ゴールデンウイークも後半戦に突入。皆様いかがお過ごしでしょうか。私もまたシフトの都合でちょうどこの土曜日曜が休みになったので、人並みにイベント観覧に参加してきました。やはり、こういうのは楽しいものですね。
午前中は「5きげんグルメまつり」に行きました。これは「はるな愛」「スギちゃん」といったタレントのステージを主目的として行ったのですが、楽しかったです。「テレビと同じ人がそこにいる」そういうことでした。6日まで、開催しております。
その後、私たちが向かったのは一戸町にある「御所野縄文公園」。ここは今、北海道・青森も巻き込んで「縄文時代の遺跡」という名目で世界遺産登録をしようとがんばっているんですが(それはイコモスもちょっと勧告しづらいんじゃないかな)、さる4月26日に展示室部分をリニューアルしたと言うので、行ってきました。
展示室の最大のウリは、広い空間をフルに使った3D映像の「縄文人の暮らし」。詳しい説明は抜きにしてファンタジー方向にシフトした雰囲気の、非常にすばらしい空気に私も大感動。もしも一人で来ていたら、30分でも1時間でもそこにいたくなるような、そんな感じでした。
ちなみにリニューアル前は、「小学校の社会科見学で遺跡に来た女の子が、遺跡に宿る精霊の導きで縄文時代にタイムスリップし、そこでの生活を体験する」というシチュエーションの映像が流れていました。これはこれで面白かったですが、今回のは来訪者自身が縄文時代の空気を仮体験できるような感じなのでね。すごくよかったです。
展示室の外では、特別イベントが開催されていました。考えてみると2年前にUnderpath!というアーティストを知るきっかけになったのも、この縄文公園で開催されたイベントでした。今回は何だろう? と思っていると、地元および沿岸の街に伝わる伝統芸能の発表会でした。
私はともかく兄者がそれに対して予想以上の興味しんしん丸だったので、一応隣に座ってそれを観覧。そうしたところ、思いのほか・・・なんというか、小林秀雄が鎌倉時代を「思い出した」時の感動は、もしかしたらこういうものだったのかな? という何かが心を震わせました。
初めて見た踊り。始まりは江戸時代だから、もちろんその頃の記憶なんてあるはずはないし、私は地元の人間ではないので受け継がれてきた空気みたいなのも知りません。でも、どういうわけか、非常に感動しました。あるいは時代小説を読みまくり、十数年ぶりに小林秀雄の「無常と言うこと」を読んだ(高校の現代文の授業以来)ことも、トリガーになったかもしれません。
それと同時に、我が身を振り返って少々寂しい気がしました。それを舞っていた踊り手の3分の1は小中学生の諸君だったのですが、彼ら彼女らがああして伝統を受け継ぎ、それを後世に伝えていく役割をになっているのに対し、私は何を受け継ぎ、残していくのだろう? と考えると、何もないんですよね。
「花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう」
震災後、何度となくテレビやラジオで流れてきた震災復興ソング『花は咲く』ですが、きちんと歌詞を聞いたのは、ほんの数ヵ月前でした。そしてこのフレーズに愕然としてしまったのです。ああ、おれはいつも新しい刺激ばかり求め、何も残せていないじゃないか、と。
「人間なんて、死んでしまえばそれまでだ」そんな唯物論的な思想を気取り、生きていた時期もありましたが、それじゃあ今は何のためにあるのか。私は、何のために生きているのか。・・・って、そんな哲学的なところまで行かなくてもいいんですが、ともあれ伝統芸能を受け継ぎ、そのまた次の世代へと引き継ぐ彼ら彼女らのことを、犬神はひそかに応援しています。
それと同時に、私もまた彼ら彼女らのように、何かを残したい。伝えたい。こんなブログやホームページではなく、もっと形に残るものを残したい。それができなくても、誰かが残そうとする作業のお手伝いをしたい。そんなことを考えながら、今日を生きています。あと、これからも。
午前中は「5きげんグルメまつり」に行きました。これは「はるな愛」「スギちゃん」といったタレントのステージを主目的として行ったのですが、楽しかったです。「テレビと同じ人がそこにいる」そういうことでした。6日まで、開催しております。
その後、私たちが向かったのは一戸町にある「御所野縄文公園」。ここは今、北海道・青森も巻き込んで「縄文時代の遺跡」という名目で世界遺産登録をしようとがんばっているんですが(それはイコモスもちょっと勧告しづらいんじゃないかな)、さる4月26日に展示室部分をリニューアルしたと言うので、行ってきました。
展示室の最大のウリは、広い空間をフルに使った3D映像の「縄文人の暮らし」。詳しい説明は抜きにしてファンタジー方向にシフトした雰囲気の、非常にすばらしい空気に私も大感動。もしも一人で来ていたら、30分でも1時間でもそこにいたくなるような、そんな感じでした。
ちなみにリニューアル前は、「小学校の社会科見学で遺跡に来た女の子が、遺跡に宿る精霊の導きで縄文時代にタイムスリップし、そこでの生活を体験する」というシチュエーションの映像が流れていました。これはこれで面白かったですが、今回のは来訪者自身が縄文時代の空気を仮体験できるような感じなのでね。すごくよかったです。
展示室の外では、特別イベントが開催されていました。考えてみると2年前にUnderpath!というアーティストを知るきっかけになったのも、この縄文公園で開催されたイベントでした。今回は何だろう? と思っていると、地元および沿岸の街に伝わる伝統芸能の発表会でした。
私はともかく兄者がそれに対して予想以上の興味しんしん丸だったので、一応隣に座ってそれを観覧。そうしたところ、思いのほか・・・なんというか、小林秀雄が鎌倉時代を「思い出した」時の感動は、もしかしたらこういうものだったのかな? という何かが心を震わせました。
初めて見た踊り。始まりは江戸時代だから、もちろんその頃の記憶なんてあるはずはないし、私は地元の人間ではないので受け継がれてきた空気みたいなのも知りません。でも、どういうわけか、非常に感動しました。あるいは時代小説を読みまくり、十数年ぶりに小林秀雄の「無常と言うこと」を読んだ(高校の現代文の授業以来)ことも、トリガーになったかもしれません。
それと同時に、我が身を振り返って少々寂しい気がしました。それを舞っていた踊り手の3分の1は小中学生の諸君だったのですが、彼ら彼女らがああして伝統を受け継ぎ、それを後世に伝えていく役割をになっているのに対し、私は何を受け継ぎ、残していくのだろう? と考えると、何もないんですよね。
「花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう」
震災後、何度となくテレビやラジオで流れてきた震災復興ソング『花は咲く』ですが、きちんと歌詞を聞いたのは、ほんの数ヵ月前でした。そしてこのフレーズに愕然としてしまったのです。ああ、おれはいつも新しい刺激ばかり求め、何も残せていないじゃないか、と。
「人間なんて、死んでしまえばそれまでだ」そんな唯物論的な思想を気取り、生きていた時期もありましたが、それじゃあ今は何のためにあるのか。私は、何のために生きているのか。・・・って、そんな哲学的なところまで行かなくてもいいんですが、ともあれ伝統芸能を受け継ぎ、そのまた次の世代へと引き継ぐ彼ら彼女らのことを、犬神はひそかに応援しています。
それと同時に、私もまた彼ら彼女らのように、何かを残したい。伝えたい。こんなブログやホームページではなく、もっと形に残るものを残したい。それができなくても、誰かが残そうとする作業のお手伝いをしたい。そんなことを考えながら、今日を生きています。あと、これからも。
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