「ブルーシャーク」やドラム式のピンボールマシンや何やらン十年前の自動販売機やらがゴロゴロしており、非常に楽しみでした。
ただはっきりとした場所は覚えておらず、漠然と田沢湖とは別な方向へ20キロほど西へ行きました。
しかしながら行けども行けどもその記憶の場所は見えず、そのうち日本海へたどり着いてしまう恐れが出てきたため、泣く泣く引き返すことに。このときすでに時刻は4時を回っていました。
で、結局田沢湖についたのは4時50分。土産物屋はちょうどシャッターを閉め始めたところであり、ともすればまるで私が来た瞬間、「カンフーハッスル」の冒頭で踊る組長・サムを始めとする斧頭会の面々が来たかのごとくバシバシと店を閉められてしまいました。
まあ、私にはみやげはなくてもカメラがあるさ、つって、とりあえず湖畔に赴き、それなりに写真を数枚。以前来た時は夕日が沈むところがすごくかっこよかったのですが、今日はあいにくの曇りで、「とりあえずこういうところに来ました」ということがわかる写真しか撮れませんでした。
まあ、天気はどうしようもないですしね。とりあえず田沢湖までたどり着いたと言うこと。そして私の記憶の場所は思ったよりも遠くか、それともか既になくなっていたということがわかっただけでも、よしとしましょう。そうそう、それと思いのほか、私の愛車君は燃費がよかったということも。上り坂は苦手だけど、平らな道はそこそこ走ってくれます。
祖母の家(ばーちゃんち)の庭を、畑を作るために掘り起こしていたら、なかなか大きな石が出てきました。私ひとりで持ち上げることは不可能だったため、家の者と協力して金梃で持ち上げ、地面に引っ張り上げたあとにそれをゴロゴロと転がしていきました。
そのあと、それよりいくらかは小さく、どうにか持ち上げられる石をどかし、そんな感じでせっせと地球と向き合う時間を過ごしてきました。
そのあと、というか現在なのですが、「学校へ行こう」という番組でちょっとトンデモ入ってそうな天文台の管理者の人が「コンタクト」のジョディ・フォスターみたいなことを言っていました。要するに地球外生命体を見つけたいってことですか。
私の場合、当然地球外生命体は「いるんじゃないの」という気持ちですが、一方でこないだSFマガジンで読んだ(ような気がする)「今来なきゃ永遠に来ないよ、異星人なんてさ」というのもあるのかな、といった思いもあり、そんなわけだから私には一生真実は見えないんでしょうね。
しかし、それにしても、不思議なことがありました。どうして地面の中に、こんな大きな石が埋まっているのか。
元々埋まっていたのか? 誰かが意図的に埋めたのか? 誰かが意図的に埋めたとすればそれは相当恐い感じもありますし、元々埋まっていたとすれば、それはそれで、どういう経緯で埋まったままだったのか気になります。元々石ころだらけだったところが、次第に土になって、それでも土にならなかったところが石になった、ということでしょうか。
地学的な知識があれば、そんなもんすぐにわかるんでしょうが、わからない人間には不思議でなりません。そんな、地球や宇宙のことを少し思った一日でした。
そのあと、それよりいくらかは小さく、どうにか持ち上げられる石をどかし、そんな感じでせっせと地球と向き合う時間を過ごしてきました。
そのあと、というか現在なのですが、「学校へ行こう」という番組でちょっとトンデモ入ってそうな天文台の管理者の人が「コンタクト」のジョディ・フォスターみたいなことを言っていました。要するに地球外生命体を見つけたいってことですか。
私の場合、当然地球外生命体は「いるんじゃないの」という気持ちですが、一方でこないだSFマガジンで読んだ(ような気がする)「今来なきゃ永遠に来ないよ、異星人なんてさ」というのもあるのかな、といった思いもあり、そんなわけだから私には一生真実は見えないんでしょうね。
しかし、それにしても、不思議なことがありました。どうして地面の中に、こんな大きな石が埋まっているのか。
元々埋まっていたのか? 誰かが意図的に埋めたのか? 誰かが意図的に埋めたとすればそれは相当恐い感じもありますし、元々埋まっていたとすれば、それはそれで、どういう経緯で埋まったままだったのか気になります。元々石ころだらけだったところが、次第に土になって、それでも土にならなかったところが石になった、ということでしょうか。
地学的な知識があれば、そんなもんすぐにわかるんでしょうが、わからない人間には不思議でなりません。そんな、地球や宇宙のことを少し思った一日でした。
当然のことを当然のようにやっているつもりなのに、やっているはずなのに、ちょっとしたミスでつまずいてしまう。
一つ崩れると、すべてが信用できなくなる。1時間前、30分前、10分前、5分前、1分前。30秒前、10秒前、5秒前、現在自分がやっていること。
おれ、今やってること、間違ってないかな。
こうすればいいというのはわかっている。実際に目の前で、それをやっている。
だけど、信じられない。それで間違いないはずだし、そうするしかないんだけれど、4割くらい不安で仕方がない。
……よくないなあ。どうしたのかなあ。
まあ、不安な気持ちですが、やっています。それじゃ。
一つ崩れると、すべてが信用できなくなる。1時間前、30分前、10分前、5分前、1分前。30秒前、10秒前、5秒前、現在自分がやっていること。
おれ、今やってること、間違ってないかな。
こうすればいいというのはわかっている。実際に目の前で、それをやっている。
だけど、信じられない。それで間違いないはずだし、そうするしかないんだけれど、4割くらい不安で仕方がない。
……よくないなあ。どうしたのかなあ。
まあ、不安な気持ちですが、やっています。それじゃ。
昔、思い出はいつも美しい(余計なものが抜け落ちていいことしか記憶には残らないから)ということを、河合隼雄という人が言っていたような気がして、探してみましたが見つかりませんでした。これはもしかしたら、別な人だったかもしれません。
しかしながら、昔「梅干の種をしゃぶっていて、誰だかが来たらそれをペッと吐き出して泣きついた」という一文があり、これはなんだったかなと思ったら向田邦子でした。正確には「向田邦子 教科書」で検索して「字のないはがき」を検索してようやく出てきたことなんですが。軽く読んで、ちょっと「うぐぐっ」ときました。・・やっぱりこれと、「ちいちゃんのかげおくり」だけはダメです。少なくとも、会社で仕事の合間を縫って読むのはダメです。揺らぐから。「うぐぐっ」て来るから。
・・いや、今日は別に反戦の何たるかを訴える日記じゃないんですよ。ただ、便利な時代になったなって。タイトルも著者名もわからないけれど、印象的な一文を検索すれば、必ず何かが応えてくれる。忘れていた、忘れかけていた経験を呼び起こさせてくれる。最近何かと過去を振り返りごちゃごちゃ語ることが多いのですが、そうやって色々なことを思い出し、歩く糧にしようとしているところです。
今まで忘れていた、あるいは見ないようにしていたものを、きちんと見てみる。そうすると、前にそっぽを向いた時とは違う何かが見えてきて、「ああ、やっぱりよかったじゃん」って言って新たな発見をしてみたり。まあ楽しいものです。
ただ、「誰かが書いたものを読んだ」のを思い出すのは結構なのですが、「自分が書いたものを読み返してみる」と、さすがにそのパターンには当てはまらないことが多いわけで、それでも「ハハ、がんばってるね」と遠目に見られるレベルならいいのですが、これとかこれとかこれとかは・・・・。
・・・・よく言えば大胆激白、普通に言えば「その言葉が痛い」(「カラス」より)と言ったところでしょうか。わざわざ過去の恥ずかしい文章を引っ張り出してくることもないだろう、という気もしますが、こういう破天荒な文章を書いていた過去があったからこそ今の、それなりに人に見てもらえる文章を書けるようになった、ということを申し上げたいわけでして、それでもやっぱり恥ずかしいというのは否めません……うぐぐ、そんなことまで言わなくていいのに~。
しかしながら、昔「梅干の種をしゃぶっていて、誰だかが来たらそれをペッと吐き出して泣きついた」という一文があり、これはなんだったかなと思ったら向田邦子でした。正確には「向田邦子 教科書」で検索して「字のないはがき」を検索してようやく出てきたことなんですが。軽く読んで、ちょっと「うぐぐっ」ときました。・・やっぱりこれと、「ちいちゃんのかげおくり」だけはダメです。少なくとも、会社で仕事の合間を縫って読むのはダメです。揺らぐから。「うぐぐっ」て来るから。
・・いや、今日は別に反戦の何たるかを訴える日記じゃないんですよ。ただ、便利な時代になったなって。タイトルも著者名もわからないけれど、印象的な一文を検索すれば、必ず何かが応えてくれる。忘れていた、忘れかけていた経験を呼び起こさせてくれる。最近何かと過去を振り返りごちゃごちゃ語ることが多いのですが、そうやって色々なことを思い出し、歩く糧にしようとしているところです。
今まで忘れていた、あるいは見ないようにしていたものを、きちんと見てみる。そうすると、前にそっぽを向いた時とは違う何かが見えてきて、「ああ、やっぱりよかったじゃん」って言って新たな発見をしてみたり。まあ楽しいものです。
ただ、「誰かが書いたものを読んだ」のを思い出すのは結構なのですが、「自分が書いたものを読み返してみる」と、さすがにそのパターンには当てはまらないことが多いわけで、それでも「ハハ、がんばってるね」と遠目に見られるレベルならいいのですが、これとかこれとかこれとかは・・・・。
・・・・よく言えば大胆激白、普通に言えば「その言葉が痛い」(「カラス」より)と言ったところでしょうか。わざわざ過去の恥ずかしい文章を引っ張り出してくることもないだろう、という気もしますが、こういう破天荒な文章を書いていた過去があったからこそ今の、それなりに人に見てもらえる文章を書けるようになった、ということを申し上げたいわけでして、それでもやっぱり恥ずかしいというのは否めません……うぐぐ、そんなことまで言わなくていいのに~。
突発的な思いつき。休日の午前中。天気もいい。こうして自宅にいるのはもったいない。ということで小岩井農場へ。何しに。もちろん写真を撮りにですよ。
平日の観光地は遠足の子供たちと暇そうな主婦と私のような平日に休みの人種がいました。昔そういえば、モダンチョキチョキズの後期のアルバム(あまりおかしな歌詞が出てこなかった時代のもの)にも、平日の観光地をデートするとか言う歌がありましたが、あいにくと私はひとりですので、まあいいさ、つって写真を撮りました。
天気がいいので山が綺麗ですね。果てしなく広がる野原が綺麗ですね。羊が生きていますね。うまそうというよりは、素直に可愛いと言う感じで、あまりに近づいても逃げないので「こんにちは……」と声をかけながら写真を撮る。遠いところにいる牛は、いよいよ初使用となる300ミリ望遠カメラを使ってパチリ。
ひとしきり写真を撮り終えたところで、せっかく農場に来たのだから、それらしい何かを飲み食いしたいと思い、とりあえず売店などをうろつく。
牛肉? 羊肉? それともチーズ? ヨーグルト?
……牛乳?
そうだね。牛乳がいいな、と思い、とりあえず売店で1リッターのものを購入。地面に座り込みながらゴクゴク飲み干しました。お前はレオンか。
ところが、ジャン・レノだったら1日に1リットルの牛乳を飲んでもナタリー・ポートマンと付き合えるでしょうが私の場合乳糖不耐症気味のため、要するに「牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする」タイプの人なので、その日一日はちょっと「つうじ」が、本来あるべきよりもちょっとよすぎて大変でした。いくら農場を体験したいからって言って、そこまでしなくても。
じゃあ、ってことでおなかがゴロゴロしない牛乳「アカディ」を飲んでみたのですがこちらはちょっと甘くて……うーん、なんというか、牛乳よりは甘いけれどミルキーよりは甘くない、と言ったレベルでしょうか。そういうわけで八名信夫さん張りに「……マズ~イ、もう一杯!」というレベルではないにしても、だったら普通の牛乳の方がいいなあ、と思いました。いや、そもそも私の場合平均500mlで多い時は今回のように1リットル飲むと言う、その量に根本的な問題があるような気もしますが。
平日の観光地は遠足の子供たちと暇そうな主婦と私のような平日に休みの人種がいました。昔そういえば、モダンチョキチョキズの後期のアルバム(あまりおかしな歌詞が出てこなかった時代のもの)にも、平日の観光地をデートするとか言う歌がありましたが、あいにくと私はひとりですので、まあいいさ、つって写真を撮りました。
天気がいいので山が綺麗ですね。果てしなく広がる野原が綺麗ですね。羊が生きていますね。うまそうというよりは、素直に可愛いと言う感じで、あまりに近づいても逃げないので「こんにちは……」と声をかけながら写真を撮る。遠いところにいる牛は、いよいよ初使用となる300ミリ望遠カメラを使ってパチリ。
ひとしきり写真を撮り終えたところで、せっかく農場に来たのだから、それらしい何かを飲み食いしたいと思い、とりあえず売店などをうろつく。
牛肉? 羊肉? それともチーズ? ヨーグルト?
……牛乳?
そうだね。牛乳がいいな、と思い、とりあえず売店で1リッターのものを購入。地面に座り込みながらゴクゴク飲み干しました。お前はレオンか。
ところが、ジャン・レノだったら1日に1リットルの牛乳を飲んでもナタリー・ポートマンと付き合えるでしょうが私の場合乳糖不耐症気味のため、要するに「牛乳を飲むとおなかがゴロゴロする」タイプの人なので、その日一日はちょっと「つうじ」が、本来あるべきよりもちょっとよすぎて大変でした。いくら農場を体験したいからって言って、そこまでしなくても。
じゃあ、ってことでおなかがゴロゴロしない牛乳「アカディ」を飲んでみたのですがこちらはちょっと甘くて……うーん、なんというか、牛乳よりは甘いけれどミルキーよりは甘くない、と言ったレベルでしょうか。そういうわけで八名信夫さん張りに「……マズ~イ、もう一杯!」というレベルではないにしても、だったら普通の牛乳の方がいいなあ、と思いました。いや、そもそも私の場合平均500mlで多い時は今回のように1リットル飲むと言う、その量に根本的な問題があるような気もしますが。
かつて私の兄はビートルズを聴いていて、私もその影響でビートルズが結構好きです。小学生のころだったかな。歌詞の意味は中学生、高校生ぐらいになって歌詞カードを一所懸命に眺めるまでサッパリだったのですが、「イエローサブマリン」とかが特に好きでした。
そのころ、「英語のリスニングの勉強にいい」とかいう話を聞きました。当時は小学生でしたので勉強? ハッ、そんなもの、なんつって無視していましたが、年を経てそれなりに英語の勉強をこなしたころに聞いてみると、なるほど、曲が割かしゆっくりなのもありますが、聞き取りやすいですね。それでもヒギンズ教授にしてみれば驚嘆モノの発音なんでしょうが、日本人で学生だったころの私にとっては十分に「英語」していました。
一方で、意味もよくわかんないくせに洋楽ロックなどを聴き、イングヴェイ・マルムスティーンやバッド・レリジョン、オフスプリングなども聞いていましたが、これらは非常に難しいですね。歌詞カード見てても何言ってんだかわからない。はい犬神君、43ページ読んでー。はい(ガタッ)、This is a pen...なんて、日本の学生が英語の教科書読むペースじゃないんですよね。
だからもし「All I want」(「クレイジータクシー」などで聞く「ヤーヤーヤーヤーヤー」ってやつ)を歌うとすれば、歌詞の英語をいちいち発音するのではなくて耳で聴きそれっぽい声、音を発しなければならない。マイケル・ジャクソンなどを歌う時は英語をきちんと発音するのではなく、よりマイコーの発する「音」に近づけるように発し、よかったのか悪かったのかは知りませんが、とにかくそうした記憶があります。
ただ、そう思っていたところに、英語の発音がしっかりしている洋楽ロックがありました。マリリン・マンソンですよ。
2000年ごろ私はこの人たちが大好きでした。ヘヴィ・メタルっていうかハードコアパンクって言うか、とにかくあーいうギンギンの音楽に傾倒していたころがありました。で、そういうのが好きな友人に教えてもらって聴いたのですが、一発でとにかくやられました。
その中でも特にいいと思っているのが「ホーリーウッド」というアルバムで、昨日書いたポリスの前はこればっかり聞いて殺伐としたゴシック・ロマンスな世界に耽溺していました。英文科だったこともあり、超ゴシック野郎で悪魔城伝説で今朝ようやく死神を倒しましたと言う感じです。
まあ、それはそれとして、このアルバムの最初の曲である「GodEatGod」という曲が、割合ゆっくりしたテンポと言うこともあって、すごくいい発音が聞けます。ブライアン・ワーナーのしゃがれた声ではありますが、多少なりとも英語の知識があれば出だしが「Dear god...」という発音で始まるとわかります。
私は好きなのでよく聴きました。昨夜も数年ぶりではありますが聴きました。CDがなかったので、兄に外国で買ってきてもらったアナログ盤で、コロムビアの電蓄を引っ張り出してきて……。
そういえば、マリリン・マンソンも数年ぶりですがカラオケと言うやつもここ数年行っていません。当時は「メカニカル・アニマルズ」に収録された「Rock is Dead」しかなく、しょうがないからそれを歌っていたものですが、最近はどうなのでしょうか。まあ、わざわざお金を払って歌う気もないし、そもそもいっしょに行く人もいないのですが……。
そのころ、「英語のリスニングの勉強にいい」とかいう話を聞きました。当時は小学生でしたので勉強? ハッ、そんなもの、なんつって無視していましたが、年を経てそれなりに英語の勉強をこなしたころに聞いてみると、なるほど、曲が割かしゆっくりなのもありますが、聞き取りやすいですね。それでもヒギンズ教授にしてみれば驚嘆モノの発音なんでしょうが、日本人で学生だったころの私にとっては十分に「英語」していました。
一方で、意味もよくわかんないくせに洋楽ロックなどを聴き、イングヴェイ・マルムスティーンやバッド・レリジョン、オフスプリングなども聞いていましたが、これらは非常に難しいですね。歌詞カード見てても何言ってんだかわからない。はい犬神君、43ページ読んでー。はい(ガタッ)、This is a pen...なんて、日本の学生が英語の教科書読むペースじゃないんですよね。
だからもし「All I want」(「クレイジータクシー」などで聞く「ヤーヤーヤーヤーヤー」ってやつ)を歌うとすれば、歌詞の英語をいちいち発音するのではなくて耳で聴きそれっぽい声、音を発しなければならない。マイケル・ジャクソンなどを歌う時は英語をきちんと発音するのではなく、よりマイコーの発する「音」に近づけるように発し、よかったのか悪かったのかは知りませんが、とにかくそうした記憶があります。
ただ、そう思っていたところに、英語の発音がしっかりしている洋楽ロックがありました。マリリン・マンソンですよ。
2000年ごろ私はこの人たちが大好きでした。ヘヴィ・メタルっていうかハードコアパンクって言うか、とにかくあーいうギンギンの音楽に傾倒していたころがありました。で、そういうのが好きな友人に教えてもらって聴いたのですが、一発でとにかくやられました。
その中でも特にいいと思っているのが「ホーリーウッド」というアルバムで、昨日書いたポリスの前はこればっかり聞いて殺伐としたゴシック・ロマンスな世界に耽溺していました。英文科だったこともあり、超ゴシック野郎で悪魔城伝説で今朝ようやく死神を倒しましたと言う感じです。
まあ、それはそれとして、このアルバムの最初の曲である「GodEatGod」という曲が、割合ゆっくりしたテンポと言うこともあって、すごくいい発音が聞けます。ブライアン・ワーナーのしゃがれた声ではありますが、多少なりとも英語の知識があれば出だしが「Dear god...」という発音で始まるとわかります。
私は好きなのでよく聴きました。昨夜も数年ぶりではありますが聴きました。CDがなかったので、兄に外国で買ってきてもらったアナログ盤で、コロムビアの電蓄を引っ張り出してきて……。
そういえば、マリリン・マンソンも数年ぶりですがカラオケと言うやつもここ数年行っていません。当時は「メカニカル・アニマルズ」に収録された「Rock is Dead」しかなく、しょうがないからそれを歌っていたものですが、最近はどうなのでしょうか。まあ、わざわざお金を払って歌う気もないし、そもそもいっしょに行く人もいないのですが……。
私の街にも最近、といってもココ数ヶ月のものですが、いわゆるジュンク堂書店というのが出来ました。県内最大級の書店、というと丸善だったのですが、その丸善をさらに上回る規模、2フロアで一般書とコミック系で別れていて、すげーのなんのって。
で、今日、久しぶりに――これは何年かぶりになりますが、本屋をうろうろするのがすごく楽しいと思いました。別に買うわけではないにせよ、色々なタイトルの本があり、それの背表紙をちらちらと眺めながらうろつく。時々手にとって読んでみる。気持ちのカバーを全開にして、様々なものに感じられるようにする。
高校、大学のころはお金もなかったし、とにかく本屋をうろつくのが楽しみでした。そうやって時間を掛けることで、今の人生にいたるまでの分岐点となった本もたくさんありました。あそこであの本に出会ったから、こっちの道に来られた……そう思うようなタイミングが、ざっと振り返っただけでもたくさんあります。
あと、本屋と言えば梶井基次郎ですね。昔、国語の教科書で読んだ「檸檬」が、すごく好きでした。どういう話かって言うと、気分の優れない「わたし」が丸善に行って洋書をどさどさ重ねた上に檸檬をおき、「これが爆弾で丸善をぶっ飛ばしたらどんなだろうな」と夢想しながら揚々と出てくる、と言った話です。
……すみません。私の文章力の乏しさゆえ、みうらじゅんが田山花袋の「布団」を読んだあとの感想みたいになっちゃいましたが、これはあくまでも私の文章だからであって、実際に梶井の文章を読むと、すごく繊細でクスッといい気持ちで笑いたくなるような、穏やかでささやかで楽しい気持ちになれる短編です。青空文庫で出ているようなので、検索すれば全文が読めるはずです。
昔はよかった、という言葉が私は大嫌いで、そのためにとにかく振り返らず、今この瞬間だけを見て生きてきましたが、最近は私は昔のよかったころを取り戻したくて、昔見た映画や聴いた音楽を集中的に聴いています。今聴いているのは大学4年のころサークルも何もせずにひとりきりでいたころよく聴いていたポリスの「見つめていたい」です。
昔よかったものは、そうではないものもたくさんありますが、今見ても聴いてもいいです。……で、大事なのはそういった、昔いいと思ったものをまたいいと思いながら……昔置いてきたものを拾いながら、なおかつ今も認めて生きていくことなのかな、と思いました。
昔に戻ることは出来ないし、今にずっとい続けることも出来ない。でも、その時々で拾ったものは、ずっと持ち越すことが出来る。そして持ち越してこそ、新しいことも受け入れられる。
そういうもんなのかな、と思いました。
で、今日、久しぶりに――これは何年かぶりになりますが、本屋をうろうろするのがすごく楽しいと思いました。別に買うわけではないにせよ、色々なタイトルの本があり、それの背表紙をちらちらと眺めながらうろつく。時々手にとって読んでみる。気持ちのカバーを全開にして、様々なものに感じられるようにする。
高校、大学のころはお金もなかったし、とにかく本屋をうろつくのが楽しみでした。そうやって時間を掛けることで、今の人生にいたるまでの分岐点となった本もたくさんありました。あそこであの本に出会ったから、こっちの道に来られた……そう思うようなタイミングが、ざっと振り返っただけでもたくさんあります。
あと、本屋と言えば梶井基次郎ですね。昔、国語の教科書で読んだ「檸檬」が、すごく好きでした。どういう話かって言うと、気分の優れない「わたし」が丸善に行って洋書をどさどさ重ねた上に檸檬をおき、「これが爆弾で丸善をぶっ飛ばしたらどんなだろうな」と夢想しながら揚々と出てくる、と言った話です。
……すみません。私の文章力の乏しさゆえ、みうらじゅんが田山花袋の「布団」を読んだあとの感想みたいになっちゃいましたが、これはあくまでも私の文章だからであって、実際に梶井の文章を読むと、すごく繊細でクスッといい気持ちで笑いたくなるような、穏やかでささやかで楽しい気持ちになれる短編です。青空文庫で出ているようなので、検索すれば全文が読めるはずです。
昔はよかった、という言葉が私は大嫌いで、そのためにとにかく振り返らず、今この瞬間だけを見て生きてきましたが、最近は私は昔のよかったころを取り戻したくて、昔見た映画や聴いた音楽を集中的に聴いています。今聴いているのは大学4年のころサークルも何もせずにひとりきりでいたころよく聴いていたポリスの「見つめていたい」です。
昔よかったものは、そうではないものもたくさんありますが、今見ても聴いてもいいです。……で、大事なのはそういった、昔いいと思ったものをまたいいと思いながら……昔置いてきたものを拾いながら、なおかつ今も認めて生きていくことなのかな、と思いました。
昔に戻ることは出来ないし、今にずっとい続けることも出来ない。でも、その時々で拾ったものは、ずっと持ち越すことが出来る。そして持ち越してこそ、新しいことも受け入れられる。
そういうもんなのかな、と思いました。






