忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
このところ余暇のほぼすべてを『徳川家康』を読むことに費やしているので、そういう話ばかりになってしまいます。あらかじめご了承願います。また、この記事は個人の見解によるもので、史実と異なる場合があります。


たとえば総見公(織田信長)がまだ現役バリバリでやっていた頃は、『西洋人=南蛮人』でした。ところが最近読んでいるあたり、すなわち1600年代には『紅毛人』という言葉が出てきました。どちらも西洋人をさす言葉なんですが、南蛮人は主にポルトガル・イスパニアの人たちをさし、紅毛人とはイギリスやオランダの人たちをさす言葉のようです。

これらの人たちの違いは見た目だけではなく、宗派の違いもあります。どちらも同じキリシタンなんですが、旧教と新教の違いがあるんですね。私のような典型的日本人からしてみれば「どっちも似たようなもんじゃないの」と思うんですが、当の人たちにしてみれば絶対に相容れることのない敵同士なんです。

そんな紅毛人ウイリアム・アダムスこと『三浦按針』が家康公のもとにやってきて、外国との付き合い方について真剣に考えをめぐらせる・・・というのが、20巻『江戸・大阪』編の重要なテーマです。


従来、時代小説における西洋人というのは、ある意味神に準じる存在のように受け止めていました。未知の技術や文化をもたらしてくれる人たち。トランプで言えばジョーカーみたいなもので、南蛮渡来のナントカといえば無敵状態になれる魔法のアイテムのようなものだと思っていたのです。

でも、そんな風にチヤホヤしているだけじゃ、ずるがしこい人間にそのまま食い物にされてしまうから、しっかり自分たちの利益を確保しつつ上手に付き合っていくにはどうしたらいいか? と、そのまま現代のビジネスマンの考え方にも通じるようなことを考えているんですよね。

そういうのって正直なところ、坂本竜馬あたりの世代になるまで誰も考えていなかったと思っていたんです。これはもはや、両手をついて涙を流しながら平伏するしかありません。

もちろん、それもこれも泰平のため。戦がないだけでなく、国全体が富み、人々がなんの心配もなく生きていける治世を行うためあらゆる思案・手段を講じる家康公の真摯な思いからくることなんです。私は東北人なので、どちらかというと伊達陸奥守様の方が好きですが、これからも読みすすめます。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック