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岩手県と秋田県の境目にある「西和賀町」。旧湯田町と沢内村が合併して2005年にできた町です。
そんな西和賀町のフリーマガジン「元気な西和賀どっとこむ」の2014年夏号の表紙に躍っていたキャッチコピーが、この「だって、夏しか会えないでしょ?」です。その下には「風に揺れる水のスカート」との表現も。要するに西和賀町が誇るダム湖「錦秋湖」の放流を、この季節だけやってくる幻想の少女に例えているんですね。
(なお、だからといって萌え萌えしたイラスト等は一切ありません。そういうものを期待していた方には、心をこめて「ザンネンでした」と言わせて頂きます)
もちろん放流を遠巻きに見るだけでも結構な迫力なんですが、この錦秋湖のすごいところはダムの内側に通路があり、激しい放流の模様を間近で、しかも真裏で見ることが出来るんです。
こんな機会はなかなかありませんからね。もちろん私も行ってきました。
最初に「ほっとゆだ駅」まえの観光案内所で手書きの地図のコピーをもらい、それを頼りに1時間半かけて錦秋湖の周りを徒歩で一周。景色を眺め、放流を裏側から体験し、しばらく歩いて湖畔の公園にてオニギリを食べて……まるで小学校の遠足か何かのようなことをして、帰って来ました。
なお、帰りには再び深澤晟雄資料館へ立ち寄り、今度は「自分たちで生命を守った村」(※1)
、「いのち燃え尽きるとも」(※2)、「その時歴史が動いた」(※3)と立て続けに3本の映像を鑑賞。最後に「村長ありき」という本を買って帰って来ました。
これから出かけなければならないので、かなり簡素な内容となってしまいましたが、とりあえず出来事をまとめておきます。いずれ、きちんとした形で書きたいと思いますが、まずはここまで。
※1 岩波書店から刊行された同名の書籍の映像化版。
※2 1978年にIBCで製作・放送されたもの。深沢村長と奥様以外はすべて沢内村民が出演し、特に助役は本人が演じていた。ちなみにテレビ放送をそのまま録画したものだったので、ローカルCMや「赤いきつね」のCMなどがそのまま収録されていた。武田鉄矢さんが同乗したトラック運転手に日本語で色々と説明し「これだけ言えばわかるだろ」と言ってシメるものです。
※3 第299回 「赤ちゃんを死なせない〜乳児死亡率ゼロ・ある村の記録〜」2007年9月19日
そんな西和賀町のフリーマガジン「元気な西和賀どっとこむ」の2014年夏号の表紙に躍っていたキャッチコピーが、この「だって、夏しか会えないでしょ?」です。その下には「風に揺れる水のスカート」との表現も。要するに西和賀町が誇るダム湖「錦秋湖」の放流を、この季節だけやってくる幻想の少女に例えているんですね。
(なお、だからといって萌え萌えしたイラスト等は一切ありません。そういうものを期待していた方には、心をこめて「ザンネンでした」と言わせて頂きます)
もちろん放流を遠巻きに見るだけでも結構な迫力なんですが、この錦秋湖のすごいところはダムの内側に通路があり、激しい放流の模様を間近で、しかも真裏で見ることが出来るんです。
こんな機会はなかなかありませんからね。もちろん私も行ってきました。
最初に「ほっとゆだ駅」まえの観光案内所で手書きの地図のコピーをもらい、それを頼りに1時間半かけて錦秋湖の周りを徒歩で一周。景色を眺め、放流を裏側から体験し、しばらく歩いて湖畔の公園にてオニギリを食べて……まるで小学校の遠足か何かのようなことをして、帰って来ました。
なお、帰りには再び深澤晟雄資料館へ立ち寄り、今度は「自分たちで生命を守った村」(※1)
、「いのち燃え尽きるとも」(※2)、「その時歴史が動いた」(※3)と立て続けに3本の映像を鑑賞。最後に「村長ありき」という本を買って帰って来ました。
これから出かけなければならないので、かなり簡素な内容となってしまいましたが、とりあえず出来事をまとめておきます。いずれ、きちんとした形で書きたいと思いますが、まずはここまで。
※1 岩波書店から刊行された同名の書籍の映像化版。
※2 1978年にIBCで製作・放送されたもの。深沢村長と奥様以外はすべて沢内村民が出演し、特に助役は本人が演じていた。ちなみにテレビ放送をそのまま録画したものだったので、ローカルCMや「赤いきつね」のCMなどがそのまま収録されていた。武田鉄矢さんが同乗したトラック運転手に日本語で色々と説明し「これだけ言えばわかるだろ」と言ってシメるものです。
※3 第299回 「赤ちゃんを死なせない〜乳児死亡率ゼロ・ある村の記録〜」2007年9月19日
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