こんばんは。
never say never
いぬがみです(ロート♪)。
ユング博士の『分析心理学』をもうすぐ読み終わろうとしています。次は「自己と無意識」を読む予定です。
フロイトとかアドラーとか、色々ありますが、やっぱり私はユング派です。
自分で自分を分析することはできませんが、人の心のメカニズムに近づき、それを理解する試みは、必ず私のためになる。そう確信しています。
結局のところ、精神的な不調とか障害とか、生きていくのがつらいと感じる問題に対しては、自分がそれと向き合い取り入れていくしかないんですよね。
発達障害だとかなんとかっていうことを理解してくれて、そのうえで何とかしてくれる人が身の回りにいるのなら、それはそれで結構なことです。
しかしながら、私の職場ではそういうわけにはいきません。
できなくても、やらなくちゃいけないんです。
なぜなら、できる人がいないからです。
「自分なんか、ここにいなくたって大丈夫」
今までだったらそう言って三十六計逃げるに如かず、逃げろや逃げろ白旗振りまくれ最後に勝つために戦線離脱せよ遠くからアッカンベー……と、まあ途中から怒髪天ふうのフレーズになりましたが、そういう感じでした。
でも、できる人がどんどんどんどん辞めていって、今いるのは三流以下の人たちばかり。もうno refugeです。
というわけで毎日、自分との激しい戦いを繰り広げているところです。
よくある「いい言葉」「名言」なんていうのは、この状況においては何の役にも立ちません。今必要なのは自己啓発コーナーにある本に書いているような、一時的に気持ちが前向きになれる言葉ではありません。
「あきらめない」
それだけです。どんなにつらくても苦しくても頭の中がパンクしそうになっても、最後の最後まであきらめない。
「もうだめだあ、おしまいだあ」
そう言いたくなる自分を全力で押さえつける。それだけです。
あきらめてしまえば楽になりますが、それは自分(自我、というべきもの?)がコントロール不能になることです。糸が切れた凧のようになってしまうということです。そういう時の私というのは決まって退行現象を起こします。ええ、精神が退行して、およそアラフォー成人男性に似つかわしくないレベルまで自分が崩れてしまうのです。
でも、そうしない。ものすごい力で引っ張られても糸を切らさない。たとい糸が切れかけていたとしても、それを握る手を決して離さない。何とか軌道修正、自分のコントロールできる領域までもっていく。そのための努力を怠らない。
そして認識する。ーー今そういう努力をしなければならないのは、漫画やアニメのヒーロー(またはヒロイン)ではなくて自分自身なのだと。自分はそういった諸君よりもずっと劣っていて、なおかつこの歳になるまでろくな努力もしてなくて、とにかくダメでダメでどーしようもない存在であると。
でも、やるしかないんだと。
どうぞ、なんとでも言ってください。年相応にとか、格好よくとか、そういうことは申しません。泥臭くてもポンコツでも精神障碍者でもいいんです。
私は、生きたいんです。もっともっと、生きていきたいんです。
だから私は戦います。自分の弱さと。でもそれは弱さをやっつけるためではありません。
弱い自分と強い自分の統合。そのためです。そうすることが、私が38年以上抱え続けたコンプレックス、いわゆる発達障害とかなんとかというレッテルを跳ね返し、これから社会で生きていくために必要なことですから。
ああ、どうも語りすぎてしまいました。本当はブログという、不特定多数の人たちが見る場所ですから、上手に言葉を選ばなくちゃいけないのでしょうが……でも、あえて生の言葉を書かせていただきました。だってビール飲んじゃったから。いやいやそうじゃなくて!笑
これも私の生きた証だからです。しっちゃかめっちゃかでもいいじゃないですか。にんげんだもの。←唐突に相田みつを風オチ。
never say never
いぬがみです(ロート♪)。
ユング博士の『分析心理学』をもうすぐ読み終わろうとしています。次は「自己と無意識」を読む予定です。
フロイトとかアドラーとか、色々ありますが、やっぱり私はユング派です。
自分で自分を分析することはできませんが、人の心のメカニズムに近づき、それを理解する試みは、必ず私のためになる。そう確信しています。
結局のところ、精神的な不調とか障害とか、生きていくのがつらいと感じる問題に対しては、自分がそれと向き合い取り入れていくしかないんですよね。
発達障害だとかなんとかっていうことを理解してくれて、そのうえで何とかしてくれる人が身の回りにいるのなら、それはそれで結構なことです。
しかしながら、私の職場ではそういうわけにはいきません。
できなくても、やらなくちゃいけないんです。
なぜなら、できる人がいないからです。
「自分なんか、ここにいなくたって大丈夫」
今までだったらそう言って三十六計逃げるに如かず、逃げろや逃げろ白旗振りまくれ最後に勝つために戦線離脱せよ遠くからアッカンベー……と、まあ途中から怒髪天ふうのフレーズになりましたが、そういう感じでした。
でも、できる人がどんどんどんどん辞めていって、今いるのは三流以下の人たちばかり。もうno refugeです。
というわけで毎日、自分との激しい戦いを繰り広げているところです。
よくある「いい言葉」「名言」なんていうのは、この状況においては何の役にも立ちません。今必要なのは自己啓発コーナーにある本に書いているような、一時的に気持ちが前向きになれる言葉ではありません。
「あきらめない」
それだけです。どんなにつらくても苦しくても頭の中がパンクしそうになっても、最後の最後まであきらめない。
「もうだめだあ、おしまいだあ」
そう言いたくなる自分を全力で押さえつける。それだけです。
あきらめてしまえば楽になりますが、それは自分(自我、というべきもの?)がコントロール不能になることです。糸が切れた凧のようになってしまうということです。そういう時の私というのは決まって退行現象を起こします。ええ、精神が退行して、およそアラフォー成人男性に似つかわしくないレベルまで自分が崩れてしまうのです。
でも、そうしない。ものすごい力で引っ張られても糸を切らさない。たとい糸が切れかけていたとしても、それを握る手を決して離さない。何とか軌道修正、自分のコントロールできる領域までもっていく。そのための努力を怠らない。
そして認識する。ーー今そういう努力をしなければならないのは、漫画やアニメのヒーロー(またはヒロイン)ではなくて自分自身なのだと。自分はそういった諸君よりもずっと劣っていて、なおかつこの歳になるまでろくな努力もしてなくて、とにかくダメでダメでどーしようもない存在であると。
でも、やるしかないんだと。
どうぞ、なんとでも言ってください。年相応にとか、格好よくとか、そういうことは申しません。泥臭くてもポンコツでも精神障碍者でもいいんです。
私は、生きたいんです。もっともっと、生きていきたいんです。
だから私は戦います。自分の弱さと。でもそれは弱さをやっつけるためではありません。
弱い自分と強い自分の統合。そのためです。そうすることが、私が38年以上抱え続けたコンプレックス、いわゆる発達障害とかなんとかというレッテルを跳ね返し、これから社会で生きていくために必要なことですから。
ああ、どうも語りすぎてしまいました。本当はブログという、不特定多数の人たちが見る場所ですから、上手に言葉を選ばなくちゃいけないのでしょうが……でも、あえて生の言葉を書かせていただきました。だってビール飲んじゃったから。いやいやそうじゃなくて!笑
これも私の生きた証だからです。しっちゃかめっちゃかでもいいじゃないですか。にんげんだもの。←唐突に相田みつを風オチ。
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