こんばんは
続けてりゃ、いいことあるさ
いぬがみです(←ここまでで、いぬ蔵・心の俳句)
たまたま七五調になったから、そう言っただけですよ。別に深い意味はありません。って、それはいつものことですが。
今日は久々に、まあ適度に酔っぱらっているから久々でもないかもしれませんが、軽いブログです。そんなにめいっぱい感情込めて書くわけではありません。面倒くさくありません。どうかご安心ください。というか……アレですかね。逆に、「ちゃんとした文章が書けないなら、ブログなんてやるべきじゃない」とかって更新をセーブして、心が決壊寸前のダムみたいになって、そこに集中豪雨的にお酒を飲んじゃうから、水害レベルのブログになっちゃうのかもしれませんね。
なんてね。今日はこんな風に、思ったことを割とリアルタイムに打ち込んでいます。そういうブログです。いいんですよ私のブログはこんな感じで。内容はしおしおだって、かれこれ5年? いや2005年だか2006年だかに始めたから、もう14年くらい?? 続けているんですから。続けることに意義があるんです。そう、これが今日のテーマです(いや本当に)。
別に今日が周年記念日とか、そういうわけではありませんが、そうなんですよね。もう15年近く経つんですよね。このブログを始めてから。
開設当時は、「ブログ」というのは時代の最先端でした。今、自分で書きながらプーッ! と吹き出してしまいましたが、本当です。「ホームページ」よりも気軽に更新できる形式だから、つって、私も乗っかった。そういう感じです。
……いま思うとアレですかね。mixiっていう。ブログとか、それこそ今でも通じる言葉で言えば「SNS」ってやつですか? ごく狭い範囲のコミュニティで発信共有するツールとして、日記めいたことを書いていたのが、ベースなのかもしれません。少なくとも個人的には。そういうのをやっていたから、mixiっていう会員じゃなく全世界的に発信するのが今風だっていうから、それじゃあやってみようかね。そんな感じで始めたような気がします。
まあ毎日毎日、実家暮らしでとりあえず常時接続環境がありましたからね。「起床→PC起動→ブログ書く」みたいなのが、一時期の私のルーチンでした。朝一番でブログを書く。私は今風に言えばASD(とADHD)なので、いったん身についたルーチンはガッチリ守るんです。そんなわけで、毎日毎日ブログは更新していました。
といって、別に「やらなきゃ、やらなきゃ」という義務感とか強迫観念でやっていたわけじゃないんですけどね。あくまでも好きでやっていたことです。
一言でいえば、新聞のコラム記事みたいなものを自分でもやりたい! と思っていて、それをちょっぴりだけ意識して、書いていたんですよね。朝日新聞で言えば「天声人語」とか。ああいう感じで。岩手日報のような地方紙だろうと何だろうと、折りたたまれた新聞をパッと開いて一面をざっと読んでいくと、隅っこに必ずある(……ありますよね?)コラム。ああいうのを目指してこのブログはやってきました。更新ペースが極端に遅くなったのは、ひとえに常時接続環境がなくなり、Wi-Fiテザリングでないと、こうして更新できなくなったからです。って、それは余計な話題でした。閑話休題……っと。
もう……。書きながら適度にビールを飲んでるから、段々と文章がまとまらなくなってきましたよ。だから今のうちに、急いでこのブログをまとめます。ちゃんと意識があるうちにね。って、こんなはずじゃなかったんだけどなあ今日は……〇×△(ぶつぶつ)……。
いや何が言いたいかっていうと、こうやってブログという形式で残しておくと、あとで思い出して、きちんとした文章を書こうと思った時に、すごく助かるってことなんです。何月何日何時何分に書いたってことが世界中の誰でもわかるように記録されるし、キーワードを打ち込めば、それがすぐに出てくるし。
それを実感したのが、自分がとある文章を書こうとした時です。今年はあの震災からちょうど10年が経つ年ですから。自分の不確かな記憶を保管してくれるのは日時+撮影場所まで記録してくれているデジタル的な写真と、その時々の思いを書き留めたこのブログですから。
だから、どんなにくだらないことだろうと支離滅裂なことだろうと。たとい世界中のあらゆる方々から否定されても、このブログは無くしちゃいけないなって。自分のパソコンのローカルファイルに保存すればいいのかもしれないけど、それだってHDDやPCそのものがクラッシュしてしまえば終わりですから。
そういう時、どんなに格好悪くても、私の(ひょっとしたら「最期」になるかもしれない)思いが残るのなら。それが「ウェブ」に「ログ」すなわち「ブログ」として残るのなら、いいかなって。そう思ったんです。
そういうわけで、今日はこの辺で。ありがとうございました。
皆様お元気で。さようなら。
続けてりゃ、いいことあるさ
いぬがみです(←ここまでで、いぬ蔵・心の俳句)
たまたま七五調になったから、そう言っただけですよ。別に深い意味はありません。って、それはいつものことですが。
今日は久々に、まあ適度に酔っぱらっているから久々でもないかもしれませんが、軽いブログです。そんなにめいっぱい感情込めて書くわけではありません。面倒くさくありません。どうかご安心ください。というか……アレですかね。逆に、「ちゃんとした文章が書けないなら、ブログなんてやるべきじゃない」とかって更新をセーブして、心が決壊寸前のダムみたいになって、そこに集中豪雨的にお酒を飲んじゃうから、水害レベルのブログになっちゃうのかもしれませんね。
なんてね。今日はこんな風に、思ったことを割とリアルタイムに打ち込んでいます。そういうブログです。いいんですよ私のブログはこんな感じで。内容はしおしおだって、かれこれ5年? いや2005年だか2006年だかに始めたから、もう14年くらい?? 続けているんですから。続けることに意義があるんです。そう、これが今日のテーマです(いや本当に)。
別に今日が周年記念日とか、そういうわけではありませんが、そうなんですよね。もう15年近く経つんですよね。このブログを始めてから。
開設当時は、「ブログ」というのは時代の最先端でした。今、自分で書きながらプーッ! と吹き出してしまいましたが、本当です。「ホームページ」よりも気軽に更新できる形式だから、つって、私も乗っかった。そういう感じです。
……いま思うとアレですかね。mixiっていう。ブログとか、それこそ今でも通じる言葉で言えば「SNS」ってやつですか? ごく狭い範囲のコミュニティで発信共有するツールとして、日記めいたことを書いていたのが、ベースなのかもしれません。少なくとも個人的には。そういうのをやっていたから、mixiっていう会員じゃなく全世界的に発信するのが今風だっていうから、それじゃあやってみようかね。そんな感じで始めたような気がします。
まあ毎日毎日、実家暮らしでとりあえず常時接続環境がありましたからね。「起床→PC起動→ブログ書く」みたいなのが、一時期の私のルーチンでした。朝一番でブログを書く。私は今風に言えばASD(とADHD)なので、いったん身についたルーチンはガッチリ守るんです。そんなわけで、毎日毎日ブログは更新していました。
といって、別に「やらなきゃ、やらなきゃ」という義務感とか強迫観念でやっていたわけじゃないんですけどね。あくまでも好きでやっていたことです。
一言でいえば、新聞のコラム記事みたいなものを自分でもやりたい! と思っていて、それをちょっぴりだけ意識して、書いていたんですよね。朝日新聞で言えば「天声人語」とか。ああいう感じで。岩手日報のような地方紙だろうと何だろうと、折りたたまれた新聞をパッと開いて一面をざっと読んでいくと、隅っこに必ずある(……ありますよね?)コラム。ああいうのを目指してこのブログはやってきました。更新ペースが極端に遅くなったのは、ひとえに常時接続環境がなくなり、Wi-Fiテザリングでないと、こうして更新できなくなったからです。って、それは余計な話題でした。閑話休題……っと。
もう……。書きながら適度にビールを飲んでるから、段々と文章がまとまらなくなってきましたよ。だから今のうちに、急いでこのブログをまとめます。ちゃんと意識があるうちにね。って、こんなはずじゃなかったんだけどなあ今日は……〇×△(ぶつぶつ)……。
いや何が言いたいかっていうと、こうやってブログという形式で残しておくと、あとで思い出して、きちんとした文章を書こうと思った時に、すごく助かるってことなんです。何月何日何時何分に書いたってことが世界中の誰でもわかるように記録されるし、キーワードを打ち込めば、それがすぐに出てくるし。
それを実感したのが、自分がとある文章を書こうとした時です。今年はあの震災からちょうど10年が経つ年ですから。自分の不確かな記憶を保管してくれるのは日時+撮影場所まで記録してくれているデジタル的な写真と、その時々の思いを書き留めたこのブログですから。
だから、どんなにくだらないことだろうと支離滅裂なことだろうと。たとい世界中のあらゆる方々から否定されても、このブログは無くしちゃいけないなって。自分のパソコンのローカルファイルに保存すればいいのかもしれないけど、それだってHDDやPCそのものがクラッシュしてしまえば終わりですから。
そういう時、どんなに格好悪くても、私の(ひょっとしたら「最期」になるかもしれない)思いが残るのなら。それが「ウェブ」に「ログ」すなわち「ブログ」として残るのなら、いいかなって。そう思ったんです。
そういうわけで、今日はこの辺で。ありがとうございました。
皆様お元気で。さようなら。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック