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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 先日、世界陸上に絡めて「走ること」への小品をぶち上げたところですが、旬の話題なのでギリギリのところでもうひとつ入れ込んでしまいましょう。

 私の兄は高校の頃陸上部だった、ということで、具体的にどういう距離を走っていたのかはアレですが、ともかくそうだったと言うことはよく覚えております。弟はヒキオタ文化系ですが、その兄はバリバリのアスリートだったのです。

 そんな兄にしてみればいわゆるトラック、競技場、なんていうのは庭のごとき場所であるかと思いますが、私にとっては場違いもいいところ、米軍基地に迷い込んだ日本人留学生(英検3級)みたいな心境でした。心境でした、と言うことは一度以上そのトラックを走ったことがあるというわけで、なぜか中学の時の陸上大会は我が県が誇る全天候型競技場を借り切って走ったんですよ。

 その時は確か、(選べる枠の中で)一番距離が短い400mを選んだんだったかな。3000mなんてまず不可能だし(1500mもかなり無理っぽい)、200mは枠がなかったし。だったら400mでいいや、って。

 このあたりでそろそろ、スパイクを履いた陸上部の皆様に顔面をドロップキックで蹴飛ばされやしないか心配になってくるところですが、実際に走ってみてその400mという距離の長さを痛感しました。そもそも50mとか100mとかしか走ったことがないから、100mの気分で走ったんです。そうしたところもう後半には持久力が続かず……。

 オリンピックとかで見るトラックと言うのは、こんなに広くて長いものなのか。ある種の感動とともに自分のどうにもならない絶対的なダメさ加減を全校生徒の前でさらすハメになったのでした。ちなみにその直後、110mハードルなどにも連続参戦しましたが、結果は言うまでもありますまい。


というわけで、陸上と言うと散々な記憶しかないのですが、一方でとても素敵な記憶もあるわけでして。どんな。と言うのは当時、陸上部に所属していた女の子がいまして。

背は高くなく、髪も長くない子だったのですが、やたらと走るのが速いんですね。それも中長距離が得意なようで、トラック競技では800mに出て、ロードレースでは当然ながら学校の代表に。まさに太陽とスペースデブリぐらいの輝きの差があるわけですが、同じクラスだったので毎日顔も合わせたし、2年間で1~2分は会話したこともあったかな。ええ、当時は大槻ケンヂ氏並に女子と話す機会がなかったんですよ。事実として。

 もちろんその後はどうということもなく、私は自堕落な生活を送っているのですが、陸上競技というと(特に「800m」というと)いつも彼女のことを思い出すのです。

それは、きわめて冷静に考えるに、好きとか嫌いとかいうよりも、自分にないものを持っている人への単純な憧れなのでしょう。そしてそれが、とりわけ敏感な思春期と重なってしまったために、きっと今でもなお特別な存在となっているのかもしれません。

 たとえば今からどれほどトレーニングをしたとしても、彼女に追いつくことはまず無理なことだとは思いますが、それでも同じ世界に立てれば、憧れではなく目標になるのかもしれない……ひいては、20年来引きずってきたこのコンプレックスも解消させられるかもしれない!……

……などと思っては見たものの、今の職場は完全な内勤であり、とりあえず走ることより毎日PCの画面とにらめっこしているので眼力のトレーニング(というかリラクゼーション)が必要だというのが動かしがたい事実のようです。トホホ……。

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