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先日金港堂本店で「これが今生の別れとなろう」と言って買った最後の一冊こと『伊達女』(佐藤巌太郎、PHP文芸文庫)を読了しました。
PHP文庫というのが少々気に入りませんが、せっかく興味を持ったのにわざわざレーベルで遠ざけることもありますまい(それはそれで業腹だし)。ともあれオビの文言、すなわち
「濡れ衣を着せられたまま島流しにされるくらいなら
謀反を起こしなさいませ」
という言葉に「えっ!?」と衝撃を受けたのは事実ですから、思ったほどじゃなかったな……としても、これが金港堂最後の一冊となるのだから……ということで買ってきました。
読みました。
これがまた、面白かったんです。
連作短編集という形式がいいですね。短編というのは内容がギュッと凝縮されていますから、集中力が高いまま物語が終わるけど、最初から読んでいくと二十歳そこそこの政宗公が最後の方は五十代になり、最初は血気盛んで太閤や内府殿と対等に渡り合おうとしていたのに、最後の方は娘や家臣の嫁や伊達藩の安泰を第一に考えるようになっていて……それぞれ異なる女性の目線から、そういう政宗公の変化を楽しめたので良かったです。
個々の作品のことについて語ると、最初の「義姫」の話で、まずやられてしまいました。
義姫(のちの保春院)といえば、政宗様が主人公の物語だと「希代の大悪女」今風に言えば「毒親」として描写されています。我が子を毒殺しようとして失敗し、反対に自分が寵愛する小次郎を処断され、失意のうちにフェードアウト……そんな感じの扱いが定番でした。特に私なんかは『花の慶次』のイメージが強くて……
ただ、これは佐藤巌太郎氏の義姫であって隆慶一郎氏(+原哲夫氏)のそれではないので、また違った人物として描かれています。その点について、見返しにもある文章を丸ごと引用させていただきます。
そういう人なので伊達対最上の間に輿で割って入って和睦を結ばせたりします。そして我が子政宗のことも、「血気にはやりすぎて伊達家の存亡が危ぶまれる」ことから心配することはあっても疎んだり憎んだりするような雰囲気はありません。じゃあ例の事件はどうなるんだといえば、それは……さすがにそこまでは申し上げません。それは実際に本編をお読みください。そのうえで感想を一言だけ申し上げると、こないだ読了した『樅ノ木は残った』と同じような気持ちになりました。最初の一篇から、いきなり胸いっぱいになっちゃったのです。それまで悪いイメージがあった人ほど、そうじゃない一面が見えると感動が込み上げてくる……そういうものですよね。
和睦の嘆願――。
女は生来、戦を忌み嫌う気質を備えている。だからこそ、できることもあるのではないか。たしかに男と違って戦う力は劣る。が、他家との関係は何も戦ばかりではない。互いに助け合い、結束するのもまた、家同士のあり方のひとつだ。互いの関係の修復なら、女にもできないはずはない。この義姫の考えは間違っていなかった。
その後は正室愛姫、保姆喜多(片倉景綱姉)、愛娘五郎八、そして片倉重長の側室で真田信繫の娘・阿梅と続きます。他の本で読んである程度のイメージがあったので、それほど意外なことではありませんでしたが、ただ、いずれにしても凛とした雰囲気をたたえ、独断専行で人を驚かせるのが得意な政宗公もギョッとするようなことを言う女性たちでした。最後の方でそういった女性たちを政宗公は「心の中にある鬼を封じる光」という風に重長に説明していました。政宗公も娘婿の松平忠輝も片倉「鬼の小十郎」重長も武勇にかけては一級品ですが、人の営みとは戦いの中で華々しく死ねばいいものではありません。そういうことを諭し、導いた女性たちの物語。とても良い出会いでした。
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