先日初めて行った古書店で購入したのは、矢川澄子『おにいちゃん――回想の澁澤龍彦』という本でした。
私がちゃんと矢川澄子さんの文章を読んだのは、別冊幻想文学の澁澤龍彦スペシャルに載っていた『≪神話≫の日々』というエッセーで、その透徹した文体に心を打たれ、ちくま文庫のベストエッセイ集を買いました(とりあえず新刊で一番手に入りやすそうな、しかもヴォリュームもあるものだったので)。今回は2冊目の、矢川澄子さんの本です。
正直なところ何をどう書いていったらいいのか、好きすぎてピントが合わず書きあぐねているところですが、まあこれはブログですからね。別に何か書評を書けと言われているわけじゃないし。書いているうちにまとまるかもしれないので、とりあえず書き出してみます。
*
先述したように、私にとっての矢川澄子さんというのは、まず『澁澤龍彥』という幻像を通しての存在でした。あえて幻像としたのは、どうも澁澤さんという人には――たぶん、私みたいに後の時代になってから知った人ほど、そうだと思うのですが――何だか謎めいた暗黒文学者みたいなイメージを持っていたのですね。その割に最初に読んだのが『玩物草紙』という非常に穏やかなエッセイ集だったのですが、とにかく実体がつかめない、浮世離れした人だったのだろうなというイメージをずっと持っていました。10代の頃に読んだから、おのずとそういうイメージも膨らむでしょう。当然のことだと思います。
その後、別冊幻想文学とかユリイカとかを読み、少しずつ幻像が実像に近づいていったのですが、その澁澤龍彥という実像の一番そばにいた矢川澄子さんの語る澁澤さんは、他のどんな人が語る澁澤龍彥像よりもクリアに現れていました。私がかってに膨らませていたイリュージョンはたちまち雲散霧消し、ようやくはっきりとした景色が見えたのです。矢川澄子さんの文章はいつも冷静で精緻を極めるといった印象なので(きっとご本人もそのように努めて書いておられたのでしょうが)、私も余計な感情や考えが混じることなく、最後まで夢中で読んでしまいました。
そして私が本を閉じた後に、まず感情として思ったことは、
「やはり私は生まれついての男性なのだ」
ということでした。
正直に申し上げると、生まれながらの肉体的には男性でありそのことを受け入れ男性として社会生活を送っている私の心の中にも「女性らしさ」はあります。最近は以前ほど男性らしさにこだわらず、自分の中にあるその女性らしさ(=アニマ)を大切にし、意識の水面に引っ張り出して共生しているところもあるのですが、やはりアニマはアニマなのです。矢川澄子さんの文章を読んでいると、生まれながらの女性が女性らしさ……もっと言えば『少女らしさ』を保持しつつ、その感覚と観察眼と筆力で表現した男性たち――特に澁澤龍彥、稲垣足穂、三島由紀夫の御三方――のヴィジョンを見ると、私の個人的無意識はそれら男性に感応し、矢川澄子さんの感覚に対しては「そうだったのか……」と気づかされる。
……うん、たぶん、そう言うことだと思います。これまで矢川澄子さんの文章を好んで読み、なおかつ読むたびに「そうだったのか……」と気づかされ、女性でなければ絶対に分からない領域のことを感情ではなく理性で受け止める。感情が伴わない純粋な理の世界だから、まるで不純物がすべて蒸発し純化した結晶を観察するように、矢川澄子さんの文章を読んでいたのだと思います。
*
『おにいちゃん』の内容について戻ります。
副題にある通り、初出の時代はバラバラですが、収録されているエッセーはすべて澁澤龍彦さん関連の内容となっています。
「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」
それが澁澤さんの口癖だったみたいで、何度もこの言葉が出てきます。
読んでいると、どうも「夫婦」という感じじゃないんですよね。『伴侶』とか『パートナー』とか、そういう言葉が似合う感じで。なぜかといえばお二人とも文学をよくする方ですから、澁澤さんが書いた作品を浄書したり装丁を考えたり資料集めのお手伝いをしたり……と、文字通りの共同作業によって、多くの『澁澤龍彦』名義の本が出版されたからです。
結婚し、子どもを産み、家庭をもって……というごくありふれた夫婦生活を営む代わりに、『夢の宇宙誌』などの名著がたくさん世に送り出されたわけですから、確かにこれは「人並みの幸せ」ではありません。本を読んでいると胸が詰まる思いがありますが、それでもきっと、矢川澄子さんも澁澤龍彦さんもそう言うのを望んでいたのだし、それが実現できたのだろう……と思います。本を読んでの感想だから、それでいいでしょう。
なお、この『夢の宇宙誌』というのは三島由紀夫さんもたいそうお気に入りだったみたいで、私もそれならといって電子版を読んだのですが、どうやら矢川澄子さんにとっても「最良の日々の最上の達成」と言うくらい特別な一冊だったみたいです。そうなると、ただ中身を読めればいいやというものではなく、私もまた当時の単行本を読んでみたくなりました。
*
まったくとりとめのない話ばかりで恐縮ですが、ひとまずこの辺で筆をおきましょう。これからユリイカの矢川澄子特集も読みます。そうすれば、更に見識が広がって、私が感じたこともより言葉に変換しやすくなるでしょうからね。
本当に、素敵な本を読みました。これもまた、手元に置いておきたくなる本なのです。
私がちゃんと矢川澄子さんの文章を読んだのは、別冊幻想文学の澁澤龍彦スペシャルに載っていた『≪神話≫の日々』というエッセーで、その透徹した文体に心を打たれ、ちくま文庫のベストエッセイ集を買いました(とりあえず新刊で一番手に入りやすそうな、しかもヴォリュームもあるものだったので)。今回は2冊目の、矢川澄子さんの本です。
正直なところ何をどう書いていったらいいのか、好きすぎてピントが合わず書きあぐねているところですが、まあこれはブログですからね。別に何か書評を書けと言われているわけじゃないし。書いているうちにまとまるかもしれないので、とりあえず書き出してみます。
*
先述したように、私にとっての矢川澄子さんというのは、まず『澁澤龍彥』という幻像を通しての存在でした。あえて幻像としたのは、どうも澁澤さんという人には――たぶん、私みたいに後の時代になってから知った人ほど、そうだと思うのですが――何だか謎めいた暗黒文学者みたいなイメージを持っていたのですね。その割に最初に読んだのが『玩物草紙』という非常に穏やかなエッセイ集だったのですが、とにかく実体がつかめない、浮世離れした人だったのだろうなというイメージをずっと持っていました。10代の頃に読んだから、おのずとそういうイメージも膨らむでしょう。当然のことだと思います。
その後、別冊幻想文学とかユリイカとかを読み、少しずつ幻像が実像に近づいていったのですが、その澁澤龍彥という実像の一番そばにいた矢川澄子さんの語る澁澤さんは、他のどんな人が語る澁澤龍彥像よりもクリアに現れていました。私がかってに膨らませていたイリュージョンはたちまち雲散霧消し、ようやくはっきりとした景色が見えたのです。矢川澄子さんの文章はいつも冷静で精緻を極めるといった印象なので(きっとご本人もそのように努めて書いておられたのでしょうが)、私も余計な感情や考えが混じることなく、最後まで夢中で読んでしまいました。
そして私が本を閉じた後に、まず感情として思ったことは、
「やはり私は生まれついての男性なのだ」
ということでした。
正直に申し上げると、生まれながらの肉体的には男性でありそのことを受け入れ男性として社会生活を送っている私の心の中にも「女性らしさ」はあります。最近は以前ほど男性らしさにこだわらず、自分の中にあるその女性らしさ(=アニマ)を大切にし、意識の水面に引っ張り出して共生しているところもあるのですが、やはりアニマはアニマなのです。矢川澄子さんの文章を読んでいると、生まれながらの女性が女性らしさ……もっと言えば『少女らしさ』を保持しつつ、その感覚と観察眼と筆力で表現した男性たち――特に澁澤龍彥、稲垣足穂、三島由紀夫の御三方――のヴィジョンを見ると、私の個人的無意識はそれら男性に感応し、矢川澄子さんの感覚に対しては「そうだったのか……」と気づかされる。
……うん、たぶん、そう言うことだと思います。これまで矢川澄子さんの文章を好んで読み、なおかつ読むたびに「そうだったのか……」と気づかされ、女性でなければ絶対に分からない領域のことを感情ではなく理性で受け止める。感情が伴わない純粋な理の世界だから、まるで不純物がすべて蒸発し純化した結晶を観察するように、矢川澄子さんの文章を読んでいたのだと思います。
*
『おにいちゃん』の内容について戻ります。
副題にある通り、初出の時代はバラバラですが、収録されているエッセーはすべて澁澤龍彦さん関連の内容となっています。
「人並みの幸せを追い求めるのはやめようね」
それが澁澤さんの口癖だったみたいで、何度もこの言葉が出てきます。
読んでいると、どうも「夫婦」という感じじゃないんですよね。『伴侶』とか『パートナー』とか、そういう言葉が似合う感じで。なぜかといえばお二人とも文学をよくする方ですから、澁澤さんが書いた作品を浄書したり装丁を考えたり資料集めのお手伝いをしたり……と、文字通りの共同作業によって、多くの『澁澤龍彦』名義の本が出版されたからです。
結婚し、子どもを産み、家庭をもって……というごくありふれた夫婦生活を営む代わりに、『夢の宇宙誌』などの名著がたくさん世に送り出されたわけですから、確かにこれは「人並みの幸せ」ではありません。本を読んでいると胸が詰まる思いがありますが、それでもきっと、矢川澄子さんも澁澤龍彦さんもそう言うのを望んでいたのだし、それが実現できたのだろう……と思います。本を読んでの感想だから、それでいいでしょう。
なお、この『夢の宇宙誌』というのは三島由紀夫さんもたいそうお気に入りだったみたいで、私もそれならといって電子版を読んだのですが、どうやら矢川澄子さんにとっても「最良の日々の最上の達成」と言うくらい特別な一冊だったみたいです。そうなると、ただ中身を読めればいいやというものではなく、私もまた当時の単行本を読んでみたくなりました。
*
まったくとりとめのない話ばかりで恐縮ですが、ひとまずこの辺で筆をおきましょう。これからユリイカの矢川澄子特集も読みます。そうすれば、更に見識が広がって、私が感じたこともより言葉に変換しやすくなるでしょうからね。
本当に、素敵な本を読みました。これもまた、手元に置いておきたくなる本なのです。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック