これは大分前に新品で買って、それ以来、何度となく読み返してるかなり好きな本です。
私はスーパーカーブームの世代ではないのですが、その頃に製作された車にかなり小さい頃からほれ込んでいて、ランボルギーニだのフェラーリだのポルシェだのといった車の写真を眺めたりするのが大好きでした。
この本はそういったスーパーカーに対して、自動車評論家の立場から鋭く斬り込んだ批評集なのですが、それがとても面白いのですね。
まず『新車試乗レポート』ではないので、機械的な欠陥とか、そういうのを冷静かつ正確な目線から見抜き、それをズバッと書いています。たとえば『アウトラン』で有名なフェラーリ・テスタロッサはスピードの乗った状態で曲がろうとすると簡単にスピンしてしまうとか(重心がとても高いため)。これ以来、現実のテスタロッサに乗ってみたいとは、まったく思わなくなりました。
また、それぞれの車がどのような発想から生まれ、どのようにして設計、施工され、世に送り出されたのか……という成り立ちについても詳しく書かれています。幻の車といわれた『ランボルギーニ・イオタ』や、レースで勝つために作られた『ランチア・ストラトス』などのエピソードは、何度読み返しても面白いです。
私のフェラーリに対するスタンスはこの本でひっくり返され、ほぼ確定したのですが、反対にそれまであまりいいイメージを持っていなかったものがひっくり返ったのもありました。それが『マクラーレンF1』というものです。
かつてアイルトン・セナなどが所属していた名門F1コンストラクター『マクラーレン』が、公道を走れるF1を、というコンセプトで開発した真のスーパースポーツカー……なのですが、馴染みがないせいもあって、犬神はあまり好きではありませんでした(ビデオゲームでも、いつもポルシェの方を選んでたし)。
ただ、実車は元『ボーソー族』である福野氏をしてビビらせるすさまじい動力性能を持つみたいで、まさに公道を走れるF1なのです(いわく「ターボカーの600馬力と自然吸気の600馬力は違う」と)。1台何億円という値段ですが、それでも売れば売るほど赤字になるという、かつてのトヨタ2000GTのような、奇跡のような車なのです。
あと、私がつい何度も読み返してしまうのは、文章にロマンチシズムがあまりないことでしょうかね。先ほども書いたようにフェラーリだろうとなんだろうと、平等にひとつの機械として分析し、欠陥を指摘し、実際に乗って危ない目にあって(笑)。
私自身はあまりメカに詳しくないし、触るなんてトンデモナイという話ですが、機械を機械として正しく理解するということはこの本で勉強しました。機械に感情はないけど、物理の壁を越えることは出来ないし、乗り手がラフな扱いをすれば機械の方もラフになっていく、ということ。
そういうこともあって、愛車に乗る時もあまり無茶はしないようになりました。ありふれまくりのワゴンR(初代)ですが、やることはポルシェとかフェラーリとかと同じなんだから、って。……まあ、福野氏に影響を受けまくった楠センセイが描いた『湾岸MIDNIGHT』の影響も多分にあると思うのですが。
結構カタカナ語が多くて難しいところがあるかもしれませんが(それは前書きで著者自身も反省していました)、車に対する正しい理解をしたい方すべてにオススメします。これは本当に面白い本です。
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