私にとってのファーストガンダムは、ある意味この『ガンダムF91』でした。
というのは、このアニメが放映された1991年、ガンダムといえば『SDガンダム』であり、リアルスケールの方のアニメはすでに過去のものだったのです。
そんななか、颯爽と登場した『SDではない』ガンダム。その姿に当時小学生だった私も興味を……
……惹かれることもなく、この年になってしまいました。
というのは、このアニメが放映された1991年、ガンダムといえば『SDガンダム』であり、リアルスケールの方のアニメはすでに過去のものだったのです。
そんななか、颯爽と登場した『SDではない』ガンダム。その姿に当時小学生だった私も興味を……
……惹かれることもなく、この年になってしまいました。
今回見ようと思ったのは、昨今吹き荒れるガンダム旋風に巻き込まれ、それなりに自衛手段を考えなければと思ったので。ファーストやゼータ、ダブルゼータはすでに弟者に制圧され、一方の兄者は最新作『ユニコーン』をブルーレイディスクですべて所有するという状況。
そんななか、この『F91』はどちらも見ていないようだったので、前述のようなこともあり、今回見てみることにしました。
結論を言えば、とても面白かったです。
ガンダムというのが「昔そういうのがあったっけ」と作中でも言われるような時代。「逆襲のシャア」の時代から30年以上、戦争らしい戦争もなく平和な時間を過ごしてきた宇宙世紀0120年代だったかな。そこに突如として現れた「コスモ貴族主義」を掲げる一団と、地球連邦軍との戦い。そこに巻き込まれた少年シーブック・アノーと、セシリー・フェアチャイルドさらにその仲間たち……。
まあ、主人公の少年がなりゆきでまだ試作機の範疇を出ない最新鋭兵器を操縦して戦うという、いつものパターンではあるのですが、本作を見ていてオヤッと思ったのは、この映画は……人がはっきりと死ぬところが描かれているんですよね。
戦闘のなか、爆風で吹っ飛ばされて壁に叩きつけられて死ぬシーブックの友人。モビルスーツのマシンガンがばら撒く薬莢(巨大な鉄のかたまり)を頭に受けて死ぬ子どもを抱えた女性。
あんまりこういうところを直接的に見せるシーンがないのがガンダムシリーズだと思っていたので、
「ああ、このアニメはちゃんと、そういうところから逃げていないんだな」
と気の引き締まる思いでした。
そういった現実を受け止めた上で、シーブックは戦うことを選びます。
それは、とにかく生きるため。
「死んでから考えてやり直すって、難しいんですよ」
つまり、そういうことなのです。
理念ばかり先行して、なんだかんだと言う人が多いなか、ようやく私自身の考えに近い人に出会えた気がしました。そうですよね、理想とか理念とか、そういうのはともかくとして、まず生きなければいけないんだから。
というわけで、F91の世界は兄者も弟者も来ないでしょうから、ここに私は陣取ることにします。テレビシリーズと違って、映画一本こっきりだから、範囲も狭いですしね。これなら無理なく世界の隅々まで知識を深めることができることでしょう。
そんななか、この『F91』はどちらも見ていないようだったので、前述のようなこともあり、今回見てみることにしました。
結論を言えば、とても面白かったです。
ガンダムというのが「昔そういうのがあったっけ」と作中でも言われるような時代。「逆襲のシャア」の時代から30年以上、戦争らしい戦争もなく平和な時間を過ごしてきた宇宙世紀0120年代だったかな。そこに突如として現れた「コスモ貴族主義」を掲げる一団と、地球連邦軍との戦い。そこに巻き込まれた少年シーブック・アノーと、セシリー・フェアチャイルドさらにその仲間たち……。
まあ、主人公の少年がなりゆきでまだ試作機の範疇を出ない最新鋭兵器を操縦して戦うという、いつものパターンではあるのですが、本作を見ていてオヤッと思ったのは、この映画は……人がはっきりと死ぬところが描かれているんですよね。
戦闘のなか、爆風で吹っ飛ばされて壁に叩きつけられて死ぬシーブックの友人。モビルスーツのマシンガンがばら撒く薬莢(巨大な鉄のかたまり)を頭に受けて死ぬ子どもを抱えた女性。
あんまりこういうところを直接的に見せるシーンがないのがガンダムシリーズだと思っていたので、
「ああ、このアニメはちゃんと、そういうところから逃げていないんだな」
と気の引き締まる思いでした。
そういった現実を受け止めた上で、シーブックは戦うことを選びます。
それは、とにかく生きるため。
「死んでから考えてやり直すって、難しいんですよ」
つまり、そういうことなのです。
理念ばかり先行して、なんだかんだと言う人が多いなか、ようやく私自身の考えに近い人に出会えた気がしました。そうですよね、理想とか理念とか、そういうのはともかくとして、まず生きなければいけないんだから。
というわけで、F91の世界は兄者も弟者も来ないでしょうから、ここに私は陣取ることにします。テレビシリーズと違って、映画一本こっきりだから、範囲も狭いですしね。これなら無理なく世界の隅々まで知識を深めることができることでしょう。
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そんななか、この『F91』はどちらも見ていないようだったので、前述のようなこともあり、今回見てみることにしました。
結論を言えば、とても面白かったです。
ガンダムというのが「昔そういうのがあったっけ」と作中でも言われるような時代。「逆襲のシャア」の時代から30年以上、戦争らしい戦争もなく平和な時間を過ごしてきた宇宙世紀0120年代だったかな。そこに突如として現れた「コスモ貴族主義」を掲げる一団と、地球連邦軍との戦い。そこに巻き込まれた少年シーブック・アノーと、セシリー・フェアチャイルドさらにその仲間たち……。
まあ、主人公の少年がなりゆきでまだ試作機の範疇を出ない最新鋭兵器を操縦して戦うという、いつものパターンではあるのですが、本作を見ていてオヤッと思ったのは、この映画は……人がはっきりと死ぬところが描かれているんですよね。
戦闘のなか、爆風で吹っ飛ばされて壁に叩きつけられて死ぬシーブックの友人。モビルスーツのマシンガンがばら撒く薬莢(巨大な鉄のかたまり)を頭に受けて死ぬ子どもを抱えた女性。
あんまりこういうところを直接的に見せるシーンがないのがガンダムシリーズだと思っていたので、
「ああ、このアニメはちゃんと、そういうところから逃げていないんだな」
と気の引き締まる思いでした。
そういった現実を受け止めた上で、シーブックは戦うことを選びます。
それは、とにかく生きるため。
「死んでから考えてやり直すって、難しいんですよ」
つまり、そういうことなのです。
理念ばかり先行して、なんだかんだと言う人が多いなか、ようやく私自身の考えに近い人に出会えた気がしました。そうですよね、理想とか理念とか、そういうのはともかくとして、まず生きなければいけないんだから。
というわけで、F91の世界は兄者も弟者も来ないでしょうから、ここに私は陣取ることにします。テレビシリーズと違って、映画一本こっきりだから、範囲も狭いですしね。これなら無理なく世界の隅々まで知識を深めることができることでしょう。
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