2013年は過去と向き合い、これを乗り越える年のようです。
……というと大仰な感じがしますが、そこは私ですから。ただ昔解けなかったゲームをクリアしたとか、読んでいなかった本を読んだとか、その程度のことです。
で、昨日はそんな感じで「ダ・ヴィンチ」という雑誌を買いました。特集は……画業35年目に突入した高橋留美子先生特集で、表紙はラムでした。いやメガネ(アニメ版の登場人物)ふうに「ラムさん」というべきでしょうか。
「うる星やつら」は私が初めて女の子を強く意識した漫画でした。中学1年生のころに出会ったのですが、当時は
「こんなにかわいい女の子が出てくる漫画を読んでいることは、周りの連中に知られてはいけない」
と思って、極秘裏にコミックスを買い集めました。当時はまだ「萌え」という言葉はなく、一般的に読まれていたのはジャンプやコロコロコミックなどといった少年誌でした。ちょっと背伸びした連中は『ヤングマガジン』とかを誇らしげに読んでいましたが、それでもこの手のふわふわした漫画を読んでいるやつはおらず、さながら隠れキリシタンのようにこっそりと読んでいました。
一方『ダ・ヴィンチ』は大学の図書館でよく読んでいました。
あまり自信はありませんが「書評雑誌」というコンセプトでいいんでしょうか。今世の中ではこういうのがはやってますよとか、それはこういうところがウケるからはやってるんですよとか、そういうのを紹介する雑誌です。……ですよね?
そのころはすべてを理屈で受け止め、自分の中で整理整頓したいと考えていた時期だったので、非常に熱心に読みました。特に「少女漫画に関する分析」と「戦闘美少女に関する分析」については、当時の記事をコピーしたものを今もファイリングしています。あと町田康さんの特集記事とかも。ああ、それから爆笑問題の日本史原論が大好きで、笑いを押し殺しながら毎号楽しみに読んでいました。
そういうわけで、相乗効果で一も二もなく飛びついた……というわけではありませんでした。
まず私自身が、他人の意見を聞かない超頑固者になったこと。――という割には、ブログ・ホームページなどで誰かが書いた本の感想などにフムフムとうなずいたり、時にはその本を買うなり借りるなりして読むこともあるので、まったく聞かないというわけでもないのですが……少なくとも『はやってるから読む』とか、そういうことはしないですね。
自分のセンサーに照らし合わせて、反応があれば読む。それを手にしたのが発売当日に平積みにされたものだったり、古本屋の店先にある一山100円のワゴンの中に放り投げられたものだったり、はたまた図書館の書庫の奥深くで30年来ずっと眠り続けているものだったり。まあシチュエーションは色々ありますが、いずれにしても読む本は『出会うべくして出会う』という思いがあるのです。
あとは、その……『うる星やつら』が好きなのであって、高橋留美子先生の世界すべてが好きなわけではないからです。『めぞん一刻』とかは後ほど読んでみたいリストに入っていますが、『らんま1/2』とか『犬夜叉』とかにはハマれませんでした。それ以外の作品については、まあ読んでいないので良いも悪いもないのですが、少なくとも『うる星』を初めて見た時に感じたようなパッションを感じることができませんでした。
高橋留美子先生の世界がいかにすばらしいものかは、知っている人は知っているし、知らない人は本誌を買っていただければわかると思うので書きませんが、今の私はその世界にいられるような人間ではないと感じました。
それならわざわざ590円もだして本を買わなくてもいいようなものですが、今回は中学~大学時代の私の『落とし前』として買いました。たぶん、今後はもう買うことはないでしょう。
でも、すごくライトに流行の本の魅力とかがわかる『ダ・ヴィンチ』いい雑誌だと思います。特に今号はラムさんが表紙で、背表紙は『めぞん一刻』(のソフトの紹介)ですからね。ファンならつい手が出てしまう一冊でしょう。そして手にしただけで「ラムさぁーーーん!」と千葉繁さんの声で叫ぶか、あるいは「響子さーん! 好きじゃーーー!」と叫ぶことでしょう(※ 近所迷惑です)。
……というと大仰な感じがしますが、そこは私ですから。ただ昔解けなかったゲームをクリアしたとか、読んでいなかった本を読んだとか、その程度のことです。
で、昨日はそんな感じで「ダ・ヴィンチ」という雑誌を買いました。特集は……画業35年目に突入した高橋留美子先生特集で、表紙はラムでした。いやメガネ(アニメ版の登場人物)ふうに「ラムさん」というべきでしょうか。
「うる星やつら」は私が初めて女の子を強く意識した漫画でした。中学1年生のころに出会ったのですが、当時は
「こんなにかわいい女の子が出てくる漫画を読んでいることは、周りの連中に知られてはいけない」
と思って、極秘裏にコミックスを買い集めました。当時はまだ「萌え」という言葉はなく、一般的に読まれていたのはジャンプやコロコロコミックなどといった少年誌でした。ちょっと背伸びした連中は『ヤングマガジン』とかを誇らしげに読んでいましたが、それでもこの手のふわふわした漫画を読んでいるやつはおらず、さながら隠れキリシタンのようにこっそりと読んでいました。
一方『ダ・ヴィンチ』は大学の図書館でよく読んでいました。
あまり自信はありませんが「書評雑誌」というコンセプトでいいんでしょうか。今世の中ではこういうのがはやってますよとか、それはこういうところがウケるからはやってるんですよとか、そういうのを紹介する雑誌です。……ですよね?
そのころはすべてを理屈で受け止め、自分の中で整理整頓したいと考えていた時期だったので、非常に熱心に読みました。特に「少女漫画に関する分析」と「戦闘美少女に関する分析」については、当時の記事をコピーしたものを今もファイリングしています。あと町田康さんの特集記事とかも。ああ、それから爆笑問題の日本史原論が大好きで、笑いを押し殺しながら毎号楽しみに読んでいました。
そういうわけで、相乗効果で一も二もなく飛びついた……というわけではありませんでした。
まず私自身が、他人の意見を聞かない超頑固者になったこと。――という割には、ブログ・ホームページなどで誰かが書いた本の感想などにフムフムとうなずいたり、時にはその本を買うなり借りるなりして読むこともあるので、まったく聞かないというわけでもないのですが……少なくとも『はやってるから読む』とか、そういうことはしないですね。
自分のセンサーに照らし合わせて、反応があれば読む。それを手にしたのが発売当日に平積みにされたものだったり、古本屋の店先にある一山100円のワゴンの中に放り投げられたものだったり、はたまた図書館の書庫の奥深くで30年来ずっと眠り続けているものだったり。まあシチュエーションは色々ありますが、いずれにしても読む本は『出会うべくして出会う』という思いがあるのです。
あとは、その……『うる星やつら』が好きなのであって、高橋留美子先生の世界すべてが好きなわけではないからです。『めぞん一刻』とかは後ほど読んでみたいリストに入っていますが、『らんま1/2』とか『犬夜叉』とかにはハマれませんでした。それ以外の作品については、まあ読んでいないので良いも悪いもないのですが、少なくとも『うる星』を初めて見た時に感じたようなパッションを感じることができませんでした。
高橋留美子先生の世界がいかにすばらしいものかは、知っている人は知っているし、知らない人は本誌を買っていただければわかると思うので書きませんが、今の私はその世界にいられるような人間ではないと感じました。
それならわざわざ590円もだして本を買わなくてもいいようなものですが、今回は中学~大学時代の私の『落とし前』として買いました。たぶん、今後はもう買うことはないでしょう。
でも、すごくライトに流行の本の魅力とかがわかる『ダ・ヴィンチ』いい雑誌だと思います。特に今号はラムさんが表紙で、背表紙は『めぞん一刻』(のソフトの紹介)ですからね。ファンならつい手が出てしまう一冊でしょう。そして手にしただけで「ラムさぁーーーん!」と千葉繁さんの声で叫ぶか、あるいは「響子さーん! 好きじゃーーー!」と叫ぶことでしょう(※ 近所迷惑です)。
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