現在の会社に雇ってもらって、だいたい3週間が過ぎました。何とかやっています。
何とか、と言いましたが、なかなか充実しています。正直なところ常に100%の気持ちでやらなければいけないので、負担は以前の職場よりも大きいですが、その代わりリターン(やりがい)も大きいのでね。物理的には大変ですが、精神的にはなかなか充実しているのです。
一方で、ゆっくり本を読むような余裕はありません。こちらは逆に、それなりに時間はあるものの、なかなか本格的に物語の世界にひたる気持ちになれない。そういった感じです。 ま、そういった部分というのは、時間が解決してくれると思いますが。
これは確か内田樹さんも著書で書かれていたと思うのですが、自分が今まで経験したことは、ある時点では役に立たなくても、もっと後の時点では役に立つ時が来るものだと最近は思っています。進学やら就職やら離職やら転職やら……色々あって環境がガラリと変わり、それまで培ってきたノウハウが通用しなくなるタイミングがあっても、「いつか役に立つ日が来る」そう思って取り置きしておくことが、大事なのかなって。
中学2年の頃に角川スニーカー文庫『パワードール』を読み(これが生涯初の小説)、それを自分なりに真似た文章を書いたことをきっかけとすると、じつに20年近く、自分の思いを文章にまとめる作業をしてきたことになります。故・三島由紀夫氏ならそれを『小説』まで昇華させたでしょうが、私のはとてもとても。そもそも極めて個人的なもので、一応それらしい体裁を取ってはいるものの、他人に公開する前提で書いたものはほとんどありません。
今にして読み返すと、いかにも稚拙でむず痒いものがありますが、『恥ずかしい』という感情は起こりません。技術はなくても、そこには当時の心境が目一杯つめ込まれているからです。そして、それを読むことにより、自分も当時の感情を蘇らせることができるからです。しかも、その頃と比べて格段に知識・経験がアップした状態で。
それはある意味、過去にタイムスリップするような感覚です。アレコレ悩んでいた過去に戻り、今の自分と一緒にその問題の解決に当たる。……ま、あまり真剣に考えていくと『自分会議』になってしまうので、『のび太の大魔境』的な感覚でね。あいにく気の利いた秘密道具は持っていけないけど、巨人像の秘密とか、そういうのを持って助けに行きたい。でもって逆に、その頃の熱さを今の私に分けて欲しい。そんな感じです。
(これはまったくの余談なんですが、『のび太の大魔境』で一番好きなシーンは巨神像の中でのび太が敵の隊長サベールと斬り合いを演じるところです。秘密道具『電光丸』を使用したとはいえ、決定的な一打を与えたのは、のび太の気合だと思うからです。男気ジャイアンも文句ナシにかっこいいですが、それはほら、みんな言ってますから……)
……というわけで、今日もまたよくわからない文章を思うまま書き連ねてしまいました。
『答えが正しいかどうかなんて、後になってからわかるもんだ』
これは『龍が如く5』のサブストーリィで桐生さんが言っていたセリフですが、けだし名言であると思います。5年とか10年とか経って、その時の妄想が生きてくることもあるし、いつか誰かの役に立つ日が来るかもしれない……そう思って、この文章を公開します。ご笑覧ください。
何とか、と言いましたが、なかなか充実しています。正直なところ常に100%の気持ちでやらなければいけないので、負担は以前の職場よりも大きいですが、その代わりリターン(やりがい)も大きいのでね。物理的には大変ですが、精神的にはなかなか充実しているのです。
一方で、ゆっくり本を読むような余裕はありません。こちらは逆に、それなりに時間はあるものの、なかなか本格的に物語の世界にひたる気持ちになれない。そういった感じです。 ま、そういった部分というのは、時間が解決してくれると思いますが。
これは確か内田樹さんも著書で書かれていたと思うのですが、自分が今まで経験したことは、ある時点では役に立たなくても、もっと後の時点では役に立つ時が来るものだと最近は思っています。進学やら就職やら離職やら転職やら……色々あって環境がガラリと変わり、それまで培ってきたノウハウが通用しなくなるタイミングがあっても、「いつか役に立つ日が来る」そう思って取り置きしておくことが、大事なのかなって。
中学2年の頃に角川スニーカー文庫『パワードール』を読み(これが生涯初の小説)、それを自分なりに真似た文章を書いたことをきっかけとすると、じつに20年近く、自分の思いを文章にまとめる作業をしてきたことになります。故・三島由紀夫氏ならそれを『小説』まで昇華させたでしょうが、私のはとてもとても。そもそも極めて個人的なもので、一応それらしい体裁を取ってはいるものの、他人に公開する前提で書いたものはほとんどありません。
今にして読み返すと、いかにも稚拙でむず痒いものがありますが、『恥ずかしい』という感情は起こりません。技術はなくても、そこには当時の心境が目一杯つめ込まれているからです。そして、それを読むことにより、自分も当時の感情を蘇らせることができるからです。しかも、その頃と比べて格段に知識・経験がアップした状態で。
それはある意味、過去にタイムスリップするような感覚です。アレコレ悩んでいた過去に戻り、今の自分と一緒にその問題の解決に当たる。……ま、あまり真剣に考えていくと『自分会議』になってしまうので、『のび太の大魔境』的な感覚でね。あいにく気の利いた秘密道具は持っていけないけど、巨人像の秘密とか、そういうのを持って助けに行きたい。でもって逆に、その頃の熱さを今の私に分けて欲しい。そんな感じです。
(これはまったくの余談なんですが、『のび太の大魔境』で一番好きなシーンは巨神像の中でのび太が敵の隊長サベールと斬り合いを演じるところです。秘密道具『電光丸』を使用したとはいえ、決定的な一打を与えたのは、のび太の気合だと思うからです。男気ジャイアンも文句ナシにかっこいいですが、それはほら、みんな言ってますから……)
……というわけで、今日もまたよくわからない文章を思うまま書き連ねてしまいました。
『答えが正しいかどうかなんて、後になってからわかるもんだ』
これは『龍が如く5』のサブストーリィで桐生さんが言っていたセリフですが、けだし名言であると思います。5年とか10年とか経って、その時の妄想が生きてくることもあるし、いつか誰かの役に立つ日が来るかもしれない……そう思って、この文章を公開します。ご笑覧ください。
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