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こんばんは
前回の記事を書いた余勢をかって
高杉です(これから夜ごはん食べます)。
前回の記事を書き始めた時は、『クローズアップ現代』で先日亡くなった藤子不二雄A先生のことを特集していました。
そのあと、アレコレ記事を添削しているうちに『うたコン』になって。あれ『めざまし8』でおなじみの谷原章介さんっていうか黒岩刑事どうしたんですか、と谷原章介さんのことがテレビゲーム『ジャッジアイズ 死神の遺言』で好きになった私は思ったのですが、その流れでずっと見ていました。
太田裕美さん。おお、初期の『こち亀』でしょっちゅう出てきた歌姫ですね。今も相変わらずおきれいで、歌声も素敵です。
キンプリも出てきましたか。いや私は『鉄腕DASH』とかほかのジャニーズ系バラエティ番組である意味大活躍中の岸くんしか知らないのですが、ちょっと嬉しくなってしまいます。
そんな前後のアレコレもありますが、私がチャンネルを「バナナサンド」に変えることなく見続けたのは、『野宮真貴』さんが出るという一方をキャッチしたからでした。
私にとって野宮真貴さんといえば、言うまでもなく『ピチカートファイヴ』のヴォーカルです。それは同時ゲストの横山剣さんも語っておられましたが、ええピチカートファイヴです。実際はピチカートファイヴというのはある意味小西康陽さんのプロジェクトそのもの、ある意味コーネリアスみたいなもの、なのかもしれませんが、それは今初めて知ったことですから。とにかく私にとってピチカートファイヴというのは野宮真貴さんと小西康陽さんのユニットであって、「渋谷系」という音楽の象徴でした。そして私の兄者のフェイヴァリットであり、それを見て育ってきた私にとっての「最先端の音楽」でした。
兄者が持っていたCDは、たぶん1997年に発売された10枚目のアルバム『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』だったと思います。その中に収録された『モナムール東京』に衝撃を受けたことを今でも覚えているからです。
「これが今の、最新の音楽なんだ!」
つって16歳の私は近所のレンタルCD店に爆走。そこで「は行」のピチカートファイヴの棚を探し、そのお店で最も新しいアルバムを借りたのですが、それは9枚目のアルバム『ロマンティーク96』でした。そして異常な興奮を覚えた『モナムール東京』と似たタイトルの『トウキョウ・モナムール』を聞き、なんとも言えないわびしい気持ちになったことがあるかい? と、それは電気グルーヴですか? と言わんばかりの感慨を覚えたのでした。
そんなアオハルの時代から20年経って、今じゃ何かといえば懐かしい懐かしいというオッサンになってしまった私ですが、テレビの生放送で歌う野宮真貴さんは相変わらずの野宮真貴さんでした。いや確かに四半世紀くらい生きてきた野宮真貴さんだったのですが、その歌声は相変わらず色気たっぷりで、私も当時と現代の時間軸が一緒くたにされて心地よくなってしまいました。
これなら、おれも、まだイケるな。そう思いました。
40歳(今年の7月で41歳)という事実を受け入れつつも、意味もよくわからないまま「渋谷系」という言葉に「時代の最先端」を感じた10代の頃の気持ちを思い出すことができる。つまり、まだ心は死んでいない、ということです。いま、少し心が疲れて元気じゃない日々が続いていただけに、そう思えたことが、ちょっぴりうれしかったです。
おなかがすきました。そろそろご飯を食べます。以ッ上!(今日は厚切りジェイソンさん風シメ)
前回の記事を書いた余勢をかって
高杉です(これから夜ごはん食べます)。
前回の記事を書き始めた時は、『クローズアップ現代』で先日亡くなった藤子不二雄A先生のことを特集していました。
そのあと、アレコレ記事を添削しているうちに『うたコン』になって。あれ『めざまし8』でおなじみの谷原章介さんっていうか黒岩刑事どうしたんですか、と谷原章介さんのことがテレビゲーム『ジャッジアイズ 死神の遺言』で好きになった私は思ったのですが、その流れでずっと見ていました。
太田裕美さん。おお、初期の『こち亀』でしょっちゅう出てきた歌姫ですね。今も相変わらずおきれいで、歌声も素敵です。
キンプリも出てきましたか。いや私は『鉄腕DASH』とかほかのジャニーズ系バラエティ番組である意味大活躍中の岸くんしか知らないのですが、ちょっと嬉しくなってしまいます。
そんな前後のアレコレもありますが、私がチャンネルを「バナナサンド」に変えることなく見続けたのは、『野宮真貴』さんが出るという一方をキャッチしたからでした。
私にとって野宮真貴さんといえば、言うまでもなく『ピチカートファイヴ』のヴォーカルです。それは同時ゲストの横山剣さんも語っておられましたが、ええピチカートファイヴです。実際はピチカートファイヴというのはある意味小西康陽さんのプロジェクトそのもの、ある意味コーネリアスみたいなもの、なのかもしれませんが、それは今初めて知ったことですから。とにかく私にとってピチカートファイヴというのは野宮真貴さんと小西康陽さんのユニットであって、「渋谷系」という音楽の象徴でした。そして私の兄者のフェイヴァリットであり、それを見て育ってきた私にとっての「最先端の音楽」でした。
兄者が持っていたCDは、たぶん1997年に発売された10枚目のアルバム『ハッピー・エンド・オブ・ザ・ワールド』だったと思います。その中に収録された『モナムール東京』に衝撃を受けたことを今でも覚えているからです。
「これが今の、最新の音楽なんだ!」
つって16歳の私は近所のレンタルCD店に爆走。そこで「は行」のピチカートファイヴの棚を探し、そのお店で最も新しいアルバムを借りたのですが、それは9枚目のアルバム『ロマンティーク96』でした。そして異常な興奮を覚えた『モナムール東京』と似たタイトルの『トウキョウ・モナムール』を聞き、なんとも言えないわびしい気持ちになったことがあるかい? と、それは電気グルーヴですか? と言わんばかりの感慨を覚えたのでした。
そんなアオハルの時代から20年経って、今じゃ何かといえば懐かしい懐かしいというオッサンになってしまった私ですが、テレビの生放送で歌う野宮真貴さんは相変わらずの野宮真貴さんでした。いや確かに四半世紀くらい生きてきた野宮真貴さんだったのですが、その歌声は相変わらず色気たっぷりで、私も当時と現代の時間軸が一緒くたにされて心地よくなってしまいました。
これなら、おれも、まだイケるな。そう思いました。
40歳(今年の7月で41歳)という事実を受け入れつつも、意味もよくわからないまま「渋谷系」という言葉に「時代の最先端」を感じた10代の頃の気持ちを思い出すことができる。つまり、まだ心は死んでいない、ということです。いま、少し心が疲れて元気じゃない日々が続いていただけに、そう思えたことが、ちょっぴりうれしかったです。
おなかがすきました。そろそろご飯を食べます。以ッ上!(今日は厚切りジェイソンさん風シメ)
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