忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 節分にちなみ、鬼の話をしようと思います。

 節分と言えば「鬼は外、福は内」ですが、北上鬼剣舞や秋田のなまはげなど、東北人としては、鬼は怖いもののあまり追い出したい存在ではありません。確かに西国の方では大江山の酒呑童子を始め人をさらって食べてしまう極悪非道の鬼たちがおり、それを朝廷の威光を背負った英雄が対峙するという話がありますが……そもそも東北の民そのものが鬼扱い(蝦夷)されていたっていう歴史もあるからかな。
 そもそも地獄の鬼だって役人の一種のようなもので、現世で罪を犯した我々衆生に対して、「お前は現世でこれこれの罪を犯したから、今こんな目に遭っているんだぞ」と叱りつけながら責め苦を味わわせているのですから、そう、恐ろしいけど悪い存在ではないはずなのです。地獄でなぜ悪い。それは星野源だ。
 って、ここまで書いて去年Twitter(現:X)で「昔の岩手の民話で、一人暮らしのお爺さんが寂しさのあまり『鬼は内!』って言いながら豆を撒いたら方々で追い出された鬼たちが集結し、大いに盛り上がったという話があります」って書いたのを思い出しました。出典はこちらです。

鬼の館だより第2号|北上市 鬼の館

 まあこの話はいわゆる「民話」なので、岩手に限らず山形とか何とかって別な土地にもあるようですが、私も独り暮らしだし、鬼は内! と言って豆を撒いたら楽しい夜を過ごせるかもしれません。ただ、鬼の皆様には酒肴など一人一品ずつ持参していただけるとありがたいのですが。あ、でも民話のお爺さんも独り暮らしだから、別に何か用意していたわけじゃないだろうし、いいのかな。

  *

 ここからは、今回この記事を書くために検索して見つけたものです。
鬼の正体とは? 特徴や種類、仏教の獄卒をわかりやすく解説|日本仏教学院
 だからつまりアレですね、鬼って言っても平安時代からいた正体不明の幽鬼みたいなのと、仏教由来の獄卒とは違うんですよ。疫病とかあまり好ましくないものを祓うために鬼は外って言うんです。我が国は何でもかんでも自分たちのいいように取り込んでしまう「沼」ですからね。初詣とお盆とクリスマスを同様に受け入れてしまう国民ですから、それでいいのでしょう。なんていうと「良くない!」と各方面から袋叩きにされそうですが。

  *

 まあ仏教的な意味合いで突き詰めれば違うということは理解できますが、最初に書いたように東北人、特に岩手県民である私は、鬼というものに対して排斥されるべき存在というよりは敬われ崇められる存在、つまり「鬼神」というイメージをもっています。これはとても土俗的、民俗的なイメージです。そういう風土で育ったんだからそういう集団的無意識が私の中にはあるんです。あとゲーム『女神転生』の影響もあるのかな。

 とりあえず私もささやかながら豆を買ってきて、それを撒いてみようかと思います。掛け声は「福は内、鬼も内」かな。ちなみに私の記憶では、落花生を撒いていた気がします。床に落ちても殻をむけば綺麗な状態で食べられるからです。漫画とかでは大豆を撒いているのは知っていましたが、この方が衛生的で合理的な気がします。でもきっと、またマジョリティの人たちからは「そうなの?」と珍奇なものを見る目で見られるんだろうなあ。

 いいんです私はアテルイの民ですから。安部貞任とか奥州藤原氏とか奥羽越列藩同盟とか、何かと中央政府に歯向かって生きてきた土地の民ですから。だからといって別に加藤保憲のようになる予定はありませんが。その蝦夷を征討した坂上田村麻呂が建てた多賀城創建1300年記念は素直におめでたいと思います。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック