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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 昨日はお風呂に入りませんでした。というのは、風呂場で疲れきってしまって、「このまま風呂に入ったら、湯舟の中で寝てしまいかねない」と思って、入らなかったのです。

 まあ、そのくらい、残業で疲弊してしまいました。

 今日はいつもよりも1時間少ない残業で済んだので、随分とゆとりを持ってこんなブログも書いています。

 まあ、昨日は残業が長引いた上にお使いを頼まれて、自暴自棄になったあげく夜のゲーセンに赴き『太鼓の達人』を乱打しまくるという蛮行を行ったツケもあるのですが。

 
 とにかく、気持ち的にはすごく余裕のある感じがします。なので、このところ思っていたことを少し。


 三沢社長は81年にデビューして、その後タイガーマスク(2代目)を経て素顔で大活躍されたということですが、81年といえば私が生まれた年。ある意味では『プロレスラー・三沢光晴』と『一般人・犬神』は同級生だったのですね。

 ついでに言うと、三沢社長が亡くなった翌日には、大阪プロレスのレフェリーをやっていたテッド・タナベさんも亡くなってしまいました。

 私は一度だけ見たみちのくプロレスで、見たことがあります。その時はちょうど気仙沼二郎さんとスペル・デルフィンの激闘で、まだバラモン兄弟こと佐藤秀・恵兄弟も髪があった頃……だったよなあ、そうじゃなかったかなあ(笑)。

 普通に見れば気仙さんの方が圧倒的なのですが、凶器を見つけられない(他のレスラーの抗議に応じているから)とか、せっかく気仙さんがフォールしてもどこかで失神してたりとか、そうかと思えば逆にデルフィンが気仙さんをフォールすると、ものすごいスピードで3カウントを数えたり。

 まさに悪逆非道、傍若無人の振る舞いをデルフィンとともに繰り広げ、矢巾町民体育館に集まった岩手県民を巻き込んで暴動寸前の大盛り上がりとなったのでした。

 もちろんそれはリング上のみであって、みちプロとも親交のあったハヤブサさんのブログによれば、笑顔のたえない温厚で優しいお人柄であったといいます。あいにくと私が見かけたのはその一度きりだったのですが、やはりプロレスにかかわる人というのは、みんなすごくタフな印象があるので、こうもあっさり亡くなられるとすごく悲しいし、ショックも大きいものです。

 そういえば、三沢社長と最後に戦った斎藤選手の家族に嫌がらせをする人間がいるというニュースを聞き、これまた嫌な気持ちになりました。おいおい、それってちょっと違うだろ! と思うのです。斎藤選手は、結果的にそういうことになったとはいえ、プロとしてきっちり仕事をこなしただけなんだから。

 そんな感じで、これが切っ掛けでまたプロレスを見だしたと言うのは……ちょっと残念な感じですが……でも、三沢社長がいないからこそ、みんながんばって盛り上げていこうとするのだし、やはりそれを見ていきたいとも思います。

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