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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
山岡荘八先生の随筆集『随想徳川家康』と『史談 家康の周囲』を読みました。

これは山岡先生が様々な雑誌に書いた『小説徳川家康』関連の随筆を集めたもので、そのためか一部で重複するものがあります。そういうのを意識せずに2冊目を読み始めたのでデジャ・ヴュのような感覚を味わいました。

これらの随筆が書かれた年代というのは『小説徳川家康』の連載中~連載終了後と、結構まちまちです。中には後日談的なエピソードもあります。すなわち家康公が歿くなった直後の柳生宗矩の話とか、生涯面会を許されなかった上総守忠輝のその後とか、東照大権現となるまでの経緯とかです。なので、読むのであれば全巻読了後がおすすめです。


思いつくまま感想を書き出します。

基本的にこれらは随筆なので、山岡先生自身の気持ちがストレートに表現されています。それを読むとわかるのですが、山岡先生は私が考えていたほど絶対的な家康信奉者ではないということです。戦後の混乱期にあって、山岡先生をはじめとする多くの人々が望んだ「平和――」への思いを、実際に戦国乱世をおさめ200年以上にわたる泰平を作り上げた家康公をモチーフに小説を書いたということです。

そういうこともあって、必ずしも史実とは一致しない『小説徳川家康』なんですが、これを読んだところ……いっそうこの作品が好きになりました。私に平和の尊さ、平和のありがたみを骨の髄までわからせてくれた作品だったのですが、それが山岡先生自身の思いだということを知り、「やはりその考え方は間違っていないのだ」という自信を得たからです。

どこまでが史実で、どこまでが創作なのか? そういったことを特に考えません。ただ私にとっての家康公はもはや『狸ジジイ』ではありません。真に平和を求め、平和の礎となった大偉人です。めくらめっぽう信奉するわけではありませんが、影響を受けたどころではなく、基本理念のレベルから大きく変わりました。それがいっそう具体的なというか、原木を削りだして仏像に近づいたというか……これらの随筆を読むことで、ようやく『小説徳川家康』の世界が手の内になったのかな、という気がしました。



ちなみに『小説徳川家康』の世界では、総見公・織田信長も豊太閤・豊臣秀吉も『日本株式会社の初代社長と二代目社長』として重要な役割を果たしています。共通するのは、みんな戦国乱世を終わらせようとしていた、ということ。ただ、終わらせるためのプロセスが二代目までの時代と三代目――家康公の時代とでは異なっていたので、この順番が違っていたらきっと平和な時代は来なかっただろう……というのが山岡先生の意見です。よく総見公も破壊と殺戮を好む魔王のような扱いを受けていますが、そうではないのです。時代が求めるアプローチが異なるだけで、平和を求める気持ちは三人とも一緒だったのです。

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