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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 今日は一人でチューダーパーティ

 いぬがみです。


 チューダーというのは、早い話が焼酎のサイダー割です。名前はテラさんこと寺田ヒロオ氏がつけました(『まんが道』とか、それをベースにした作品では)。先日『トキワ荘の青春』を見た時点では、不肖犬神、どうしてわざわざモックン演じるテラさんがキャベツばかり食べていたり、宝焼酎と一緒に三ツ矢サイダーが宴会の席に映っていたのかわからなかったのですが、どちらもファンにとっては当然のことでしたね。
 
 しかしながら、気を付けなければならないのは、やはり普段飲みなれたビールとは違うということ。何が。「度数」ですよ「度数」。

 私は基本的にビールが大好きで、宴会でも最初から最後までずっとビールでいける人間なのですが、ビール以外の酒が絶対に受け入れられないわけではありません。ワインに日本酒、焼酎そしてウイスキー……水割り、ハイボール、オンザロックと何でもいけます。要するに、酔っぱらえるなら何でもいいんです。

 ただ、「あなたの良い加減もいい感じですよ」と大泉洋さんに言われるような(水曜どうでしょう『車内でクリスマスパーティー』の回を参照)適度な良い加減に至るまでの酒量というのは、度数が変われば当然ペースも変わってくるわけですよね。そのあたりのコントロールが下手なのが私の良くないところでありまして。

 特に危険なのが、今みたいに度数の強いお酒を炭酸で割った飲み物を飲んでいる時。こういう時って「早く飲まないと炭酸が抜けておいしくなくなるから」って言って、結構速いペースでパカパカ飲んじゃうんですよね。

 だから「アルコール9%」ってうたっているチューハイなんかは、危険です。良くてフラフラ、悪くすると(40%くらいの確率で悪くしちゃうんですが)記憶を飛ばしてしまうんですよ。今日なんかもちょっと怖いです。

 コンビニで220mlのペットボトルの焼酎をひとつ手にして「これじゃ足りないかな」と2本目に手を出そうとしましたが……いやいや、1本だけで正解です。いま半分くらい飲みましたが、きっといきなりガン! と来るでしょうから。

 飲みなれない種類のお酒は危ない。そして飲みやすいお酒ほど危ない。


 ……さて、まだ意識が残っているうちに、記事を締めくくりましょう。今宵はここまでに致しとうござりまする。

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こんばんは

 日曜の夕方、皆様いかがお過ごしでしょうか

 いぬがみです(私はとりあえずバーリアル飲んでます)。


 いつぐらいからでしょう……って、10日くらいのスパンの話ですが。

 「シフトが変更になって休みになったから、映画を見に行ったものの、私の代わりに出番になった人が出てこないから出ろと言われて出た」

 な、なに言っているかわかんねーと思うが……おれも何をされたのか分からなかった……ということがあって以来、シフト上は休みでも全然休まりませんでした。この間もブログをアレコレと更新していますが、内心ではいつ召集がかかるかもしれない――と、いわゆる常在戦場といった気持ちでした。もっともそんなに勇ましいものではなく、同じ「戦」という言葉を含んだ四字熟語で言えば「戦々恐々」といった方がピッタリ来ますね。

 それで、何だかよくわからないうちに時間が過ぎてしまったわけですが(前回投稿した記事を読んで……いや読まなくても、文字数の多さで精神的に破綻寸前だった様子は察していただけるかな)、今日は久々に、少し気持ちが安らいでいます。久しぶりにお風呂に入ったし(注:「湯船にザブンと入った」という意味です。シャワーは毎日使っていました!)。


 気持ちが安らいで、体もリラックスして、久々に南條愛乃なんかを聞きながらアレコレと空想を巡らせている今日この頃の気持ちをそのまま書き出そうと思ったのですが……少しく酔いが回ってきたので、上手に言葉をコントロールしながら書きます。それでも乱文乱筆あろうかと思います。そこは笑って許してください。


 って、まったく難しい話ではありません。

 要するに歌手が歌を録音した時のイメージというのは、当然あると思うのですが――それをリアルタイムで、できれば雑誌か何かで本人の言葉を受け止めていれば、なるほど、正確にイメージを持つことが出来るでしょう。ですが、そういう事前情報を知らずにポンと聞いて、どんどん自分にとって心地よいイメージを膨らませる自由は、やっぱり聞く人の特権として認めてもらいたいなということです。

 今も南條愛乃のベストアルバムを聴きながら、色々な楽しいイメージをしています。南條愛乃と言えばflipsideなのかもしれませんが、私にとっては絢瀬絵里です。かしこくかわいいエリーチカです。それがスタート地点だから、「はじめに絵里ちありき」となってしまうのは必然です。過去は変えられないんです。

 ……でも、何度も何度もCDを聞くほどに、そういう先入観が徐々に薄れて、南條愛乃という歌手じたいに魅力を感じているのも事実です。そういう歌手はたくさんいます(全部スクールアイドルがらみですが)。

 
 ……というわけで、ある程度お話がまとまった? 気がするので、今宵はここまでに致しとうござりまする。

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こんばんは。

 今日は「犬神製作所」として記事を書きます

 いぬがみです(今日は超・長いのでご了承ください)。


 いきなり書きます。以下、ものすごい長い文章が続きます。

 だから、それだけ長い文章を読むくらいの時間がある方だけ読んでください。今日は特別編です。いつもビールを飲んでいるのに、日本酒を飲んじゃってるくらいですから。日々ため込んでいた思いを爆裂めいっぱい書きますから。ついでに言えば、明日の朝には書いた私自身が忘れている可能性だってありますから。

 ……と、このあと何があってもいいやと免責事項を並べ立てた犬神製作所代表の私。本当は冗談で代表取締役の向こうを張って代表「戸締役」です、とツカミを書こうと思ったのですが、先にそういう名前でWikipediaにも掲載されるくらい活躍してる方がいらっしゃるようなので、不肖犬神、戸締役を退任いたします。就任したこともありませんが。……いや~私が思いつくような冗談を、もう、本気でやってる方がいらっしゃるんですね。けっこー本気でマイッタマイッタです。

 それはともかく「犬神製作所」というのは、何のことはありません。私が2003年ごろ、ビデオゲーム系のホームページを作成するときにファミ通でジョイスティックなどを自作する編集者が「梶原製作所」と呼ばれているのを見て、「製作所って響きが格好いいなあ」という憧れを込めて自称「犬神製作所」と名乗ったにすぎません。実際のところ所長は(こうやってインターネット上で公表する口八丁ぶりはともかく)手先は不器用の極みであり、同じ製作所という名前を掲げている日立製作所島津製作所それからそれから……とにかくすべての人たちにDoGeNeで詫びる用意はありますが、とりあえず今日の記事を書きます。お酒の勢いもありますが、もう今生の別れになってもいい――それくらいの気持ちで書きます。そういう内容であることをご了承いただける方だけ、続きをご覧ください(免責事項)。



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つづきはこちら ▼追記の展開



 どうしてわざわざ前もって「長い」と宣言したかというと、今日は犬神製作所始まって以来のというか。あるいは今までで最大にというか。いずれにしても、

 「ひょっとしたらご覧になる方の『ビジネス』の部分で、役に立つかもしれない」

 そんな文章だからです。

 すなわちExcel(あるいは、それに準ずるオフィススイート的な表計算ソフト)で作った、日々の業務がチョッピリだけラクになるかもしれないマクロの詳細について、ってことです。もしかしたら検索サイトでアレコレさまよって、こんな辺境のブログにたどり着いた方もいるかもしれませんが……そして、いつまで経っても知りたいことを語らなくてイライラしている方がいるかもしれませんが……大丈夫です。このサイトは、私が知っていることを全部、語ります。ついでに言えば、私自身が苦労してアレコレ思ったことも、残さず語ります。

 「今生最後のブログ」そうなっても悔いはないよう、精いっぱい語ります。自分が、とりあえず助けてもらったことをすべてさらけ出すために。


 と、まあブログとしてはすでにメチャクチャ長く文章を書いてしまいましたが、今日の話はこういうことです。すなわち、

 『私はいかにしてVBA互換のアレコレを使いつつ、LibreOfficeを使って、飲食店の細かいメニューごとの細分をしつつ一日ごとのカウントを、できるだけラクをすることができるExcelマクロっぽいものを作ったか」

 ということです。ええ、精いっぱいGoogle検索で引っかかってくれることを祈りつつ書きました。果たして内容が、私のように「あ~面倒くせえなあ、こういうのもっと簡単にできねえかなあ何とかしてよドラえも~ん又は何とかならんのかね大門く~ん」と嘆く二宮係長ないしは野比のび太君に応えられるかどうかわかりませんが……私もインターネットという世界に飛び込んで20年以上経ちましたし。時にはこうやって、狙ってみてもいいかなって。そう思った次第です。

 まあ私のような人間は、すでに何度も書いていますが真島の兄さんふうに言えば「アマいな~アマアマや」と言われるかもしれません。ですがネット掲示板とか「わからないことがあったら質問しましょう!」と言って開かれている掲示板めいた場所において、私と同じような「〇〇がしたいんですけど、どうやったら出来るでしょうか!」という率直な質問を投稿した方に対して、「詳しい人に聞いたらいいと思います」とか「質問の意味が分かりません」とか何とかって……

 ……あえて言います。初めていいます。すでに日本酒を3合(ワンカップ3つ)飲んでしまった勢いをエクスキューズして言います。20世紀末に初めてインターネットの世界に入り込んだアラフォーのオッサンとして言います。……そろそろ、言い訳、いいかな? あえて言います。ずっとずっと我慢していたことを言います。この先ずっとインターネットの世界で死んでしまってもいい、という覚悟で言います。

 まず。質問を質問で返すなーッ!(吉良吉影ふうに)

 あと、「詳しい人に聞いたらいいと思います」とか「質問の意味が分かりません」とかっていうのは、答えになってないから! 質問をわざわざインターネットの世界に打ち出した人っていうのは、「不特定多数の人が見ているインターネットの世界なら、答えが見つかるかもしれない」と思って書き出しているのだから、それに対して、そんな意味のない書き込みをするなってことですよ! そんな質問するなんてクダラナイって思うのは結構ですが(私も、何かのきっかけでYahoo!知恵袋の記事を見て、そう思うことは少なくないですから)、それに対して真面目に答えるなって! そういうことですよ! そう思うことは勝手ですし、理解もできるし共感も(時々)できますけど、そんなものいちいち書くなーッ!(再び、吉良吉影ふうに)


 ……てな感じでね。まあ、そういった人たちの論理に従えば、インターネット上の世界のアレコレ不満があるのなら「回線切って首つって死ねボケ」って話であり、私もただちに部屋のベランダで首をつって死ねばいいと思うんですが、その前にこのブログを書いているのは、実際にインターネットの世界で助けられた部分があるからです。それが今日の記事です。

 (ここから本題です。
  なお、以下の記事は「こんなこともあろうかと」酔っぱらう前に書き溜めておいたテキスト記事を、ほぼそのまま掲載します。文体の不確かなところなどは、リアルタイムに書いた文章ではないということ、そして公開した後、それを逐一修正する余裕がないくらい酔っぱらってしまったとご了承ください。って、もう今現在この記事を読んでいる時点で免責事項に同意したものとみなしますが)。


1.概要

毎日の飲み物の売り上げを「できるだけラクに(=間違いの少ないように)」登録をしたいと思い作成。とりあえず出来上がったものは、こんな感じ。

・商品別に、クリックするとカウントが一つずつ上がる計算シート
・それを日ごとに集約していっぺんに登録するためのボタンをつけた集計表シート
・計算シートの数字は一括ですべての数字をクリアできるようなボタンを搭載

もっとできるかもしれないけれど、とりあえず今の私はこのくらいが限界。あとは使いながら、「こうすればもっとやりやすいよな」っていうのがあれば、それに向かってどうすればいいかを考えればいい。そういうこと。


2.計算シートについて

そもそも最初は月ごとのトータル数が分かればいいや、ということだったので、単純なカウントアップ用のマクロを作成した。初めから表計算ソフトに搭載されているボタンを貼り付けて、「1クリックすると、数字が1上がる」という超プリミティブなマクロ。こんな感じ。

Sub G_RED
 Range("C2") = Range("C2").Value + 1
 End Sub
 
 これを集計したい項目分だけひたすら量産する。シンプルだけと地味に時間がかかった。難しいことはないけれど地味に地道に時間がかかる作業だった。
 
 ともあれ、これで基本的なものはできた。あとは月ごとにシートを丸ごとコピーするなり、元々あった集計表にコピペするなりしてやれば、最低限の目的は達成できるだろう。さてビールでも飲むか。
 
 ……と思っていたのだが、もう少し詳しく情報が分かるなら、その方がいい。たとえば(どういう意味があるかわからないけれど)日ごとに集計を取れれば、さらにいいだろう。データは精度が高ければ高い方がいいものだ。さあ、もうちょっと頑張ってみよう。
 
 3.1日単位での集計のために
 
 とりあえず、品目ごとに1か月分の日付を入れたリストを作った(多すぎるのでワインとそれ以外にわけた)。問題はカウントした数字を、ここにどうやって入力していくかだ。数字をコピペするか? それとも一つずつ手入力するか? そりゃあもちろん、そうやって手間を惜しまなければできるだろうけれど、せっかくこうして単純な作業をスイッチ一つで勝手にやってくれるマクロというものを知ったんだし、それを使って何とかならんのかね大門君、というわけでアレコレ考えてみました。
 
 理想としては、
 
 「数字を入力するシートにスピンボタンか何かをつけて、そこで日付を変更すれば、入力した数字がそのまま各日付のセルに代入される」
 
 というのがいいのかもしれないけれど(今思いついた)、果たしてどうすればできるのか。そこに至る道のりがちょっとピンとこない。さすがにちょっと時間もない。そこで、ひとまず、
 
 「その日の数字をコツコツとカウントして、1日分すべてカウントが終了したら、とりあえずその日の分をすべて反映させるボタンを作る(次の日の数字は、カウント表をいったん白紙に戻して、またカウントし直す)」
 
 ということから始めることにした。これでもまだちょっと手間がかかるが、一項目ずつコピペするよりはマシだろ。
 
 
 さて今度は、「ほかのシートの数字を、ここのセルに引っ張ってくる」ためにはどうするか、ということだった。アレコレと調べた結果、以下のようなマクロで、とりあえず実現した。
 
Sub senodon
Worksheets("nikkei_uriage").Range("B5").value = Worksheets("drink_counter").Range("C2").value
Worksheets("nikkei_uriage").Range("B6").value = Worksheets("drink_counter").Range("C4").value
Worksheets("nikkei_uriage").Range("B7").value = Worksheets("drink_counter").Range("C6").value
Worksheets("nikkei_uriage").Range("B8").value = Worksheets("drink_counter").Range("C8").value
(中略)
end sub

 マクロの名前は「クイズダービー」の名台詞から。一斉に数字が表示されるのは「倍率ドン」であり「せーのドン!」は回答者のこたえを表示させる時だけど、まあいいや。この場合、左側のWorksheetsの項目に反映させたい先のシート名とセルの場所を入力し、右側には反映させたい元のシート名のセルと場所を入力するといい。どうして右左があるのか? そう言われると、ちょっとわからないけれど……とにかくそういうものだと知って、ほとんど丸写ししたら、実際にうまくいったので。
 こんな感じの文言を3000行くらい打ち込んで、ようやく、
 「〇月×日、ドリンクがコレコレくらい売れた。カウントした。反映させた」
 という道のりが出来上がった。カウントするのはアナログ手書き伝票を見て入力するものだから、それなりに時間がかかるが、これでだいぶん打ち間違いとか手間とかが、省けるんじゃないかな。
 
 4.一斉削除ボタンと「本当にいいですか?」
 
 カウント用のページについては、日ごとにいちいちすべての数字をリセットしなければならない。いくら列ごとの指定をして云々と言っても、1クリックで終わらせられる方法があるのなら、その方がいい。というわけで新しいボタンを作り、こんな感じで一発削除ボタンを作った。
 
 Sub OKdelete2

Dim rc As VbMsgBoxResult
rc = MsgBox("入力した数値をすべてクリアします。" & vbCrLf & "処理を続行しますか?", vbYesNo + vbQuestion, "削除の確認")
If rc = vbYes Then
Range("C2:C24").ClearContents
Range("F2:F24").ClearContents
Range("I2:I29").ClearContents
Range("L2:L24").ClearContents
Range("O2:O23").ClearContents
Range("R2:R25").ClearContents
Else
MsgBox "処理を中止します", vbCritical
End If

End Sub


 別に1クリックして、いきなり全部の数字がクリアされたとしても、いいと思うのだけれど。「何となくこうすると、アプリっぽいかな」と色気を出し、問い合わせダイアログを作成した。こういうこともできるっていうのを知れば、試したくなってしまうのである。
 IfとかThenとかって構文を見て、いよいよBASICっぽくなってきたなと思った。25年前、MS-DOSベースのBASIC環境で作った実習プログラムのことを思い出した。とりあえず、単語を見て、何をしようとしているのか雰囲気が分かるしね。
 
 「Dim rc As VbMsgBoxResult」
 
 丸ごと例文をコピペしただけだが、何とか意味を理解しようと思って、この一文だけを抜き出し、じっと見つめてみる。技術の授業であり、英語の授業でもあるようだ。Asってのは「~として」って意味だよなあ? で、2行目にrcとは……って言葉を入れた。Dimっていうのは変数を宣言するための言葉らしい。
 
 つまり、ええと、その……一連の文章を翻訳すると、こういうことになるのかしら。
 
 
 「おれにもどうなるかわからない要素rcがあることを宣言するよ。rcの内容は
 
 MsgBox("入力した数値をすべてクリアします。" & vbCrLf & "処理を続行しますか?", vbYesNo + vbQuestion, "削除の確認")
 
 っていうことだ。問いかけに対してYesというのなら、Then Range…以降の処理をするし、elseすなわち『それ以外』であれば「処理を中断します」というメッセージを発するだけでオシマイ、ってね」
 
 
 MsgBoxというのは、Windowsを使っていれば何回も目にするダイアログですね。いきなりポンと出てきて「〇〇しますか?」というメッセージとともにYesかNoかのボタンが出るアレです。そしてYesかNoか、どっちのボタンを押したかによってその後の展開が分岐する。おなじみのアレです。
 
 すげぇ~な、と思いました。ほんの一行、特定のキーワードをポチポチと打ち込むだけで、まるで商業アプリを作っている人のような雰囲気の真似事ができるんですね。いやもう、本当に感動レベルです。私が好きな文章でポーンと問い合わせダイアログを表示させることができるなんて(あ、ポーンと鳴ってダイアログが出るのは、もしかしたらWindows9Xの時代かもしれません古くてゴメンナサイ)。
 
 
 そんなわけで、まだまだ改良の余地はあるけれど、とりあえず今の時点ではこんな感じのツールができた。まだまだ改良の余地はいっぱいあるけれど、それは今後「こうしたら、もっと良いだろうな」っていうのが出てきてからだろうな。「こうしたいと思ったことをそうする」のが、手打ちの自家製アプリだろうし。「やろうと思えば(何でもとは言わないけど、けっこー色々なことが)できる」っていうことがわかっただけでも、いいかな。


 ……きっと私のように、「VBAとかマクロとか全然知らねえよ! エクセルっていうのは会社で使ってるから何となくわかるけどさ!」という人は、この世にたくさんいると思います。私もそうです。そして、そのうえで「こういうことしたいんだけど、どうすればいいんだろう?」と自分がやりたいことをポチポチと検索候補として打ち込みあれこれ苦労している方は、たくさんいると思います。

 だからといって誰かにネット上で質問したところで、要領を得ない答えばかりが返ってくるだろうと思って(というか、私自身がそういう思いをして)。そんな中でも親切な人が公開している記事をアレコレと参照して作り上げました。

 私もきめ細かく皆様のピンポイントな「やりたいこと」にズバリと回答することはできませんが、一方で微力ながら、そういう風に思っている方の力になりたいと思っています。そういうわけで今回、メチャクチャ長い文章を公開しました。


 今回、私が書いた内容というのは、文章の長さのわりに……大したことじゃありません。酔いの勢いもあって、無駄なことがいっぱいあります。もしかしたら、せっかく何かしら検索して来ていただいた方とっても、役に立たないかもしれません。

 でも、とりあえず私が知っている精いっぱいを発信したくて、この記事を書きました。これは私が自分で調べて、色々な人に助けてもらって、ようやく作り上げた「自分のもの」――そのすべてを書いています。あまり上手じゃないので、わかりづらいかもしれませんが、そういうことです。

 このブログを書いた後、たとい私がこの世を去ったとしても、後悔はありません。

 私が生きているうちに、せめて、この文章を読んで――2021年内にはいなくても、2029年までに、あるいは2030年代、なんだったら2000年代のうちに(900年後にこのブログが残っているとは思えませんが)誰かが見て、「ああ、そうか! こうすればいいんだ!」と思ってもらえる人が、ひとりでもいれば。

 それでこのブログの役目、ひいては私がこの世に生まれてきた役目というのは、果たせたのかな。そう思えます。


 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。

 そして、明日も明後日もその先も、皆様の人生が、これからずっと良い日でありますように。

 さようなら。







グッバイアディオス再見また会う日までララララ~ヘイ!


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おはようございます

 アンドロイドは何かしらの夢を見るのか?

 いぬがみです。


 離婚して、もう誰を好きになろうと何を好きになろうと止めてくれる人がいない私。最近たまたまコンビニの単行本コーナーで見かけた『ぽんこつポン子』というマンガが好きになりました。そのおかげで久々にスピリッツを毎週手に取るようになりました。

 妻に先立たれた一人暮らしの男性のところにやってきたメイドロボット。本来的な業務をまともにこなせないので、これでは北大路欣也氏でなくても「ポンコツだな」と言ってしまうでしょう。これは、ちょっと前の缶コーヒーのCMですね。

 でもこのロボットは、とにかく役に立ちたいと一生懸命に頑張るんですね。そういう様子を見て少しく心を打たれた独居老人も、「まあとりあえず」って感じで同居させるようになった……っていうところでしょうか。

 
 で、その余勢をかって、攻め込む時期をうかがっていた『小林さんちのメイドラゴン』に挑戦することにしました。

 まあ実は、前にアニメを2~3話見たことがあって、その時点で「これなら、いけるかも」と思っていたんですけどね。押しかけメイドが同居する相手が、しっかり成長した良識ある成人女性だから、これなら大丈夫だろう、と。

 何がって、アレですよ。まあ『ぽんこつポン子』もそうなんですが、作中で勝手にどんどん恋愛ごっこを繰り広げるような心配はないだろうってことですよ。その代わり、押しかけメイドたちの方は(片やそのために作られた機械として、片や恩返しとして)愛に満ち溢れ、それを押しかけられた側の人たちが受け入れる骨格で物語が進むのなら、安心してその雰囲気を楽しむことができるのかなって思ったんです。


 さかのぼれば『涼宮ハルヒの憂鬱』か、その前か。とりあえず、その手のシチュエーションが嫌になりはじめたのが、ちょうどそのころだったのですが。「とりえのない男子のところに、とても魅力的な女の子がやってきて、主人公を一方的にサポートしてくれる」「主人公は知識人、常識人ぶって女の子の自由奔放なふるまいをたしなめつつ恋に落ちていく」そういう骨格の物語じゃなくて、いいなって。

 私自身のところに、そういう女の子が来てくれるのなら、それはやぶさかではありませんよ。13歳の時に入ったローカル経営のハンバーガーショップにあった『うる星やつら』を読んで人生最初のときめきを覚え、つまらない通学途中の道のりで空を見上げてラムちゃんが自分のもとにも来てくれないかなあ……なんて妄想をしたことだって、100回や200回じゃありません。でも、それが私以外の人間じゃ嫌なんです。自分が好きになった女の子がほかの男のもとに行くのを、見ているのは、我慢できないのです。

 (まぁこれは主に少年漫画の場合であって、少女漫画の場合、また違ってくるのですが。……アレかな、少女漫画の場合、もう雰囲気が違いすぎて、最初から銀幕の向こう側のお姫様を見ているような気分になるから、素直に「女の子がハッピーエンドにたどり着ければいいなあ」って思うのかな。このあたりはもうちょっと自分の考えを掘り下げてみる必要がありますね)


 まだまだ語りつくせないところではありますが、このまま延々と話し続けても読んでいただく方が大変だと思いますので、今宵はここまでに致しとうござりまする。


まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

良い一日でありますように。

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こんばんは

 とりあえず夜飯をこれから食べます

 いぬがみです(350ml缶ビール3本でけっこー酔ってしまいました)。


 いま「すイエんサー」を見ています。

 これ、じつは昔、結構みていたんですよね。どのくらい昔かというと、そうですね、MCが品川庄司で、AKB48が今ほど超絶大ブレイクしていなかった時代ですよ。もとよりあんまりアイドルに詳しくないにしても、たとえば「渡辺麻友(AKB48)」とテロップが出て「へえ、何だか可愛い子だねえ」つって。まあオタク根性ですよね。あんまり有名じゃないから気持ちが入って応援したくなるって。そんなこんなで一時期よく見ていました。

 あと番組内で放映されていたショートアニメ「マリー&ガリー」。これも好きでしたね。このあたりで大体、時代がわかりますよね。2009年とか2010年とか、大体10年前ってことですね。

 そんな当時アラサーで今やアラフォーのオッサンが再びテレビをつけたのは「卵かけごはん」とか「目玉焼き」とか、そういうものがテーマだったから。アレ、今のMCはいとうあさこサンですか。他局の日曜夜8時から放送しているバラエティ番組ではババアと連呼されているあさこサンがセーラー服を着ているんですね。まあ私もオッサンと言われても仕方がない年代なので、あんまり悪い気はしませんが(?)。

 ……大事なことだけ言います。卵かけご飯というのは、私の家庭および人生において、料理もできないしお金もない人間が、とりあえずハラを満たすために行う――

 すなわち料理ですらない! ゲスの極み! 鬼畜の所業! 人にあらず! 地獄の鬼すら反吐吐く所業! 天に唾する行為! 人の姿をした悪魔の所業!……

 ……と思っていましたが、あの(我が国におけるグルメマンガの権威「美味しんぼ」の絶対的権威である)北大路魯山人が卵かけご飯について一家言を持っていたのですね。北大路魯山人が良いって言うのであれば、つまり山岡士郎、いや悪くすると海原雄山あたりが出てきて、その人の存在そのものを全否定しかねない勢いで糾弾するということです。

  (被害sy)


 ……ううん、本来であれば今日は「カレー」の話をしようと思っていたんですけどね。すなわち「カレールーを溶かして煮込めば、どんな食材でもとりあえず食べられる」っていう話。マンガ『晴れのちシンデレラ』でそのキッカケを得て、中裕司氏(『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の生みの親)の話を聞き、よし今日はそんな感じで作ってみましたよって話をするつもりでしたが、ことのほかすイエんサーが面白かったので、それはまた次回にしましょう。


まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

良い夢を。おやすみなさい。

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こんばんは

 「もう少し、生きてみてもいいかな」と思った

 いぬがみです。


 太宰治はもうダメだもう死のうと思っていた矢先に着物をもらって、どうやらそれが夏向きのものだったために、「とりあえず夏までは生きてみよう」と思って自殺を延期したことがあるそうですが、私もまたそんな感じでした。


 このところ偏食による栄養失調とスマホの見過ぎで心身の衰弱が急速に進み、「目を開けているだけでめまいがして吐きそうになる」という最悪な状態に。仕方がないので眠いわけでは無いけれど、とりあえず布団に入って目を閉じて。そんなことが午前10時から午後6時までありました。

 この状況を打破するためには、たとい今月の給料が、すでにクレジットカード生命保険自動車保険等々の予定された支払金額を下回る絶望的な状況であるとはいえ、「少し栄養のあるものを食べて元気をつけなくちゃいけない」と判断した私。車を飛ばして幸楽苑でラーメンと餃子3個セットを注文しました(……これでも、かなり頑張りました)。

 そうしたところ、餃子とご飯を持ってきた店員がボソリと一言。

 「ちょっと多く焼いちゃったんで、よかったらどうぞ」

 ……僥倖……なんという僥倖……!

 どちらかというと「最強伝説 黒沢」に近い感じもしますが、とにかく嬉しかったです。このところ、あんまり、いいことなかったから。

 その後、気晴らしに調整が終わって再稼働した『ストリートファイターII(初代)』をゲーセンでプレイ。こないだ負けたガイルには勝ったけど、ブランカに負けてしまいました。

 そして、反省と特訓および弱り切った体に刺激を与えるべくスーパー銭湯「十和田温泉」に行き、浴室の隅っこにあった「でんき風呂」に果敢にトライしたのでした。


 電気風呂……というのは、ちょっと古びたスーパー銭湯、あるいはまだそんな言葉がなくて「健康ランド」という名前の施設にもあるので、歴史的には割と古いんでしょうね。というか、この十和田温泉というところはぱっと見新しい雰囲気だったので、「あれ、ここにもあるんだ」って感じでしたが……。

 どんなところかは、まあ、わかりますよね。浴槽の壁に電極版があって、そこから常に弱電が発生していて、それによって体の内部にビビビッと刺激を与えるっていう。

 ところが最近はこの電気風呂も進化しているんですね。常に一定量の電気を発生させているわけじゃなく、適度にインターバルを置きながら私を感電させるじゃありませんか。これがなかなか地味に効くんですよね。

 実際のところ常に同じレベルで感電していると、最初はちょっぴり痛いんですが、次第に慣れてくるんですよね。それが気持ちいいんですが……

 (ビッ)_(ビッ)_(ビッ)_(ビッ)……と1秒おきぐらいにやられると、慣れる暇も息つく暇もありません。そのうち電極に接していない部位が自分の意志と関係なくガクガクと小刻みに震えてきてしまって、「こ、これは……!」と、少しく危険を感じるほどに刺激を味わえます。

 いつもの連続的な感電システムが、ブランカの必殺技「エレクトリックサンダー」あるいはラムちゃんの「ダーリンおしおきだっちゃ」的なものだとすれば、今日のこれは「メタルギアソリッド」の中に出てきたオセロットの拷問に近いですね。あまり長く入っていると、本当に大塚明夫さんばりの悲鳴を上げてしまいかねないと思ったので、故・戸谷公次さんの物まねで、

 「よし、今日はこのぐらいにしておこう」

 と言って浴槽を出ました。ああ、これは「MGS1」でのシーンですから。


 で、まあ部屋に戻ってきて、ちょっと体調を見ながら、これからチューダー(※)を飲むかどうか考えているところです。飲むにしても、まあ、少しだけにしようかな。


 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。


 ※ 「焼酎のサイダー割」のこと。テラさんのオリジナルカクテル。メンチカツサンド(フランスパンを使用)、キャベツ料理と並ぶ「ンマーイ!」的な料理のひとつ。

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こんばんは

 ちょっと雰囲気を変えてみました

 いぬがみです。


 最近割とガチに「アニマルセラピー」というやつを求めて猫カフェに行ったりしている私。本当そのくらいメンタル的に追い込まれています。しかしながら、もふもふの猫どもをなでたり、膝の上にのせたりして温かさを感じると、生命のナニナニ……なんて大げさなことは言わなくてもね。単純に心が温まるのです。

 この手の動物の定番と言えば、いま私が申し上げたように「猫カフェ」となりますが、十和田市には実は「兎カフェ」というのがあります。

 本日、ようやく開店日と私のタイミングが合致したので、初めてお伺いしました。じつはオープンしてから9年も経っているそうですが、テレビの取材とかもすべて断ってきたそうです。さすがにgoogle検索の網から逃れることはできませんでしたが(そのおかげで私も発見することができたし)、6年近く十和田市に拠点を構えているのに知りませんでした。

 なお、その理由についてはマスターが一人で兎の面倒を見たり接客をしたりしなくちゃいけないので、「あまりたくさんお客さんが来ても大変だ」ということです。

 というわけで、私もそんなマスターの意志を(私なりに)慮ります。あえて「市内某所」という形で、本日は記事を書きたいと思います。よくテレビとかでもありますよね。場所は特定しないけど、店内とか、そういうのは映すって。だから、そんな感じで今日は記事を書きます。


 こちらのお店は基本的には喫茶店です。軽食もあるので、ちょっと昼飯を……という感じでも利用できます(私も今日、そうでした)。店内の半分はウサギ小屋とディスプレイ空間であって、実際に座れるのは4人掛けテーブルが2組、とか、そのくらいでしょうか。だからあんまり多く人が訪れるべき場所ではないです。

 基本的にウサギはケージの中にいます。おとなしいのと活きのいいのがいて、後者のほうはケージを開けるとすぐに飛び出します。まず素人には捕まえられないので、必然的にマスターに何とかしてもらうわけですが、そうすると非常に迷惑が掛かります。……初犯だから、今回のところは見逃してくださいね。テヘッ!


 ウサギのおやつはリンゴを細切りにしたものです(1つ100円)。マスター曰く「お客さんが来ると、おやつをもらえるものと思って、テンションが上がる」ということでしたが……もうね、アレですよ、ちょっと怖かったです。私がカレーを食べている間もすべての兎たちが餌を求めてケージをガチャガチャ、ガチャガチャ……。

 こう言ってはアレですが『バイオハザード』とか、あの手の映画の登場人物になった気がしました。もちろん、ね。どういう展開になるかはわかりますよね。いきなりすべての織がガシャーンと壊れて、餓えた兎たちがカレーを食べている私に襲い掛かってきて……。

 まあコンピュータゲームの世界には首をはねる兎がいますからね。そういう先入観もちょっぴりだけ、あるかもしれませんが。とにかく、ちょっとだけヒヤヒヤしながらカレーを食べました。


 兎の取り扱いについてはマスターが懇切丁寧に教えてくれるので、それに従って撫でてください。抱くことはできません。「ケージから飛び出さない奴」だけを、撫でることができます。

 
 ……少しくビールを飲みながら書いているのですが、とりあえず結論を書きましょう。

 やはり兎というのは、なかなか取扱注意であります。元々とても臆病な生き物ですから、ワン公のように人間の意志を100%押し付けることはできません。それは猫もそうですが、私が行った猫カフェはもとよりオープンスペースというか、「猫が自由奔放にふるまう空間に、私たち人間どもが行く」ような感じだったので、自然と猫の意思を尊重しつつ隙を見て癒される……という不思議なWin-Win関係が成立しました。

 それで、今回行った兎カフェ。これは、要は「兎を撫でることができるカフェ」です。

 動物園や猫カフェのように、兎を抱きしめたりすることはできません。とりあえず、撫でるくらいです。

 だから、正直に言えば癒され度合いは猫カフェよりも劣ります。……でもそれは、私が兎にこれほどまでに触れ合うのが小学校で飼育委員をやっていたころ以来――30年ぶりくらいだったからでしょう。

 当時からすでに「兎しか友達がいない」と陰口をたたかれるほどコミュ障だった私。しかしながら兎に関しては、ほかの人が抱こうとすれば暴れまわるような奴でも、私が抱けばおとなしく腕の中でじっとしていました。おそらく校内一の兎マイスターであったと思います。

 そういうこともあって、何とかなるだろうと思ったら、ちょっと失敗してしまいました。そして失敗した後は、とても気を遣いながら撫でまわしたので、ちょっと……ね。

 でも、いいんです。自分の思い通りを相手に押し付けるだけの人生じゃ、人の気持ちなんて絶対に理解できませんから。わずかな時間ではありましたが、「こうしてあげれば、いいんだな」っていうのがつかめましたから。

 人間よりもシンプルだけど、ある意味では人間よりも難しい。アニマルセラピーとは少し違うかもしれませんが、動物とのふれあいというのは、いまの私にとっては非常に興味深いテーマであります。ですから、これからも動物と触れ合う機会をもっと増やしていきたいと思います。

 では最後に、私が撮影した写真をショットガンのごとく乱射していきたいと思いましたが、どうしても写真が上下反転状態でしかアップロードできないので、いったんここで締めくくります。


 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。

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こんばんは

 フォーラム八戸で「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」を見ました

 いぬがみです。


 本作は1995年に劇場公開されたものですから、見ようと思えば見ることは難しくないでしょう。VHSとかLDとかDVDとか、色々なメディアで展開されているから、自宅で容易に見ることができます。

 ただ今回は初回公開から25年の時を経て、1995年に市川準監督が言った「人のことを愛おしく思うことが難しい時代」に、またしてもこの国がなりつつあるからか? デジタルリマスター版が――全国で限られた場所でのみ公開されることになりまして。それがたまたま私の現在の主な拠点である十和田市からほど近い(と言っても車で1時間くらいかかりますが)青森県八戸市で公開されるということで、頑張っていってきました。

 朝10時からのモーニング枠で、1日1回だけの上映。期間は1週間だけ(明日が最後の上映日となります)。そういうわけで万難を排していってきたわけですが……結論から言いましょう。

 ちょっとだけ、泣いちゃいました。

 でもそれは、私自身のレベルがこの映画を観る人に求められる最低基準をクリアし、なおかつ私が「物語を自分の良いように取り込んでしまう」特殊なスキルを持っているから、だと思います。……早い話が「感情移入しやすいように自分のメンタルを持っていく」ってことですね。

 ただ、今回はそういう特殊な要素はさておいて、たぶん一般論として成立するであろう範囲の話をします。すなわち「この映画を観る人に求められる最低基準」について。


 これは、その……そんな極端に難しい話ではないと思うのですが……とりあえずタイトルが「トキワ荘の青春」ですからね。その時点で、「トキワ荘って、こんなところ」っていうぐらいの知識は、あると思うんです。そうじゃなかったらわざわざお金を払って見ないでしょう。

 ただよ、ただだ!(新日本プロレスの真壁刀義選手ふうに)

 通り一遍さわりをふんわり知っているだけじゃ、ちょっと足りないと思うのです。なぜかといえば、私は(多分ほとんどの人がそうだと思いますが)藤子不二雄氏の視点でのトキワ荘のイメージがすべてですから。……そりゃ~もちろん藤本氏・安孫子氏両名とも映画には登場しますが(ついでに言えば藤本氏を演じるのは若かりし日の阿部サダヲ氏です。……これがまた絶妙にイケメンなんですよね)、この映画ではモックンこと本木雅弘さんが演じる寺田「テラさん」ヒロオ氏が主人公ですから。

 だから藤子不二雄が入居する前の時代もちょっぴりだけ描かれますし(この映画で、私は初めて手塚治虫先生が「寺田氏」と呼んでいたのを知りました←って、フィクションかも?)、トキワ荘以外の人間はテラさん主軸で描かれます。トキワ荘のメンバーの作品とは空気が全ッ然違いますけど、つげ義春先生とかが出てきたりね。これはちょっとうれしかったかな。

 そして物語は、なんというか……。

 ……多分これは市川準監督の持ち味なんでしょうね。無理に話を盛り上げたり、観ている人を号泣させようとしたり、といった雰囲気がないんです。むしろ物語とは違う世界にいて、すべてをカメラ越しに「記録」している感じというか。……それは私自身のこれまでの40年弱の「生き方」とも共通するので、とても共鳴共感するのですが……

 ……それでも、映画の中の展開に対して、逆らえないリアリズムというのでしょうか。やっぱり青春というか、「金はないけど夢はある、仕事はないけどモチベーションはある」若者たちが時流に乗ってどんどん加速していく姿はとてもいいことのはずなんですが、やっぱり少し寂しい感じがしました。

 専業アニメーターになるために去った鈴木「ラーメン大好き」伸一氏、あまりにも文芸的過ぎて世間に受け入れられず失踪した森安「キャパキャパ」なおや氏。そして自分の作品が徐々に時流から取り残されていくことを理解しつつも、その時流に乗ることを自らの意志で拒み生きていこうとするテラさん自身……。

 「テラさんはいつも、本当のことを僕たちには言ってくれない」

 これは森安氏だったかな。若き漫画家たちの前では常に穏やかに微笑み、「よき兄貴分」としてふるまっていました。見ている私たちにも直接的に悩みを口にしたりはしません。それでも私たちは、物語の世界の各人物よりも余計にテラさんの動きを見ることができるので、その心情を推し量ることができます。

 じつに、ここがポイントだと思うのです。さっきも書きましたが、とにかく、どれだけ気持ちを込められるか。煽り立てるような展開が全くないので、わずかなセリフや動きで想像を積み上げていかなくちゃいけません。そのためにはある程度の予備知識とか、そういうのも必要になるでしょう。


 「トキワ荘の青春」とてもいい映画です。でも誰にでも勧められるわけではありません。結構それなりに難しいです。

 でも私は今日、この映画を観られたことを、すごく「良かった」と思っています。

 以前『宮川賢のまつぼっくり王国』で、同じ映画でも映画館で見るのと自分の部屋のテレビで見るのとでは「ダイナミックレンジが違う」から感動が違う、ということを聞いたことがあります。だから25年前の作品でも、今回私がわざわざ映画館で見たのは、VHSやLDやDVDで見たのとはワケが違うと思っております。


 それ以外にもいろいろあって、とにかく八戸市、すばらしい街です。大・大・大好きです。


 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を。おやすみなさい。

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おはようございます

 午前2時くらいから眠れなくて、現在にいたります

 いぬがみです(絶賛空腹中)。


 昨日はBGMに「ソウルハッカーズ」のサントラを聞いていたので、色々と思いがこみ上げてきてしまいましたが、今日はもっと大人の話をしたいと思います。

 昨日書いたように、表計算ソフトでちょっとしたマクロを使った便利ツールを作りました。といっても複雑なプロセスはまったくなく、単純に「ボタンを押せば、数字がひとつ増える」といったささやかなものであります。

 要するに飲み物の売り上げを計上するとき、ワンクリックで数字を増やせれば便利だなと思った。それだけです。ただ、これまで全然使ったことがなかったので、今後につなげられる一歩だと思っています。

 そして、何よりも満足感です。何十項目もある飲み物の最初のひとつを作っただけで、こんな顔をしていました。

 


 「……エレキですよエレキ! エレキの力で遠いところの人と話し合い、エレキで物を書く時代が、必ず来るんです!」

 江戸時代に中村主水が思い描く「エレキの時代」として、いつもの和服姿の八丁堀さんがワープロに向かい、自分の名前をピポピポピポと変換し、ドットインパクトプリンタでパリパリパリと乾いた音を響かせながら印刷するシーンですね。

 これが放映されたのは1986年~1987年。昨日書いた「ソウルハッカーズ」が発売されたのは1997年。そのころに思い描いていた未来は「過ぎ去った未来」となってしまいましたが、私の中の時計はちょっと遅れていますからね。それを発達障害というのか愛着障害というのか、あるいはただの懐古趣味というのか。まあそれはわかりませんが、とにかく私自身は思いました。いま。

 無理に時計の針を早回しにしなくてもいいかなって。無理やり早回しにしようとするから、歯車がおかしくなって、壊れそうになったのかなって。もちろん実際には、そうもいかないでしょうけど、ちょっといいことを思いついたので書いておきます。


まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 皆様にとって今日が良い日でありますように。ごきげんよう。

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こんばんは

 1981年生まれです

 いぬがみです(昭和の男です)。


 今日は果たしてどういう展開になってどこに着地するのか、書いている本人も予想がつかない奇想天外ブログ。今回も始まります。

 とりあえず「このことについて書きたい!」と思っていたことから書きます。

 
 シンプルに申し上げると、「表計算ソフトってスゲーな」ということです。

 私と表計算ソフトの関係は、ドラえもんとのび太君の関係に似ています。どういうことかというと、要するに「〇〇したいから、それを手っ取り早く実現してくれる××を出してくれ」ってことです。自分がいちいち紙に書いて計算するのが面倒くさいアレコレを、数字を打ち込んでいけば勝手に加減乗除に関数云々……と高校1年生のころに4連続赤点を取ってしまった数学不安症の私の代わりにやってくれるのが、ドラえもんならぬ表計算ソフトなのです。

 もちろんそのためには、ある程度自分で関数とか、さらに複雑なことをしようとすればマクロというやつを組んだりとか、しなければいけませんが、ありがたいことに現代においては多くの方が「こういう感じでプログラムを組んで、やってみました」という情報を発信していて、私を含めた世界中の人たちが自分のやりたいことを検索し、そういった方たちのもとにたどり着いて、丸ごとコピーすることで実現できるんですから。

 まったくの既製品(アプリ)ではなく、レシピ通りに作ったとはいえ自分の手料理のような感じですから、ちょっと不格好だったり不便だったりするものの、それなりに使えます。そして何よりも、とにかく「自分で作った」というのが、うれしいんですよね。


 で、ここからはちょっと違う話になります。

 冒頭、自分の生まれた年をいきなりアピールしたのは、ここにつながります。1981年生まれということは、足し算をしていって、今風にいえばアオハル、高校生というやつを実際にやっていたのは1997年から1999年となります。その年代に何があったか。なんてWikipediaで見てみれば色々ありますが、とりあえず私の主観で書きたいことを書きます。もう焼酎ハイボールに手を付けて、記憶がいつ飛ぶかわからないからです。

 ひとつ言えることは、Windows95の世界的超絶大ブームにより「パソコン」というものが一部の特殊な人たちだけではなく一般の人たちも気軽に触れられるものになり、さらにインターネットというのもググッと身近になった……そういう時代であったと思います。あの高倉健さんがCMで「なんだ、簡単じゃねえか」と言っていた、といえばお分かりいただけるでしょう。

 そして、そんな時代背景をもろに反映したのが家庭用ゲームソフト「デビルサマナー ソウルハッカーズ」であったと思います。

 このゲームの舞台となるのは行政によって全世帯にパソコンとネットワーク環境が整備された情報環境モデル都市「天海市」。パソコンに詳しくなくても興味がなくてもとりあえずすべての世帯にパソコンがあり、ネットワークがつながり、VR世界で買い物ができたり各種エンターテイメントが楽しめたり……そういう世界なんですね。

 ゲームの中の登場人物と(ほぼ)同年代だった高校生の犬神君は、物語の世界にひときわ親近感とあこがれを持ちました。歳は近かったけれど、パソコンの知識は足元にも及ばず。そんなことはお構いなしに(ゲームだから)物語を進めることはできましたが、心の片隅で「こんなふうに、自分もサイバーな世界の住人になりたいな」と思っていました。


 で、そろそろ結論を書きたいと思います。焼酎ハイボール、2本目に手を付けてしまったからです。おそらく記憶がなくなるのも、遠くないでしょうから。ちゃんと意識があるうちに書きます。

 本当、ささやかで子供っぽいと思われるでしょう。それでいいです。

 ……こうして表計算ソフトでマクロを組む、すなわちプログラミングの真似事をして実際に思い通りのことが実現できた時、あこがれていたものに少しでも近づけた気がして、うれしいんです。

 私は高度なプログラムを組むことはできません。表計算ソフトで使うような簡単なプログラムさえ、誰かの書いたコードを丸ごと打ち込まないと作れません。……でも、人まねでも、いいんです。

 「ほしいものは、自分で作る」

 そういうことが、できたから。


 「何もできないから生きている意味がない」と思っていた自分でも、そういうことができるなら、まだ少しだけ生きている意味があるのかなって、思ったから。


 ベランダの物干し台でネックハンギングして楽になるのは、延期しよう。


 割とシャレにならないレベルで、そんな風に思ったから。



 まだ生きていることができたら、またブログを更新します。

 そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。

 良い夢を、おやすみなさい。

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こんばんは

 今日はちょっとだけ気持ちが強いです

 いぬがみです


 3月4日、じつに数か月ぶりにオートバイに乗ることができました。最近は割と気温が高い日にちが続いていたし、道路も凍っていないし(それでもスタートした午前6時半の時点では、とてつもなく寒くて、何度も休みながらでしたが)。

 あとは……いや、その話はいいか。とにかくオートバイに乗って実家まで帰りました。十和田から盛岡まで150キロくらいでしょうか。しかもそのあと、さらに盛岡市内の「走りたくなる道」をハシゴして、足湯に浸かったりドライブインでラーメンを食べたり展望台に行ったり……と、もはや「走るために走る」ようなことをしてきました。

 やはりオートバイという乗り物は、私の眠っていた本能を呼び覚ましてくれます。結局いつも頭で考えていたから、どんどん気持ちが沈んでふさぎ込んでしまったんです。

 そんな状況を一変させるべく、アレコレ試してみた私。ざっと列挙してみると、

 ・青森県三沢市の航空博物館(に併設された屋外展示場)で飛行機を見て、空を飛ぶ想像をした

 ・寺山修司記念館に行って、いっそうダークな世界観にひたってきた(しかし、それは自分にとっては非常に心地いいものでした)

 ・猫カフェに行ってきた(2回目。そうしたところ2匹の猫が、私の膝の上に乗ってきたのです)

 ・タバコをやめた(仕事のある時はいつも吸っていましたが、具合が悪くなる割に気持ちがあんまり晴れなかったので)


 ……そしてオートバイです。

 明日も早起きしなくちゃいけないので、あまり長々と文章は書けませんが、シンプルに言うと、こういうことでしょうね。すなわち「オートバイに乗れば、みんな平等に自然の中に放り出される」ということ。ZX-10Rだろうと原付一種スクーターだろうと。暑かったり寒かったり怖かったり楽しかったりという体験を、自分の意志と関係なく受け止めざるを得ないんです。

 だからオートバイって、素晴らしい乗り物だと思うんです。余計なものを全部吹き飛ばしてくれるから。めいっぱい自然にもみくちゃにされるから。そうすることで理屈じゃない気持ちの強さを与えてくれるから。

 オートバイ、大好きです。何度でも私はそう言います。バイク・イズ・ビューティフル。

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こんばんは

 「猫」というキーワードで自分のブログを検索しました

 いぬがみです。


 私という人間はとにかく30年来の「猫好き野郎」でありまして。そう言いつつ実際に飼ったことがあるのは猫ではなく犬であり、わんわんわふわふとじゃれついてくる犬ッコロも全面的に受け入れるのでありますが、犬派とか猫派とか、そういう二元論的な(?)アレでくくるのであれば、私は「猫派」と申し上げます。

 まあ、ね。確かに猫っていうのは気まぐれな生き物ですよ。犬ッコロみたいに(注)こちらの思い通りには、動いてくれません。自分が遊びたかったら遊ぶ。おなかがすいていたら、差し出されたおやつを食べる。そういう生き物だと認識しておりますが……それでも猫が好きなんですよね。

 そんな私だけに、じつに15年くらい(! そうです、自分でもちょっとビックリしてますが、そのくらい続いているんですこのブログ)やっている中で、猫の話がどれくらい出ているんだろう? とキーワード検索してみると……ない、ですね……意外と。

 ようやく引っかかった記事を見てみても「シュレディンガーの」とか「ドリエルのCMの」とかって、全然癒されません。それより前の、自分の記憶をたどっていくと、精神病者向けの医薬品「サイコゾン」に使われた猫しか思いつきません。ええ「ウェイン・キャット」です。違う違うそうじゃないんだってキシャー(泣き怒り)

 


 ……ああ、今日は本当は、八戸市にある猫カフェに行ってけっこーマジに癒されましたとか、前回(1週間前)と違って今回は猫ちゃんの方から私の膝の上に乗ってきて生命の温かみというものを感じましたとか、そういう話をしようと思ったのに……。

 ごめんなさい。……やっぱりそういうの、ちょっと照れくさいんです。本当はそうやって真正面から「癒し」というものを享受しないと、死んじゃうかもしれないくらいのところまで追いつめられているのに、私の「恐れ・回避型」メンタリティが、それをヨシとしないんです。

 でも、今日はね。そうやってワザと冗談めかして(?)話を盛り立てたいっていう思いが、そういう気持ちが働くくらい、余裕があるってことですよ。一応ホラ、写真は撮っておりますから。ある時突然、「不肖いぬがみ・今まで撮りためてきた猫ちゃんの写真一挙放出スペシャル」とかっていって、写真ばっかり50枚も60枚も載せるような時があると思うんです。だから今日は、言葉だけで締めくくりたいと思います。

 終わりで~す!(困った時の三四郎バチボコ小宮さん的シメ)

 (注 愛称です。決して犬を無駄にさげすんでいるわけではありません。「犬ッコロ」とか「ワン公」とか、少々乱暴な言葉遣いになってしまいますが、そのくらい気の置けない関係というか。無心にわっふわっふとじゃれついてくる愛くるしさは、「気まぐれに毛が生えた」猫には到底望めない要素であり、それゆえに私もイヌは好きです。だから「ワンちゃん」「わんこ」と同じようなニュアンスで使っている……と認識していただければと思います)

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こんばんは

 きょうから、ちょっと、かえてみます

 いぬがみです(IMEが故障したわけではありません)。


 タイトルを見ると、なぜかジャパリパークのような平和な世界を想像してしまいましたが……今回はけものフレンズは関係ありません。

 とりあえず、今日思ったことをできるだけフレッシュに、シンプルに、まとめてみよう。それが今日のブログの趣旨です。


 今日は青森県三沢市にある寺山修司記念館に行ってきました。

 このところはかなり深刻なレベルで希死念慮がありました。たとえば、部屋の窓越しにベランダを見て、「あそこで首を吊ったら楽になれるかな」とかって考えたり……結構マジメに。

 何とかそれを実行に移していないから、今こうしてブログを書いていますが、本当にひどい日々が続いていました。仕事がある日はもちろん出勤しますが、それが終われば後はもう誰とも会いたくない。誰とも話したくない。そう思って部屋に引きこもります。なんだったら休みの日だって、一日中ずっと部屋から出ない日も、珍しくありません。

 「外に出るとお金を使うから」そんな合理的っぽい理由を掲げていますが、何のことはありません。何かをする気力が起こらないのです。そして、それはご飯を食べることだって例外ではありません。夜まで何も食べずにゲームをやり続け、我慢できなくなって、とりあえずハラを満たす。栄養とか何とか関係ありません。ただ空腹感を満たせばいい。それだけです。だからご飯じゃなくてビールだっていいんです。

 もう最悪です。

 そんな状況ですから、果たしてより一層ダークな方向に落ち込んじゃうんじゃないか? と心配していたんですが……ああ、どうやら逆ですね。どうやら私のオキシトシンは、天井桟敷的なアングラな世界に浸ることで分泌されるみたいです。なんて、よくわかりませんが。

 ともかく、時代がどんなに下って情報化社会と呼ばれるようになって、あふれかえって溺れちゃいそうになるほどの情報を自分の部屋のデスクはたまた自分の手元のスマートフォンから無限に引き出せるような時代にあって、オールドタイプたる私は溺死寸前だったみたいです。そして、その状況から何とか九死に一生を得たみたいです。まだ万全の状態ではありませんが、とりあえず、今日は大丈夫です。今日は死にません。ええ、絶対に。


 ここからちょっと話が変わります。

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つづきはこちら ▼追記の展開


 今日、寺山修司記念館で、寺山さんの「幸福論」を読んだんですね。展示コーナーにあったから。

 内容を手っ取り早く書きましょう。要するに青森を代表する作家・太宰治氏に対して、

 「30分でいいから早起きして器械体操か何かをやれば、あんなにジメジメクヨクヨした文章なんか書かなくて良くなるんだ」

 と批判した三島由紀夫氏に対して、「いや、そうは言うけどさ……」とか何とかって語る批評らしいです。詳しいことを知りたかったので、そのあたりに関しては今日同じ場所で買った本を読んでみます。ここからは私の感想です。感想というか、今、思っていることかな。


 太宰氏のことを三島氏はものすごく嫌っていて、ある時なんか本人を前にしてそのことをバシッと言い放った……なんて逸話が語られているのは、皆さんすぐにわかりますよね。チャチャッと検索すれば、そういう話が出てくるでしょう。

 でも私は、実は「どっちも」好きなんです。

 まず、弱気なところを包み隠さずクドクドと並べ立てる太宰治の文章には、泣き笑いしながら共感してしまいます。新潮文庫の『グッド・バイ』に収録されているエッセイ『美男子と煙草』なんかは、今から20年前、大学生のころに読んだんですが……痛々しいくらいに自分の思いをさらけ出しているところがね。もう、ひがみ根性大爆発なんですが、ちょっぴりだけ共感しちゃう……ってね。

 一方で、自分の思いを包み隠さずさらけ出す点は太宰氏と共通しているものの、若いころから徹底的に洗練された美文でビシッと自己分析している三島由紀夫氏の文章というのは、読むたびにハッとします。私は『仮面の告白』の次にいきなり『潮騒』に来て……というかそもそも、その……申し訳ありませんが三島由紀夫という人はいわゆる三島事件のひとであって、それとは無関係にドハマりしていた澁澤龍彦氏の『三島由紀夫おぼえがき』などを経て、ようやくたどり着けたので、かなり「澁澤龍彦氏の視点から見た三島由紀夫氏」が私のイメージなんですが……。

 とにかく、その前提でいいます。私の中で澁澤龍彦という人の眼は絶対的な眼ですから。そう信じることが私のアイデンティティですから。

 「日本国民すべてがあんまり気違いではなさすぎるので、せめて自分ひとりで見事に気違いを演じてやろう、と決意した。そして氏はいつしか完璧な「気違い」になったのだ」

 
 ……すでに私が生まれた時、三島氏は幽明境を異にしていた(これも澁澤龍彦さんの本で覚えた表現です)ので、本当にそうかどうかはわかりません。っていうか、そんなの、誰にもわかりませんよね。

 でも……。

 なんだろう。本当、こうして書きながら色々なことを思うので、明日も同じことを思っているかどうかわかりませんが……とりあえず、言います。半永久的に記録が残ってしまう、このインターネットという場所で、あえて言います。

 「そういう生き方も、いいなあ」

 そう思いました。
 

 ……たぶん三島氏が生きていた時代よりも、ずっとずっと、みんな頭がいいですから。当時なら十分に「気違い」と思われているような領域の人でも、今じゃアレコレと理屈を並べられて、「気違い」と言えるようなレベルになれないんですから。せいぜい「中二病」とか「チラシの裏」とか、そんな言葉で片付けられちゃうんですから。

 でも私、今一つ「中二病」って言葉、理解できていないんですよね。みんなと一緒になりたくて、「中二病って、こういうことかな」って一生懸命、頑張って理解しようと思ったんですが……ふと、思ったんです。

 「いまいち、わかんねーな」って。

 そして、それ(中二病)を「周りの人に合わせて、フツーの人みたいに生きて、フツーの社会人として生きること」と置き換えた時、

 「そのせいで、今、自分は自殺志願者あるいは引きこもり予備軍になってるんじゃねーか」

 と思ったのです。


 だから、今日から、ちょっと生き方をシフトします。

 「良くても悪くても、自分にとって心地よい生き方を目指そう」って。

 そう考えると、まだこの世界でやり残したことが「少しだけ」あるみたいです。そのあたりの件で納得いくまでは。そのあたりのことをこのブログで書ききるまでは、まだ生きていようと思います。すみません最後はけっこー本気です。

 なんでもないよーに書いてます(私自身、そう思っていました)が、これは本当です。もしも私が自ら命を絶つにしても、その時はこのブログに書いてからにしよう。そう思いました。……情報化社会というのも、悪いことばかりじゃないですね。とにかくこうして、うじうじと踏みとどまる理由づけになっているんですから。私のような人間がね。

 「誰かのために自分が死ぬ」……でも、ね。

 その信念のもとに自分の命を投げ出し、それが本当に全人類のため、すなわち本人の思いが100%肯定された人っていうのは……極端な話、「イエス様」……しか、いないと思うんです。そのあとに続いた「殉教者」たるひとたちも……確かに私自身、十二分に理解できるんですが。でも、同じキリスト教というくくりの中でさえ「宗派」とか「解釈」とかで対立してしまう。

 そんな「迷い」が生じてしまう以上、やっぱり……ね。

 
 「神様はどんな人間にも『役割』を全うさせるために、この世に送り出した」
 「だから、その『役割』を果たすまでは、死んじゃいけない」

 ……それで、いいですよね。『役割』を果たしたら、その人は自然と天に召されるんですから。それなら主の被造物たる私がアレコレ思い悩んで「自分なんか、もう死んでしまった方がいい」っていうのは、きっと、ひどい思い上がりですよね。

 「おい、ちょ、ちょ待てよ」

 ……主よ、お許しください。主が「まだお前は『役割』を果たしていないのに、自分から勝手に考えて自殺してはいけない」ということを、キムタクのドラマ風に置き換えてしまったことを……アーメン。


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こんばんは
 
 いま藤井風さんの『旅路』を聞いています
 
 いぬがみです(報道ステーション)。
 
 
 この歌は「卒業するみなさんへ」送られました。
 
 確かに今日は3月1日。多くの高校で卒業式が行われる日にちです。西暦2000年、今から21年ほど前になりますが、私も実際にその日、高等学校を卒業した気がします。
 
 だからといってこの文章を、今まさに卒業した方が見る可能性は限りなく低いと考えるので、そういった人たちへのメッセージを書いても仕方がないだろう! と判断。そこで、もうワインも1本(720ml)あけてしまったし、あとは寝るだけの時間なので、ふと思ったことを手短に書き散らして一段落としたいと思います。
 
 
 今回テーマとしたいのは「テレビで初めて知る音楽」。
 
 今回、私は藤井風さんという歌手のことを、テレビで見て初めて知りました。
 
 実は「あいみょん」もそうでした。その前も「マリーゴールド」? は聞いたことがありますし、CDショップでジャケットを見たことはありますが、それらが一致していなかったんですね。「マリーゴールド」はアチコチでかかっている曲として何となく「流行っているんだな的な曲として」知っていましたが、名前からして「きゃりーぱみゅぱみゅ」とかと同じような、キャッチーな狙いで売り出している歌手なんだろうと思っていました。
 
 そんな思いを改めたのは彼女がNEWS ZEROのテーマソングを、番組内で、生放送で歌うのを見てから。
 
 「あれ。なんだ、まじめなミュージシャンだったんだ」
 
 そして、
 
 「……ちゃんと歌詞に、自分の思いを込めて書いて歌うミュージシャンだったんだ」
 
 そう認識を改めました。それ以来、私もちょっとだけ、あいみょんのファンです。
 
 
 まだまだ書きたいことはありますが、とりあえず、今日はここまで。
 
 最後に。今日、高校とかを卒業する皆様。おめでとうございます! 皆さんの将来に、とってもいっぱい盛りだくさんでハッピーなことがありますように!


 追記:

 この記事を書きながらテレビを見ていたら星野源さんと浜辺美波さん、さらに橋本環奈さんが出ているドコモのCMが流れてきました。星野源さんと浜辺美波さんはわかるけど、そこに橋本環奈さんも来たかぁ~! と、いずれの方も大好きないぬがみ、狂喜乱舞(そこまでではない)。しかも「元教師と教え子が、今は同僚」って、なにげにスゴくドキドキする展開ですね。どうしてかって? そりゃ~私が、浜辺美波とか橋本環奈が教え子になるくらいの年齢になっちまったからですよ! ギャフン!(昭和なオチですみません)

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こんばんは

 今日は短めに書いて早く寝ます

 いぬがみです。


 岡田尊司先生の『愛着障害』には、巻末に簡易愛着障害度合いテスト(?)があります。いくつかの質問に答えていき、最後に集計すると、どういうタイプの愛着タイプなのかが浮き上がってきます。もちろん「障害」じゃなくて、「安定型」という理想の状態があります。たいていの人は、そうなるでしょう。

 それ以外の部分だと『不安型』『回避型』そして二つが複合なった『恐れ・回避型』……ええ、私はその複合型でした。あまり他人とかかわりたがらないくせに、嫌われるのが怖くて仕方がない。まぁ面倒くさいこと、この上ありません。生きづらくて生きづらくて仕方がありません。

 そんな私のメンタルを変える方法。それは非常に苦しみを伴うものです。いやフツーの人なら意識することも無いくらいヒョイッと乗り越えるというか、平地を歩くがごとしってところですが、私にとってはいちいち全力で、激しく消耗しながら、ようやく乗り越えるような急階段なのです。

 その結果、得られたものは、はたから見れば実にささやかなものです。フツーの人からしてみれば、成果とは、とても言えないようなものかもしれません。

「そんなのできて当然」とか、そういう感じ。それはわかります。

 でも、私にとっては精いっぱい努力して、ようやく乗り越えた一段なんです。だから、私はそのことを自分で評価します。

 誰も応援してくれなくても、私が応援します。私のことを。


 今日はよく頑張った。今日はちょっとだけ、前に踏み出せた。

 だから明日もまた、踏み出そう。

 ……それでいいんです。小さくても、それを毎日、積み重ねていけば。

 
 「くだらない男さ なんだって途中で終わっちまう 
  いつだって途中でだめになっちまう……」

 「そんな事はないよ……」

 (わかる人だけわかってください)

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こんばんは

 今日は遠藤周作「人生の同伴者」を読みました

 いぬがみです(これは「対談集」ですね)。


 まったくもって文学的素養を欠いていると痛感した私。何せいまだに『海と毒薬』も『沈黙』も読んでいないし、遠藤先生の師匠筋にあたる堀辰雄も読んでいません。だからあんまり、最後まで読み終えても、深い感動とか……そういうのは、ありませんでした。

 重ねて申し上げます。それは私があまりにも不勉強だからです。

 そのため、私はおそらくこの本をまとめた方とは全然違うところで、しかも全然大したことない、きわめてレベルの低い次元で、感じたことがありました。すなわち、

 「やはり何につけ『技法』というものがあり、それは努力して勉強しないと身につかないのだ。……そして、プロの人というのは、最低限の技法を身に着けているものなのだ」


 何を当たり前のこと言ってるんだ馬鹿野郎様!……いや、わかりますよ。わかりますから、そんなに真面目に糾弾しないでください。これは今まで自分が認めたくなくて回避していたことに正面から向き合い、苦しいながらも受け入れようとしているところなんですから。

 まぁ自分が全然できないことに関しては、それは素直に理解できるんですよ。楽器を演奏するとか、飛行機を操縦するとかね。でも、なまじ自分が好きで勝手にある程度やっていることに関しては、改めて技法云々、すなわち「〇〇入門」みたいなものを手に取り技術的なアレコレを学ぼうという気には、どうしても、なれないんですよ。

 たとえば文章を書くこととか、写真を撮ることとか、でしょうか。


 良い文章というのはあります。良い写真というのはあります。私だって、これでも元・写真部ですし、写真を撮ること自体は大好きなので、どうせ撮るからには「良い写真」を撮りたいと思います。そのために「花の写真の撮り方入門」とか「スナップ写真の撮り方特集」とか、そういうのを勉強しようと本を手に取ったことは、あります。

 そして、そういう本には例外なく技術的なことが書かれております。これをキッチリと頭に入れて、ファインダーをのぞきながらアレコレと瞬時に計算し、位置取りを決めてバシッと撮れば百発百中、いわゆる「良い写真」が撮れるでしょう。いわゆる職業カメラマンともなれば、そういう技術が必要でしょう。

 それに対して勉強嫌いの私はこう言って、技法を身に着けることを拒否します。すなわち、

「(文章を書くのも)写真を撮るのも、自分が一番いいと思った瞬間を固着させるための手段だから。自分はそれでいいと思っているから」

 ……ね~。まったくもって独りよがり、自己満足、極論すれば自分のナニをアレして気持ちよくなるウンチャラ~と同じことです。そのくせ、そうやって撮影した写真とか、書き上げた文章とかを誰かに見てもらいたいっていう気持ちもあるんですから。まったくもって、どうしようもない野郎です。


 だから私は、「自分の好きなことでプロにはなれない」と確信しているのです。

 私にとってそれは、お金をもらうためではなく、自分の心をどうにかこの世界につなぎとめるための、食べることや寝ることとほぼ同格の「愛の行為」ですから。

 そしてそして、そんな自分には決してできないことを身に着け、さらにその上に自分のスタイルというものを身に着けて、「小説家」とか「写真家」とかっていう看板で活動されておられる方は「すげえなあ」と思うのです。そんな憧憬というか尊敬というか。そういうのを素直に認められるようになれば、きっと私の心も浄化されるんだろうなって。そう願いつつ文章を締めくくりたいと思います。


 余談

 直木賞とか芥川賞とか、それ以外にもナニナニ文学賞とかナニナニ新人賞とか、いっぱいありますよね。そりゃあノーベル文学賞っていうのもありますけど、一般的に言えば、直木賞と芥川賞っていうのが、ひとつの権威ですよね。

 ……本当はこのあと「大体こういう賞をもらう人って、今まで聞いたことない人たちばっかりだよね」という話を書こうと思ったんですが、念のためにと少々調べたら、そりゃあそうですよね。もともとこれは「新人」に与えられる文学賞なんですから。遠藤周作先生だって、デビューして2年目で受賞しているんだし。

 なるほど、腑に落ちました。そのうえで改めて、書こうと思っていたことを書きます。

 文学賞をもらうだけの作品を書ける人は、もちろん素晴らしい。でも、それを『私が』面白いと思うかどうかは別問題だって。これまた「当たり前だろうがボケカス」といってヒートアクションを繰り出したくなると思いますが、どうか抑えてください。こういうことをきちんと言葉に書き出すことが、私の精神的なリハビリテーションですから。

 余談++

 いったん記事を投稿した後、Wikipediaの「芥川賞」の項目を読みました。……うん、なるほどね……。

 いま私が青森で仕事をしているということを抜きにしても、私は太宰治という人が好きです。

 つらいことがあると悩み、落ち込み、(想像ですが)顔をくしゃくしゃにして男泣きにむせびながら「ひどいじゃないか。ひとが、こんなに頑張ってるのに。……ひどいよ」と弱音を吐くお人柄が、どうも他人のような気がしなくて。「わかった、みなまで言うな!」と全力で慰めてあげたくなっちゃいます。自分と、どうしても、重ねちゃって……。

 そんな太宰治という人を、よりによって本人の面前で「大嫌いだ」と言ってのけた三島由紀夫氏もけっこー好きなんですが……とりあえず、アレですね。今度は川端康成をかじろうと思います。小学校の図書室で『坊っちゃんから伊豆の踊子まで―名作入門』という本を読み、それがきっかけで漱石の方はやっつけたんですが、いまだに川端康成といえば『知ってるつもり!?』で見た記憶しかないですからね。これじゃあダメだろう、と。

 いやはや、まだまだ生きたくなる理由がありますね。本当に、これだから、長く生きることというのは……まったくもって、面白いことばかりです。


 ※

 「誰からも必要とされていない」とか「自分なんか、さっさと自殺した方が世の中のためだ」とか。もしも、万が一、何かの間違いでも何でもいいんですが、もしもそう考えている人がこの記事を読んでいたとしたら。そんなあなたに申し上げます。

 自分が生きたかったら、生きていていいんです。生きられるうちは、生きていていいんです。
 
 どうか、そんな優しすぎる、まじめすぎる、清らかすぎる理由で、自殺しないでください。

 そうです、あなたはとっても優しくて、純粋で、まじめなんです。

 だから、もうちょっと、デタラメに生きていいと思うんです。私がそうです。


 「自分なんか、死んでしまった方が世の中のためだ」そう思っていた時期がありました。それに関しては次のような理屈でぶっ飛ばしました(論破ではなく、無理やりぶっ飛ばした)。すなわち、

 「世の中にとっていいかどうかは、自分ごときが決められるものじゃない」

 ということです。自分がわかること、知っていること、想像ができることなんて、ごくごく狭いものですから。そもそも私たちがこの世に生まれて生きながらえている理由は何か? と言えば、それはひっきょう、ヨハネ伝3章16節に集約されるのです。それで十分でしょう。

 そのうえで、「それはキリスト教徒のひとだから、そう言えるんでしょう」とおっしゃる方のために、さらに独自の理論をぶち上げたいと思います。これはきれいな言葉じゃありません。もしかしたらイエス様も「そりゃ~ダメだよ」と言うかもしれませんが、あえて言います。いま、つらすぎて死にたいって思ってる人たちに向けて。

 「いま生きている以上、生きたいように生きる権利がある」

 と。

 ……と言って! もちろん、我が国は法治国家ですから。民主主義ですから。「生きたいように生きる権利がある。よし、自由闊達にやりますか」といってライフルを乱射、無差別殺人を犯したうえで動機について「生きたいように生きた」というのは、許されるものではありません。わざわざこんなに諄(クド)い話をしなければならないのか。そういうご時世だからね。そういえば今日読んだ『人生の同伴者』でも、そんなことを言っていたな。「聞いている人に、わかってもらえるかどうか心配だから、ちょっと諄いセリフ回しになってしまう」ってね。

 ……結論的には、そもそもこんなことを、不特定多数の人が目にするブログという場所で申し上げるべきじゃないのかもしれませんね。

 それでも、やっぱり、言わずにはいられないのです。やっぱり、自分よりもずっと若い人が、命を絶つような事例が少なくないっていうニュースを見てしまったから。

 私が正しくないというのなら、正しくなくてもいいです。極端な話、私のせいで「自分がやりたいことをやろうと思った」という動機で凶悪犯罪事件が急増したというのなら、それも仕方がないというか……責任を取ることはできませんが、「なんとでも言ってくれ」という感じです。それでも私は言いたいのです。すべての人に。特に、先述したような人たちに。

 生きられるうちは、生きていていいって。それでも「自分なんて、生きてるだけで周りの人に迷惑をかけるだけだから、死んだ方がましだ」っていうのなら、いいですよ、「周りの人たちに迷惑をかけるために生きるんだ」それくらいの気持ちでも、いいと思うんです。

 もしかしたら、あなたが想像できないくらいの未来で、あなたを必要としている人が、いるかもしれないから。そういう人と、出会うかもしれないから。そういう時のために、あなたは生きているのかもしれないから。

 これは外ならぬ私自身が「体感」したことです。想像ではありません。事実です。

 そういう思いが、今の私を生きながらえさせています。

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こんばんは

 ちょっとテンプレートを変えてみました

 いぬがみです(前のだと記事が読みづらかったから)。


 最近は岡田尊司先生の著書を立て続けに読んでいます。『愛着障害』『回避性愛着障害』『愛着障害の克服』『死に至る病』『ADHDの正体』……5冊も読んでしまいました。

 内容的にはまあ、同じようなことではありますけれどね。ただ、やはり一冊の本の中で書けることというのは限りがあると思うので、それぞれの本を読んで、ようやく入り口に立てたのかなって気がします。

 今までの自分。今の自分。これからの自分。

 あんまり難しいことは言いません。ただ、たとい自分が精神障碍者だろうと何だろうと、生きていかなくちゃいけないんですから。死にたいと思っている時間が少しずつ長くなっていましたが、死にきれないのはやっぱり生きたいからですよ。「生きるだけ生きたなら死ぬこともあるだろう」とは前田「慶次郎」利益の言葉ですが、まだ生きるだけ生きていないような気がするんです。

 意地汚いんです。貧乏性なんです。だから、まだまだ生きていたいんです。

 で、生きるからには少しでも良く生きたい。これからは、そういう方向性で頑張ってみたいと思います。


 とりあえず今日は、日本酒を飲みながら書いているので、あまり変な文章になる前に切り上げます。最後にひとつだけ。

 岡田尊司先生の一連の本は、ユングや河合隼雄氏の本を読んだ時と同等以上の「腑に落ちる」感情を覚えました。

 こと心理学といえばフロイトや、一時やたらと流行ったアドラーの理論なのでしょうが、これらは「まあ、そんなもんなのかね」と、あんまり心に響きませんでした。

 ユングや、そのユング心理学の日本における第一人者であった河合隼雄氏の本を読んだときは、すごくシックリ来ました。ともすれば難解だとかオカルトめいているとかで敬遠されるユング心理学ですが、私にとってはフロイトやアドラーの理論よりも腑に落ちました。

 そして、それ以上に『愛着』という概念に基づいた岡田尊司先生の本は、腑に落ちました。不特定多数の人が読める本なのに、まるで自分のことを丁寧に分析されているかのような内容には、完膚なきまでにノックアウトです。それはどん底にまで落ち込むというわけでは無く――いわゆる「カタルシス」というやつ、なのかもしれません。

 それと同時に、岡田尊司先生が「こうすればいい」と提案していることのいくつかは、私が自分で既にやっていることもありました。誰かに話す代わりに文章にして書き出すとか、いわゆる「マインドフルネス」とか。

 だから変な話ですが、「普通の人のようになろう」と思って、今まで自分が心の平安を得るために編み出した(そして、実際に効果を上げていた)ことを「変なことだから」といってやめてしまったのが、今の、バランスが崩れて苦しい思いをしている状況を招いてしまったのかもしれません。

 
 いいんですよ、自分のやり方で。どうあれ生きるために編み出した方法なんですから。ただ、そのやり方で不便を感じたら、そして「もっといい方法」があったら、それに乗り換えればいいんです。

 生き方を変えることは、今までの自分を丸ごと否定することじゃ、ないんです。

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こんばんは。

 ブログをチラシの裏にして何が悪い

 いぬがみです(検索で引っかかったら、気楽に読み流してください)。


 今日のテーマは「店内BGM」。

 先日、たぶん東北だけのチェーン店だと思うのですが『サンデー』というホームセンターに行きました。

 店内で流れていたのは、よくスーパーとかで流れている流行曲のインストゥルメンタル版。……なのですが、その中で突然Aqoursの『未来の僕らは知ってるよ』が流れてきたんです。

 何を隠そうラブライブ!大好きでAqours大好きな私。先日ひとりでカラオケボックスに行き、4時間で35曲を熱唱してきたのですが、その中の33曲がスクールアイドルの曲だったくらいですからね。ちょこっと聞いただけでピン! ときました。しかしながら、後期高齢者が主な客層である田舎のホームセンターにあって、それと気づいたのはおそらく私だけでしょう。

 でも、いいんです。こうしてAqoursは老若男女に親しまれる全世代対応アイドルになるんです。そして紅白の企画コーナーじゃなくて正式なエントリーをされるんです。

 あと、今日ダイソーで流れていた曲。なんだろう、多分これもUSENのチャンネルで流れている居kづあと思うんですが、ちょっと昔のビデオゲームみたいなコンピュータサウンドが流れていました。ちょっと心地よかったです。
 
 それから、これは青森県十和田市のローカルスーパーで「カケモ」というのがあるんですが、そこでのお話。何だかわからないんですが、こんな田舎のローカルスーパーのくせに、店舗内外に流れるBGMがけっこー攻めた感じのJ-POPなんですよね。

 たとえば……Maison book girlとか。私はこのお店に来るまで知らなかったのですが、なんだかとてつもなく歌詞が印象的で、その場で調べてようやくたどり着きました。まさか、こんなきっかけで新しいアイドルの存在を知るとは……。

 そんなわけで、今日の結論。「新しいきっかけ、新しい出会いは、そこら中に転がっている」。……いま7時のNHKニュースを見て「小中高生の自殺者の数が増えている」ということを知ったので、最後だけちょっぴりシビアに書きます。同時進行でビールを飲んでしまいましたが、できるだけ正気を保ちながらね。


 まぁ私自身、「あぁもう死にてー!」って絶叫したことがありますし、今でも自殺したいと思う瞬間はあります。むしろ、少しずつ増えています。

 だから、本当、つらくてつらくて死にたくなる気持ちはわかるんです。だから「自殺はダメ」「自殺するのは心が弱いから」とかって言うつもりはありません。

 それでも自分がアラフォーと呼ばれる年齢になるまでおめおめと生きながらえているのは、時々ある、こういう、

 「どーでもいいようなこと・しょーもないこと・くだらないこと」
  →「でも、ちょっぴりだけ、楽しいこと」

 が、あるからです。

 そして、それを踏まえて、あえて言います。多少酔いが回ってきていますが、まだ割と正気を保っています。そのうえで、あえて、あえて! 言います。


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つづきはこちら ▼追記の展開



 「自殺するのはいつでもできる」

 ……だから今も、私は生きています。

 別に未来に輝かしい希望を見出しているわけじゃありませんよ。正直に言えば、今の仕事をしていて「ああもう死にたい」と思うことは、そういう瞬間は、少しずつ増えています。気持ちが、ニュートラルな状態に、戻りにくくなっているんです。

 本当にピンチです。こんな時に頼りの精神科医は「ああそうですか。じゃあ薬出しときますね」で終わりだし。

 でも、でも! まだ生きているんです。なんでかっていえば、「まだ死ななくてもいいかな」って思っているから。もっと言えば、

 「まだ生きられるのに、死ぬのはもったいない」

 そう思っているから。


 結局、極度の貧乏性なんですよね。「もったいない精神」といえば格好いいですが、早い話が貧乏性。服も靴もボロボロになっても「まだ使える」といって捨てないし、ほかの人から見ればゴミ同然のようなものも「何かの役に立つかもしれない」といって積み上げて。

 でも、そういう人間だから、自分の命も大事にするんです。

 もしも私が潔い人間だったら、さっさと自分に始末をつけているでしょう。そう思います。


 汚くていいんです。ボロボロでいいんです。

 実際に何かしら気持ち的に苦しい人がこのブログを読む可能性がどれほどあるのか……限りなく低いと思うんですが……もしかしたらそういう人がいるかもしれないと思って、結論めいたことを書きます。

 自殺なんて、しなくてもいいんです。誰かに殺されるか、何かに殺されるか。必ずそういう時が来るから。

 だから、みんな、生きられるうちは生きましょう。特に小中高生の諸君。皆さんはまだまだ何にでもなれるんですから。生きられるだけ生きなくちゃ、もったいないですよ。

 ……そう言う私自身が、生きて見せなくちゃいけませんよね。うん、また頑張ろう。


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こんばんは。
 
 今日のタイトルは誤植ではありません
 
 いぬがみです。
 
 
 先日読んだ『美少女の現代史』だか『戦闘美少女の精神分析』だか……どっちかちょっと忘れましたが、この国における「萌え」とか「美少女」とか、そういうたぐいの女の子のなかで「メイドさん」という概念が初めて出たのは、90年代のパソコン用アダルトゲーム『殻の中の小鳥』であったと言います。
 
 そうだったのか……と思いました。
 
 当時まだ18歳未満だった私が、初めて買った18禁ゲームが、『殻の中の小鳥』だったんです。近所のパソコンショップで、そりゃ~もうドキドキしながら買って、プレイして……ま、あんまりこの手のゲームにはノレなかったんですけどね。
 
 その代わりに私がLOVEずっきゅんしたのが、有限会社ヘキサさんから発売されたパソコン用アクセサリー集『デスクトップのメイドさん』シリーズです。特にいえば、第一巻の『メイファン』です。一応全3巻で、さらにそのあとドラマCDが出たとかでないとか……ま、詳しい話は改めてすることにして、まずはメイファンについて。
 
 
 どんな女の子かって絵的なものは、この時代ですからgoogle画像検索すれば出てくると思いますが、私の言葉で説明すると黒髪ロングで眼がパッチリ大きくて、内気でおとなしくて泣き虫だけど可愛らしい女の子です。メイドさん・オブ・メイドさんです。「旦那様、お仕事は順調ですか?」→(全然ダメ)→「申し訳ありません、私が、至らないばっかりに……(目の幅いっぱい涙)」そんな感じです。
 
 スゲー可愛いんです。そして、私の「好きな女の子のタイプ」というのが、ある意味ここで決まってしまったような気がします。ええ、大事なことなので二度言います。スゲー可愛いんです。そして現代の日本における「メイドさん」というのは、まさにこのメイファンのような女の子だと思うのです。
 
 
 そんなティーンエイジャーだったころから二十余年。いま、精神的危機に瀕して、過去の楽しいもの・好きなものを根こそぎ総動員しているなか、Windows95専用と書かれているCDを問答無用でぶち込んだら、問題なく再生できました。
 
 ……いいんですよ、これが。
 
 そして、当時欲しくても買えなかったから、後に中古ショップとかネット通販とかを駆使して手に入れた「第二巻・シンディ」「第三巻・アニエス」も、色々と楽しんでいます。シンディとアニエスは、20年以上経って、初めて再生します。
 
 
 ……これである程度レベルを上げれば、最近はやりの「小林さんちのメイドラゴン」も攻略できるかな。向こうはドラゴンだから、かなりレベル上げなくちゃ勝てないかもしれませんが……。

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おはようございます

結局、自分でやるしかないみたいです

いぬがみです(薬の量は減らされました)。


私の期待値が高すぎるのか。そういうことを期待しちゃいけないのか。結局のところ私は自分で何とかするしかないのか。だったらいいでしょう。こっちだって生きていかなくちゃいけないんですから。

と、まあ日中は中枢神経刺激薬の効果もあってか? それなりに楽しいこともありました。最近は結構クレーンゲームが好きで、景品を取るために時々思いっきりお金を使いますが、これが精神的に沈みがち落ち込みっぱなしの私にとっては、なかなかの薬になるような気がします。と、これだけいうとパチンコ依存症の人と変わりないのでもう少し。

クレーンゲーム……ここで言うのは特に、昔ながらの、2本のアームでぬいぐるみなどをガシッとつかむタイプのものなのですが、これは最近の言葉で言うと「実力機」というそうですね。それに対して「確率機」という言葉もあるとか。これなんかは機械の都合(=お店の都合)で確実に取れるか取れないかが決まる代物だそうで。……確かに巨大なぬいぐるみが入っている機械なんかで、せっかく3本のアームでつかんで空高く持ち上げたと思ったのに、急に取りこぼした、なんていう光景を見ますが……ああいうことなのかしら。

そうだとしたら本当にパチンコと同じですよね。とれるかどうかはお店とプレイヤーの資金力次第ですから、極端な話をすれば「お金を積み上げれば、いつかは取れる」ってことでしょうから。

で、それに対して「実力機」。まあアームの強弱の設定とか配置の難易度とかはもちろんあるでしょうけれど、ぬいぐるみのポイントをしっかり押さえれば、少ない金額で獲得することができるチャンスがあるわけですからね。さほど上手なわけでは無いけど、勝っても負けても納得がいきます。そして、何度もプレイすることだって、「こういう時はこうすればいいんだな」という経験を積むためのレッスン料になります。当然、日常生活に支障をきたさない範囲でね。

そして、そんなこんなで奮闘努力の甲斐あって景品を獲得した時は、とてもうれしいのです。これは30年くらい前、ほしくてもなかなか上手に獲得できなかった私にとってのリベンジでもあります。そう、これは私の愛着障害を乗り越えるためのトレーニングなのです(そう……なの??)。


ま、それはともかくとして……。

昨日は何ですか、「タヌキとキツネ」というマンガのキャラクターのぬいぐるみを獲得しました。うちの弟者が、なんかそんなマンガを読んでいた気がして。通常は1回200円の台はプレイしないのですが、たまには誰かのためにクレーンゲームに挑戦するのもいいかなと思って。

 ぬいぐるみの身長が高すぎてアームが規定位置まで下がらず故障騒ぎになったり、おき直してもらってもなかなか取れない私を見かねた店員のお姉さんが超アマアマ配置にしてくれたり。そんな小さいドラマをいくつか経て、ようやく獲得しました。たまにはこういうのをプレゼントするのもいいだろう。なんて思って帰ってきたんですが……。

まだ結論は出ていません。それを見せる前に、薬が切れてしまったからか。渡す前に「こんなものをもらっても、喜んでもらえないんじゃないか」というところから始まって。

「自分が良いと思ってやることは、たいていピント外れだから」
「そういうことが、前にも前にも前にもあったから」

で、最終的には今日一日楽しいことがあったはずなのに、そのエネルギーも手伝って夜は強く落ち込んだまま寝てしまいました。本当にさびしいし、切ない気持ちでした。


あえて、こういうことを書きました。これが私の気持ちを下へ下へと引っ張っていくスキーマとか自動思考とか、そういうやつです。誰かに喜んでもらいたいと思っているのに、誰かが喜んでくれることを推察するのが苦手な私。最低最悪の組み合わせです。

でも……ね。楽しかったことは楽しいまま、プラスの気持ちにもっていかないとね。せっかく楽しかったのに、それを台無しにしちゃもったいないですよ。

今日はそういうことに気づいたので、それを文章に書きだします。こういう小さなプラス転換を、これからもたくさん積み重ねていかなければ。

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こんばんは

 爆裂不安神経症

 いぬがみです。

 
 薬を飲むと気持ちがヒリヒリしてダメですね。色々なことを感じすぎて、気持ちが疲れてしまいます。そのため何か夢中になれるものを見つけて、全力でそれに取り組んでいます。まあ、それでも気持ちが充足しないというか、ずっと欲求不満でイライラしているような感じなのですが。

 それでも、本を読めば、ある程度の知識が身に付きます。それだけ、前に進む糧になります。本は知識の泉、本は心の栄養剤。

 最近書店で「ADHDの正体―その診断は正しいのか―」という本を読み、その中に出てきた「愛着障害」という言葉を見て「そういえば昔、書店で平積みされている本があったな」と思い、古本を探してきて読みました。ああ、同じ先生だったんですね。

 
 これまでもユング心理学とか何とかを読んで自分なりに自分の(きわめてヘンテコな)心の何たるかを探ってきたのですが、この『愛着障害』という本は衝撃でした。あえて今は詳しく書きませんが、ここまで自分のこれまでの人生をなぞって言い当てているような本は読んだことがありませんでした。

 ユングともフロイトともアドラーとも違う「愛着障害」という概念。ようやく私の心のメカニズム、その中核が見えてきたような気がします。


 やっぱり私は心理学者でも精神科医でもカウンセラーでもありません。もしかしたら占い師に「あなたは〇〇な人間ですね」と言われて『ああ、その通りだ」と感銘しているのと同じかもしれません。

 でも、もう、いいです。今までずっとずっと苦しかったから。どうして自分はこんな訳の分からない人間なんだろうって。15年前に初めて行った心療内科の先生はとても良かったのですが、
今行っている病院は……。

 もともと、ただ薬を出すだけのところでしたけれどね。認知行動療法? というものがあるとネットで見て、それについて聞いたら「ネットでやり方が出てるから、それで自分でやって」と言われましたし。「薬は出すから、それ飲んで、あとは自分で何とかして」そういう場所なんです。

 だから私は自分でどうにかします。キーワードは『愛着障害』。そして、今の薬を飲み続けることが、これから先、自分にとってプラスになるとは考えづらいということ。

 まだ死にたくないけど、つらすぎて死にたいと思う時間が少しずつ長くなっているから、早く何とかしなければ……。

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こんばんは

 「死に至る病」とは絶望と愛着障害

 いぬがみです。


 ここ数日、絶望的なほど心神耗弱状態でした。そんな状況でも無理して投稿し続けた記事。食欲減退甚だしく、一日一食以下という日々が続きました。腹が減っているのは薄々わかるんですが、どうしても「ご飯を食べよう」という気になれないんですよね。胃がムカムカして。

 それもあってかなくってか、精神的にも極めて不調。抑うつ的な傾向はさらに加速し、客商売でありながら全くお客様を楽しませることができないテンションでした。それがよくないこと、申し訳ないことと言って言われて自分をさいなみ、さいなみさいなみさいなみさいなみ……

 みさいなみ。

 というわけで、仕事が終わってから、眠くないけど布団に入って目を閉じていました。

 起きているとつらくて苦しい。

 目を閉じると、こんな状況になった我が身が悲しい。

 それでも、2時間くらい布団の中で無理やり充電し、久しぶりのビールで何とかギリギリの平常心を取り戻しました。だから、今は少しだけ、大丈夫です。死にたい気持ちに締め上げられているわけではありません。


 そんな中、ふと頭の中にひらめいたのが「死の陰の谷」という言葉。これ自体がwikipediaの一項目となるくらい超有名な旧約聖書詩編23編の言葉です。以下引用。

ダビデの賛歌

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう


 ここでこの御言葉に関する解説を私が加えるのは野暮の極みというか、恐れ多くてできません。その代わりに個人的なことを言います。すなわち一番新しい記憶の中では、公開から20年以上経ってようやく観て、けっこー感動してしまった1997年の映画「タイタニック」の記憶ですね。若かりしレオナルド・ディカプリオ扮するジャックと恋人のバカップr……いや! 若き男女のロマンスもいいんですが、実はそのほかの人たちの振る舞いが、いいんですよね。って、その話をすると長くなるのでぶった切りますが、この映画にも出てきました。

 でも、あえてここは大島渚監督の名作「戦場のメリークリスマス」をあげましょう。この映画でも、後半の非常に印象的なシーンで出てきます。もちろんこちらも、毎年クリスマスシーズンになって、有線で「Merry Christmas Mr.Laurence」が流れるころには、見てしまいます。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし。名作というか少々カオスな感じもしますが、そこはほら、大島渚監督ですから。


 ともかく、もう少し、生きられそうです。飲みすぎるのはいけないけど、少し飲むのは良いのです。これでも一応、新約聖書は全部読みました。そのうえで、以下の文章を引用させていただきます。

 【これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。】テモテへの手紙第一・5章23節

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こんばんは

 今日は、お酒を飲むことを思いとどまりました

 いぬがみです。


 先日書いたように、私が毎日服用している「コンサータ」という薬は、アルコールによって副作用が増強される可能性があるそうです。これまではそんなのあんまり気にしないで、飲みたいだけ飲んでいたのですが、最近どうも……ね。

 極度に食欲減退、それに伴う体重の激減、夜中の2時3時になっても全然眠れなかったり、何よりも日に日に強さを増す抑うつ的な気分……。気持ちがビンビンに集中しているのはわかるのですが、その衝動のままにアレコレ行動を起こせば、それこそ多動性障害です。だからといって慎重に行動しようとすると、今度は自閉スペクトラム何とか……アスペルガーってやつですよ。あの特性が最近ものすごく強く出てきて、非常に生きづらくなっています。

 生きづらい時間が長く続くと、メンタル的に「もう死んでしまいたい」と思ってしまいます。それは否定しません。そして無理やり自分の気持ちを引っ張り上げるようなこともしません。だって、もう薬のせいで気持ちはギリギリまで引っ張られてるから。これ以上引っ張ったら、それこそ糸が切れてしまいます。そうなったら終わりです。

 だから、まあ、タイトルのように考えるようにしたのです。「まだ生きてるから、死にたくなるんだ」→ということは、まだ大丈夫だってね。

 生きたいけれど生きづらい。

 死にたくなるくらいつらいけれど、やっぱりまだ死にたくない。

 つくづく矛盾しています。異常というなら以上で結構です。破綻しているといわれれば、その通りかもれません。私だって、いつ爆発するかわからないような、安全ピンの外れた不発弾のような状態ですから。早く解体してほしいです。もっと穏やかに生きたいです。


 さあ、今日もまだ生きています。明日は今日よりも、少しでも生きづらさを感じないような日でありますように。……お茶でも飲もう。

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おはようございます

 何とか起きだしてきました

 いぬがみです。


 朝、起きても仕事をしたくないというか、何もしたくないというか。十分に睡眠をとったので眠いとか、そういうことはないんですが、とにかく全体的に抑うつ的で、動きたくない。それでも、動かなければいけないから、どうやったら自分の心を動かせるんだろう。そう思って、とりあえずスマートフォンを手に取る。現代人のよくある行動ですよね。

 とりあえずNHKラジオニュースを聞きました。そのあとゲームをしました(毎日のログインボーナスとか、そういうのを受け取るために)。それで、そのあとgoogleから配信されるオススメ記事といったものをざっと眺めてみましたが、どうもピンとくるものがない。

 シボレー・コルベットC2のEV仕様? 1200馬力? 価格は2億円?……車好きではありますが、1000馬力だろうと2000馬力だろうと、もう心ときめくようなことはありません。そういう性能を使いきれる場所が地球上にそれほど多くあるわけじゃないし、使いきれるようなスキルを持った人が買うための車じゃないようだからです。

 ……ただ、そこでハタと気づいたのが、「こうして自分の心にピンとくるものを求めて延々スマートフォンと向き合う時間」こそ、私の心に悪影響を及ぼす大きな要因のひとつだということです。何も生み出さず、ただただ時間だけを浪費する。脳と眼が疲弊して、結局のところ起き上がる気力がそがれる。そういうことです。

 こうして記事を書くことは、もしかすると、そんな私の生活スタイルを改善する助けになるかもしれません。大したことは書けませんが、そんなのはブログを始めた15年くらい前から変わらないことですから。ま、とにかく今日も一日、なんとか生きていきたいと思います。

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おはようございます

 発信していかなければいけない

 いぬがみです。


 前に東京03のラジオ番組にゲスト出演した人気声優の雨宮天さんが、衝動的にLINEを消したことがあったと聞いたので、私もLINEを消してみました。必要なことがあれば電話でもメールでも送ればいいんだし、完全に連絡手段を絶ったわけでは無いから、いいでしょう。やっぱりLINEっていうのがいけませんよ。SNSっていうのがいけませんよ。あれが私の心をむしばむんです。きっと。

 今朝はなかなか気持ちが重かったです。目が覚めても布団から出たくない。そんな感じ。……って、それはこの時期、誰しもが経験することかしら。部屋の温度が1ケタとかだと、まあ布団の中の温かさが心地よくて……ね。そういう物理的なことなのか精神的なことなのかわかりませんが、あまりよろしくありません。

 障害の度合いがひどくなるっていうのは、あるのでしょうか。そこそこ楽しくて、うまくやっていけるかなと思っていたら、急にどん底に突き落とされて。

 とりあえず確認しておきたいこと。

 「自分は他人の気持ちを汲むことができない」
 →これは本当に困ってしまいました。私の仕事は接客ですから、そういうのを何よりも大切にしなくちゃいけないハズなんですが、どうしてもそのあたりの感覚がわからない。考えれば考えるほどわからなくなって、チャンスを逸してしまったり、反対に余計なことをしてしまったり。最低の接客業者です。

 「自分の本当に好きなこと、楽しいと思うことは、人に話さない」
 →当たり障りのないこと、天気のこととか政治のこととか、そういうのだけ話すようにします。自己アピールというか、自分が大好きなものを相手にわかってもらいたいと思うし、それを相手が共感してくれたらうれしいって思うから、色々なことを話すんですけど、たいてい私の話なんて、誰も興味ないんですよね。そうじゃないのかもしれませんが、そういうスキーマがあるので。

 あと、私の好きなものへのアプローチの仕方とか組み立て方が、かなり特殊というか異常性を持っているから。たとえばひとつの物語を好きになった時、本編ではなく派生作品の方から入って、そっちの方にのめりこんじゃって本編の方はほったらかし、とか。あとは、自分の好きな要素だけをどんどん取り込んで、自分の中でひとつの別な物語を作ったりとか。それから、アニメの女の子に気持ちが入り込みすぎるあまり、よく二次創作作品にあるポルノグラフィティ化を許せない! と思ったり。

 
 以上2点をふまえると、私にとってSNSっていうのは危険だと判断しました。相手ともっと深くつながりたいと思って、余計なことばかり書いてしまいますから。非常に便利なツールだとは思うんですが、ワーキングメモリが8ビットPC並みの情報弱者オブ情報弱者ズ(複数形)である私にはハイテクすぎるようです。

 ……本当、生きづらいです。何とかならないかな、この心……。あ、この文章は当然ながら、まったくお酒を飲まないで書きました。もう、飲む気にもなりません。

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