こんばんは
スキージャンプ女子の中継を見ながら書いています
いぬがみです。
あることないことワケのわからないことばかり書いているこのブログですが、ひとつだけ誇れることは、2006年からず~っと書き続けているということです。確かに「一日も欠かさず」というわけではありませんが、それでも「その時、その時」の私の思いを書いてきたこと、それがパブリックな場所に保存されていることは、ひとつの財産であると思います。
そのうえで、申し上げます。
不肖いぬがみ、スキージャンプ女子は、ほかの競技よりも2割増しで強い関心をもって見ています。
理由その1は、2014年(今から、ええと……8年も前になるの!?)に乾ルカ先生の小説『向かい風で飛べ!』を読んだから。まあ、その時のナマの感想はリンク先を参照していただきたいのですが、テレビで見ているだけではわからないアレコレがあるのです。特に日本男児たるいぬがみには絶対にわからんのだッ!(アヌビス神が乗り移ったふうに)ということもありました。テレビ中継で語られるウインドファクターとかって言葉を何となく理解できるようになったのも、この小説を読んだおかげです。
そしてもうひとつは、岩手には「小林諭果」という女子選手がいて、その人のことを私は10年以上前から追いかけてきたからです。
ん? 岩手? 小林?
ええ、男子スキージャンプで超絶大躍進ロードを現在進行形で驀進中、今回のオリンピックでもメダルを期待されている小林陵侑選手の姉で、小林潤志郎選手の妹です。もう『小林一族』ってくくりで言ってもいいんじゃないかってくらいなんですが、みんな岩手県八幡平市の出身なんです。私も岩手県盛岡市出身なんです。同郷なんですエッヘン。
……失礼しました。今日のテーマはなんでしたっけ。そうそう『スキージャンプ女子』ということですね。
このブログで小林諭果選手を初めて取り上げたのは2011年9月のこと。当時から高梨沙羅選手は『天才少女』とマスコミでもてはやされていました。
当時も今も『天才少年少女』というキャッチコピーは大嫌いな私ですが、高梨沙羅選手に関しては、もう文句のつけようがないですよね。……ちょうどいま、高梨沙羅選手のジャンプをライブで見ましたが、こりゃあスゲーわ。
それと同時に、どれだけ頑張っても結果を出さないと認められないっていう、競技の世界の厳しさを感じるところであります。それは今、すべての選手が1回目のジャンプを終えた後のリザルトで、「こりゃあスゲーわ」といった高梨沙羅選手が5位になったというところで、改めて思いました。
でも、ね。そういう競技的なこととは別な視点、もっと心情的な視点から見たときに、すごく嬉しい情報もあったんですよね。
HBCカップジャンプで小林諭果選手(八幡平市出身)が2度目の優勝
この時、私は今このブログを書いている青森県十和田市からウン百キロ……本州で一番面積が広い(特に南北に)岩手県を飛び越して、宮城県仙台市に人生をかけた大勝負を仕掛けていたので、すぐに記事を書くことはできませんでしたが、この一報はすごく嬉しかったです。
もちろん、オリンピックという世界最高のステージで競技をすることは、素晴らしいことです。でも、「オリンピックに出られなかったから全部ダメ」ってことじゃないんです。これは不肖いぬがみ、自分自身に向けて言っていることです(喧嘩師の極み・壁詰め)。
とはいえ、私のようなド素人は、結局テレビで放送されるくらい大きなイベントでもなければ、下手すると、そういう競技があることさえ知らずに生きているわけですからね。だから、まあ、一概には言えないと思うのですが……。
すみません、ビールを飲みながら書いていたので、着地点が少々アヤフヤになってしまいました。でも、とにかく言いたかったのは、こういうことです。無理やり要点を書き出します。
いぬがみは、女子スキージャンプ競技を、強い興味をもって見ています。
そして「岩手県初の、女子スキージャンプ競技選手」たる小林諭果選手を、いぬがみはずっとず~っと応援しています! 2011年9月にIBCで放送されたテレビ番組『飛行少女物語~岩手初の女子スキージャンパー成長記~』を見たときからずっとね!
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スキージャンプ女子の中継を見ながら書いています
いぬがみです。
あることないことワケのわからないことばかり書いているこのブログですが、ひとつだけ誇れることは、2006年からず~っと書き続けているということです。確かに「一日も欠かさず」というわけではありませんが、それでも「その時、その時」の私の思いを書いてきたこと、それがパブリックな場所に保存されていることは、ひとつの財産であると思います。
そのうえで、申し上げます。
不肖いぬがみ、スキージャンプ女子は、ほかの競技よりも2割増しで強い関心をもって見ています。
理由その1は、2014年(今から、ええと……8年も前になるの!?)に乾ルカ先生の小説『向かい風で飛べ!』を読んだから。まあ、その時のナマの感想はリンク先を参照していただきたいのですが、テレビで見ているだけではわからないアレコレがあるのです。特に日本男児たるいぬがみには絶対にわからんのだッ!(アヌビス神が乗り移ったふうに)ということもありました。テレビ中継で語られるウインドファクターとかって言葉を何となく理解できるようになったのも、この小説を読んだおかげです。
そしてもうひとつは、岩手には「小林諭果」という女子選手がいて、その人のことを私は10年以上前から追いかけてきたからです。
ん? 岩手? 小林?
ええ、男子スキージャンプで超絶大躍進ロードを現在進行形で驀進中、今回のオリンピックでもメダルを期待されている小林陵侑選手の姉で、小林潤志郎選手の妹です。もう『小林一族』ってくくりで言ってもいいんじゃないかってくらいなんですが、みんな岩手県八幡平市の出身なんです。私も岩手県盛岡市出身なんです。同郷なんですエッヘン。
……失礼しました。今日のテーマはなんでしたっけ。そうそう『スキージャンプ女子』ということですね。
このブログで小林諭果選手を初めて取り上げたのは2011年9月のこと。当時から高梨沙羅選手は『天才少女』とマスコミでもてはやされていました。
当時も今も『天才少年少女』というキャッチコピーは大嫌いな私ですが、高梨沙羅選手に関しては、もう文句のつけようがないですよね。……ちょうどいま、高梨沙羅選手のジャンプをライブで見ましたが、こりゃあスゲーわ。
それと同時に、どれだけ頑張っても結果を出さないと認められないっていう、競技の世界の厳しさを感じるところであります。それは今、すべての選手が1回目のジャンプを終えた後のリザルトで、「こりゃあスゲーわ」といった高梨沙羅選手が5位になったというところで、改めて思いました。
でも、ね。そういう競技的なこととは別な視点、もっと心情的な視点から見たときに、すごく嬉しい情報もあったんですよね。
HBCカップジャンプで小林諭果選手(八幡平市出身)が2度目の優勝
この時、私は今このブログを書いている青森県十和田市からウン百キロ……本州で一番面積が広い(特に南北に)岩手県を飛び越して、宮城県仙台市に人生をかけた大勝負を仕掛けていたので、すぐに記事を書くことはできませんでしたが、この一報はすごく嬉しかったです。
もちろん、オリンピックという世界最高のステージで競技をすることは、素晴らしいことです。でも、「オリンピックに出られなかったから全部ダメ」ってことじゃないんです。これは不肖いぬがみ、自分自身に向けて言っていることです(喧嘩師の極み・壁詰め)。
とはいえ、私のようなド素人は、結局テレビで放送されるくらい大きなイベントでもなければ、下手すると、そういう競技があることさえ知らずに生きているわけですからね。だから、まあ、一概には言えないと思うのですが……。
すみません、ビールを飲みながら書いていたので、着地点が少々アヤフヤになってしまいました。でも、とにかく言いたかったのは、こういうことです。無理やり要点を書き出します。
いぬがみは、女子スキージャンプ競技を、強い興味をもって見ています。
そして「岩手県初の、女子スキージャンプ競技選手」たる小林諭果選手を、いぬがみはずっとず~っと応援しています! 2011年9月にIBCで放送されたテレビ番組『飛行少女物語~岩手初の女子スキージャンパー成長記~』を見たときからずっとね!
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