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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 これといった主義主張を掲げるわけではなくて、本を読んで「おおっ!」と思ったことを、とりあえず自分の言葉で整理するためのコーナー『おぼえがき』。第一回は「ネットにおける批判について」です。

 私もこうしてブログなんていうものを使っている立場ゆえ、インターネットでの意見というか批判と言うか、そういったものをすべて否定するつもりはないのですが……某巨大掲示板の書き込みとかを見ると、たいてい特定の何かを口汚くののしるような言葉の羅列が何千とも知れず投稿されているようですね。


 初めてそういった場面に出くわしたのは、私がまだ「車板のやつらは湾岸ミッドナイトが好き」というスレッドを見ることを日課にしていた頃。なにやらここの板の常連さんが「オフ会」とやらに参加した時、高速道路で事故を起こしてしまったらしいのですね。

 で、その直後に普段は書き込まれないような口汚い書き込みがものすごい勢いで書き込まれ、「これがネットの威力なのか」と驚愕、恐怖してしまいました。しかも数日間は嵐のようにそういった書き込みがなされまくったのに、しばらくすると飽きたと見えて、スーッと波が引いてしまいました。

 これってなんなんだろう。ずっとそう思っていたのですが、それに対する解答を『子殺し』を読んでいる時に得ました。それは当時『週刊ゴング』誌上で小川直也批判をした時に起こった金澤編集長(当時)への大バッシングが起こっていた頃。まあ大変なものだったようですが、これを黒いカリスマ・蝶野さんは冷静に分析。

 「あいつら別に小川のファンでも、長州力が嫌いでもないんだよ。週刊誌とかを見ていて、ちょっと刺激的な記事があったら、それに食いついてるだけなんだから(大意)」

 まさにそういうことなんだろう、と思いました。そんなものにいちいち反応していたのでは、気持ちばかりが疲れてしまいます(ライガーさんみたいに超絶激情で突っぱねると言う方法もあったと思いますが)。それ以来、私は巨大掲示板に足を運ぶことはなくなりましたし、たとえ検索してそのたぐいの情報が引っかかってきたとしても、極力(ほぼ絶対に)見ないようにしています。


 さらにその気持ちが間違っていない、と認識したのが、もう何度も引っ張ってきている武藤敬司さんの『プロレスに生きる』を読んだ時。

 武藤さんは(一応ブログとかは、あるにはあるのですが)自身でパソコンを使うことはまったくないらしくて、それゆえネットでどんな批判をされているか知らないし興味もないとこの本では語っています。

 こういうことを、大っぴらに宣言することもアリなんだ、と思いました。ある意味「感動」と言っちゃってもいいかもしれません。いっちゃうぞバカヤローって感じです(ちょっと違う)。自分が信じるものがあって、なおかつ自分のやっていることに自信があれば、誰が何を言おうと気にする必要はないのです。実際に武藤さんの場合はすばらしい成果、いわく「作品」をたくさん残してきてますしね。


 インターネットにおける情報の見方、考え方については、もう少しあるのですが、それは次の記事でまた書きます。ただ、私がしびれる憧れる2大スーパースターがそんな風に語ってくれたことは、私にとって何よりも心強いものでした。……でもそろそろ蝶野さん自身が書き込んで欲しいなあ「蝶野王国」(蝶野さんのブログ)……。

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