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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 今日は天皇誕生日。

 学生だった頃は一年のうちたくさんある休日のひとつに過ぎず、交代制勤務になった今はそれですらない(若干、平日とは違った雰囲気はありますが)というわけで……何にもちなんだ話題が思いつかないのでね。今年、少し引っかかっていたことを書きたいと思います(これもまた60年代の話ですね)。

 ……本屋さんで色々と「話題の本」コーナーを眺めていると、なるほど、時節によって異なる本が並んでいて、「ああ、今はこんなのが流行っているんだな」とうなずくことがあるのですが(ジョシコーセーがドラッカーを云々ってのはいつもありますけれどね)。

 そんな中、なぜか「三島由紀夫論」の本をよく見たような気がします。たまたまその本屋さんで積極的に仕入れたのか、それとも本当に今年たくさん発売されたのかわかりませんが、とにかくよく見た気がします。

 
 残念ながら私は三島氏の本を一篇も読んだことがないので、ここで私なりの三島論を語ることはできません(そういうブログでもないし!)。ただ、今まで語ることはもちろん、考えることさえ慎重に避けてきたのは、やはり「盾の会」以降のイメージで語るのは嫌だな、と思ったから。何せ私が高校生~大学生の頃にかけてのめりこんだ澁澤龍彦氏との交流もあったくらいだから、それだけの人ではないはずだ! と思ったからなのです。

 昨日は祖母(ばーちゃん)を病院に連れて行き、その待ち時間が例によってムチャクチャ長かったので、澁澤龍彦「洞窟の偶像」(河出文庫版)を読んでいると、澁澤氏から見た三島氏のイメージが語られていました。

 私の貧弱な脳でざっと読んだだけなので、本当はそうではないのかもしれませんが、三島氏もボディビルとかでちょっと肉体信仰、マッチョ主義なところがあったのかな、と思いました。そして市ヶ谷での自決は、ずっと三島氏の中で温められてきた哲学の形なのかな、と思いました(何となく、そう書いているように読めた)。


 時は流れ、平成の世にこんな話題を引っ張り出すのもアナクロというか、色々と角が立ちそうな話題で恐縮ですが、くれぐれも私は思想的な意味でこの話題を出したのではありません。むしろそういった思想的な色合いが濃くなかったころの三島氏に興味と、若干の憧れ? のようなものを抱いたので、書いてみたまでです。

 今年……はちょっと間に合わないかもしれませんが、せめて一冊くらいは三島文学に触れなければならんな、と思いました。あと稲垣足穂か。大学の頃ほどの時間があれば、一冊といわず二冊三冊と読めたのでしょうが、そうするとまともな社会生活が送れないような人になってたかもしれないし、やっぱり今のペースがちょうどいいのかな(笑)。

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