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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
佐々木美術館&人形館で体験したことを書いたら1万字を軽く超える分量になってしまいました(1日がかりで思い切り書きまくり、ある程度区切りながら公開しています)。書く方はいったん書いてしまえばそれでいいんですが、映画も言語も短縮短縮でタイパなんて言葉が横行する世の中にあって誰が読むんだろう。まあ確かにそんな気はします。
 ただ、私自身がきちんと感じたことを正確に遺すための文章ですからね。直感的に発言して直感的にいいねをもらうのも楽しいんですが、そんなのを繰り返していたら心も体も疲れちゃいます。それに、ひとつのことに対して深く深く深く潜れ八犬伝2001とばかりにこだわってしまうので、そんなに次々食べられないんです。
 ま、自分としては大事なことをちゃんと書ききれたかな、とは思います。ペロンミさんの個展のこととか、まだまだ書きたいことはたくさんありますが、みひろさんの個展みたいに2回目で大きな爆発が起こり一気に書きつけるようなことがあるかもしれないし。今はとりあえず、心の中で準備をするにとどめておくことにしましょう。
 今日は軽めの話をしたいと思います。軽めの話というか、日常的な話。

  *

 どうやら私という人間はいよいよ本そのものが好きになってきたみたいで、図書館で本を借りて帰ってくる時、妙に心がときめいてしまうのですね。これまでに読んだ本は98冊。別に1年100冊という数字的な目標を決めているわけではないし私は松岡正剛ではないので100冊だろうと1000冊だろうと何でもいいんですが、結果的にそうなりました。そうなると「100冊目に読む本は……」とか、「今年最後に読む本は……」とかって意識もしてしまいます。
 読むペースなんかもあるので、今年最後に読む本が何になるかはわかりませんが、とりあえず99冊目に読む本は内田百閒の『第二阿房列車』とすることにしました。
 内田百閒。こちらも今まで読んだことのない作家です。名前はもちろん知っていますが、現代文の時間に「国語便覧」でチラッとプロフィールを知り、黒澤明の遺作がこの人の映画だったなとWikipediaで見て知った……その程度の知識です。大体今こうして記事を書いている時百「閒」という文字を「聞」と見間違え、内田百聞内田百聞と書いていました。「百聞は一見にしかず」という言葉に引きずられた……という言い訳はありますが、人の名前を間違えるとはとんでもない奴です。六代目松鶴師匠じゃなくても激怒すること必至です(笑福亭鶴光 - Wikipedia)。
 その程度の知識しかないのに何で急に読もうというのか。ははあ、こないだ同じ漱石門下の寺田寅彦の随筆を読んだから今度は内田百閒を読もうって肚だな……ええ、それは確かにあります。あとは、最近再開したmixiで仲良くして頂いている方がおすすめしていた本だからです。その記事を読むと、なんだかとても面白そうだったので、素直に読みたいなと。このところ結構重たい本ばかり読んで重たいことを書いていたし。本来矢川澄子さんの随筆はもっと軽い気持ちで読むべきものなのかもしれませんが。

 ちなみに私が借りてきたのは、現在もっとも手に入りやすい新字新仮名遣いの新潮文庫版ではなく(それは他の人に借りられていた)、1979年初版の『旺文社文庫』というものに収録された旧字旧仮名遣いのオリジナル版です。好むと好まざるとにかかわらず「これしかないから」という理由で借りてきたのです。これまた仙台市泉図書館の閉架書庫に眠っていたものを無理やり引っ張り出してもらって借りてきました。仙台は市営図書館がいくつもあるので、検索すれば大概の本は見つかるのです。
 なんて、まだ読んでもいないのに、無駄に長い文章を書いてしまいましたね……。さあ、これから読んでいきます。そして100冊目に読む予定の本は再び矢川澄子さんの『兎とよばれた女』です。兎年を締めくくるのはやはりこれでしょう。まあ別に100冊読んだらコレデオシマイというわけではないのですが。いっしょに借りて来たボルヘスとか読む予定ですし。
 
   *

 仙台は冬の最大イベント『SENDAI光のページェント』も開幕し、いよいよ年の瀬感が強くなってきました。同時にインフルエンザの流行も強くなってきました。私の職場でも次々と罹患者が出て大変です。皆様もお体には気を付けてください。それではまた。

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