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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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 私は泳ぎが得意ではないのですが、やはり夏は泳いでみたいと言うもの。もっとも、泳げないくせに下手に水に入ったらたちどころにドザえもんになってしまうので、基本的には背の立つところ限定となるのですが。

 詳細は伏せさせていただきますが、今日は我が県の内陸部にある川でちょっと泳いできました。本来であれば海、あるいは湖が理想でしたが、まあ時間的なこともありますしね。そういうわけで山間の、人もあんまり立ち入らないようなところで……。


 実際に着いたのは16時近くで、しかも薄曇り……そして正直なところ水は非常に冷たく、1分くらい入っていると感覚が危うくなるのですね。もっとも、1分くらいで上がれば冷たいのですが5分以上水の中にいるとその後25分くらい夢中で入っていられるものですが。

 あとは当然それなりに流れが強く、本気でそこらへんの石とかなんかに掴まらないと強力に流されます。しかもプールみたいに「人間が流れる」ことを前提に作られていないため、川底には大小さまざまな石が転がり、ナメてかかったところひっくり返されて数箇所に打撲/擦過傷を負い、やっとのことで足のつくところに立って一命を取り留めた、といった次第でした。


 というわけで今回は自然の渓流と真っ向勝負を挑み、まあ、惨敗といえば惨敗、当然といえば当然の帰結だったわけですが、それまでは眺めるだけだった川の流れを全力で体験することが出来ました。満喫、満喫。

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 今でこそ好きな絵といえば板垣恵介氏だとか、荒木飛呂彦氏だとか、さいとうたかを氏だとかを挙げる犬神ですが、そんな私もかつては絵本を読んでいた時期がありました。

 もちろんそれは子どもの頃、というのもありますが、大学の頃(6年ほど前かな)に兄者が「子どもの頃、トラウマになった絵本」ということで買ってきた「せなけいこ」さんの絵本を読み、そのあたりにまた20代の視線で数冊読んだことがありました(ちなみにその頃は、大変な早寝野郎になったのでした)。


 犬神の好きな絵本作家(と言っていいのかどうかわかりませんが)は「いもと ようこ」さんと「林明子」さん。前者は私が無類の猫好きであったこともあり幼少の頃から非常に気に入っております。また後者は絵本と言うか、旺文社図鑑「人間とからだ」の表紙に書かれている女の子の絵を見たのが初めてだったように思います。だから21世紀に入って「はじめてのおつかい」かなんかを見た時、「あっ!」と思った、と。

 最近は主なフェイバリットが夢枕獏氏(特に「餓狼伝」)で、大の男が打撃の応酬やら関節の取り合いやらを「ぬうっ」「くうっ」「ぬわわっ」などと言っている小説ばかり読んでいるので、そういった暖かい世界とは無縁の心持ですが、時々思い出すことがあります。

 妻子でもいりゃここで引き返して、どっぷりと絵本の世界に浸ることもできるのですが……ここが武道家(を見るだけのオタク)の辛ぇところよ、といったものです。

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 コルベット、という車があります。アメリカのシボレーというブランドの車です。

 結構古い時代からず~っと続いている車なのですが、私が一番好きなのは3代目。マニアからはコークボトルラインと呼ばれる、ゆる~くてグラマラスな線を描き、ありあまるトルクでまっすぐな道路を延々と走るイメージがぴったりな、そんな感じの車です。

 ただ、私がこの車について考えた時、すぐに思い浮かぶひとりの人物がいます。

 元フライ級チャンピオン、大場政夫氏です。

 あっという間にチャンピオンに駆け上がって、あっという間にこの世を去ってしまった大場氏の時代には、私は生きていなかったので、後に知ったことでした。


 似たようなケースといえば、やはりジェームス・ディーンですね。

 私は中学生の頃、ジグソーパズルになっていたディーンの写真を見て一目ぼれしてしまいました(その割に主演映画は今に至るまで一本も見ていない)。

 こちらはポルシェ550スパイダーという、レーシングカーがそのまま公道を走っているようなライトウエイトカーでした。当然スピードも出るし、そんな車に乗ってりゃスピードも出したくなるというものですが、そのために結局夭逝してしまいました。

 どちらかというと私は911とか928とかが好きなので、これはそれほどでもないですが、「軽くて速い」というのを突き詰めるとこうなるのではないでしょうか? と思うくらいすばらしい性能だったようです。今ならロータス・エリーゼとかかな。


 そういうわけで、コルベットという車はとても好きなのですが、どうも大場政夫氏と結びつけられることが多くて、なんだか複雑な気持ちです。そして日本に2台しかないうちの1台をせっかく買ったのに、そういうことがあって手放してしまった沢村忠さんの心中いかばかりかと察します(それは関係ない)。

あとは、やっぱりスピードの出しすぎはいかん、ということですよね。こういう事例をもっとアピールすれば、みんな少しは速度について意識するのではないでしょうか。世界チャンピオンでも事故を起こせば一瞬ですべてが終わる、って。

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♪めぐりあ~うとぉ~

 などと呑気なことを言っている場合ではありません。先日の地震は岩手県の真ん中で起こったので津波の心配はありませんでしたし、私の住まいは山の裾野なので、巨大彗星が三陸沖に落ちるようなことでもなければ津波の被害を受けることはないと思うのですが、幼少期に日本海中部地震を秋田県で経験しているため、きちんと知識をつけないといかんなと思ったところです。

 もっとも、秋田で体験した地震の際は津波よりもむしろタンスにつぶされそうになったそうです(そうです、というのは私が物心着く前だったので)。とはいえ日本海中部地震といえば津波。遠足に着ていた小学生が根こそぎ犠牲になったのは北東北の人間であればカサリン・アイオン台風およびチリ地震津波と並んで深い教訓となっているはず。


 秋田での津波被害については柘植久慶「新版サバイバル・バイブル」でも言及されています。同氏は「津波に対する避難の知識がなかったために」そうなった、というわけでバシッと批判されていますが、かつての地震では土砂災害の方が大きかったので、かえって海岸に避難した方が安全だった、という教訓があったためにそうした、ということのようです。

 また、これは津波の何たるかを理解していなかった犬神のボンクラぶりをカミングアウトすることになりますが、よくテレビで「50cmの津波が……」なんて言うと、なんだ、そんなものか、と少々ナメていたのですね。もし浄土ヶ浜かなんかに遊びに行っている時に地震に遭い、そういう心構えで遊んでいたら、本当に極楽浄土に連れて行かれるところでした。

 いわく、津波というのはとてつもなく重いもの、だそうです。考えてみれば普通の波でさえ結構強くて、グイグイと沖に流されてエラい目に遭ったこともありますし、たかだかひざ下ぐらいでもごっそりと刈られて持っていかれる恐れも十分にあります。


 もちろん、北海道南西沖地震の時のように10mだの30mだのといった津波が目の前に迫ってきたら、九分九厘どうしようもないとは思うのですが、一厘でも生き残る方法があるのなら、せめて知識としてだけでも頭に入れておきたい。特にこの時期、やはり海に行きたいと思うので、「もし地震が来たら? 津波が来たらどうしよう?」ということを確認してから出かけようと思います。問い合わせは、スペシャル・フォース。

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 犬神はどちらかというと山育ちの田舎者なので、お上品なしゃべり方などはとてもできません。むしろ無国籍な訛りが色々と混じって、東京の人たちなんかは非常に聞き苦しいものがあるかもしれません。

 「きらりんレボリューション」という漫画/アニメで「ごめんあそばせ」「よろしくてよ」といった言葉を使う人がいます。調べてみると「山の手言葉」というようですね。いや実に、綺麗な言葉でございます。

 一般には「お嬢様言葉」という言い方をするようですが、なるほど確かにものすごくお上品な貴婦人、ないしはそういった名家のご令嬢(中高生くらい)が取り巻きの女の子(2人以上)を引き連れていけすかない主人公の前に立ちそういった口上を述べる……ってそりゃ「ギャンブルフィッシュ」だ。まあそんな感じですね。

 ただ誰よりもこういった言葉が似合う女性というと、1988年に製作されたOVA「トップをねらえ!」の登場人物であるアマノ「お姉様」カズミ嬢なのですね。


 「新世紀エヴァンゲリオン」が猛威を振るっていた95年、14歳のボウズがとある切っ掛けで見て、27歳になった現在まで尾を引くような衝撃を受けたアニメだった……なんてことはもはや言うまでもありませんね。そこに出てくるこの人が、主人公からはもちろん、ほぼ学校中の生徒たちから慕われる智勇兼備の出木杉くんなキャラクタなのですが、そういうしゃべり方をするのですね。

 もっともこちらのお姉様は、「よくってよ」とか「~じゃなくって」(問いかけ「~ではないのでしょうか」)といった定番のお嬢様な話し方をするかと思えば、人知れず鉄下駄を履いて石段を駆け上るなどのトレーニングを欠かさない……という、「世間知らずの箱入り娘」といったお嬢様観を粉砕するようなキャラクタだったのですね。

 今回は「山の手言葉」のお話ですし、このアニメをテーマにして書くとなれば原稿用紙50枚程度? の分量になってしまいかねないのでアニメの話はこの辺にするとして、ともかく少々泥臭い生き方をしてきた犬神には少々綺麗過ぎる感のある言葉。それゆえもしも本当にこんな言葉を使いこなす人が現れたら、なぜかコンプレックスを感じてしまうのだろう……と、つくづくどこまでも田舎の小市民な犬神でした。

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 寝てください、とは往年のナムコのキャッチコピーですね。

 私もまたなんだかんだ言って、休みの日は静かなところに出かけてクーソーしてから仕事の日を迎えたいと思う人間のようです。あ、「空想」ね。それ以外の意味ではないですから。


 以前であれば「ARIA」などをその静かな場所で読む、といったことをして積極的に気持ちをリラックスさせるような試みをしていました。BGMは主に「信長の野望 覇王伝」などを聴いておりました。

 ただ昨今はそのような漫画を読むことさえしません。音楽を聴かないこともあります。自然の音に耳を傾けて……というか、傾けるまでも無く入ってくる音をそのままに受け入れ、いろいろな想像を巡らせるだけで、それでおなかいっぱいになってしまうのですね。


 何でこんなことをしているのかというと……こちらの「耳のリフレッシュの術」というのに影響を受けたのですね。決して働きマンの漫画の影響ではないのです。決して!
 
 もちろん、できるならばゆっくりと1~2時間ほどかけて想像をめぐらせたいところですが、今日の場合はちょっと時間が無かったのでせいぜい20分くらい。音楽もちょっと短めに。それでも、やはり実際にそうすることで気持ちがリセットされましたし、なかなかの効果があったように思います。

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 根拠があるような、ないようなことで「いつ、どこそこに大地震が来る」などとのたまうことに対して、これほどまでにいきだおれを感じたことはありません。カムチャツカだの四川だのと言った話はまるで信憑性がなく、というかもうどうでもいいという感じです。


 本日0時26分、岩手県を震源として巨大な地震が発生しました。

 揺れました。目が覚めました。慌てて部屋の外に飛び出し、2時くらいからの気象庁の会見を聞くまで心配で寝られませんでした。


 もはや「地震がくるかもしれない。来たらどうしよう」なんていうレベルで物事を語っている場合ではないのです。「地震が来たら、こうしよう」ということで日常から心身を鍛え、ものを備蓄しておく必要があるのです。誰が何といおうと私は柘植久慶氏の著書を何度も熟読し、MREレーションはともかく身近な非常食等々を備えておこうと思います。

 そういうことがあったから、とは思えませんが、久々にとあるデパートのゲームコーナーにある「熱中大通り」に何と缶入りのカンパンが! 早速撃ち落としてきました。あとは水だな。


 ……まあ、それはともかく……

 備えあればうれしいなという言葉もあります。何かあっても対応できる最低限の心構えと物構えを用意しておき、その上で平和な日常を謳歌する。2度も大地震に見舞われた(しかも割と近い時期に)犬神は、そういう生き方をしようと思いました。

 ドンと来い、地震。

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 ものを食べるということに関して、ことさら上品に振舞うつもりは一切なく、音を立てて食べることをはしたないという人の前で「べらんめえ」と言ってズズズッとそばをすすりこむ……そもそも私は岩手県民なのでそんなことは絶対に言わないし、わざわざ食べ物で挑発することもしないのですが……まあともかく、ものの食べ方についてはアジア流を強く支持する犬神です。

 ところがそれでも、私が下賎な食べ方として憎悪しているものがありまして、それというのは白米に醤油、または生卵をぶちまけて食べるというアレです、アレ。

 あえて「下賎」という言葉を使ったのは、ひょっとすると私の家の両親が原因かもしれません。両親は「わびしい食事」の象徴としてこういった食べ方をしてきたことを何かにつけ話し、それが一度や二度ならいざ知らず100回以上聞かされているうちに、そういう食べ方自体を激しく憎悪するようになった次第です。


 同様に、米飯に汁をかけて食べるという方法も下賎なもの、と思っているのですが、これについてはちょっと複雑な感じです。というのは「ドラえもん」で、のび太くんが当時のアイドル丸井マリ(初出:「小学3年生」73年)に成り代わって雑誌のインタビューに答える際、「好きな食べ物は?」と聞かれて答えたのが「しるかけごはん」なんですね。

 空腹時に読むとますます腹が減ってくることがある「ドラ」の中でも、こんなにいい表情で言っているのは稀有なパターンであると思います。実際に食べているシーンこそないものの、思わず食べたくなってしまいます。

 往年の戦国武将・北条氏政も好きだった汁かけご飯。実際にそうやって食べることはこれからの生涯であと何度あるのかわかりませんが、こういった食べ方をしている人が目の前にいたとしても、あえて何も言いますまい。

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 「パイナップルARMY」と言う漫画が大好きです。……いつぐらいに読んだのかな。結構前から家にあったのは知っていましたが、表紙だけ見てなぜか手に取らず、長いこと過ぎ去っていました。

 たぶん引越しのドサクサで、兄の本棚から出してそこいらにぶん投げていたのをたまたま手にとって読んだのがきっかけだったと思います。人が銃で撃たれたり爆弾で吹っ飛ばされたりするものの、基本的には浦沢直樹氏の物柔らかな絵柄であったので、入り口はすんなりでした。

 そのあと急激にミリタリー・オタクになり、コンバットマガジン等々を愛読する、どこにでもいるありふれた中学生になり、一時期そういったものから離れていたものの、最近また思い出して読むようになりました。


 コレが連載されていた1980年代は、ひとまずベトナム戦争は終わったもののテロや小規模な紛争は世界中で起こっておりました。もちろんベルリンの壁もありましたし、東西冷戦はまだ続いていました。

 ニカラグア、エルサルバドルなどといった中南米の国々の名前はこの漫画で覚えました。アイルランドにはIRAというテロ組織があり、リビアにはカダフィという独裁者がいて、東南アジアには黄金の三角地帯と呼ばれる麻薬密造地帯があることを知りました。

 その他銃器や爆弾の性能、生き延びるためのノウハウ、ついでにチェスの作戦? など、思春期の犬神に少なくない影響を与えました。

 好きな話は「五人の軍隊」「キング・オブ・ザ・ロード」などなど、挙げれば5つか6つくらいはありますが、真っ先に、しかも鮮明に思い出されるのは次のシーンであると言うことになります。


 「決着は私がつける。出て行ってくれ」 (4巻収録「大いなる目覚め」)

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 闘魂30戦―アントニオ・猪木自選 と言う本を読んでいます。

 昭和58年に東スポから発売されたこの本は、デビュー間もない頃からウイリー・ウイリアムス戦(1回目)までの戦いを収録したもので、ルー・テーズやカール・ゴッチといった当時の大物レスラーやジャイアント馬場との共闘(BI砲)、タイガー・ジェット・シンの「腕折り」などなど、当時の話題沸騰なバウトが収録されていて、当時のプロレスの何たるかを非常に楽しく味わうことができます。まだそこまでは読んでませんが、もちろんモハメッド・アリとの一戦も収録されています。


 色々と知識もつけて、熱狂的ファンではないものの強烈に嫌っているわけでもないノンポリな立場の犬神ですが、プロレスラーという立場もありますし、ある程度相手を壊すことにためらいを感じない人なのだと思っていました(容赦なくスリーパーホールドでシメ落とすし)。

 
 でも、そうでもないのだなと思ったのが、収録はされていませんがパキスタンの英雄アクラム・ペールワンとの一戦です。

 完全な真剣勝負。目突き(サミング)、噛み付き、何でもあり。最終的にアームロックでペールワンを破壊して何とか収束。……したのはいいんですが、そのあとのコメントが胸を打ちました。
 
 「……あいつ、(関節が決まっても)参ったしないから……」


 それと同じような気持ちを今日、「ドラゴンへの道」を見た時に感じました。

 異国の地で散々イロモノ扱いされる恥辱を味わったあと、嫌がらせに来た悪党を片っ端から殴り倒しすっかり私も顔を覚えたロバート・ボブ・ウォールと、自信満々なだけにかっこ悪いウォン・イン・シックを苦もなく叩きのめし、チャック・ノリスとの最後の決闘。たっぷり相手の攻撃を受けたところでステップを踏み反撃開始! ほぼ一方的にチャック・ノリスをボコボコにします。

 ただしパワーとスタミナはタン・ロン(ブルース・リー)以上なので、何度でも起き上がってきます。仕方がないので腕をへし折り、餓狼伝で堤城平がアマレス経験者のヤクザに食らわせた底足による膝砕きで完全に戦闘能力を奪ったのですが……


 映画の感想は感想として、別な形で書きたいのでこのあとはまた改めて書かせていただきますが、思ったのは猪木もタン・ロンも「殺人マシーン」ではない、ということですね。妥協のないファイトをするのは当然としても、必要以上に人を壊したり、さらにそれを超えた仕打ちを好き好んでしようとしているわけではなかった、ということでしょうか。


 ホッとしたような気持ちになった日でした。

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 先日、必殺シリーズの中でも異色作と評判の高い「翔べ! 必殺うらごろし」を見る機会がありました。

 超常現象を超常現象としてそのままストーリィが展開していくというのが特徴の本作は一番の能力者である中村敦夫「先生」がどういった経緯で善人が死んだかを超能力で見るので、基本的に金銭のやり取りはありません。理不尽な悪党を抹殺……というか惨殺したいという死に際の思いがモチベーションという、ウラミハラサデオクベキカな物語なのです。

 
 市原悦子は何食わぬ顔で悪人を待ち伏せし、一瞬で相手をブスリと刺殺する、後の中村主水を髣髴とさせる技を使うので暗殺者っぽいのですが、朝日を浴びてパワーアップする先生は日の高いところで殺しを行います。主に旗竿を投げつけてそれで相手を貫き、その後は立たせたまま絶命するまで放っておきます。別に死ぬまで見届けるわけではなく、「その竿はくれてやる」と、男塾の伊達の如く去っていくのですが。

 そして本作でもっとも異彩を放っているのが和田アキ子です。執拗に相手を殴り、殴り、殴り殺すシーンは視聴者の溜飲を下げるどころか、痛快すぎて笑い転げてしまいました。ちなみに今回は殴るだけではなく、階段から縦方向に転がして殺害していました。古館伊知郎ふうに言えばひとり地獄車とでも言いましょうか。なんかここだけ東映カラテ映画みたい。

 ちなみにエンディングテーマも和田アキ子でした。およそ時代劇らしからぬソウルフルな歌声は素直にかっこよく、「ああ、この人は歌手だったんだな」と、物心ついたころからアッコにおまかせしかみていない犬神は思いました。次は「野良猫ロック」か。

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 高校生の頃からでしょうか。

 それ以前は文庫というのは活字オンリーだと思っていたのが、急にパタパタと漫画が増え始め、昔の漫画を割と容易に読めるようになったと思い、文庫で初めて読んだ漫画も少なくありません。別に私はコレクターではないので、とにかく読めればいいのです。

 「空手バカ一代」もその頃読みました。もっとも、自分では買わず主に立ち読みばかりだったのでせいぜい2~3冊程度なのですが、それでも長髪の大山総裁(当時はいち空手家の青年)が悪漢やら牛やらを叩きのめす壮絶な世界を味わいました。

 元・極真会館の八巻建弐さんなどは、そんな超絶的に強い大山総裁にあこがれて空手の世界に入ったのだといいます。

 時代が下って、色々な情報が簡単に集められるようになると、「実はそうではなかった」ということがよく語られるようになりました(もっとも、たとえば千葉真一氏の演じる大山総裁が本当の姿だったら、それはちょっとマズいことであると思いますが)。

 創作だった。妄想だった。……まあ、たぶんそれはその通りなのでしょう。

 ただ、大山総裁の場合「だからどうしたの」というだけの事実を積み上げているから、たとえ信者といわれようと私もまた尊敬の念を揺るがせることはないのですね。とにかく実際に、メチャクチャに強かったんですから。

 
 で、それを踏まえて申し上げると、私は中学生の頃に友人から借りた「ザ・ファイティング」を読んで以来、ず~っと現在に至るまで柘植久慶氏のファンなのです。

 「元グリンベレー大尉」という肩書きを引っさげ、護身とかどころではなく確実に相手を無力化させる数々のテクニックを写真とイラストで紹介する本書の格闘術を、まあ一度も役立てたことはないのですが、とにかく何かにつけては読み返し、気持ちだけはそんな気分になります。

 年月を経て、インターネット上で同氏のことを調べると、二言目にはインチキ作家、経歴詐称などと批判的な文言が躍っています。別に私はそういった人たちに対して「この野郎」とばかりに反論を5000文字くらいで書き込むことはしませんが、何となれば、別に元グリンベレーだろうとそうじゃなかろうと、同氏が好きなことに変わりないからです。

 「勝負あった」「言うまでもない」といった文言が好きなのもありますが、とにかく心身ともにタフなのは事実ですしね。まあ細かく見ていけば、おや? と思うところもあるような気もしますが、そんなのは読んでいる方が取捨選択すればよろしい。このご時世、背後からトラックが突っ込んできたりナイフで刺されたりするのは明日かもしれないのだ。


 結局なにが今回の記事のテーマなのかよくわからなくなってしまいましたが、全部を鵜呑みにするのも、ひとつ間違っていたのですべてご破算というのも、あまりいいものではないんじゃないでしょうか、ということですね。ちゃんと考えながら、なおかつ楽しむ。それでいいんじゃないでしょうか。

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 「山ねずみ ロッキーチャック」というのを、最近再放送で放送されているので、見ています。

 みどりが森の山ねずみ・ロッキーチャックとガールフレンドのポリー、それにその他の生き物たちの生活を描いたこの物語は、とても温かみのあるかわいらしいアニメ絵が好きで、今日びの冷たいCGアニメとは一線を画したよさがあります。

 ただ、こうして27歳になって改めてみてみると、その内容は意外とハードであることに気づきます。

 
 森の仲間たちは、アニメなので種族は違っても会話が成立します。山ねずみとうさぎ、カケスとカワウソ、それにコヨーテと狐、といった感じで(人間に飼われている犬は例外)。

 ただ、会話が成立する割には時として捕食者からの被食者の逃走劇などがあったり獲物をめぐって肉食動物同士がケンカしたりすることがあるんですよね。

 たとえば、「タカの赤シッポ」というキャラがいるのですが、一応ロッキーたちと共通する言語を話す割に、森の動物たちからは非常に恐れられ、これが空中を旋回している時はいっせいに森の仲間は姿を消します。たまに隠れそこねたりすると、本気で捕食しにかかりますし、狐のレッドと「コヨーテの子どもをどちらが食べるか」で死闘を繰り広げたこともあります。

 人間とか、人間に飼われている犬が脅威である、というのはわかります。あと、力関係でいじめられたりからかわれたりするのも、物語としては十分にありえることなのですが、時々そう言う「本気のシーン」が入ってくるから、目が離せません。狐のレッドは、本当にピーターうさぎを捕食しようとしているのか?(そうあってほしくはないのですが)

 
 可愛いながら、時に縄張りを巡って同じ山ねずみ同士で死闘を繰り広げるロッキー。反対に普段は鋭い目つきで獲物を狙っていながら、ドジで本当はちょっと気が弱い狐のレッド。みんな仲良しの馴れ合いばかりではなく、ドキドキハラハラを適度に織り込んだこのアニメは、ある意味では27歳になってからじゃないとわからないのかもしれない、などと思いました。

 あと、今からしてみるとなかなか豪華なキャスティングもいいですね。増山江威子さん(ポリー)とか永井一郎さん(ピーターうさぎ)とかは、聞きなれた色っぽい/渋いイメージとは大分違うのですが、田の中勇さん(目玉おやじ……じゃなくてリスのチャタラー)とかはそのまま。犬神が特に好きなのはカワウソのジョーとテンのハリー。それぞれ山田康雄さんと肝付兼太さん。

 基本的にふたりセットで出てくるのですが、なんだかルパン三世とスネ夫が会話をしているように聞こえてしまいます。

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 中公文庫「ジャンヌ・ダルク」を読みました。藤本ひとみ版ではなくて。

 長いことジャンヌ・ダルクというと「ワールドヒーローズ」のそれしか知らず、まあ、それはそれでよかったのですが、そのあとミラ・ジョヴォヴィッチがやっていたりして、イメージがあやふやになっていたのですね。

 映画とかは作り手の「こう見せたい気持ち」が強く出るので(実際リュック・ベッソンの意図がありありと出ているそうですが)ニュートラルな、できるだけリアルなものを知りたい。そういう気持ちでいたところたまたま古本屋でそれっぽい本を見つけ、「大空のサムライ」「アントニオ猪木 闘魂30選」といった書籍ともども買い求めました。


 百姓の娘が天からの「声」を受けて地元の偉い人を説得し、兵士たちを奮い立たせて扇動し、イギリス軍を追い払った。これは歴史の示すところであります。あとはカトリックでは禁忌とされる男装、つまり甲冑を身につけて馬に乗って先陣を切った。これもその通りであったようです。美人だったか? というのはあいにくと証言が少ないのでさておき、平時は歌や踊りを好む普通の女の子だったようです。

 この時点でクリスタナ・ローケンにも似た殺人マシン的なイメージのあるミラ・ジョヴォヴィッチは違う、ということになります。いや、「バイオハザード」の三角蹴りとかは素直にぶったまげたし魅了されたので、この人のアクションは大好きなんですが。

 
 騎士も諸侯も最初は「アホか」と相手にしなかったのですが、とにかく場面が次々と彼女の言う通りになるものだから、みんなついていきます。それに加えて彼女自身の魅力というのも少なからずあったみたいですが、それは単純な美しさではなく「神々しさ」であり、最初は襲ってやろうと思ってついていった従者も、そのカリスマ性に触れてそんな気持ちも雲散霧消してしまった、と証言したそうです。


 とはいえ彼女はあまりにも急進的であったために、保守的な諸侯たちの罠にハメられて捕まりました。これはその通りです。最初に釈放した時に署名した誓約書の内容に違反したので、ということではあったのですが、これが文盲(原文ママ)であった彼女に付け込んだサギ同然の手口でありました。

 その後は世の中によく知られた通りです。一応、死後しばらくたってから復権裁判が行われ、いわゆる「聖女」として列することにはなったのですが、自分たちで殺しておいて何が名誉だ、といったことを最後に著者は語っています。

 何分にも西洋史は苦手で、ジョンだのリチャードだのと言われてもいまいちピンと来ず、4割ぐらいはとりこぼしてしまった感があるのですが、ともかくそういうものだったようです。


 そうそう。神の声を聞いた、と主張する割には合理主義的な部分もあったようです。

 ジャンヌを快く思わない人々が、同じような女性を持ち上げてきたことがありました。彼女の言うには夜に聖母マリアの姿を見た、声を聞いたと言うことで、ジャンヌがそれを確かめてやろうと言うことになり、一緒に待っていました。待ちくたびれて先に眠ってしまって、翌朝聞いてみると「あなたが寝てる間に出たわよ」と彼女は言いました。

 そうしたら今度は昼間に寝て、夜中じゅう「いつ出るの? いつ出るの?」と聞いて待ち続けたそうですが、ついに出てこなかったと言います。

 神の声が本当に聞こえたのかどうか。それはわかりませんが、ともかく人をひきつけるカリスマと物事をきちんと考えられる合理性を併せ持った女性であった、と素直に「すごい」と思った、というのが素人な私の感想です。


 「ワールドヒーローズ」のジャンヌは……うーん……アレはアレで好きです。

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 散々な日々ばかりだったので、八幡平市を流れる松川に行って来ました。

 八幡平のふもと、「樹海ライン」方面から行くと、温泉宿がいくつかあるのがこの松川エリアなのですが、そこを流れる川がとても綺麗で、涼しげな感じがするのですね。思わず通り過ぎてしまいそうですが、一応ちょっとした公園もあり、あまり人も来ないので、色々なことを想像しながら歩くことができます。


 で、私の場合はそういった公園地域からさらにズカズカと上流に向かって歩き、途中で強力な蜘蛛の巣に引っかかりながらもこれを突破、最終的には靴を脱いで素足で川の浅いところを越え、ちょっとした名所を自分なりに発見した次第でございます。

 そこは大きな岩や、滝というほどの量ではなくて、岩の壁から染み出しているような水がしたたった場所にこけが生えた、あまり人の手の入っていなさそうな場所でした。

 そこで思ったのが、こけというのは、一体どれほどの時間を掛けて生えるのか。わが国の歌にも「こけのむすまで」と言っているくらいだから、ちょっとやそっとの時間ではないとは思うのですが……ともあれ、そういった長い時間を感じさせる場所であって、妙に感慨深くなって、たまらず国歌を独唱してしまいました。


 どことは言えませんが、とにかく川の水はずっと浸っていると痛くなってくるくらい冷たく、メチャ暑い日などは避暑に来ようかな、と思っています。そこそこ深くて泳げそうな場所もありますしね。

 ひとつ難点を挙げるとすれば、下手な場所に靴を脱いでいくと何かアブナイ感じがする、ということか。今日も、誰も来なくてよかった……。

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 私の父は最近でこそ「24」などの連続ドラマばかり見ているのですが、その昔はいかにも~なアメリカン・アクション映画が好きで、休みの日ともなれば居間で色々なビデオを見ているのが日常の風景でした。私が素直に洋画が好きになれないのは、そういったトラウマがあるからなのかもしれません。


 嘘をつきました。トラウマというほど深刻なものではなく、「中身がよくわからなくてヒマだった」というのと、「人が殴られたり死んだりするのがひどく嫌だった」というのがあったからでしょう。

 父はアメリカン・アクション映画が好きな理由を「子どもの頃にコンバット! などを見てきたから」と語ったことがあります。なるほど、それは仕方がない。私も思春期にアニメばかり見てきたので、それなりの人格が出来上がったのだし、それ自体にどうこう言うつもりはありません。


 その頃見ていた映画で、今でもよく覚えているのが「V(ビジター)」シリーズと「ランボー 怒りの脱出」。

 前者はかなり長いシリーズのはずですが、なぜか金曜ロードショーで連続放送され、故・水野晴郎氏の解説とともに延々と流れていた気がします。これについても思うところがあるのですが、それはまたの機会にするとして、今日は「ランボー」。

 先日なにを思ったか、ものすごく久々に続編が出たひとりの軍隊ジョン・ランボーの大殺戮アクションシリーズですね。「怒りの脱出」は第2作で、行き場を失った帰還兵の切なすぎる戦いから、別な意味で行き場を失ってナイフと弓矢とM60で暴れまわるスーパーな野郎に変貌した、記念すべき作品です。

 なんか散々な言い方をしているのですが、実際に覚えているシーンと言うのは「ポドフスキーに拷問を受けている? シーン」と「終盤でM60を撃ちまくるシーン」だけで、詳しいスジはずっと後になってgoo映画を見てわかったことでした。

 ただ、劇中で流れる音楽だけはとても好きなのがありまして。……そう、「竜神池のテーマ」!(違う) 私としてはロッキーのテーマよりもよほどやる気をかき立てられます。

 サントラがほしいと思ったら、現在は輸入盤ぐらいしか気軽に手に入れられないのですね。映画はちょっと……ですが、そのうちひとつ、買い求めるとしましょうかね。


 何でこんなことを言っているのかというと、先日10数年ぶりに「風雲!たけし城」を見る機会がありまして。そこで久々にあの曲を聴いたのですね。

 ビートたけしさんも若かったし、東国原知事もボリュームがありました。今は引退したりあまりテレビに出てこなくなった人もたくさんいました。ストロング金剛さんは「悪魔の館」でウガァー! って言っているイメージしかなかったから、日本語を話しているのを初めて聞きました。イメージの中ではもっとボリュームがある気がしましたが、やはりそれは子どもだったからなのでしょうか?

 そういえば、コンバット! の曲も長いこと「ジブラルタル海峡」のテーマと思っていました。じゃあ燃えよドラゴンの曲は「悪魔の館」のテーマか。

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 国道106号を、盛岡方面から宮古方面にず~っと走ります。盛岡からなら区界、やまびこ何とかと言うふたつの道の駅を通過するので、結構距離があります。

 途中で看板があるのでわき道に入り、そこから数キロ走ります。途中までは結構いい道路があるのですが、途中でいきなり通行止めになり、ものすごく狭い道路に入ります。途中には未舗装の砂利道もあり、ちょっとセガラリーのような気がしないでもありません。

 そしてその先にあるのが、今日行った「横沢冷泉 静峰苑」です。


 大体、1年ぶりくらいになりますね。 前回

 今回は日曜日なのに、風呂に入っているうちは誰も来ませんでした。実質、貸切のような状態だったので、誰に気兼ねすることもなく高歌放吟、自由闊達に振舞うことができました。

 まあすいているのは大いに構わないのですが、ただ経営側としてはもっと賑わってもらわないと困るのも事実。2年ほど前からNPO法人の管轄になっているので、川井村自体が破綻でもしない限り大丈夫だとは思うのですが、いつ廃業になるとも知れないですし、ちょっとした旅行になりますが、やはり通わなければなりますまい。

 実質的に車がないと来るのが大変な場所ではありますが、今の季節なら新緑がきらめき、イオンのトイレではないので録音ではなく生の鳥のさえずりも聞こえます。これから海に行く機会もあるでしょうし、帰りにちょっと寄って疲れを癒す……なんてのも、いいのかもしれません。


 そうそう。何やらここではかの源義経が静御前と逢引をしたという伝説も残っているそうです。私は川井村のホームページで今日初めて知りました。本当かどうかはよくわかりませんが、まあ海を越えて一大帝国を築いたという伝説もあるくらいですし……。

 大切なのは本当かどうかよりも、それ自体にロマンを感じられるかどうか。そういうのがいいんじゃないんでしょうかねぇ。

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 4年ぶりに自転車に乗って、みました。

 別にエコを意識したとか、そういうことではありません(全然意識していないわけではないのですが)。ただ、4年間。オリンピック並みのブランクを経て、その間ず~っと足と心臓を衰えさせ続けた自分への戒め。というか、「現在(いま)‥‥」 「自分の居る場所を知りたく――」といった片岡輝夫(@餓狼伝)的な気持ちでやってみました。

 結論。思っていたほど心臓は衰えていないということでした。

 もっとも、私の家は山を切り開いた団地にある関係上、行きはよいよい帰りはしんどいので、途中で押して歩いてきました。情けない。でもいいのです。とにかく今日はそれでよろしい。次はもう少し、押して歩かないで済むよう、がんばればよいのですから。


 それとは別に、今日は花巻城址を見てきました。

 花巻城は元々稗貫氏という人たちが治めていたところだったのですが、某秀吉の小田原攻めに遅参、というか参戦しなかったために領土を没収され、それ以来南部氏のものになったという経緯のあるところです。

 ただ、慶長5年に一度その人々が隣国の某「独眼竜」の後押しを受けて、城の奪還を目指して蜂起、ちょうど南部氏が関が原の戦いで出張していて城の兵が少なかったこともあり、ウオーとばかりに攻め込んだのでした。

 攻め手の兵は500から1000に対し、守り手の兵はせいぜい数十だったということで、「信長の野望・革新」などであれば5秒で制圧、といったところですが、その時に城代を任されていたのは知将・北信愛(当時は剃髪後なので松斎)でした。

 しかも城の守りも堅いし、さらに侍たちのみならず非戦闘員・一般人をも参加して奮戦したと言うことで、とにかく本丸は援軍がくるまで持ちこたえた……ということでございました。

 現在は西御門が復元されており、イトーヨーカドーの辺りから見上げるとなんだかそれらしく見えます。鉄砲銃眼などもあるので、ゴルゴ13かなんかが守り手にいれば99.999パーセント以上の確率でスナイプされることでしょう。

 それ以外は学校になっていたり、一般住宅になっていたり、まあほとんど面影はないのですが、ともかくホテホテと、当時のことを想像しながら歩いてみるとなかなか面白い。ついでに言うと、随分と大きかったのだな、ということがわかりました。


 もっと地元の歴史を、詳しく知らなければならないな、と思いました。もちろん、面白いから、ですよ。

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 誰かからいわれないと忘れてしまいそうなくらい、今日という日はなんでもない日でした。今日は朝から晩までずっと会社にいたし、なじみの喫茶店も今日はちょっと遠慮気味。とりあえず会社が終わってからゲーセンに行き、軽く遊んで雑誌を数冊買い、そのまま帰ろうかと思ったのですが……

 まあ、せっかくだから。

 というわけで、私が知ってる限りでは一等高い、銀座コージーコーナーのケーキを買ってきました。

 
 酒でも飲んでやるか。とも思いましたが、まあ体調がよくないし、とりあえずケーキだけでよしとしましょう。


 今日は、私のバースデイ。今日で私も27歳。


 ……

 とりあえず、テレビでは私の思い出のアニメ「猫の恩返し」をやっています。濱田マリさんが声をアテていることもそうなのですが、猫好きにはたまらないアニメであり、ジブリというだけで嫌悪感をあらわにする私もコレだけはとても好きなのですね。

 
 ……

 まあ、そんな感じで、これからもよろしくお願いします。

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 先日、5年ぶりに献血に行ってきました。

 ちょっとした自慢なのですが、犬神は20回と少し献血をしたことがあり、ちょっとした記念品をいただいたことがありました。16歳になった時から何かというと献血、献血……。ただしボランティア精神というよりは、ジュースとかお菓子とかがもらえるし、ものすごくすわり心地のいい椅子でテレビを見られるし、当時はなかなかできなかったインターネットもできたし、ということで通いまくっていたのでした。

 その後、近くに献血ルームがないところに引っ越したので、しばらくご無沙汰していたのですが、やはり普段の健康状態が気になり(HIV感染が気になったわけではなく)、それだったらせっかくなので……ということで、久々に足を運んだ次第です。


 とにかく色々なものが変わっていました。かつて手書きで書いていた問診表はタッチパネルで入力したあと自動的に印刷し、その都度日付のハンコをついていた「献血手帳」は最近流行の磁気カードでシュッと出し入れ記載するように。個人的にも住所から身長体重から、とにかくデータを改めて、いやはやそんなもんなのかねぇ、としみじみ思いました。

 昔のようにお菓子をむさぼる欠食児童のごとき振る舞いはせず、ただし身体的な理由から水分はよく取り、テレビを眺めつつ血漿を捧げること数十分……。

 テレビでは旅番組をやっていました。いわく、日本橋から日光まで徒歩で行ってみようという企画なそうで、2日ごとに人が変わっていました。私が見たのは三田村邦彦さん、大場久美子さん、そして森末慎二さん。宇都宮・日光あたりは犬神も旅をした場所で、「何か見たことある!」と思うと、妙にうれしい気持ちがしたものでした。

 
 ということを本当は先月の最後の土曜日に書こうと思っていたのですが、色々あって忘れてしまいました。2年前の会社の健康診断では「高脂血症」の判定を受け、以来煙草は減らしつつここ1年以上はまったく吸わないようになり(往来で煙草を吸う人が嫌いになるくらい)、酒もそれほど飲まなくなりました。だからその頃よりは、マシ担っていると思うのですが……。どういった結果が還ってくるか、楽しみです。

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 (このカテゴリの文章は、空いている日にちに突っ込んだメモのようなものです。特別な主義/主張などがあるわけではありませんので、ご了承ください)

 なわとび! 私はこの言葉に憧憬を禁じ得ませんッッッ!

 ……最後にやったのは一体、いつのことになるでしょう。なんか小学生の、それも割と前半で終わったような気がします。それ以来だから15年、下手を打つと20年近く、やっていないわけですね。

 体育全般がそうでしたが、私は身体を動かすことが大苦手で、逆上がりも出来なければ25メートルも泳げません。もちろんなわとびも得意ではありませんでした。それでも一応、前回り跳びくらいはできましたけど、二重跳びとか交差跳びとか、そんなものはとてもとても。

 基本的に誰でもできることだとは思うのですが、妙に二重とびがウマい女の子がいて、素直にすごいと思いつつ自分の無能力っぷりを当時から痛感していたところでした。


 その後、ポンと10数年が過ぎました。

 以来なわとび等は触れることも無く、せいぜいボクシングの選手がジムでパシッパシッと素早いスキッピングをしているのをテレビで見るくらいで、自分にはまったく縁の無いものだと思っていました。


 それなのに、どうしてなわとびなのか。

 室内ではできないにしても、とりあえず縄が一本とある程度の場所があればその場でいつまでもできるから、ということが動機でした。

 とりあえず人目につかないところで軽く跳んでみたものの、……こんなに難しかったのか……ついでにほんの数十回でハァハァになってしまうのか……と、改めて今のダメっぷりを痛感しました。

 現在はとりあえず謙虚な気持ちで、経験を積み、知識を取り入れて、ゆくゆくは二重跳びもできるようになりたいと思っています。手首で縄をまわせばいいとはいえ、今はなかなかそうもいかないところですが(肩で回しているような気がする)……

 やらなければ、できない。

 そんな気持ちで少しずつ、やっていきたいと思います。

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 「美味しんぼ」と言う漫画が長いこと嫌いで、今でもなかなか手に取る気にならないのですが、それはやはり私がバカ舌だから、たかが食い物のことで全人格を否定されるような漫画は読みたくない……という思想があるからなんですね。

 ということはちょっとは読んだことがあるのですが、その時になんだか玄米が実はダメっていう話を読んだ気がします。

 今まで「いい、いい」と言っていたのにいきなり「実はダメでした」と言われて、さらにそれが「実はダメでしたと言うのが間違いでした」と言われてぶちギレてしまったことがあるので、素直に信じず、かといって頭ごなしに否定もせず、きちんと読み解いて考える。


 そうしてみると「美味しんぼ」の「玄米はイカン」というのは、「その前段階(肥料、土壌、などなど)もしっかりした玄米でなければイカン」ということであって、玄米自体を否定しているわけではない、ということがわかりました。 

 参考:夜刊ロロモ様

 何でこんなことを書いたのかと言うと、こないだ大好物のトンカツを、付け合せのキャベツを残してしまうくらい大量に食べたのですが、ゴハンが白米と玄米の2種類から選べるお店だったのですね。それで、最初は他の人と同じく白米を食べたのですが、日常で玄米を食べる機会がないのでわざわざ玄米を2杯目で食べまして。

 それで、ふと思い出したのですね(結局、全部食べましたが)。


 三浦哲郎ではありませんが、俗な人でよかったと思う瞬間が、やはりとんかつを食べる時です。故・中島らも氏のエッセイでは寺の住職に豚キムチを進められ、一緒になって食べていたというエピソードもあった気がしますが……。

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 「餓狼伝」において、武道家の最大の敵は「老い」である、と言います。竹宮流宗家・泉宗一郎先生の言葉でした。

 もちろん同じ作品には老いてますます盛んな空手家・松尾象山と言う人もいますし、よく似た別の漫画ではむしろ年齢を重ねることで人外のような強さを手に入れた中国の拳法家(年齢3ケタ)が出てきますがそれはさておき、すごく重みのある言葉であるように思います。

 たとえどんなに強くても、年月を経れば新しい人がどんどん出てくる。力もスタミナも当然、若い方が有利となるから、次第に負けを重ねるようになり、去っていく。……非情な世界です。

 私も昔はドライなもので、負けが込んでくると急にファンをやめ、新しい強い人の方につく日和見な人間だったのですが……最近は色々なことを知り、そのあたりの考え方も少しずつ変わってきたところです。


 90年代前半、私の中で最も強い格闘家は佐竹雅昭氏でした。

 正道会館出身。ものすごい筋肉量とものすごい積極的なファイトで突き蹴りを繰り出すスタイルは、それまでプロレスとボクシングくらいしか知らなかった私に激しい衝撃を与えました。初めて声を聞いたのが「餓狼伝説」のジョー・ヒガシだったというのはともかく、K-1で日本人ながらかなり強い!(というか唯一まともに戦える?)ということで一気にファンになりました。

 その後は苦戦を続けるにしたがって外国の別な選手のファンになり、02年の「サタヤン」で完全にどん引きしてしまって以来、もう過去の人……という風に思っていたのですが、今は独自の流派を開き、やっているようですね。


 それを見て、改めてファンになりました。

 テレビカメラの、スポットライトのあるところで勝てないから、強くない。そうじゃないですよね。……持ち崩すでもなく、タレントになるでもなく、自分の道を突き詰めていこうとするその気持ち。とりあえず著書「まっすぐに蹴る」を買って読まねばなるまいな、と思いました。

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 「どの種目が一番強いか」ではなく「誰が一番強いか」ですよね。格闘技って。ボクシングだろうと空手だろうとプロレスだろうと、強い人は強い。北辰会館の中条と成川に勝っても空手に勝ったわけではない。誰に勝てばいいんだい。決まってるだろう。

こ の 松 尾 象 山 に さ 。

 ……まあ、松尾象山は架空の人物ですが、とにかく強い人は何をやっても強いので、私もジャンルを問わず色々と強い人のことを調べてはフムフムとうなずいています。


 最近面白いと思ったのは、強くなる方法もひとつではない、ということです。

 たとえば、力を……もっと言えば筋肉をつけるためには、ウエイトトレーニングをやればいい。重いものを持ち上げられれば、それだけ力が強いと言うこと。当然ですね。

 ただ、そういったウエイトトレーニングを嫌ってなおかつ強い人はいっぱいいます(「した」って人が多いのかな。今じゃ……)

 ブルース・リー。カール・ゴッチ。マイク・タイソン。

 タイソンなどは「ウエイトトレーニングなんて、チーズケーキを殴るようなものさ」とまで言っていました。(参考


 その一方で、かの大山「ゴッドハンド」倍達総裁はウエイトトレーニングであのマッチョな身体を作り、硬貨を折り曲げるわレンガを叩き割るわ……何よりも山ほどの人間(+牛)と戦い、ことごとくを撃退してみせているのだからたまらない。タイソンがそのことを知ったらどう思うでしょう。

 たぶんどうとも思わないだろうし、やりあえばどちらが強い? なんて理屈をこねるつもりもありません。

 結局、道のりは違っても強い人は強い。私は強くない一般人なので、ジャンルにとらわれず、強い人が好きです。

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 「本当のスポーツカーとはどんなものか?」
 なんてことを言い始めたら、地球が滅亡しても結論が出てこないくらい様々な意見が出てくることで
しょう。私も中高生の頃はターボだの自然吸気だのとよく議論していましたが、何せ乗ってる車がワゴ
ンRなだけに、最近はそんなのどうでもいい、といった気持ちです。

 ただ、どうでもいいというのは「ひとつの形に縛られなくても」いい、といった意味合いでして、ターボがついてウン百馬力ってのも、自然吸気でスン千回転といったものも、ある意味どっちも「スポーツカー」なんだから、どちらかでなければならない! というわけではない、と思うのですね。

 何でこんなことを言うのかというと、私はポルシェが好きなのですが、ターボモデルも自然吸気のカレラRSも、どっちも大好きなんです(964ね)。交互に読んでは「ああ、かっこいーなあ」と思いつつ私の愛車ワゴンRでスパパンと走っている次第です。


 で、ここからが本題なのですが……後者、すなわちカレラRSというのはとにかく走りに不要な部品は片っ端から取っ払って軽量化を図ったモデルであり、エアコンもオーディオもない(らしい)んですよね。

 一般の人ならエアコン無くちゃ暑くてやってられんだろうし、オーディオが無くちゃつまらんだろうし、選ぶところの無いモデルなのですが、その心意気がとてもいいのですね。ほんのちょっとでも軽くしようとするという心意気。後のモデルではそこまでしなくても十分速くなっているのですが、その気持ちが何よりも私の心を打つのですね。

 ただ、私がポルシェを買うというのは非常に難しく、またマニュアルシフトはともかく左ハンドルというのは私の常識では考えられないので、実際に麗奈とか島センセイのようなライフを送ることは不可能なので、それならせめて! とばかりにエアコン・オーディオの類は一切利用せずに日々をすごすことにしました(エアコンは免許を取った5年前からずっと。オーディオは昨日から)。


 まあ、本当は燃費のことと、CDの読み取りエラーやラジオの受信不良にぶちギレてしまったためなのですが……それでも今までは音楽の方に気が行っていた部分が運転の方に向かうようになり、元々車を運転することが好きなので、かえっていいのかもしれません。あいにくと私の水冷直列3気筒はバタバタともドロドロともフオーンとも鳴らないのですが。

 まあ、いっそのこと取っ払ってしまえばいいのでしょうが、私ひとりだけが乗るわけでもないし、CDも弟者が同乗する際は持ち込んでくるのでそうするわけにもいかないし、当面はこの「気持ちだけスポーティ」な心意気で乗りたいと思います。

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