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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
去年の夏に仙台に行った時、仙台市はちょうど慶長遣欧使節出帆400年のメモリアルイヤーとして盛大に展示会をやっていました。私もそれを見て、陸伝いの西回り航路ではなく太平洋横断の東回り航路で船旅を成功させた支倉常長という人物、そしてそれを派遣した政宗公の偉業に感涙したものです。

現在読んでいる『徳川家康』22巻でも、ちょうどそのあたりの話が出ています。ただしこの本に出てくる陸奥守は底知れぬ野心を持った深謀遠慮の人として描かれているので、ただ南蛮文化を求めて独自に船を出した……わけではないように描かれています。ついでに言えば支倉常長も切支丹の教会を建てるため旧来の寺社仏閣を焼き払った張本人として描かれています。

関が原の戦いから十年余りが経ち、一応は平和な世の中であるものの、南蛮人と紅毛人(=旧教と新教)の対立や作中屈指のクセ者である『天下の総代官』大久保長安の死後に発覚した内紛など、なかなか磐石な平和は訪れません。そこに来て、取りようによって敵にも味方にも見える不気味な伊達陸奥守の影……。

ここに来て、さすがの大御所もちょっと弱気になったり涙を流したりしてしまいます。ここまで何十年もかけて平和を追い求めてきたのに、よりによって身内で乱の種が芽吹くとは……。


しかしながら、そんな大御所に代わり諜報活動やアドバイスをするのが将軍家お抱えの兵法指南役・柳生宗矩です。

漫画『影武者徳川家康』では秀忠の側近・懐刀として、どちらかというとダーティな立ち回りをしていた宗矩ですが、本作では秀忠だけでなく大御所にとっても重要な人物として活躍しています。まあ影武者かそうじゃないかという根本的な違いがあるので、比べようがありませんが、ともかく剣術家・兵法家として快刀乱麻、ズバズバと斬り込んでいきます。そして真なる平和のために、苦渋の決断を下していくことになる……んでしょうが、残念ながら23巻以降は手元にありません。

この後、徳川家と豊家の間で何が起こるのか。私は21世紀を生きる人間ですから、もちろんそれはわかります。

かつては

「家康は天下統一のため邪魔っけになった豊家に因縁をつけて、大坂の陣で壊滅させたのだ」

と思っていたのですが、天下泰平をライフワークとし秀頼公に自分の可愛い可愛い身内を嫁がせてまで両家の並立共存を果たそうとした大御所が、どういう思いで開戦に踏み切ったのか。そのことをちゃんと見極めたいと思います。必ずしも、秀頼憎しで決断したわけではないと、信じています……。

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