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おはようございます。
最近、深酒ができなくなりました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は6時に目が覚めた)。
今日は遅番なのでもっとゆっくり眠っていてもいいはずなのですが、そうすることができないので、とりあえずyoutubeで「おはよう日本 この世界の片隅に」特集を見ました。今日このあと、のんがあさイチに出るというので、その予習として(?)。
ああ、さすがスポンサーの顔色を窺って顔を赤くしたり青くしたりする民放テレビとは違います。政治家の顔色を窺ったり会長の顔色を窺ったりする傾向はあるかもしれませんが、とりあえず主演声優として、のんを取り上げてくれていました。よかったよかった。
今日はゲストとしてピースの綾部さんと一緒に出るようだったけど、するってえと全編通して出るのかな? 生放送云々ってブログに書いていたからなあ。色々なニュースにコメントするのか。うむ、とりあえず録画だな(?)。
こうして暇な時間があると、普段なおざりにしていた身近な事柄をひとつひとつ片付けていかなくちゃな、と感じます。とりあえずウチの奥さん、まだ年金も保険も未加入だから、それを何とかしなくちゃな、とか。でも今は私の実家に戸籍があるから、それを移転させるのが先かな、とか。
全然ドラマティックじゃないけど、大事なことです。ちなみにAllaboutの記事とかを読むとウチの奥さんは第3号被保険者になるので会社経由で手続きをしなければいけないそうなんですが、その会社からは書類不備山積みで突っ返されたんですよね。いやはや国際結婚というのは大変だ。……ま、そういった手続きも、普通の人生を歩んでいれば知らないことですからね。
そうです。2014年6月30日をもって、私は普通の人生をあきらめました。あるいは、大学を終わって新卒で正社員になれなかった時点で、もう「普通の人生」のレールを途中下車していたのかな。夢も希望も見ることなく、現実だけを見て派遣社員生活を10年続け、バッサリ切り捨てられた後にもぐりこんだ今の会社。30過ぎていきなり未経験分野に飛び込み、不良社員ゆえ出向を命じられ、その出向先でようやく見出した希望。自分の理想。大きな志。
そして、そんな私のところに舞い込んできた国際結婚というビッグサプライズ。朝ドラ「マッサン」を地で行くような展開です。私自身はもう普通の生活をあきらめているので、行けるところまで行こうと思い誰にも相談せず決定。現在に至ります。
もちろん、後悔はありません。というか立ち止まって悩むこともありません。まあ「この手続きはどうすればいいんだろう」と考えることはしますが、あくまでもわが配偶者を日本で安心して暮らせるようにするため。その先を見据えた「どうしよう」なのでね。
志は大きい方がいいです。夢も希望も抱くのは自由です。ただ、それを実現させるためには現実を見て積み重ねることが必要です。毎日一段ずつ積み木を重ねることができれば、大概の夢や理想はかなうと思います。
余談ですが、「大志」という言葉を検索したら俳優の中川大志さんのことがズラッと出てきて、いやそっちじゃないから! とひとりごちてしまいました。しかしよく見ると、ああ「真田丸」で秀頼公を演じておられた方でしたか。そしてソフトバンクのCMで、あの犬の正体を感じ取る稀有な人間を演じていた方でしたか。これはこれは。
最近、深酒ができなくなりました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は6時に目が覚めた)。
今日は遅番なのでもっとゆっくり眠っていてもいいはずなのですが、そうすることができないので、とりあえずyoutubeで「おはよう日本 この世界の片隅に」特集を見ました。今日このあと、のんがあさイチに出るというので、その予習として(?)。
ああ、さすがスポンサーの顔色を窺って顔を赤くしたり青くしたりする民放テレビとは違います。政治家の顔色を窺ったり会長の顔色を窺ったりする傾向はあるかもしれませんが、とりあえず主演声優として、のんを取り上げてくれていました。よかったよかった。
今日はゲストとしてピースの綾部さんと一緒に出るようだったけど、するってえと全編通して出るのかな? 生放送云々ってブログに書いていたからなあ。色々なニュースにコメントするのか。うむ、とりあえず録画だな(?)。
こうして暇な時間があると、普段なおざりにしていた身近な事柄をひとつひとつ片付けていかなくちゃな、と感じます。とりあえずウチの奥さん、まだ年金も保険も未加入だから、それを何とかしなくちゃな、とか。でも今は私の実家に戸籍があるから、それを移転させるのが先かな、とか。
全然ドラマティックじゃないけど、大事なことです。ちなみにAllaboutの記事とかを読むとウチの奥さんは第3号被保険者になるので会社経由で手続きをしなければいけないそうなんですが、その会社からは書類不備山積みで突っ返されたんですよね。いやはや国際結婚というのは大変だ。……ま、そういった手続きも、普通の人生を歩んでいれば知らないことですからね。
そうです。2014年6月30日をもって、私は普通の人生をあきらめました。あるいは、大学を終わって新卒で正社員になれなかった時点で、もう「普通の人生」のレールを途中下車していたのかな。夢も希望も見ることなく、現実だけを見て派遣社員生活を10年続け、バッサリ切り捨てられた後にもぐりこんだ今の会社。30過ぎていきなり未経験分野に飛び込み、不良社員ゆえ出向を命じられ、その出向先でようやく見出した希望。自分の理想。大きな志。
そして、そんな私のところに舞い込んできた国際結婚というビッグサプライズ。朝ドラ「マッサン」を地で行くような展開です。私自身はもう普通の生活をあきらめているので、行けるところまで行こうと思い誰にも相談せず決定。現在に至ります。
もちろん、後悔はありません。というか立ち止まって悩むこともありません。まあ「この手続きはどうすればいいんだろう」と考えることはしますが、あくまでもわが配偶者を日本で安心して暮らせるようにするため。その先を見据えた「どうしよう」なのでね。
志は大きい方がいいです。夢も希望も抱くのは自由です。ただ、それを実現させるためには現実を見て積み重ねることが必要です。毎日一段ずつ積み木を重ねることができれば、大概の夢や理想はかなうと思います。
余談ですが、「大志」という言葉を検索したら俳優の中川大志さんのことがズラッと出てきて、いやそっちじゃないから! とひとりごちてしまいました。しかしよく見ると、ああ「真田丸」で秀頼公を演じておられた方でしたか。そしてソフトバンクのCMで、あの犬の正体を感じ取る稀有な人間を演じていた方でしたか。これはこれは。
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おはようございます。
この1か月は色々ありました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。
もうすぐ出勤なので手短にブログを書きます。
この1か月(私が2015年4月までいた花巻ホテルへの出張)は私にとって非常に困難な時期でした。物理的に仕事はキツいし、心から人を信じることができないし。共に働く仲間なのに、何でも話せないというのはつらいものがあります。
「自分が目の前の人に話したことは、ほかのすべての人にも伝わる」
そういう前提で言葉を選んでいるので、なかなかあけっぴろげな話ができないんですよね。
一方で、11月から日本に来ているうちの嫁さんと同居できるのはよいことです。生活の便宜上、今は花巻にある伯母夫婦のところに居候しながら日本語の勉強をしているので、十和田ホテルに勤める私とは離れ離れになっていたのですね。それが、毎日一緒にご飯を食べたり話したりすることができるのは、よいことです。ただし12月初旬から今月下旬まで中国に帰省中であり、嫁さんが帰ってくる頃には十和田に戻らなければいけないんですけどね(ガクッ)。
ずっと憧れていた結婚生活というのは、なるほど、なかなか難しいものです。ただ、よい方に考えれば、自堕落の極みのような生活をしていた私にとっては真人間へと更生する機会を与えられたのだと思います。
嘘をつかない。酒を飲みすぎない。身だしなみをきちんとする。部屋を片付ける。当たり前のことばかりです。そういうのを、まあ実家暮らしが長かったこともあり、きちんとできないまま結婚してしまったので、なかなか苦労しています。
ちなみに私が嫁さんについた嘘というのは、「翌日仕事の日はお酒を飲むな」と言われたのにビールを飲みまくったのに、それを「飲んでいない」と言ったことです。えれぇ怒られました。そして、
「あなた、誠実であれ」
といった意味合いのことを言われました。誠実。すなわち誠一文字であり、新選組であり、土方さんです。その言葉を言われた時、私はすごくショックを受けました。堕落しきった私の心に、和泉守兼定をすらりと構えた土方さんの姿がフラッシュバックし、一気に目が覚めた気がしました。
そう思ったとたん、何となく心の中に降り積もっていたモヤモヤが軽くなった気がしました。フワッと一陣のさわやかな風が流れ込んだというか(これはそのまま土方さんの人物評でもあります。証拠は函館奉行所にあります)。
さて、そろそろ出勤時間なので、締めくくります。
職場が変わろうとパートナーができようと、やはり私の目標は土方さんなんです。常にかっこよくありたい。さわやかな風を感じていたい。
「士道に背く間敷事」
道を誤りそうになったら、その言葉を思い出して、今日も生きていきます。
この1か月は色々ありました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。
もうすぐ出勤なので手短にブログを書きます。
この1か月(私が2015年4月までいた花巻ホテルへの出張)は私にとって非常に困難な時期でした。物理的に仕事はキツいし、心から人を信じることができないし。共に働く仲間なのに、何でも話せないというのはつらいものがあります。
「自分が目の前の人に話したことは、ほかのすべての人にも伝わる」
そういう前提で言葉を選んでいるので、なかなかあけっぴろげな話ができないんですよね。
一方で、11月から日本に来ているうちの嫁さんと同居できるのはよいことです。生活の便宜上、今は花巻にある伯母夫婦のところに居候しながら日本語の勉強をしているので、十和田ホテルに勤める私とは離れ離れになっていたのですね。それが、毎日一緒にご飯を食べたり話したりすることができるのは、よいことです。ただし12月初旬から今月下旬まで中国に帰省中であり、嫁さんが帰ってくる頃には十和田に戻らなければいけないんですけどね(ガクッ)。
ずっと憧れていた結婚生活というのは、なるほど、なかなか難しいものです。ただ、よい方に考えれば、自堕落の極みのような生活をしていた私にとっては真人間へと更生する機会を与えられたのだと思います。
嘘をつかない。酒を飲みすぎない。身だしなみをきちんとする。部屋を片付ける。当たり前のことばかりです。そういうのを、まあ実家暮らしが長かったこともあり、きちんとできないまま結婚してしまったので、なかなか苦労しています。
ちなみに私が嫁さんについた嘘というのは、「翌日仕事の日はお酒を飲むな」と言われたのにビールを飲みまくったのに、それを「飲んでいない」と言ったことです。えれぇ怒られました。そして、
「あなた、誠実であれ」
といった意味合いのことを言われました。誠実。すなわち誠一文字であり、新選組であり、土方さんです。その言葉を言われた時、私はすごくショックを受けました。堕落しきった私の心に、和泉守兼定をすらりと構えた土方さんの姿がフラッシュバックし、一気に目が覚めた気がしました。
そう思ったとたん、何となく心の中に降り積もっていたモヤモヤが軽くなった気がしました。フワッと一陣のさわやかな風が流れ込んだというか(これはそのまま土方さんの人物評でもあります。証拠は函館奉行所にあります)。
さて、そろそろ出勤時間なので、締めくくります。
職場が変わろうとパートナーができようと、やはり私の目標は土方さんなんです。常にかっこよくありたい。さわやかな風を感じていたい。
「士道に背く間敷事」
道を誤りそうになったら、その言葉を思い出して、今日も生きていきます。
おはようございます。
昨日は25時まで仕事でした
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(もうすぐ出張終了予定)。
どんなに仕事が山積していても、それをひとつずつ片付けていくことで前に進む。「できることをしていれば、必ず道は開ける」きっとそういうことなのでしょう。派手じゃなくてもいい。ごく自然に、ごく日常的に。
2人の会食だろうと200人の宴会だろうと、後片付けは1枚の皿を持ち上げることから始まる。どれほど多くの人間がいようと、結局はその繰り返しなのだ――そんな当たり前のことに、最近になってようやく気付きました。つまり「この世界の片隅に」と『一番電車が走った』を見て。
案外、人の強さって、そういうことかもしれませんね。どんなにつらくて苦しい状況にあっても、精いっぱい自分の生活を守ること。それは特別な能力を必要とするわけではないけれど、それだけにね。私はどちらかというと阿部寛さんが演じた広島電鉄の社員のように、情熱大爆発で動くタイプの人間なので、すずさんや豊子さんのようなタイプの人たちは…違和感…じゃないな。ええと、なんていうんだろう。
変なたとえですが、今までの私は火力調節レバーのついていないガスコンロみたいなものだったんです。いったん火をつければいつでも全開。煮物も焼き物も沸騰ウェルダン。時にはガスどころかナパームはたまた非対称ジメチルヒドラジンを燃料にして突っ走っていたのですが(※)、お二人のおかげで私の心に火力調節レバーがついたようです。おかげで中火弱火も思いのまま。そのくらいの火力でじっくりと物事に取り掛かるのが大事なんだ! と思えるようになりました。
それでも、ついつい先走ってしまうことはありますが、これは私にとって大きな変革のような気がします。
http://ameblo.jp/futures-plan/entry-10831934163.html
0からおこした1って、何だろう。これがそうなのかどうなのかわかりませんが、ともかく私はお二人のおかげで、日常を生きることの難しさ――そして大切さについて、考えるようになりました。
世界平和に花束を。ダスビダーニャスネコバ(またか)。
(ともに某ゲームで火炎放射器の燃料として登場する。特に後者は通常ロケット燃料として使われるものであり、その威力たるや通常の数十倍以上とか。БЕИ!)
昨日は25時まで仕事でした
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(もうすぐ出張終了予定)。
どんなに仕事が山積していても、それをひとつずつ片付けていくことで前に進む。「できることをしていれば、必ず道は開ける」きっとそういうことなのでしょう。派手じゃなくてもいい。ごく自然に、ごく日常的に。
2人の会食だろうと200人の宴会だろうと、後片付けは1枚の皿を持ち上げることから始まる。どれほど多くの人間がいようと、結局はその繰り返しなのだ――そんな当たり前のことに、最近になってようやく気付きました。つまり「この世界の片隅に」と『一番電車が走った』を見て。
案外、人の強さって、そういうことかもしれませんね。どんなにつらくて苦しい状況にあっても、精いっぱい自分の生活を守ること。それは特別な能力を必要とするわけではないけれど、それだけにね。私はどちらかというと阿部寛さんが演じた広島電鉄の社員のように、情熱大爆発で動くタイプの人間なので、すずさんや豊子さんのようなタイプの人たちは…違和感…じゃないな。ええと、なんていうんだろう。
変なたとえですが、今までの私は火力調節レバーのついていないガスコンロみたいなものだったんです。いったん火をつければいつでも全開。煮物も焼き物も沸騰ウェルダン。時にはガスどころかナパームはたまた非対称ジメチルヒドラジンを燃料にして突っ走っていたのですが(※)、お二人のおかげで私の心に火力調節レバーがついたようです。おかげで中火弱火も思いのまま。そのくらいの火力でじっくりと物事に取り掛かるのが大事なんだ! と思えるようになりました。
それでも、ついつい先走ってしまうことはありますが、これは私にとって大きな変革のような気がします。
http://ameblo.jp/futures-plan/entry-10831934163.html
0からおこした1って、何だろう。これがそうなのかどうなのかわかりませんが、ともかく私はお二人のおかげで、日常を生きることの難しさ――そして大切さについて、考えるようになりました。
世界平和に花束を。ダスビダーニャスネコバ(またか)。
(ともに某ゲームで火炎放射器の燃料として登場する。特に後者は通常ロケット燃料として使われるものであり、その威力たるや通常の数十倍以上とか。БЕИ!)
随分前に放送された「一番電車が走った」を、今までずっと録画したまま放っておいたのは、私の悪い癖である「タイミングを計ること」に起因します。特別に思い入れがあるものは、きちんと心の準備をしてから見たいと思う癖が昔からあり、そのためにせっかくソフトを買ったり録画したりしても、このドラマのように1年以上アーカイブしたまま、なんていうことがあります。
正直、今回『この世界の片隅に』を見なければ、この先も当分はアーカイブしたままだったかもしれません。映画を見に行った直接的な理由は「のんが主演だから」ということですが、連続的にこれら2作品を見ることができたのは、まさに最高のタイミングであったと思います。
人類史上最強にして最悪の兵器「核爆弾」――それがもたらす被害がどれほどのものなのかは、私もよくわかります。人間を最も苛烈に傷つけ、死に至らしめるものが、それであると思います。
しかし、そんな壊滅的な被害をこうむりつつ、わずか3日後に電車が走り出した――しかもその電車を運転したのが十代の女の子であったという「実話」があります。これはそのことをドラマで再現したものです。
今どきのアニメやライトノベルの話ではありません。70年前、現実の日本で実際にあった話です。
そのことに私はただただ「すげえなあ」とうなだれるしかありませんでした。
詳しいあらすじとかはほかの方に任せるとして、ひとまず手短に感想を書きます。特に、「この世界の片隅で」のすずと共通点があるのかな? と思ったので、そのことをメモがてら書きます。
主人公であるトヨちゃんこと雨宮豊子は、物語の中ではとてもクールというか、あまり笑ったり泣いたりするシーンが多くないように感じました。まあ、生き残った人々の中では割と軽傷で済んだため、重傷者の看護とか何とかといった「やらなくちゃいけないこと」が多すぎたからだと思いますが。
特に原爆投下後は、背中にガラスが突き刺さって半死半生になっている友達を無理やり歩かせようとして「トヨちゃんは鬼じゃ」と糾弾され、それに対して「ここがもう地獄じゃ!」と切り返すシーンが印象的です。あとは阿部寛とモロ師岡に電車を運転するよう頼まれた時に、
「友達が死にそうになってる時に、電車を運転しろっていうんじゃね!」
と広島弁で返すシーン。これはかつての朝ドラ『てっぱん』での瀧本美織以来の激しさですね。おばあちゃんは、うちがどこに行ってもええんじゃね! っていうシーン。
二人とも、戦っていたんでしょうね。銃を握りしめたり飛行機に乗っていたりしたのではなく、自分たちの日常生活を守るための闘い。自分を押さえつけ、何とか今日という日を生き抜こうとした二人。それはまさに戦いだったと思います。
12/18 追記
ここからはドラマとしての感想。
やっぱり阿部寛さんは格好いいですね。もちろん私よりもずっと年上なのですが、どちらかというと年齢が近いのは主人公よりもこちら。広島電鉄の中間管理職として、現場の人間と上層部の人間との調整に苦しむ(「また板挟みか…」とつぶやくシーンが重い)前編と、投下後に一刻も早く電車を走らせるため超熱血モードで人々を説得していくシーンに感動しました。先述したように、本当はそれどころでない豊子もその一歩も引かない情熱に役目を引き受けたんだと思います。
豊子の親友・幸子は投下後、背中にガラスが刺さって重傷を負っていました。映像では白い下着が赤黒く染まったことでその傷の深さを表現しており、それが「リアルでない」と評する向きもありましたが、だからそういうのはいいんですって。心で感じれば、それでいいんだから。
それから、モロ師岡さんという人は、たまたま何かのバラエティ番組で見て知りました。本人は役者バカというか、とにかくやりたいことだけやって暮らしているような雰囲気で、それを奥さんが頑張って支えていると。行列の出来る法律相談所だったかな。本作では豊子が通う学校の先生として出演していましたが、なんというか。この人もきっと終戦によって大きくショックを受けていたのかなって気がしました。戦争中は厳しい口調で怒鳴り散らしていたのに、豊子の通う学校が閉鎖する時はトーンダウンしていたし。
ちなみにこのシーンを見た時、私は千葉真一さんが主演した大昔の映画「少林寺拳法」を思い出しました。
終戦70周年を記念したドラマと70年代に公開された娯楽映画を比べてどうするんだという話ですが、思い出したんだから仕方がありません。
ドラマが終わった後、登場人物のモデル(というか本人)となった豊子さんと幸子さんがイベントに出られたシーンがありました。ともに80代でありますが、お元気そうで何よりです。
死ぬような目に遭っても、ある意味死ぬよりもつらい世界を生きることになっても、命ある限り明日はやってくる。私たちはそれを生きなければいけない。ふたつの広島を舞台にした映画を通じて、私はそんなことを思いました。
正直、今回『この世界の片隅に』を見なければ、この先も当分はアーカイブしたままだったかもしれません。映画を見に行った直接的な理由は「のんが主演だから」ということですが、連続的にこれら2作品を見ることができたのは、まさに最高のタイミングであったと思います。
人類史上最強にして最悪の兵器「核爆弾」――それがもたらす被害がどれほどのものなのかは、私もよくわかります。人間を最も苛烈に傷つけ、死に至らしめるものが、それであると思います。
しかし、そんな壊滅的な被害をこうむりつつ、わずか3日後に電車が走り出した――しかもその電車を運転したのが十代の女の子であったという「実話」があります。これはそのことをドラマで再現したものです。
今どきのアニメやライトノベルの話ではありません。70年前、現実の日本で実際にあった話です。
そのことに私はただただ「すげえなあ」とうなだれるしかありませんでした。
詳しいあらすじとかはほかの方に任せるとして、ひとまず手短に感想を書きます。特に、「この世界の片隅で」のすずと共通点があるのかな? と思ったので、そのことをメモがてら書きます。
主人公であるトヨちゃんこと雨宮豊子は、物語の中ではとてもクールというか、あまり笑ったり泣いたりするシーンが多くないように感じました。まあ、生き残った人々の中では割と軽傷で済んだため、重傷者の看護とか何とかといった「やらなくちゃいけないこと」が多すぎたからだと思いますが。
特に原爆投下後は、背中にガラスが突き刺さって半死半生になっている友達を無理やり歩かせようとして「トヨちゃんは鬼じゃ」と糾弾され、それに対して「ここがもう地獄じゃ!」と切り返すシーンが印象的です。あとは阿部寛とモロ師岡に電車を運転するよう頼まれた時に、
「友達が死にそうになってる時に、電車を運転しろっていうんじゃね!」
と広島弁で返すシーン。これはかつての朝ドラ『てっぱん』での瀧本美織以来の激しさですね。おばあちゃんは、うちがどこに行ってもええんじゃね! っていうシーン。
二人とも、戦っていたんでしょうね。銃を握りしめたり飛行機に乗っていたりしたのではなく、自分たちの日常生活を守るための闘い。自分を押さえつけ、何とか今日という日を生き抜こうとした二人。それはまさに戦いだったと思います。
12/18 追記
ここからはドラマとしての感想。
やっぱり阿部寛さんは格好いいですね。もちろん私よりもずっと年上なのですが、どちらかというと年齢が近いのは主人公よりもこちら。広島電鉄の中間管理職として、現場の人間と上層部の人間との調整に苦しむ(「また板挟みか…」とつぶやくシーンが重い)前編と、投下後に一刻も早く電車を走らせるため超熱血モードで人々を説得していくシーンに感動しました。先述したように、本当はそれどころでない豊子もその一歩も引かない情熱に役目を引き受けたんだと思います。
豊子の親友・幸子は投下後、背中にガラスが刺さって重傷を負っていました。映像では白い下着が赤黒く染まったことでその傷の深さを表現しており、それが「リアルでない」と評する向きもありましたが、だからそういうのはいいんですって。心で感じれば、それでいいんだから。
それから、モロ師岡さんという人は、たまたま何かのバラエティ番組で見て知りました。本人は役者バカというか、とにかくやりたいことだけやって暮らしているような雰囲気で、それを奥さんが頑張って支えていると。行列の出来る法律相談所だったかな。本作では豊子が通う学校の先生として出演していましたが、なんというか。この人もきっと終戦によって大きくショックを受けていたのかなって気がしました。戦争中は厳しい口調で怒鳴り散らしていたのに、豊子の通う学校が閉鎖する時はトーンダウンしていたし。
ちなみにこのシーンを見た時、私は千葉真一さんが主演した大昔の映画「少林寺拳法」を思い出しました。
終戦70周年を記念したドラマと70年代に公開された娯楽映画を比べてどうするんだという話ですが、思い出したんだから仕方がありません。
ドラマが終わった後、登場人物のモデル(というか本人)となった豊子さんと幸子さんがイベントに出られたシーンがありました。ともに80代でありますが、お元気そうで何よりです。
死ぬような目に遭っても、ある意味死ぬよりもつらい世界を生きることになっても、命ある限り明日はやってくる。私たちはそれを生きなければいけない。ふたつの広島を舞台にした映画を通じて、私はそんなことを思いました。
『この世界の片隅に』を見に行ったのは、主演声優としてのん(能年玲奈)が出ているからです。わざわざ岩手までやってきて、「第二の故郷です」と言ってくれるのんのために、よし見に行ってやるかと言うのが動機。戦前~戦後にかけての広島が舞台だと言うことは、全然知らなかったわけではありませんが、それが目的ではありませんでした。
ただ、目的ではありませんでしたが、興味が無いわけではありません。高校の修学旅行とその後に1回、計2回広島に行ったことがあります。原爆ドームも見たし資料館も見ました。さらに言えば高校の文化祭で原爆の被害に関する企画展をやりました。70年前の8月6日に投下されたアレがもたらした物的人的被害のすさまじさは、十分に知っています。
だから、この物語もすごく良かったです。涙があふれるという感じではなく、じわわ~んと心に染み入る感じで。それは主人公のすずが、常に「当たり前の日常を、当たり前に生きる」ことを願って生きていたからでしょうね。
自分でも子どもの頃から「ボーッとしていて……」と言い、いつもマイペースで行動し周囲の人たちをあきれさせていたすず。そこに戦争が割り込み、彼女と彼女が嫁いだ家族たちが住まう呉市にも爆弾が落ちます。そして迎える8月6日――。
1981年生まれの私は、リアルタイムに戦争を知っている世代ではありません。私にとって戦争は70年前の『歴史』です。だから8月6日に広島に新型爆弾が投下されることも知っているし、8月15日に戦争が終結することも知っています。心のどこかではその前提でスクリーンを眺めているので、余計に胸が苦しくなることがありました。
そういった感情がポンと解き放たれたのが、多分8月15日なんだろうな、と。
戦争が終わった。日本は負けた。私としては、ただそれだけなんですが、果たしてリアルタイムにその時代を生きていた人はどう感じたのでしょう。
映画の中での8月15日のシーンを思い返すたび、その日を迎えたすずを思い返すたび、色々な感情がわきあがってきて、それを整理するのが大変です。このブログも、気持ちを整理する目的で書いています。
この映画は、多くの人たちの寄付、いわゆるクラウドファウンディングってやつですか? 何やらそれでようよう完成した映画だそうです。メインの舞台が広島市ではなく呉市なので? 投下直後の街の様子とか、そういう『はだしのゲン』的な描写はありません。それをリアルでないという人もいるでしょうが、私から言わせれば「そんなのどうでもいいんだ」という感じです。これは目で見て知る映画ではなく心で感じる映画だから。
戦争があろうと無かろうと、何を失おうと、生きている限り明日はやってくる。私たちはその日々を生きていかなければいけない。そういう、当たり前のことを当たり前に生きるすずに、そのキャラクタのイメージに日本でもっとも合致するのんに、すっかり感じ入ってしまったいぬがみでした。よし、何とかまとまったかな?
ただ、目的ではありませんでしたが、興味が無いわけではありません。高校の修学旅行とその後に1回、計2回広島に行ったことがあります。原爆ドームも見たし資料館も見ました。さらに言えば高校の文化祭で原爆の被害に関する企画展をやりました。70年前の8月6日に投下されたアレがもたらした物的人的被害のすさまじさは、十分に知っています。
だから、この物語もすごく良かったです。涙があふれるという感じではなく、じわわ~んと心に染み入る感じで。それは主人公のすずが、常に「当たり前の日常を、当たり前に生きる」ことを願って生きていたからでしょうね。
自分でも子どもの頃から「ボーッとしていて……」と言い、いつもマイペースで行動し周囲の人たちをあきれさせていたすず。そこに戦争が割り込み、彼女と彼女が嫁いだ家族たちが住まう呉市にも爆弾が落ちます。そして迎える8月6日――。
1981年生まれの私は、リアルタイムに戦争を知っている世代ではありません。私にとって戦争は70年前の『歴史』です。だから8月6日に広島に新型爆弾が投下されることも知っているし、8月15日に戦争が終結することも知っています。心のどこかではその前提でスクリーンを眺めているので、余計に胸が苦しくなることがありました。
そういった感情がポンと解き放たれたのが、多分8月15日なんだろうな、と。
戦争が終わった。日本は負けた。私としては、ただそれだけなんですが、果たしてリアルタイムにその時代を生きていた人はどう感じたのでしょう。
映画の中での8月15日のシーンを思い返すたび、その日を迎えたすずを思い返すたび、色々な感情がわきあがってきて、それを整理するのが大変です。このブログも、気持ちを整理する目的で書いています。
この映画は、多くの人たちの寄付、いわゆるクラウドファウンディングってやつですか? 何やらそれでようよう完成した映画だそうです。メインの舞台が広島市ではなく呉市なので? 投下直後の街の様子とか、そういう『はだしのゲン』的な描写はありません。それをリアルでないという人もいるでしょうが、私から言わせれば「そんなのどうでもいいんだ」という感じです。これは目で見て知る映画ではなく心で感じる映画だから。
戦争があろうと無かろうと、何を失おうと、生きている限り明日はやってくる。私たちはその日々を生きていかなければいけない。そういう、当たり前のことを当たり前に生きるすずに、そのキャラクタのイメージに日本でもっとも合致するのんに、すっかり感じ入ってしまったいぬがみでした。よし、何とかまとまったかな?
「この世界の片隅で」をレイトショーで見てきました。
ずっと前に録画していたNHKの戦後70年スペシャルドラマ「一番電車が走った」を見ました。
酒をのみまくりました。
無条件降伏です。
私は全てを受け入れます。
世界平和に花束を。ダスビダーニャ、スネゴバ!
ずっと前に録画していたNHKの戦後70年スペシャルドラマ「一番電車が走った」を見ました。
酒をのみまくりました。
無条件降伏です。
私は全てを受け入れます。
世界平和に花束を。ダスビダーニャ、スネゴバ!
おはようございます。
今度こそ久しぶりの2連休
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今は花巻ホテルに出張中)。
仕事のほうは相変わらず23時24時までの勤務ですが、それに関しては何も言いません。仕事に関して感じたことは、非公開ローカルファイルとして保存しているテキスト、あるいは手書きのメモ帳にすべて書いているからです。
だからこそ、こっちのブログのほうは少々おろそかになってしまったのですが、だからこそ。こっちでは思い切り趣味の話をしたいと思います。そう写真です。
といっても、まだαスイートの中に撮りきれていないフィルムが残っているので、α―7+AF24-105mmF3.5-4.5(D)のミノルタ時代最後のミレニアム標準セットでの撮影行は実施できないのですが。
もっとも、「とりあえず」ハードオフのジャンク品コーナーで540円で買った適当なレンズで撮影したものはあります。ちょうどその日は盛岡城址公園(別名:岩手公園)でイベントがあり、誰かの食べ残した焼き魚をもさもさ食べている黒猫がいたので、それを15枚くらいね。
久々のAF撮影だったので、基本的にカメラのピントが合ったらバシバシ撮りました。そうやって仕上がったところ・・・・・・あれれ? なんかピンボケ気味の写真ばかりだ!? おいおい、やっぱり雑にぶっ転がっていたジャンクレンズじゃこんなものか? それともやっぱり機械任せじゃダメなのかな? とかと、いつものようにカメラのせいにしようとする責任転嫁野郎の私。
いや、もちろんカメラは機械的にきちんと判断してるでしょうから、最終的にシャッターを切る私の判断ミスであることは言うまでもありません。ピントが合っているのは間違いないのでしょうが、「どこにピントを合わせるのか」がダメだったんでしょうね。
たとえばゲーム機・・・・
ゲーム機はソフトを映す機械(ハード)だよナ
ソフト次第でAにもBにもなれる・・・・
パソコンもそうだろ ソフトあってのハードだ
ソフトがなければただの箱だ
でもカメラは違うだろ やっぱり・・
いくらCPU制御が進んでいっても 結局ソレはサポートだろう?
カメラを動かすソフトは ドコまでいっても撮り手じゃないのか・・
今も昔も そしてこれからも
撮り手次第だろう・・
(湾岸ミッドナイト32巻収録 「CALL(指名)」よりコピペ改変)
*
そんな中αスイート発売当時に日本カメラ社から刊行された「α-sweet写真入門」という本で、写真日記の薦める記事がありました。日常生活の中でふと気にとまった光景をパチリ。他人からしてみれば他愛のない、「なんじゃこりゃ」と超~テンションの低いジーパン刑事のようなリアクションをされるような写真でもいいんだ、数年後に自分が後で見返して「ああ、そういえばこんなんだったっけ」と思えればいいんだって。そういうことをおっしゃっているんですね。
すなわち「感じたままに写す」。
今でこそスマートフォンで手軽に撮影できるから、私もやっているのですが、これをフィルム時代にやっていたら、結構コストが大変だろうなと思いました。あるいは1998年当時であれば、私もフィルムは部の備品をほぼ無限に利用できたので、そういうのも気楽にできたかもしれませんが。
別に誰かに言われたからやっているわけではありませんが、そう、写真はそこまで構えなくてもいいんです。まずは気軽に、感じたままに撮る。それでいいんです、きっと。そうしているうちに自分で「もっと上手に写真を撮りたいな」と思うでしょうから。そうすれば、いわゆる写真入門書に書かれているような理論もフムフムと消化できるでしょうから。
ここまで来るのに随分と時間がかかりましたが、ようやく少しずつ写真が楽しめるようになってきた。そんな今日この頃です。
今度こそ久しぶりの2連休
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今は花巻ホテルに出張中)。
仕事のほうは相変わらず23時24時までの勤務ですが、それに関しては何も言いません。仕事に関して感じたことは、非公開ローカルファイルとして保存しているテキスト、あるいは手書きのメモ帳にすべて書いているからです。
だからこそ、こっちのブログのほうは少々おろそかになってしまったのですが、だからこそ。こっちでは思い切り趣味の話をしたいと思います。そう写真です。
といっても、まだαスイートの中に撮りきれていないフィルムが残っているので、α―7+AF24-105mmF3.5-4.5(D)のミノルタ時代最後のミレニアム標準セットでの撮影行は実施できないのですが。
もっとも、「とりあえず」ハードオフのジャンク品コーナーで540円で買った適当なレンズで撮影したものはあります。ちょうどその日は盛岡城址公園(別名:岩手公園)でイベントがあり、誰かの食べ残した焼き魚をもさもさ食べている黒猫がいたので、それを15枚くらいね。
久々のAF撮影だったので、基本的にカメラのピントが合ったらバシバシ撮りました。そうやって仕上がったところ・・・・・・あれれ? なんかピンボケ気味の写真ばかりだ!? おいおい、やっぱり雑にぶっ転がっていたジャンクレンズじゃこんなものか? それともやっぱり機械任せじゃダメなのかな? とかと、いつものようにカメラのせいにしようとする責任転嫁野郎の私。
いや、もちろんカメラは機械的にきちんと判断してるでしょうから、最終的にシャッターを切る私の判断ミスであることは言うまでもありません。ピントが合っているのは間違いないのでしょうが、「どこにピントを合わせるのか」がダメだったんでしょうね。
たとえばゲーム機・・・・
ゲーム機はソフトを映す機械(ハード)だよナ
ソフト次第でAにもBにもなれる・・・・
パソコンもそうだろ ソフトあってのハードだ
ソフトがなければただの箱だ
でもカメラは違うだろ やっぱり・・
いくらCPU制御が進んでいっても 結局ソレはサポートだろう?
カメラを動かすソフトは ドコまでいっても撮り手じゃないのか・・
今も昔も そしてこれからも
撮り手次第だろう・・
(湾岸ミッドナイト32巻収録 「CALL(指名)」よりコピペ改変)
*
そんな中αスイート発売当時に日本カメラ社から刊行された「α-sweet写真入門」という本で、写真日記の薦める記事がありました。日常生活の中でふと気にとまった光景をパチリ。他人からしてみれば他愛のない、「なんじゃこりゃ」と超~テンションの低いジーパン刑事のようなリアクションをされるような写真でもいいんだ、数年後に自分が後で見返して「ああ、そういえばこんなんだったっけ」と思えればいいんだって。そういうことをおっしゃっているんですね。
すなわち「感じたままに写す」。
今でこそスマートフォンで手軽に撮影できるから、私もやっているのですが、これをフィルム時代にやっていたら、結構コストが大変だろうなと思いました。あるいは1998年当時であれば、私もフィルムは部の備品をほぼ無限に利用できたので、そういうのも気楽にできたかもしれませんが。
別に誰かに言われたからやっているわけではありませんが、そう、写真はそこまで構えなくてもいいんです。まずは気軽に、感じたままに撮る。それでいいんです、きっと。そうしているうちに自分で「もっと上手に写真を撮りたいな」と思うでしょうから。そうすれば、いわゆる写真入門書に書かれているような理論もフムフムと消化できるでしょうから。
ここまで来るのに随分と時間がかかりましたが、ようやく少しずつ写真が楽しめるようになってきた。そんな今日この頃です。
おはようございます。
朝9時出勤→24時30分過ぎ退勤
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は休み)。
現在は旧職場である花巻市内のホテルにて仕事をしています。物理的な拘束時間がどうこうというよりも、まあ、その・・・いや、いいや。悪いことは言いません。
最近は写真を趣味として周りの人に言えるくらいのレベルまで引き上げたいと思い、オフのときにどこかへ出かける際は、ちゃんとカメラを持ち歩くようにしています。
随分前の話ではありますが、青森県立美術館で沢田教一さんの写真展を見てきたことも、要因のひとつだと思います。さすがにライカM3を買い入れるような無茶はしませんが、私の愛機であるペンタックスSPが、いっそういとおしく思えるようになって来ました。一度フィルム巻上げレバーが動かなくなりましたが、盛岡市内にあるカメラ店で修理をしてもらい、もう一度現役復帰しましたし。
それに加えて、前々から憧れていたミノルタ銀塩一眼レフの極致『α-7』を購入。ヤフオクで当時の標準レンズであるAF24-105mmF3.5-4.5(D)まで手に入れてしまって、もう一台の愛機として生かすことに。プロの写真家でさえデジイチを使う時代に銀塩AF一眼レフを使う意味ってあるの? と言われそうな気がしますが、そういう部分を探すためにも、私は使い続けようと思います。
あとはペンタックスSP用の『アトムレンズ』・・・かな。こないだハードオフで買ったSMCタクマー50mmF1.4は、黄変がないから多分非アトムレンズでしょうし。どういう画像が映るかはF値とかによって決まるので、コレクターでもない私がわざわざ同じミリ数同じF値のレンズをもう一本買い入れる必要はないような気がしますが、一応・・・ね。
※ それを使ってどんな写真が撮られたかはさておきね。
朝9時出勤→24時30分過ぎ退勤
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は休み)。
現在は旧職場である花巻市内のホテルにて仕事をしています。物理的な拘束時間がどうこうというよりも、まあ、その・・・いや、いいや。悪いことは言いません。
最近は写真を趣味として周りの人に言えるくらいのレベルまで引き上げたいと思い、オフのときにどこかへ出かける際は、ちゃんとカメラを持ち歩くようにしています。
随分前の話ではありますが、青森県立美術館で沢田教一さんの写真展を見てきたことも、要因のひとつだと思います。さすがにライカM3を買い入れるような無茶はしませんが、私の愛機であるペンタックスSPが、いっそういとおしく思えるようになって来ました。一度フィルム巻上げレバーが動かなくなりましたが、盛岡市内にあるカメラ店で修理をしてもらい、もう一度現役復帰しましたし。
それに加えて、前々から憧れていたミノルタ銀塩一眼レフの極致『α-7』を購入。ヤフオクで当時の標準レンズであるAF24-105mmF3.5-4.5(D)まで手に入れてしまって、もう一台の愛機として生かすことに。プロの写真家でさえデジイチを使う時代に銀塩AF一眼レフを使う意味ってあるの? と言われそうな気がしますが、そういう部分を探すためにも、私は使い続けようと思います。
あとはペンタックスSP用の『アトムレンズ』・・・かな。こないだハードオフで買ったSMCタクマー50mmF1.4は、黄変がないから多分非アトムレンズでしょうし。どういう画像が映るかはF値とかによって決まるので、コレクターでもない私がわざわざ同じミリ数同じF値のレンズをもう一本買い入れる必要はないような気がしますが、一応・・・ね。
※ それを使ってどんな写真が撮られたかはさておきね。
こんばんは。
明日は17連勤明けの休日
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(あさっては朝6時出勤)。
おかげさまで我がホテルは超・大勢のお客様にご来店いただき、忙しいと言う字は小さくなって亡くなると書くのだということを身をもって知った次第です。この後は冬の寒さが身にしみる閑散期に入るので、さしずめこの超絶繁忙期は冬を越すための支度と言ったところです。とにかくお客さんが来てくれることは、とにかくありがたいことです。
・・・ただ、今日、遠路はるばる十和田までやってくる人たちが何を見ているのか? それを見極めるために帰りがてら奥入瀬~十和田湖のゴールデンルートを自ら見てみました。そうしたところ、もう晩秋の装いと言うか、ベストシーズンは過ぎてしまいましたが、確かにすばらしい景色でした。
こと十和田湖畔と言うのは、たぶんに昭和の雰囲気が色濃く残る観光地であると思います。
謎のファンシーイラストで彩られた湯のみ、『十和田』という文字が入っただけのクッキー、そして昭和なお土産のド定番として逆にもてはやされている? ペナント・・・。
と、その程度でも私のアナクロ的な(あるいはVOW的、みうらじゅん的な)感覚をワクワクさせてくれるのですが、私がこの十和田湖畔の土産物屋を愛してやまない決定的なポイントは、どういう購買層を見込んで取り扱っているのかわからないグッズが、どのお店にもチラホラ見えること。
『ドキドキ!プリキュア』のシステム手帳があるのは、まだわかります。小さい女の子が、別に十和田湖とは何の関係がないにしても、プリキュアだから欲しい! と手を伸ばすことを想定してでしょう。私自身そういう観光地のおもちゃが大好きな子どもだったので、よく理解できます。
また郷土の昔話をたくさん収録した本も、ある意味地方色がある(?)ので、みやげ物としてはギリギリ成立するでしょう。
ただよ、ただだ! (真壁さんの物まねで)
どうしてはるばる十和田湖まで来て、一般の人が自分の家で買っているウサギの写真を撮りためた写真集を買わなければいけないのか。可愛いのは可愛いですけど、『ピンボケ写真集』とかって表紙に堂々とうたっている本を買わなければいけないのか。店頭で思わずのけぞってしまいました。
誰が買うんだよ! 私が買います。
おそらく30年以上(昭和61年刊行)十和田湖の季節の移り変わりを見届けてきたであろうその本。想像通り誰も買うことなく、すっかり表紙が色あせてしまったその一冊。ここまで来れば、ある意味『十和田湖の土産物屋に行った記念』として成立するでしょう。というわけで買ってきた次第です。
しかしながら、今この記事を書いているのは岩手の実家で、その本は十和田の社員寮にあるので、写真はまた後日アップロードしたいと思います。
明日は17連勤明けの休日
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(あさっては朝6時出勤)。
おかげさまで我がホテルは超・大勢のお客様にご来店いただき、忙しいと言う字は小さくなって亡くなると書くのだということを身をもって知った次第です。この後は冬の寒さが身にしみる閑散期に入るので、さしずめこの超絶繁忙期は冬を越すための支度と言ったところです。とにかくお客さんが来てくれることは、とにかくありがたいことです。
・・・ただ、今日、遠路はるばる十和田までやってくる人たちが何を見ているのか? それを見極めるために帰りがてら奥入瀬~十和田湖のゴールデンルートを自ら見てみました。そうしたところ、もう晩秋の装いと言うか、ベストシーズンは過ぎてしまいましたが、確かにすばらしい景色でした。
こと十和田湖畔と言うのは、たぶんに昭和の雰囲気が色濃く残る観光地であると思います。
謎のファンシーイラストで彩られた湯のみ、『十和田』という文字が入っただけのクッキー、そして昭和なお土産のド定番として逆にもてはやされている? ペナント・・・。
と、その程度でも私のアナクロ的な(あるいはVOW的、みうらじゅん的な)感覚をワクワクさせてくれるのですが、私がこの十和田湖畔の土産物屋を愛してやまない決定的なポイントは、どういう購買層を見込んで取り扱っているのかわからないグッズが、どのお店にもチラホラ見えること。
『ドキドキ!プリキュア』のシステム手帳があるのは、まだわかります。小さい女の子が、別に十和田湖とは何の関係がないにしても、プリキュアだから欲しい! と手を伸ばすことを想定してでしょう。私自身そういう観光地のおもちゃが大好きな子どもだったので、よく理解できます。
また郷土の昔話をたくさん収録した本も、ある意味地方色がある(?)ので、みやげ物としてはギリギリ成立するでしょう。
ただよ、ただだ! (真壁さんの物まねで)
どうしてはるばる十和田湖まで来て、一般の人が自分の家で買っているウサギの写真を撮りためた写真集を買わなければいけないのか。可愛いのは可愛いですけど、『ピンボケ写真集』とかって表紙に堂々とうたっている本を買わなければいけないのか。店頭で思わずのけぞってしまいました。
誰が買うんだよ! 私が買います。
おそらく30年以上(昭和61年刊行)十和田湖の季節の移り変わりを見届けてきたであろうその本。想像通り誰も買うことなく、すっかり表紙が色あせてしまったその一冊。ここまで来れば、ある意味『十和田湖の土産物屋に行った記念』として成立するでしょう。というわけで買ってきた次第です。
しかしながら、今この記事を書いているのは岩手の実家で、その本は十和田の社員寮にあるので、写真はまた後日アップロードしたいと思います。
こんばんは。
「君の名は。」を見てきた。という話の続きです。
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(絶賛連勤中)。
まあ、見終わった直後は色々と書きました。感じるところはあるけれど、なかなか共感しづらい。それが率直な感想でした。
でも、時間をかけてその感情を撫でまわしているうちに、少しずつ気持ちが変わってきました。小林秀雄的な感覚で言えば、時間が経つことによって「余計な思いをさせない」ということかもしれません。
そう、よい意味で忘れること、さらには様々な雑音に惑わされないことが、時間をかけることによって少しずつできてきたのです。
実際、映画を見た後、私の仕事に磨きがかかりました。ちょっとネタバレになってしまうようで申し訳ありませんが、私もレストランで仕事をするいち社会人として、書かせていただきます。
主人公がアルバイトとして、とある飲食店(イタリアンかな)で働くシーンがありました。ある事情により色々と失敗――周りの人間からすれば、普段はできているのに今日はどうしてできないの? と思ってしまうくらいトンチンカンなこと――をしてしまうのですが、物語の中ではそれにもくじけず全力で頑張ります。そして、その頑張りが周りの人の心を動かしていく……というシーンがあります。
たぶん、それを見たからなのかな。私もまた、毎日の仕事にものすごく心のハリをもって取り組んでいます。その代償として、仕事が終わる直前には桃色吐息……じゃなくて青息吐息なんですが、自分をそこまで追い込み、そこまで頑張れるのは、きっと映画で目の当たりにした主人公の少年少女たちのおかげなんだろうと思います。
自分はもう若くない。彼らと同じようにするべきではない。それはわかっているものの、彼ら彼女らのような気持ちの良い熱さを私も持ちたい――そう思って、実際に仕事に生かしています。
私が私自身で考える良いところに、「物事を自分の都合のいいように解釈し、これを取り込む」ことがあると思います。これは元をたどれば『餓狼伝』なんですけどね。どんな思いでも、それでパンチが1グラムでも重くなるのなら、何でもいいんだって。
昨日食べたラーメンがうまかったこと。あいつを憎いと思ったこと。「君の名は。」を見て感じたこと。大勢のお客さんの前で思いっきり胸を張ってしゃべったこと。仕事が終わった後にのんだビールがおいしかったこと。その適度に酔っぱらった頭で彼ら彼女らのことを考えた時に、とてもいとおしい気持ちが沸き上がったこと。何でもいいんです。
まあ、私は明日5時起き6時出勤の日なので、そろそろ寝ますが…「君の名は。」のこと、もう少し時間が経つと、もっとちゃんと書けるようになると思います。それでは、また。
「君の名は。」を見てきた。という話の続きです。
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(絶賛連勤中)。
まあ、見終わった直後は色々と書きました。感じるところはあるけれど、なかなか共感しづらい。それが率直な感想でした。
でも、時間をかけてその感情を撫でまわしているうちに、少しずつ気持ちが変わってきました。小林秀雄的な感覚で言えば、時間が経つことによって「余計な思いをさせない」ということかもしれません。
そう、よい意味で忘れること、さらには様々な雑音に惑わされないことが、時間をかけることによって少しずつできてきたのです。
実際、映画を見た後、私の仕事に磨きがかかりました。ちょっとネタバレになってしまうようで申し訳ありませんが、私もレストランで仕事をするいち社会人として、書かせていただきます。
主人公がアルバイトとして、とある飲食店(イタリアンかな)で働くシーンがありました。ある事情により色々と失敗――周りの人間からすれば、普段はできているのに今日はどうしてできないの? と思ってしまうくらいトンチンカンなこと――をしてしまうのですが、物語の中ではそれにもくじけず全力で頑張ります。そして、その頑張りが周りの人の心を動かしていく……というシーンがあります。
たぶん、それを見たからなのかな。私もまた、毎日の仕事にものすごく心のハリをもって取り組んでいます。その代償として、仕事が終わる直前には桃色吐息……じゃなくて青息吐息なんですが、自分をそこまで追い込み、そこまで頑張れるのは、きっと映画で目の当たりにした主人公の少年少女たちのおかげなんだろうと思います。
自分はもう若くない。彼らと同じようにするべきではない。それはわかっているものの、彼ら彼女らのような気持ちの良い熱さを私も持ちたい――そう思って、実際に仕事に生かしています。
私が私自身で考える良いところに、「物事を自分の都合のいいように解釈し、これを取り込む」ことがあると思います。これは元をたどれば『餓狼伝』なんですけどね。どんな思いでも、それでパンチが1グラムでも重くなるのなら、何でもいいんだって。
昨日食べたラーメンがうまかったこと。あいつを憎いと思ったこと。「君の名は。」を見て感じたこと。大勢のお客さんの前で思いっきり胸を張ってしゃべったこと。仕事が終わった後にのんだビールがおいしかったこと。その適度に酔っぱらった頭で彼ら彼女らのことを考えた時に、とてもいとおしい気持ちが沸き上がったこと。何でもいいんです。
まあ、私は明日5時起き6時出勤の日なので、そろそろ寝ますが…「君の名は。」のこと、もう少し時間が経つと、もっとちゃんと書けるようになると思います。それでは、また。
『君の名は。』を見てきました。
参ってしまいました。
『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。
こないだ「シン・ゴジラ」を見た時も結構感動したんですが、これはまた別な意味でね。やられてしまいました。何のケチをつけようもないし、むしろケチをつけようとする人がいたら私の意識から疎外させます。批判糾弾は一切不要です。
新海誠監督の映画は、じつは2007年にNHKで放送されたショートアニメ『猫の集会』くらいしか、見たことがなかったんですよね。と言って別に避けていたわけではなく、たまたまね。
一応、これはあらすじではなく素直な感想として、「すげえなあ」と。
それと同時に、悔しくてたまりませんでした。
これほどの映画を見て泣けないことに。感情が理性の堤防を越えて、叫びだしたくなるのを抑えて涙を流すことができないことに。
どうしてなのかはわかります。
それはきっと、私がもう歳を取りすぎたからなんだと思います。
あらすじに関しては、主人公およびヒロインが17歳の高校生であること以外には申し上げません。あとは予告編を見るなり本編を見るなりして、その世界に入っていただければいいと思います。
そして、ここなんですよね。主人公たちが17歳。それも、とても一生懸命な17歳。それを見ている私は35歳。もちろん仕事には一生懸命だけど、彼らほど熱くなれない35歳。
どちらかというと、そういう若い主人公たちをサポートしてあげる側の人間です。そうであるべきだと、35歳の私は考えます。だから彼らに自分を完全に重ね合わせる(=感情をシンクロさせる)ことができなかったのです。
彼らの熱さは、見ていてとても気持ちのいいものです。日々の生活や恋愛に一生懸命になる姿はとても気持ちのいいものです。
でも、映画の中に自分が入ったとしても、彼らの肩を抱いて「よし一緒にやろうぜ!」とは言えないんですよね。もう私は彼らの倍ほども歳がいってしまっているので。
だからあくまでもスクリーンの外側から、「よし、頑張れよ」と応援するしかありませんでした。彼らのなそうとしていることが何とか実現してくれるよう願うことしかできませんでした。
それが、きっと、悔しさの理由なんだと思います。
内容を思い出すたびに、そこに入っていけない自分が悔しい。だけど、このまま内容を忘れてしまうこと、そのうち思い出すことができなくなってしまうことは、きっと苦しい。
だから、今の感情をできるだけ丁寧に書き出してみました。
「君の名は。」すごい作品です。ただただ私は感動しました。レイトショーだったのですが、とにかく見ることができて良かったと思います。こういう映画を見ると、私はいつも水野晴郎さんの物まねで「いや~映画って本当にいいもんですね~」と言ってしまいます。
参ってしまいました。
『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです。
こないだ「シン・ゴジラ」を見た時も結構感動したんですが、これはまた別な意味でね。やられてしまいました。何のケチをつけようもないし、むしろケチをつけようとする人がいたら私の意識から疎外させます。批判糾弾は一切不要です。
新海誠監督の映画は、じつは2007年にNHKで放送されたショートアニメ『猫の集会』くらいしか、見たことがなかったんですよね。と言って別に避けていたわけではなく、たまたまね。
一応、これはあらすじではなく素直な感想として、「すげえなあ」と。
それと同時に、悔しくてたまりませんでした。
これほどの映画を見て泣けないことに。感情が理性の堤防を越えて、叫びだしたくなるのを抑えて涙を流すことができないことに。
どうしてなのかはわかります。
それはきっと、私がもう歳を取りすぎたからなんだと思います。
あらすじに関しては、主人公およびヒロインが17歳の高校生であること以外には申し上げません。あとは予告編を見るなり本編を見るなりして、その世界に入っていただければいいと思います。
そして、ここなんですよね。主人公たちが17歳。それも、とても一生懸命な17歳。それを見ている私は35歳。もちろん仕事には一生懸命だけど、彼らほど熱くなれない35歳。
どちらかというと、そういう若い主人公たちをサポートしてあげる側の人間です。そうであるべきだと、35歳の私は考えます。だから彼らに自分を完全に重ね合わせる(=感情をシンクロさせる)ことができなかったのです。
彼らの熱さは、見ていてとても気持ちのいいものです。日々の生活や恋愛に一生懸命になる姿はとても気持ちのいいものです。
でも、映画の中に自分が入ったとしても、彼らの肩を抱いて「よし一緒にやろうぜ!」とは言えないんですよね。もう私は彼らの倍ほども歳がいってしまっているので。
だからあくまでもスクリーンの外側から、「よし、頑張れよ」と応援するしかありませんでした。彼らのなそうとしていることが何とか実現してくれるよう願うことしかできませんでした。
それが、きっと、悔しさの理由なんだと思います。
内容を思い出すたびに、そこに入っていけない自分が悔しい。だけど、このまま内容を忘れてしまうこと、そのうち思い出すことができなくなってしまうことは、きっと苦しい。
だから、今の感情をできるだけ丁寧に書き出してみました。
「君の名は。」すごい作品です。ただただ私は感動しました。レイトショーだったのですが、とにかく見ることができて良かったと思います。こういう映画を見ると、私はいつも水野晴郎さんの物まねで「いや~映画って本当にいいもんですね~」と言ってしまいます。
おはようございます。
今日は日曜日、そして仕事が休み
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(なんかフツーの社会人みたい)。
前回のエントリで、閉店セールをやっていた文房具店でアレコレ買った…という話をしましたが、今日はその続きです。
ずっと使い続けられるものを、と思って買ったわけですが、調べてみるとペン類に関しては絶版商品のようです。まあカリグラフィペン(XJMC08-A)の方は型番を打ち込もうと何をしようと情報が全然出てこないので仕方がありませんが、もう一方の超極細ボールペン「ウルトラファイン」の方もね。
あれこれ調べてみたところ、平成12年に発売された代物のようです(当時のニュースリリース記事より)。なんと20世紀のペンでしたか。それじゃあ廃番・在庫なしも致し方ありません。
そして替え芯の方も2015年をもって生産終了。もったいなくて使えない→引き続きデッドストックとなるのか。「道具は使われてこそ真価がある」という理念があるのですが、それは本当に半永久的に使える見込みがあればこそ。他社製品を無理やり使う手も、ないわけではないようですが、三菱鉛筆さんとしては、他社製品の流用をあまり推奨していないようです。
だったらどうすればいいんだよ~! とお客様相談室に早朝7時に電話しようと思ったのですが、電話をする前にFAQを検索するのが大人の流儀。そこで詳しく調べてみると、ああなるほど、ちゃんと後継品があるんですよ。
替芯や補充インクの後継品を知りたい
まさかボールペンの替え芯のことでウチのブログにたどり着く方はいないと思いますが、一応、情報として書いておきます。三菱製超極細ボールペンSD-380「ULTRAFINE(ウルトラファイン)」の替え芯「S-38S」は、現在「S-7S」という品番のものが後継品として生産されています。
元々私はボールペンというやつは「使い捨て」のイメージがありました。書けなくなったらそれで終わり。そんな感じ。1本200円だろうと400円だろうと、使い切りのものだと思っていたので、あえて万年筆というやつを買い求めた経緯があります。
でも、こうやって替え芯システムをメーカーの方でも設けていて、しかも1990年代に生産終了したものについても「後継品はこういうのですよ」とアナウンスしてくれていて。これであれば、まあこの先も困ることはないでしょう。
それにしても、文具の世界というのは面白いですね。私も時々盛岡の丸善に行って綺麗な万年筆や財布。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがありました。そして結局レモンを置いて気詰まりな丸善を粉葉みじんにする奇怪な悪漢を気取りつつ、一等いい鉛筆を一本買って帰ることがありました。
って、そんな梶井基次郎のような繊細かつユーモラスなことは(憧れこそすれ)しませんが、丸善の代わりに個人経営の小さな文房具店にふらりと足を運び、そこでまた何か珍しい、もう10年も15年もそこにいるような何かを拾い上げて連れて帰りたい。そんなことを思いました。今日は休日だし、どこか、そういうものを探してみようかしら。
今日は日曜日、そして仕事が休み
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(なんかフツーの社会人みたい)。
前回のエントリで、閉店セールをやっていた文房具店でアレコレ買った…という話をしましたが、今日はその続きです。
ずっと使い続けられるものを、と思って買ったわけですが、調べてみるとペン類に関しては絶版商品のようです。まあカリグラフィペン(XJMC08-A)の方は型番を打ち込もうと何をしようと情報が全然出てこないので仕方がありませんが、もう一方の超極細ボールペン「ウルトラファイン」の方もね。
あれこれ調べてみたところ、平成12年に発売された代物のようです(当時のニュースリリース記事より)。なんと20世紀のペンでしたか。それじゃあ廃番・在庫なしも致し方ありません。
そして替え芯の方も2015年をもって生産終了。もったいなくて使えない→引き続きデッドストックとなるのか。「道具は使われてこそ真価がある」という理念があるのですが、それは本当に半永久的に使える見込みがあればこそ。他社製品を無理やり使う手も、ないわけではないようですが、三菱鉛筆さんとしては、他社製品の流用をあまり推奨していないようです。
だったらどうすればいいんだよ~! とお客様相談室に早朝7時に電話しようと思ったのですが、電話をする前にFAQを検索するのが大人の流儀。そこで詳しく調べてみると、ああなるほど、ちゃんと後継品があるんですよ。
替芯や補充インクの後継品を知りたい
まさかボールペンの替え芯のことでウチのブログにたどり着く方はいないと思いますが、一応、情報として書いておきます。三菱製超極細ボールペンSD-380「ULTRAFINE(ウルトラファイン)」の替え芯「S-38S」は、現在「S-7S」という品番のものが後継品として生産されています。
元々私はボールペンというやつは「使い捨て」のイメージがありました。書けなくなったらそれで終わり。そんな感じ。1本200円だろうと400円だろうと、使い切りのものだと思っていたので、あえて万年筆というやつを買い求めた経緯があります。
でも、こうやって替え芯システムをメーカーの方でも設けていて、しかも1990年代に生産終了したものについても「後継品はこういうのですよ」とアナウンスしてくれていて。これであれば、まあこの先も困ることはないでしょう。
それにしても、文具の世界というのは面白いですね。私も時々盛岡の丸善に行って綺麗な万年筆や財布。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜。煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがありました。そして結局レモンを置いて気詰まりな丸善を粉葉みじんにする奇怪な悪漢を気取りつつ、一等いい鉛筆を一本買って帰ることがありました。
って、そんな梶井基次郎のような繊細かつユーモラスなことは(憧れこそすれ)しませんが、丸善の代わりに個人経営の小さな文房具店にふらりと足を運び、そこでまた何か珍しい、もう10年も15年もそこにいるような何かを拾い上げて連れて帰りたい。そんなことを思いました。今日は休日だし、どこか、そういうものを探してみようかしら。
こんばんは。
閉店間際に長蛇の列
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(日本人の性か)。
9月30日。今日は盛岡で半世紀以上にわたり市民に親しまれた「盛岡バスセンター」閉鎖の日です。そして私がいる十和田市内で37年間にわたり営業を続けた「ブックス北園」の閉店の日でもあります。
34年来ずっと岩手に生まれ育ち、十和田に来たのはほんの2年弱という私がこんなことを言うのも何なんですが、やはりこういう地域密着型の個人商店的なお店がつぶれるのはちょっと切ないです。確かにワンダーグーだのツタヤだのといった大型書店に雑誌やら何やらを買いに行くし、パソコンやスマホで大体のことを終わらせてしまう昨今、わざわざ鉛筆やノートを買い求めることもそれほどないのですが……。
…それでもこういうご時世にあって、私という人間は比較的アナログ的というか、いわゆる文房具というやつに愛着を持っている側の人間なんじゃないのかな、と思うのです。
財布やスマホなどを放り込んだ小さな肩下げのバッグには常にRollbahnのメモ帳とパイロットの万年筆があります。まあ万年筆は主に自宅で日記を書くときに使っていたので、あまり持ち歩くものじゃないのかな? とも思いますが…でも、まあね。やっぱり「万年」筆ですから。カートリッジさえ交換すれば永遠に使える代物ですし、使えば使うほどペン先がなじんで自分好みになるという話もありますから、私はそこにこだわっていきたいと思います。
店はなくなっても、そこで買ったものは残る。そういうことです。以下、買ったものリストです。
パイロット製デスクスタンド(DS-40):要はペン立てですね。ただ、100円均一のボールペンとかを差すにはもったいない感じがするので、万年筆を立てています。キャップを外して…。
レイメイ藤井製システム手帳:ついに買ってしまいました。今まではペーパーバックのメモ帳をあちこちで買い求めて使っていましたが、これはちょっとした代物です。いいものを長く使うことが大事ですよね。
三菱製超極細ボールペン「ウルトラファイン」:手帳用ボールペンということで、細かい文字がコツコツ書けるそうです。どうせならうんといいペンを買おうと思い、製図用シャープペンと最後まで迷った結果、実用性を考慮してこちらに。
ぺんてる製カリグラフィペン:これは掘り出し物です。「売れ残ったら私が使おうと思ってた」とお店の人に言われてしまいました。型番どころか、そういったペンがあったことさえ検索できないくらいの逸品です。正直もったいなくて使えません。そんなわけで後程詳しく書きます。
閉店間際に長蛇の列
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(日本人の性か)。
9月30日。今日は盛岡で半世紀以上にわたり市民に親しまれた「盛岡バスセンター」閉鎖の日です。そして私がいる十和田市内で37年間にわたり営業を続けた「ブックス北園」の閉店の日でもあります。
34年来ずっと岩手に生まれ育ち、十和田に来たのはほんの2年弱という私がこんなことを言うのも何なんですが、やはりこういう地域密着型の個人商店的なお店がつぶれるのはちょっと切ないです。確かにワンダーグーだのツタヤだのといった大型書店に雑誌やら何やらを買いに行くし、パソコンやスマホで大体のことを終わらせてしまう昨今、わざわざ鉛筆やノートを買い求めることもそれほどないのですが……。
…それでもこういうご時世にあって、私という人間は比較的アナログ的というか、いわゆる文房具というやつに愛着を持っている側の人間なんじゃないのかな、と思うのです。
財布やスマホなどを放り込んだ小さな肩下げのバッグには常にRollbahnのメモ帳とパイロットの万年筆があります。まあ万年筆は主に自宅で日記を書くときに使っていたので、あまり持ち歩くものじゃないのかな? とも思いますが…でも、まあね。やっぱり「万年」筆ですから。カートリッジさえ交換すれば永遠に使える代物ですし、使えば使うほどペン先がなじんで自分好みになるという話もありますから、私はそこにこだわっていきたいと思います。
店はなくなっても、そこで買ったものは残る。そういうことです。以下、買ったものリストです。
パイロット製デスクスタンド(DS-40):要はペン立てですね。ただ、100円均一のボールペンとかを差すにはもったいない感じがするので、万年筆を立てています。キャップを外して…。
レイメイ藤井製システム手帳:ついに買ってしまいました。今まではペーパーバックのメモ帳をあちこちで買い求めて使っていましたが、これはちょっとした代物です。いいものを長く使うことが大事ですよね。
三菱製超極細ボールペン「ウルトラファイン」:手帳用ボールペンということで、細かい文字がコツコツ書けるそうです。どうせならうんといいペンを買おうと思い、製図用シャープペンと最後まで迷った結果、実用性を考慮してこちらに。
ぺんてる製カリグラフィペン:これは掘り出し物です。「売れ残ったら私が使おうと思ってた」とお店の人に言われてしまいました。型番どころか、そういったペンがあったことさえ検索できないくらいの逸品です。正直もったいなくて使えません。そんなわけで後程詳しく書きます。
たくさん考えろ いろんなコトを
そして 自分のコトを
空はなぜ青いのか なぜあのコが好きか なんでもいい‥
人生は楽しい 考えるコトがたくさんある
(湾岸ミッドナイト 38巻)
おはようございます。いぬがみです。
今日は休みなんですが、PCを実家に持ち込んで色々と作業をしています。
さしあたって私に課せられた仕事は「朝食の時、料理につけるポップを作れ」ということ。そういうクリエイティブな仕事は今までやったことがないのですが、まあやれというのならやるしかありません。そんなわけでネット/ゲーム用PCとして使っていた私の愛機にオフィススイート(Openoffice)を導入し、アレコレとやっています。
まあ誰もがうなるようなポップを私が作れるわけはありません。ただ、とりあえず自分なりに考えて答えを出して、そのうえでああしろこうしろという叩き台を作ることはできるでしょう。そういう気持ちで、一応のものを出したいと思います。
あとは、これは課題というわけではありませんが、新しく来た人が仕事をする上で参考にする工程表というかマニュアルというか。オープン前にしなければいけない準備作業を一覧にしてまとめたいと思っています。
私はやはり、仕事をする上でマニュアルは必要だと思います。まず基本があって、そのうえで自分なりにやりやすいアレンジをする。今だからこそ私はそう考えていますが、初めてこの業界に飛び込んだ時は本当に大変でした。「わからないことは何でも聞け」そう言いますが、ある程度のイメージがないと、そもそも聞きようがありません。これまた、たたき台です。
ちなみに「たたき台」というのは、鍛冶屋さんがまだ熱せられて固まっていない鉄をハンマーのようなものでカーンカーンと叩くときに下地に使っている台のことらしいです。つまり、きちんとした形を作るためのベースを作るという意味合いです。
最近は本当に、仕事のことを考える時間が増えました。
夜中にパッと目が覚めて、新しいアイデアを思いついて寝付けなくなって…なんていうことも時々起こるようになりました。かつて芦原英幸先生(芦原会館創立者・故人)も、同じように夜中にパッと目を覚ましてロールペーパーにカタカタと打ち込み…ということがあったと自伝に書いておられました。レベルは天地ほどの差がありますが、そういうことなのかな。
珍しく、仕事の話に終始しました。まあ今日はそんな感じで、ある程度まとめたら気分転換にポケモンGOをやりにいきます。
「犬神のバカはどこだ!」
「ポケモンを探す旅に出るとか言って出ていきました!」
…秋本先生、お疲れさまでした。
そして 自分のコトを
空はなぜ青いのか なぜあのコが好きか なんでもいい‥
人生は楽しい 考えるコトがたくさんある
(湾岸ミッドナイト 38巻)
おはようございます。いぬがみです。
今日は休みなんですが、PCを実家に持ち込んで色々と作業をしています。
さしあたって私に課せられた仕事は「朝食の時、料理につけるポップを作れ」ということ。そういうクリエイティブな仕事は今までやったことがないのですが、まあやれというのならやるしかありません。そんなわけでネット/ゲーム用PCとして使っていた私の愛機にオフィススイート(Openoffice)を導入し、アレコレとやっています。
まあ誰もがうなるようなポップを私が作れるわけはありません。ただ、とりあえず自分なりに考えて答えを出して、そのうえでああしろこうしろという叩き台を作ることはできるでしょう。そういう気持ちで、一応のものを出したいと思います。
あとは、これは課題というわけではありませんが、新しく来た人が仕事をする上で参考にする工程表というかマニュアルというか。オープン前にしなければいけない準備作業を一覧にしてまとめたいと思っています。
私はやはり、仕事をする上でマニュアルは必要だと思います。まず基本があって、そのうえで自分なりにやりやすいアレンジをする。今だからこそ私はそう考えていますが、初めてこの業界に飛び込んだ時は本当に大変でした。「わからないことは何でも聞け」そう言いますが、ある程度のイメージがないと、そもそも聞きようがありません。これまた、たたき台です。
ちなみに「たたき台」というのは、鍛冶屋さんがまだ熱せられて固まっていない鉄をハンマーのようなものでカーンカーンと叩くときに下地に使っている台のことらしいです。つまり、きちんとした形を作るためのベースを作るという意味合いです。
最近は本当に、仕事のことを考える時間が増えました。
夜中にパッと目が覚めて、新しいアイデアを思いついて寝付けなくなって…なんていうことも時々起こるようになりました。かつて芦原英幸先生(芦原会館創立者・故人)も、同じように夜中にパッと目を覚ましてロールペーパーにカタカタと打ち込み…ということがあったと自伝に書いておられました。レベルは天地ほどの差がありますが、そういうことなのかな。
珍しく、仕事の話に終始しました。まあ今日はそんな感じで、ある程度まとめたら気分転換にポケモンGOをやりにいきます。
「犬神のバカはどこだ!」
「ポケモンを探す旅に出るとか言って出ていきました!」
…秋本先生、お疲れさまでした。
こんばんは。
何でしょうね。まあ、難しいことは言えません。
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(寒い)。
とにかく随分と酒を飲み、そのうえで会社の人と議論を交わし、すこぶる疲れてしまいました。そういう状況で文章の続きを書こうっていうのですから、まあロクなものにはなりませんが、とりあえず泥酔した勢いで書きます。そう、相当酔っぱらってしまっているので、その前提のもとでこの後の記事はご覧ください。
今回リーダーという(名ばかりの? とはいえ)称号を拝命したことは、私自身、とても嬉しかったです。自分の仕事が認められたのかな、というか…自分の仕事がどれほどのものであったにせよ、まあ、そういう立場に私という人間を見込んでくれたことが。
実際問題として、私よりもキャリアが長い人間はいます(複数人)。私よりも仕事ができるであろう人間もいます(私以外の全員)。それにもかかわらず、私をリーダーとして抜擢してくれたこと。それはとても、私にとってはうれしいことであります。
それは、なんだろう。自分自身、冷静に考えてみると、選ばれた栄誉というよりも…自分がどこかで常に思っていた「何とかこの場所をまとめたい」という思いが、リーダーという立場を与えられたことによって、実現できるのかな? ということ。
今までは正直「自分よりもキャリアがあるから」とか、そういう理由でずっと遠慮してきて、本当はこうだと思うんだけどな・・・ということも黙っていましたが、今度からは違います。だって私がリーダーですから。
リーダーだから、ちゃんとしなくちゃいけない。リーダーだから、何でもできる。
今まで35年余り生きてきて、こんなにリーダーという立場を嬉しく思った事はありません。過去に経験したリーダー的立場と言えば、必ずしも自分から立候補してなったわけでありませんし(例:中学校の合唱コンクールの、クラス代表の指揮者…など)。
ちょっと、ひどく酔ってしまって、なおかつ遅い時間ですのでこのあたりで切り上げますが、ともかく今の私、仕事がすごく楽しいです。それはなぜかといえば、やはり「やりがい」があるから。器じゃなくてもいいです。途中でつぶれて、会社をクビになってもいいです。ただ、最後の日まで私自身の思いを貫きたい。私が正しいと思うことをやり続けていきたい。そう思っています。
それじゃあ、今日はそろそろ寝ます。よい夢を、おやすみ(布袋寅泰さんの詩集のタイトル的オチ)。
何でしょうね。まあ、難しいことは言えません。
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(寒い)。
とにかく随分と酒を飲み、そのうえで会社の人と議論を交わし、すこぶる疲れてしまいました。そういう状況で文章の続きを書こうっていうのですから、まあロクなものにはなりませんが、とりあえず泥酔した勢いで書きます。そう、相当酔っぱらってしまっているので、その前提のもとでこの後の記事はご覧ください。
今回リーダーという(名ばかりの? とはいえ)称号を拝命したことは、私自身、とても嬉しかったです。自分の仕事が認められたのかな、というか…自分の仕事がどれほどのものであったにせよ、まあ、そういう立場に私という人間を見込んでくれたことが。
実際問題として、私よりもキャリアが長い人間はいます(複数人)。私よりも仕事ができるであろう人間もいます(私以外の全員)。それにもかかわらず、私をリーダーとして抜擢してくれたこと。それはとても、私にとってはうれしいことであります。
それは、なんだろう。自分自身、冷静に考えてみると、選ばれた栄誉というよりも…自分がどこかで常に思っていた「何とかこの場所をまとめたい」という思いが、リーダーという立場を与えられたことによって、実現できるのかな? ということ。
今までは正直「自分よりもキャリアがあるから」とか、そういう理由でずっと遠慮してきて、本当はこうだと思うんだけどな・・・ということも黙っていましたが、今度からは違います。だって私がリーダーですから。
リーダーだから、ちゃんとしなくちゃいけない。リーダーだから、何でもできる。
今まで35年余り生きてきて、こんなにリーダーという立場を嬉しく思った事はありません。過去に経験したリーダー的立場と言えば、必ずしも自分から立候補してなったわけでありませんし(例:中学校の合唱コンクールの、クラス代表の指揮者…など)。
ちょっと、ひどく酔ってしまって、なおかつ遅い時間ですのでこのあたりで切り上げますが、ともかく今の私、仕事がすごく楽しいです。それはなぜかといえば、やはり「やりがい」があるから。器じゃなくてもいいです。途中でつぶれて、会社をクビになってもいいです。ただ、最後の日まで私自身の思いを貫きたい。私が正しいと思うことをやり続けていきたい。そう思っています。
それじゃあ、今日はそろそろ寝ます。よい夢を、おやすみ(布袋寅泰さんの詩集のタイトル的オチ)。
こんばんは。
早く寝ろ早く寝ろと思いながら、どうしても書きたい
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今日から称号つき)
2008年ごろから、私の人生は3年1セットで「ホップ、ステップ、ジャンプ」のプロセスを踏んでいるのかな・・・と考えています。これはそのたびブログでも書いてきたことなのですが。
具体的には2008年ごろ、一念発起してそれまでの半分死に掛けたような生活を改め、積極的に身体を鍛えることを敢行。そうしたところ2010年、人生で初めて女の子の方から言い寄られ、ちょっぴりだけいいムードになりかけたことがありました(その際は、私が『頭文字D』の池谷先輩よろしく尻込みしてしまったためチャンスをフイにしてしまった)。
翌年(2011年)、東日本大震災、発生。私自身の生活はともかく、私が生まれ育った岩手県プラス宮城県、福島県は壊滅的な被害をこうむりました。しかしこれも雌伏の時、今は地味に頑張っていずれは・・・と思い、目の前の仕事を頑張ってきました。
2013年は、まあ別に出会いがあったわけでもなく、仕事上の大きなプラスがあったわけでもありませんが、とにかく本を読みまくりました。そういう意味で、個人的には、大きく見識を広げるチャンスだったのかなと思います。吉川栄治先生版の『宮本武蔵』でも、そうやって本を読みまくることにより武蔵は剣士としての道のりをスタートさせましたからね。
とはいえ、2014年は散々でした。6月30日をもって、契約満了(3ヶ月更新の派遣社員だったので、そう言われればなすすべナシ)。7月から通った会社は3日でクビ(正式な雇用契約を結んだわけではないので、別に痛手はありませんが)。それから1ヶ月のモラトリアム期間を経て、現在の会社にもぐりこみ、艱難辛苦の1年弱・・・。
翌2015年から新天地へ異動。最初こそ色々あって「どうしたもんかな」と悩んだこともありましたが、様々な人との出会いにより、私自身、とても前向きに今の仕事に取り組めるようになりました。
そして2016年。わが生涯の伴侶となる女性(in China)と出会い、さらに仕事の面でも、大きな変化が。
9月19日。私、レストラン部門のリーダーに任命されました。ウチのホテルの支配人から。
・・・といっても、別に正式な役職と言うわけではありません。役職上のレストランのトップは『マネージャー』であり、私はいわば名ばかり管理職。リーダーと言うあだ名。TOKIOの城島さんみたいなもんです。というと城島さんに失礼ですね。いや私はTOKIOのメンバーの中でも、城島さんが特に好きなモンで。
いや本当に、私はリーダーと言う器じゃないと思うのです。キャリア的には下から数えたほうが早いし、実際の仕事の面でもポカばっかりで、今年入社した若手よりも仕事ができない? ポンコツもいいところだと思うのですが・・・。
でも、きっと私の地味すぎる努力が認められたのでしょう。グズでドンクサでポンコツだけど、やらなきゃいけないことを地味にこなしていく。そういうところがきっと、認められたと言うか・・・
「お前がやらなきゃ、誰もやらないんだよ」
なんか、支配人からはそんな風に言われました。よくわかりませんが、ともかくそういうことなんでしょう。
嬉しくて、ちょっとビールを多めに空けています。その勢いも手伝って、もう少し書きます。
正直なところ今のウチのホテル、あんまり良くありません。掃除も片付けも中途半端。戸棚やロッカールームは際限なくゴチャゴチャになって、洗い場もけっこーヒドい状況です。そして、そういったことに関する責めがホールスタッフ全体に来るのであり、そのトップである『マネージャー』に来るわけです。
ウチのマネージャーは性格上、あまりガミガミと下の者に言いません。全部自分で受け止めて、それを何とかソフトに変換して私たちに伝えようとしているのですが、さすがにそれでは負担が大きすぎます。私は寮で同部屋なので、よくお酒を飲みながら色々とケアしているつもりでしたが、今回こうしてリーダーという肩書きを拝命したことにより、今度はプライベートだけでなく実際的な業務の面でもサポートします。
それは一方で、私もまた「レストランのスタッフが・・・」という批判の矢面に立たされることになるのでしょうが、なに上等ですよ。私だっていつまでも、言われっぱなしでハイハイと返事だけしているわけじゃありません。どこかで結果を残して、胸を張ってやりたいと思っています。
今日はもう遅い(早い?)のでいったん切り上げますが、明日また書きます。タイトルは、明日も『続』として続けます。
早く寝ろ早く寝ろと思いながら、どうしても書きたい
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(今日から称号つき)
2008年ごろから、私の人生は3年1セットで「ホップ、ステップ、ジャンプ」のプロセスを踏んでいるのかな・・・と考えています。これはそのたびブログでも書いてきたことなのですが。
具体的には2008年ごろ、一念発起してそれまでの半分死に掛けたような生活を改め、積極的に身体を鍛えることを敢行。そうしたところ2010年、人生で初めて女の子の方から言い寄られ、ちょっぴりだけいいムードになりかけたことがありました(その際は、私が『頭文字D』の池谷先輩よろしく尻込みしてしまったためチャンスをフイにしてしまった)。
翌年(2011年)、東日本大震災、発生。私自身の生活はともかく、私が生まれ育った岩手県プラス宮城県、福島県は壊滅的な被害をこうむりました。しかしこれも雌伏の時、今は地味に頑張っていずれは・・・と思い、目の前の仕事を頑張ってきました。
2013年は、まあ別に出会いがあったわけでもなく、仕事上の大きなプラスがあったわけでもありませんが、とにかく本を読みまくりました。そういう意味で、個人的には、大きく見識を広げるチャンスだったのかなと思います。吉川栄治先生版の『宮本武蔵』でも、そうやって本を読みまくることにより武蔵は剣士としての道のりをスタートさせましたからね。
とはいえ、2014年は散々でした。6月30日をもって、契約満了(3ヶ月更新の派遣社員だったので、そう言われればなすすべナシ)。7月から通った会社は3日でクビ(正式な雇用契約を結んだわけではないので、別に痛手はありませんが)。それから1ヶ月のモラトリアム期間を経て、現在の会社にもぐりこみ、艱難辛苦の1年弱・・・。
翌2015年から新天地へ異動。最初こそ色々あって「どうしたもんかな」と悩んだこともありましたが、様々な人との出会いにより、私自身、とても前向きに今の仕事に取り組めるようになりました。
そして2016年。わが生涯の伴侶となる女性(in China)と出会い、さらに仕事の面でも、大きな変化が。
9月19日。私、レストラン部門のリーダーに任命されました。ウチのホテルの支配人から。
・・・といっても、別に正式な役職と言うわけではありません。役職上のレストランのトップは『マネージャー』であり、私はいわば名ばかり管理職。リーダーと言うあだ名。TOKIOの城島さんみたいなもんです。というと城島さんに失礼ですね。いや私はTOKIOのメンバーの中でも、城島さんが特に好きなモンで。
いや本当に、私はリーダーと言う器じゃないと思うのです。キャリア的には下から数えたほうが早いし、実際の仕事の面でもポカばっかりで、今年入社した若手よりも仕事ができない? ポンコツもいいところだと思うのですが・・・。
でも、きっと私の地味すぎる努力が認められたのでしょう。グズでドンクサでポンコツだけど、やらなきゃいけないことを地味にこなしていく。そういうところがきっと、認められたと言うか・・・
「お前がやらなきゃ、誰もやらないんだよ」
なんか、支配人からはそんな風に言われました。よくわかりませんが、ともかくそういうことなんでしょう。
嬉しくて、ちょっとビールを多めに空けています。その勢いも手伝って、もう少し書きます。
正直なところ今のウチのホテル、あんまり良くありません。掃除も片付けも中途半端。戸棚やロッカールームは際限なくゴチャゴチャになって、洗い場もけっこーヒドい状況です。そして、そういったことに関する責めがホールスタッフ全体に来るのであり、そのトップである『マネージャー』に来るわけです。
ウチのマネージャーは性格上、あまりガミガミと下の者に言いません。全部自分で受け止めて、それを何とかソフトに変換して私たちに伝えようとしているのですが、さすがにそれでは負担が大きすぎます。私は寮で同部屋なので、よくお酒を飲みながら色々とケアしているつもりでしたが、今回こうしてリーダーという肩書きを拝命したことにより、今度はプライベートだけでなく実際的な業務の面でもサポートします。
それは一方で、私もまた「レストランのスタッフが・・・」という批判の矢面に立たされることになるのでしょうが、なに上等ですよ。私だっていつまでも、言われっぱなしでハイハイと返事だけしているわけじゃありません。どこかで結果を残して、胸を張ってやりたいと思っています。
今日はもう遅い(早い?)のでいったん切り上げますが、明日また書きます。タイトルは、明日も『続』として続けます。
最後の難関、突破せり
おはようございます。
ここまで来ました
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです
約2ヶ月ほど前、7月11日に入国管理局に申請した私の奥さんの在留申請。なかなか時間がかかりましたが、ついに許可が下りました。
ついに、奥さんが日本で暮らすお膳立てが整ったのです。
もちろん結婚生活とは、これから長い長い時間をともに過ごすことですから。私は初婚なのでわかりませんが、日本人同士の結婚より格段に難しいことが多いでしょう。言葉の問題、文化の問題、色々あると思います。
「二人の愛があれば、乗り切れるさ」
そんな熱に浮かされたようなことは言いません。
どこか冷めている。だから、きっとうまくいく。そう思っています。
だって、この2年間、ずっとそんな感じだったから。何度か書きましたが、私の人生は34年目から平穏とか安定とか、そういうのとは無縁の生活となったと思っています。とりあえず収入を得る仕事を失った代わりに、自分自身のプラスになる仕事を勝ち得た私。ここでは何でも自分から取り込んでいかないと、あっという間に取り残されてしまいます。
本当はこういうのを、20代のうちにやっておけば、今はもうちょっとマシな30代になっていたかも・・・と、時々思うこともあります。・・・でも逆に、まだ未成熟なうちに荒波にもまれて、そのまま海の藻屑になっていたかもしれませんからね。実際のところはわからないので、あまり考えないようにしています。考えても仕方がないな、というか。
私の人生は私が決める。どうせマトモな人生なんて歩めないんだから、いくところまで行く。精一杯生きて、誰にでもできないようなところまで行く。その上でしくじったら、それはそれでいいじゃないですか。
―――国際結婚の手続きとは
いくつものブロックを積み上げて築く城のよう
一番重いブロックを今 積み上げた―――
ナニナニ知恵袋で「許可が下りるまで3年くらいかかりますよ、頑張ってね」みたいに言われるような私のケース(結婚までの期間が短い、お互い会話がペラペラってわけじゃない、会ったのが1~2回くらいしかない)ですが、3年どころか1ヵ月半くらいで許可が下りました。私が質問して回答をもらったわけではないし、それが誰であったか、検索しても出てこなかったのでこれ以上は言いませんが・・・。
おはようございます。
ここまで来ました
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです
約2ヶ月ほど前、7月11日に入国管理局に申請した私の奥さんの在留申請。なかなか時間がかかりましたが、ついに許可が下りました。
ついに、奥さんが日本で暮らすお膳立てが整ったのです。
もちろん結婚生活とは、これから長い長い時間をともに過ごすことですから。私は初婚なのでわかりませんが、日本人同士の結婚より格段に難しいことが多いでしょう。言葉の問題、文化の問題、色々あると思います。
「二人の愛があれば、乗り切れるさ」
そんな熱に浮かされたようなことは言いません。
どこか冷めている。だから、きっとうまくいく。そう思っています。
だって、この2年間、ずっとそんな感じだったから。何度か書きましたが、私の人生は34年目から平穏とか安定とか、そういうのとは無縁の生活となったと思っています。とりあえず収入を得る仕事を失った代わりに、自分自身のプラスになる仕事を勝ち得た私。ここでは何でも自分から取り込んでいかないと、あっという間に取り残されてしまいます。
本当はこういうのを、20代のうちにやっておけば、今はもうちょっとマシな30代になっていたかも・・・と、時々思うこともあります。・・・でも逆に、まだ未成熟なうちに荒波にもまれて、そのまま海の藻屑になっていたかもしれませんからね。実際のところはわからないので、あまり考えないようにしています。考えても仕方がないな、というか。
私の人生は私が決める。どうせマトモな人生なんて歩めないんだから、いくところまで行く。精一杯生きて、誰にでもできないようなところまで行く。その上でしくじったら、それはそれでいいじゃないですか。
―――国際結婚の手続きとは
いくつものブロックを積み上げて築く城のよう
一番重いブロックを今 積み上げた―――
ナニナニ知恵袋で「許可が下りるまで3年くらいかかりますよ、頑張ってね」みたいに言われるような私のケース(結婚までの期間が短い、お互い会話がペラペラってわけじゃない、会ったのが1~2回くらいしかない)ですが、3年どころか1ヵ月半くらいで許可が下りました。私が質問して回答をもらったわけではないし、それが誰であったか、検索しても出てこなかったのでこれ以上は言いませんが・・・。
こんばんは。
今日は深酒DAY
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(明日は11時出勤なので)。
ということで今日はワインを多く飲みながら「TOKIOカケル」「ダウンタウンなう」…と、フジテレビ系列の局がない青森県ならではのタイミングで放送されるバラエティ番組を見ています。要するに遅れネット放送というか。逆にフジテレビ系列がある実家(岩手県:岩手めんこいテレビ)で、「あれ? こんな時間にやってるの!?」と驚いてしまいました。
さて、ここ数日はちょっぴり仕事が忙しくて、なかなかブログをかけずにおりましたが、今日は少し書きます。といっても、何について書いたらいいものか……。
まあタイムリーな話題はちょっと思いつかないので、いくつかあるストックの中から話をしたいと思います。今日は「カメラ」について。
これでも高校時代、写真部に所属して一通りの青春時代を通り抜けてきた手前、私にとってカメラというのは大切なものになるんだろう、ということはわかっているのですが、現実問題としてフィルムカメラを使う意義は何か? と問われると、非常に困ってしまいます。
といって、これがペンタックスSPであれば「手作業でピントを合わせ、写真を撮る過程が楽しい」と言えます。また、一時的に休眠していたものの新しい電池を入れたらまた動き出したかつての愛機α―Sweetにしても、300mm望遠レンズがあるし、1/4000の高速シャッターがあるので、携帯カメラでは追いつかないような本気の写真を撮影するときは役に立ちます。
一方で、そのα―sweetが故障した(と勘違いした?)時に買った、もうひとつの憧れカメラ「エスピオ115M」というのがあるんですが、これがまた…問題なく動くのですが、どう生かしたらいいのか、すっかり困ってしまいました。
エスピオ115Mというのは一眼レフではなくコンパクトカメラの部類に入る代物です。Wikipediaにも詳しい解説が載っていないので、主にCMによる私の印象で書いてしまいますが、いわゆる「フィンガーサイズ」(親指と人差し指を立てて四角形を作り、その中に納まるような大きさということ)なのに光学3倍ズームレンズがついている、というのがウリだったような気がします。
私はこれをハードオフのジャンク品コーナーで、315円で買いました。ええ、まだ消費税が5%だった時代です。そして、発売当時ちょっとした一眼レフ並みのプライスタグがつけられていた本機が、特に動作に問題はないけど商品価値がないのでジャンク品コーナーに放り込まれた時代に、私は買ったのです。
どうしてわざわざ、そんなものを買い求めたのかと言えば、すべてはCMのためでした。
…1996年当時、青春真っただ中だった犬神君は、このCMに出演している佐藤康恵さんに激烈ほれ込んでしまったのです。そして、その頃の自分の煮えたぎる思いに対するレクイエムというか、夢想と現実をぶつけて気持ちに整理をつけようとして、買い入れたのです。
趣味性を求めるのならペンタックスSPだし、ある程度気合の入った写真を撮りたいのならαスイートを使えばよろしい。鞄にスッと入るコンパクトさだったらスマホカメラにはかなわないし、はっきり言ってエスピオ115Mの出番はありません。それでもなおこれで写真を撮るというのなら、何か精神論というか、思いっきり青臭い理由付けが必要です。
……そういえばこないだ、その青春時代を過ごした街をふらりと歩いてきました。
大学卒業の頃、ちょっとしたゴタゴタがあって、それまで10年来住んでいた街を追い出された犬神家の一族。街は区画整理の対象となり大きく変貌、私は過去への未練を残さないために「自分の知らない街だから」というスタンスを貫いてきたのですが…いやいや、変わらない場所もたくさんありました。
そういったところを歩くと、小学6年生~大学4年生という、自分にとってもっとも多感でもっともエキサイティングな時代の思い出が一歩ごとに湧き出てきます。たとい『ポケモンGO』をやるためだ、とかって言い訳を繕っても、やっぱり感情的なことは抑えきれません。
過去には戻れないけれど、過去を捨てることはできないのです。
閑話休題。ちょっと話がわき道にそれました。
もうワインもないし(また1本、空けてしまいました)、チーズもないので、そろそろ締めくくります。ええと、カメラの話でしたよね。
そんなわけでエスピオ115M、実用性としてはもはや無価値に近い代物だと思います。でも、手元に置いていればいつか、思いがけない価値が出てきたりするかもしれません。そのことを信じてこれからも、大切に手元に置いておきたいと思います。たといメインが他の機種であったとしてもバックアップというか……ね。
追記:
当時このCMに出演されていた佐藤康恵さんは、今なおバリバリ活躍中。2012年には自身のジュエリーブランドサイトを公開したりしています。オフィシャルブログで拝見できるお姿は今なおビューティフルであり、一瞬10代の頃にタイムスリップしてしまいました。
今日は深酒DAY
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(明日は11時出勤なので)。
ということで今日はワインを多く飲みながら「TOKIOカケル」「ダウンタウンなう」…と、フジテレビ系列の局がない青森県ならではのタイミングで放送されるバラエティ番組を見ています。要するに遅れネット放送というか。逆にフジテレビ系列がある実家(岩手県:岩手めんこいテレビ)で、「あれ? こんな時間にやってるの!?」と驚いてしまいました。
さて、ここ数日はちょっぴり仕事が忙しくて、なかなかブログをかけずにおりましたが、今日は少し書きます。といっても、何について書いたらいいものか……。
まあタイムリーな話題はちょっと思いつかないので、いくつかあるストックの中から話をしたいと思います。今日は「カメラ」について。
これでも高校時代、写真部に所属して一通りの青春時代を通り抜けてきた手前、私にとってカメラというのは大切なものになるんだろう、ということはわかっているのですが、現実問題としてフィルムカメラを使う意義は何か? と問われると、非常に困ってしまいます。
といって、これがペンタックスSPであれば「手作業でピントを合わせ、写真を撮る過程が楽しい」と言えます。また、一時的に休眠していたものの新しい電池を入れたらまた動き出したかつての愛機α―Sweetにしても、300mm望遠レンズがあるし、1/4000の高速シャッターがあるので、携帯カメラでは追いつかないような本気の写真を撮影するときは役に立ちます。
一方で、そのα―sweetが故障した(と勘違いした?)時に買った、もうひとつの憧れカメラ「エスピオ115M」というのがあるんですが、これがまた…問題なく動くのですが、どう生かしたらいいのか、すっかり困ってしまいました。
エスピオ115Mというのは一眼レフではなくコンパクトカメラの部類に入る代物です。Wikipediaにも詳しい解説が載っていないので、主にCMによる私の印象で書いてしまいますが、いわゆる「フィンガーサイズ」(親指と人差し指を立てて四角形を作り、その中に納まるような大きさということ)なのに光学3倍ズームレンズがついている、というのがウリだったような気がします。
私はこれをハードオフのジャンク品コーナーで、315円で買いました。ええ、まだ消費税が5%だった時代です。そして、発売当時ちょっとした一眼レフ並みのプライスタグがつけられていた本機が、特に動作に問題はないけど商品価値がないのでジャンク品コーナーに放り込まれた時代に、私は買ったのです。
どうしてわざわざ、そんなものを買い求めたのかと言えば、すべてはCMのためでした。
…1996年当時、青春真っただ中だった犬神君は、このCMに出演している佐藤康恵さんに激烈ほれ込んでしまったのです。そして、その頃の自分の煮えたぎる思いに対するレクイエムというか、夢想と現実をぶつけて気持ちに整理をつけようとして、買い入れたのです。
趣味性を求めるのならペンタックスSPだし、ある程度気合の入った写真を撮りたいのならαスイートを使えばよろしい。鞄にスッと入るコンパクトさだったらスマホカメラにはかなわないし、はっきり言ってエスピオ115Mの出番はありません。それでもなおこれで写真を撮るというのなら、何か精神論というか、思いっきり青臭い理由付けが必要です。
……そういえばこないだ、その青春時代を過ごした街をふらりと歩いてきました。
大学卒業の頃、ちょっとしたゴタゴタがあって、それまで10年来住んでいた街を追い出された犬神家の一族。街は区画整理の対象となり大きく変貌、私は過去への未練を残さないために「自分の知らない街だから」というスタンスを貫いてきたのですが…いやいや、変わらない場所もたくさんありました。
そういったところを歩くと、小学6年生~大学4年生という、自分にとってもっとも多感でもっともエキサイティングな時代の思い出が一歩ごとに湧き出てきます。たとい『ポケモンGO』をやるためだ、とかって言い訳を繕っても、やっぱり感情的なことは抑えきれません。
過去には戻れないけれど、過去を捨てることはできないのです。
閑話休題。ちょっと話がわき道にそれました。
もうワインもないし(また1本、空けてしまいました)、チーズもないので、そろそろ締めくくります。ええと、カメラの話でしたよね。
そんなわけでエスピオ115M、実用性としてはもはや無価値に近い代物だと思います。でも、手元に置いていればいつか、思いがけない価値が出てきたりするかもしれません。そのことを信じてこれからも、大切に手元に置いておきたいと思います。たといメインが他の機種であったとしてもバックアップというか……ね。
追記:
当時このCMに出演されていた佐藤康恵さんは、今なおバリバリ活躍中。2012年には自身のジュエリーブランドサイトを公開したりしています。オフィシャルブログで拝見できるお姿は今なおビューティフルであり、一瞬10代の頃にタイムスリップしてしまいました。
こんにちは。
昨日、気温33度の中、10キロウォーク&ラン達成
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は疲労困憊)。
まあ、初めから10キロ走り切れるとは思っていませんでしたがね。ただ、2.4キロくらい走ったところで足が痛いとか息切れがするとかではなく「腹痛」でリタイヤしてしまいました。盛岡市郊外にあるダム湖「御所湖」を囲む道路をぐるり走っていたのですが、すぐさま最寄りのトイレに直行。冷や汗なのか脂汗なのか、とにかくダラダラポタポタと汗を流しながら個室にこもるということに。
まさにこんな感じでテンションが最低ラインまで下がってしまいましたが、トラックをぐるぐると回るわけではないので、這ってでも前に進まなければ帰れないですからね。仕方がないのでゆっくりと歩きながら様子を見て、調子が良ければ走れるだけ走って…というのを繰り返してきました。まあ、今回はどうあれこの距離を踏破できたことだけで成果だと思っています。2年ぶりくらいなのでね。
その後、家に帰ってみると函館から帰省している弟者がジャンプのこち亀記念号を持っていました。少年ジャンプを丸ごと両さんに任せてみた、という設定のようですね。
開いてみると…おお、意外と古い作品も収録されているじゃないですか。意外とバランスよく各年代振り分けされているみたいです。
それに加えて、恒例の? コラボイラストというか、ほかの漫画家さんが書いたこち亀のキャラクタということで。…荒木飛呂彦先生の中川とか、尾田栄一郎先生の麗子とか…いやはや、とても素晴らしいものです。
で、こうやって読んでいくうちに、以前と少し変わったことがありました。
それは「擬宝珠家」の人たちを、少なくとも纏だけは、それほど毛嫌いすることなく受け入れられるようになったかな、ということ。
まあ元々男勝りというか、サッパリした性格なので、ほかの「恋愛ゴッコ漫画」的な女性キャラや両さんのことを蛇蝎のごとく嫌う婦警連中よりはずっとマシという印象でしたが…色々な意味で麗子が変わってしまった現在では、それなりに必要な存在なのかもしれません。親戚同士なので恋愛ゴッコ関係に発展することもないでしょうし。
やっぱり、私が両さんと「こち亀」に期待するのはカラッとした激しいドタバタギャグですね。あと部長の「両津のバカはどこだ」オチ。少年時代の思い出話系は、ごく初期のもの(※)を除けば、ちょっと苦手な感じです。
※ 20巻収録「ガキ大将!勘吉」あたりは結構好きです。ここで振り返る過去が非常に破天荒だからというのもありますが、現代に戻ってきた両さんが「変わらねえな、この町も隅田の流れも…」としみじみ振り返るのが、いい意味でオジサンっぽい渋さがあるから。
昨日、気温33度の中、10キロウォーク&ラン達成
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(今日は疲労困憊)。
まあ、初めから10キロ走り切れるとは思っていませんでしたがね。ただ、2.4キロくらい走ったところで足が痛いとか息切れがするとかではなく「腹痛」でリタイヤしてしまいました。盛岡市郊外にあるダム湖「御所湖」を囲む道路をぐるり走っていたのですが、すぐさま最寄りのトイレに直行。冷や汗なのか脂汗なのか、とにかくダラダラポタポタと汗を流しながら個室にこもるということに。

まさにこんな感じでテンションが最低ラインまで下がってしまいましたが、トラックをぐるぐると回るわけではないので、這ってでも前に進まなければ帰れないですからね。仕方がないのでゆっくりと歩きながら様子を見て、調子が良ければ走れるだけ走って…というのを繰り返してきました。まあ、今回はどうあれこの距離を踏破できたことだけで成果だと思っています。2年ぶりくらいなのでね。
その後、家に帰ってみると函館から帰省している弟者がジャンプのこち亀記念号を持っていました。少年ジャンプを丸ごと両さんに任せてみた、という設定のようですね。
開いてみると…おお、意外と古い作品も収録されているじゃないですか。意外とバランスよく各年代振り分けされているみたいです。
それに加えて、恒例の? コラボイラストというか、ほかの漫画家さんが書いたこち亀のキャラクタということで。…荒木飛呂彦先生の中川とか、尾田栄一郎先生の麗子とか…いやはや、とても素晴らしいものです。
で、こうやって読んでいくうちに、以前と少し変わったことがありました。
それは「擬宝珠家」の人たちを、少なくとも纏だけは、それほど毛嫌いすることなく受け入れられるようになったかな、ということ。
まあ元々男勝りというか、サッパリした性格なので、ほかの「恋愛ゴッコ漫画」的な女性キャラや両さんのことを蛇蝎のごとく嫌う婦警連中よりはずっとマシという印象でしたが…色々な意味で麗子が変わってしまった現在では、それなりに必要な存在なのかもしれません。親戚同士なので恋愛ゴッコ関係に発展することもないでしょうし。
やっぱり、私が両さんと「こち亀」に期待するのはカラッとした激しいドタバタギャグですね。あと部長の「両津のバカはどこだ」オチ。少年時代の思い出話系は、ごく初期のもの(※)を除けば、ちょっと苦手な感じです。
※ 20巻収録「ガキ大将!勘吉」あたりは結構好きです。ここで振り返る過去が非常に破天荒だからというのもありますが、現代に戻ってきた両さんが「変わらねえな、この町も隅田の流れも…」としみじみ振り返るのが、いい意味でオジサンっぽい渋さがあるから。
おはようございます
信じることが大事
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです。
何の話かというと、アレですよ、私が昨年から愛用しているカメラ『ペンタックスSP』の話です。
最近、実家の近所にあるホワイト急便で「今でも、フィルム現像プリント代0円で受付している」ことがわかったので、家に何本かたまっているフィルムを出した私。そうしたところ、1本は白黒フィルムなので別注になりますという話(プリント代は有料)、そしてもう1本は・・・またしても未露光ということでした。
以前にも未露光で現像代だけ取られた話をしましたが、またしても未露光。まあ冷静に考えれば、まだちゃんとフィルムの入れ方を覚える前に巻き取ってしまったものだという気がするのですが、また不安になってきました。
さらに不安要素はあります。それはSPについている『露光計』について。
これは電源こそ必要とするもののとてもシンプルな構造で、電気抵抗値を受けてファインダーの中にある小さな針がピョコピョコと動くのですが、時々、どんなに絞りを回そうとシャッター速度を切り替えようと超露出オーバーはたまた露出アンダーに針が振れて動かないようなことがありました。
そこで、「これくらいだったら露出がこのくらいで、シャッター速度はこのくらいでいいでしょ」と、経験則どころか当てずっぽうに近い感じで設定して撮りまくりました。
そんな状況だったので、「もしかして、露光計が故障しているんじゃないかしら」と、またしてもカメラのせいにしようとする私。もっとも、これについては別な場所で試したところ、適正な場所で適正な調整をすればきちんと針が触れることを確認。針が正しい数値を示しているところで撮ればパリッとした写真が撮れるし、アンダーな数値のまま撮れば、「アンダーなのはテメーのウデなんだヨ」(by大田さん@RGO)な写真が撮れました。
あとは、もっともっと基本的な話ですが、ちゃんとピントを合わせなければボヤッとした写真になることは、言うまでもありません。
そんなわけで、ペンタックスSP、ちゃんと写真が撮れることは間違いありません。2度もカメラを疑ってしまった私は、旭光学工業の皆様に土下寝で詫びる用意がありましたが、現在はもう存在しない会社なので、これから先どんなことがあってもカメラを信じるという思いを抱き続けることで詫びとさせていただきます。
信じることが大事
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです。
何の話かというと、アレですよ、私が昨年から愛用しているカメラ『ペンタックスSP』の話です。
最近、実家の近所にあるホワイト急便で「今でも、フィルム現像プリント代0円で受付している」ことがわかったので、家に何本かたまっているフィルムを出した私。そうしたところ、1本は白黒フィルムなので別注になりますという話(プリント代は有料)、そしてもう1本は・・・またしても未露光ということでした。
以前にも未露光で現像代だけ取られた話をしましたが、またしても未露光。まあ冷静に考えれば、まだちゃんとフィルムの入れ方を覚える前に巻き取ってしまったものだという気がするのですが、また不安になってきました。
さらに不安要素はあります。それはSPについている『露光計』について。
これは電源こそ必要とするもののとてもシンプルな構造で、電気抵抗値を受けてファインダーの中にある小さな針がピョコピョコと動くのですが、時々、どんなに絞りを回そうとシャッター速度を切り替えようと超露出オーバーはたまた露出アンダーに針が振れて動かないようなことがありました。
そこで、「これくらいだったら露出がこのくらいで、シャッター速度はこのくらいでいいでしょ」と、経験則どころか当てずっぽうに近い感じで設定して撮りまくりました。
そんな状況だったので、「もしかして、露光計が故障しているんじゃないかしら」と、またしてもカメラのせいにしようとする私。もっとも、これについては別な場所で試したところ、適正な場所で適正な調整をすればきちんと針が触れることを確認。針が正しい数値を示しているところで撮ればパリッとした写真が撮れるし、アンダーな数値のまま撮れば、「アンダーなのはテメーのウデなんだヨ」(by大田さん@RGO)な写真が撮れました。
あとは、もっともっと基本的な話ですが、ちゃんとピントを合わせなければボヤッとした写真になることは、言うまでもありません。
そんなわけで、ペンタックスSP、ちゃんと写真が撮れることは間違いありません。2度もカメラを疑ってしまった私は、旭光学工業の皆様に土下寝で詫びる用意がありましたが、現在はもう存在しない会社なので、これから先どんなことがあってもカメラを信じるという思いを抱き続けることで詫びとさせていただきます。
おはようございます
台風10号の被害、皆様はございませんでしょうか
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(当ホテルは被害ゼロっぽい)。
わがホテルのある十和田市焼山付近は土砂災害危険情報・河川氾濫危険情報・道路の土砂崩れ・倒木等々・・・ま、色々ありましたが、それらをかいくぐり、現在は実家のある岩手県滝沢市に来ています。
まあ、そういうわけで私および私の職場に物理的な被害はありませんでしたが、大きな団体予約が次々とキャンセルになり、そういう意味での被害はありました。そこそこ忙しい(私の)休前日のつもりだったのに、うってかわって、少々ヒマなディナー対応となってしまったのです。
とはいえ、逆に言えば、そういうときに来てくれたお客様には張り切ってサービスしちゃいます。自分自身の質を高める意味でも、ヒマな時間を様々な思案の時間に当て、これを実行に移す。そして、いずれは忙しい時でも一定以上のクオリティを発揮できるスタッフになりたい・・・。そう思ってがんばっています。
さて、そんな昨晩のディナー対応でしたが、外国人のお客様が来ました。名前からすると、中国か台湾か、いずれにせよ日本語はあまり上手でない人たちでした。ベースにあるのは中国語。英語ならある程度は話せる。そして日本語はほとんどわからない。おかげでフロントの人は、対応に随分と苦心したみたいです。
それに対しては私はレストランの中だけの担当ですからね。まあアレコレ説明したい気持ちはありますが、とりあえず最低限の言葉と身振り手振りで、何とかやり過ごすことができました。具体的には、
"Show me your room number" (入店時、席に案内するため「お部屋番号を伺います」)
"This is drink menu. Would you like anything drink ?" (「飲み物はどうしますか」)
"May I take your plate ? " (「お皿、下げてもいいですか」)
"Please sign your name" (帰り際、伝票に「サインをお願いします」)
大体こんな感じです。
あとは、今日は休日なのでそうする必要はありませんでしたが、朝食対応時には、
"Good morning" (入店時の挨拶)
"Show me your room number" (ディナーと一緒ですね)
"buffet style" (バイキングでは通じなくても、こう言えば通じます)
"any table (sit down) OK" (手振りを加えながらany tableだけでも通じました)
これだけ話せれば、大体何とかなります。あとは、食べられない素材かなんかがあって、それに対応した料理を出すときに"no beef" とか"no fish"とか言いながら出せばオールオッケーです。まあ、今はここからさらに踏み出して、メニューに書いてある文字くらいは英語で話せるようにしたいなと考えています。
これ、今年に入って出会いに恵まれ、2度も中国に行ったことが、大きな経験になっているのかな。
特に2回目は、いきなりの単独行。現地でウチの奥さんと合流し、一緒に行動はしてくれたものの、奥さんも日本語は翻訳アプリ頼り。奥さんおよびその家族との意思疎通、さらには空港など私一人で切り抜けなければ行けない場所で、頼りになるのは英語しかありません。10年以上心の倉庫にしまいこんで、実際に使えるのかどうかさえわからない、ホコリまみれのポンコツ英語ではありますが、そんなことは言ってられませんやですよ。
正しいか正しくないかではなく、とにかく自分の意志を伝えるために言葉を並べ立てる。そうすると案外、通じるんですよね。わずか数日の体験でありましたが、私の英語も捨てたモンじゃないなと。そして、大切なのは文法ではなく、伝えようとする心なのだということを理解しました。ホコリはかぶっていても、さび付いていたワケではないようです。
そして、さらに深く掘り下げれば、高校~大学と、やや英語偏重の進学ルートをたどってきたことがベースにあるのかなという気がします。
高校受験のときは「定員割れしているから、受ければ確実に入れるだろう」というトンデモ理由で盛岡市内の市立高校(※)の英語科にもぐりこみ、「就職しないで本ばっかり読みたい、不思議の国のアリスの世界で暮らしたい」と思って滝沢市内にある某私立大学(※)の英文科で悠久の時間を過ごし。以来ず~っと英語を話す機会なく暮らしてきましたが、やはり、何でも覚えておいて損はありません。これは「麻雀放浪記」の登場人物である達っつあんこと「女衒の達」のせりふですが、そういうことです。
あまり説教くさい話は好きではありませんが、実際にそうだったのだから言います。学校で勉強したことは、学校を出てすぐには役に立たなくても、5年後10年後いきなり役に立つことがあります。だから勉強って大切だし、働かずに勉強できることは非常に幸せなんだと言うことを知っておいてください。って、学生諸君が私のブログを読んでいるとは考えづらいですが(もしも実際に読んでいる方がいたらコメントください)。
2016年。悲しきかな、わが出身学科である某市立高校の英語科は今年3月をもって消滅。大学の文学科もいつの間にか消滅し、とても寂しい思いをしていましたが・・・私が生きている限り、私がこうして英語を活かし続ける限り、その存在がかすむことはありません。
少々、話が飛びすぎてしまいましたが、そんな感じです。上手じゃなくても、フレーズ丸暗記でもいいです。英語を知っていれば、世界レベルである程度何とかなります。そして、自分が海外に行ったときにそうだと、逆に外国人が日本に来て、英語しか話せなくて困っている人の気持ちがわかります。「ここは日本だ、日本語で話せバカ」なんて、絶対に言えなくなります。
とりあえず、みんなでラジオ番組の「パックンマックンの笑って覚える英会話」を聞きましょう。スピードラーニングよりタメになります。いや私はスピードラーニングをやったことがないので、「より」とは言えませんが、無料で聴けるし楽しいし、いいんじゃないかな。私は大好きです。
台風10号の被害、皆様はございませんでしょうか
『森のキュイジーヌ』管理人のいぬがみです(当ホテルは被害ゼロっぽい)。
わがホテルのある十和田市焼山付近は土砂災害危険情報・河川氾濫危険情報・道路の土砂崩れ・倒木等々・・・ま、色々ありましたが、それらをかいくぐり、現在は実家のある岩手県滝沢市に来ています。
まあ、そういうわけで私および私の職場に物理的な被害はありませんでしたが、大きな団体予約が次々とキャンセルになり、そういう意味での被害はありました。そこそこ忙しい(私の)休前日のつもりだったのに、うってかわって、少々ヒマなディナー対応となってしまったのです。
とはいえ、逆に言えば、そういうときに来てくれたお客様には張り切ってサービスしちゃいます。自分自身の質を高める意味でも、ヒマな時間を様々な思案の時間に当て、これを実行に移す。そして、いずれは忙しい時でも一定以上のクオリティを発揮できるスタッフになりたい・・・。そう思ってがんばっています。
さて、そんな昨晩のディナー対応でしたが、外国人のお客様が来ました。名前からすると、中国か台湾か、いずれにせよ日本語はあまり上手でない人たちでした。ベースにあるのは中国語。英語ならある程度は話せる。そして日本語はほとんどわからない。おかげでフロントの人は、対応に随分と苦心したみたいです。
それに対しては私はレストランの中だけの担当ですからね。まあアレコレ説明したい気持ちはありますが、とりあえず最低限の言葉と身振り手振りで、何とかやり過ごすことができました。具体的には、
"Show me your room number" (入店時、席に案内するため「お部屋番号を伺います」)
"This is drink menu. Would you like anything drink ?" (「飲み物はどうしますか」)
"May I take your plate ? " (「お皿、下げてもいいですか」)
"Please sign your name" (帰り際、伝票に「サインをお願いします」)
大体こんな感じです。
あとは、今日は休日なのでそうする必要はありませんでしたが、朝食対応時には、
"Good morning" (入店時の挨拶)
"Show me your room number" (ディナーと一緒ですね)
"buffet style" (バイキングでは通じなくても、こう言えば通じます)
"any table (sit down) OK" (手振りを加えながらany tableだけでも通じました)
これだけ話せれば、大体何とかなります。あとは、食べられない素材かなんかがあって、それに対応した料理を出すときに"no beef" とか"no fish"とか言いながら出せばオールオッケーです。まあ、今はここからさらに踏み出して、メニューに書いてある文字くらいは英語で話せるようにしたいなと考えています。
これ、今年に入って出会いに恵まれ、2度も中国に行ったことが、大きな経験になっているのかな。
特に2回目は、いきなりの単独行。現地でウチの奥さんと合流し、一緒に行動はしてくれたものの、奥さんも日本語は翻訳アプリ頼り。奥さんおよびその家族との意思疎通、さらには空港など私一人で切り抜けなければ行けない場所で、頼りになるのは英語しかありません。10年以上心の倉庫にしまいこんで、実際に使えるのかどうかさえわからない、ホコリまみれのポンコツ英語ではありますが、そんなことは言ってられませんやですよ。
正しいか正しくないかではなく、とにかく自分の意志を伝えるために言葉を並べ立てる。そうすると案外、通じるんですよね。わずか数日の体験でありましたが、私の英語も捨てたモンじゃないなと。そして、大切なのは文法ではなく、伝えようとする心なのだということを理解しました。ホコリはかぶっていても、さび付いていたワケではないようです。
そして、さらに深く掘り下げれば、高校~大学と、やや英語偏重の進学ルートをたどってきたことがベースにあるのかなという気がします。
高校受験のときは「定員割れしているから、受ければ確実に入れるだろう」というトンデモ理由で盛岡市内の市立高校(※)の英語科にもぐりこみ、「就職しないで本ばっかり読みたい、不思議の国のアリスの世界で暮らしたい」と思って滝沢市内にある某私立大学(※)の英文科で悠久の時間を過ごし。以来ず~っと英語を話す機会なく暮らしてきましたが、やはり、何でも覚えておいて損はありません。これは「麻雀放浪記」の登場人物である達っつあんこと「女衒の達」のせりふですが、そういうことです。
あまり説教くさい話は好きではありませんが、実際にそうだったのだから言います。学校で勉強したことは、学校を出てすぐには役に立たなくても、5年後10年後いきなり役に立つことがあります。だから勉強って大切だし、働かずに勉強できることは非常に幸せなんだと言うことを知っておいてください。って、学生諸君が私のブログを読んでいるとは考えづらいですが(もしも実際に読んでいる方がいたらコメントください)。
2016年。悲しきかな、わが出身学科である某市立高校の英語科は今年3月をもって消滅。大学の文学科もいつの間にか消滅し、とても寂しい思いをしていましたが・・・私が生きている限り、私がこうして英語を活かし続ける限り、その存在がかすむことはありません。
少々、話が飛びすぎてしまいましたが、そんな感じです。上手じゃなくても、フレーズ丸暗記でもいいです。英語を知っていれば、世界レベルである程度何とかなります。そして、自分が海外に行ったときにそうだと、逆に外国人が日本に来て、英語しか話せなくて困っている人の気持ちがわかります。「ここは日本だ、日本語で話せバカ」なんて、絶対に言えなくなります。
とりあえず、みんなでラジオ番組の「パックンマックンの笑って覚える英会話」を聞きましょう。スピードラーニングよりタメになります。いや私はスピードラーニングをやったことがないので、「より」とは言えませんが、無料で聴けるし楽しいし、いいんじゃないかな。私は大好きです。
こんにちは。
現実(ニッポン)対台風(10号)
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(青森県は絶賛大荒れ中)
こんなさなかではありますが、昨日レイトショーで「シン・ゴジラ」見てきました。
しかし、ここで私が内容やら感想やらを書き連ねても仕方がないので、それは最小限とします。すなわち、暗がりで私一人単独行だったこともあり、感情の赴くまま泣いてしまいました。それと、さすがSFオタクの監督だけあって、とても高いレベルでまとまった作品だったなと。そういうことです。ただ、私が泣いたのは、いわゆるクライマックスではありませんでした。そのもう少し前の、その。
…まあ、これはネタバレになるかならないかわかりませんが、もう1か月以上経ってるし、いいか。
私は人類が力を合わせて巨大な怪獣に立ち向かうことに感動したのではなく、巨大な怪獣の圧倒的な破壊力に感動してしまったのです。船も車も電車も木の葉のように吹っ飛び、高層ビルが発泡スチロールのようにもろく崩れ去っていく光景を見て、感情を激しく揺さぶられてしまったのでした。
さて、感想はこのくらいにしましょう。
私が今回書きたかったのは、映画が終わってエンドロールを見ている時に、
「あれ? この人、どこに出てきたっけ!?」
と思ったので、それを書きます。
公式サイトのキャストのところを見てもらえばわかるように、主役の3人およびトメ(一番最後に)の野村萬斎さん以外は、とっても細かく書かれています。確かに多くの人が映画の中に出てきましたが、劇団ひまわりとか、そういう一くくりなカテゴリではなく、名前のある役者さんがこんなにいたことに、驚いてしまったのです。
そして、その中でも私が「えっ!?」と声をあげそうになったのが、以下の方々です。
「嶋田久作」
……ええ、加藤保憲です。帝都物語です。もし事前に嶋田さんが出るとわかっていたら、ゴジラに式神で対抗したり、護法童子の時の車輪でゴジラの動きを止めたりするシーンを期待していたかもしれません。いや「帝都大戦」バージョンだったら念力で電車をゴジラにぶつけて…って、なんかどちらかというと「AKIRA」みたいになりそうだな。
「ピエール瀧」
この人は、色々なところに出るなあ。なんか「あれ? 瀧さんじゃない?」というシーンがあったような気がするので、これは答え合わせで確認して「ああ、やっぱりね」という感じですね。
「橋本じゅん」
この人はどちらかというと声優のイメージなんですけどね。90年代の格闘ゲーム「餓狼伝説」のアンディ・ボガード役。だから、本当クレジットを見て「ああ、そうだったんだ…」という感想を抱いたわけですが。
本当は、好きな俳優さんならパッと見た瞬間にわからなければいけないんでしょうが…いや、でもアレか。逆にいうと、「ああ、これは○○っていう俳優さんだよね」というのではなく、いきなり物語の登場人物として捉えられたから、それはそれでいいのかな。それだけ映画の世界に入り込めたってことだし。
そんなわけで「シン・ゴジラ」を見てきた話でした。
現実(ニッポン)対台風(10号)
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(青森県は絶賛大荒れ中)
こんなさなかではありますが、昨日レイトショーで「シン・ゴジラ」見てきました。
しかし、ここで私が内容やら感想やらを書き連ねても仕方がないので、それは最小限とします。すなわち、暗がりで私一人単独行だったこともあり、感情の赴くまま泣いてしまいました。それと、さすがSFオタクの監督だけあって、とても高いレベルでまとまった作品だったなと。そういうことです。ただ、私が泣いたのは、いわゆるクライマックスではありませんでした。そのもう少し前の、その。
…まあ、これはネタバレになるかならないかわかりませんが、もう1か月以上経ってるし、いいか。
私は人類が力を合わせて巨大な怪獣に立ち向かうことに感動したのではなく、巨大な怪獣の圧倒的な破壊力に感動してしまったのです。船も車も電車も木の葉のように吹っ飛び、高層ビルが発泡スチロールのようにもろく崩れ去っていく光景を見て、感情を激しく揺さぶられてしまったのでした。
さて、感想はこのくらいにしましょう。
私が今回書きたかったのは、映画が終わってエンドロールを見ている時に、
「あれ? この人、どこに出てきたっけ!?」
と思ったので、それを書きます。
公式サイトのキャストのところを見てもらえばわかるように、主役の3人およびトメ(一番最後に)の野村萬斎さん以外は、とっても細かく書かれています。確かに多くの人が映画の中に出てきましたが、劇団ひまわりとか、そういう一くくりなカテゴリではなく、名前のある役者さんがこんなにいたことに、驚いてしまったのです。
そして、その中でも私が「えっ!?」と声をあげそうになったのが、以下の方々です。
「嶋田久作」
……ええ、加藤保憲です。帝都物語です。もし事前に嶋田さんが出るとわかっていたら、ゴジラに式神で対抗したり、護法童子の時の車輪でゴジラの動きを止めたりするシーンを期待していたかもしれません。いや「帝都大戦」バージョンだったら念力で電車をゴジラにぶつけて…って、なんかどちらかというと「AKIRA」みたいになりそうだな。
「ピエール瀧」
この人は、色々なところに出るなあ。なんか「あれ? 瀧さんじゃない?」というシーンがあったような気がするので、これは答え合わせで確認して「ああ、やっぱりね」という感じですね。
「橋本じゅん」
この人はどちらかというと声優のイメージなんですけどね。90年代の格闘ゲーム「餓狼伝説」のアンディ・ボガード役。だから、本当クレジットを見て「ああ、そうだったんだ…」という感想を抱いたわけですが。
本当は、好きな俳優さんならパッと見た瞬間にわからなければいけないんでしょうが…いや、でもアレか。逆にいうと、「ああ、これは○○っていう俳優さんだよね」というのではなく、いきなり物語の登場人物として捉えられたから、それはそれでいいのかな。それだけ映画の世界に入り込めたってことだし。
そんなわけで「シン・ゴジラ」を見てきた話でした。
おはようございます。
さっき、起きました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(昨夜のことはあまり覚えていない)。
さて今年も24時間テレビが終わりました。私は今年は本当に仕事が忙しくて、嵐にしやがれ~しゃべくりのパート、すなわち深夜帯の部分しか見ることができませんでしたが、今年も何やら人々を感動させようとあの手この手で盛り上がったみたいですね。
それに対する痛烈な当てこすりはNHKが「バリバラ」でやってのけたので、その件に関しては私がクドクド書く必要もないなと。ある意味、最高に胸がすく思いです。
そこで、これは何かを批判するわけではなく、ただシンプルに「そう思った」と。そのことを昨日の「感動を」云々と関連付けながら書きたいと思います。
今年24時間テレビであり、オリンピックの年です。オリンピックと言えばそのあとに開催されるのが「パラリンピック」。身体障碍者のアスリートたちによる世界最高峰のスポーツの祭典です。
便宜上「身体障碍者」という言葉を使いましたが、正直なところアスリートの人たちの身体能力は、私を含めた健常者をはるかにしのぐレベルだと思います。それは義足の陸上選手や車いすテニスおよびバスケットボールの選手、その試合を見た時に思いました。
それは「障碍があっても、それを乗り越えて努力してここまでやってきた」というよりは、もっとシンプルな感動なんですよね。ウサイン・ボルトや錦織圭の身体能力に感動するのと同じ理由。ただ、自分よりも優れたパフォーマンスを発揮する人たちに感動する。それだけ。
もしかしたら、24時間テレビの演出に違和感を感じていたのは、そういうことだったのかな。ま、それも「バリバラ」で言っていましたが。
「別に、そこまでしなくてもいいじゃん」
そんな感じです。あまり感動的に盛り立てられると、かえって距離を感じてしまうかな。はい、とりあえずこのあたりで打ち切ります。そういうの必要ないんで(←スタッフの声)。
さっき、起きました
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(昨夜のことはあまり覚えていない)。
さて今年も24時間テレビが終わりました。私は今年は本当に仕事が忙しくて、嵐にしやがれ~しゃべくりのパート、すなわち深夜帯の部分しか見ることができませんでしたが、今年も何やら人々を感動させようとあの手この手で盛り上がったみたいですね。
それに対する痛烈な当てこすりはNHKが「バリバラ」でやってのけたので、その件に関しては私がクドクド書く必要もないなと。ある意味、最高に胸がすく思いです。
そこで、これは何かを批判するわけではなく、ただシンプルに「そう思った」と。そのことを昨日の「感動を」云々と関連付けながら書きたいと思います。
今年24時間テレビであり、オリンピックの年です。オリンピックと言えばそのあとに開催されるのが「パラリンピック」。身体障碍者のアスリートたちによる世界最高峰のスポーツの祭典です。
便宜上「身体障碍者」という言葉を使いましたが、正直なところアスリートの人たちの身体能力は、私を含めた健常者をはるかにしのぐレベルだと思います。それは義足の陸上選手や車いすテニスおよびバスケットボールの選手、その試合を見た時に思いました。
それは「障碍があっても、それを乗り越えて努力してここまでやってきた」というよりは、もっとシンプルな感動なんですよね。ウサイン・ボルトや錦織圭の身体能力に感動するのと同じ理由。ただ、自分よりも優れたパフォーマンスを発揮する人たちに感動する。それだけ。
もしかしたら、24時間テレビの演出に違和感を感じていたのは、そういうことだったのかな。ま、それも「バリバラ」で言っていましたが。
「別に、そこまでしなくてもいいじゃん」
そんな感じです。あまり感動的に盛り立てられると、かえって距離を感じてしまうかな。はい、とりあえずこのあたりで打ち切ります。そういうの必要ないんで(←スタッフの声)。
こんばんは。
今日はワインを飲みながらAFX-2
『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(selected ambient works 85-92)
明日は仕事が休み。でも実家には帰らない。すなわち仕事が終わって、すぐにお酒を飲むことができる。しかもビールよりも好きなワインを。そして現在時刻、午前1時。
こういう状況からもわかると思いますが、今の私、とても酔っています。それをタテにして、今日は、ちょっと放言しちゃいます。すべては「酒に酔っていて覚えていない」の言い訳となるので、どうかそのあたりを了承のうえ、以下の記事をご覧ください。
今日はワインを飲みながらAFX-2
『森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(selected ambient works 85-92)
明日は仕事が休み。でも実家には帰らない。すなわち仕事が終わって、すぐにお酒を飲むことができる。しかもビールよりも好きなワインを。そして現在時刻、午前1時。
こういう状況からもわかると思いますが、今の私、とても酔っています。それをタテにして、今日は、ちょっと放言しちゃいます。すべては「酒に酔っていて覚えていない」の言い訳となるので、どうかそのあたりを了承のうえ、以下の記事をご覧ください。
こないだ2週間ぶりに休みを頂き、実家に帰り。そこで「何か、気持ちの支えになる本をもっていこう」と思って選んだのは故・大山倍達総裁の『自分に勝て! わが性格改造論』。そう、かつてゴッドハンドの異名を持ち、極真会館を興した大山総裁が『わが肉体改造論』に続いて出版した若者向けの? 本です。
大山総裁自身の経験に基づいて書かれた(ことになっている)同著。何かといえば実はアアだったコウだった…とネット上はたまた週刊誌上で書きたてられるご時世を考慮して、あえて(ことになっている)というカッコ書きを入れましたが、正直なところそれが真実であろうがそうでなかろうがどうでもよろしい。酔った勢いもあって書いてしまいますが、そういった真偽云々といった議論を、それこそ正拳一撃チェストー! とばかりに打ち砕く力が、大山総裁の言葉からは感じられます。
であれば、その言葉を受けてひどく感動。ほんのちょっぴりでも、「よし自分も強くなろう! 大山総裁のように強い人間になろう!」と文字通りの性格改造を志した私自身を否定することもあるまい、と思ったのです。
それが今回のタイトルとした「感動まで否定することはない」ということです。
実際に大山総裁がどういう人物であったか。私は残念ながら大山総裁に近い人間ではありませんし、そもそも空手を習った経緯もありません。ただただ『空手バカ一代』に感動し、どちらかというとオーケンこと大槻ケンヂさん経由で『大山カラテもし戦わば』を知りこれを読み、さらに総裁の関連著書を読んで生木に拳足を打ち込みアイタタタ~となった分際ですから(?)。なるほど、あるいは大山総裁いや大山倍達という人は、私が考えているような「超人」ではなかったのかもしれません。
でも、たとい勘違いだとしても。
「勘違いもまた感動の一形態である」とは特殊音楽家・とうじ魔とうじ氏の名言ですが(それはオーケンさんのエッセイで知った)、大山総裁のキャラクタに感銘を受け、それでもって自分を変えようと色々な行動をし、実際にそれなりの成果があった…。
その時点で、私にとっては「人生の師」の一人となっているように思うのです。少なくとも、情報化社会の恩恵でしょうか、色々と乱れ飛ぶ「本当はこの人、こういう人だったんだよ」という「真相」を突っぱねられる力を得た存在として、私はそう言えます。
リアルタイムで今、ワインを飲みながら書いている勝手もあるので、勢い任せに申し上げます。実際のところ私にとって、それが真実かどうかは、関係ないんです。すべては私がどう生きるか。そのためにプラスになるのなら、たといフィクションだろうと何だろうと、関係ないんです。その話を聞いて、自分をより良い方向にシフトさせられるのなら、どんなことであれすべてOKというのが私の基本理念。もちろん、言葉を尽くして…ここで書ききれないくらい、色々な思いはありますが(酔っぱらうとそれが5割増し以上?に膨れ上がる)…色々と考えます。
でも、ね。
やっぱり一番大切なのは、自分ですから。自分がこれから先、どう生きていくか。そのことを念頭に置いて考えた時ですね。自分がプラスになるのなら、たとい冗談だとしても、あえてそれを本気の考えとして取り込み、自分の糧としていく。
「あえて」これが大事なキーワードですよ。試験に出ます。メモしてください。…何の試験に出るかは、わかりませんが。
*
もうずいぶんと酔ってしまっているので、勢いついでに書きましょう。
その昔、筋肉少女帯が発表した『UFOと恋人』というアルバムの最後に収録されていた「バラード禅問答」。私はその歌詞の内容に、結構、人生レベルで影響を受けています。
本当はもう彼氏がこの世にいないのに「彼は宇宙人にさらわれて、どこかで生きている」という女性。
本当はもう娘がこの世にはいないのに、少女人形を娘のように扱っている男性(これ、たぶんデカルトがモデルですよね)。
その、「本当はわかっているけど、あえて…」という考え方。
多分これ、私の基本理念です。私の行動の、最もプリミティブな部分に、こういう考え方があると思います。
いつのころからか、そうなってしまいました。
でも、そのおかげで、なんというか…「心が広くなった」…というか…。
ちょっとやそっとの「真実」に、心が動じなくなったような、気がするんです。
「ああ、実際はそうなんだ。でも、オレは(実際ではない)これがいいんだ」
そう言えるようになったというか。…それはある意味、色々な「実はこうだった」情報が氾濫するこのご時世に適応するための必然ということかもしれませんが…。
ああ、なんだか今日は随分と、酔ってしまったようです。
仕方がありません。今日はいったん、この辺で打ち切ることにしましょう。
本当は「24時間テレビ」にあてつけて(?)、もう半分の思いを打ち明けようと思っていたのですが、、それはまた次回ということで。
追記を閉じる▲
こんばんは。
そんなこんなで、また今日は仕事
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(ただし明日は遅番)。
最近はあまりお酒が飲めなくなったようです。かつてはウイスキーを、ストレートで180ml(ポケット瓶1本)を飲んで、ちょうどいい感じに酔っぱらえたものですが、今日はせいぜい3分の1をロックで飲んで、それで終わりです。あまり深酒はやらないようにしよう。そう思ったのです。
じゃあこんな時間にどうしてブログを書いているのかと言えば、私の会社の上司が借りてきた「さらばあぶない刑事」を見るため。そのつもりがないのに午前0時に帰ってきて、アレコレした後にDVDを見始めて、たぶんこのあと2時半くらいに寝る予定です。やれやれ。
ただ、そうかといって早寝をして、8時間9時間寝たとしても、いまいち気持ちが晴れないんですよね。たいてい5時6時に起きて、まだ早いからと言ってもう一度寝て、7時だ8時だと繰り返して…ま、そんな感じでやってれば、気持ちが晴れないですよね。
だから結局、何時間寝るかというより、どう寝るか。その方が大事なのかなって。まあ、明日にはもうDVDを返却しなきゃいけないようなので、どうあっても見てから寝るしかないんですが。もう4分の3くらい見てしまったし。
そんなわけで、明日(今日)も仕事、頑張ります。
そんなこんなで、また今日は仕事
「森のキュイジーヌ」管理人のいぬがみです(ただし明日は遅番)。
最近はあまりお酒が飲めなくなったようです。かつてはウイスキーを、ストレートで180ml(ポケット瓶1本)を飲んで、ちょうどいい感じに酔っぱらえたものですが、今日はせいぜい3分の1をロックで飲んで、それで終わりです。あまり深酒はやらないようにしよう。そう思ったのです。
じゃあこんな時間にどうしてブログを書いているのかと言えば、私の会社の上司が借りてきた「さらばあぶない刑事」を見るため。そのつもりがないのに午前0時に帰ってきて、アレコレした後にDVDを見始めて、たぶんこのあと2時半くらいに寝る予定です。やれやれ。
ただ、そうかといって早寝をして、8時間9時間寝たとしても、いまいち気持ちが晴れないんですよね。たいてい5時6時に起きて、まだ早いからと言ってもう一度寝て、7時だ8時だと繰り返して…ま、そんな感じでやってれば、気持ちが晴れないですよね。
だから結局、何時間寝るかというより、どう寝るか。その方が大事なのかなって。まあ、明日にはもうDVDを返却しなきゃいけないようなので、どうあっても見てから寝るしかないんですが。もう4分の3くらい見てしまったし。
そんなわけで、明日(今日)も仕事、頑張ります。